LOGOS BOX in a MESS!! ためし読み
オンライン即売会サービス「ピクリエ」内で2025/11/1~11/2に開催される「紙本祭7」に「ハチナナ企画」で参加します。
販売するエッセイ(?)本のためし読みです。
・ささる、さす、さされる、ささって・
いわゆる若者ことばなのかインターネット上の流行なのかは分からないが(そもそもここの距離が近いというのはありそう)、刺激的・推せる・他の人にもすすめたい魅力がある・効果的などのニュアンスで「刺さる」と言うのをよく聞くようになった。
「刺さる」は、痛みを伴う動作を表す。本来の意味は「鋭くとがったものを突き入れる、突き通す」という意味だが、「心や鼻、舌などを強く刺激する」「鋭い皮肉などを意地悪く言う」場合もあるそうだ。まさにちくちくことばである。
しかしナウい「刺さる」はちくちくした風には使われていないよね~と感じる。もっとポジティブな感じがする。「ヤバい」も「最高」の意味で使われることがあるので、こうした使い方は若者ことば? 流行りことば? によくある現象なのだと思う。『研究者の父、大学生の娘に若者言葉を学ぶ』では、「やばい」のように元々ネガティブな意味を持つことばの使われ方の変化の様子を、次の第1期~第4期の段階で説明している。
否定的な意味のことばが(1期)、強いインパクトを表すようになり(2期)、多用され(3期)、世代をこえて安定的に使われる段階に達する(4期)、というものだ。なお「やばい」のほか、「えぐい」も例に挙げられている。
「刺さる」は動詞の分類でいうと自動詞であり、対になる他動詞は「刺す」である。
刺さるが流行している一方、「刺す」は同じように流行ってはいないようだ。というかまだ一つも見たことがない。「誰かに刺さる作品を作りたい」といったキャッチコピーはありそうな感じがするが、「誰かを刺す作品を作りたい」と掲げているものを、少なくともこれまで目にしたことがない。
なぜこの二つは、使われ方に違いがあるのだろう。
非っ常に感覚的だが、ここに自動詞と他動詞の「らしさ」が表れている気がする。
自動詞と他動詞の異なりは、次のように考えられると思う。
まず自動詞は、対象物(目的語)を必ずしも必要としない動詞のタイプだ。「ドアが開く」は、これだけで自然な文章になる。目的語が必須ではないことから、その動作に自分は積極的には介入していない、おのずとその状態が発生した、という自然発生的なニュアンスや動作主のあいまいさが生まれる。これを「(何らかの作品が自分の心に自然と)刺さる」は上手くつかんでいるのだろうと思う。
一方、他動詞は基本的に目的語を必要とする動詞のタイプだ。「(私が)ドアを開ける」というように、「〇〇を」という目的語=動作を受ける要素が必要になる(話しことばでは「私が開けるよ」と目的語を省略することもできるが、一般的には、ということで)。目的語があることにより、動作主(自分)が働きかけるニュアンスや、動作そのものに着目している感じが出やすくなる気がする。
これを踏まえて、もう一度「刺す」を見てみよう。
他動詞「刺す」には、基本的に目的語=「刺される対象」が必要だ。となると、ここに意図的に誰か(何か)を傷つけるイメージが生まれてしまうのではないだろうか。
刺す、にしても刺さる、にしても、流行りのポジティブな意味、心に響いた・衝撃や感銘を受けた、という基本の意味が大きく変わらないのなら、同じ頻度で使われても良さそうなのに、と不思議に思っていたのだが、自他の異なりという部分に、使用頻度(使いやすさ)の差の理由があるのかもしれない。
仮に人や物を攻撃したいと思っていたとしても、それを外に発信したり実行に移したりないのが社会的というか、倫理に沿った人間の行動だと思われる。
誰かに「刺さる」作品でバズるチャンスを狙っている人も、「うおぉ! このイラストを見てくれる人たちを刺したいぜ!」と言うことは(ほぼ)ない(ように思われる)のは、その意識によるものだろう。作品を発信する側だけでなく、受け取る側も「このマンガ刺さったんだよね」と話しこそすれ、「このマンガに刺されちゃったんだよね」とは話さないのではないだろうか。
