あおのかご

初夏である。雨が騒々しく屋根に当たる中、テレビの画面の外枠が大雨警報で囲まれ、通常より小さな画面に写るチャイコフスキー国際コンクールの受賞者のインタビューと独特な指使いによって引き出される美しい演奏が嫌でも耳に入る。その受賞者の名前を大々的に記された途端、見ていた男は舌打ちをして番組を変えた。ピアニストの名前はAo。名前とは言っても仮名である。現代のピアノ界に名を轟かせている。社交的な彼はテレビ界でも売れっ子であり、時々コメディ番組に姿を表す。注目すべきは彼の手である。細長く白い手の指先は陥没しており、痛々しい。おそらくそのせいであの独特な弾き方になっているのだろう。しかし彼はその傷の原因をはぐらかして真実を話さない。そんなAoは一部の女性からミステリアスで良い、と好評である。

テレビを見ていた男は次々に番組を変え、面白いものがないせいで痺れを切らし、大きい傘を持って外に出て散歩をしてみる。彼が住んでいる町はAoの出身中学校があり、彼もそこが母校である。彼の散歩コースはいつもその学校を避けて遠回りに街を1周するようになっている。しかし、どういう訳か、彼は無意識的にその学校を訪れていた。学校の外壁には“Ao、感動をありがとう!”と大々的に書かれたものが壁掛けされており、それを見るやいなや、彼は後悔した。その瞬間と共に、やってきた車が水溜まりを豪快に踏み去り、後悔のおまけで泥水が全身にかかる。彼はこの惨さに戸惑い、立ち止まる。泣きそうだ。彼はこの気持ちを前にも経験したことがある。それも中学生の時に。彼の意識はゆっくりと自然にと過去へ飛ぶ。

中学二年生の夏。園田暁吉は、両親の離婚が原因で、北海道から宮崎へ転校した。宮崎には母親の実家があり、祖父母と母親と共に暮らすことになった。用意された自室にダンボールから荷解きを済ませ、北との暑さの違いに慣れず、冷房の効いたリビングに向かう。そこには祖母が夕食を作っていて、母親と祖父がリビングでテレビを見ており、そこから水のように滑らかな音色のピアノが流れていた。
「てげぇ演奏だなぁ。」
と、祖父が暁吉を見て言った。
「この子、暁吉と同級生じゃない?ほら、14って書いてある。すごいじゃない、まだ中学生なのにテレビに出てる。」
母親は感心している。それよりも暁吉は明日の登校に緊張しており、優雅にピアノを聞くほど心の余裕はなかった。なので適当に「そうだね。」と相槌をしていた。その晩、コオロギの鳴き声が煩くて眠るにも眠れず、学校での自己紹介文を延々と考えていた。そして知らず知らずにコオロギは鳴き止み、そのまま暁吉は眠りについた。

翌朝、母親からのノックで目が覚め、急いで支度した。自分で起きれなかったのを悔やみ、バタバタと長い廊下を走って机に置かれたご飯を無理やり口に入れ込んだ。そのまま、行ってきますとだけ言って家を出た。家から6分の道のりで、とても近いが、初日は早めに行かなければ悪目立ちすると思った暁吉は早めに行きたかったのだ。そして校門につき、玄関のすぐそばにある職員室に行った。すると若干禿げている校長らしき者が寄ってきた。
「園田くん、ようこそ本校へ。早かったね、朝の時間で君の紹介をするから、座って待ってなさい。あぁ、担任を紹介しないと。」
そして1人の女教師を呼んだ。
「この平井先生が君のクラスの担任だから。」
「園田くん、平井です。よろしくね。調子はどう?」
「よろしくお願いします。とても良いですよ。」
彼女は優しく微笑み、クラスは2年5組だと教えてくれた。

あおのかご

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  • 青年向け
更新日
登録日
2025-12-21

CC BY-NC-ND
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