アンパンマン2 〜侵食する暗闇〜
【登場人物】
・アンパンマン……あんぱんから生まれた愛と勇気の戦士。生みの親で恩人でもあるジャムの元で、パンの配達を続けている。
・しょくぱんまん……新たに誕生したパン戦士で、基本的に丁寧な口調で話す。アンパンマンのような正義の味方になりたいと思っている。
・ロールパンナ……新たに誕生したパン戦士。強く優しい女性で、しょくぱんまんの心に大きな影響を与える。
・ばいきんまん……使命を背負わされた亡星の科学者。戦いの末にアンパンマンとともだちになったが、家族のいない日々に寂しさを感じている。
・ドキンちゃん……ばいきんまんの"妹"。兄の事を想い、アンパンマンに対しては敵意を抱いている。
・黒衣のマジシャン……ばいきんまんの前に現れた謎の男。黒いマントとシルクハットを身につけ、不気味に笑う。
【プロローグ】
〜辺境の森・ばいきんまんラボ〜
いつもの通りアンパンマンにこらしめられて帰還したばいきんまんは、壊れかけた立体投影装置を再生した。
『もう、お前しかいない。』
今や装置はその部分しか再生しない。僅かに残った父の残影に浸りながら、ばいきんまんは"ともだち"のアンパンマンに想いを馳せていた。
「やっぱ、羨ましいぜ。」
そんな時だった。何者かが、ラボの扉を叩いたのだ。自分以外誰も知らないはずのラボへの訪問者に、警戒を強めるばいきんまん。
「誰だ。」
ばいきんまんのその問いに応えるように、ラボの玄関扉はゆっくりと音を立てながら開かれた。そこに立っていたのは、黒装束に身を包んだ不気味な男だった。目深に被った黒いシルクハットを弄りながら、男は言う。
「初めまして、ばいきんまん。私は各地を旅して回る、しがないマジシャンです。」
「何?」
男は不敵に笑うと、ばいきんまんの心を見透かしたかのようにこう告げた。
「貴方が今、一番叶えたい願いは何でしょうか。私の手品で、それを現実としてみせましょう。」
黒装束から覗いた白い歯が夜闇も相まって不気味に映える。その男の笑みに対して、ばいきんまんは妙な嫌悪感を覚えた。
「いきなり押しかけてきて、なんなんだ貴様。格好も怪しいし……大体俺様の願いを叶えるなんて、そんなの不可能なんだよ。」
「私の手品に不可能はありませんよ。……まぁ、信じるも信じないも貴方の自由です。ですが」
男が指を鳴らすと、止まっていたはずの立体投影装置が突如としてメッセージの再生を始めた。
『もうお前しかいない』
「……。」
「さぁ、あなたの願いを教えてください。」
ばいきんまんは、目の前の男を見た。自分の心がどうしようもなく騒めき立っているのを感じる。そして——
「俺様も、家族が欲しい。」
暗闇の計略が、ゆっくりと動き出した。
【一】
〜某日・昼"ジャムのパン工房"〜
「よし、あとはオーブンに入れれば完成だ!」
「うん、おじいちゃん!!」
バタコとジャムは、心躍らせながらパン生地をオーブンに入れた。それはもうすぐ誕生して三年経つアンパンマンへの、サプライズプレゼントだった。
「でもおじいちゃん、本当に上手くいくの?」
「大丈夫だ、儂には分かる。あの流れ星はアンパンマンの時と同じ……パンに命を吹き込む、"願い星"だ。」
今から数十分前。工房の真上の空に二つの流れ星が瞬くと、ジャムはすぐにパンを作る事を決断した。アンパンマンの家族になってくれるであろう、新たな二つの生命を。
「よし……もうすぐだ。」
「うん。なんか、緊張するね。」
息を呑み、事態を見守る二人。そしてついにオーブンの扉が勢いよく開け放たれ、彼らが顔を出した。
「こんにちはジャムおじさん! 僕、しょくぱんまん!!」
「こんにちはジャムおじさん! 私、ロールパンナ!!」
食パンの顔をした『しょくぱんまん』と、ロールパンが元になった『ロールパンナ』。事が上手くいったと確信したジャムとバタコは、手を取り合って大きく喜んだのだった。
*
*
*
「というわけで、お前の新しい家族だ! アンパンマン!!」
「家族……! ありがとう、ジャムおじさん!!」
アンパンマンは、喜びに満ちていた。目の前にいる二人が、そんな彼を興味深く見つめる。
「しょくぱんまんです。アンパンマン……これからよろしくね。」
「ロールパンナよ。今日から宜しく、アンパンマン。」
「アンパンマンだよ。宜しくね、二人とも!!」
固い握手を交わす三人。同じパンから生まれた者同士、打ち解け合うのにそう時間は掛からないだろう。ジャムはそう確信していた。
〜同日・夕方"辺境の森・ばいきんまんラボ"〜
「おいコラ! 待て、くそガキ!!」
「べぇ〜、だ! 返して欲しかったら、この退屈すぎる環境をなんとかしなさいってのよバカお兄ちゃん!!」
「好き放題言いやがって……!!」
お互いを罵り合いながら、狭い工房内で追いかけっこを繰り広げる二人。ばいきんまんと、その"妹"の『ドキンちゃん』である。
「お前……いい加減それをこっちに渡せ! それはお前みたいなガキが扱っちゃいけないシロモノなんだよ!!」
彼女の手に握られているのは、ダダンダンの起動装置。ばいきんまんの隙をついて、ドキンちゃんがくすねたのだ。
「嫌よ! だいたい、私みたいなか弱くて可愛い女の子がこんな小汚いところに住んであげてるのよ!! ちょっとくらい"やんちゃ"したっていいじゃない!!」
