ゆーえんみー 1話後編

君と出会った日 後編

 ユウ。
 
 喜多見(きたみ)(ゆう)は、久々に学校に来た元不登校らしい。それではあたしがよく知らないのも納得だ。けれど、びっくりしたのは、ユウが学校に来なくなった時……今年の春から、この世界の異変は始まっていたのだ。あたしがこの世界がおかしいと思ったのは最近。それを聞いた時、あたしはやっぱり頭が割れそうになってくらくらとした。
 どうしてこんなことになっていると思う? と聞いたら、ユウは困った顔をして首を傾げた。わからないらしい。
「そりゃそうだよね。分かってたら止めようって思うもんね、こんなよくわからないこと……」
「怖いから学校に行かなかったんだけど、何もしてないともっと気になって怖いから行くことにした」
「そっか……。あ、アイス」
「食べたい?」
「え? うん、まあ」
「バニラ? ソーダ?」
「自分で買うよ!」
「そう……?」
 ユウはまた首を傾げた。うーん、不思議な子だ。小学生のがきんちょたちで賑わう駄菓子屋でソーダ味のアイスキャンディーを買う。ユウも同じ味。店主のおばちゃん直筆のポスターの『アイス。キンキンに冷えています』が癖字すぎて『アイス。キソキソに冷えています』に見える。あたしたちが手を繋いでいるのを見たおばちゃんはあらまあと声を上げ、包装を破って渡してくれた。思えば、さっきからずっとユウと手を繋いでいる。正直めちゃくちゃ恥ずかしい。でもなぜか、振り払う気にはなれなかった。
 
「……ユウはさあ」
「うん」
「なんでもない」
「うん?」
 なんで急にあたしに接触してきたわけ? と聞こうとして、やめた。なんでミーって呼ぶのかも聞こうとして、やめた。別にそれに大した理由があったわけではない。ただユウがアイスキャンディーをボリボリとかじっていたから、口の中に物を入れて喋るタイプではなさそうだなと思って、やめたのだ。彼はアイスキャンディーは舐めるのではなく噛み砕くタイプらしい。知覚過敏ではないのか。ちょっと羨ましい。あたしはちょっとそれ気味だから、アイスは口の中でゆっくりと溶かす。
「ミーに話しかけたのは、怖がってる顔で外を見てたから。もしかしたらと思って。違ったら何でもないですって逃げればいいし」
「ちょ、あたしの心読んだ?」
「どうだろう。知りたそうな顔してたから」
「はい……知りたかったです……」
「ふふ」
 あたしはそんなに変な顔をしていただろうか。会ったばかりなのに、ユウには何となく敵わない気がしてきた。
 