「刺す」は痛みを連想させ、なんだかネガティブなイメージが強い動詞に思える。このイメージは、ナウい「刺さる」が持つ肯定的なニュアンス、ポジティブさと衝突してしまうのだと思われる。
また「刺さる」には「効果的」の意味もあるようだ、と冒頭で述べた。これはダーツを思い浮かべてほしい。目標のある一点に対して力が真っすぐ素早く伝わるイメージだ。
「有効成分が直接届いて早く効く!」のような宣伝が医薬品のCMで流れることがあるが、それと似た使い方として「〇〇の症状には△△の効果がかなり刺さる!」といった言い回しもありそうな気がしてくる。
実際、この意味で「刺さる」を使う動画配信者はそれなりにいるようだ(ゲーム実況とか)。自分が相手に対してとった行動や戦略に即効性があること、目に見える結果が出やすいことが「刺さる」の動きと結びついているのかもしれない。
若者世代が多く接しているだろうSNSや動画投稿サイトといった、個々人の心の距離が近く、タイパ重視な場での交流が、オーバーぎみな表現や感覚的な表現の多様化に一役買っている、と考えるのは行きすぎだろうか。コミュニケーションのかたちが変われば、ことばも変わるものである。
〈参考〉
・日本国語大辞典 日本国語大辞典第二版編集委員会 小学館国語辞典編集部 小学館 2001
・研究者の父、大学生の娘に若者言葉を学ぶ 言語学者も知らない謎な日本語 石黒圭 石黒愛 教育評論社 2024
・プリズムパワー、封印解除、レッツ変身!・
幼少期に変身少女に憧れて、今でもアニメをたまに見るけれど、たいてい主人公の女の子の隣には、変身をサポートしたり一緒に暮らしたりする等身が低めのキャラクターがいる(二頭身。ゆるキャラしかり、二頭身はかわいい)。某プリティでキュアキュアな変身少女の相棒になる妖精さん(便宜的に統一してこう呼ぶ)は、語尾に「メポ」とか「プル」をつけて話すが、これは一体いつから存在する表現なのだろう。
記憶にある限り、ルナもアルテミスもうさぎちゃんたちと同じような喋り方をしていた。ケロちゃんは関西訛りっぽい喋り方だったがスピネルは共通語で会話していた。どれみちゃんたちの妖精はポケモンちっくな話し方だったように思う。
プリキュアが妖精喋りのパイオニアで、妖精らしい喋り方のスタンダードがあれだと私は認識するようになったのだろうか。
話は少しずれるが、現実の動物に対するアテレコにも、こうした表現が多く使われているように思う。
バラエティ番組などで犬や猫に人間がアテレコをすると、高確率で語尾に「ワン、ニャン」がつく。小鳥には「ピヨ」がつく。分かりやすくする効果もあるのだろうが、同時にかわいさを高める効果を狙って、ああいう表現がなされているのではないか。
語尾に採用されるのは大半がその動物の鳴き声だ。人間が鳴き声を知っているというより、鳴き声がどう文字や声で表されるのかを知っている場合には、それらが語尾になるともいえる。
では、マニアックな鳴き声はどうなっているか。
まず思いつくのは「名前の一部が語尾になる」パターンだ。ハムスターなら「~ハム」、タヌキなら「~タヌ」、ゾウなら「~ゾウ」。妖精さんの喋り方もここに当てはまる。
いやゾウの鳴き声はパオーンで多くの人が知っている、とも思うが、「~パオン」は語呂が悪い。語尾は二音の方がすわりがいいように感じるのは、私だけではないはず。それと、共通語的な表現にも某春日部市民の五歳児が使うような「~だぞ」があるため、これとの音の近さで「〜ゾウ」パターンが採用されている気もする。カバオくんたちは共通語なのにちびぞうくんだけ「~だぞ」だし。
ちなみに「だなも」は名古屋の方言だとインターネットが言っていたのですが本当ですか? おいでよしたりとびだしたりする森のタヌキは名古屋出身なのだろうか。
二つ目のパターンは「特徴を語尾にする」パターンである。
例えばウサギの語尾は「~ウサ」ではなく「~ピョン」の方が採用率が高いのではないか。これはウサギをイメージしてまず思い浮かべるのが、鳴き声ではなく「はねる」動作、すなわちウサギの特徴だからではないかと思う。