ドキンちゃんのすばしっこさに翻弄されるばいきんまん。元々科学者で運動などからっきしだった彼には、とても彼女を捕まえる事は出来なかった。
「……分かったよ。好きにしろ。」
「え?」
ばいきんまんはふぅと息を整えると、そのまま自室へと向かうべくドキンちゃんに背を向けた。
「ちょっと。もういいの?」
「あぁ。お前のワガママに付き合うのは疲れるからな。それに実際、お前がこんな寂れた生活してるのには俺様の責任もあるし……あんまりはしゃぎすぎるなよ。」
自分がくだらない願いを言わなければ、彼女は今のような退屈に悩まされることも無かった。ばいきんまんはそうやって自責の念をまたも積み重ねると、妹を置いて自室へ戻ったのだった。
「……なによ。これじゃ、私が悪いみたいじゃない。」
数日前。ドキンちゃんが目覚めると、そこは少し埃でけむった小さなラボだった。そこに居たばいきんまんの驚いた顔を見て、彼女はすぐに彼を兄と認識した。
「私は別に……退屈なのが不満なわけじゃない。」
ラボを出て、遠方で煌々と輝く温かい光を見つめる。それは兄の宿敵である、アンパンマンの根城だった。
「どうして、お兄ちゃんだけが。」
ドキンちゃんは握りしめた装置を使ってダダンダンを起動させると、こっそりとそれに乗り込んだ。
*
*
*
〜夜・ジャムのパン工房〜
「じゃあ……これだ!!」
アンパンマンが、しょくぱんまんの手元からトランプの札を気勢よく抜き取った。ハートのAが揃い、揚々とそれを捨て札の山に置く。
「あ……! くっそ〜。」
「ごめんよ、しょくぱんまん。僕の勝ちだ。」
「やっぱり敵いませんね、アンパンマンくんには。」
今日はパンの配達はお休み。ジャムはバタコと散歩に出かけ、ロールパンナも辺りの様子が見たいと外出していた。
「にしてもロールパンナ、何も無い日にまで外を飛び回るなんて元気だよなぁ。」
「ですね。まぁロールパンナさん、いつも『外の世界のことをたくさん知りたい』って言ってますから。もしかしたら、夜まで帰ってこないかもしれませんよ。」
「……」
「……アンパンマンくん、どうかしました?」
「しょくぱんまんは、どうして敬語使うの?」
「え?」
その時突如として、二人の会話に外からの轟音が割って入った。それはアンパンマンにとっては馴染み深い、しょくぱんまんには未だ慣れる事の出来ない衝撃だった。
「こ、これって……!?」
「きっと彼だ! しょくぱんまん、危ないから外に出ないで!!」
「ちょっと、アンパンマンくん!!」
しょくぱんまんを置いて、慌ただしく外へ飛び出したアンパンマン。
(今の衝撃は……ええい、もうヤケクソだ!!)
意を決して、しょくぱんまんも外に出る。そんな彼の目に飛び込んできた光景は、鋼鉄の巨人とそれに立ち向かうアンパンマンの姿だった。
「今日はちょっと遅かったんじゃないの、ばいきんまん!!」
「……」
アンパンマンの呼びかけを無視して、巨人はその剛腕を振り下ろした。それは間一髪で避けたアンパンマンの頬を掠めると、そばの地面に大きなクレーターを作った。どうやら相当な威力のようだ。
「ば、ばいきんまん……なんだか様子が変だよ。どうかした?」
「……ね。」
「え?」
「死ね、アンパンマン!!」
先程とは反対の巨人の腕が、大きく伸びてアンパンマンに迫った。しかしアンパンマンはその周りを旋回するようにして避けると、巨人の懐に瞬く間に潜り込んだ。
「お前、ばいきんまんじゃないな……どうして彼以外のやつがこの機械に乗ってるんだ! 彼はどうした!!」
「うるさい! お前のせいで……お前のせいでお兄ちゃんは!!」
「え?」
「アンパンマン、危ない!!」
「!!」
しょくぱんまんがそう叫んだのとほぼ同時。巨人の腹部に内蔵されていたハッチが開き、そこから隠し玉のマジックハンドが飛び出した。ばいきんまんが改良を重ねることで搭載された新兵器はアンパンマンを吹き飛ばすと、そのまま彼の身体を地面に叩きつけた。
「ぐっ……。」
「あ、アンパンマンくん……今、僕が!」
自分の大切な家族を助けるため、しょくぱんまんは駆け出した。いや、駆け出そうと"思っただけだった"。恐怖で震えた身体はまるで言うことを効かず、しょくぱんまんはただその場で立ち尽くしてしまったのだった。
「ま、また……なんで。なんで動かないんだ!!」
「いいんだ。大丈夫だよしょくぱんまん、僕は大丈夫。」
アンパンマンはゆっくりと起き上がると、拳を掲げ再び巨人と対峙した。
「聞け! お前が何者だろうと、僕を殺すことは出来ない!! 僕は……アンパンマンだ!!」
「何を……!!」
その宣言に狼狽える巨人に向かって、アンパンマンは勢いよく特攻した。力強く踏み出した足が生み出した瞬発力から繰り出される拳が、巨人の顔面を粉砕する。
「アンパンチ……!!」
「う、嘘……!」
その一撃を受けて、巨人はついに動かなくなった。壊れたというよりは、どうやら操縦者が逃げ出したようだった。
「す、凄い……。」
目の前で決着した壮絶な戦いの様を見せつけられたしょくぱんまんは、心に募らせた劣等感を振り払おうと走り出した。そうしなければ、自分がどうしようもない弱虫であると思えて仕方なかったからだ。
(今の操縦者を追うんだ! 今度は僕が……僕だって……!)