 それにしても、ユウは美人だ。美少年って言うのだろうか。白銀色の髪も、透き通った色の瞳も、夏に入ったのに色白の肌も。不登校だったから魅力がみんなに伝わってなかっただけで、さぞモテるのだろうな。とあたしは考える。そんな子と手を繋いでアイスキャンディーを食べている。あたしは前世で何か良いことをしたのかもしれない。……けして面食いではない。
「あたしさ、前は茶髪だったんだよね」
「うん」
「うんって……、いやいいや。友達に合わせて染めてて、生徒指導の先生に怒られてもみんなでこれ地毛です〜って言い張って。でも、空にひびが入ってから、なんかそういうの馬鹿らしくなっちゃって」
「……そう」
「元の髪色に戻した。先生には結局地毛、黒じゃないか! って怒られたし、友達は……変わらず良い子たちだけどちょっと距離できたし。でもなんか……いいんだ、うん」
 ユウはそういうのあった? って聞こうと彼の方を見て、あたしはびくっと肩が震えた。ユウがじっとあたしを見ていたのだ。透明な瞳はよく見れば薄青色をしていて、まつ毛も眉毛も髪と同じ色だった。
「ユ、ユウ?」
「僕ね、ハーフなんだ。髪と目は母親似」
「そう、なんだ」
「周りから浮いてて、コンプレックスっていうのかな。あまり好きじゃなかった。でも、一年生の時の……ちょうど今頃にミーがね」
「……あたしが?」
「……」
 そっか、モテていたわけじゃないんだ。あたしは危うくユウを傷つけることを言いそうになっていたかもしれない。そう思いながらユウの次の言葉を待つ。あたしが何だろう? でも、ユウは黙ったままだ。
「ユウ?」
 ユウの顔を覗き込む。すると、ユウはアイスキャンディーの棒を持った手であたしの頬にするりと触れ、おでこに……キスをしてきた。アイスキャンディーで冷えた、冷たい唇で。
「……。……えっ?」
「ここからはひみつ」
「えっ、今、えっ、ユウ!?」
「君は僕に良いことをしたんだ。だから僕はミーをミーって呼ぶんだ。……思い出さなくてもいいよ、僕の勝手な良い思い出だから」
「待ってユウ、い、今、キスして……」
 勝手に進むユウの話をなんとか遮る。なんてことをするんだこの子は! 上手く言葉にできないし行動にもできない。繋いだ手を離すこともできない。本当に、変な気持ちになる。胸がドキドキするのは恥ずかしいからってだけではない気がしていた。
「嫌だった? ごめんね」
「い、やじゃないけど」
「そっか。よかった」
「良くはないでしょ! びっくりしたよ!」
「ふふっ。……帰ろっか」
「あ、ひ、ひみつって何!? 気になるんだけど!」
「ひみつはひみつ」
「もう!」
 ゴミ箱に棒を捨てて、ゆっくりと歩き出すユウに手を引かれてついていく。……そういえば、アイスキャンディーのくじは当たりだったかハズレだったか確認を忘れてしまった。どうせ、当たってもここの駄菓子屋に来るたびに今のことを思い出す気がして、もう二度とこの店で夏は過ごせないと思った。

「ユウも言ってたけど、やっぱり学校が無いと怖いことばかり考えちゃうな」
「ミーは部活には入っていないの?」
「帰宅部。そういうユウは?」
「文芸部。夏休みはずっと活動休止」
「じゃああたしたちずっと暇じゃん……まさか授業をありがたく思う時が来るなんてなあ」
 道を歩きながら、話す。蝉の声がじわじわと聞こえてきて、ああ夏だなあと思った。あたしは、何となく付き合いを自ら悪くしてしまった友人たちと遊ぶ気にはなれなかったし、かといって部屋にこもり続けるほど忍耐強いわけでもなかった。塾にも入っていないし。
 夕暮れの光は、やけにまぶしかった。
 照り返すアスファルトが、足元から熱を伝えてくる。こんなに暑いのに、背筋だけが妙に寒い気がして、あたしは首もとを押さえた。

 ───世界が、変わりつつある。

 いや、もう変わってしまったのだろう。空のひび。誰も気づいていないようなそのおかしなことは、確かにあたしのすぐそばにあるのに、誰も話題にすらしない。誰もが見ないふりをしている。あるいは、本当に見えていないのかもしれない。
 あたしには見えてしまっている、それだけで、あたしだけがどこか違う世界に取り残されてしまったような、妙な疎外感があった。……いや、違う。取り残されたんじゃない。きっと、あたしだけが、もう違う世界に入り込んでしまったのだ。
「なーんて、漫画の読みすぎだって言われるだろうなあ……」
 思わず口に出して、苦笑する。誰かと笑い合う時間は、嫌いじゃないはずだった。けれど今は、何をしていても、頭のどこかに、あの空の傷がこびりついて離れない。
 世界の外側を見てしまったような、あの感覚。夏休みの始まりなのに、何も始まる気がしない。
「……」
 ふと隣を歩くユウを見る。ユウはあたしの独り言に対して黙ってくれていた。
 この子は、何を知っているんだろう。何を知っていて、何を知らないのだろう。

