Q 〜生死の天秤〜

【登場人物】

万城 純(まんじょう じゅん)……死を恐れない、特務課の刑事。後輩刑事の古賀と共に、孤児誘拐事件の捜査に乗り出す。

古賀 一平(こが いっぺい)……特務課に新たに配属された新米刑事。万城と共に、事件の捜査をする。

宇田川 正人(うだがわ まさひと)……公安管理官。孤児誘拐事件を解決するべく、万城を招集する。

江川 小由梨(えがわ さゆり)……宇田川の補佐官。監視役として、万城と行動を共にする。

【プロローグ】

〜三十年前"万城家・居間"〜

 居間の一角に佇む仏壇を前に、万城 純は両の手を合わせていた。

「ねぇ叔父さん、どうしてお父さんとお母さんは死んじゃったのかな。何か悪いこと、したのかな。」

 隣で手を合わせていた叔父に、そう聞いてみる。何か二人の死に理由を見出したかったからだった。

「別に、悪いことなんて何もしてないだろうさ。二人は病気だった……どうしようもなく、悪い病気だった。それだけのことだよ。」

 そう語る叔父は、どこか寂しそうだった。しかし納得の出来る答えではない。理由が無いというなら、二人に降りかかった死は理不尽ではないか。自分が立たされた現状に、どう向き合えばいいというのか。

「……納得出来ないって顔だな、純。」

「……うん。」

 叔父はゆっくりと立ち上がると、ズボンのポケットから取り出したタバコに火をつけた。テレビの横の窓を開け、煙を蒸し始める。

「なぁ、純。人間ってのは……どうしようもなく弱いんだよ。」

「弱い?」

「ああ。どれだけ必死になろうと、いつかは死ぬ。お前の父さんと母さんみたいに、それが急に降りかかることだってある。だから、死ってやつは受け入れるしかないんだ。」

「……そんなの、おかしいよ。」

 それが両親の死を吹っ切らせる為の言葉である事は、容易に察しがついた。そしてその日、万城は医学を志そうと決めたのだった。

【一】

〜一九六六年・八月二十日"保護施設・みらいの里"八時五分〜

 身寄りのない多くの子供達が保護されて生活を送っている施設、みらいの里。その正門前の路地に停まったタクシーから、シワの付いた白シャツを着た一人の男が降車した。肌を刺すような日差しを浴びながら、男は施設の正門前に集まる刑事達へと歩を進める。

「よう、暑いのに大変だな。」

「げ、万城さん。」

 万城 純、三十五歳。警視庁特務課に所属する刑事。そんな万城に対し、他の刑事達はあからさまに厄介そうな態度をとった。

「まあまあ、そう嫌な顔すんなって。誘拐だって? それもいっぺんに、大勢。」

「……ええ。この施設に入っていた子供達が全員、忽然と姿を消したんです。それで、一旦誘拐の線で進めようってことに。」

「なるほどねぇ。そこの監視カメラは?」

 万城が指差したのは、施設正門に設置されている監視カメラだった。

「一人、気になる人物が。今朝の六時頃、なにやら慌てた様子で立ち去る男がカメラに写っていました。これから身元を調べます。」

 刑事は、仕方無しといった様子でそう語った。どれだけ煙たがろうと、彼らは万城に"協力せざるを得ない"のだ。

「……よし。じゃあ俺も、現場を見るとするか。」

〜八時十分・中央休憩場〜

 万城は、子供達が食事を取ったりレクリエーションを楽しんだりするための休憩場へとやってきた。そこにはつい最近まで生活をしていた痕跡がとても"綺麗に"残っており、逆に押し入られたような犯罪らしい痕跡は一切無かった。

「気持ち悪い現場だ。……お、本命の方が騒がしいな。」

 万城は、中庭へと向かった。

〜八時十三分・中庭〜

 中庭には、胸にナイフを突き立てられた男が仰向けで転がっていた。忙しなく動く鑑識の邪魔にならぬよう、万城は近くにいた刑事に声を掛けた。

「被害者の身元は?」

 例の如く眉間に皺を寄せながら、刑事が答える。

「山口 庄司、三十四歳。この施設の職員で……今日の出勤は彼を含めた二人だけだったようです。」

「二人、か。じゃあ監視カメラに映ってた男が、もう一人の職員かもな。」

 慌てて立ち去ったという男。子供達もこの男が誘拐したというのか。万城が考えを巡らせていると、ふと庭に生えた草の一片にドロドロとした物体が付着しているのが目についた。

