純粋魔法少女批判
鈴木ナオ、二十歳、無疵なこころであるはずもない。
そうハタチ、それ、少女とよぶには微妙な年齢である。されど彼女、過激にガーリー、キャッチーにダークな衣装にふだんから身をつつみ──俗にいう「地雷系」、それである──まるで、そんな衣装に躰をまとうことによって、現実から水のように浮いてしまう病める情緒を、堅くかたく彼女じしんの道徳で縛るように──それ、純粋なる少女性を守る決意のあらわれだと、彼女はいう──そんな、いさましくも毀れやすい、きわめて勇猛果敢にしてきわめて臆病な、街のひとびとの愛と平和のために闘う、かれんな魔法少女なのである。
もうしおくれました、自己紹介いたします。
ぼく、魔物事件ならびに魔法事件の処理を主に生業とする企業のなかでも、暗々裏でひっそりと業務を遂行させていただいている業界最大手、「株式会社日本魔法少女」にて、関東内のとある地区のエリアマネージャーを任されております、蒼いキツネの、「アオプー」ともうします。ナオからは、「アオくん」とよばれております。以後、お見知りおきを。
グレーッシュに霧がかる、群青の夜天さながらの毛並、周囲のざわめきにびくと肩をわななかせるたび、霧がゆれるように翳のうつろうそんな体に、うまくひとと眼を合わせられない人見知りな印象の眼元、それがもし幸運にも(?)あなたへ向けられれば、月のように銀に燦るまんまるの眸が、きっと照りかがやいていることでしょう。地に足ついていなく、つねにくうきをふわふわと浮んで移動していることもつけくわえれば、きっと、ぼくの雰囲気をイメージしてくださることができると想う。
このエリアを管轄しているぼくの社内でのポジションを申し上げましょう。少女、あるいはかつて少女であったみなさんに解りやすく説明すると、いわゆる、魔法少女ものでいう「守護獣」なるものをやらせていただいております。ほら、肩に乗っかってる、あれです。そんなぼくが、彼女を魔法少女にスカウトしたのもまた、かのひとの勇猛ないさましさ、毀れやすさ、妥協という生存戦略の欠落性、繊細さと無謀さの、切ない矛盾の個性によるものでありました。
ところで、あなたは魔法少女になりたいと想うだろうか?
そんなあなたなら、この先を読んでいただけるかもしれない。
うちの会社で魔法少女として契約していただくのなら、いくつかの条件がございます。
先にいっておくと、性別(体のそれも含め)、年齢、関係がない。わが社、多様な魔法少女を募集しております。最近の風潮にも、ぴったり合うね。うちの業界は、時代がそういう風潮になるまえから、ここを徹底しているのである。
が、実質、契約していただいているほとんどの魔法少女が、十代の少女たちということになっている。数人は少年もいるし、心と躰の性別がちがう方々も何人かは存在する──ちなみに、パンツスタイルのコスチュームもご用意しているよ、たとえば、原宿のジェンダーレス男子のファッションスタイルがお好きなら、きっと、気に入ってくれるとおもう。守秘義務があるから名前はここでいえないけれど、うち、コスチュームのデザインには、有名デザイナーを数人起用しているのだ。
二十代で魔法少女をやっているひとびとは、いわゆる、夭折するうらわかきロックスター、太宰治文学の愛読者、あるいはゲーテの書いたウェルテルみたいな、いかにも夭折しそうな、淋しい雰囲気のひとが多い。彼女等(かれ等)、年齢をかさねてしまうごとに心身の限界がきて、ほとんどのひとは、二十七くらいまでには魔法少女を引退してしまう。三十代になると、たいていは心のエネルギー的に(つまり、一概にイコールといいきれはしないのだけれども、”魔力的”に)きつくなってくるので、ぼくたちは、べつのかたちで会社に貢献する道を提案しがちである。
これを読んでくれたあなたが、つぎに示す条件に合っていて、もし、「魔法少女をやりたい」と真剣に希ってくれたなら──半月が蒼く燃ゆる夜をえらび、翳りを帯びる群青の夜空へ、てのひらを合わせてほしい。それによって、しばしば少女がするように、つよく、果敢なく、一途な祈りでもって、ぼくに連絡してほしい。想いのつよさ、そしてあなたじしんの適正によっては、もしやぼく、ふわりと飛来してくるかもしれない。叶えたい願いごと、ひとつだけだよ。かんがえといてね。
