ぐやぐや

ぐやぐや     Kiyoshi 

僕が「ぐやぐや」と吟ずれば、必ずや君(同級生)は「なんじを、いかんせん」と詠み応えてくれるでしょう。そこは同門の友、息がピッタリ合います。

「虞や虞や汝を如何せん」。遠い遠い日、同じ師から聞いた漢詩の末句です。詩句の前後が、語呂合せみたいな韻律で結ばれ、そして物語りも悲壮にして哀婉、級友皆ノートした様です。

でも中には 「ぐにゃぐにゃ、なんじ、こんにゃくをいかんせん」 とアレンジした悪戯っ子も居たようです。幸い先生には見つかっていません。

若し、私がその悪戯書きを見つけた先生でしたら、わざと渋い顔して「ウン、面白いね」と褒めもせず、ゲンコツを食らわすでもなしに、我が意を得たりと会心の笑みを隠して授業を続けた事でしょう、此れは、取りも直さずその子が確かに私の講義を聴いていた事の証です、

さもなければ咄嗟にあのヴァリエイションは生まれないでしょう。こう云う授業の上での悪戯っ子は、可愛がってあげるものです。その学科が好きで貴方に心を開いてるのです。

数年後、私も教壇に立つ身となりました。「人を教える」情熱に燃え、若き教師は、常に生徒達の心を掴もうと苦心しました。長かった教師生涯での生徒たちを巡るあれこれに独りでに会心の笑みが洩れます。

こんな事も有りました。生徒二、三人が、川原に転がってるあの卵型玉石の、比較的大きいのを持って現れました。 石を見て私はすぐ、「こいつ等俺を騙しに来たな」と直感しました。

案の定、石の表面には恐らく硬い鋭利な錐で平行に引っ掻いた数本の條痕が刻まれていました。

「先生!太古の昔、台湾にも氷河期がありましたよ」としゃあしゃあと嘯いていました。私は「幹得好!(でかした!)とあっさり騙されてやりました。

ところがです、ニヤニヤしている彼らの様子は褒められて、喜んでる様子には見えません。咄嗟に私は「しまった、こいつ等にしてやられた」と氣が付きました。

結局、誰が誰を逆手に取ったのか分かりません。狐と狸の化かしあいでした。でも、私は彼らが確かに私の授業を聞いてくれている、又下手すると怪我しかねない小細工までして、この学科に心を開いてくれた事を、喜んだものです。

でも彼等、あっさり騙された私の後ろで「先生一寸可笑しいんじゃない?」と囁きあっていたかも知れません。

話が脱線しました。本題に帰ります。本題とは、チンピラこと、講談師、高橋先生の歴史の授業「ぐやぐや」です。

「講談師 見て来たような ウソを言い」と川柳でからかわれていますが、ウソと知りつつ、銭払って聴きにいくのが講談でしょう。真実の報道等は無料でも聴きに行かない。勿論僕たちは無料で先生の講談について行きました。

遠い紀元前の昔、中国の「関が原」とでも言うべき地方, 「垓下」で両雄、「楚」の「項羽」と「漢」の「劉邦」が繰り広げる争覇の一大ロマンは、項羽王と王妃の悲恋ロマンスで終わるのです。

先生は見て来たかの様に「四面楚歌」の由来から、ジェスチュアたっぷりに物語を進めます。

秦始皇滅亡後、群雄蜂起して天下大いに乱れる。天下争奪戦の最後に残るのは、漢の劉邦と楚の項羽。五年余の漢楚の争覇戦末期の戦局は、漢王に有利し、項羽は追い詰められて、垓下に立てこ籠る。

劉邦は一計を案じ項羽を誘き出す。或る夜、劉邦は前線の兵達に楚の国の歌を歌わせる。その咽び泣く様な故郷の歌を聴き楚の前線は浮き足立って、漢軍に寝返る者、故郷に逃走する者続出。

項羽は、前線既に陥ちたるものと錯覚し今は此れまで、国敗れたりと思う。家臣は待機、捲土重来を献策するもワンマン項羽は之を聞き入れず、最後の酒宴を開く。

愛人「虞」に剣舞を舞わせ、悲愴哀婉に満ちた詩を吟ずる。虞は殉死覚悟の剣舞を舞う.

「垓下歌」

「力跋山兮気蓋世、 時不利兮騅不逝、 騅不逝兮可奈何、 虞兮虞兮奈若何」

(力山を抜き、気,世を覆う、時利にあらず、騅行かず、騅行かざるを如何すべし、虞や虞や、汝を如何せん)。

(私には、まだまだ山を引き抜く力有り、私の気概はこの世を覆うばかりである。だが時勢は私に不利であり、愛馬騅(スイ)は動こうともしない。動こうとしない騅をどうしたらよいのか、愛する妻、虞よ、お前をどうしたらよいのか)。

豪遊無双の項羽ではあったが、最後まで戦場についてきた虞美人を、思いやり涙する。詩吟に合わせて愛妾虞が剣舞を舞い終わるを見届け、項羽は僅かな手勢をを従え一先ず長江のほとり「烏江」に落ちのびる。

其処の長でもある船頭は、長江を渡り彼岸で再軍備を整え捲土重来を勧めるが項羽は潔く玉砕の道を選ぶ。

こうして踵を返して敵の追軍中に突入、凄愴な奮戦の中で戦死。時に項羽31歳であった。項羽死すの報を聴き、虞も詩を吟じ剣を取り項羽の後を追って自害する。
  
「漢兵巳略地、四方楚歌声、大王意気尽 賤妾何聊生」

その年の夏、虞を葬った塚に真紅のひなげし(雛罌栗、果実汁は阿片の原料)の花が咲いた。地元の人達は虞の血に染められたのだと、虞を哀れんで「虞美人草」と名つけた。

1000年後、烏江を訪れた詩聖「杜牧」は、山川草木中に身を置いて心に触れるもの有り項羽の死を惜しむ詩を残す。この詩から「捲土重来」なる成句が後世に残る。

             「題烏江亭」      杜牧

「勝敗兵家事不期 包羞忍恥是男児 江東子弟多才俊 捲土重来未可知」

(勝敗は兵家も事期せず、恥を包み恥を忍ぶは是れ男児、江東の子弟才俊多し、捲土重来未だ知るべからず)。

[余談] 只今、2006.6.11. 8:00 pm、 NHK大河ドラマ「功名が辻」第23集「本能寺」を見終えたばかりで、「劉邦、項羽、虞」 と 「光秀、信長、濃、」 この二組の人物達が織り成す人間模様があまりにも似通っている事、及び私が項羽の物語を書き終えたばかりの処へ続いて「項羽もどき」ともいえる「信長」の最期をTVで見届けて特に感慨深く、ミスティックになり、信長組の事情を書いてみようと思い立った。

この二組の男女は、共に戦乱の世を駆け抜けてきた豪雄とその妻であった。

項羽も信長も決戦の前夜酒宴を設けている。項羽の宴は決死の最後の宴であり、剣舞を舞うたのは殉死覚悟の虞美人である。

それに対し、信長の宴は、前途に天下人たらんとするバラ色の夢見る前祝ともいえる酒宴であった。

「一舞い舞うか」とほろ酔い機嫌の信長は立ち上がる、すかさず濃御前は扇を、美青年小姓森欄丸は剣を差し出し鼓を構える。三人の息はぴったり合い、和やかなムードであった。

吟ずるは戦国の武将達が好んで詠んだ「敦盛」の一節であった。

「・・・人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢まぼろしの如くなり 
 ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」

是に先立つ数日前、信長の朝廷に対する政策に異見を述べる光秀に激怒し、「小賢しや」と衆人環視の中で光秀を縁側から庭先へ蹴り落した信長である。

二人の間の価値観は完全に相反し、ギャップは深まるばかり。数日後光秀は又も決死の諫言を行う。信長は鬼の形相で「もはやこの国に朝廷は不要じゃ、余がこの国の王じゃ」と喝破する。

光秀は日本が「こわれる」と嘆き腹を決める。夜半、新戦場へ向かう光秀は途中で駒を止め全軍に叱咤する。「敵は本能寺にあり!」。

普段から主君が信長からの屈辱に耐えてる光秀を見てる家臣一同はここぞと勝鬨を挙げる。コースを変えて全軍一路まっしぐらに本能寺へ進撃。

夜半、鬨の声に寝込みを襲われた信長は白い寝衣のまま欄干を足がかりに真っ向から反乱軍に向かい矢を払い数人を斬る。

剣の達人森欄丸と小太刀の使い手濃御前は必死に信長を護る。銃撃に頼る敵陣を見て、もはやこれまでと欄丸に叫ぶ、「阿欄,余の首を敵に渡すな!」。

森欄丸は座敷に入り、油を輪状に畳に撒く、火をつける、信長を火の中へ招じ入れる。燃え盛る火の中心で小太刀を首に当てる,「夢まぼろしの如くなり」と呟いて首を掻っ切る。

