延命としての真似事
苦痛を源泉として詩を書くことの形容しがたい後ろめたさ。はじめの頃は純粋に苦痛を感じていたはずだ、今や苦痛は道具に成り下がってしまった。そして耐性ができてしまった。だから俺は苦痛を大袈裟に感じるというばかげたことをしている。ほんとうはさして痛くもないのに、致命傷のごとく感じているふりをし、騒ぎ立てる。俺は道化だ。詩人はもとより道化だ。だから誇張せずにはおれない。純粋な苦痛だけを書くと自称する詩人は全員欺瞞だ。俺に言わせれば無価値だ。だが俺も奴らからしたら無価値なのかもな。俺は自棄だ。自棄のやんぱちだ。俺のしていることは朔太郎やボードレールの真似事にすぎないのかもしれない。だがそれで構わない。そうしなければ俺は文字通り生きられないのだから。俺には書くしか道がない。
延命としての真似事