*
*
*
脱出する時に挫いた足を引き摺りながら、ドキンちゃんは悔しさで歯噛みした。アンパンマンは強かった。今の自分の強さでは到底彼を倒す事など出来ないと、ドキンちゃんは痛感していた。
「……でも、でも私がやらないと」
「あの、大丈夫ですか?」
「え?」
自分に声を掛けたその人物は、先の戦闘の際にアンパンマンと一緒にいた男だった。確か、しょくぱんまんだったか。
「……何。」
「その足、大丈夫ですか?」
「別に、あなたには関係ないでしょ。」
目の前の少女は、明らかに自分を敵視していた。しょくぱんまんはそう理解しつつも、手を差し出さずにはいられなかった。
「いや……そういう訳には、いきません。」
少女の挫いた足首に手を当て、その状態を確認していく。
「な、何……キモいんだけど。」
「すみません。でも放っておきたくなくて……そうですね、これなら。あの、ちょっとだけ離れますね。すぐ戻ってきますから。」
そう言うと、しょくぱんまんは捻挫に効く塗り薬の元となる野草を取りにその場を離れた。一人残されたドキンちゃんはしばらく動かずに……というより、動けずに待っていた。他人から優しさを受け取るのは初めての経験で、戸惑っていたからだ。そして戻ってきたしょくぱんまんの的確な処置によって、ドキンちゃんの足は一先ずの回復を迎えた。
「……ありがとう。」
「い、いえ。困っている人を助けるのが僕の使命ですから。あと、まだ完全に快復したわけじゃありません。早いうちに病院に行ってくださいね。」
「そう、なの……じゃあ、私もう行くから。」
恥ずかしさと少しの惚気で赤らむ顔を隠そうと、ドキンちゃんは少し早足でその場を後にした。そんな彼女を見送り、しょくぱんまんは襲撃者の追跡に戻ったのだった。
(僕が……僕が必ず、なんとかしてみせる。)
【二】
〜数日後・昼"コーキン星・上空"〜
しょくぱんまんとロールパンナは、並んで山岳地帯の上空を飛んでいた。アンパンマンと手分けしてパンを届けた、帰り道である。
「今日も嬉しそうに笑ってましたね……あの子供達。」
「そうね……私、ジャムおじさんに作ってもらってよかった。」
「えぇ、僕もです。」
そんな会話をしていると、二人の目下に傷だらけの身体を引き摺って彷徨い歩く子犬の姿が飛び込んできた。飼い主と逸れたのか、それとも元から一匹だったのか。その犬は痩せ細り、もう何日も何も食べていない様子だった。
「ロールパンナさん。」
「えぇ、行きましょう。」
二人は、子犬の元へと急いだ。
*
*
*
〜夕方・コーキン星"星屑の洞窟"〜
「……困りましたね。」
「えぇ……ほんと、困っちゃうわ。」
二人は無事に子犬を保護する事が出来た。しかし問題はそのあと。急に辺りを豪雨が襲い、パンであるしょくぱんまんとロールパンナは濡れるのを防ぐ為に近くのほら穴に入ったのだった。そこは暗く、いつ止むかも知れない雨を凌ぐ為に二人と一匹はそこに留まることを余儀なくされた。
「……せっかくですし、その犬に名前でもつけませんか?」
「そうね……じゃあ」
「チーズなんてどうですか?」
「チーズなんてどうかしら?」
「……はははっ!」
「……フフフッ。」
焚き火の温かい光に包まれて、二人の心は大いに安らいだ。時間がゆっくりと流れていく。
「しょくぱんまんは、どうしていつも敬語なの?」
「……僕は、誰にとっても頼りになる正義の味方になりたいから。正義の味方は紳士的であるべき。それで、紳士は敬語を使うべき……ですから。」
「ふぅん……結構細かいところ気にするのね、あなたって。」
しょくぱんまんは、ロールパンナの言葉を聞きながらこの間の戦いを思い出していた。突然襲ってきた巨人に圧倒される自分を置いて、アンパンマンは拳一つでそれを退けてみせた。自分は、ただ見ていることしか出来なかった。操縦者を捕まえる事も出来なかった。その歯痒さが、今も胸に張り付いている。
「細かく気にしていかないと……僕はきっと彼に追いつけない。」
「彼って、アンパンマンの事?」
ロールパンナのその一言に、しょくぱんまんは言葉を返すことが出来なかった。ただただ、自分の弱さが恥ずかしかった。
「……その繊細さが、あなたの強さなのね。」
「え?」
ロールパンナが、傍らで眠るチーズの額を撫でながら言った。
「誰だって、自分が持っていないものにばかり目を向けてしまう。私だってそう。自分の知らない事ばかり、追いかけてる。」
「……。」
「でもね、しょくぱんまん。あなたには家族がいるのよ。私もジャムおじさんもバタコさんも、勿論アンパンマンだって……みんな、あなたの助けになりたいと思っているわ。」
気付けば、しょくぱんまんは涙を流していた。
「だから大丈夫よ。追いつこうとしなくていい。ただ、助け合えばいいの。」
「……ありがとう、ロールパンナさん。」
「さん付け、やめてよ。よそよそしいから。」
「……ごめん、ロールパンナ。」
雨があがっていた。そうして二人はほら穴を出ると、子犬を連れて家族が待つ家へと帰ったのだった。
〜三日後・昼"辺境の森・ばいきんまんラボ"〜
「勝手にだだんだんを持ち出した挙句にダメにして戻ってきたかと思えば……やけに上機嫌じゃないか。何かあったのか?」
「ううん、別に。」
鼻歌を歌いながら、ドキンちゃんは新たなだだんだんの製作に精を出していた。あの思いやりに触れてから、どうにも心が変だった。自分の怪我を治してくれた紳士的な彼の事が、頭から離れない。
「お前まさか……恋、したのか?」
「は、はぁ? してないわよ恋なんてそんな!」
「してるな。」
「し、してないってば!!」
そうしてむくれる彼女を尻目に、ばいきんまんは自身の研究物が入った保管箱を漁った。そして、作った事に呆れてしまうほどに自分とは縁遠い効力を持ったそれを手に取る。
「おい。」
「え?」
愛する妹に、手に持っていた薬草を投げ渡すばいきんまん。
「お兄ちゃん。これ、何?」
「あぁ。それはバクテリ草。アンパンマンにやられっぱなしで悔しさが百倍くらいになってる時に造った、俺様の発明品だ。」
「へぇ……。」
ばいきんまんの説明はこうだった。バクテリ草。これを渡した相手には、確実に自分の気持ちが伝わる告白の必須アイテム。伝わった後どうなるかは、"自分次第"らしい。
「お兄ちゃん、なんでこんなの作ったの?」
「うるさいな。路端でやってた恋愛物の紙芝居見てたら思いついたんだよ。暇つぶしで作ってみただけだったが……まさか本当に使う時が来るとはな。」
「いや、使わないよ?」
「まぁまぁ。使ってみろって。」
そう言うと、ばいきんまんは得心がいかない様子のどきんちゃんをラボの外へと追いやった。
「ちょ、ちょっと。」
「いいからいいから。敢えて誰とは聞かないが……上手くいったら紹介してくれよ。」
「……もう、分かったわよ。上手くいったらね。」
こうして、ドキンちゃんはバクテリ草を持ってジャムのパン工房へと向かった。
【三】
〜辺境の森〜
自身の身体が濡れることも厭わず、泥だらけになりながらドキンちゃんは走り続けていた。今自分の頬をつたっているのが雨粒なのか涙なのか、もうすっかり分からない。
「なんで……なんでこうなるの……!」
一度上がった雨でも、すぐにまた降り始める。空は確かに暗く染まり始めていた。
*
*
*
〜数十分前・昼"ジャムのパン工房"〜
胸の高鳴りを抑えながら、ドキンちゃんは茂みの影からそっと工房の外庭を覗いてみた。そこでは件のしょくぱんまんが、見知らぬ女性と共に子犬と戯れていた。その表情は、とても活き活きとしている。
「……私には、あの顔を引き出すなんて無理ね。」
潔くその場を立ち去ろうと腰を上げるドキンちゃん。
「……はぁ。」
「どうしたの、しょくぱんまん?」
少し休憩しようと側のベンチに腰を下ろした二人の様子が、そんなドキンちゃんを引き留めた。どうにも会話の内容が気になった彼女は、彼らに気付かれないようそっと聴き耳を立てた。
(ちょっと……聞いてみるだけ。)
しょくぱんまんが、深刻そうな面持ちで語り始めた。
「最近考えるんだ。本当に、このままでいいのかって。」
「どういう事?」
「ばいきんまんの事さ。ただでさえパンの配達で大変なのに、毎週毎週襲ってくる彼の対処までしなきゃならない。アンパンマンくんは彼を"ともだちだ"って言うけど……どうなんだろう。本当は彼だって大変なんじゃないだろうか。」
「……まぁ、それはそうかもね。」
(……。)
自分の心に、黒いモヤがかかるのが分かった。硬い何かに殴りつけられたように、頭がぐらぐらと揺れ始める。
「今はいいよ。僕達にしか手を出してこないからね。でももし、子供達に危害を加えるようになったら……そうなる前に、根本的に彼とケリをつけないといけないかもしれない。」
「ダメよ。そんな簡単に……」
「でも」
気付けば、ドキンちゃんは茂みから飛び出して二人の前に立っていた。心の中の闇が大きくなっていく。
「君、どうして?」
「お兄ちゃんを……お兄ちゃんを悪く言うな!」
目の前の男に向かって、ドキンちゃんは握りしめていたバクテリ草を激情にまかせて投げつけた。
「うわっ……!?」
「しょくぱんまん、危ない!」
しょくぱんまんを庇ったロールパンナの全身を、草が帯びていた闇が覆う。
「ううぅ……!!」
「な、なんで……!」
気持ちが伝わる。そのばいきんまんの言葉が、ドキンちゃんの脳裏に蘇った。自分の気持ちは確かに伝わったのだ。しかしそれは相手を慕う清き心ではなく、相手を堕とす忌むべき心だった。
「ロールパンナ……!」
必死に手を伸ばすしょくぱんまんを拒否するように、闇は肥大を続けた。そしてそれが終わった時、そこには全身を黒く染めた、邪悪な瞳のロールパンナが立っていた。
「き、君は……。」
「私の使命は、アンパンマンを殺す事。」
「……! さ、させないぞ。そんな事は!」
「なら、まずはお前を殺す。」
素早く距離を詰めたロールパンナが、しょくぱんまんの鳩尾に拳を叩き込んだ。その凄まじい衝撃に耐えかね、たまらず膝をつくしょくぱんまん。
「ぐふっ……!」
そんな彼を、ロールパンナは冷めた目で見下ろした。
「……お前、弱いな。」
「……!」
「だが私も、まだこの暗闇に慣れていない。今は去ろう。次に会った時……その時には必ず殺す。お前もアンパンマンも、ジャムもな。」
「な……さ、させないぞ!」
「なら立ってみせろ。……どうせ出来ないだろうが。」
ロールパンナはそう吐き捨てると、マントを翻してその場から飛び去っていった。後に残ったのは傷心し切った、しょくぱんまんとドキンちゃんのみ。
「……あの、大丈夫」
なんとかそこまで言葉を絞り出して、ドキンちゃんはしょくぱんまんの瞳から覗くものに気がついた。それは憎悪。自分に向けられた強い憎しみを、ドキンちゃんは感じ取った。
「……あの」
「君が」
「……え?」
「君が、ロールパンナさんをあんな風にしたんだ。」
「……待って。」
「どうしてなんだ。僕を、騙したのか。」
しょくぱんまんのその言葉を聞くや否や、ドキンちゃんは駆け出していた。ただ、足が勝手に動いていた。
〜同日・夜"ジャムのパン工房"〜
「あ……しょくぱんまん。どうしたの、そんな怖い顔して。」
アンパンマンが配達から帰宅すると、そこには異様な面持ちでリビングテーブルに座したしょくぱんまんの姿があった。
「アンパンマンくん……待っていました。」
アンパンマンは、しょくぱんまんから事の顛末を聞いた。少女の事。ロールパンナの事。そして今、チーズが覚えていたロールパンナの匂いを頼りに、ジャムとバタコが彼女を探している事。
「しょくぱんまん……君は探しに行かないのか。」
「それよりも、僕にはやるべきことがありますから。あの女を……殺しに行きます。」
「な、なんだって。」
「さっきここを黒いマントを羽織った男の人が訪ねてきましてね。教えてくれたんですよ。どうやらアイツはここから先にある、死神山に向かったらしい。今から僕もそこへ行って、彼女を殺す。アンパンマン、一緒に行きましょう。」
「駄目だ……殺すなんて。」
「その優しさが、彼女をあんな姿にしたんだ。」
ゆっくりと立ち上がるしょくぱんまん。いつもの彼とは明らかに違う、殺意に満ちた立ち姿だった。
「一緒に来ないのなら、ここで大人しくしていてください。」
「そういうわけにはいかない。君を止める……家族として。」
「……うるさい!」
しょくぱんまんが、恐ろしい速さでアンパンマンに肉薄した。そこから繰り出される強烈な拳が、対敵の胴を貫く。
「ぐはっ……!」
そのまま表へと吹き飛ばされる。それでもなんとか立ち上がったアンパンマンを見て、しょくぱんまんは苦々しげに顔を歪ませた。
「君はいつもそうだ……傷ついても立ち上がって、最後まで諦めようとしない。僕だって、僕だってそうなりたい……! なのに……!」
しょくぱんまんが、マントをはためかせて空へと浮かび上がった。きっと自身が定めた標的のもとへ向かうのだろう。
「ま、待って……! しょくぱんまん!!」
「もう君は殴らない。暴力は嫌いだ……一振りで分かった。これを振るうと、こころが傷つく。だからもう、これで終わりにする。」
しょくぱんまんは飛び去っていった。一人残され、傷心し、膝から崩れ落ちるアンパンマン。それから少しして、ジャムとバタコが帰ってきた。彼らが何を言っていたのか、アンパンマンの耳には届いてこなかった。
【四】
〜二日後・夜"辺境の森・ばいきんまんラボ"〜
「遅い……流石に、遅すぎる。」
ばいきんまんがドキンちゃんを送り出してから、すでにかなりの時間が経っていた。自動式のバイキンUFOで行方を探してはいるものの、一向に見つからない妹の身を案じる。その時、そんな自身の不安に呼応するようにラボの玄関扉が開いた。
「か、帰ってきたか!」
しかし、そこに居たのはドキンちゃんではなかった。ばいきんまんの宿敵であり、ともだち。
「……アンパンマン。」
「……やぁ、ばいきんまん。」
いつもよりも重苦しい空気感が、ばいきんまんに三年前の"雪夜"を思い出させた。
「貴様、どうしてここに? この場所は誰にも知られていないはずだ。」
「もうずっと君の事は追い返してきたからね。根城のある方向くらい、見当はついたよ。……ばいきんまん、力を貸してくれ。」
「なに?」
ばいきんまんは、アンパンマンから事の次第を聞いた。とても、聞きたくない話だった。
「俺様はまた、罪を犯したのか。」
「違うよ、ばいきんまん。僕は君を責めに来たんじゃない。助けてもらう為に来たんだ。きっと、ロールパンナも死神山に来る。僕一人じゃ、あの二人を相手には出来ない。だから」
「分かった。」
おもむろに背を向け、部屋の隅にあった工具箱に歩を進めるばいきんまん。そしてそこから彼が取り出したのは、だだんだんの起動装置だった。
「あの日……俺様が家族を望んだ後、ここに戻ったらアイツがいた。だが、驚きは一瞬だった。嬉しかったんだ。どんな形でもいい。俺様に家族ができた。それがどうしようもなく嬉しかった。」
起動装置を握る手に、力がこもる。
「だから、俺様がケリをつける。その為に協力する。それでいいな、アンパンマン。」
「……ああ!」
二人は手を取り合い、死神山の頂上へと向かった。それぞれの家族が、そこで待っている。
〜翌日・朝"死神山・頂上"〜
そこは空気の澄んだ、とても静かな場所だった。だだんだんを駆るばいきんまんとその傍で滞空したアンパンマンが降り立つと、頂上広場の中心部にドキンちゃんとロールパンナ、そして今まさにドキンちゃんに拳を振り下ろそうとしているしょくぱんまんの姿があった。
「ロールパンナ!」
「ドキンちゃん!」
アンパンマンがドキンちゃんとしょくぱんまんの間に割って入り、その拳を交差した両腕の央で受け止めた。ばいきんまんは地面を震わせながらだだんだんで降り立つと、そのアームでドキンちゃんの身体を掴み上げて自らの操縦席へと避難させた。二人の動きは、ほぼ同時だった。
「あらアンパンマン、それにばいきんまんも。その子を助けに来たのね。でも残念。もう"こころ"が壊れてしまっているわ。」
突然の乱入者にも一切動じること無く、ロールパンナはそう無慈悲に言い放った。彼女の言葉を裏付けるように、ドキンちゃんは放心した様子で何かをぶつぶつと呟き続けている。その姿は、ばいきんまんの心を酷く痛めつけた。
*
*
*
〜アンパンマンとしょくぱんまん〜
しょくぱんまんの拳は、先ほど食らった時よりもさらに重く、鋭くなっていた。アンパンマンも押し負けないよう、全身に力を込める。
「しょくぱんまん……もう、やめるんだ。」
「……やめられない。もう、止まれない。」
しょくぱんまんが、力いっぱい拳を振り抜いた。ついに後方に吹き飛ばされ、砂塵を巻き上げながらごろごろと地面を転がるアンパンマン。
「ぐ……っ!」
「まだまだこんなものじゃない……立て、アンパンマン! 君を越えて、僕は自分の意志を貫き通す!」
「そんなものは……意志じゃない!」
三度立ち上がったアンパンマンと、一本の柱をなんとか支えに立ち続けるしょくぱんまん。
「みんなで帰る為に……しょくぱんまん、僕は君を倒す!」
「いくぞ、アンパンマン!」
固く握りしめた二人の拳が、激突した。
〜ばいきんまんとドキンちゃん〜
「……おい、大丈夫か。」
何度目かのばいきんまんの言葉。それは優しく、今のドキンちゃんにとっては辛い言葉だった。
「……お兄ちゃん。ごめん、迷惑かけて。思い出したんだよ。私は、元々自然に生まれた命じゃない。お兄ちゃんの望みを叶える為に造られたんだ。」
「……。」
「なのに、私は全然お兄ちゃんの助けになれてない。ごめんなさい、ごめんなさい。」
あの夜、ドキンちゃんが突然目の前に現れた時のことがもう既に懐かしく感じる。ばいきんまんにとって、あれは確かに望みが叶った瞬間だった。
「……俺様はずっと、一人だった。それがあいつのおかげで、そうじゃなくなった。今度はお前が俺様のところに来てくれた。いつもいつも俺様は、貰ってばっかりだ。だから今度は、俺様がお前の助けになる。」
「……ありがとう、お兄ちゃん。」
その時突如として、二人の足元を黒いモヤが包んだ。
「こ、これは……!?」
「あなたにはまだ、やってもらうことがありますから。」
そして、ばいきんまんとドキンちゃんは"無"の中にいた。地面も空も無く、ただ果てしない黒が続くのみ。そこはまさに、暗闇の中枢だった。
「ここは……それに、貴様……!!」
「お久しぶりです、ばいきんまん。私の紙芝居、覚えててくれたんですね。」
再び自分の前に現れた、黒衣のマジシャン。今目の前にいるその男が、かつて路上で紙芝居を見せていた事をばいきんまんは思い出した。
「あの時の……貴様……貴様が、全部仕組んだのか……?」
「そうですよ。全ては、生まれた意味を享受する為に。」
「お前……誰だ……?」
白い手袋をはめた手で自らのシルクハットを弄りながら、男は不気味に映える白い歯を剥き出しにして笑った。
「私は、くらやみまん。全ての命の祖にして、貴方達を導く者。」
「くらやみまん……?」
「それより、いいのですか?」
くらやみまんが、不気味な笑みを絶やさぬままにばいきんまんの隣を指さした。
「……!!」
ドキンちゃんがいなかった。さっきまでそこにいて会話をしていたはずの彼女が、いつの間にか忽然と姿を消していたのだ。
「貴様……あいつをどこにやったんだ!」
「元の世界に帰しただけですよ。ここは暗闇の世界。何も無い、生命の真実だけが映される世界です。私の世界に、ニセモノの生命は似合わない。」
「……ここから、出してもらう。」
拳を握り、構えを作るばいきんまん。
「やめておいた方がいい。格闘は、貴方の得意とするところではないでしょう。」
「それでも……俺様はもう、間違えたくないんだ!」
くらやみまんに向かって地面を蹴る。そうして素早く距離を詰め、ばいきんまんは眼前の男の胴に拳を叩き込んだ。
「なっ……!?」
不思議な感覚だった。確かにそこにある"何か"を殴っている。しかしそれは生物のように脈打つ物でもなく、感触はあるのに手応えはない。とても気持ちの悪い感覚だった。
「貴様……ほんとに、なんなんだ。」
「……大丈夫。そろそろ、戻してあげますよ。」
くらやみまんがその言葉を発したのとほぼ同時。ばいきんまんの意識は、途切れた。
【五】
ばいきんまんが目覚めると、目の前には地面に膝をついたアンパンマンの姿があった。どうやら元の世界に戻ってきたらしい。
「アンパンマン……。」
「……ごめん、ばいきんまん。」
アンパンマンが、悔しそうにそう言った。彼の視線の先には、闇を纏ったロールパンナがいる。そして、その後ろに——
「……あ。」
傷だらけのドキンちゃんが倒れていた。
「なんで……どうしてこんな事に……!」
狼狽し激昂するばいきんまんに気付いたしょくぱんまんが、こちらに首をもたげる。彼女の側に立ち尽くしたしょくぱんまんの姿が、誰がドキンちゃんを"そうしたのか"を物語っていた。
「……ばいきんまん。この子は、君の妹なんだろう? この子のせいで、ロールパンナはこんな風になった。待っていろ。この子にこの暴力を振り下ろしたら、次は君だ。僕が、終わりにするんだ。」
「……させない!」
アンパンマンが、しょくぱんまんに向かって飛び出した。しかし、今アンパンマンとばいきんまんが相手にしているのはしょくぱんまんだけではない。
「ダメよ。」
ロールパンナが、アンパンマンの行手を遮った。彼女が振り上げたリボンが鞭のようにしなり、アンパンマンの身体を打ち付ける。
「ぐぁ……!」
「あなたがばいきんまんをここに連れてくることは想定済み。全ては順調に進んでいるわ。あとは哀れなしょくぱんまんが、暗闇に身を委ねるのを見届けるだけ。さあ、これで終わりにしましょう。」
彼女の促すような目線にあてられて、しょくぱんまんは自らの拳を振り上げた。阻まれるアンパンマンと、走り出すばいきんまん。両者とも、手を伸ばすにはあと一歩足りない。
「くそ……!」
「ドキンちゃん……!」
しょくぱんまんの暴力が、ドキンちゃんに振り下ろされた。
*
*
*
「……なんで。」
拳を握る手が震え、それがドキンちゃんに到達する事はなかった。視界が滲んでいる。しょくぱんまんの目の前にいたのは、あの日。ロールパンナと二人で助けた、一匹の子犬だった。
「お前……なんでここにいるんだよ。」
その子犬——チーズは、じっとしょくぱんまんを見つめていた。何を叫ぶでもなく、ただじっと、自身を助けた一人の男を見つめ続けている。
「……ごめん。僕が、弱かったから。」
しょくぱんまんは泣き崩れた。地面に両膝をつき、その場で流した大粒の涙がまとわりついていた闇を洗い流す。そして、ついに彼は家族の為に心を痛める一人の優しい青年に戻ったのだった。
「こんな……ふざけるな!」
ロールパンナが声を荒げた。彼女の全身から、ドス黒いモヤが放出されていく。
「こ、これは……!?」
「離れろ、アンパンマン! そいつは、何かヤバい!!」
ばいきんまんがアンパンマンにそう叫んだのも束の間。ロールパンナから湧き出したモヤ——闇が一箇所に集まり、それは一人の実体を形作った。
「お前、くらやみまん……!」
そう叫んだばいきんまんを挑発するように、その影人は笑ってみせた。その笑みに嫌悪感を抱きながら、アンパンマンは拳を構え直した。
「くらやみまん……? ばいきんまん、こいつを知ってるのか!」
「さっき俺を変な空間に飛ばしたやつだ! とにかく気を付けろ!!」
二人の会話が耳障りだったのか、暗闇から現れたソレは顔を歪ませながら手を前に翳した。
「……死ね。」
