美しい発作
はやく死にたいときみが漏らすとき
僕は何かとても美しいものを見た気がする
純粋不可侵な絶対的美を目撃した気がする
はやく死にたいという切実な願いを
自暴自棄だと断ずることは僕にはできない
仮に自暴自棄だとしてそれが何だというのか
それはやがて本心に収斂されていくというのに
生きたい、が自暴自棄だと見なされず
死にたい、が自暴自棄だと断じられる
そんな非対称性が許されていいのだろうか
僕からしたらこんな狂った世界で生を
望む方が自暴自棄だと思えるよ
これはありきたりの厭世主義ではなく
愛に基づいた悲観主義だ
はやく死にたい、その言葉の何が美しいのか?
生まれることは選べないが
生きること(死ぬこと)は選べるということ
それはただの発作?そうかもしれない
だが発作に本心がないと誰が言えよう
その発作は誰にも止められない
僕も止めるつもりはない
いつまで続くか分からない線に耐えられなかった
自分で線分を完成させることが生への復讐だった
美しい発作