恋した瞬間、世界が終わる 第95話「物語の可能性」
大広間は、
別様な音楽を望んでいた
バンドネオン奏者の出番は終わっていたーー
今日の演奏リストに、バンドネオンが必要な曲はもうない。
あまりにも不便だ、と彼は思った。
たった一曲、そのために俺を呼んだのか? たった一曲の、それもBGM代わりに。だから、金持ちの集まりには行くべきではなかった。政府の「マニュアル」とやらも、結局は、自分の適性に合わせての職能の需要の受け容れ先や報酬を用意して満足させたとしても、その受け容れ先の客が本物でなければ話にならないのさ。陽もまた、陰がなければ成り立たない。
もしかしたら、その客は人間でないのかも
そんなことすら勘繰ってしまう。ただ、俺をこの場に呼んだあの男は本物だった。俺の演奏したい曲をやっていいと言った。あの男は、この大広間に居るのだろうか……それに、この大広間は一体どうなっているんだ? 品のない金持ちたちが淫行をしていたと思ったら、急に大人しくなった。あの階段の上にいる女は狂っている。あれは【本物ではない】と、俺の“感”が言っている。楽団はまだ何かを演奏するようだ。曲のリストはーー俺の嫌いなやつだ
「ミューズを率いるアポロ」
壮麗に魅せ、神々を彷彿させるような崇高さで【着飾った】音楽
ーーリリアナが崩れ落ちた床に、ハンカチが一枚落ちているのが視えた
(私が渡した一輪の花が入っているのだろう…)
リリアナはピクリとも動かない。『マタ・ハリ』と呼ばれていたのは何だったのか? 彼女は本当にリリアナなのか……でも私が見る限り…彼女はリリアナだ。長い付き合いではないけれど、彼女と接していた時間は特別なものだった。
だけど、私の渡した物はただ、それは役に立たなかったようだ……私は何かを勘違いしていたらしい。
思えば、なぜ私は降下してきたのか? 辿り直すはずの人生だった。
nearlyか、near
「時期が来るまでは、自己主張を抑えて
余計なことをしてはならない。
君が取るべき行動は、来るべき時の一瞬の中で決まる。」
黒塗りの車で運ばれる時、中年の男が私に警告を与えた
どちらも同じ、だが、違う
違うはずの何かを…言い表すことの難しさを
大広間の窓が明るくなった
ーー ヒカリと、オト が走っていたーー 何かが落ちた
ーー壁が崩れ、崩れた壁の間から、空に赤い星が浮かんでいるのが見えた
強い雨の音が一体となった
ば
リ
バ
り
ツ
ば
リ
ッツ
稲妻と共にタワーは停電となった
大広間の中を、何台もの車のヘッドライトが照らしていた
「new leavesの皆さん早かったわね」
サッポーは、停電となったタワーの中で車のヘッドライトの彼方から降りてくる人たちを見渡した
「おそらく、あれがサッフォーだ」
「サッポーではないみたいだな」
騒がしく強い雨の音の中で、ヘッドライトに照らされた先の階段にいる人影は、強い個性を放っていたーーそれはすぐに【サッフォー】だと見分けられる程にあり、それを見つけると、new leavesの人々は車に乗り直した
「ご存知でしたの。嬉しいわ」
停電とした大広間の中に何台もの車がアクセルを踏み込む音が轟いた
それに感心したかのように、サッフォーは取り乱すこともなく
「残念ね。サイン会を開いている時間はないの」
そう云うと、ダンディな男に向きを変え、男の差し出す手をとった
「今だ! 階段にそのまま突っ込むぞお!!」
車から降りていた代表者のような男の声が響いたーーしかし、大広間の来客たちの影がヘッドライトの脇から、のそっと立ち上がりーー行く手を阻みーー車が急ブレーキをかけて、散り散りに来客たちを避ける格好で止まった。
「そこは躊躇するのね、楽しくないわ」
知性を失った来客たちが、車のフロントガラスやらの窓に飛び乗ったり、車のドアを開けて引きずり出そうとするなど、サッフォーの操るままとなった
「あ、そうそう。あの娘を連れてきてちょうだい」
ヘッドライトの彼方で照らされたままのサッフォーは、大広間の方に振り返ってから、リリアナを指差した
来客の一人の影が、リリアナを抱き抱え階段上にいる主へと向かった
ーー私は、大広間の中で階段を昇る真知子であったはずのココの姿をした女とリリアナが天上に向かってゆく様と、崩れ落ちる壁の先に浮かぶ【赤い星】とを乱立するヘッドライトの照らすまま同時に眺める無抵抗な様となった
