ポチさん、仕事をする
未知なる路地に脚を踏み入れてしまった経験は誰しもが持つ、言わば普遍的な事象だと存じます。
そんな状況下で感じるのは、小さな存在である自分を圧倒する孤立と心細さ。しかしながら同時に、それらとは相反するようですが『ここはどこなのだろう?』『ここからどこへ行くのだろう?』という、好奇心や期待感なども覚えるのが常なのだと思われます。
それは、何の情報も持たない未知の領域で勇気を振り絞って第一歩を踏み出してこそ、新しい天体に遭遇することが可能であり、人はその事実を自らの経験から悟っているから、なのだと思うのでございます。
かの有名な井之頭五郎さんはこのように仰っております。
『己を信じて勝負に出てこそ未知の幸せに出逢える』
一瞥した所は単なる料理の失敗作だと思われても致し方ない、真っ黒な銀鱈の煮付け。
しかし、それが内に真っ白な裸身を秘めた秀逸で美味なる一皿だとは…
確かに、勝負に出なければ永遠に実現されることはない、稀有な出逢いでございましょう。
私のこの独白、いささか大仰な口上だと貴方の耳翼には響くのかも知れません。
しかしながら今現在、私が立ち向かおうとしている局面は、その『未知』そのものでありまして…
「もしかして緊張してる? ポチさん」と、アルカイックスマイルを上から渡してくださったのは、織お嬢様でございます。
当年とって齢13歳の、ま、一般的には少女に分類される彼女ですが、かなりの高身長。私がご厄介になっているタカナシ家の長女のサナコさん、そして次女のカナコさんとほぼ同等の高さとお見受けしましたから、そうですね、170cmは超えているのだと思われます。
そして、非常にお美しい。
アンチ・ルッキズムの思潮の暴風が世間に吹き荒れている昨今、この文言はいささか不謹慎に響きますのでしょうが、人が他者をその見た目で判断するのは神代の昔から連綿と続けられてきた営為である、というのは厳然たる事実です。
織お嬢様の容姿は、と言いますと、もしもこの世に神様が存在されているとしたら、彼(もしくは彼女?)が全身全霊を捧げて全力でタクトを振るった結果だ、と形容しても全然過言ではありません。
高い位置で微笑みを湛えている小さな頭部、その相貌は彼女のお母様にソックリでございます。眼許がキリッと引き締まったアーモンド型の大きな双眸。スッキリと通った高い鼻梁。健康さと意志の強さを伺わせるカメリア色の口唇。滑らかで艶やかな浅小麦色の皮膚は薄く、内部のエネルギーを透過させているようです。何ですか、織お嬢様におかれては生まれ落ちてこの方、今現在までメイクアップをした経験をお持ちでないとか。
かろうじて七五三の参拝の折に山形県産の紅花を素材とした紅をその唇に置いた事があるくらい、だそうです。
ま、織お嬢様、素材がとんでもなくよろしいので、メイクなど一生涯不要でしょう。
皮質の保湿にさえ注意を払っておけば、全てがOKなのだと存じます。
心持ち前下がり気味のワンレングス・ボブにカットされた濡烏の髪の毛先が涼やかな秋風に戦(そよ)ぎ、肩口をサラッと舐めております。左の顳顬(こめかみ)に装着された、白銀色に輝く太いプラチナ・ワイヤーに細工を施して形作られたハート型の髪飾りがお髪(ぐし)をまとめ上げております。そんなアクセサリーも彼女の美しさを彩る素晴らしいアクサン・スィルコンフレックス(accent circonflexe)として良い働きをしております。
長く伸びやかな四肢、そして細身の肢体を包んだ織お嬢様の今日のお召し物は、と言いますと…
あ!
迂闊!
申し遅れました!
織お嬢様のお名前、織と綴りまして『イト』と呼ばせるのでございます。
何ですか、織お嬢様のお母様のお名前が『結衣(ゆい)』でして『衣を結うにはイトが必要』との謂れ、なのだそうでございます。何とも素敵な名付けの方法であられますなぁ。
それで今日の織お嬢様のお召し物は、と申しますと、オックスフォード・カラーの白い細番手のコットンシャツ。長く伸びやかな御御足(おみあし)を際立たせる細身のワンウォッシュ・デニムのパンツ。足許は復刻版のエア・マックス'94。若干大きめの白黒ハウンドトゥース柄がレトロチックな雰囲気をそこはかとなく醸し出すジャケットを羽織っておられますが、何でしょう、織お嬢様の若々しい生命力との相乗効果でアウフヘーベン(aufheben∶止揚)を誘発して、とても魅力的な容貌として網膜上に像を結んでいるのでございます。
「いいえ、緊張なぞ一向に覚えておりません、お嬢様」私は彼女の尊顔を見上げました。
織お嬢様はその返答に満足そうな笑顔を浮かべ1つ頷くと、横に立っている小柄な男性に視線を移しました。
その男性は、と言いますと…
あっ!
