蹉跌の月

蹉跌の月

1・朔望

 ぱきっ、と乾いた音がした。
 耳に入った音、ではない。
 体の中、直接脳に届いた小さな音。

弥依(みい)ちゃん!どうしたの!玄関で!」
 お母さんの声がする。

「ぱきっていった…痛い…」
 蹲って、そう言うのが精一杯。

 入学式参列仕様でお粧ししていたお母さんは、慌てふためいてお父さんを呼びに行った。
 で、やっぱりいつもの小汚ない格好から一転、イケメン(当人比)に変身したお父さんがやって来て、上がり框にあたしを座らせる。
 
「捻挫か?」って、足首を触ってきたけど、みるみる大きくなる足に異変を感じたのか、触るのを止めて、「病院だ!」って。
 
 ───かくして、
 あたし杉田 弥依(すぎた みい)は高校の入学式には出ることは無く、病院へ行くことになった。
 なんてこった。

 病院に着くと、看護師さんが車イスを押してやって来た。
 く、車イス?いや、歩けないけど。
 さすがに大袈裟な気もするけど、地に足がつけないから仕方ないのか。
 まさか、高校デビューが車イスから始まるなんて。
 捻挫なんだろうけど、大事になってしまった。

 それにしても。
 待合室というのは、何ともはや。
 かれこれ一時間は待ってる。
 足は、昔の魔法少女みたいに膨らんでいる。
 
 気を紛らすために、お母さんとヲタトーク。
 持つべきはオタクな母だと思うわ。
「ほら、見て。片足だけサリーちゃんみたい」
 真っ青な顔して、だけど話しかけるあたしにちゃんと乗ってくれる。
 
 お父さんは貧乏ゆすりが止まらないけど。
「杉田さん、杉田 弥依さん」
 さて、やっと呼ばれましたよ。

 それから、
 レントゲンを撮って、また診察室に戻って。
 うーん…と考え込むお医者さん。
「CT撮りましょう」って。また一時間。
 
『だいこうかいものがたり』って、母のバイブルのひとつでもある古いアニメ。
孤高のキャプテンは幼い心を充分に惹き付けていて、CV勢雄 祥匡(せお よしまさ)と共に、我ら母子の心を掴んで離さない。
そんな話で盛り上がって。
お父さんは、煙草を吸える所を探して彷徨って。

 CTを撮って、またまた診察室に戻って。
 うーん…と、また考え込むお医者さん。
「MRIを撮りましょう」って、それから二時間。
 すっかり夕方になってしまった。

『右踵骨前突起骨折』
 骨折と聞いて、お父さんもお母さんも息を飲むのが聞こえた。
 息ってホントに飲み込むのね、なんて呑気なことを考えてたけど、『しょうこつ』とはなんぞや?
「踵の骨ですよ。こう前の方に回り込んでて、この先の5ミリくらいが、折れてますね」だと。
 
 レントゲンで見つけられなくて、CTでおやっ?となって、MRIでやっと確信できた…というか、「ここ、折れるんだ…」って呟き、お医者さん?何を言ってるのかな?

 そのまま、あたしは入院ってことになってしまった。
 
 今日、金曜日で土日は手術出来ないから、最短でも月曜日になると。
 入れる器具──ボルト?──も特注らしくて、細くて長いのを探さなきゃらしくて、それが見つかり次第なんだって。
 無かったら作らなきゃらしい……

「じゃあ、準備して戻ってくるから!」っていうお母さんに、「あ、携帯ゲーム、『デイムメイカー』でお願いします」って、言ったら「ここでもゲームか?」って、お父さんに呆れられた。いいじゃん。

 通された病室は六人部屋で、五人の患者さんがいた。
 みいんな、年上で、おばさ…お姉さん。
 
 電球取り替えようとして椅子から落ちたおばあさんとか、大腿骨を削って同じ長さにするおばさんとか、まずは病状公開(自己紹介)で、今日入学式だったって言うと、皆さんを涙ぐませてしまった。申し訳ない。

 戻ってきたお母さんから、体を拭いてもらって、寝間着代わりのTシャツと短パンに着替えさせてもらう。
 あう。お風呂に入れないのがツラい。
 ま、仕方ない…しかた…
「ああ!」
 と、声を上げたあたしに、お母さんがびびる。
 
「どうしたの?痛かった?」
明後日(日曜日)…デイムメイカーの店頭イベント、当たってたのに行けない…よね?」
「……月曜に手術かもだから、無理でしょうね」
「ああ!勢雄(せお)さんが見られたかもしれないのに!!」
「バカね。勢雄さま…勢雄さんが無料イベントなんかに来るわけないじゃない。クレジットもされてないのに」

 母……冷静。
 ま、確かに。

『デイムメイカー』の隠しキャラ的クリス様。
 出現条件だけでも煩雑で、表だった情報も殆どない。
 
 掲示板では、ちらほら話題になってるみたいで、サジェストには出てくるけど、悲しいかな未成年。掲示板は見ちゃいけません、ってお父さんに厳しく言われている。
 お父さんたら、建築現場で働いてるせいか、怒ると怖いのよ。逆らえません。

「お母さん、代わりに行ってきて。で、特典、貰ってきて」
 って言ったら、「娘が大変な時にいくわけないでしょ!」って怒られた。その娘の頼みなのに。大人ってタイヘン。
 
 いいもんねー。
 こうなったら、クリス様追っかけまわしてやる。
 攻略対象じゃないかもだけど、構わん。

「……でさ、これって勢雄さんだよね?」
 ゲーム画面のクリス様を眺めて、イヤホンを母の耳に入れる。
 クレジットされていないキャラボイス。
 |専門家(声オタの母)の見解を仰ぐ。
「うん。非常に近いと思われます。所謂、似てる人や真似っこしてる人とは、一線を画してます」

 母よ。
 あたしよりも勢雄さんのお声を聴いてきて(年の功)、全盛期にイベントライブを追っかけてた、あなたのその耳を信じますよ?
 