くらやみまんの掌から黒い弾丸が放たれた。それは真っ直ぐ、しょくぱんまんの息の根を止めるために暗い弾道を描いている。
「しょくぱんまん!」
「……」
「……ドキンちゃん。」
ドキンちゃんが、しょくぱんまんの前に立っていた。自らの代わりに弾丸を受け倒れ込む少女の身体を、しょくぱんまんはしっかりと抱え込んだ。
「……どうして。僕は、君を」
「あなたは……優しいひとだから。私にやさしさをくれた、初めてのひと。だから、生きていて欲しい。それが私の……」
その言葉が最後まで紡がれることは無かった。事切れたドキンちゃんの身体をゆっくりとおろし、立ち上がるしょくぱんまん。
「……うおおぉぉ!!」
しょくぱんまんは叫んだ。そして少女の生命を奪った男に向かって放たれた彼の最後の拳が、くらやみまんの顔面を殴り抜いた。
「……消えろ、クソ野郎!」
「……。」
くらやみまんは、霧散して消えていった。こうして戦いの後に残ったのは、ドキンちゃんの亡骸と、倒れたロールパンナ。アンパンマンとしょくぱんまん、そしてばいきんまんは、傷心の際に立たされながらもなんとか帰途についたのだった。
【六】
〜ジャムのパン工房〜
「これで、完成だ。」
ジャムは、オーブンから取り出した一つのメロンパンを手に取りながらそう呟いた。そんな彼の寂しそうな背中を案じて、共に作業をしていたバタコが声を掛ける。
「おじいちゃん……願い星は、もう降らないのかな。」
「……いや、きっと降る。そう、信じるんだ。」
工房には今、二人以外に誰もいない。しょくぱんまんは姿を消したロールパンナを探しに、アンパンマンはばいきんまんの見送りに出ている。
「なんだか……寂しいね。」
「……それでも、いつかまた願い星が降り注ぐ。そう信じて、儂等はパンを作るんだ。」
希望が降ることを信じて、ジャムは今日もパンを焼く。
〜辺境の森・ばいきんまんラボの外〜
「……本当に行くのかい?」
ドキンちゃんの埋葬を済ませたばいきんまんが、アンパンマンのその問いに答える。
「ああ。今回の一件で、俺様はつくづく自分が未練に縛られているのだと思い知らされた。だからこれを断ち切るために、旅に出る。そして"ファミリー"を見つけるんだ。」
「……戻ってくるよね。」
「ああ、戻ってくるとも。」
荷物を背負い、庭に停めてあったバイキンUFOに乗り込むばいきんまん。
「……じゃあ、またな。」
「うん……またね、ばいきんまん。」
そして、ばいきんまんは飛び立っていった。旅に出る友の姿を見送りながら、アンパンマンはふとあの黒衣の男——くらやみまんの事を思い出した。
「……なんだったんだろう。」
くらやみまんとは何者だったのか。一抹の疑問を残したまま、アンパンマンはその場を後にしたのだった。
〜とある公園〜
体育座りで並んだ子供達を前に、一人の男が紙芝居を披露している。それは男にとって、最も大切な物語だ。
【 お互いの残り少ないたべものを巡って争ったコーボ星とバクテリ星は、やがて疲れ果てて粉々に砕け散ってしまいました。それでもなお、両星のうらみが消えることはありません。今も宇宙のどこかをただよいながら、争いの終結を願っているのです。】
「……おしまい。」
紙芝居が終わると、その場はなんとも言えない空気に包まれた。その場にいた子供達のうちの一人が口を開く。
「この話、知ってるよ。前にジャムおじさんが読み聞かせてくれたんだ。でも、なんか……こんなんじゃなかった。もっといい感じに終わってた。」
「……それは、紛い物の物語だよ。」
そう呟いた男が、自らが羽織ったマントを広げた。マントの内側から放出された黒い闇が、その場にいた子供達全員を瞬く間に飲み込んでいく。
「アンパンマンにばいきんまん……それと、ジャム。待っていろ。」
男は不気味に笑うと、荷物を片付けてその場を立ち去った。そして後日、男のいた公園は生命一つ息づくことのない更地となって発見される。ソレが誰の仕業なのか。一体男が何者なのか。知る者はいない。
【エピローグ】
宇宙を漂う小惑星。その一つに、ばいきんまんは降り立った。
「……静かなところだな、ここは。」
一面に小さな星々が輝き、ただそれを眺めるのみ。ばいきんまんの心は、平穏に満ちていた。
「……?」
遠くの方で、何かの飛行音が聞こえた。どうやらばいきんまんの方へと向かっているようだ。
「な、なんだなんだ。」
けたたましい轟音とともに、一台のUFOがその場に降り立った。ばいきんまんと同じ型の、しかし派手な彩色のソレはゆっくりとハッチを開くと、そこから搭乗者が顔を出す。
「お、お前……。」
「あなた、バクテリ星の生き残り?」
ドキンちゃんが、そこにいた。
〜完〜
アンパンマン2 〜侵食する暗闇〜