またまた不注意な真似を仕出かしてしまいました!
皆様に対して自己紹介が未だ済んでおりませんでした!
誠に申し訳ありません!
私、ポチでございます。
ミヤウチ家でお世話になっております、野良犬上がりの老犬です。皆様にお眼にかかるのは一年振りの事になるのでしょうか。
本当にお久し振りでございます。
一瞥するに皆様におかれては、ご健勝のようで、これは非常に喜ばしい事でございます。かく言う私も1つ歳を重ねまして後期高齢者の最深部の方へと進んでしまう事態になりましたが、幸いにも身体の方は至って健康そのもの。脚腰が弱る気配も無く、日々の朝晩の散歩に勤しみ次々と立ち現れる電柱の群れへのマーキングに対しても万全、そこに余念は全くありません。そう言えば、最近増えて来たステンレス製の電柱、我々イヌ達のマーキングによって腐蝕したりはしないのでしょうか?
これは我々イヌ達が抱く微かな心配の種なのでございます。倒壊とかしないでしょうね?
そして眠気に襲われる時間は多少増えましたけれども、頭脳の方も、ま、若い時分の明晰さを少しも失う事なく、この老犬の灰色の大脳皮質は機能を十全に維持できております。
年明けを跨いで、こうして恙無(つつがな)く皆様と再会できた事を私、稀なる慶事なのだと心の底から感じるのでございます。
あ…男性の話でしたね。
織お嬢様が嬉しそうに腕を組んでらっしゃるのは彼女のお父様であられる六分儀研吾様でございます。織お嬢様よりタバコ一箱分ほど低い身長なのですが、その正方形に近い体躯はサッカーのミッドフィールダーのようで、立ち居振る舞いは滑らかで無駄が無く俊敏、その挙動はネコ科の靱(しな)やかさを連想させます。ヘリンボーン柄のチャコールグレイのジャケット、細番手のカシミアウールで編まれた黒いハイネックニット、黒いウールパンツ、そしてホールカットの黒い革靴。(ホールカットとは、一枚の革で足を包み込むように作られた、踵〔かかと〕部分以外に縫い目のない革靴のデザイン)
バリカンではなく明らかに丁寧な鋏捌きによって刈り込まれた、所謂おしゃれ坊主である頭部の下に続くのは手斧で削(はつ)ったような落ち着いた佇まいの相貌です。顎のラインを綺麗に縁取る様に剃られたヒゲは顔付きをより一層精悍に見せております。
そう、全身黒尽くめのコーディネートの風貌から受ける『剣呑』という印象を一蹴させるのが、余裕の微笑みを絶えず蓄えているこのお顔付きなのでございます。
(ま、ジャケットはチャコールグレイでございますけれども)
日本人男性としても小柄な部類にカテゴライズされるのでしょうが、私が初めてお眼に掛かった時、山塊のような存在感に圧倒された記憶がございます。身体の小ささに反比例するような重厚感、質量の大きな物体は強大な万有引力を備えていると申しますが、その時、六分儀様が放射する巨大な『重力』に誘引されるような錯覚に囚われたのでございます。
私が想像するに、六分儀様に備わった精神力の質量が膨大なのでこれ程までの『引力』を産み出せていると形容できる、なのかも知れません。まさに天空海闊なのでございます。
六分儀様は三浦半島の先端に程近い横須賀市武にある荒川自動車という自動車整備工場の整備主任を担当されておいでです。私が知己を得るきっかけを作ったのはミヤウチ家の長女、サナコさんです。数年前に彼女が、元は立派な『オートバイ』だったかも知れないけれど歴史の荒波に揉まれて単なるガラクタへと変貌を遂げた哀れな残骸をドコからか入手してご自分の力だけでレストアしようと画策されたのが、そのエピソードの嚆矢でした。
事の顛末を申しますと、ガラクタと化した元オートバイの修復などサナコさんの稚拙な技術力では如何ともし難く、結局は当時の恋人であり現在のパートナーであるヒロさんが紹介してくれた荒川自動車へとその『残骸』を持ち込んで、プロの整備士である六分儀様にレストア作業を託したのでした。3週間ほど経過した後に、六分儀様の手に依って残骸から見事に新車同様へと蘇生を施された『Harley-Davidson FLH Electra Glide 1965』が無事にサナコさんの許に納められる運びとなったのです。
その荒川自動車、今では5人の優秀なる整備スタッフを抱える中規模の整備工場へと拡大・発展を遂げています。そこで整備の対象となるのは一般的なクルマだけではなく、600PSを超える高出力エンジンを搭載した超弩級のチューニング・カーも受け付けているのが特徴です。
持ち込まれた機体が、仮令(たとえ)どんなに草臥(くたび)れていたとしても新車同然にまで仕上げて貰えるというその秀逸な仕事振りが評判を呼び、整備の依頼が引きも切らずに殺到するという業界屈指の高い人気を誇る整備工場へと成長した荒川自動車。
ま、繁忙過ぎて新しい顧客を中々受け容れられないのが、六分儀様の最近の悩みだとか。