2・蛾眉


 病院って、消灯早いー!
 八時って、小学生でも眠くないわ。
 なので、お布団かぶってクリス様攻略(出来るのか謎だけど)に励む。

 だって、足は吊ってるし、寝返りも出来ないし。
 ただでさえ寝付きが悪いのに、無理です。

 それになんだか今夜は、救急車のサイレンがやけに多い。
 ……あ、そうか、ここ救急病院だ。
 そりゃそうだわ。

 廊下のほうがほんのり明るくて、
 足音こそしないのに、誰かが忙しなく動いてる気配だけは伝わってくる。
 看護師さんって夜なのに、タイヘン。
 あたしには無理だな。うん。

 さて、クリス様、クリス様。

 『デイムメイカー』ってゲーム。
 所謂、乙女ゲー、恋愛シミュレーションってやつ。
 今時、攻略対象を落とすって、Web小説の異世界ものにしかないんじゃないかな?
 お母さんが若い時は、一世を風靡したらしいけど。
 
 で、そんなお母さんが同人やってた時の(そんなことまでやってたんですね、母)、友達の知り合いの知り合いが携わってるらしくて、薦めてくれたの。
 顔も知らないらしいけど。
 
 まあ、グラフィックはキレイだし?
 流行りの声優さんがCVで、それなりに楽しめるのだけど、何て言うのかな…攻略対象、薄っぺらくない?!

 宗教も、戦争も、政治さえない世界。
 そこで、王子様目指すとかどんな夢子ちゃんよ。

 そんなわけで、各自を象徴する宝石入りのプレゼントはともかく、指輪は受け取る気になれなくて、いなしていた。

 なんかね、他の人生?の方がワクワクするのよ。
 例えば『料理』。
 極めて、『愛情』があれば『お母さん』。
 『社交』をプラスで『町の食堂』。
 全てを鍛えて、『一流シェフ』!

 恋愛シミュレーションの意味?さて?

 で、そんな時、町のインフラにチョット口を出したら、クリス様が登場した。

 ほえ…。
 こんなに遅く登場するのに、声までついてましてよ?って、母に聞いてみたら「隠しキャラかもしれないわね。それに…」勢雄さんのお声じゃない?って。

 出現させるまでもタイヘンで、悉く息子のセイレン様が顔を出す。
 君じゃないんだよ。

 あれ?
 ヒロインが聖女様みたいになったとき、地図の中央に、街が現れた。

 ぐりっ、と目の奥に痛みが走る。
 ふわっと湧く、吐き気。
 ほんの、一瞬。
 看護師さんを呼ぶべき?とも思ったけど、なんだか一層、廊下は慌ただしいし、こんな時間まで起きてることを咎められそうなので、寝ることにした。

──病院の朝って早いー!のかな?
 本来なら学校に行く時間…ま、今日は土曜日だけど。
 完全に春休みボケですね。

 朝ごはん食べたら、床擦れを防ぐ運動をして、お母さんが来てくれてリンゴ剥いてくれた。ん、定番。
 そしたら、お医者先生が来て、ボルトが見つかったから月曜日に手術します、って。
 
 全身麻酔……なのね。麻酔って、効くメカニズムが分かってないって言葉が頭を駆け巡る。
 蘊蓄だけが変に詰まっている自分の脳みそが嫌になる。知らなきゃ、知らないままなのにね。

 それで、明日は昼から絶食ですって。
 お母さんは手術の準備に早々に帰っちゃった。さみしい……時はクリス様っ!

───やったぜ。実にやり直すこと十五回。やっと、クリス様エンドを迎えたぜ。
 あら、窓の外が明るいじゃない。
 そのまま、国民的ヒーローやら、ヒロインを見ながら、最後の食事(大袈裟)をした。
 
 同室のおねえさんたちに、お昼ごはんが配られている。
 食べない時は食べなくても平気なのに、食べられないって思ったら、食べたくなる。
 白米の香りって、イイモノデスネー。
 ……はあ…

 そんな時、スマホのアラームが鳴った。
 あうっ!イベントに行くのに遅刻しないようにかけておいたんだ。
 未練はあるけど、仕方ない。
 カミサマ、憐れなワタシに、なにかご褒美ください。
 なんのカミサマ?
 ……勢雄さんで、いっか。

 夕方、サイレンの音。
 そういや、一日中聞こえてはいた筈なのに、慣れって怖いわ。
 てか、緊急搬送される人って多いのね。
 
 夕ごはんも食べられないし、徹ゲーしたせいか起きていられない…誰かの書いたイベントルポ見たいのに…いるのかな?ルポ書いてくれる人…いや、公式くらいは書いてくれると信じている!

 夜よりも、廊下を急ぐ音が聞こえる。
 ナースシューズの音のない音。
 時折、きゅって踏み返して。
 ざわざわ…
 とろとろ、とろ……。

───丁字帯って、要するにふんどしなのね。
 処置室に移って、手術の準備。
 ううっ!いろんな管。
 点滴、ぐりぐり。ぺしっ、ぺしっ、って腕を叩かれていたのに、結局、親指の付け根に針が刺される。
 叩かれた腕の立場は?
 手術着の下が、ふんどし一丁なのを思い出すと笑いが出る。

 1、2、……

 …………うわぁ!不快、不快!
 痛いのか、吐きたいのか、自分の身体か自分でないみたいに。
 指先のオキシメーターが、食いちぎるみたいで。
 パタパタと看護師さんが部屋に入ってきて、あー処置室なんだと少しずつ状況を把握する。
 指が痛いとだけ告げて、寝ることを勧められた。

 夢を見ていた。
 
 やけにリアルで長い夢を。

 幼馴染みのお兄ちゃん。
 手の届かない、キレイな男の人。
 穏やかな新婚生活。
 お兄ちゃんの突然の死。
 身籠ったあたし。
 出産するあたし。
 ───死んだ、あたし。…………

 眠りから覚めて、ようやく夢が『デイムメイカー』だと気付いた。
 だって、クリス様若いんだもん。
 セイレン様だって、幼かったし。
 
 それに、お兄ちゃんって……、ラドスって誰なんだよ。
 
 それに、その上。
 出産の妙に生々しい痛みと、やけに現実的な感触。

 なんだったんだ?


 やっと、ごはんが食べられるようになって、激痛のカテーテルがはずされて、一人立ちが出来るようになった、車イスで。
 トイレで用が足せるって、素晴らしい。

 リハビリ室にも行けるもんね!
 リハビリ室にしか行けないんだけど。
 せめて、気合いを入れようとお気に入りの音楽を聴きながら、赴く。
 
 って、談話室?
 こんなところあるんだ。
 時間までまだあるから、入ってみようかな?と、覗いていたらイヤホンが転げ落ちた!
 入学のお祝いにお父さんが買ってくれた、ちょっといいやつ。

 車イスの下に転げていて、初心者なあたしは運転に自信がないし、下手に動いてイヤホンを轢いてしまうのはもっと嫌だ。

 そんな風に身動きが取れないでいたら、背後からがらがらと、なにかを引きずりながら近寄ってくる気配がした。

「どうか、なされましたか?」
「どわっ!……!」

 耳元で囁かれた声が、背中を走り抜け腰に突き刺さる。
 ――何が起こったんだ?
 