語尾ではないが、オオカミもそうだ。遠吠えの表現を、私たちは映像やマンガなどで一応知ることができるが、「~アオーン」はすわりが悪いと思う。
それよりも、吠えている場面があったり単語のチョイスがワルっぽい感じだったり、「~だぜ」といった荒々しい語尾が共通語に足されている方が、オオカミらしさが伝わってくる感じがしないだろうか(オオカミが荒くれものというのも、なかなかステレオタイプな気はするけれど)。また、体が大きい動物がゆっくり喋るというのも、身体的な特徴を話し方に反映させたものといえるだろう。
妖精さんの語尾に話を戻すと、こうした表現は『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』において「キャラ語尾」と呼ばれている。
役割語とは博士やご老人のキャラクターが「~じゃ」と喋ったり、お嬢様のキャラクターが「~だわ、でしてよ」と喋ったりすることばの特徴のことである。天馬博士はお茶の水博士とは違って「博士語」を喋らないが、それはそれで彼のキャラクターを際立たせているように思う。オーキドさんは使うけどウツギさんは使わなかったりね。
『ヴァーチャル日本語~』では、キャラ語尾について、「近年の子供向けアニメーションに多くみられるタイプとして、一定の語尾を発話の終わりに付加するものがある」「キャラ語尾は、宇宙人、妖精、ロボット等、人間ならざる存在を容易に特徴づけることができるので、児童マンガに活用されるのである」と説明されている。
なるほど、と読みつつ、私は頭の中で丼もの三人衆を思い浮かべていた。
アンパンマンのなかまであるどんぶりマントリオをご存知だろうか。てんどんまん、カツドンマン、かまめしどんで構成された三人組の呼称である。彼らはその中身(?)に合わせた喋り方をするのだが、これも役割語やキャラ語尾の例といえるだろう。
江戸が発祥ともいわれる天丼が中身なら「〜ざんす」が語尾の陽気なキャラクター、カツという洋風ちっくな食べ物が中身なら一人称は「ミー」で英語混じりの喋り方をするハイカラなキャラクター、純和風な釜めしが中身ならいわゆる田舎者口調の正直者、というように、見事に喋り方によってキャラ分けされている(フィクションにおける地方出身者らしい喋り方としてよくU字工事っぽい口調を耳にすることがあるのだが、かまめしどんは南東北ぽい訛りだな……と聞くたびに思う。私の願望かもしれないし、レジェンドな中の人のワザかもしれない。また、ドラゴンボールのチチやかいけつゾロリのイシシ・ノシシもこの系統の喋り方だと思うのだが、それぞれ方言のリアル度というか、役割語らしさが異なっているように感じられて興味深い)。
三人衆が歌う「いけいけ! どんぶりマントリオ」はやかましくて元気が出る好きな曲だが、カツドンマンのキャラソン「DO YOU KNOW ? カツドン」も非常にお洒落でクセになる曲である。聞いたことがなければぜひ。
しかし、うさぎちゃんやさくらちゃんの相棒がキャラ語尾を使わないのに、なぎさちゃんとほのかちゃんの相棒は使う、という、この違いはどこにあるのだろう。アニメが作られた時期? 九十年代とその後の世代の差? 十年くらいでトレンドが変わったのだろうか。流行りの絵柄もストーリーも声優さんも全然違ってくるからね……。
『ヴァーチャル日本語~』では、キャラ語尾の例としてFFのモーグリが挙げられていたのだが、アニメにとどまらず、マンガやゲームの中でキャラ語尾が増え始めた時期が明確にあるのかもしれない。二次元コンテンツの総量が明らかに増えた時期、とかね。
こうした、比較的新しいことばの使われ方を追っていくのも楽しそうだ(いわゆるインターネット上のことばは初出を探したりログを追ったりするのが難しいらしいのだが、ゲームやマンガ限定なら比較的探しやすそうな気がしませんか? あくまでも比較的)。
〈参考〉
・〈役割語〉小辞典 金水敏(編)研究社 2014
・ヴァーチャル日本語 役割語の謎 金水敏 岩波現代文庫 岩波書店 2023
LOGOS BOX in a MESS!! ためし読み