冷凍庫に眠る南瓜と僕の誕生日。
何ともストレートで曖昧な答えなのだろう。男っぽいから彼なのである。しかし僕もその意見には同意しない訳にはいかなかった。なぜならその南瓜を彼女と呼ぶにはいささか抵抗を感じてしまうからである。もし借りに彼女がその南瓜を彼女と読んでいたらそれこそ僕はなぜその南瓜が彼女なのか納得いくまで説明して欲しいと思ったに違いない。しかしよく見ればその南瓜は彼女と言うより彼なのである。答えとは曖昧にしてストレートでなければならないと言う事を肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーに僕は彼女から学んだのである。
今日が僕の誕生日である事はこの話とはあまり関係がなく、しかし僕の誕生日が今日でなければこの話は始まらないのかも知れない。
家では4年前から犬を飼っている。もちろん今年で4歳になる。
ちなみに愛犬の誕生日は1月である。
そして僕の誕生日は5月、ここロスアンジェルスだと5月になると昼の日差しは暖かく半袖で充分過ごせる気候のはずだし夜になっても穏やかな気候は続きジャケットを一枚羽織れば充分にパティオなどある素敵なレストランで食事をする事も可能である。
もちろんパティオで食事するのは愛犬と共に僕の誕生日を祝うためであり僕の家に愛犬が来てから4年はそういう事に毎年なっている。一つの行事のような物である。
しかし今年の5月のロスアンジェルスの気候は少し違っていた。僕の誕生日のある週に雨が降りジャケット一枚羽織っただけでは正直楽しい食事もパティオでは不可能だと予想された。
実際僕の誕生日は晴れたのだが、それでも肌を刺す冷たい風が吹く夜になったのである。もちろん予想出来た事なので妻は数日前僕に何が食べたいのか聞いていた、僕は肉が食べたい、と答えていた。
今年は家で僕の誕生日パーティーという事になる。
久しぶりに家で誕生日を過ごすのも悪くはなく、その分確実に歳を取っている証にもなるのだろうか。
一応パーティーというからには僕と妻、それに隣のアパートに住んでいる韓国からロスに留学しているジニー、韓国から仕事でロスに来ているキナ、この二人はルームメイトである。
それに僕よりも彼のために家で僕の誕生日をする事になった愛犬の小太郎。四人と一匹で肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーは僕等の住むアパートで始まった。
ポテトのスープ、アンチョビのサラダ、鬢長鮪のたたき、キノコの炒め飯、そして神戸“スタイル”ビーフのレアステーキ。“スタイル”と言うのはもちろん本物の神戸牛ではなくアメリカで飼育されている神戸牛という事で“スタイル”になり本物とはかなり違うがそれでも充分美味しく頂ける。近所のマーケットで買ったPinot Noirも値段の割には悪くなく普段アルコールをあまり口にしない僕もすんなりと飲む事が出来、誕生日らしい夕食となった。
僕の妻は日本人であり、お隣さんは二人とも韓国人、なので通常の会話は英語であって、僕と妻が話す時は日本語、お隣さん同士で話す時は韓国語、すなわち肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーは日本語、韓国語、英語と何ともインターナショナルな言語の交わるインターナショナルな誕生日になった訳だ。もちろん愛犬小太郎は全ての言語を理解するトリリンガルな素敵な犬なので皆の言葉を理解し愛想を振りまき、少しでも誰かにお気に入りの赤いボールで遊び相手になって欲しく、お気に入りの赤いボール口にくわえ、忙しなく部屋中を歩き回っている。時に自分の存在をアピールするかの様にボールに仕込んである物(何と言えばいいのだろか空気を吹き込むと“キュッキュッ”となる物)をキュッキュッと部屋に響き渡らせた。ここで誰かが反応してしまうと彼は興奮しお気に入りの赤いボールを噛み続け部屋中に無機質なポラスティック性の“キュッキュッ”という音が永遠に響き渡る事になる。だから皆一応に彼を横目で促し反応はしない。
食事も一段落し2本目のワインが開けられ、よくある誕生日パーティーの様にたわいのない話に盛り上がり皆一応にリラックスし、よくある誕生日パーティーの余韻を楽しんでいた。
小太郎は疲れたのかソファーの上で次に何が起こるのかを大きな耳を立てながらうつろいでいる。
唐突に僕の妻が言った。唐突に。
貴方達の冷凍庫に入っている南瓜は何か特別な南瓜なの?