 あ、事情説明をしなきゃよね。

「失礼しました。車イスの下にイヤホンが落ちてませんか?拾っていただけるとありがたいです」
 恐る恐る、声の主に顔を向ける。

 かの人は腰を屈めてイヤホンを拾って、あたしの手に納めてくれた。

「探し物はこちらでよろしいですか?」
 
 妙に芝居がかった物言いだけど、
 だけど、この声ってまさか。
「…しぇおさん…?」
 噛んだ。

「……おや。あぁ……こんな可愛いお嬢さんに、お見知りいただけるとは――光栄の極みでございます。」

 お父さんより上なのか下なのかも図り知れない、謎の人。
 
 いや、勢雄さんみたいだけど。
 笑いを堪えるように、立っていて…いて…
 なんで、点滴なんだ?
 

3・弓張


「お、お母さん!しぇおさんがいた!」

 病室に戻ると、お母さんが来ていたので、早速報告…したら、また噛んだ。

「何を言っているの?まずは、落ち着きなさい」
 と、冷静に返されてしまった。

「せ、勢雄さんがいたの!今!イヤホン拾ってもらった!」
 そんなわけないじゃない…というお母さんを余所目に、スマホで情報を収集する。
 
勢雄 祥匡(せお よしまさ)、声優、入院、原因』
 思い付く単語を検索窓に打ち込む。
 あれれ?意外と出てこないぞ?
 ……入院してるんだよね?点滴を引きずっていたし。
 で、『デイムメイカー』って入れたら、とあるSNSが引っ掛かった。

『もー!最悪!“デイムメイカー”のイベント行ったら知らない人が血吐いて中止!赤生さん見に行ったのに!』
 という、赤生(アイテール)推しのコメントだった。
 ので、公式に飛んで、ようやく記事を見つけることが出来た。

 『本日、予定しておりました“デイムメイカー”店頭イベントは、出演者の急病により、中止となりました』

 イベントのルポは、現実の痛み──特にカテーテル──に負けて、追うことを失念していた。行けなかった悔しさもある。
 というか!なんで、名前が出てないの!
 勢雄さんのことかどうかも分からない。

「あら?デイムメイカー」
 って、声がした。
 見知らぬ看護師さん。

「はじめまして。いつもは消化器病棟にいるの。今日はヘルプね」
 と、体温計を渡される。
 
 体温計を額にかざされ、スマホを弄りたくてしょうがない気持ちを押さえつつ、
「看護師さん、デイムメイカーをご存知で?」
「ええ。そのイベントにも行ったわよ」
「この!倒れたのってどなたなんですか?!血を吐いたって!」
 
──看護師さんは「ふぅー」って、溜め息をついた。
「個人情報…なのよねえ……そんな泣きそうにしないの」
 と、困った顔をしてる。
 あたし、泣きそうに見えてるんだ…
 
「今の私はそのイベント会場に居合わせた一般人です」
 そう言って、大きく息を吸う。
 そっと、顔を近づけて、
 
「勢雄 祥匡さんって方。血は吐いたけど、軽い胃潰瘍だから大丈夫。くれぐれも内緒だからね」
 耳元でこそっと、教えてくれた。
 
「代わりって言ったらなんだけど、今度、時間がある時にでも私の話、聞いてくれるかな?」
 って、悲しげな顔を無理矢理笑顔にして、別のおねえさんの検温へ行った。

 看護師のお姉さんは次の日に来てくれた。
 制服姿とは違う私服のお姉さん。
「ホントは患者さんと個人的に仲良くしちゃダメなんだけどね」
 と、言って、志山風花ですって自己紹介してくれた。

「早速だけど…」と、切り出した志山さんの話は、まさかの異世界転生物語だった。

 それは、あたしの夢と繋がってる気がした。

「ミリア?」
「話からすると貴女の子供ね」
 実際、志山さんが会ったのは三才のミリアという子らしい。

 ゲームではクリス様から聞かされるだけの物語。
 生まれて間もなく、何者かに殺される妹。
 その子の名前は出てこないし、物語上三才にはならない。
 
「でね、セイレン様が来たのよ」
「何ですと!」
「そりゃあ、もう。ホログラムな美麗なセイレン様が漂っていたわよ、二日前」
「この病院に?」
「この病院に!」

 二日前なら、手術の翌日、カテーテルが苦痛でしかなかった時か。
 セイレン様に会えなかったのは少し残念だけど、カテーテル姿を見せなくて良かったのかもしれない。
 
 ──それにしても、あちらとこちらで、随分時間の流れが違うのだと思った。

 夢なのか、妄想なのか。
 ──現実なのか。
 ……ん?

「セイレン様、何しに来たんです?」
 そう聞くと、志山さんは顔を歪めた。

「あのね、多分…憶測だけど、ミリアの中の人を迎えに来たんだと思うんだ」

 セイレンさまが現れた病室で、何日も目を覚まさなかった人がいて。
 その人が身罷ったとき、セイレン様も同時に消えたらしい。

「ミリア…さん…?ゲームの世界に行ったって事なんですかね?」
「まあ、そもそもゲームの世界があるのかって事なんだけどさ。だから、誰かに話したかったんだけど、適任者が身近にいて助かったわ」

 夢なのか、妄想なのか。
 ──現実なのか。
 それ、なんてラノベ?って、笑い飛ばすのは簡単だけど、“見た”って言われたら、信じたい。
 
 あたしが、生んだ子供かもしれない子。
 幸せだったらいいな、と思った。

 そんなこんなで、リハビリの時間となった。
 結構、お話ししてたのね。
 あたしが病室を出ようとしたら、お母さんが来て、志山さんとお話ししてる。
 ……あたしの病状とかじゃなく、オタトークなんですね。
 母、ぶれないな。

 思うに、リハビリってドラマなんかじゃ「…あ、歩けない」「頑張るのよ!」とか、泣いて感動の一場面を彩るけど、あたしの場合はマッサージだな。
「今日も頑張りましたね。お疲れ様です」と、言われるけど、どう考えても頑張ってお疲れ様なのは先生の方だと思うのよ。

 マッサージ…じゃない、リハビリを終えて談話室の前を通ると…あれは、勢雄さんですわ!
 んー……入院してるの(プライベート)に、声かけちゃダメかな?でも…でもだよ?あ!昨日のお礼!
 口実見っけ!
 
「勢雄……祥匡さん?」
 疑問系で声かけちゃったよ。
 
振り向いたその人は、思いの外不機嫌全開の表情で、「はぁん?」って、声が聞こえてきそうだった。

 それでも、「昨日はありがとうございました、イヤホン」って、なんとか言うと、若干、眉間の皺が解けて、
「お嬢ちゃんも、物好きだなぁ…」
 ……な、なんか昨日と違うぞ?
 
 ご機嫌斜めみたいだし、お礼も言ったし、その場を立ち去ろうとしたら、「暇潰しに付き合え」と、引き留められた。

 そのまま、談話室に拉致…じゃなくて、連れ込まれるのに、勢雄さんは車イスを押してくれて、点滴は外れたんだなーって思った。
 
 入り口の自販機で「なんか飲むか?」って言われて、「お茶」って返したら「味がついてなくていいのか?ま、いっけど」って、麦茶を買ってくれた。
 勢雄さんは……飲めないらしい。
「酒、煙草はともかく、コーヒーくらいよくないか?」って、ぶつくさ言いつつ、あたしの麦茶だけ持って車椅子を押して、談話室の中に入った。

「もしかして…ご機嫌斜めそうなのって、煙草(ヤニ)切れですか?」
 お父さんと一緒だ。
 勢雄さんは自分の顔をまさぐりながら、
「顔に出てたか?いかん、いかん」って慌ててる。なんか、可愛いぞ?

 そこからはなんか…高校入試の面接を彷彿させるやり取りが繰り広げられた。
「杉田 弥依、十五歳です。入学式の朝に転んで骨折しました。……スリーサイズとかも聞きますか?」
 勢雄さんは、あたしにスッと視線を巡らせると、「いや、それはいい」
 ……失礼だな!育ち盛りなんだよ!

で、話は『だいこうかいものがたり』となった。
「お嬢ちゃんの生まれる前だろう?」
「母の教育の賜物です」
「なんだよ、それ」って、大笑い。
 
でも、ムッとしてるよりずっと良いよ?

 で、『デイムメイカー』の話に流れた。
「ああ、もしかしてお嬢ちゃん、赤生(アイテール)や|石舘(セイレン)推しで、繋がり持とうとしてるのか?残念だった…」
「あたしは勢雄(クリス様)推しですけど?」っ!……本人の前だよ、あたし…。
 ……でも、あたし以上に、勢雄さんが照れてませんか?なんだこの大型犬。

「……しっかし、血は繋がらないとはいえ、“ふたり”の子持ちだろう?お嬢ちゃんは枯れ専なのかね?」
「枯れって…自分で言って傷つかないでくださいよ。それと、クリス様には実の子“ひとり”ですよ?」
「あん?上の子(セイレン)は拾って、下の子(ミリア)はメイドと庭師の子だろ?」
「上の子も、下の子も実の子で、下の子は早死にしてるんですけど……」

 それ、あの時の『夢』の話だ。
 メイド(あたし)、スーラが生んだ下の子。

 談話室の外に、志山さんが通ったのを見つけたので、「志山さん!」と声を出して引き留める。
 
「院内では静かにしてください…て、珍しい組み合わせですね?どっちがナンパしたんです?」
「勢雄さん!だけど、そうじゃなくて、勢雄さん、あたしたちの夢を知ってる!」

 我ながら、なに言ってんだ?と思った。

4・豆栗


「なんか、違ったか?ゲームの仕事はそれしかしてないから、確かだと思うが?」
 と、勢雄さんは言う。
 
 ええ、専ら舞台ばかりに出演されて、中学生のあたしには敷居が高うございましたから、よく承知しておりますとも。
 クリス様が勢雄さんなんじゃ?と思いはしたものの、確かめる術はなくて……あれ?

「デイムメイカーって、勢雄さんクレジットされてないじゃないですか。クリス様も巧妙に隠されてるし。なのに、なんでイベントには出てるんです?」
 
 あたしの言葉を聞いた、勢雄さんはそっぽを向いてるし、志山さんは笑って、
「そのイベントで、情報を公開する筈だったのよねー」
 なんですと!
 
「あの、中止になったイベントですか?あ!だから、公式にも“誰が”倒れたのか書かれて無かったんですか!」
「そんなとこまで見てるのかよ。そうだよ、俺と共に発表したいんだと。……ったく迷惑な話だ」

「では!またイベントがあるんですね!」
「いや、今度はネット限定だと。リアルイベントはやらないって、聞いてるぞ?」
「…くすっ。また、血でも吐かれたら大変ですものね」
 と、言う志山さんの突っ込みに、
「あぁ、たまたま会場にフットワークの軽やかな看護師がいて、吐血と同時にステージに駆け寄って、息をするように応急処置を繰り広げる、なんてないだろしな。まあ、その節は世話になった」
 勢雄さん、それじゃあ、言い訳したいのか、お礼したいのか分かんないよ。

「私も、救急車で出勤させていただいて、一石二鳥でした」
「志山さん!勢雄さんの命の恩人!」
「命って…目の当たりにしたら、医療関係者なら当然だと思うよ」
「それでもです!ありがとうございます!」
「…ったく、お前は俺のなんなんだよ」
「ファンですけど?何か?」
「あー、ソウデスカ」

「ぷっ!あはは、おっかしい…!勢雄さんって渋さ売りにしてますって、見せかけておいて、若い子と漫才するんだ。いやー意外な一面を見せていただきましたわ。息ぴったり!」
 って、吹き出した志山さんは、目尻を拭いながら大笑いしている。

 あたしはなんとなく勢雄さんの顔に目が行って。
 そしたら勢雄さん、なんだか間の抜けた顔してて。
「ほら、勢雄さん。笑われてますよ?」
 って、突っ込んであげたら、
「お前さんだろ?」
 って、返された。
 
 志山さん、笑いすぎて咳き込み出したよ…。

 と、勢雄さんはすっとウォーターサーバーから水を持ってきてた。
 い、いつの間に。
 志山さんに渡して、背中とんとんして。
 …………う、羨ましくなんかないもんねっ!