本音をいうとね、願い事が叶っても割に合わないから、超絶ブラック業界だから、どうか、希うまえに深くふかく吟味してほしい。というか──いや、なんでもない。
さて、条件。
ひとつめ。
社会の風潮に、染まる以前の状態であること。あるいは、染まりたくても染まれていない状態であること。社会への違和感、切なさ、あるいはどぎつい怒りのような、いわゆる、「どうして?」というくるしい疑問を抱えているということ。
ふたつめ。
ひとつめと重なるけれど、「そんなことを悩んでもしょうがないだろ」、そう突き放されるような悩みに、神経が悲鳴をあげるくらいにくるしまされていること。例:「なぜひとは他者を傷つけないと、生きていけないの?」
みっつめ。
世界に自分がふくまれていないという、根深い疎外感を抱えていること。
この条件を満たすひと、みんな、ふしぎなくらいに、湖のおもてに青玻璃はりつめているかのように、神経的で、淋しげな、暗みの澄むような眸をしている。その理由とは──ぼくの推測にすぎないけれども──「魔法少女」とは、「青春の孤独」の同意語だからである。
お気づきだろうか? これ等は、まったく立派なことじゃない。美化してもいけないと想う。愚痴ってもいいかな? 聴いておくれ。過去をふくめ、ぼくの部下の魔法少女たち、いわゆる、根っから社会と相性がわるいというか、はっきりといわせてもらえば、変わり者で、精神の不安定なひとばかり。されどみんなみんな、すごく頑張っていて、まるで、そもそもが生存だけでいっぱいっぱいのはずの人間が、当人固有の理想にしたがおうと、妥協すらできず、それを自分に許すことすらできず、さらにわが身をくるしめるような、淋しい生き様をみせつける。しばしば努力の方向がズレがちとみなされ──ぼくは、彼女たちのそれをそれそのものとして認めたいけれど、ね──それらを含めて愛らしくて、切なさがこみあげるような印象を与え、なにか、睡る透明な水晶がせつなだけ仄かに青く煌くような、みょうに切ない美だって、ほんの一刹那だけ、きらりと光ることがあるような気がする──美化してるのって、たぶん、ぼくなんだろうな。
いやでもね、そんなひとたちの相手をずっとしているぼくの苦労だって、君には察してほしいのだよ。
*
「恋愛、禁止?」
そう、契約して一か月にも満たない、新人魔法少女だったナオが、呆然とした眼でいった。
「恋愛は禁止だよ。男女で遊びに行くことはオッケー。恋愛関係の契りを結んだ瞬間、契約違反になるよ。ぼく、最初に言ったけどな」
「覚えてない! 聞いてない! なんで恋愛禁止なの?」
「ナオちゃんは勢いで会話しすぎて、ひとの話たまに聞いてないよね? 恋愛禁止の理由は、恋愛は、淋しさを誤魔化させるから。淋しくなくなるから。そうじゃない恋愛もあるし、ぼくにいわせれば恋人なんているほうが淋しさふかまるような気もするけれど、淋しさが誤魔化される恋愛が多いとされているから。そういうこと」
「うう…」
「好きなひといるの?」
おもわず切なくなって、ぼくがたずねると、
「気になってるひとはいる、デートも誘われた。行っちゃダメ?」
「行くのはいいけど、付き合っちゃダメ。付き合ってないのにキスとかもダメ、淋しさ紛れるから」
「なにそれ! 意味解んない、なに?」
「決まりなので。なに?って語尾につけるのやめて、喧嘩売ってるみたいで怖い」
ぼくは気弱で、臆病である。
「決まりなので、ってなに? めっちゃ社会じゃん」
「ナオちゃんは株式会社日本魔法少女の契約社員です。ここは社会です。恋愛禁止は会社のルールで、契約書にハンコを押していただきました」
「職業・百均ショップのアルバイト、美的趣味・かれんな魔法少女ですけれど」
「ちがいます。立派な社会人として、職業・魔法少女です」
彼女の表情から察しとれる、ふつふつとわきあがるいらだちに、ぼくは内心”ごめんね”と想いながらびくびくと怯えるも、立場上、毅然とした態度をとらざるをえない。嗚、社会人。悲しき哉。