あまりにも唐突な質問とあまりにも意味不明な質問に皆一応に反応に困惑し一時的に僕の誕生日パーティーの穏やかなたるんだ空気の温度が少しだけ上昇した。
何を言っているのか理解しようにも理解しがたい質問だったのだ。
何?特別な南瓜?
冷凍庫に南瓜?
僕は思わず妻に聞く。
そう、冷凍庫に南瓜が入っているの、それも彫刻がされている南瓜。
理解しがたい返答にまた困惑する。
冷凍庫に彫刻された南瓜が入っている。僕はその光景を想像してみる。しかしそれは今までに見た事もない光景であるし、しかもその南瓜には彫刻がしてある。いったいどんな彫刻なのか、いったい誰がなんの為に彫刻したのか、そして一番の疑問はなぜ冷凍庫に入っているのか、という事である。南瓜を冷凍庫に入れる理由が見付けられないし、南瓜を冷凍庫に入れる必要性も見出せなかった。妻の発した唐突な質問は今まで生きて来て始めて聞いた文章であった。だから僕は理解出来なかったのだ。
彫刻された南瓜が冷凍庫に入っている。
この不思議な言葉の意味を理解する為にまた僕は妻に聞いた。
何で彫刻された特別な南瓜が冷凍庫に入っているの?
知らないわよ、だから聞いたのよ。
最もである。分からないから聞く。分かれば聞く必要はない。妻も分からないから聞いたのだ。しかし妻には僕よりも有利な点が存在する。妻は実際に見ているのだ。彫刻された南瓜が冷凍庫に入っている光景を。僕は見てもいないから妻が発した言葉から想像するしかないのである。しかし想像は困難を示した。南瓜を想像する事は安易に出来るし、冷凍庫も出来る。ただ不思議な物でその二つが組み合わされ、そこに彫刻という言葉が存在すると僕の想像を超えてしまうのだ。
彫刻をした南瓜が冷凍庫に入っている。
もし他の場所で他の状況で誰かがそう言ったら時間に余裕があり何もする事がなければ僕は見に行くだろう。冷凍庫に置かれた彫刻をした南瓜を。
唐突にジニーが言った。唐突に。
あの南瓜は普通の南瓜だよ。
あぁ〜僕には理解を超える会話が始まろうとしている事に気が付いた。妻は彫刻をした南瓜だと言っているし、ジニーは普通の南瓜だと言っている。しかし今の一番の僕の疑問は彫刻をした南瓜でも普通の南瓜でもそれがなぜ冷凍庫に入っているかという事の疑問の方が大きかったのである。それからでも普通の南瓜か彫刻のした南瓜か見極めても充分遅くはない。しかし僕はそんな質問も口に出さずに妻とジニーの会話を最後まで聞こうと決めていた。それからでも僕の質問は遅くはないし、それに二人の会話の中に僕の求めている答えがあるかも知れないと思ったからである。
妻がジニーに言った。
気が付かなかったの?南瓜に彫刻がしてあったの?
またも僕は想像してしまった。南瓜に彫刻。何処かの国の名物なのだろうか。南瓜が有名な国って何処だろう。何処かのお土産なのだろうか。ハロウィンの様な彫刻がしてあるのだろうか。まぁ南瓜の表面になら彫刻刀の様な物で容易に模様など掘る事は可能だろう。でもなぜ。なんの為に。
ジニーがそんな妻の言葉を聞きながら笑いながら言った。
ノー、普通の南瓜だよ。
彼女達は南瓜が普通の南瓜か彫刻のされた南瓜かを話し合う様に見えた。南瓜が冷凍庫に入っていた謎はまだ先になりそうな気配であった。妻がそれはおかしいという風にジニーに言った。
本当に気が付かなかったの?南瓜の前の方に彫刻されていたよ。
南瓜の前?南瓜には前とか後ろとかあるのだろうか。今までそんな事を考えた事はなかった。南瓜の前というのは恐らく僕等側に向いている面、あるいは僕が見ている南瓜のこちら側の事をいうのだろう。そして南瓜の後ろとは見えてない面の事を指すのだろうと勝手に解釈し話の続きを聞いた。
ノー普通の南瓜だよ。
ジニーが再びそう言った。
妻は信じられないと言いたげにジニーを見つめまた言った。
ジニー本当に貴方には見えなかったの。南瓜には彫刻がしてあったのよ。
ジニーは不思議そうに妻を見つめ言った。
普通の南瓜・・・
ジニーは少し自信が揺らいだ様に見えた。もしかしたら南瓜には彫刻がしてあったのではないかという様に冷凍庫に入っている南瓜を思い起こそうとしている様な顔に見えた。そして僕もまた普通の南瓜なのか彫刻のしてある南瓜なのか白黒はっきりさせて欲しかった。
ジニーは不意に立ち上がり全ての疑問の答えを見つけ出す最も簡単な方法を実行する事に決めたらしい。
持って来る。