───で。
 
 擦り合わせな訳ですよ。
 まず、
「スーラって、分かります?」
「クリスのとこの、メイドだろ?そうそう、そいつが二番目、生んだんだ。たしか旦那は……なんてったかな?」
「ラドス」
「そう!ラドス。でも変なんだよな?ラドスって、クリスの親代わりをしてた記憶もあるんだよな?なんでだ?」
 質問返しされちゃった。
 
 この人、ちゃんと設定を理解してるんだろうか?それとも設定の理解と演技は別物ってことなんだろうか?わかんないけど。

「それ、公式の設定じゃないです。まず、クリスの…メリクリオス家の使用人に名前はついてません」
 ウィキもなく、攻略したあたしをなめんなよ?
「クリス様の家庭環境は、クリス様が話すだけでビジュアルはないんです」
「…?じゃあ、わらわらといた…いや、四人か。茶髪のねーちゃんたちはなんなんだ?」
 
「少なくても、ゲームではないですね。……もしかして、設定資料的なものなんじゃないですか?ほら、キャラとか世界とか、プロなら踏まえるもんなんじゃないんですか?」
 知らんけど。

 すると、勢雄さんは言いにくそうに頭を掻いて、
「俺、そういう資料で深掘りするタイプじゃねーんだよな。だから、見てない。台本と現場のノリ。あとはディレクションで補完、でなんとかなんだよ」
 
 そういうものなのか?
 あたしはまだまだ雛っ子、なんだなって感じちゃった。
 
「考えるな、感じろって訳ですな」
と、志山さんがコロコロと笑いながら、あたしにウィンク。
 
「さすがに雑じゃねーか」
勢雄さんの探るような視線で、頭ポンポンされて。「セクハラじゃねーぞ」って、手を引っ込めたけど――寧ろ御褒美。
 
 あ、…気遣われてるんだ……?……もう…自己嫌悪。
 うー! えっと…
「さすが、プロ!て、ことですか?」
 なんて素頓狂なこと、言っちゃった。

「……で?結局それがなんなんだ?」
 あ、核心。

 志山さんとあたしは顔を見合わせて、頷きあった。
「スーラやらなんやらは、あたしも夢で見たんですよー。で。」
 
 バラエティー番組よろしく、手の平を志山さんに向ける。次どうぞ。
「図らずも、私も夢で見たんですよ。物語(ゲーム)で殺される子視点で、クリス様の二番目の子、ミリアの。」

 ん。わかるよ、勢雄さん。
 中二病を目の当たりにして、二の句が継げないね。
 呆れてるのか、可哀相なのか。
 そんな顔。
  
「……流行りのどっか行っちまう系か?お前ら、大丈夫か?」
「……まあ…私も実際、仕事中この病院でセイレン様見るまで、ただの夢なんだと思ってました」

「――はあぁ?病院で?この?」
「はい。この病院で、です――」

 すると、勢雄さんは拳で、とんとんって唇を叩いて黙ってしまった。
 長考。
 談話室のテレビの音。
 他の人の話し声。
 エアコンの音、がノイズのように流れ出す。
 ぼこっと、ウォーターサーバーが音を立てたとき、ようやっと勢雄さんが口を開いた。

「……殺される子って、ラウノか?」

 志山さんの目、後ろからぽんって叩いたら、ぽろって落ちそうなくらい見開いて頷いた。
 
 スーラ(あたし)が、いなくなった後のお話(展開)
 ――――あたしは、勢雄さんに何を教えたいのだろう?
 何を、分かってもらいたいんだろう。

「…はあぁ……」
 って、勢雄さんの深く長い溜め息。
 ご自分の頭をぐしゃぐしゃって掻きむしって。
 勢雄さんはあたしの顔をじいって見て、
 ふわって頭に手を置くと、ワシワシしてきた。
 お風呂の回数制限があるから、きれいじゃないですよ?とでも言いたかったけど、言えなくて。

「ま、そんな不思議なことも、あっていいじゃねーか?」
 って、ひどく優しい顔で微笑んでくれた。
「……それに」
 って、神妙な面持ちに変化して続けたのは、
「合わせるようでなんだが、俺のも夢だ。ここに運ばれて治療するのに痛み止め打たれて、朦朧としてて。たぶんあれだな、イベントの流れで、ワケわかんなくなってたのかな?」
 
 話を合わせてくれてるのかな?とも思ったけど、勢雄さんの手はずっとあたしの頭に置かれていて、むず痒い。
「で、たぶん脳内電波かなんかで共通の夢を見ましたな、お話なのか?」
 あ、勢雄さん、頭ワシワシ止めないで。
 離された手を名残惜しく眺めていたら、
「ここだけの話なんですけど」
 と、志山さんは、勢雄さんとあたしを引き寄せて、内緒話の体勢をとった。
 
 うんと、声を落として
「私が見たセイレン様が消えた時、ひとりの患者さんが亡くなったんです。きらきらと光って、天使みたいに消えたんです」

 昨日話してくれたことと、内容こそ同じだったけど、志山さんの言葉は熱を帯びていた。

「んー…その、なんか違うゲームの世界があるとしてよ?じゃあ、クリスが流行りのループしてるってのは、一体何なんだか見当つくか?」
 
「ループ?」
 あたしは、志山さんと顔を見合わせる。
「デイムメイカーに魔法はないですよ?」
「魔法かは知らん。黒髪の子と結婚して、その後――巻き戻った?そういや、いつもと違うって思ったっけ?」
 馬鹿話と一笑しないどころか、顎に手を当てて集中する勢雄さん。
 
「なかなかに、壮大でしんどそうな夢見てますね」
「だから、設定って思ったんだろ。俺が声を録ってない部分の――必要最低資料って勘違いしたんだろうよ。あまりにもエンディングの一枚絵だったからな」

 ――スチル、か。
 あ、もしかして、そう思ってあたしはスマホを探った。
 
「奥の手、になるかは謎ですが、これ見てみません?」
 

『独り言ち──変若水/ヲチミズ』side;勢雄


 ───ああ、そうだ。
 
 役者になりたかった。
 舞台でも、映画でもいい。
 重厚な、存在感のあるそんな役者。
 
 食うために受けた吹き替えのオーディションで、うっかり役がついちまって、うっかり人気なんか出てしまって、ずるずると抜け出せなくなって。

 果ては歌ったり、芝居しない舞台(ステージ)に引っ張り出されたり。
 そんで、まぁ、俺もちやほやされて、舞い上がって。
 
 でも、芝居は芝居。
 それなりに楽しんだが、ある時すっと、熱は覚めた。

 チマチマと貯めた金が、そこそこの額になり、ちょっと休むかと、セーブしながら仕事してたら、嫁が出ていった。
 人の縁なんて、存外脆いものなんだな、と思い知った。

 ──あっという間に十年経っていた。
 
 何とかなるもんだな?と、思ったが、流石に金は尽きるし、お子さま向けの番組を見ていたやつらがいい年になり、俺を引っ張り出したがる。
 
 ……で、何で女子供のオモチャの仕事なんだよ。
 溜め息しか出ないが、金払いはいい。
 仕事は、仕事だ。

 と、割りきろうとしていたが、気持ちは割りきれてなかったらしい。
 
 一昔前は、観客席なんざ見えもしない、でっかい小屋(劇場)でやってたイベントとやらは、最近ではCD屋の店頭でやるらしい。

 芝居をしない空間。
 はっきり見える客。
 押し出される苦痛。
 そりゃ、血吐いて倒れもするってもんだ。

 胃潰瘍、だと。
 ぽっかりと穴が胃に開いた。
 酒?タバコ?悪いか。

 イベント会場(CD屋)で気を失って、
 目覚めたら、シラナイ天井ってやつだ。
 年は取りたくないねー。

 病院でタバコ吸える場所を探してうろうろしてたら、談話室があった、が禁煙かよ。
 ったくよ。

 車椅子で、もたもたしてる子供がいたから声かけてみたら、コイツ、俺を知ってやがる。
 見れば…中学生か?
 余所行きの顔して誂ってみりゃ、涙ぐんでやがる。
 やりすぎたか?

 何だかんだで翌日も変な縁があるのか、談話室前で声をかけられた。
 いい加減、煙草(ヤニ)切れが甚だしい。
 いらっとしたまま振り返ったら、怯えとる。
 すまん。
 ジュース買ってやるから、勘弁してくれ。

 なんというか、不思議な子だと思う。
 俺のファンを声高にするが、要求がない。
 もしかしたら、知らないだけなのかもしらんが、「何かやって」がない。
 いや、『だいこうかいものがたり』のキャプテンは遠回しで熱望されてるみたいだが、声にしない。
 若い子特有の、くるくる変わる表情というのは、誰のものでもいいもんだな。
 なんて思えるほどには、年食ったわけだ。
 あーあ…

 いつの間にか、看護師が合流している。
 吐血の際に、たまたま客としていた看護師。
 看護師は健全に、|セイレン《石舘》推しらしい。
 
 ん。そうだよ。一昔前の俺のファンとか、おかしいぞ?中学生(お嬢ちゃん)と、思ったら高校生かい!
 入学式に入院とは気の毒なこった。
 よし、おっちゃんが遊んじゃる。
 いい暇潰しだ。
 

 ――――なんだそりゃ?
 同じゲームをやってる、嬢ちゃんと看護師。
 同じゲームに、声を入れた俺。
 ま、俺は俺の出てるところしか知らんが、それにしても、だ。
 記憶と一致しない。

 ひとつしか用意されていない結末。
 知ってる。
 そう聞いたし、台本にもそう書いてあった。
――「奇跡の聖女が見出した、運命の救世主<メシア>」
 …………なんじゃ、そりゃ?だけど。
 聖女が出来たことで、宗教のない世界に教会が発生し、概念さえなかった物語で《《結婚式》》が行われる。
 
 じゃあ、俺が知ってる、違う物語はなんなんだ?
 二次創作なんて、見たこともないし、もちろん作らない。
 仕事は仕事。
 録音してしまったら終わり。
 その筈だ。

 でも、確かに続いている。
 
 セイレンを引き取った。
 スーラが子供を生んだ。
 ミリアと名付けた。
 ラウノと会った。
 
 ――――夢?

 馬鹿げてる…で、片付けていいものか?
 
 セイレンの殺した子、ラウノ。
 それが、この看護師だとしたら?
 
 ───霧のように消えたのは、帰った(戻った)だけ、とでもいうのか?

 俺は、セイレンの震える肩を《《思い出して》》いた。

5・既望


 なになにと、勢雄さんと志山さんが、あたしのスマホを覗き込む。
「クリス様を攻略すると見ることが出来る、スペシャルコンテンツです」
「クリス様だけ?狡くない?セイレン様には無いの?」
 志山さん、かわいいな。好き。
 
「セイレン様はちゃんとゲーム内でいくつもムービーありますよ。クリス様はムービーも無いし、エンディングもひとつしかないんですよ」
 
 …………そうよ、ひとつなのよ。
 
 それこそセイレン様には、ハッピーエンドやら、トゥルーエンドやら、はては闇落ちしたりといくつかのエンドが用意されているのに、クリス様だけは『結婚式』が、最良で唯一のエンディング。

「あーすまん、それ、俺のせいだわ。出るのごねて、スケジュール押したんだよ」
 なんですと!?
 
「それで、パッケージにクレジットもされてないんですか?!」
 つい、大きな声が出ちゃったけど、勢雄さんは動じもせず、拗ねてるみたいな顔してる。
 
「ゲームって一人で録るんだぜ?あんま、好きじゃねーんだよ。別の仕事もあったしな」
「それって、言い訳?大人なのに」
 
「るせ。やなもんは、やなんだよ」
 こどもか?
 
「まあまあ、杉田さん。勢雄さんは血を吐くほど嫌だったんだから、勘弁してあげなさいな。血を吐くほど、だったんだ・か・ら」
 志山さん、目が笑ってません。

「……ふぅ……吐血するほど嫌だったんなら、仕方ないですね。――で、話を戻しますけど、結婚式の後、巻き戻ったんですか?――いつまでも拗ねてないで下さい」
 話が進みません。

 勢雄さんはチラッと、あたしのスマホを見て、あたしを見て、肩を落とした。
 ええ?なんで?あたし、言いすぎた?!
 
「……ああ、巻き戻って、いつもより若いな、って思って、テルルにセイレンを迎えに行く車に乗ってた」
あたし(スーラ)の妹が、運転手してました?」
 
「ああ。いつもは、セイレンが町の子を殺した時に戻ってたから、“おかしいな”と、思ったな」
「それ、セーブポイントですよ。周回プレイで、クリス様狙いの時だけ、『町の子殺し』からやり直せる」
 
「なんで、クリス様だけ…」
「出てくるのが遅いから?分かんないけど」
 
「なんで、殺した後なんだ?殺す前なら止められるじゃねーか?」
「家出するセイレン様を、ヒロインと一緒に探すか探さないかが分岐だから…?」
 
「でもよ?フツー、そういうループ?とかって、区切りっていうか、一旦死んでから起こったりするだろ?そうじゃねーんだわ」
「? どういうことです?」
 
「セイレンの結婚式なんかは、まあ、区切りっぽかったけど、いきなり突然くるんだよ。ぴたって周りが止まったかと思うと、白い靄がかかって暗転すんだ。飯食ってたり、仕事してたりしてる最中もお構いなしに」
 
「なんでしょう?エンディングみたいですけど、わかんないや。ごめんなさい」
 
 結局、奥の手は奥の手にならなかった。
 いいとこ見せたかったな。
 
 したら、勢雄さんはまた、頭ぽんぽんしてくれてて、
「いっか、ま、夢だしな、夢。奇妙な話だが考えても、たらればだ」
 と、大きく伸びをした……のに、その手はまた、あたしの頭に戻った。
 
 と、志山さんが上目遣いで、あたしを見てる。
「…ねえ…どうしたらセイレン様エンド、見られるの…私、町の子殺しても、最初からやり直しになるんだけど…」
 捨てられて何とかみたいになってますけど。
 
「ああ、石を持ってないとダメですよ。だけど、指輪だけは貰っちゃいけない」
「それだ!指輪貰ったよ…最初の子に。ほいって、くれるんだもん」
「あーあ。ダメですよ、本命以外から貰ったら」と、志山さんと攻略の話に突入しそうだったんだけど、あたしの頭から勢雄さんの手が離れた。
 
「なんか、めんどくさそうなゲームだな?楽しいか?」
「楽しいですよ!クリス様が勢雄さんと気づいた時から、俄然張り切りました!」
「お、おう、そうか。よかったな」
「はい!」
 よくよく考えたら、本人に向かってなに言ってんだ?だけど、ホントだもん。仕方ないよね!


 ◆

──夜の帳が下りた街。
窓の外には、虫の点す灯りにも似た火が、辺りに漂っている。

その静寂に放たれた矢のような鋭い嘶き。
心臓の鼓動が胸の奥で低く響いた。

一歩、また一歩と未知の足音が近づいてくる。

そこに現れたのは、黒銀の髪を肩に揺らす男。
黒曜の石に彩られた装飾を襟にまとい、
緑の瞳をいたずらっぽく光らせている。

「……ここまで辿り着くとは、驚いたよ。見つけてくれて、ありがとう」

彼は名乗りを省き、ただゆらゆらと微笑んだ。

「ああ、自己紹介はいらない。君のことは全部知っている」

その瞬間、静かなピアノの旋律が、
壮大なオーケストラへと変調し空気を揺さぶった。

視界いっぱいに広がる白光の中、
六つの影が並び立つ。

各々を象徴する石が、さまざまな装飾品へ形を変える。

その中心に、あり得ない存在感を纏う
――黒曜石の化身、クリストファー。

「彼ら全員と紡ぐ物語の先に、まだ見ぬ真実が待っている」

やわらかで、印象的な低い声が告げる。

そして目の前には、
淡く輝く《選ばれし者の証》が浮かび上がった。

・すべての顛末を受け止め、なお歩む者
・時の環に落ちた“欠片”を拾い集めし者
・語られぬ記憶に触れ、忘却の門を開きし者


「……さあ、行こうか。君の望む未来へ」

緑の瞳が真っ直ぐに射抜く。
白光が扉のように開き、
その先に新たな世界が広がっていた。

───Special Thanks
 
─────

「……さあ、行こうか。君の望む未来へ」
「どわあっ!びっくりした!耳元は卑怯です!」
 
 こうやって勢雄さんは、背後からあたしを驚かすのがすっかり定着してしまっている。
 そりゃあ驚くけど、あたしには御褒美以外の何物でもないんですけど!

「…お嬢ちゃん、ホントに好きな?それ」
「だって、勢雄さんですよ?!好きですよ!」
「……ま、いっか」
 呆れたように、照れたようにそっぽ向く横顔。――素敵。

「で、勢雄さんはまた一人で寂しく談話室ですか」
「…お嬢ちゃんもだろ?」
 その声には意外にも誂いはなくて、なんか、元気ないのかな?
 ……入院してるんだから、元気はないか。

「あたしにはクリス様がいますもん!」
 気になるけど、聞いていい立場じゃない。
 あたしは、ただのファンだ。
 
「そうか。じゃあ心配ないか。退院が決まったよ」

 ――――えっ?

「…あ、そ、そうなんですね。これで、お仕事バリバリ出来ますね!何から始めるんですか?アニメ?ゲーム?それともお芝居?テレビとか?映画とか?あ、ハリウッドとか?あたしが見られるものにして下さいね。そうじゃなくても見るけど…」

 最後まで言いきる前に、あたしの頬を勢雄さんの指がなぞる。
 勢雄さん、物憂げですよ?

「……泣きながら言ってんじゃねーよ…」

 あたし、泣いてたんだ。

6・片割

 勢雄さんが退院した後、あたしが退院するには二ヶ月を要した。
 退院したらしたで、直ぐに夏休みになってしまって、遅れた勉強を取り戻すのは、至難の業だった。
 よって、高一の夏休みは補習で終わった。

 とはいえ、高校生活はそれなりに楽しく過ごして。
 告白とかもされちゃったりして、お付き合いとかもしてみたけど、女の子と遊ぶほうが楽しくて、放っといたら罵倒された。
 
 いっけどね。
 
 入試だなんだって、ばたばたして、
 あっという間に大学生になっていた。
 
 相変わらず勢雄さんは舞台三昧で、チケット買う身にもなれや、なんだけど、そこはこう……惚れた弱みってやつよね。
 日参したい気持ちを堪えて、初日と千秋楽だけは押さえることで我慢した。
 時々、お母さんがチケットを用意してくれたのは助かった。素直に甘える。
 ありがとう、母。

 で、夏休み。
 チケット代のためにも、バイトでもやろうと検討していたら、母に電車で二時間程離れた観光地を薦められた。
 なんでここ?って聞いたら、お父さんと遊びに行きたいから!って。
 まだ学生のあたしになに言ってんだ?この人は。
 
 まあ、お父さんには反対されましたわな。
「住み込みでバイト?未成年なのに何考えてんだ」って。
 あたしもそう思う。

 母曰く、家族経営のお店のお宅で泊まらせて頂けてのお仕事らしい。
 ……って、母? すでに決定事項なのですね?

 そんなこんなで、大学一年の夏休みは、
 気づけばもう全てお膳立てされておりました。
 勢雄さんの舞台だけは観に行かせてください、後生ですから。

 ───で、気づけば夏某日。
 ニヒルな面持ちの電車に小一時間ほど揺られてやってきました、観光地。

 その駅の片隅に、ひっそりと象さんが御座したお城の情報を発見。
 今はいらっしゃらないのね。
 お亡くなりになって幾星霜。
 アイドルだったという象さんに、合掌。

 駅前のお土産やさんをするすると通り抜け、裏通りに。
 そーいや、父と母はこの後、もう少し先にある遊べる温泉で遊ぶんだとか…大学生より遊んでないか?ま、夫婦仲良いのは何より。

 そうして着いたのは、なかなかの店構えのかまぼこやさん。
 観光客もちらほらいるけど、地元密着型な様相で、お隣は同じ屋号の居酒屋さん。
 て…屋号…。

「かまぼこのせお……??って、もしやお母さん?!」
「そのとーり!なんと、勢雄さんのご実家であらせられます!」
「なんだと!」
 あたしより先に、お父さんが驚いた。