「なんだこりゃ、気持ち悪いな……。鑑識さん、ちょっと。」

 鑑識に物体の事を伝え、万城は現場を後にした。事件はまだ、始まったばかりだ。

〜十時三分"警視庁・特務課—特務室"〜

「先輩、お疲れ様です!」

「え……誰。」

 現場から帰還した万城を待ち構えていたのは、いかにも新人といった若々しさを醸し出した青年だった。彼は新品の様に綺麗な黒いワイシャツを身にまとい、整然とした敬礼を携えて万城の前に立っている。

「本日付で特務課に配属されました、 古賀 一平です! 宜しくお願いします、先輩!」

「あー……そうなんだ。宜しく。」

 唐突に加わった古賀を傍に、万城は早速事件の内容を纏め始めた。ホワイトボードに要点を書き込んでいく。

「事件現場は、保護施設・みらいの里。身寄りのない……病気で両親が死んじまったとか、虐待されてたとかで、引き取り手の見つからなかった子供達が保護されて暮らしてた場所だな。まずは孤児達の行方についてだが、捜索は相当厳しいらしい。何せ施設職員以外に誰も当時の子供達と関わりのある人がいないうえ、無理やり誰かに拉致されたような痕跡も一切残ってないんだからな。」

 顎に手を当てて万城の話を聞いていた古賀が、何やら閃いた様子で口を開いた。

「じゃあもし本当に誘拐なら、犯人はそういう"足のつきにくい"所に狙いを定めたのかもしれませんね。」

 意外と鋭いことを言うものだと感心しながら、万城が続ける。

「そうだな。だが動機が謎だ。身代金目的なら、払う人間が誰もいない……せいぜい施設の奴らだろうが、それも怪しいな。まあ人身売買とかが、線としてはあるか。」

 続いて万城が懐から取り出したのは、中庭で殺害されていた山口の写真だった。それをホワイトボードに貼り付け、話を進める。

「さてと、こっちが本命の殺し……被害者は山口 庄司、三十四歳。同僚の話によると、こいつは最低野郎だったみたいだな。抵抗されないのをいいことに、子供達に日常的に虐待をしていたらしい。」

「クズですね。」

 カップに入れたコーヒーを万城に渡しながら、古賀がそう答えた。

「ああ。で、肝心の犯人についてだが……事件当日の早朝に、監視カメラに映ってた男が怪しい。山口と同じシフトだった端本ってやつだ。そんでもって俺は、今から端本のアジトに行ってくる。お前も来るか?」

 飲み終えて空になったコーヒーカップを置き、デスクに置いてあった車の鍵を取る万城。そんな先達の姿を見て、古賀は不思議そうな表情を浮かべた。

「行きます、けど……アジトって? マフィアか何かですか、この男。」

「バカ、自宅ってことだよ。ほら行くぞ。」

「は、はい!」

 二人は、容疑者の自宅へと車を走らせた。

【二】

〜十五時八分"端本の自宅・アパート前"〜

 万城と古賀は、車の窓から端本の家の様子を伺っていた。二人が到着してから二時間ほど経つが、端本は未だ姿を現していない。

「万城さん……やっぱ、直接ヤツのアジトに乗り込んだほうが早いんじゃないですかね。」

「まぁ、早いには早いだろうな。だがやましい事がある奴なら、バカ正直に接触しても逃走されたりで手こずるのがオチだ。少し様子を見てから動きたい。」

「はぁ……慎重な人ですね、万城さんは。」

 しばらく、車内に居心地悪い無言の時間が続いた。そしていよいよ耐えきれなくなったのか、再び古賀が口を開く。

「……万城さんは、なんでこんな事を? 聞きましたよ、ここに配属された時に。一課に居た頃の事件で犯人との司法取引に一人だけ反対し続けて、結局こんな聞いた事もないような部署に飛ばされたって。」

「……ああ。なにしろ特務課は俺のために作られた、捜査権限が無い部署だからな。俺が取引のことをマスコミにぶちまけるって録音データ突きつけて脅したら、こんなとこで飼い殺しだ。ほんと、嫌になるよ。」

 どうやら警察上層部から、"万城の言うことは出来るだけ聞け"という指令が出ているらしい。前にあまりにもすんなり捜査情報をもらした刑事が不服そうにそう言ったのを、今でも覚えている。

「捜査権限が無いなら、事件を捜査する義務も無い。それなのに……あなたはこうして独断で捜査をしてる。何の為に?」

「……乗り越える為だ。」

「え?」

 ため息を吐き、万城は自分の過去を語り始めた。

「俺の両親は、俺がまだ小学生だった頃に二人とも死んだ。病気だった。それから俺は、叔父に引き取られた。」

 ちらりと古賀を見ると、彼はこちらをしっかりと見据えていた。どうやら続きを聞きたがっているようだ。

「そこからしばらくは、医者を目指して必死に勉強してたよ。俺みたいな奴を増やしたくないって、息巻いてな。」

「それが……どうして刑事に?」

「殺されたんだ。」

「え?」

 決して忘れない。自宅の扉を潜った瞬間に鼻についた、むせかえるような血の匂い。そして倒れ込んだ、叔父の姿を。

「強盗だった。……俺は犯罪が憎い。殺人は、特にな。」

「じゃあ、憎しみを晴らすために捜査を?」

 その質問を受けて、万城は扉に取り付けられたホルスターからコーヒーを取り、口に運んだ。

「少し違う。俺は、人の死を……理不尽を乗り越える為に捜査をしてる。殺人者を制するということは、つまり理不尽な死を制することだと……そう信じている。」

「じゃあ、あなたは」

「古賀、出てきたぞ。」

「え?」

 アパートの一室の扉が開かれ、中から少しやつれ気味の中年男性が現れた。何やら辺りを見まわし、ひどく怯えているようだった。

「行くぞ、古賀。」

「はい。」

 そっと車を降り、容疑者の後をつける二人。どうやら端本は人目を避け、この先の裏路地を通るようだった。

「古賀、この先の路地で奴を挟み撃ちにするぞ。さっき見せた地図、覚えてるよな。」

「任せてください、先輩。」

「よし。」

 標的を挟み撃つべく、二人は散会した。

〜十五時四十分"住宅街・裏路地"〜

 どこにも逃げ場のない一本道で、万城と古賀は容疑者を挟んで向かい合っていた。

「な、何の用だよ、お前ら!」

 激しく動揺している様子の端本を落ち着かせようと、万城が投げかける。

「落ち着け、端本。俺達はただ事情が聞きたいだけだ。みらいの里で同僚が殺された事……お前、知ってるよな。あの日の朝、何があった?」

 動揺しつつも、激しく瞬きを繰り返しながら当時の事を思い返す端本。

「あの日……そうだ。俺は見たんだ。それで怖くなって……逃げ出した。」

「見たって……何を?」

「それは」

 その時だった。まるで端本の言葉を遮るように、辺りを閃光が包んだ。そして——

「なっ……!?」

 次に万城が目の当たりにしたのは、ドロドロとした物体に覆われた端本の姿だった。

「アアァ……。」

 そしてそのまま、端本は煙のように消えた。後には彼を包んでいたヘドロのような物体が、地面に残るばかりだった。

「……そうだ、古賀は?」

 先ほどまで居たはずの後輩の方を見ると、彼が立っていた場所にもヘドロがへばりついていた。おそらくは、古賀も端本と同じ末路を辿ったのだろう。

「これは……なんだってんだ。」

 その場に膝をつき、目の前の物体に手を伸ばす。そんな万城を、制す者がいた。

「それには、触らない方がいい。触れればあなたも、今の男達と同じ末路を辿る事になる。」

「!?」

 ハッとして顔を上げた万城の視線の先。そこにいたのは、黒い怪人だった。

【三】

〜一六時〇分"住宅街・裏路地"〜

 万城の前に立ったその怪人は、とにかく異様な姿をしていた。夜闇のように真っ黒な肌に、長身痩躯のスタイル。頭頂部からは先端の丸い一本の触覚が垂れ下がっており、その頭部の中心ではギラリとした単眼が蠢いている。

「お前は、何者だ。」

 怪人の異形さに気圧されまいと、万城は言葉を振り絞った。それに対し、怪人が応える。

「何者……か。その肝の座り様に免じて、あなたの質問に答えよう。私は、こことは別次元の遥か未来からやってきた。元はあなた達と同じ、人間だよ。」

「そんな……バカな。」

 そんな万城の様子を、怪人は口の無い顔で見つめる。

「そう思うのも無理はない。我々未来人は、死を克服する為に様々な治療、延命措置を講じ……最後には人体改造という禁忌に手を出した。その末路が、この姿だ。だがその延命にも限界が近づいている。衰えていく肉体を活性させるため、我々未来人はあなた達現代人の生命エネルギーを貰い受けることにした。」

