百合の君(84)
珊瑚は真津太への道中にあった。うららかな春の日だったが、心は晴れなかった。隣の守隆はただ前を見ていて、その心中は分からない。珊瑚は半刻ほど言わずに我慢していたことをとうとう言った。
「父上、いや、将軍は私を厄介払いにしようというのだろうか」
守隆は前を見据えた目つきのまま、視線を珊瑚に向けた。
「なぜそのようにお考えになるのです」
兵達がいるからか、屋外だからか、その声は二人きりのときよりやや他人行儀に聞こえた。珊瑚はやはり言わぬ方がよかったかと思ったが、自分から話しかけておいて黙り込むわけにもいかない。それに、珊瑚はもうこれ以上黙ってはいられなかった。
「八津代から追い出すために、真津太の守護になど任じたのではないだろうか」
「少なくとも、負け戦の先鋒に立たされるよりはよいのではないでしょうか」
守隆の表情は変わらなかった。
「それに、真津太は隣国です。それほど遠くない。海の幸も米も豊かで、将軍が最も信頼できる方にお任せしたいと思うような国です」
そんなことは分かっている、そう思ったが口には出さなかった。だから嫡子の放逐先としてはうってつけなのではないか。なぜそれが分からぬのか。
守隆だったらともに嘆いてくれるのではないかと思っていたので、珊瑚の孤独は行き場をなくして、心のうちにわだかまった。そして、もう一人の父に滑った。喜林珊瑚。またそれに戻るのも悪くないかもしれない。
珊瑚はそれを言おうとしてためらった。
「将軍が討たれれば、珊瑚様の思いのままです」
そう言ってくれた守隆であれば、それを口にしても見捨てられることはないかもしれない。しかし、まだそう思っているかは分からないし、今や喜林は出海の宿敵だ。
「もしかすると、将軍は珊瑚様を守ってくださるつもりで、真津太を選んだのかもしれません」
珊瑚が言い出すかどうか決めかねている間に、守隆が話し始めた。珊瑚は返事も用意できぬまま聞くより他なかった。
「真津太は古実鳴とは反対にあります。八津代が盾になるかのように」
その表情から、守隆は本気でそう思っているようだった。あるいは、珊瑚に本気でそう思わせようとしているようだった。
しかし、あの父が自分を守ろうとしてくれているとは、どうしても思えなかった。それは、珊瑚の欲しているのは盾ではなく優しい言葉や近くにいてくれることであったからだし、次の戦では見事に手柄を立てて褒めてもらいたかった。さらには、また母と離れるのが寂しくもあったからだが、珊瑚自身がそれに気付かなかった。
「もしそうなら、あんな戦をさせるものか」
だから珊瑚はそう言い捨てた。
「人の心は矛盾したものです」
あなたのように、と守隆は続けたかったが、さすがにそれは憚られた。道端にはたんぽぽの花が咲いていたが、馬上にいて兵に囲まれた二人の目にはとまらなかった。鳥の羽ばたきが聞こえて、二人はそれに気を取られたふりをしたが、見上げた時にはすでに見えなくなっていた。
百合の君(84)