その六分儀様の一粒種であるのが、この美貌の少女たる織お嬢様でございます。
ミヤウチ家にご厄介になっている私が何故このお2人と行動を共にしているかと申しますと、ま、簡潔に言うとミヤウチ家の家屋自体が、リフォームというよりもリノベーションと表現するのが精確であろう大規模改修の絶賛施行中だからでございます。
そのミヤウチ家屋のレストア作業中に問題となったのが私と娘の慧茄の所在なのです。
ペット在住可能な賃貸マンションはあるにはあったのですが、ご主人たるアキヒコさんのお仕事の都合や彼の愛車であるBNR34 M.spec Nürを保管するためのガレージの手配などの引越しに付き物の細々とした各種の条件を考慮すると、ペット可で短期間の利用が可能な賃貸マンションが中々見付けられず困っておりました。途方に暮れるミヤウチ夫妻を見るのは私と慧茄にとっても少々辛いものでした。
さて、そんなお2人に解決策をもたらしたのは、前述したサナコさんでした。
結婚してパートナーであるヒロさんとの2人暮らしを始めても、あまりお得意とは言えない自分の手料理を補完するために頻繁に実家への『里帰り』を繰り返し、奥様であるサチエさんお手製の晩御飯のおかずをかっさらう、いえ、掠め取る、いやいや、略奪、こほん、収奪する、えー、もっと穏当な表現が必要ですかね、実家からおかずの配給を受け取るという行為に勤しんでおられました。
私と慧茄の処遇に苦慮していたミヤウチ夫妻に対して「なら、六分儀さんに頼んでみたら」とサナコさんが提案なさったのです。
「ポチさんも慧茄も織ちゃんに随分と懐いてるから、大丈夫じゃないかな?」
六分儀様と織お嬢様、そして荒川自動車の取締役社長の野々原咲耶さんが暮らしているのは荒川自動車に隣接する形で建っている入母屋造りの屋根が特徴的な日本家屋です。
この家にはナスやらキュウリやらトマトやらを生育可能な家庭菜園もあるくらいの広々とした庭があって生物の棲息には非常に適しております。そしてアキヒコさんとサチエさんご夫妻はひと月に一度のペースで野々原咲耶さんと相模湾に面した三崎港にある市場である『うらりマルシェ』に新鮮な食材を調達しに3人でイソイソとお出掛けをするという、ま、言ってみれば昵懇の関係でございまして、ですから私と慧茄が野々原家(?)に預けられる運びとなったのは必然とも形容できる展開だったのです。
現在、六分儀様と織お嬢様の2人と私1頭がおりますのは、前橋市に位置する、とある洋食系のレストランの駐車場でございます。数分前に六分儀様が巧みにステアリングを操ってコーンフラワー・ブルーのBNR-32を氷上を滑るようなスムースさを保ちながらこのレストランの駐車場に乗り入れさせ、パーキングロットにキチッと停車した後、2人と1頭はクルマから降り立ったという経緯なのでございます。
何故、私と六分儀様、そして織お嬢様がこの地にいるのか、その理由をご説明致したく存じ上げます。えー、とですねぇ…
「さ、行くよ。ポチさん」
私にそう告げると織お嬢様はリードを手繰り始めました。
あっと…皆様に我々が置かれたこの状況のご説明が…済んでいないのですが…
どの人間にも未知の領域という、未踏の時空間があるのだと想像できるのですが。
私が現在直面しているのが、その『未知の領域』なのでございます。盲導犬や介助犬などの身体障害者補助犬ではなく、単なる野良上がりの駄犬である私、レストランなどという小洒落た空間に脚を踏み入れた経験など悉無(しつむ)です。過去に一度だけですが、サナコさんとヒロさんの結婚披露宴への参加の要請がありまして、その宴が催されたフレンチレストランへとお2人から直接に招待されたことがありました。しかしお店側からの『誠に遺憾なのですが介助犬以外は不可です』との申し入れに対して、お2人は『ポチさんは家族です』と猛抗議をされたものの結局はレストラン側の要望を受け容れて、私1頭だけがミヤウチ家の玄関の三和土に『ポチさんのお部屋』と明記され設置された段ボール箱の内部で丸まりながら通常のように午睡を貪る顛末になったのを昨日の事のように思い返します。
ですので、レストランのテーブルの下から眺める風景は初めての物でございます。何でしょうな、ついぞ覚えた事のないこの違和感は…まるで異空間に迷い込んでしまったような。
この洋食系のレストランに到着したのはランチタイムも終了しかけの遅い午後でございました。おそらくそのお陰でしょうか、待たされる事もなく即座に入店、案内された若干広めの4人掛けテーブルにお2人は着席、その広々とした余裕溢れる足許に用意されたイヌ専用の毛足の長いムートン・ラグマットに誘導され、白い羊毛を下敷きにして丸くなる私。
その存在自体は伝え聞いたことがあったのですが、ペット同伴可能なレストランがこの世界に実在しているとは…
私のような野良上がりの駄犬が迷い込んでも良い場所なのでしょうか?