 ……もしかして、ユウはひびの向こう側の人間なんじゃないか? そんな疑いすら浮かんでしまう。でも、そんなことを考えた自分が嫌になる。だってユウの手の温度は、さっきあたしを助けてくれた時のあの手は、確かに優しかったから。
 
『こんな変な世界、壊れちゃえばいいのに』
 
 思ってもいないことを、つぶやきそうになる。でも、本当に壊れたら、どうするんだろう。
 たとえば、あの空のひびが大きくなって、世界がパリンと割れて、中から何かが這い出してきて、それでも誰も気づかなくて、あたし一人がそれを目撃して……何もできず、ただ逃げ惑うだけの自分が見える。
 そんな時に、ユウはあたしの手を握っていてくれるだろうか。それとも、その『向こう側』へ行ってしまうのだろうか。
「……怖いよ、ほんと……」
 ぽつりとこぼした声。すると、ユウは今度は口を開いた。
 
「ミー、僕とデートしよう」
「……はい?」
 またなんてことを! 本当にこの子は! 一瞬耳を疑った。こんな時に聞くような言葉ではなかったからだ。夏休みデートなんて、夏を楽しめる人の特権だろう。し、知らないけど。
「怖くないように、一緒にいよう」
「……ああ、そういうこと。いいの……?」
「うん。怖がってる者同士一緒にいれば、少しは怖くなくなるよ。僕が君のそばにいる」
「あたしのそばに……」
「うん。だから、僕のそばにいて。ミー」
 
 柔らかな声で、囁くように彼は言う。ああ、本当に敵わない。これからずっと、あたしはユウに翻弄される気がする。……ずっと? ずっとがあるのだろうか。やっぱり、怖い。けれど、繋いだユウの手は、優しい。怖がってるあたしに、無責任に大丈夫だと言わない。その優しさが、心地いい。
「うん。良いよ、夏祭りとか、駅前とか、行こうよ。ユウ」
「……嬉しい。ありがとうミー」
 気づけば、あたしの家の前まで来ていた。怖さは今は少しだけ、遠くに消えていた。
 
「じゃあ連絡先、交換。アプリ入れてるよね」
「あたし今スマホ、家だよ。ユウの家ってどこ?」
「こっちの道」
「あたしの家と別方向じゃん! あたしに合わせてくれなくてもよかったのに!」
「いいの。僕がミーを送りたかったから。それに僕、スマホ持ってきてるし。ミーが今からスマホ持ってくればいい」
「持ってきてるの? 校則違反だ」
「ふふ」
「すぐ笑うんだから……」
 急いで家の鍵を開け、自室へ駆ける。お父さんとお母さんはまだ仕事から帰ってきていないから、娘のこの勢いの良すぎる行動を訝しんだりはしない。スマホを持ってくると、ユウはカバンから自分のスマホを取り出して待っていてくれていた。
「男子と連絡先交換するのって初めてかも……」
「ミー、好かれそうなのに」
「男子は女子とは別の生き物だから」
「そういうもの?」
 話しているうちに、ぴろんと音が鳴り、アプリにユウの連絡先が表示される。アイコンは……真っ黒?
「ユウ、変なアイコン」
「星空をスマホで撮ったんだ」
「あはは、そりゃ無理でしょ」
「だよね。……ミー、やっと笑ってくれたね」
「あ……。うん、ユウのおかげ」
 顔が綻んでいた自分に気づき、頬が熱くなるのを感じた。ユウは……何というか、不思議な男の子だ。でも、そんな彼とこれから夏を過ごすのは、悪い気はしない。
 
「じゃあね、ミー」
「うん、またね」
「……。……またね」
 手を振る。これが、あたしとユウの出会い。そして、進むことを躊躇っていた物語が、ほんの少しだけ動いた日。

ゆーえんみー 1話後編

ゆーえんみー 1話後編

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  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-29

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