 そう語りながら、万城に指を差す怪人。怪人の指の先端からは、先ほど端本と古賀を消し去ったヘドロが滴っている。

「……そうか。みらいの里で子供達を攫ったのは、お前か。」

 万城の問いかけに対し、怪人は饒舌に答えた。

「そうだ。そして出来る事なら、私は自分の存在を現代人に晒したくなかった。だからあの施設で足のつきにくい子供達を攫ったのだが……あの職員については、誤算だった。」

「……お前が、殺したのか?」

 怪人に飛び掛かるべく、ジリジリと距離を詰める。

「……やめておいた方がいい。言っておくが、改造を受けている私とシラフのあなたとでは、身体機能の差は歴然だ。大人しくそこに立っている事を、推奨する。」

「……チッ。」

 舌を打った万城を見て、怪人は満足そうに頷いた。

「では、私はこれで失礼する。縁があればまた会おう。」

「ま……待てっ!」

 万城の目の前で、怪人は霧散して消えた。まるで煙のように、最初からそこに何もいなかったかのように。万城は一人、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

〜十年前〜

 燃え盛るアパートの一室で、古賀は絶望を抱えたまま膝をついていた。

「僕は何も成せないまま、ここで……終わるのか。」

 酸素もすっかり薄くなり、その場に倒れ込む。もうダメかと目を閉じたその時、何者かが自分の肩を担いだ。

「あ、あなたは……。」

「誰でもいいだろう。ほら、歩くぞ。」

 朦朧とする意識の中で、古賀はその男に問うた。

「こんなところに、見ず知らずの僕を助けに。……お兄さんは、死ぬのが怖くないんですか。」

「ああ、死ぬのは怖くない。」

 それからずっと、古賀は男が迷いなく言い放ったその言葉を忘れられずにいた。

〜怪人との遭遇から二日・八時十三分"警視庁公安部・会議室"〜

「君が呼ばれた理由に心当たりはあるか、万城警部。」

「まぁ……あります、はい。」

 万城は今、急な呼び出しで公安の会議室に来ている。そして彼の目の前に座っているこの男こそが、公安部管理官の宇田川 正人だ。

「宜しい。ではその心当たりについて聞こうか、万城警部。」

「はい。私は一昨日の午後四時頃……謎の怪人に遭遇しました。そいつは私の部下と、追跡中だった容疑者を未知の力で消し去り、その場から姿を消してみせたのです。」

 話したところで誰も信じないだろうと思いつつ、万城はありのままを伝えることにした。特段隠す必要もないと思ったからだ。そんな彼の様子を観察し、宇田川は厳格な表情を崩さぬままに話し始めた。

「よろしい。万城くん……実は我々公安部は、異形の者の活動を既に察知していてね。水面下で調査を続けていた。そこで目撃者の君には、君自身の口を封じるのも兼ねて……我々の"計画"に協力して欲しい。」

「随分はっきりと仰るんですね。……別に構いませんよ。俺も、この事件には最後まで関わりたい。」

 万城の返答を受けて、宇田川は少しだけ笑みを浮かべた。

「話が早くて助かるよ、万城くん。では君に二人、我々の同志を紹介しよう。まずは彼女、江川 小由梨くんだ。彼女は私の補佐官でね、監視役としてこれから君に張り付いてもらう。」

「宜しくお願いします、万城警部殿。」

 そうお辞儀をしたのは、眉一つ動かさない凛とした雰囲気の女性だった。艶めいた黒髪のショートヘアとぴっしりと決めたスーツ姿が、彼女の高潔さを引き立てている。

「……あなたみたいな人が監視役なら、そう悪い気もしないか。宜しくな、小由梨さん。」

 握手をしようと手を差し出したが、小由梨はそれをやはり表情一つ変えぬままにスルーしてみせた。そんな冷たい彼女の対応に、思わず肝が冷える。

「さて。次にこちらは、神田博士。彼は我々の今後を左右する重要人物……いわばVIPだ。」

「神田じゃ。宜しくな、万城さん。」

 仕切り直しと言わんばかりに宇田川が続いて紹介したのは、白衣姿の初老の男性だった。

「こちらこそ宜しくお願いします、神田博士。」

 小由梨の時と違い、固い握手を交わす二人。

「ふむ。ワシの素性について、聞かんのだな。」

「……聞いたら、教えていただけるんですかね。」

「勿論だとも。のぅ、宇田川さん?」

 神田の投げかけに対し、宇田川は頷きで返した。そうしてボサボサの髭をさすりながら、神田が語り始める。

「ワシは、神田研究所という場所で所長を務めておる。そこで以前より、怪人が発する特殊な交信電波の傍受を続けておってな。奴の目的も、既に人間社会での潜伏に成功していることも分かった時、ワシは日本の偉大なる防衛組織である警察に協力を依頼しようと決めた。」