ホストファミリーから毎日毎日手厚いお世話を受けている『おイヌ様』だけに用意された特別な菜館とか…ではありませんか…
え?
いえいえ、保護されて以来、ミヤウチ家で打っ太い庇護を受けておりますよ、私は。
あ、それと私の娘である慧茄(えな)も本当に懇篤(こんとく)なる面倒見を受け続けております。誠に絶える事のない感謝感激の嵐なのでございます。
ふぅ…危ない、危ない。
無意識とはいえ、ご厄介になっているミヤウチ家の批判をしてしまう所でした。
しかし、このラグ…見知らぬイヌの匂いが付着しておりますな。この臭気物質からすると、メスのシバ、6歳という所でしょうかね?
きっと猫可愛がりを受けている過保護イヌなのでしょう。イヌなのに猫とはこれ如何に。
あぁ、理由は不明ですが今の私、妬み嫉みの塊と化しております。ダメですね。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、と申します。
無念無想の境地にあれば,どんな苦痛も苦痛と感じないものです。
(杜荀鶴「夏日題二悟空上人院一」より。禅家の公案とされ,1582年甲斐(かい)国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際,住僧快川(かいせん)がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる)
嫉妬心や僻みなどという形而下の下らない感情に囚われてはいけないのでございます。
(形而下=時間・空間の中に,感性的対象として形をとって現れるもの)
サナコさんとカナコに拾われる事で常に死と対峙せざるを得なかった窮状を脱出する事ができたのです。そのご恩は、今も忘れることはありませんし、私の命が続く限り記憶の中に留まっていることでしょう。
私は物心ついた時には既に独りぼっちでした。
野良犬として街中を放浪しなければなりませんでした。
それは本当に苦しい毎日でした。
来る日も来る日も、食糧探しに明け暮れる、そんな日常が続いたのです。
その頃の私は物凄く若く、生まれ落ちてわずか半年余り、赤ちゃんに毛が生えたような年齢で自分の生計を自分自身で立てて行かなければいけなかったのです。
そんな暮らしぶりがその後数ヶ月でも続いていたとしたら、私はとっくに死んであの世に旅立っていたでしょう。
そんな難局から私を救い上げて下さったのが、カナコさんでした。
長女のサナコさんと一緒に、ミヤウチ家の近隣の公園に遊びに来ていたカナコさんが、余りの空腹の為に動けずに楠の大木の根元でうずくまっている私を見付けてくださいました。
『このままじゃ、どうなるんだろ?』
そう思っている私に掛けられたお言葉が、
「ワンワンさん、だいじょうぶ?」
カナコさんでした。
首を持ち上げて声の方向を見ますと可愛いお嬢さんが心配そうな表情を浮かべながらしゃがんでいました。自分では『大丈夫ですよ』と答えたつもりでしたが、口から出たのは「ハフ、ハフ」という吐息だけでした。
その当時の私は子犬でとても小さかったのでしたが、あのころカナコさんは3、4歳でしたか、子供には手に余る大きさで、結局3歳年上のサナコさんが大事に胸の中に抱えてこの家に連れて帰ってきてくださったのでございます。
「ママ、ワンワンさん」
カナコさんがそうサチエさんに告げた時に、
「あら、可愛いわね」と笑顔で奥さんが答えてくれました。
こうして私はミヤウチ家の一員になる事ができました。
嬉しかったです。
本当に、嬉しかったのです。
実はミヤウチ家は飼っていた犬を亡くしてしまったばかりで、新しい犬を購入する手筈を整えつつあったのです。ジャーマン・ショート・ヘアード・ポインターをブリーダーさんから頂く段取りが出来ていたらしいのですが、サチエさんのその一言でその全てが引っ繰り返ったのでした。
私にとってサナコさんとカナコさんのお2人に出逢えたのは本当に、僥倖でした。
カナコさんは姉のサナコさんといつも一緒に遊んでいたそうです。
あの公園に2人だけで遊びに行ったのはそれが初めての事だったそうで、私と出逢ったのは単なる偶然に過ぎなかったのです。
今、私が願う事の1つは、本来ミヤウチ家の一員となる筈だったジャーマン・ショート・ヘアード・ポインターさんが幸せである事です。
ミヤウチ家と同じ様な暖かい家庭に引き取られていると嬉しいのですが…
素晴らしい環境を奪い取ってしまった、そんな負い目というか引け目を時々感じます。
で、こうやって私は世界に1匹で放置された野良状態から脱出できたのでございます。
そうです。
私も野良上がり、そして娘の慧茄も野良猫。
現在自分の置かれた状況は偶然の産物ですけれど、全くの幸運なのです。
その幸運を忘れてはなりません。感謝の気持ちを抱擁し続けなければならないのです。
さて、懺悔の告白はこれくらいにして措きましょう。
「ポチさん、これ」織お嬢様がビスケットのような物体を私の吻の先っぽに差し出してきました。
何でしょうか?
