延命としての真似事

苦痛を源泉として詩を書くことの形容しがたい後ろめたさ。はじめの頃は純粋に苦痛を感じていたはずだ、今や苦痛は道具に成り下がってしまった。そして耐性ができてしまった。だから俺は苦痛を大袈裟に感じるというばかげたことをしている。ほんとうはさして痛くもないのに、致命傷のごとく感じているふりをし、騒ぎ立てる。俺は道化だ。詩人はもとより道化だ。だから誇張せずにはおれない。純粋な苦痛だけを書くと自称する詩人は全員欺瞞だ。俺に言わせれば無価値だ。だが俺も奴らからしたら無価値なのかもな。俺は自棄だ。自棄のやんぱちだ。俺のしていることは朔太郎やボードレールの真似事にすぎないのかもしれない。だがそれで構わない。そうしなければ俺は文字通り生きられないのだから。俺には書くしか道がない。

延命としての真似事

延命としての真似事

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted