「信」 雑談的な会話を横目で見ながら、それでも尚あなたは

信じる事は賭けである
賭けのできない者は信じる事ができない
もし裏切られたならばなどと考える事は信じる事の前提にはならない
故に、信じていた事が誤りであったと知る時の落胆は大きい
信じるという賭けに負けた者が知る苦しみである



時間は苦しみを癒す
そして再び賭けに打って出る
信じる時、人は一人である
信じるのは他の者が信じるから信じるのではない
孤独の内で、その対象は魂に訴え続ける



あなたは信じますか
イエスかノーか
イエスというのならば人生は狭くなる
ノーといえば自由である代わりに無責任の誹りを受ける



賭けに勝った者は多くを語らない
饒舌が勝者のしるしであった事はない
誰かがその飛躍は誤りであるという時、その言葉は賭ける事さえできない臆病者のしるしである
故に、静かなる沈黙は勝者に相応しい美しさを放つ


・ ・ ・



あなたは魂の叫びを持っているか
イエスのみの賭け
霧が晴れるように対象は速やかに現れる



若い女の子が言う
「 いつかは王子様が 」
その言葉は王子様を目の前にした女の子が言い放つジョークである

「 いつかは・・ 」

その「いつか」は、「今」である
王子様が現れても、王子様に駆け寄って声をかけなければ、王子様は振り向いてはくれない
女の子は王子様に声をかけられるだろうか
勇気をもって声をかけられるだろうか



信じるとは賭けである




・ ・ ・




あなた何やってんのよ!



ああ・・
ちょっとね



行くわよ!
早くしてよ




・ ・




賭けに勝ったからといって全てが上手くいくとは限らない
しかしそこには、別な賭けがあるのかもしれない

賭けとは「ときめき」である
信じる事も「ときめき」である
信じるとは「美しいときめき」に違いない



信じる事が危険だって・・


そうだ
しかし、「美しいときめき」のない人生なんて虚しい




・ ・ ・




そうでしたか



それでは
失礼いたします



おっと、その前にコロンボ流で・・
ひとつお聞きしましょう

信じる事は賭けですか?



そうです
美しい賭けです



そうでしたか
それであなたはその賭けに勝ちましたか?



はいっ
勝ちました




・ ・




そうですか

この絵
きれいな絵ですね
どこの風景ですかね?



〇〇〇〇〇あたりでしょう




そうですか
それでは失礼します
おっと
詐欺師は「という事で」と言っては話を終わらせるのが常だ
でもね
「という事は」人ごとなんです
自分の事ではないみたいな言い方をするんです
でもやっぱり自分の事なんですよ
おかしいですよね
遠く離れたところで物事が起きているような言い方をするんです
責任の所在から逃れようとする
自分の事なのにね・・


信じるってやっぱり
どこまで信じるのかが一番大切な事でしょうね
それによってね
行いも変わってしまうんです
まあ、狂信盲信という言葉もありまして
本人にとっては幸せだという事になれば、余計な口出しは禁物ですけどね
ちょっとだけ注意してあげてもいいように思えるんですが



・ ・ ・




信じる時、人は一人である
信じるか信じないかの境目に立つ時、人は誰の助けも借りずにその事と向き合わなければならない
数多くの客観的意見はあくまで参考程度にしかならない
信じようとするものに直接会って確かめる以外に方法はない

信じるとは崇高な意味合いをもつ美しい言葉である
確かなるものに出会い、信じる事のできた者は幸せである

「信」 雑談的な会話を横目で見ながら、それでも尚あなたは

「信」 雑談的な会話を横目で見ながら、それでも尚あなたは

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2025-10-15

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