「マスターの飯豊さんがくれたんだよ。自家製のパンプキン・クッキーだって」
ほほぅ、パンプキン・クッキーとは洒落が効いておりますな。
店名と引っ掛けておるのでしょうか?
しかし、こうやって織お嬢様とは会話を交わしておりますが、六分儀様は一向に気に掛ける様子を顕現されません。傍から見たらペットと会話を交わしている飼い主、よく見掛けますものね、最近は特に。そうそう生成AIとチャットする人間も増えたそうですな。
もちろん六分儀様は私と織お嬢様が『本当に』会話を交わしている事を重々ご承知でございます。ま、ザックリ表現すると慣れておいでなのです。この世界は広くそういう事象も起こり得るだろうと、根っからのサイエンティストの彼は心底思っているのでございます。
『私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりも滑らかな小石や可愛い貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、全てが未発見のまま、眼の前に広がっているというのに』
これはアイザック・ニュートンによる『真理』の広大さを示す有名な言葉です。
六分儀様は、人間がどうやっても打破する事ができないこの世界つまり『摂理(〔divine〕providence』に対するヒトという生物の知覚と認識の限界を十分弁えていらっしゃるのでございます。
注:摂理=(divine)providence:森羅万象を支配している理法。キリスト教で,この世の出来事が全て神の予見と配慮に従って起こるとされること。
先ほどこのお店の名前とパンプキン(南瓜)に付いて何事か言いかけましたね、私は。
お2人と私が現在滞在しているのは前橋市にあるレストラン・ズッキーニ。
ズッキーニはイタリア語で『zucchini』
カボチャの一種で北米南部・メキシコが原産地とされています。そこから欧州へと渡り、19世紀後半にイタリアで改良され現在のキュウリに似た細長い品種が育成されたそうです。北米やメキシコから輸入が開始されて日本の市場で普及し始めたのは1980年頃からだそうでございます。果皮は緑色または黄色をしており、若い果実をフライや炒め物などにして食するのが一般的だとか。ま、生食は可能なのですが、ただ硬くて人間では文字通りに歯が立たないそうです。
このレストラン・ズッキーニの創業は1983年とネット情報にありますから、ズッキーニという果実を示す単語、随分とこの情報を収得するのが早ようございましたなぁ。ただ、ま、ズッキーニという言葉自体は伊語ですから、パスタ料理をメインとするこのレストランに相応しい店名だとも言えましょうか。
さてパンプキン・クッキーも食べ終わりましたし、少し遅めの午睡を耽溺することにしましょうかね。
「眠っちゃった、ポチさん」テーブルの下を確認したイトが顔を上げた。
「そう」
「慧茄ちゃん、置いて来ちゃったけど怒ってるかなぁ?」イトはイメージを思い起こそうと右斜め上に視線を走らせた。
「仕方無いさ。彼女に対してはミヤウチ夫妻から直々に外出絶対禁止のカーフューを申し渡されているからな」ケンゴは言葉を続け「それに咲耶さんにとっても暇潰しの良い相手だよ」と言った。
「ダイジョブかな、咲耶さん。ママさんバレーで張り切り過ぎて腰を壊しちゃうなんて」
「年寄りの冷や水、だなんて絶対に言うなよ」ケンゴが含み笑いを漏らした。
「言う訳、ないじゃん」イトがプクッと頬を膨らませた。
そういう振る舞いを見ると、初めて会った頃の事を思い出すな。ケンゴは遠くにある記憶を想起しながら、思った。
イトはハウンドトゥース柄のモノラル・ジャケットを既に脱ぎ終えていて、綺麗に畳んだ後、隣の椅子の座面にキチッと置いていた。その所為か、2つ目のボタンまで外された白シャツの襟から顔を覗かせている青緑色の宝石がその存在を無音で喧伝している。エルメス製のチョーカーにペンダント・トップとして付加されたネオンブルーのパライバトルマリンだ。
ふぅ…
ケンゴは微かな溜め息を一つ吐いた。
Argyle Pink Diamond社の『Red Mirage』をイトが『大三島のお婆様』と呼称する米田稲に返還するために名古屋市東区白壁にある彼女の本宅を今年の4月中旬に訪問した時の状況が大脳皮質内で蘇生されたから、だった。
(愛媛県今治市大三島は米田稲の生誕地で今もその地に実家がある)
お屋敷という言葉の定義にしたいくらいのお屋敷だった。
白壁といえば名古屋市の中でも高級住宅街として名高く、第二次世界大戦の戦災を免れたのがその理由なのだろうか、落ち着いた雰囲気が街全体を優しく支配していた。
名古屋財界人の瀟洒な邸宅が立ち並んでいたが、その豪邸揃いの中でも際立ったアウラを放射していたのが米田稲の住まう本宅だった。豪華なだけ、大きいだけなら米田家の周囲に腐るほど建っているが、視覚的に分かり易い豪華さや規模的な巨大さとは次元を異にするその佇まい。『本物』だけが身に纏える空気をその敷地全体に湛えていた。
ケンゴは無意識の内にブルっと身体を震わせた。
別に寒さを感じた訳ではなかった。彼の羽織ったスプリングコートは十分な仕事していた。
本物だけが持つ満腔のアウラに圧倒され、怯えにも近い畏怖の念に襲われたからだった。
ところがイトは涼しい顔で「ね、早く入ろうよ」とケンゴに促した。
何も感じないのか?
ケンゴは訝ったが、秒針が時を刻むよりも早く、イトも『本物』だからな、と思い直した。
今日のイトは年相応の格好、榛色のタートルネック・セーターに橡(つるばみ)色で膝丈のプリーツスカート、足許に黒いナイキのスニーカー等を身に纏っている。
2人の視線が絡む。
春の柔らかな太陽光に照らされたイトの左の虹彩が妖しい濃藍色の輝きを放った。
その漆黒よりも黒くて濃い藍色に背中を押されたケンゴが、これまた『荘厳』という単語の定義にしたいくらいの構えをした門を潜った。その瞬間、ケンゴの海馬が『サマーウォーズ』という映画の、とある1シーンを皮質上に想起させた。
「それはもう織ちゃんの物」
ケンゴが差し出した小箱を一瞥した稲がスッと言い放った。
稲の口調は丁寧で柔らかだった。彼女の物腰も穏やかで鋭利さは微塵も感じさせなかった。しかし稲が発現している態度は峻厳で、構音こそされなかったけれど『断固として真紅のダイアモンドの返還は認められない』というセンテンスが言外に含まれていた。それは宣告に近かった。稲は身体を退くような挙措を見せた。その彼女の所作が大島紬の着物から衣擦れの微音を立てさせた。奄美大島に自生するソテツがデザインされた幾何学模様、白と黒の糸が織りなす龍郷柄(たつごう・がら)だった。彼女が見せたのは微かな動きだったが、それはケンゴの申し出を拒否する身体言語に他ならなかった。流麗に結い上げられた纏め髪の存在がその非言語コミュニケーションに拍車を掛けているように映った。
「し…しかし、これは…これは頂けません」揺らいだ感情がケンゴを吃らせた。
「なぜ?」
「これはArgyle Pink Diamond社の…名前付きの…レッド・ダイアモンドです…」
「ルース(loose:裸石:カット済みだが未セッティングの宝石)で10万ドルを超える石には、大体のケースで名前は付いているもの。宝石業界のって、そういう慣行だし」
「いや…そういう意味ではなくて…」自分の意図が伝わらない状況にケンゴの動揺はその激しさを増した。いや、伝わっているんだ、十分に。こちら側の言いたいことは。でも、稲さんが意識的に論点をずらしている。マズいぞ。ケンゴは焦燥感に駆られ始めた。もどかしさが全身発汗を促進した。
「そういえば、織ちゃん、もうすぐ誕生日よね」
稲は視線をケンゴの左隣りに移行させると、荒天の範疇へと移行しつつあるケンゴの心模様を真っ向から無視して、話の流れを更に飛躍させた。
「はい。1週間後です」イトの朗らかな声が20畳はある応接室の内壁を叩いた。
「これ、プレゼント」既に用意されていたボンボニエール(bonbonnière:砂糖菓子を入れるための小型容器)ほどの大きさの箱をイトに手渡した。
「ありがとうございます!」
オレの娘は『遠慮』って呼ばれる概念を持ち合わせてないのか?