「どんなひと? 気になるひとの感じ」
「うんとね、」
さっと花やいだ笑みを浮かべ、はずむように明るい声で話しはじめる。この子、情緒が弾んだり沈んだりが、はげしいタイプ。
「お兄ちゃんみたいなひと。生き別れのお兄ちゃん、こんな風に育ってるんだろうなって、そんな、優しくて頼りになって、明るいって感じじゃないけど、話うんうん聞いてくれて、いっしょにいると落ち着くんだ」
きり。ぼくの心臓、淋しさに齧られ翳りを帯びた月のように、なぜか痛むのだった。
「素敵な感じだね、あとナオちゃんの言い方的に、すでに恋してそうだよ」
「うるさいなあ。気になるひと!」
ぴょこん、とナオのブラウンピンクに染められた髪が、一条だけ、アホ毛として立ちあがる。ナオの神経の糸には、まるで硝子製の花がゆらめき翳曳くようにしていたみを察知し、ひとふさの髪の毛を昇らせる機能がある。それは魔法少女になることによってえられる能力であり、魔物到来、あるいは魔法事件察知のセンサーなのである。
「がんばっちゃおうかな!」
そう浮立つような声色で言い──そう、この頃は、まだ、魔法少女としてよろこびをもって働いてもらっていたのだ──誇らしげな顔をする。眼を瞑り、静謐なふんいきをたたえ、ちいさなくちをひらく。
「メタモルフォーゼ」
そんな呪文を唱えると、きらきらとしたピアノ曲が空から降って、ほのかに陰影をうつろわせる白いヴェールに彼女はおおわれ、浮かんだままにくるくるとまわる。ヴェールに秘められ衣服はさっとかき消えて、みるみるうちにピンクとブラックでデザインされた、愛らしくガーリーなコスチュームに身をまとわせて、ふだん「もう子供じゃないんだから」と、ナオの趣味ではあるのだけれど外でつけることをはばかってしまう真紅のリボン、それが、黒髪にほうっと花咲くようにあらわれる。
ラストはどこからか飛んできた魔法のステッキ、なにかに憑かれたようにそれを手にとると、まるで朝顔が咲くように、白い光りのなかで、ふわりとスカートがひろがって、鈴木ナオ、職業・魔法少女は、美しい少女衣装をまとって地上に降りたった。
*
無事魔物を倒し終え、疲弊した顔にやさしい笑みを浮べるナオの姿は、きれいだった。さみしげな、ふわりとかわいた顔をしていた。
「願いごと、考えたよ」
「先に、規約書があるから、読んで」
どん、と置く書類の束。
「長いよ!」
「しょうがないでしょ! 通しで読んでね。その後で渡す短冊に願いを書いて、誰にもみせずに紙飛行機にして。誰かに見せたら無効。それを、満月の夜、赤い薔薇を硝子瓶に活けて、そのそばで紙飛行機を飛ばすの。それが消えたら叶う。消えなかったら、どこかで規約違反になってる」
「うわー! 社会だー!」
「社会! すごい重要だから、ここだけはしっかり頭にいれてね」
願いごと規約違反一覧書。
現在の時点から死者を甦らせること(一日だけ過去へ戻り再会することは可。なお、そのひとが生き延びるように行動することは願いごとの一つだけという条件から外れるため、不可能)
テロリズム、またそれに準じる行為に繋がること。また、世界をおおきく変え、社会構造を転覆させること。
*
ナオの戦い方は、無茶だった。自己犠牲したい。そんなふうにも見えた。みずから危険な戦い方をえらび、傷を負い、もう、見てられないくらいだった。
*
しずかで、硬い風景に囲まれている。もう、何日眠っていないだろう。ぼくは、追憶に体を引き降ろさせ、綺麗な想い出にひたってみる。
…
「聴いて、アオくん」
声がきこえた、いま、ぼくのいる鉄の硬い世界がさらさらと銀の砂を散らすように砕け、すでにぼくのてのひら、そして現在からこぼれ落ちてしまった追憶、それが、褪せた砂が舞い昇るようなうごきで目の裏で集まり、やつれきった脳裏で、再現されはじめた。
ナオの肩に乗っている、蒼いキツネのぼく。彼女は、そんなぼくに話しかける。
「清楚系っていうでしょ。純粋で、優しい顔をしていて、心身ともに清らかな少女像。染まってない、綺麗なこころをもった綺麗な少女像。あれはね、男性の欲望の投影でしかなくて、そんな少女は、存在しないの。
いい?
清楚っていうのはね、無疵の心をいうんじゃないの」
「うん、うん」
とぼくが相槌をかえすと、いたましい程にまっさらな眸で、こういうのだった。
「清楚とは、外の世界と闘って、険しく顔をゆがめて、こころに疵を負わせつづけて、その瑕によって、創として磨き剥いて創るものなの」
──それが、ただそれだけが、彼女の思想だった。
否。彼女に、思想はなかった。ただ青春期の憧れと、嫌悪と、それに従おうとする、うら若き覚悟だけがあった。その覚悟には「妥協」という生存戦略がまるで欠落していて、その様子は、ぼくにいつも不安をもたらしていたのだった。
彼女の、純粋少女論。
青春期にありがちな憧れ・嫌悪、そんなものに追い従っているだけであるかのような、まるできらきら燦るも毀れやすい、やわっこい観念たち。硬く強靭で、眉間に皺がよるような大人の信念になるより前の、少年少女がもちやすい、脆い、儚くナイーヴな、たかが自分との約束としかいえないもの。大人というひとびと、たいていそんなものを裏切り踏み越えてゆくのだけれども、それはきっと悪いことじゃない、ほとんどの場合善いことなのだけれども、ナオはそれを、裏切ることすらできなかったのだった。
再び歌おう。魔法少女とはなにか。それは、青春の孤独のシノニムである。
ぼくは、こんな生き方は、かなしいと想う。大切なひとには、やってほしくないと想う。こんな生き方を傍から美化するのは、ほんとうに、ほんとうにまちがっていると想う。
されど、そこに佇むというのが魔法少女の条件であり、その立場を守るというのが、守護獣としてのぼくの義務なのだ。
ナオの清楚論は、やはり少女の夢と憧れ、永くもちすぎてしまったがゆえの、あまりにもピュアな破滅願望ともいえるよう。
純粋魔法少女批判。
この、小説というかたちをとった或る少女への批判書は、そんな純粋(?)少女への批判をつづった、あくまで男性目線の、独り善がりで、淋しき批判書なのである。
そこまで、自分を追いつめないで。ひとを大切にしようとする前に、まず、自分を大切にして。
自分を、どうかちゃんと守って。
そういいたかったのだけれども、魔法少女として戦わせているのはほかでもないぼくだから、そんなこと、いう資格はない。
*
あの日のことを、いつも想いだす。想いだすという心のうごきだけが、いまのぼくにできることなのだから。
戦いを終えたナオは、あまりにも傷を負いすぎていた。ぼくの治療魔法にも限界があり、彼女は、すでに死のきわをただよっていた。
「ごめんね」
とぼくは涙を流しながらいった。
「君を魔法少女にして。魔法少女になんかならなかったら、君は、こんなには傷つかなかったはずだ。素敵なナオちゃんだから、きっともっと幸福に生活できて、恋人もできて、平穏に暮らせて、大学なんかに行ったりして、たくさんの友達ができて、もうすこし大人になれて」
「わたし、そんなの欲しくないよ」
割れた水晶が、暗闇でほうっと光をためいきし、うっすらと、しかしまっすぐと闇を──あるいは死を?──射し照らすような、そんな、かよわく幽かで、華奢な、しかし、なにか奥に強いものを感じさせる、翳りを宿る薄青灰色の声。鈴木ナオはときどき、こんな風に話す。