 宇田川が、立ち上がって続きを語り出した。

「そして彼の話を唯一信じたのがこの私……というわけだ。博士曰く、怪人には苦手な電波があるらしい。それを怪人にぶつけて奴を殺す……以上が我々の目的だ。」

 それを聞き、少し眉間に皺を寄せる万城。

「殺害……ですか。いくら相手が未知の存在とはいえ、意思疎通の計れる相手です。いきなり殺すというのは早計すぎるのでは? まずは身柄を拘束し、我が国の法の下で裁けるか否か見定めるべきではないでしょうか。」

 万城の言葉に、宇田川は再び笑った。といっても、今度のそれは嘲笑であった。

「それは愚かな考えだ、万城警部。我々には国民を守る責務がある。もしも我々を害する存在があるならば、全霊を以って"速やかに"排除しなければならない。そうだろう?」

 そう語る宇田川の心の内に恐怖があることを、万城は感じ取った。

「では、我々は神田博士が怪人の更新電波を再び傍受する時を待つ。それまでは待機だ。」

「あの、宇田川管理官。」

「なんだ、万城警部?」

〜〜人は必ず死ぬ。純、死を乗り越えろ〜〜

 死の間際に叔父が残した言葉が、万城の脳裏に浮かぶ。

「宇田川部長は、死を恐れているのですか?」

 その質問に宇田川は目を丸くしていたが、すぐに平静を取り戻して言葉を紡ぎ出した。

「……ああ、私は恐れている。だがそれは、当たり前のことだろう。得体の知れない存在が、我々人間の生を脅かそうというのだからな。私は、その恐怖を乗り越える為に奴を殺す。今の発言に異議があるか、万城くん。」

「……いえ。」

「よろしい。」

 宇田川の言っている事は正しいと思った。それでも、万城は心のどこかで釈然としないものを抱えていた。それが何なのか言語化できない自分が、とても歯痒く思えた。

【四】

〜二十時十一分・謳歌荘"万城 純の自宅・居間"〜

 朝方に宇田川から受けた話を思い返しながら、万城は中央のローテーブルに胡座をかいてコンビニ弁当を喰らっていた。その対面には、江川 小由梨が正座している。

「あの、なんで貴方もここにいるんですかね?」

 万城の鬱陶しがった態度など歯牙にも掛けず、小由梨は持っていたおにぎりを頬張り終えた。

「何故とは……私は万城殿の監視役です。こうして同じ場所にいるのは、至極当然のことではありませんか。」

「いや、外で待つ……とか。」

「それでは、あなたに逃亡の機会を与える事になります。それは、監視役として到底看過出来ることではありません。」

「……そうですか。」

 いくら綺麗な女性だからと言って、こうも易々と自分のパーソナリティに踏み込まれてはたまったものではない。万城は、立ち歩いて弁当のゴミを玄関扉脇のゴミ箱に放り込むと、そのままドアノブに手をかけた。

「万城殿、何処へ?」

「ちょっと外の空気を吸いに、裏の駐輪場に。……監視役殿も、ご一緒しますか。」

「もちろん。」

 淀みの無いその返事に、万城は深いため息をついた。

〜二十時二十分・謳歌荘"駐輪場"〜

 アパート裏手の駐輪場と言えば、何かと草が生い茂って庭のような雰囲気になっているものだが、万城のアパートも例外ではない。ふと空を見上げると、少しだけ欠けた月が万城達を照らしていた。満月はもう直ぐらしい。

