百合の君(90)
訃報を聞いて、珊瑚は窓に駆け寄った。幼少を過ごした上噛島城から黒い煙が上がっているのが見える。
珊瑚は膝を突いた。真津太は、東を八津代と接する海と平野の国だ。窓の外では、無限の海に対抗しようとする人の努力のように、刈り取りの終わった田畑が、遥か遠くの山々まで続いている。
故郷は、父の命と共に喜林義郎によって奪い去られた。何故、ともに戦うことをお命じくだされなかったのか。何故、私は赤の他人のようにこのような所で見ているのか。
望みさえした父の死にこれ程の衝撃を受けていることに、珊瑚自身戸惑っていた。しかし事態は十分な悲しみさえ許してはくれない。
「八津代から逃れて来た兵達です」
守隆の声に、涙を拭う。
「入れてやれ」
最初に入ってきた老兵は惨めだった。顔は血と泥で赤黒く染まり、若い兵に肩を貸してもらわないと歩けもしないようだった。老兵は珊瑚の姿を認めると、一瞬怯えたような表情になり、次いで懐かしいような、諦めたような顔になってよろよろと進み出て、足を組んで座った。近くで見ると血と泥の間に加齢によるシミもあり、珊瑚は土よごれよりもむしろそちらを汚らしいと思った。老兵は深く頭を下げると、桐の箱を差し出した。
「上様のご遺髪にございます」
黒い毛束が炭のお守りと一緒に入っていた。父はやっと珊瑚の手に抱かれた。珊瑚は、しばらくそれを眺めていた。
「私は今水流という上様のご恩を被った者の一人にございます。珊瑚様、お父上の仇、きっと取りましょうぞ」
存在を忘れた頃になって、老兵はまた喋り出した。皺だらけの目から涙があふれていた。珊瑚は今水流という名など聞いた事もないと思った。そして、最初の怯えたような今水流の瞳を思い出した。この者も、あの城で私を白い目で見ていたのだ。
珊瑚は弟を抱き上げた時のように優しく微笑むと、今水流の肩を抱いた。
「よくぞ生き延びてくれた。して、母上は?」
洟をすする音が止まった。
「ご一緒ではないのか?」
体を離すと、今水流は恐るおそる頷いた。
百合の君(90)