「わたしは、ちいさい頃に手に入れられなかったものを、いま、手にいれなおしてるの。そしてそれを他者へプレゼントしていて、その能力や機会だって、わたしがずっと手に入れたかったものなの。わたしは闘いたいの、優しくなりたいの。強くなりたくないけれど、つよくならなきゃ優しくだってなれないの。優しくなりながら強くなるにはね、きっと、自分を戦わせるしか方法はないの。わたし、いま欲しいものをたくさん獲得している最中で、幸せなの。わたしは、他者を大切にするために闘う人間になりたいだけなの。泣かないで、アオくん」
「ぼくには、ナオちゃんはむしろいろんなものを放っているように、喪失していっているようにみえるよ」
「どうして? わたし、こんなに可愛いコスチューム着てるよ。みて、このロマンチックなガーリーなデザイン。ブラックとピンクの矛盾の色彩は、とってもわたしらしいでしょ。アクセントの紫だって、毒が効いていて可愛いの。リボンが揺れていて、お花が風に揺れるみたいで可愛いよ。そしてわたし、戦っている。より善き生き方をもとめ、良心を抱き締めて戦っているひとたちはね、きっと、どんなに弱くても、惨めでも、病んでいても、みんなから認められていなくても、みんなから軽蔑されていても、どんなに孤独でも、絶対に絶対に可憐なの。人間のうごきとして、美しいの。それを、わたしは闘ううごきをすることで、つぎつぎと手に入れているの。わたしは信じているの、そんなふうに闘っているひとの、みじめったらしい美しさを。わたしには、なにが善なのかわからないよ。そのなかで、自分のできる範囲でやさしさをさがしもとめて、注意ぶかくかんがえて、行動を選択して、世界に立ち向かう。そんな、すべての人間に可能な良心の戦いの存在を、わたしは信じているの。勝てるかはわからない、人生でなにが勝ちなんて人間にはわからないし、わたしの戦いも、まちがっているかもしれない。けれどもそもそも、わたし、勝つ気なんてない。さらさらない。ただ、負けない。負けつづけない。それだけなの。”負けていない”をつづける、ただそれだけなの。でもね、やっぱりね、ひとは、善い方向をめざして、闘うことができるんだとおもう。わたしは、わたしたちにそうさせる良心が、きっとみんなにあると、信じているの。その、何種類もある優しさのなかで、たかが一種類でしかない優しい心は、きっとひとの深みに睡ってるの。まるで水晶のように、ね。まちがっているかもしれない、でも、わたしはそう信じる。そう信じないと、わたしのわたしが破綻しちゃうから。つまりね、わたしは、人間を愛そうとがんばっているんだよ。だって、愛すると信じるは、おなじ意味でしょう?」
良心。それが、すべての人間に睡る。そう聞こえる。あまりに、あまりに純粋で、愚かではないか?
「もう泥まみれだし、血だらけだし、ズタズタだよ、ナオちゃん。もうやめよう。楽になる自分をゆるしてあげよう。幸せになろう。自分の幸せのために、がんばろう。まず幸せになって、そして他人を幸せにする、そんな生き方だってあるはずだよ。幸福は、そうやって蒔けるはずだよ。もう見てられない。見てられないよ。大切なひとに、ぼくはそんな生き方をしてほしくない。けれど、ナオちゃんの考えは尊重するよ。否定しないよ。でもね、いま、魔法治療の呪文唱えるから、口を閉じて。ゆっくり休んで、リラックスだよ」
「みて。空が綺麗。美しいね。青い空がね、いま、胸をひろげて、わたしを待っているみたいだね。天使たちの歌が聞こえる。魔法も魔界もあるのなら、きっと、神さまの国もあるはずだよね。歌がきこえる、すごく無個性で、美しい歌がきこえる。わたしの心で鳴る音色と、おなじ足音ではいってくれているみたい」
…
*
どうして?
ねえ、どうして?
神さま。どうも青空の向こうにいるらしい、あなたよ。
返してください。地上に、ナオちゃんを返してください。告白いたしましょう、ぼくは、鈴木ナオとともに、生きたかったのです。隣を、生涯歩きたかったのです。ずっと、ずっと、まるで玉座に腰を下ろすようなえらそうなかたちで肩に乗るんじゃなくて、隣で、夢をお話し、笑いあい、時には涙をながしながら、彼女と前へすすみたかったのです。
ぼくは、鈴木ナオのことが、好きだったのです。
*
ナオだけは魔法少女にしてはならなかった、告白しよう、ほかの少年少女が傷つくのは、彼女のそれを見るのと比較すれば、まだ平気だった。罪悪の苦みを噛み締めながら、いたみに情緒がふるえながら、それを仕事だとみなし、じっと見やり、時々家でひっそりと泣くだけ、そんな自分の弱さに安堵する、ずるい男だった。
ぼくは残酷だ、鬼かもしれない、されどナオだけは、ナオだけは魔法少女にしていけなかった、ふっとぼくのまえをあらわれた、”病みカワ”と呼ばれる武装に身をつつんだ彼女、その眸のまっすぐさ、澄みきった光、コインの裏返しとしての闇はむしろ澄んでみえて、群青色の空の暗みが透き徹るような硬さをあらわす、そんな風に見えてしまって、そのあやうい雰囲気に惹かれたのが、よくなかったのだ。
「部長」
と、ぼくはある日部長に声をかけた。
「ぼくが魔法少女だった頃、願いごとをしていないですよね。覚えておられますか」
「ああ」
「まだ、それは使えるんですか」
「死者は蘇らない」
「死者を甦らせたいなんて言っていません。質問に答えてください」
「使えるよ。つぎの満月の夜に、赤ではなく、死装束よりも白い、花嫁衣裳よりも白い薔薇を月へかざして、願い事の短冊を紙飛行機の形にし、飛ばすといい。紙飛行機が消えたら、願いは叶う。もちろん、消えないならば願いごと規約違反で、叶わないということだ。つぎの満月までに、私が手続きをしておく」
「ありがとうございます」
*
願いごと規約違反一覧書。
現在の時点から死者を甦らせること(一日だけ過去へ戻り再会することは可。なお、そのひとが生き延びるように行動することは願いごとの一つだけという条件から外れるため、不可能)
テロリズム、またそれに準じる行為に繋がること。また、世界をおおきく変え、社会構造を転覆させること。
ぼくには、或る賭けがあった。
むろん、願いごとは一人につき一つだ。過去へ戻ることはできても、ナオの命を救うことはできない。しかし、ナオの折った紙飛行機を、ぼくはまだ所有している。そのなかの願いごとを、ぼくは知らない。もちろん、見てなどいない。それを他人が見てしまったら、ナオの願いは叶わないのだから。けれども、ぼくには確信まではいかないにしても、彼女はこう書いたのではないか、という推測がある。
死後の魔法少女の願いごとが叶うのか、ぼくはこれを知らない。もしかしたら、規約違反なのかもしれない。これが先に部長にバレたら、叱責では済まないだろう。ルールそのものが変わる可能性が高い。規約違反をした正社員のぼくがどう処罰を受けるのか、それはまるでわからない。
賭け。
或る満月の夜、ぼくはまっしろな薔薇を活け、二つの紙飛行機を、祈りとともに月へ飛ばした。双方が消えた──と思った瞬間、目の前がまっくらになった。
*
あれから、何日経っただろう。ずっと、うす暗い牢屋にいる。躰は、マスコットになるまえの人間の姿。痩せ細った、貧乏ったらしい、やつれた二十代後半の男。そうか、ぼくはこんな風に年齢を重ねていたのか。ぼくに似つかわしいこの容貌が、かわいらしいキツネの姿よりも、むしろ愛着ぶかい。
ふと足音がして、みると、部長がこちらへ歩いていた。
「規約の抜け穴を狙いやがったな」
怒った顔で、そういう。
「おまえは死者を甦らせた。株式会社魔法少女の社員として、その制度を利用し、異端の黒魔術とおなじことをやったんだ。処罰は重いぞ。お前が気づいた抜け穴のせいで契約書は書き変えられた。まあ、抜け穴を埋めるきっかけにはなったが、これが外部へ洩れたらどうする。会社の存続にかかわるんだ」
「申し訳ありません」
「鈴木ナオはクビにして、魔法少女時代の記憶を消させてもらった。いまはアルバイトをしているようだ」
計画通り。ぼくは暗い顔をつくっていたが、内心はにんまりしていた。
「処罰だが、記憶を消して人間として社会に放り出すか、もっと重い処罰にするか、まだ話し合い中だ。最高が、戸籍のない記憶喪失の三十手前男の人生だ、鈴木ナオとの記憶は絶対に消す。覚悟しろよ」
「はい」
そして部長は去った。ぼくは晴れがましい気持で、あと何日かで消えるであろうナオとの追憶を、いとおしく辿り、ぼくは彼女を想って、涙を流すのを、ぼくにゆるした。想いだすことが、ただ想いだすことだけが、ぼくにできる恋のうごきなのだった。
*
「わたしを戦わせて」
「鈴木ナオの願いを、これから叶えて」
純粋魔法少女批判