時に信長は49歳、遂に自ら吟じ舞うた「人間五十年」のレベルを越えられなかった。

一方光秀は濃御前を助け出そうとするが、それよりも早く、銃弾が濃の胸を貫いた。

光秀は間もなく猿(秀吉)に打たれ、漁夫の利に預かったのは、家康、猿、そして本大河ドラマの主。彼はいよいよ「功名が辻」に立つのであった。新しい戦乱の幕開けである。

「本能寺 つわものどもが 夢の跡」、「本能寺の鐘の音 諸行無常の響きあり」

[余談] 虞美人草(ひなげし)はスペイン語でアマポーラと呼ばれ名曲と映画のオールドファンならおなじみの、甘い優雅な名曲の名である。

アメリカのギャング映画「Once Upon a Time in America」で男女両主役が海辺のレストランと室内オーケストラを借り切って踊るアマポーラ、またヒロインが倉庫で独り踊るアマポーラは、絶景絶品であった。

この外赤ちゃんすり替えのシーンをオペラ序曲「泥棒かささぎ」で進行させる等、ハードボイルドなギャングの凄惨な争いの中にもエレガントとユーモラスなシーンを交えてのセンスの高い忘れ難い映画だった。

また、「四面楚歌」に似た心理作戦は二千余年を経て、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線でも使われた。

此れは「四面恋歌」、対峙するはドイツ、フランス両軍。毎晩十時三分前にドイツ軍が前線に流す恋歌は、戦場の彼が故郷に残した彼女を恋うる哀しいメロディーに切ない歌詞。「リリーマルレーン」である。

例えば歌の1節は「目を閉じれば見えて来る、街灯りに君の影、生きて帰れたら再び会えるね、愛しいリリーマルレーン、愛しいリリーマルレーン」。

こうして夜な夜な流れ来る郷愁を誘う、心に沁み込む哀しい歌声に両軍共休戦、郷里の恋人や家族を偲び強烈なホームシックで両軍共に戦意喪失、ドイツ軍の目ろみはすっかり裏目に出た。

戦後この歌はマレーネ ディットリッヒの歌声で世界中でヒットし、今も歌われている。(youtubeで聴ける)。

リリーマルレーンは実話だが「四面楚歌」は虚構くさい。楚王項羽とその麾下の宰相たちが、易々と計に謀られるとは思えない。実際の「四面楚歌」を聴きたいものだ。

諸々の原因で、項羽は敗れるべくして敗れた。劉邦は勝ってその後の四百年の漢の天下の礎を築いた、関が原で勝った家康は、三百年の徳川幕府の礎を築いた。

こうして講談師高橋先生の、四面楚歌に始まり虞美人草で終る一時間の歴史講談は終った。先生は始終、僕等から目を離さないで弁舌爽やかに、身振りそぶり豊かに「歴史」を語り、歴史を作った「人達」との因果関係を分析し、時々美人、愛人、めかけ、愛妾等色っぽい言葉を投げかけて純潔な我等少年達をギクッとさせながらも、完全に我らを自分のペースに巻き込んでしまい、自らも自身のペースに溶け込み、詩の末句のくだりではもう僕達から視線を反らし天(井)の一点を凝視、おもむろに「虞や虞や、汝を如何せん」と。

その時先生はもう項羽になりきっていました。

一方国史の授業も当時「少年講談」の愛読者であった私にとっては、少年講談の復習の様で興味津々でした。

記憶にまだはっきり残っているある日の授業、徳川幕府の政務のメカニズムを雄弁に喋っていた時、先生は突然或る級友を睨み指して「大目付はこいつ怪しいと睨んだら食いついて離さない・・・・」と。

僕等はドキッとして指された子を見る、別に脇見してもいない彼は愕然として弾かれる様に反射的に起立、今度は先生の方が慌てて着席のサインで彼を座らせた。あの時やっぱり先生は、大目付になりきっていたのです。

こうして私の歴史授業への結論は「歴史は面白い!」でした。

高橋先生の影響でもないようですが、級友の謝氏はなかなかの才子で原子物理学者、素粒子の研究で理学博士を得、名古屋大の教授。

同窓会で傑出校友表彰のため帰台した彼をホテルに訪ね、素粒子を話題にしようとしたら、彼、「もう物理学では、第三世界を救えない、世界史だ、世界史観だ、もう物理学とは縁を切った、大学では世界文明史を講義している・・・・」と意外なコメントに、別れた後、愚鈍な私には暫らくは彼の抱くロマンは理解しかね、何故二つの無関係の学問ジャンルの間であんな見事な大変身が遂げられるるのか、不思議でならなかった。                   Kiyoshi

ぐやぐや

ぐやぐや

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-05-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted