蜘蛛の死に際して
そのときぼくは幾人かの友人を失った、原因はぼくじしんの至らない精神の水準と不安定な情緒のせいだった。
酒を浴びるように飲んでいた時期でもあった。暴言を吐いた、というのも、「あなたのせいで自殺しそうだ」と脅迫をしたのだった。本音は大方「助けてくれ、甘えさせてくれ、いなくならないでくれ」というものであり、それの満たされぬ反動こそがぼくの言動の原因であったことだろう。ぼくは素直に言葉を射してそれに誠実にこたえてくれる友人の悉くを失って、せめてもと酒を殆ど飲まない決意をした。ときどきくらいはすこし飲んだ。しかしアルコオルの作用はぼくじしんの一面の水準をあかるめただけであるというのは確かである筈、そのために自卑の念にのたうちまわる想いをした。日に数十度は小声で謝っていたけれども、その謝罪は自己への赦しを乞うていただけに相違ない。みずからを眺めて醜悪な自画像にナイフを刺し、傷つけに傷つけた。それはぼくに傷つけられた嘗ての友人たちへの思慮を容易にうわまわる意欲なのだった。
相も変わらずぼくは部屋で本を読み、詩を書いた。散文を書いた。
ディレッタントというと幾分きこえはいいけれど、要はぼくの文学的努力は社会的なものとなんら結びつかないものだったということである。ぼくが「我犬死詩人也」とひそやかに自虐的大言壮語をしたのも確かこの頃であったけれども、その事情の一つに「能がないゆえに詩の作家として立てないことを自覚したから」というものがあったことを告白しておかなければいけない。坂口安吾の「我落伍者也」という勇壮な覚悟のされた自負とは似ても似つかぬそれ、まるで責任の欠け、なげやりで自卑的なさかさまの誇大妄想、ぼくはヤケにもなっていて、兎にも角にも文学を抱き締めていたいというのが唯一のほんとうの気持だったと想う。ぼくはこれと決めたことを何もかも抛ってきただらしのない人間だけれども、どうにも文学だけは抛れない種族に生れついた様である。ぼくは、文学に結ぶ貞節をしかもちえぬ。
身を捩るような孤独にはらまれていた、実家暮らしであるけれども、両親はぼくのような人間に殆ど耐性がないといおうか、話はするけれどもお互いの生活信条がいまいち理解できない。当時は家事をあまりできていなかったくせして殆ど部屋に一人暮らしの様な気持でいたのであり、会社では孤立とまではいかないが居心地のわるさに背がつねにわなないているような心地、これは人間の集団に在ればぼくのどこかの器官がしてしまう身体的反応のようなものである。
ぼくにはぼくの社会不適合性を理解しようと努力してくれる数すくない友人がいたのだが、かれ(彼女)等をつぎつぎと喪失したのである。それはいうまでもなくぼくの問題故であり、向こうの問題は0ではないにしてもわが責任を捜索し問題を治そうとする努力よりほかはぼくになく、くわえて、向こうにはぼくと絶縁する権利があるために一線を引いてわが身が耐えねばならない痛みをひきうけるしかないように判断するしかなかった。ひとと巧く交際できないくせに極度の淋しがりやであるぼくは、それに耐えられない想いなのだった。
孤独をこのむ人間ぎらいだと思われがちなぼくだけれども──たしかに基本的には独りでいたい──実はひとが恋しくてたまらない、初対面のひとはよっぽど表情が怖くないかぎりは先ず「少し好き」から入り──ぼくは一対一のコミュニケーションにはそれほど恐怖がない──そのひとと話す時間が嫌いだと感じればただそのひとに興味が失せるだけ、話して「もう少し好き」となるのが大方のパターン、しかしそれが上昇して向うもそれなりに答えてくれそうになり、「このひとと友人になれそう」だと思いはじめると、途端にかれ等を失うのが怖くなる。まだそれ程に仲良くなれていないうちからそんなことを想うのはどこか病的である。
そんな状況であったぼくには、一つの楽しみがあった。
ぼくの部屋に、一匹の蜘蛛が棲みついていたのである。ぼくはそいつを眺める時間が好きだった。
大きな蜘蛛はなにやら異様で荘厳なグロテスクさがあるので余りみたくないけれども、ちいさな蜘蛛をぼくはむしろこのんでいる。一人行動というのには親近感がある。虫の括りだけれども昆虫ではないという分類に、自他の境界が引けていないぼくはわが身を見る。幽かなうごきで慎ましくうごく生き方にも好感があり、亦新鮮な蜘蛛の巣に後光が射すように黎明の刺した際のまっさらな煌きは世にも美しい、昨夜の雨のしずくに濡れ燦々としていれば殊更美しい。かような詩を書いてみたいといまだって想うほどである。
その蜘蛛はおそらく巣をつくらない種、なにを食べているのか知らないがぼくが食べ散らかした屑でも食しているならそれでいい、ぼくはあたかも自分と似た友人と同居しているような感覚であって、乾いた眸でそいつを呆然と眺めるとどこか落ち着いた気持になり、その時荒んだ眼元に幾分かは柔らかい笑い皺をつくっていたことだろう。ぼくは蜘蛛に淋しさを癒されていた。そのくらいには深い孤独に心臓を掴まれ刺されていた。
しかし蜘蛛は短命なのかぼくの吐きだしたニコチンに毒されたのか食料に困ったのか判らないが、数日経つとそいつ、骸になって干からびたように床にころがっていたのだった。
肉が乾ききり骨に付着した灰の皮だけが残り、骨すら抜け落ちたようなむごたらしい印象だった、みるも無残でわびしい情景だった。ほんとうの犬死というのはこういう死に方をいうのだろう、ぼくはこの風景に張られ吊られたような物質だけをみた。光を喪ったそれをみた。淋しい風景だがなにかと結びつきたいというような湿る意欲すら感じられない、ただ突き放すような硝子の如き風景をみた。神経すらなかった。燦爛たる反映とは、あたかも無明の冷然硬質なそれだ。ぼくの想ったのはただ淋しいということであり、その後二時間ほど亦友人を失ったという想いにさめざめと泣き臥したのだった。
ぼくの涙にはいつも甘ったるいとろみが粘っている、それが、後ろめたくもあるのだ。
*
ぼくがこのエッセイで伝えたいことはなにもない。この文章が文学だとも想わないし、ぼくの文章に一つでも文学といえるものがあるのかということも判らない、関心もない。ぼくにはふしぎに文学とは何たるものやという定義への関心が殆どないのだけれども、抑々が文学に主張性なんていらないと考えている。
病状報告書。
或いは、それへの自己治療失敗の経緯を綴った、自己手術報告書。
おそらくや、それを投げだしたものがぼくの散文である。
ぼくの詩はいわば声にならぬ叫びの表象であるような気もするし、しかし、自分の文章とは何たるものやというのもよく解らない。ぼくは、いつも書き殴っている。
ぼくはこの病状報告の散文の歩行でこっそりと脇道に逸れ、ふっと踊り歌ってみただけなのだ。蜘蛛の死の印象をまえにした、ヤニの香りに毒されたわが悲痛なためいきを。
蜘蛛の死に際して