停電の中でヘッドライトの照明を頼りに、大広間の来客とnew leavesのメンバーたちとの交戦が始まったーーそれは大昔の人々が暗闇の中で狩猟をしているかのような緊張感ーーだけど今は殺傷能力の高い武器などは用いられず、肉弾戦の取っ組み合いだったーー殺傷能力の高いものを武器として手にすることのないこの時代、使われるのは筋肉ーー人々が争うことを良い意味でも悪い意味でも政府の思惑通りに気を削がれた時代ーーさっきの黒い種子によってか、それとも誰かのプログラムの所為かで暴力は剥き出しにされたーーだけどーー暴力に対する法や秩序は急なそれに追いつかないーー武道も礼儀作法の一種になり、汗を流す型として残ったのみだったーーその緊急事態に一人、目立った男がいた
自身の腕力に頼った時代錯誤の動き
殴る蹴るわけでもなく、突進と、掌底打ち
ああ、これは
相撲
new leavesのメンバーには相撲の始祖の野見宿禰の子孫でも居るのか…
ーー 床に光るもの を視たーー
リリアナが崩れ落ちた床にあったハンカチが、力士の風圧によって、ひらりひらりと、私の下まで辿って来たーー見覚えのあるそれを拾い、手のひらの上でハンカチを広げると、光の花粉が舞い上がったーー私が渡した花が一輪取り残されていた
モンキチョウのように
しかし、今度はーー 燐光 ーーを放って見えた
すると、私の体内から、煙が出て形を作った
ーー ブレインwi-fi が、起動するーー
ここが来るべき一瞬だよ
物語を閉じるか、進めるか
終わらせるか、続けるか
「でも、どうしたらいいんだ? 今の私には何も残っていない」
君のその場にあるものだけが全てじゃない
「今見えているものだけしか、見えないんだ!」
影は揺らいだ
その揺らぎは、形を変えて見せ
ーー過去ーー速度を上げた過去が追いつく
物語の中に散りばめられた事柄ひとつ、ひとつを見てごらん
干渉することで、別な側面を産んでゆく
様々に分岐し、色とりどりの人生を作る
物語はそうやってから自己組織化する
「だったら、“私”の人生はどれなんだ?
私はやり直しているはずだ。
エラーを回収するはずだった。
それも、同じように歩むはずだった。
それがいつしか知らない物語へと這っていったみたいだ。
いや…“何か”が私の中に次々と入り込んでいった。
私の中に様々な人生が入り込んだんだ。
本当の“私”はどこなんだ?
本当の私も、人生の物語も…ずれていった」
それは、あの眼の中にある
「あの眼?」
そう、さっき持っていかれたものだよ
「あの女の……真知子の?」
あれが、ひとつの物語
「……ひとつの宇宙のようなものなのか?」
それともう一つは、すでに奪われている
「……もう、物語には後が無いってことかい?」
ポリフォニー は聴こえる?
『ポリフォニー 』
西洋音楽史上では中世からルネサンス期にかけてもっとも盛んに行われた。ただし、多声音楽そのものは西洋音楽の独創ではなく世界各地に見られるものであり、東方教会においてもグルジア正教会は西方教会の音楽史とは別系統にありながら多声聖歌を導入していた。
ポリフォニーは独立した複数の声部からなる音楽であり、一つの旋律(声部)を複数の演奏単位(楽器や男声・女声のグループ別など)で奏する場合に生じる自然な「ずれ」による一時的な多声化はヘテロフォニーと呼んで区別する。
なお、西洋音楽では、複数の声部からなっていてもリズムが別の動きでなければポリフォニーとして扱わないことが多く、この意味で対位法と重複する部分を持つ。
また、とりわけ西洋音楽において、主旋律と伴奏からなるホモフォニーの対義語としても使われる。ポリフォニーにはホモフォニーのような主旋律・伴奏といった区別は無く、どの声部も対等に扱われる。
文学においては、複数の独立した思想を持つ登場人物たちが織りなす群像型の物語構成の意味、もしくは単にドストエフスキーが用いた芸術的手法として使われており、ミハイル・バフチンが『ドストエフスキーの詩学』において、ドストエフスキーの作品を「ポリフォニー」の語を用いて分析している[注釈 1]。バフチンは著書において『ドストエフスキーの詩学』でも登場したポリフォニーという単語について「単にドストエフスキーが用いた手法を仮に著書においてポリフォニーとして呼んでいる」と記述している。
(ウィキペディアより)
絶望したとき、それでも先を見ようとする
それが物語を先送りにするという方法だよ
野見宿禰の子孫の相撲技術が、
ぱ んっ
ぱんっ
ぱん っ
と、煙を起こすように作用し、いつしか井桁のように風を切った
それはまるでーー
起こされた火によって、私の眼は開いた
ヘッドライトの彼方ーー私の前に立っていたのは、青い眼のGIーーいや、
古代ギリシャの神官の男
恋した瞬間、世界が終わる 第95話「物語の可能性」
次回は、12月中にアップロード予定です。