「万城殿、一つ聞きたい事が。」

「……なんでしょう、監視役殿。」

 万城は、煙草に火をつけながら小由梨の質問に耳を傾けた。そんな様子をしっかりと確認してから、小由梨も続ける。

「先の会議室で、あなたは何故あんな事を聞いたのですか?」

「あんな事って……死が怖いかって、あれ?」

「それです。」

 自分でも深い理由は分からない。ただあの時、叔父から得られなかった答えを欲したのかもしれない。万城はそう思った。

「小由梨さん、俺は」

 その時だった。暗く染まった夜にも関わらず、街灯よりも明るい閃光が万城と小由梨の視界を包んだ。その現象に、万城は覚えがあった。

「……何の用だ、怪人。」

 開けた視界の先に佇んだその怪人は、万城の様子を見て少し笑った。

「そんなに邪険にするな。私はただ、あなたを"観察"しに来ただけだ。」

「そうかよ。」

 その瞬間、万城は素早く踏み込んで怪人の腹部に拳を叩き込んだ。しかしその肉は厚く、怪人は微動だにしなかった。

「……チッ。」

「前にも言ったはずだ。シラフのあなたと肉体を強化した私とでは、"差がある"と。」

「それでも……ここでお前を捕まえられりゃ、手っ取り早いんだよ。」

 怪人の腕を掴み、背負い投げる。しかし、怪人の身体が地面に叩き付けられることは無かった。まるで煙のように霧散し、万城の"背後"に再び現れたのである。

「なっ……!?」

 急いで振り返る万城。その様子を見て、怪人は揶揄うように笑った。

「くそっ……。」

単純な身体機能だけではない。人を瞬く間に消してしまうヘドロ状の物体に、今見せた瞬間移動のような芸当。全てにおいて人智の外にあるその存在に、万城は純粋な恐怖を覚えた。

「お前……本当に人間だったのか。」

「ああ、人間だよ。かつても今もね。」

 怪人が、右手の掌を前に翳した。その掌の中心から湧き出したヘドロが、球体を形作っていく。

「さぁ。どうする、刑事さん。」

 怪人が、ヘドロで出来た球体を対象に向かって打ち出した。それは万城——ではなく、立って一部始終を観察していた小由梨に向かって伸びていく。

「……!?」

「小百合さん……!」

 考えるより先に、体が動いていた。小由梨を庇って弾道上に躍り出た万城の胴に、ヘドロが直撃する。それはドス黒いシミとなり、そのまま——消えた。

「あれ、なんともない?」

 何度身体を触ってみても、異常は無かった。そんな様子を見て、満足げに目を細める怪人。

「フッ……やはりあなたは、死を恐れないのか。」

「なに?」

「また会いましょう、万城さん。」

 そして怪人は、またも煙のように霧散して消えた。

「あ……大丈夫ですか、小由梨さん。」

「ええ、ありがとうございます。」

 そう淡々と話す江川 小由梨の表情は、やはり変わらないままだった。彼女には感情が無いのだろうか。

「……なら、良かった。」

「それより、万城殿。」

 無表情のまま、小由梨が万城の前に立った。

「は、はい。なんでしょう」

 パンッ

「……え?」

 小由梨の平手打ちが、万城の頬を赤く染めた。ヒリつく頬を撫でながら、目を丸くする万城。

「あ、あの……なんで俺、叩かれたんでしょうか。」

「それはあなたが……生きようとしていないからです。」

「ど、どういう事ですか?」

 万城がそう聞いても、小由梨の表情が変わる事はない。それでも、今の彼女は怒りを抱いていた。

「万城殿……身を挺して私を守ってくれた事、それには本当に感謝しています。ありがとう。しかし、あなたがやっているそれは自己犠牲ではない。」

「……。」

「あなたは死を恐れていない……というより、ただ恐れないよう心掛けているだけなのではないですか。」

「……ああ。」

 死を乗り越えろ。そう説いた叔父の死に顔が、今も夢に出る。その度に思うのだ。いつか必ず死ぬというのなら、どうやって乗り越えろというのか。

「俺は……叔父の遺言を果たさなきゃならない。死を乗り越えなきゃいけないんです。なら、死を恐れない……そうするより他に、無いじゃないですか。」

「……あなたは、間違っている。確かに死を乗り越えるという事は、あなたの叔父から託された願いなのでしょう。しかしそれは、"死を恐れない"のでは決して達成出来ない。寧ろ恐れなくては、乗り越えるより先にあなたは死んでしまう。」

 小由梨の目に涙が溜まっていた。死を恐れる、それは今まで万城が頑として避けてきたものだった。

「……でも、死を恐れてしまっては。その先にあるのは、あの怪人の姿なんじゃないのか。」

「それは……」

 何かを語ろうと口を開いた小由梨。しかしそれは、彼女の持っていた通信機が鳴り響いたことで掻き消された。

「……はい、江川です。はい……はい、分かりました。万城殿にも、伝えます。」

 通信を終え、小由梨がこちらに向き直る。

「……宇田川管理官からです。神田博士が、怪人の交信電波を捉えたと。怪人は今、横浜の海沿いにある遊園地方面に逃走しているとの事です。私達も、向かいましょう。」

「……ああ。」

 二人は、車へと乗り込んだ。

〜二十二時三十分"友遊港園・駐車場"〜

 無線で神田が伝えてきた内容は、次のとおりだった。

『前に、怪人には苦手とする電波があるという話をしたな。そこにきて私は、この電波を照射することが出来る小型銃"エクストリーム・神田スペシャル"を開発したんだ。凄いじゃろ。それでな……現場で合流したら君達に渡すから、これを使って怪人を倒すんじゃ。今、電波を特務車両に搭載したアンテナから照射して、怪人を作戦ポイントまで追い込んでいる。君達も急いで向かってくれ。』

 なんとも緊張感に欠ける無線ではあったが、その内容はまさしく人間側にとっての"秘策"と言えるものだった。そして今、神田から受け取った銃を片手に万城は怪人の元へと向かおうとしている。

「……万城殿、追い詰められた怪人はあなたとの一対一での対話を求めています。宇田川管理官は、これを了承しました。」

 変わらず淡々と連絡事項を告げる小由梨だったが、先程の言動を見た万城には理解出来た気がした。彼女はただ、実直な女性なのだと。

「……了解しました、行ってきます。」

 煙草に火をつけ、それを咥える。空へと立ち昇る煙を見ながら、万城は怪人の事を考えた。

「煙のように消える怪人……ケムール人ってとこか。」

〜二十三時〇分"友遊港園・観覧車前"〜

「やあ、万城さん。来たようだね。」

 そう嬉しそうに告げる怪人に、万城は神田製の銃を向けた。引き金に指を掛ける。

「この引き金を引けば、お前は終わりだ。そうなる前に白状しろ……事件の真相をな。」

「いきなり物騒だな……こちらこそ、次は本当に撃つ。」

 ケムール人もまた、先程のように右掌を翳した。中央から湧き出したヘドロが、球体を形作っていく。

「これを喰らえばあなたの身体は直ぐに私の拠点へと送られる。そうなれば終わりだ。その前に、こちらの質問に答えてくれないだろうか。」

「俺は罪を憎む……前にも言ったはずだ。そして俺は、憎む相手の要求には応じない。そういう性分の刑事なんだよ。」

「そう……ですか。では先に、そちらの質問に答えましょう。それしかこの問答を先に進める手は無さそうだ。」

 掌を翳したまま、ケムール人が事件の真相を語り出した。

「山口を殺したのは私ではなく、端本だ。若い命を欲し、このヘドロで子供達を拉致した後……私は見てしまった。やつが、あの男の胸にナイフを突き立てる瞬間を。その時にこの姿を見られてしまってね。探し出して口を封じる事は出来たものの……一歩遅かった。」

 そう語るケムール人の言葉に、淀みは無かった。おそらくこれが真相であろうと、万城は直感した。

「さあ、私はあなたの要求に応えましたよ。今度はあなたの番です……先輩。」

「やっぱり、お前は……」

 万城がケムール人の正体を確信した、その時。一発の銃声が二人の間を貫いた。

「……なっ!?」

「こんな時に……邪魔者が……。」

 腹部を押さえるケムール人。その傷口から、黒いドロドロとした液体が溢れ出ている。

「思い知ったか、怪人! 貴様のようなバケモノに、私は殺されない……殺されてなるものか!!」

 そう叫びながら尚も銃を乱射していたのは、宇田川だった。どうやら錯乱している様子で、一度だけ会ったあの時に見た面影は微塵も感じられない。

「宇田川……!」

「よくやったぞ、万城! この神田博士特注の弾丸で……私はついに怪人を撃ち倒した。死を乗り越えたのだ!」

 両腕を広げ、空を仰ぎ見る宇田川。

「クソ……消えろ!!」

 そう叫んだケムール人の放ったヘドロ弾が、宇田川へと向かっていく。

「やめろ!」

バチュンッ

 瞬く間にそれに包まれ、消失する宇田川。それと同時に、どさりと怪人の倒れ込む音がした。

「……くそっ!」

 倒れたケムール人へと駆け寄る万城。怪人の腹部には大穴が開き、もはやそこに助かる術は有りようもなかった。

「……まさかこんな形で終わろうとは思いませんでしたよ、先輩。」

「……やっぱりお前だったんだな、古賀。」

 瀕死のケムール人の体表がドロドロと溶けていき、その中から古賀の姿が現れた。それが擬態なのか、擬態が解けたのか、万城には分からない。

「……万城さん、覚えていますか。あの火事の日……俺はあなたに助けてもらったんだ。」

「……悪いな、覚えてない。」

 そう溢した万城に、古賀は自嘲気味に笑った。

「あの日は……俺が、任務を受けてこの地球に初めて降り立った日でした。でも時空転移に失敗して……俺は、あの炎の中に放り出された。」

「……。」

 万城は、覚えていた。あの日は叔父の命日で、未だに見つからない"答え"を求めて彷徨っていた。

「そこで……俺はあなたに助けられた。そしてあなたは言った。"死は怖くない"と。死を恐れてここまで行き着いてしまった我々にとって、それは到底理解出来ない言葉だった。私は、知りたいと思った。死を恐れないあなたがどんな人間なのか……聞いてみたいと思った。」

 あの炎の中で万城が古賀に掛けたその言葉は、ようやく辿り着いた答えだった。死を恐れない事こそが、死を乗り越えた証なのだと。

「教えてください、万城さん……あなたは本当に、死を恐れないのですか。それはどのようなものなのですか。どうすればその境地に至れるのですか。」

 その問いを最後に、古賀の呼吸がか細くなっていく。もはやそう長くないのだろう。そうして、その男からの問いかけに応えるべく万城は言葉を紡いだ。

「俺が出した答えは……自分を納得させる為に作り出した虚構だった。間違いだったのかもしれない。やっぱり……死ぬのは怖いよ。」

 古賀が、目を閉じた。鼓動の感覚がゆっくりと、しかし確実に遅くなっていく。

「やっぱり俺は死を恐れる。でも、だからこそ……いつか来る終わりに向き合えるように、今を誠実に生きるんだ。そうして生きて、生き抜いた先で死ねたなら、俺は死を乗り越える事が出来る。そう、思う。」

 古賀は、もう息をしていなかった。しかしその死に顔は、確かに笑みを浮かべていた。

「そうだよな……小由梨さん。」

 古賀の遺体をそっと置き、万城は頬をさすりながら立ち上がった。そんな彼らを、満月が優しく照らしていた。

〜四時四十四分・???〜

 真っ暗な部屋の中で、宇田川は目を覚ました。

「ここは……どこだ。」

 ゆっくりと立ち上がって辺りを見渡すと、部屋の隅に姿見が立てられていた。重い身体を引きずるようにして、その鏡へと近付いていく。

「私は……乗り越えたんだ。怪物を……死を、乗り越えた。」

 鏡の前に立ち、それを覗き込む。そこに映っていたのは——

 とにかく異様な姿をしていた。夜闇のように真っ黒な肌に、長身痩躯のスタイル。頭頂部からは先端の丸い一本の触覚が垂れ下がっており、その頭部の中心ではギラリとした単眼が蠢いている。とにかく異様な姿をしていた。夜闇のように真っ黒な肌に、長身痩躯のスタイル。頭頂部からは先端の丸い一本の触覚が垂れ下がっており、その頭部の中心ではギラリとした単眼が蠢いている。とにかく異様な姿をしていた。夜闇のように真っ黒な肌に、長身痩躯のスタイル。頭頂部からは一本の触覚が垂れ下がっており、その頭部の中心ではギラリとした単眼が蠢いて

「ヴアアァアアアアァ」

 宇田川の絶叫が、部屋中にこだました。

【エピローグ】

〜一週間後・八月二十九日"警視庁・特務課—特務室"十時三分〜

『怪人による児童誘拐の報告——あの日からしばらくして、施設に子供達が戻ってきた。皆誘拐されていた時の記憶がさっぱりと消えていたが、しっかりと自分の足で戻ってきたという。なぜ子供達が無事に戻ってきたのかは、分からない。古賀は、子供達を犠牲にすることを躊躇していたのか。宇田川管理官の行方は分からないままだ。今は補佐官だった小由梨さんが後任として尽力している。山口殺しについては、被疑者死亡で送検されてしまった。おそらく、公安による"裏の力"が働いたのだろう。もしかしたら、今回の事案は氷山の一角に過ぎないのかもしれない。』

 録音を終え、万城はボイスレコーダーをデスクの上に置いた。カップに注いだコーヒーを啜りながら、窓から空に浮かんだ太陽を見上げる。

(……もう一度、医者でも目指してみるか。)

 ふと、誰かが万城の肩を叩いた。振り返り、その人物と対面する。

「あぁ小百合さん、お疲れ様です。」

 スーツ姿の小由梨は、相変わらず無表情のままだ。そして、彼女が告げる。

「万城殿。突然で申し訳ないが、あなたの力を借りたい。」

 万城の、新たな生き方が始まる。

『ウルトラQ〜生死の天秤〜』

〜完〜

Q 〜生死の天秤〜

Q 〜生死の天秤〜

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-11-11

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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