LOGOS BOX in a MESS!! ためし読み
・ささる、さす、さされる、ささって・
いわゆる若者ことばなのかインターネット上の流行なのかは分からないが(そもそもここの距離が近いというのはありそう)、刺激的・推せる・他の人にもすすめたい魅力がある・効果的などのニュアンスで「刺さる」と言うのをよく聞くようになった。
「刺さる」は、痛みを伴う動作を表す。
本来の意味は「鋭くとがったものを突き入れる、突き通す」という意味だが、「心や鼻、舌などを強く刺激する」「鋭い皮肉などを意地悪く言う」場合もあるそうだ。まさにちくちくことばである。
しかしナウい「刺さる」はちくちくした風には使われていないよね~と感じる。もっとポジティブな感じがする。
「ヤバい」も「最高」の意味で使われることがあるので、こうした使い方は若者ことば? 流行りことば? によくある現象なのだと思う。
『研究者の父、大学生の娘に若者言葉を学ぶ』では、「やばい」のように元々ネガティブな意味を持つことばの使われ方の変化の様子を、次の第1期~第4期の段階で説明している。
否定的な意味のことばが(1期)、強いインパクトを表すようになり(2期)、多用され(3期)、世代をこえて安定的に使われる段階に達する(4期)、というものだ。なお「やばい」のほか、「えぐい」も例に挙げられている。
「刺さる」は動詞の分類でいうと自動詞であり、対になる他動詞は「刺す」である。
刺さるが流行している一方、「刺す」は同じように流行ってはいないようだ。というかまだ一つも見たことがない。
「誰かに刺さる作品を作りたい」といったキャッチコピーはありそうな感じがするが、「誰かを刺す作品を作りたい」と掲げているものを、少なくともこれまで目にしたことがない。
なぜこの二つは、使われ方に違いがあるのだろう。
非っ常に感覚的だが、ここに自動詞と他動詞の「らしさ」が表れている気がする。
自動詞と他動詞の異なりは、次のように考えられると思う。
まず自動詞は、対象物(目的語)を必ずしも必要としない動詞のタイプだ。「ドアが開く」は、これだけで自然な文章になる。目的語が必須ではないことから、その動作に自分は積極的には介入していない、おのずとその状態が発生した、という自然発生的なニュアンスや動作主のあいまいさが生まれる。これを「(何らかの作品が自分の心に自然と)刺さる」は上手くつかんでいるのだろうと思う。
一方、他動詞は基本的に目的語を必要とする動詞のタイプだ。「(私が)ドアを開ける」というように、「〇〇を」という目的語=動作を受ける要素が必要になる(話しことばでは「私が開けるよ」と目的語を省略することもできるが、一般的には、ということで)。目的語があることにより、動作主(自分)が働きかけるニュアンスや、動作そのものに着目している感じが出やすくなる気がする。
これを踏まえて、もう一度「刺す」を見てみよう。
他動詞「刺す」には、基本的に目的語=「刺される対象」が必要だ。となると、ここに意図的に誰か(何か)を傷つけるイメージが生まれてしまうのではないだろうか。
刺す、にしても刺さる、にしても、流行りのポジティブな意味、心に響いた・衝撃や感銘を受けた、という基本の意味が大きく変わらないのなら、同じ頻度で使われても良さそうなのに、と不思議に思っていたのだが、自他の異なりという部分に、使用頻度(使いやすさ)の差の理由があるのかもしれない。
仮に人や物を攻撃したいと思っていたとしても、それを外に発信したり実行に移したりないのが社会的というか、倫理に沿った人間の行動だと思われる。
誰かに「刺さる」作品でバズるチャンスを狙っている人も、「うおぉ! このイラストを見てくれる人たちを刺したいぜ!」と言うことは(ほぼ)ない(ように思われる)のは、その意識によるものだろう。作品を発信する側だけでなく、受け取る側も「このマンガ刺さったんだよね」と話しこそすれ、「このマンガに刺されちゃったんだよね」とは話さないのではないだろうか。
「刺す」は痛みを連想させ、なんだかネガティブなイメージが強い動詞に思える。このイメージは、ナウい「刺さる」が持つ肯定的なニュアンス、ポジティブさと衝突してしまうのだと思われる。
また「刺さる」には「効果的」の意味もあるようだ、と冒頭で述べた。これはダーツを思い浮かべてほしい。目標のある一点に対して力が真っすぐ素早く伝わるイメージだ。
「有効成分が直接届いて早く効く!」のような宣伝が医薬品のCMで流れることがあるが、それと似た使い方として「〇〇の症状には△△の効果がかなり刺さる!」といった言い回しもありそうな気がしてくる。
実際、この意味で「刺さる」を使う動画配信者はそれなりにいるようだ(ゲーム実況とか)。自分が相手に対してとった行動や戦略に即効性があること、目に見える結果が出やすいことが「刺さる」の動きと結びついているのかもしれない。
若者世代が多く接しているだろうSNSや動画投稿サイトといった、個々人の心の距離が近く、タイパ重視な場での交流が、オーバーぎみな表現や感覚的な表現の多様化に一役買っている、と考えるのは行きすぎだろうか。コミュニケーションのかたちが変われば、ことばも変わるものである。
〈参考〉
・日本国語大辞典 日本国語大辞典第二版編集委員会 小学館国語辞典編集部 小学館 2001
・研究者の父、大学生の娘に若者言葉を学ぶ 言語学者も知らない謎な日本語 石黒圭 石黒愛 教育評論社 2024
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