「昔のファン仲間では有名なのよ。思い返して探してみたら、バイト募集してたから、一石……何鳥かしら?」
 なんて、涼しい顔してる。
 
「……ここで、お泊まり?」
「あら?嫌かしら?」
 ぶるぶる、頭をふって、勢雄さんのスケジュールを思い出す。
 ん。地方公演中。
 で、半月後に戻り公演。
 多分、会うことはない。

 店先で騒いでいたら、すんごい和服美人さんが現れた。

「おや?もしかして祥匡(あの子)のファンかい?久しぶりだねぇ…」
 
 粋とか、イナセとか、この人のためにある言葉なんでは?と思うような美人さん。
 お母さんがお父さんをそっちのけで、
「バイトをお願いした者です。初めてでご迷惑お掛けしますがよろしくお願いします」
「こちらが?あの子もいい年して、えらくまあ、若い子引っ掻けたこと」
 あたし、引っ掛けられてたの?いやいや。

「何々?!お兄ちゃんのファン?!そんなのまだ存在してたんだ!」
 と、先の美人さんとは、タイプの違う美人さん。おお…目が癒される…。

 お母さんは、何か言いたげなお父さんを引きずって、あたしをその場に残して去っていった。
「おっふろ!おっふろ!」
 ……母?

 ろくな紹介もなしに取り残されたあたしだけど、美人さんたちを失望させては居たたまれない。
「杉田 弥依、十八才です!ご迷惑お掛けしますが、よろしくお願いします!」
 元気良く宣言したぜ。

「何から始めましょう!」
 と、働く気満々だったけど、
「明日からでいいわよ。今日はゆっくりなさい」
 いいんですか?美人(はは)さん。
 
「そうそ。この辺初めてでしょ?暇な旦那に案内させるから──」
 美人妹さんがすっと奥に入ると、優しげな男の人を連れてきた。
「これ、うちの旦那。…ほら!可愛いからって手出しちゃダメよ」
 と、あたしの手から荷物を引き取った。
 
「僕は君だけだし、義兄さんの秘蔵っ子に手出し出来るわけないじゃない」
 ? 秘蔵っ子とな?
 ポカンとしていたら、
「「「彼女じゃないの?」」」
 って、見事な三重奏。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
 声量の調整?出来るわけないわよ。
 何がどうなってんだ?

 お三方は顔を見合わせて、プチ家族会議に入ったようだ。
 うちの母は一体どんな斡旋をしてるんだ?
 そうだった、とか、あー、とか時折聞こえてくるけど、お他所のお宅の事情に首を突っ込んではいけない。
 聞こえないように離れて、陳列棚を眺めてよう。

 わ、可愛いな。
 かまぼこ?しんじょっていうのね。中に海老さんがいる。
 へえーかまぼこって一口で言っても、色々種類があるんだな。
 と、壁の隅に勢雄さんのサインと写真があった。
 勢雄さんっ!若い!
 うわっー!

「それ、二十年は前の写真よ。二十歳くらいの時かしら?」
 と、美人(はは)さんの解説。
「あの頃は、ここにも連日女の子が押し寄せてねーびっくりしたわよ。今じゃ閑古鳥だけど」
 て、顔に似合わない声でガハハって笑いだした。
 やっぱ兄妹だなー。勢雄さんみたい。妹さんの方が美人さんだけど。
 
「へえー。でも、今の方が素敵ですよね」
 ……あれ?……美人な母子は顔を合わせたあと、あたしの方に向いて、ふわって微笑んだ。ううっ…美のステレオ放送。
「あの子も幸せ者だ」
 って、ん?あたし、なんか変なこと言ったかな?言ったな。
「さて、そろそろ行こうか」
 と、妹旦那さんが声をかけてくれたので、乗ります!杉田逃げます!

「おー!大将!白昼堂々浮気かい!」
 と、道行く方から声がかかる。

「違います!僕は妻一筋です!夏休みのバイトの子です!」
 て、いちいち説明してるのが可愛い。
 てか、きっと回りの人たちも分かってて言ってる。
 うちの方じゃ、こんなご近所付き合いってないから、フィクションだと思ってたよ。

「人気者なんですね」
「遊んでるだけだよ。隣の居酒屋が僕の店。皆、常連さん。こっちはいけるほう?」
 人差し指と親指を、くいっと動かす旦那さん。
「? こっち?とは?」
 何だろう?
「お酒。飲まないの?」
「未成年ですから」

 お酒って美味しいのかな?
 入院中の勢雄さんも、酒だ、煙草だって言ってたよな。
 
 商店街を闊歩していたら、六回は浮気疑惑をかけられた。
 ん。人気のお店なんですね!

「戻りました!」
 ただいま、は違うかな?と思ったんだけど、美人(はは)さんが、悲しそうな顔になった。
 え?
「他人行儀じゃない」
て言われるけど…あう。
「えっと…すいません、えーっと、勢雄さん!」

 ……間違ってないよね?
「それ、言っちゃったら、皆『勢雄』」
 何でも、美人妹旦那さんは婿養子なんですと。

 美人妹さんは、自分を指差して
「わたしはおねえさん、とかでいいよ。旦那は」
「大将とか呼んでくれたらいいよ」
「では、私のことは、祥華(しょうか)とお呼びなさい」
 え?いやいやいやいや!ダメでしょう!目上の方を名前呼びとか!
「なんで、母さん。敷居をぐっとあげるの」
 そうです!美人…じゃない、おねえさん、その通りです!
「女将さんとか言われたくないもん」
 て、可愛いかよ。 

「ご馳走はないけど、召し上がれ」
 お風呂(温泉!)から上がって居間に通されると、食卓には所狭しとお皿が並んでいる。
 海鮮!うお…
「お魚ばっかりでごめんね。かまぼこも店の余り物だし」
「お魚大好きです!甲殻類は神!です!」
「そりゃ、良かった。たんと召し上がれ」
 
 気になってた、しんじょのお吸い物。
 ふわふわして、美味しゅうございます。

 ごちそうさまでした。


 
 

蹉跌の月

蹉跌の月

──不可思議な空虚。 沙の極。 たしかな呪文── あたし、──杉田 弥依(すぎた みい)。 高校の入学式当日、玄関ですっころんで骨が折った。 夢のような痛みの中で、 たどった声の 見えないのに確かな糸の輪郭に触れる。 せつなゆたう時間の隙間。 時の舟で流離う想い。 見ていたのは── あおいつきのみちかけ

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1・朔望
  2. 2・蛾眉
  3. 3・弓張
  4. 4・豆栗
  5. 『独り言ち──変若水/ヲチミズ』side;勢雄
  6. 5・既望
  7. 6・片割