『悲観の上に』

内容を一部、変更しました(2025年10月22日現在)。

ほとんど誰も歩かない。広範囲で強い雨足。その天辺に向けて「念の為」と思って持ってきた傘を差す。
足元には注意。どこもかしこも街は古くて新しい。舗装の悪さに応じて、大小さまざまな水たまりが出現する。大嫌いな長靴は何があっても履かない。だからスニーカー。お気に入りじゃなくてもスニーカーは大事にしたい。ぐっしょりと濡れた靴下も想像するだけで気持ち悪い。だから、濡れないように気を付ける。
視界の悪い中で回避ルートを探索するのは一苦労。無事に見つけられても、それを辿ってあっちに跳んだりこっちに逃げたりする度に汗をかく。雨合羽は通気性が悪い。着たらいつも風邪を引いた。だからもう着ない。その代わりにワンタッチで広がる生地の、その真ん中に常にいられるようにする。傘の柄にしがみついて、傾け方を工夫する。雨は風向き次第で当たり方が変わるし、海沿いにはないこの街も、高台にはあるように思うから。
しくじればスニーカーがどうとかの話じゃ済まなくなるから。


服で覆われていない肌の部分、そこから浮かび上がる世界の解像度に飛び込んでくるのは見えない街路樹の枝の騒ぎ方、道路上の水たまりに激しく飛び込むバイクの音。その直後、小休符みたいに風が静まって雨に打たれるばかりになる街の固さ、冷たさ。突如、何かの拍子で跳ねた水滴。それが眼鏡のレンズに付着して、顔が濡れずに済んだ。
そうか、こういう使われ方もするんだと驚く足元に敷き詰められた点字ブロックには「ここでいい」と声をかけられた気がして、誰も渡らないのにピーポー鳴り続ける近くの横断歩道。街灯だってパッと点く。バシャバシャする排水溝には降った雨がそこに集まって、街が溺れずに済んでいる。
すごいね、まるで生きているみたい。
思わずそう口にすれば、きっと大人は褒めてくれる。けれど仲間にはバカにされる。けれど、今はどちらも見当たらない。雨は一向に止まずにいて、ほとんど誰も歩いていない。僕は長靴が嫌いだ!大嫌いだ!大声でそう叫んでも、雨に打たれる街からは怒られない。
雨、雨、雨。一粒ずつ、眺めるように数えて歩く。歩く。


歩く。
あの街灯の下で、傘を差す姿は影として奇妙に大きくて、形だってつまらなかった。何度もそこで確かめて、何度もそこでついたため息。それが風に流され集まって、膨らんだ先で降り注ぐ。それで機能する街。明日の朝、回収されるまで道に捨てられた格好で、紐で縛られた本が山積みのままぐっしょり濡れているのも。僕は大きな傘の中にいて、シオランと読める著者の名前を見つめる。広範囲で強い雨足。あなたはどこの、誰なんですか?
答えなんてない。濡れたくない。下を向いて僕は、小さな歩幅で進む。冷蔵庫にあるものを食べて。食べて。食べて。



上を向いた。天を仰いだ。

『悲観の上に』

『悲観の上に』

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted