『短編集』

よるをあるく。

夜を歩いた。
目指すは僕のかみさまだ。
とりあえずこの街でちからをもつとされる、とある神社へ行ってみる。
歩いて30分ほど。


その神社は街のお祭りを司る。
昔、この街を開拓した人びとを慰霊し祀っている。
その場所になにかあるのではないかと僕は思った。
街を見届けるかみさまはこの街の夜闇も真昼の顔もなんでも知っているのではないかと。



クロックスを履きポケットも無いくたびれた部屋着のままワンルームのキーだけ持って僕はふらりと街に出た。
静かな街でも人びとは、いる。
自転車通り過ぎる部活帰りの学生たちの、日常他愛ない会話が僕の耳をよぎって消えた。


残暑でも初秋の気配をまとう街のなか。
街の片隅ひとりごとをぶつぶつと唱える男の手にはコンビニエンスストアの酎ハイ。
なんだかその鬱憤に親しみを覚えて笑ってしまう。



街灯橙色の下を通り抜ける。
こじんまりとした森に近づくと熊よけの鈴や懐中電灯を灯した男女2人組とすれ違う。
着の身着のままの僕に心配そうに視線をおくる彼らに僕は曖昧に会釈し、先を急ぐ。


神社の鳥居をくぐる。
ずっと前。
真昼間に来たときはひやりとした静謐な空気感に心を撫でられた。
今はなんだか笑えないくらいありのまま。


かみさまが通るという真ん中を避け砂利道を歩く。
手水鉢で手を洗い、真白い階段を上がる。
夏祭りの日は手水鉢の水面に紫陽花が生けられていた。


ちいさな龍が口から水を弧を描くよう吐く。
龍の目は紫が少し赤みがかった硝子玉。
模造品に僕は問いかけたいとも思わない。
おみくじが結ばれ冬の花のように咲く梅や桜の木々を尻目に僕は行く。



神社には誰も居なかった。
それでも本堂は開け放たれてライトが光り、中の様子がかいま見える。
光り輝く丸い鏡面はなにかを映し出している。
遠い歴史か、見えるはずと願われた未知か。


お賽銭は無いけれど祈ろう。
僕はそう思い鈴を鳴らしかみさまを呼ぶ。
しかし呼んだのはこの街にずうっと住む、かみさまだ。
僕のかみさまではなかった。
神社の聖域に入ったとき僕にはそのことがよく身体じゅうで感じられた。



ともあれ二礼二拍手一礼。
夜にいきなり無料で呼び出したんだ。
礼を尽くさねば罰当たりだ。


願いなんて無い。
この夜の礼を述べるくらい。
僕のかみさまはここにはいなかった。
その報告を聴いてくれた。
もしかしたらこの街のかみさまは、街に住む人びとのちょっとしたこんな報告をひっそり聴き続けてきたのかもしれない。
なんだか有り難い。
ずうっと街を見てきたかみさま。


僕は階段を降り砂利道の端を歩き、なんだか清々しいきもちで神社をあとにした。
僕のかみさまは確かにいなかった。
けれどもこの街のかみさまはいる。
僕たちを見届けている。
不思議だ。


神社から出て自宅へ戻る。
帰り道、スマートフォンの灯りをつけたまま何処かへ走り去る小学校高学年くらいのちいさな子供を見た。
静かな街に響くかけていく高い足音。


月明かりや星々よりも現代の僕たちには街灯や家灯り、手元にはいつもスマートフォンという文明が身近に存在している。
当たり前が時代により変わっていく。
皆、心のどこかにかみさまを求めているのに、かみさまを知らない。
知ろうとしない。



僕だけは今、何も持たない。
ワンルームのキーだけ手の中。
自宅につけばベランダから月と星、部屋に戻れば部屋灯りとスマートフォンが起動する。
何からも自由ではないからこそ、夜の街行く今だけ僕はふわふわと空中散歩をする。


僕のかみさまを探して。

まひるをおよぐ。

宇宙色のスマートフォンカメラを空に向ける。
どこへも繋がらないはずなのに、だれかへ届けるみたいに。
私なりの、海原を漂うボトルメッセージ。
必ずしもなにかを伝えたい理由はない。
それでも私はこの地にたよりなげにも立ちつくしていた。



今日の空。広がり遠い青い空だ。
小鳥や蝶は道端の植物たちと優しくたわむれている。
ゆるやかな風によりたなびく雲間から、陽光は鋭いまなざしを向ける。


私はちいさな目を細めた。
街なか立ち止まり見上げる先。
太陽を横目にスマートフォンを空と電信柱へピントを合わせシャッターを切る。


日陰で画像を確かめる。
青空に磔にされた、か細い電信柱が生まれていた。
混線した細かな電線が磔刑のように電信柱に巻きつき青空へとのびている。
長閑な田舎の大空にこの電信柱は縛りつけられている。
そう視えるのは私がこの土地に重力のごとく強くひきつけられているからなのか。


私はしばらくこの土地に居るけれど、もともとこの土地の生まれではない。
ただ父の生家があった。
そして父は職業がら転勤族だった。
あちこち行き、別れ、辿り着いた。


初秋真昼間の光はもう少し穏やかでも良いはずなのに私の目にはまだ陽射し強く感じられる。
それでもやはり秋の音はしているのだ。
残暑厳しい国だけれどこの土地に漂う空気感はもう、ひやり肌冷たい。



私の宇宙色のスマートフォンはどこへも繋がらない。
インターネットも電話も連絡先も。
カメラ機能だけは生き延びた。


この土地の真昼は空間があくびをして微睡んでいる。
私はその空間の波間を背泳ぎするようスマートフォンを手に歩き出す。
空に浮かぶものは太陽や雲たちだけではなく、鳥の群れや植物の伸びた葉、花弁の先、昆虫の飛翔の影、電信柱にまとわりつく電線などだった。



今日は田舎の覚めるような青空と磔刑にされた、か細い電信柱が私の掌の宇宙におさめられた。
私と双生児のごとく似かよう景色。


もしもだれかにこの一葉が届いたなら私はなんて言おう。
私の名前よりも私自身を語る、この。
ボトルメッセージは今日も私の心に無事に漂着する。


あなたへ届かず。

オセロ。

きみのおとしものが落ちている。
今日は虹色の羽根。
昨日は真珠の髪飾り。
おとといは香水のボトル瓶。
きみをあらわしているから、俺には理解る。
街の道片隅にそっと置かれた。



きみのわすれものだって街には落ちている。
今日は無感情のハンカチーフ。
昨日は、花が咲い出したいようなポストカード。
おとといは空色ライター。
きみのかつての泣き顔に似合わないものばかり。
きみが去り際想い出の旅行鞄に、詰め忘れたのだろう。



この街にはきみのいろいろなおとしもの、わすれものが落ちている。
有象無象の事象から、滲むようそれらは浮き上がる。
俺には理解る。


きみは街からもう消えてしばらく経っていた。
あのころきみは俺に静かに言った。
大切なものだけきちんと持っていきたいの、と。
溢れ出すアルバムが多過ぎるね。
俺がそう言葉にするときみは微笑んで返す。
そう、だからきっと街中にわたしがいるわ。



俺には理解る。
きみのおとしものはきみの鏡。
きみのわすれものはきみの影。
真冬きらめく電飾の光にも、春ひなた浮かぶ桜にも、初夏耳に流れる潮風にも、秋踏みしめる落葉の掠れ音にも、きみはいる。
理解っている。



俺は街の四季を歩くたび、なにか見つけるたび。
きみという空白を想い出す。
あらゆるものを掻き集めても絶対にきみにならないことを心に確かめる。
理解るというフレーズが唇のなかゆっくり温度を失っていく。
その舌触りを俺は一生嘲笑えない。



きみはなにもかもを遺して消えた。
街には今、きみの上澄みがたくさんいる。
街に張り巡らせたきみの合図はきみの不在をリフレインする。
俺はもうきみしか見えない。
そのことが幸運なのか不運なのか俺は知らない。



きみの明日のおとしもの。
臙脂色のしおり。
きみの明日のわすれもの。
金の飾りボタン。
街が夢を見ている。
きみがいる夢。


俺は目を開いて街を見る。
きみのクレーターを痛みとして感じる。
理解る。
俺は正しい。
けれどもしも世界にとって街が正しいのなら、俺は。


夕闇目の端を揺れる残像。
きみだらけの街並み、きみはいない。

つなぐピアニッシモ。


水をうったような静けさのしずくが、わたしのこころの湖にことんと降り落ちた。
そのひとの存在が鳴った。


刻一刻と変わるものどものなか、そのひとのまなざしだけ周囲からあぶくみたく浮きあがる。
浮きあがるあぶくをわたしは目で受けとる。
ああそうか、変わらないのだと思った。
本当に大切なことは何一つ。
深く安堵する。


わたしは心の湖底の柔らかな色彩の花園へ、静けさのしずくを次々と雨降らせた。
その存在をひっそりと手抱え護るため。
あれから幾年も時が過ぎた。
変わりゆくかたちは当たり前。
変わらなかった時代というものも無い。


それでもそのひとのまなざしにかつて見てしまった静謐をわたしは好ましいと感じる。
存在の合図はどうしてこんなにも優しく心内、音色を響かせるのだろう。



遠いようで身近な温もりというものはなにかを愚直に信じる経験のあるものだけにしかわからないかもしれない。


御守りの中身がなんであるかをわざわざ調べ暴き知ろうとしなくてもそこに自分自身の安寧が在るのだと単純に信じることができる心の動きに近い。
わたしはわたしの湖底の花園に沈むそのひとの静かなまなざしをいまだ素直に信じているから、また見つけられ出会えた。


店内のなか喧騒の氾濫をものともせずそのひとは静けさ帯びるまなざしをたずさえたまま、その背中はまた遠くひかりの暦へ去っていく。


わたしと、刻一刻と変わるものどもがこの場所に厳然と置いていかれた。
足もとの現実感がよみがえる。
わたしはそのことを哀しい寂しいとは思わなかった。
そのひとはわたしにとってずっとそういうひとだったから。
ゆらぐ背中と静けさ含むまなざしを見せて何も残さずその場から、ふらり飛び立つ。



わたしの湖の底には楽園がある。
その心象風景、楽園の花園に雨のしずくが降る。
わたしがそのひとにまた出会えたから。


雨があがればそよ風に花吹雪舞う花園に虹がかかる。
あなたはまるで虹を呼ぶ鳥だ。
わたしは微笑む。
変わるそのひとと変わらない、そのひと。
どちらであっても。

『短編集』

『短編集』

小説家になろうで、夕さり名義で書いた小説を多少書き直して転載中です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. よるをあるく。
  2. まひるをおよぐ。
  3. オセロ。
  4. つなぐピアニッシモ。