舞台『ここが海』レビュー
誤字を修正し、また内容を大幅に修正しました(2025年10月11日現在)。
一
あらすじは以下の通りです。
友理と岳人は夫婦。共にライターをしていて、取材先のホテルに長期滞在しながら各地を転々する生活を送っています。一人娘の真琴もこれに同行中。不登校になってからはオンラインで授業を受けており、真面目な学生をしながら両親と一緒にスキューバダイビングなどのレジャーを各地で楽しんだりしている。各々の現状が噛み合った形で安定した暮らしを送る三人。そんな中、誕生日を迎えた友理が岳人に対して「性別を変えたい」と告白することで舞台の幕は開けます。
本邦では同性婚が認められていません。なので、友理の望みを叶えるには岳人との離婚が不可避です。それは戸籍上の話でしょ?生活は今まで通りできるじゃない?友理の意思を受けて岳人が口にする今後の話は、けれど表情ひとつ変えない友理が発する言葉に突き放され、寄る辺なく彷徨うばかりに。①夫婦であった二人、②それぞれの親子関係、③三人で作る家族、④それを単位に成り立つ社会と切り分けられる場面が積み重なり、そうしてやっと迎えられるラスト。
ひとつの家族の小さな物語で、ずっと遠くの未来を問う。『ここが海』はそういう舞台です。
二
演技についていえば、先ず友理の告白に対して岳人が見せる反応が非常に印象的でした。
舞台の序盤、友理の告白を聞いて岳人は散弾銃のように言葉を吐き出しますが、それは激しく動揺する彼の内面を表すのと同時に、ライターとして得た知識をクッションのように敷き詰め、破綻の結末を回避しようと努める柔軟さの現れになっていて、静かなドラマの起伏と物語の基本線を自然と提示する導入を果たしていました。
一般的に、その場を取り繕うのは消極的な行為選択に思えるものですが、岳人に関してはとても建設的な振舞いに転化します。友理が「離婚後の別れ」を仕切りに口にしても、先のことは分からないからと答えてその日、その日を共に過ごす。肉体的には勿論、精神的にも岳人と離れがちになる友理との間の距離感を探るのを止めない。正直に記せば、岳人のそんな様子に「彼は何でそこまでできるんだろう?」って懐疑的な思いを抱きましたし、「いつその本心を爆発させるんだろう?」と劇的な展開を密かに期待しました。
そんな下卑た目線がひっくり返ったシーンは僅か数秒の感情演技で、序盤からずっと貫き続けていた彼の意思を想像させる確かな演出。愛だとか、恋だとか彼の動機について働かせる定型的な推測を軽く吹き飛ばし、終幕を迎える舞台の色すらがらりと変える。仕掛けられたフックとしては余りにも俊逸で、横っ面を思いっきりぶん殴られた気分に。そこから続くラストの場面も、岳人が何気なく発した台詞に対して見せる友理の反応が息を呑むほどの素晴らしさで、バトンタッチするような名演の交差に観客の一人として圧倒されるばかりでした。
三
友理については自分らしく生きるという選択をしてからその服装や声、振る舞いを自認する性に沿って表現し、納得する人生を歩んでいるように見える一方、舞台上で遭遇する事態にひとり硬直する瞬間をよく目撃してしまいます。
例えば「僕たちは大丈夫だよ」と岳人が友理に励ましの言葉を送る場面。その態度が何も考えていない無責任なものに思えたのか、荒げた声で返す言葉に誰よりも傷付いた様子でぐっと黙り込んだり、あるいは叱り飛ばした真琴が信じられないような反抗的な態度を見せた時、言われてもいない「私が性別を変えたから?」という疑問を頭でも、心でも重く受け止めるような立ち姿を露わにしたりする。
そんな様子を見てしまうと、岳人のそれと変わらない服装が戦うために装備した鎧のように感じられることも少なくなく、何かをしようとする度に社会や世間といった第三の存在に身構えるのも息苦しくなるぐらいに不自由で、見ていて悲しくなるばかりでした。物語も終盤を迎えようというのに、友理の救いになるようなものがどこにも見当たらない。天を仰ぐ、という言葉を友理を通して痛いほど実感してしまう。
そんな絶望に、岳人が無自覚に飛び込んでくるんです。真琴も一緒に。家族として。
真琴のための日です。元々仲が良かった三人ですから、冗談の言い合いの延長線上で、岳人は自然に「その台詞」を口にします。それが意味することに鋭く反応しない友理じゃありません。本当にそうなるのか分からない、そうならない方が現実的だと直観してしまうぐらい、夢のような話です。中身がない口約束のような器。手を離せばいとも容易く割れるでしょう。
けれど、そこに注ぎ込めるものが本舞台には沢山あるんですよね。上がった幕が下りるまで、恐らくは下りた後も三人の間で続けられるであろう会話、それに費やせる時間。近しい距離で戯れ合って、笑い合って、また笑い合える場所。
「彼らならできる」と思えるなら、「私たちにもできる」にはならないだろうか。性の同一性に苦しむ友理だけでなく、告白を受ける側の立場の方に比重を置く物語は、社会的な問題を文化的に消費するような暴力を回避し、できる限りの当事者感覚を呼び起こすために全力を尽くして舞台を、物語を作っていきます。
四
総論的な感想を綴れば、私の観劇経験が少ないからか、透明化は嫌だと言う岳人が友理に向けて絶やさなかった言葉を観客席で追いながら頭フル回転で情報を処理する大変さがありました。けれど、観終わってからもフラッシュバックのように思い出せる各場面、そこにおけるやり取りを反芻する度に広がる演技の味わい、実感する物語のクオリティは他作品では得られない体験。その余韻は、終わってからも続く舞台と言っても過言じゃないほどです。
真琴を演じる中田青渚さんの無邪気さ、橋本淳さんが演じる岳人の有り難さ、凄さ、そして本舞台の命といえる友理に寄り添い続ける黒木華さんの覚悟が噛み合って生まれる家族の軌跡に込められたメッセージの射程は驚くほど広く、なんとなくで形成される生活実感から社会規範としての常識又は民法その他の法律の諸問題をステージに乗せ、その重大性に警鐘を鳴らします。壁にぶち当たる度に岳人や友理が見せる懊悩を目にしては何度も腕を組み直し、考え込む。三人が下らないやり取りをしている時にだけ、本当に幸せな時間が流れるのは寂しくてやり切れない思いに駆られてしまう。持って帰るべきものが多い点で、優れた社会派の作品ともいえるでしょう。そういう意味では本舞台を一人でも多くの方に観て欲しいと強く思います。会場は三軒茶屋にあるシアタートラム、会期は明日の12日まで。ギリギリの日程なので、もしかしたら当日券も出ないかもしれませんが、数少ないチャンスを伺う価値はあります。興味がある方は是非。『ここが海』激推しです。
舞台『ここが海』レビュー