そう言うとジニーは肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーに冷凍庫に入っている普通の南瓜か、彫刻のしてある南瓜なのかを確認するため、隣の自分のアパートのキッチンの隅に置いてある冷凍庫の中の南瓜を目指し出て行った。小太郎が大きな耳をクルクルと回し、何か事件ですかとジニーの後をこれから何かエキサイトする事があるのではないかと楽しそうに付いて行った。
ジニーがその南瓜を持って帰って来る。
その表情は何を言おうとしているのか僕には検討も付かなかった。不思議な物を見て来た帰りの顔と言う表現が正しければ彼女はそんな顔をして帰って来た。もちろんその南瓜は彼女の両手に抱えられ彼女のヘソの前当たりに大きな存在感を表していた。そしてもちろん彼女は僕の妻が言う南瓜の前を後ろにし、南瓜の後ろを前にして抱えていた。
そして一応に皆の反応は一緒だった。
大きな南瓜だね。
そう、大きな南瓜であった。これがなぜ冷凍庫に?それは誰もが抱く疑問である事には間違いない。しかしその南瓜を見た率直な感想は普通の南瓜なのか、彫刻のしてある南瓜なのかよりも先に大きな南瓜だと思ってしまう程の存在感のある大きな南瓜であった。
そしてジニーがその存在感のある大きな南瓜を僕達の前へ置き僕の妻が言う南瓜の前を僕達の方へゆっくりと回した。そして僕達はその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前を凝視した。そして皆一応にその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前から目を離そうとしない。
それから僕は妻に向かいこう言った。
これは確かに誰かが彫刻した様に見える。
彫刻した様にみえる、と言う事はその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前には彫刻はされていないという事を肯定しつつ否定した。しかし良く見ると彫刻刀で誰かが掘った様な模様に見える。竹林の様でもあり何か幾何学的なパターンの様にも見えなくはない。その存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前をずっと凝視しているとその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前に誰かが彫刻した様に見えてくるのが不思議でなかった。しかし目を離しもう一度見てみるとその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前は冷凍庫の中で水分が無くなり固い皮に亀裂が何本も入っているのだと思える。しかしその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前を凝視しているとその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前に誰かがその存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前に彫刻した様に見えて来るから不思議である。
僕はもう一度僕は妻に向かいこう言った。
これは確かに誰かが彫刻した様に見える。
僕は素直に妻に同調した。
結果その存在感のある大きな南瓜の妻の言う南瓜の前には彫刻した様な傷がある、という結果になった。
妻は彫刻の様な傷があるその南瓜に手を触れ言った。
凄く冷たい。
それに従う様にキナも南瓜に触れる。
本当に冷たい。
僕も。
うん、凄く本当に冷たい。
どの位冷凍庫の中に入っていたのだろう?
僕が彼女達にそう聞くと彼女達は顔を見合わせキナが言った。
2ヶ月位。
2ヶ月位この南瓜は冷凍庫の中に入っていたのが納得出来る程芯まで凍結している重みと時間の経過がその表面の彫刻した様な傷から読み取る事は容易に出来た。固く凍てついた厚い皮から2ヶ月間暗い冷凍庫の中で徐々に水分が抜け出し厚い皮が裂けて固まっていく行程が手の平から感じる事が出来る。
唐突にキナが言った。唐突に。
私が彼を2ヶ月間も冷凍庫に閉じ込めてしまったのね。
キナの言う彼とはきっとこの南瓜の事なのだろうと皆一応に感じ取ってはいたが僕には凄く気になる事がありその質問を今聞かなければこの先聞くチャンスは廻っては来ないだろうと僕は思いキナにこう聞いた。
なんで彼なの?
僕はこの南瓜がなぜ男なのか判断する基準が見付けられなかった。きっと彼女にはその基準がありこの南瓜を彼と呼ぶに相応しい男女の見分け方があるのだろうと、いわば質問というより彼女の南瓜に対しての男女の判断基準を教えて欲しかったのである。
だって男っぽいでしょう。
何ともストレートで曖昧な答えなのだろう。男っぽいから彼なのである。しかし僕もその意見には同意しない訳にはいかなかった。なぜならその南瓜を彼女と呼ぶにはいささか抵抗を感じてしまうからである。もし借りに彼女がその南瓜を彼女と読んでいたらそれこそ僕はなぜその南瓜が彼女なのか納得いくまで説明して欲しいと思ったに違いない。しかしよく見ればその南瓜は彼女と言うより彼なのである。答えとは曖昧にしてストレートでなければならないと言う事を肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーに僕は彼女から学んだのである。
で、この南瓜どうするの?
妻が彼女達を見回しながらそう聞き、更に
2ヶ月もあんな暗い冷たい場所に彼を置きっぱなしにしてあったのだから明日から少しの間暖かい外の空気を吸わせてあげれば。
と妻は彼女達に提案したのである。彼に暖かい外の空気を吸わせる場所とはいったい何処の事を指して妻は言っているのか僕には到底予測すら付く訳がなかった。それにその事を彼が望んでいると僕には到底思えなかったし、もし仮に彼がそう考えているとするのならば何処で考えているのだろう、などという可笑しな考えをしている自分に苦笑し、恐らく種の中の一番真ん中で考えているのだろうという関心めいた自分なりの答えを見出していた。それも凍結した南瓜の無数の種の真ん中で2ヶ月間も暗い冷たい冷凍庫の中に居たのだから、少しの間は暖かい外の空気を吸いたいと無数の種の真ん中で思うのである。恐らく無数の種があるのだから少数の種は他の事を思っていたのかも知れないが、それは少数意見と言う事で多数の無数の種の真ん中から却下されたのであろうか。
それなら今日の夜は私のベットで一緒に寝ようかしら。
とキナが言い出した。妻が
そうしなさい。
と笑いながら言った。僕には話に入り込む柔軟性がなく彼女達の彼への償いの話し合いをこれからしばらく眺めなくてはいけない結果になる事は充分承知していた。南瓜をベットに持ち込むこと事態あり得ないことなのに彼女達は2ヶ月近く冷凍庫の中に入れられていた南瓜に罪滅ぼしだと(南瓜に取って2ヶ月間冷凍庫に入れられていた事が苦痛であった場合のみに発生する事だが)彼女は今日の夜はその南瓜と添い寝する事で罪を償うと言っているのだ。それがその南瓜の本意なのかはその南瓜以外は誰も知る由はないのだが。
それから明日は一緒に公園に行って日光浴をするわ。
キナは2ヶ月間冷凍庫に置き去りにしてしまった南瓜への罪滅ぼしをこれから始まる二人の恋物語の様に楽しげに話した。それが彼への罪滅ぼしなのか彼女の描いている恋物語なのか僕には判断する事さえ無理に等しかった。
それから二人で映画も観に行くわ。
もちろんビーチにもね。
それからお洒落なロマンティックなレストランで食事をするの。
そうだ、名前がないと変よね。
妻とジニーは楽しげに笑い、こうした方が楽しいわよ、ああした方がもっと楽しいわよ、そうそう、違う違う、うんうん、ダメダメ、彼女達の話は肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーに相応しく楽しげで笑いの絶えないよくあるパーティーの終盤を迎えているのだった。2本目のワインも終わりかけた頃には笑い声もまばらになり会話と会話の間も徐々に長くなりはしているが、それでもあまりにも楽しかった会話への余韻に浸りながら彼女達はワインを交わしゆったりとした心地のいい笑顔を浮かべくつろいでいた。
そしてまた唐突に僕の妻が言った。唐突に。
で、その南瓜どうするの?
肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーはよくある誕生日の終演を迎える事になるのだが、パーティーというものはいつも思うのだがなにか必ず盛り上がる話題が一つはあるものである。今回は南瓜の話に花が咲き、明日には皆が一応に思うのである。なぜ南瓜の話などであんなにも盛り上がったのだろうかと。そして僕もその一人として思うのである。肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーでなぜ南瓜の話で盛り上がったのだろうかと。そして今でも思う事はなぜ南瓜が冷凍庫に入っていたのかという事だ。
数日経ったある日曜日。
唐突に僕は妻に聞いた。唐突に。
肌寒い5月の夜僕の誕生日パーティーに話していた南瓜はどうなったのだろう?
捨てたって。
冷凍庫に眠る南瓜と僕の誕生日。
一応告知しておくが、もちろん村上春樹風に書いてみた事は説明がなくても分かってもらえると思う。