
百合の君(78)
珊瑚は初めて軍議に呼ばれた。父の前に出たとき、彼はわが目を疑った。顔は土にまみれ、髪は焼けた木のように乾いて生気がなかった。
それまでの興奮が一瞬で醒めた。以前会ったときは、石でできた像のように侵しがたい均衡がその顔にはあったはずだ。
着座するまでのわずかな間に、珊瑚は『正巻四季図』を思い出した。花村清道が若い頃、貧家に野草を書き添えて芸術と現実の対立に悩む以前に描いたその作品は、作者の才能を誇示するかのように調和のとれた構図で、不自然なまでに完璧だった。しかし、それとて石でできているわけではない。所詮、紙に垂れた絵の具に過ぎないのだ。だから火事で焼けてしまった。
珊瑚は、出海に戻ったことを少し後悔した。父の膝に座る弟だけが異様な明るさを放っていて、不知火のように不吉の前触れに見えた。
これではいけない、と珊瑚は思った。自分は喜林珊瑚なのではない、出海珊瑚なのだ。その時、珊瑚は自分を出海へと惹きつけたのは、父ではなく母だったことをすっかり忘れていた。
春だというのに、城の中は薄暗かった。父はやたらと長い咳をした後、充血した目で一同を眺めまわした。
「我々の調べたところ、お山の火事は御薪による失火ではなく、喜林の放火だということが判明した。あやつは我らにその責任をなすりつけ、滅ぼそうというのだ」
誰も何も言わなかった。皆、まるで他人事のように静寂に耳を傾けている。珊瑚の若さは、自分たちの糞に群がる蝿を見ないようにしているその雰囲気に無関心でいさせた。ただ、父の憔悴した面持ちから、決死の戦いが始まろうとしているのだということだけをくみ取った。
「古実鳴に討伐の軍を送る」
心の中に、冷たい寒天のようなものが滑り落ちて固まった。彼はただうつむいて、甲冑の草摺を見ていた。
「次の戦には白浜も出陣する。珊瑚、そなたは先鋒に立ち、その力を見せつけよ」
さすがに珊瑚は顔を上げた。浪親は視線に気づいたのか、鼻で笑った。
「白浜を大将にしようというのではない。次の総大将たるべきそなたの力を見せてみよというだけのことだ」
相槌を打つかのように、弟が父の膝であばあば言った。その声は、珊瑚にとっては崖だった。急に真後ろに高い崖ができてしまって、退くことを許さない。
「かしこまりました。この出海珊瑚、命に代えてでも将軍のご期待に応えて見せましょう」
珊瑚が威儀を正し頭を下げると、浪親は満足そうに頷いた。家臣たちが先ほどまで父に向けていた視線、見ないようにしている目を自分にも向けているのに気づき、珊瑚はやっと自分の発言に満足した。珊瑚は、喜林の言葉を思い出した。
「人は自分と違うものを嫌う。私と同じ赤い目をしたそなたは、その力を見せつけねば誰からも認められない」
珊瑚は父と弟の目を見比べた。二人とも、炭の上に落とした水のように黒かった。
軍議が終わると、ひとりの老臣に話しかけられた。目の下のシミが醜かった。笑ってしわができると、さらにひどくなった。
「大丈夫、喜林とて自らのお子を手にかけようなどとは思いますまい。将軍は、珊瑚さまを盾にして出海を守ろうとおっしゃっているのですよ」
もし自分が将軍になったら、と珊瑚は思った。こんな老人はすぐに城から追い出そう。
百合の君(78)