イトの素直過ぎる反応に、俯きながらケンゴは出掛かった嘆息を無理やり飲み込んだ。
稲にレッド・ダイアモンドを返還するという一見すると凄く簡単な目的を達成できない。
どこで、どう、何を間違ったのだろう?
宝石を返すというだけの、言わば『小僧の使い』以下の容易に遂行可能な作業が何故、実現できないのだ?
ケンゴは自分では絶対に正解を出せない事を承知していながらも、繰り言のように自問自答を胸筋の内で呟き続けた。イトに一瞥を送ると、彼女が小箱の中からネオンブルーの輝きを放つ紺碧の宝石を取り出したところだった。
ケンゴは心の中に湧き上がってくる諦念を感じた。
「このパライバトルマリンって石も凄く綺麗だよね」
ケンゴの視線が自分の胸許で焦点を結び始めたのを敏感に知覚したイトが微笑んだ。
「あの『Red Mirage』って石が怒らないかな?」
「?」
「だって、この碧の石に自分の居場所を奪われちゃった感じだし…」
「居間の桐箪笥の中で大切に保管されてるんだ。きっと安堵の眠りを楽しんでるさ」
イトの少し不可思議に響く感性に軽い聳動を覚えつつも、ケンゴは帯を解くように言った。
昨日エルメス製チョーカーのペンダント・トップの座を紺碧の石に譲ったレッド・ダイアモンドである『Red Mirage』は静かな暗闇の中で穏やかな余生を過ごしているはずだった。
「これにも名前付いてるんだよね?」
「そう。『Mato Grosso』ブラジルの州の名前でもあるね」
「意味は?」
「ポルトガル語で『深い森』だよ」
「ふーん…」
「?」
「したいんでしょ?」
「何を」
「パライバトルマリンについての説明」イトが小悪魔的な笑みを漏らした。
見透かされてんな、オレ。
ケンゴは苦い微笑みを湧出させながら言葉を紡ぎ始めた。
「そいつのセッティングを頼んだ時に宝石商のカピルさんも驚いてた。
専門家の彼でもファースト・マイン(First Mine)のパライバトルマリンは初めて見たって」
「ファースト・マインって、その宝石が採掘されるようになった最初の鉱山のこと、だっけ?」
「それもある」
「?」
「宝石の世界においてファースト・マインってのは、一般的に使用される専門用語ではないんだ」ケンゴの柔らかな聲がイトの耳朶を優しく叩いたので、彼女は軽いくすぐったさを覚えた。彼は、彼女の心の揺らぎに気付かない振りをして、話を続けた。
「1987年」
「?」
「1987年にブラジルのパライバ州に位置するバターリャ鉱山で初めて採掘された新種のトルマリンが…」
「これ、なんだ」
「そう。ファースト・マインって言うのは特定の宝石が史上初めて発見された『最初の鉱山』とか、その宝石の採掘において、その鉱山で初めて見つかった宝石そのもの、もしくはそれに近い価値や特徴を有する石を意味する言葉なんだ。
具体的には、採掘された最初のロットで産出された、品質の高い宝石を指すことが多い。
パライバトルマリンは、その最初の鉱山であるバターリャ鉱山から採掘された良質な原石は総量が僅か15kgだった。ほんの数年で鉱床は底を着いてしまって閉山となったんだ」
「ふーん」
「ま、その後でブラジルの他地域やアフリカ大陸でも産出されるようになった」
「アフリカ…大西洋を挟んだ向こう側で?」
「そう。太古の昔、パンゲア大陸とかゴンドワナ大陸とか呼ばれていた時代には南米ブラジルとアフリカ大陸は地続きだったから、それが理由なのかも知れない」
「なるほど」
ケンゴは眼差しの先端で指し示しながら「イトが貰ったその『Mato Grosso』は、人類史上初めてパライバトルマリンが採掘されたバターリャ鉱山で最も初期に産出された最上質な原石からカットされた…」ケンゴの声色が少し霞んだ「…本当に希少で歴史的にも価値が高い石なんだ」
「ふーん」
「カピルさんによると宝石業界では『幻の宝石』って呼ばれてるらしい。
滅多なことでは市場に出て来ないから」
「貴重な物なんだね」
「鉱山の最初期に採掘された宝石、特に最初のロットの石は、その鉱山の特徴を最もよく表しているとされていて、同時に高品質である傾向が強い。でも総量が15kgしかなかったから…」
「全ての新しい始まりは、別の何かの終わりから産まれる」
「?」
ケンゴの、異質な何ものかが新生された現場に偶然行き合わせてしまった気不味さを顕にした彼の表情に対して、軽い驚きと少しの優越感を覚えながらイトが言う。
「この前、英語の先崎先生が仰ってた言葉」
「ははぁ…」
「ははぁ…?」
「優秀な整備士にだけ許された専門的用語だ」
イトは『昔、誰かが同じことを言ってたような記憶があるけど』と思った。そして「で?」と話を続けるように誘い水をケンゴに注いだ。
「南国の海のようなネオンブルーの輝きを放つパライバトルマリン。その産出量の少なさから世界三大希少石に数えられることもある。良質な…」イトの首許に一瞥を与えてから「良質な石、取り分けファースト・マインには同じ大きさのダイアモンドよりも遥かに高額の値が付く…らしい」とケンゴは言を紡いだ。
「あら、ま」
「あら、ま?」
「1人の平凡な少女にだけ使用を許された専門用語」
平凡な少女、だと?
いつからそんな減らず口を利くようになったんだ?
ケンゴは苦笑を噛み締めるしかなかった。
「名前はこのパライバという最初の産地に由来している。発光するようなネオンブルーという印象が強い宝石だが、含有する成分や産地の違いによって澄んだブルーから柔らかなグリーンまでの色幅があるそうだ。
ま、現在では産地に関わらず一定の銅を含んだ青〜緑色のトルマリンを『パライバトルマリン』と呼んでいる…」
「と、カピルさんが教えてくれたのね」イトが微笑みながら居住いを直した。彼女の首許を飾る紺碧の宝石が揺れた。少なめに見積もっても30ctはあるだろうその大きさ。南洋ってこんな色してるんだろうなって妙に納得させられる、エレクトリック・ブルーとも呼称されるその輝き。宝石に関してズブの素人であるケンゴの眼にもその素性の良さが理解できた。
また、厄介な代物をくれたもんだ、稲さん。
ケンゴは何度目かの諦念に襲われた。
鼻先をくすぐる芳しい香りが固く閉じられた筈の私の目蓋を開かせてしまいました。
あぁ、店員さんがオーダーを取りに来たのですね。彼女の挙動が店内を満たす、実に美味しそうな芳香を撹拌したのですか。私は店員さんの後ろ姿を眼で逐(お)いました。
ロングスリーブの白いポロシャツ、タンカラーのチノパンツ、そして足許はニューバランスのスニーカーです。纏め上げた髪の毛をバンダナで喧嘩かぶり様に覆っています。
うん、飲食店の店員さんとして非常にふさわしい格好と言えるでしょう。
それにしてもお2人は何をオーダーしたのでしょうか?
あぁ、六分儀様と織お嬢様、そして私の2人と1頭が何故前橋市に滞在しているのか、についてのご説明が済んでおりませんでしたね。
ま、端的に申しますと荒川自動車で使用される製品や部品などの調達に参ったのでございます。荒川自動車さんは、昔から製品や部品の調達に関しては一括してパーヴェイヤー・ユースケ・ナカヤマ(purveyor:仲介者、調達者のこと:中山裕介)に任せているのですが、そのユースケ・ナカヤマ様が運用されている横浜市旭区の倉庫が手狭になってしまった→広大な倉庫を求めて関東一円を捜索→群馬県高崎市郊外に理想に近い倉庫を発見→間髪入れずに即契約、と、まぁ、そういう経緯でございまして。
御用達である調達者の倉庫での用事を済ませた後、高崎市に隣接する前橋市に位置するこのズッキーニというレストランを訪問したという訳です。
私?
ま、散歩の代替として引率してきたのではありませんか?
真の理由は探索される事のない答えを山積した倉庫の奥の方で惰眠を貪っているのかも知れませんね。こういうのは放置しておくに限ります。知らなくても良い事でこの世界は満ち溢れているのですから。
『There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy.(この世には君の人生哲学全てを超える数多くの物があるのだ、ホレイショウ)』
おや、何か仰いましたか?
空耳…気の所為でしょうかね?
六分儀様もご自分で料理をなさいますし、織お嬢様も年相応の拙さを見せるものの一応優雅(?)に包丁を振います。しかし、圧倒的な頻度で野々原家のキッチンに立つのは咲耶さんです。この咲耶さんのお作りになる料理が筆舌に尽くし難いくらい美味しいのです。
ですが、テーブルの上に並べられるお皿の大半は中華料理系か和食系に限定されていて、
「パスタ? 何、言ってんだい。スパゲッティーだろ?」とのご高説と共に、織お嬢様による『洋食系のプレート希望』の切なるご要望は即断却下されるのが常なのでございます。
ですが、捨てる神あれば拾う神あり、とはよく申したものでございます。
織お嬢様がInstagramを斜め観していた所、前橋市に美味しいレストランがあることを伝える画像との偶然の出逢いがございまして、調べたらレビューの評価も4.8と高く、レビューのコメント欄も絶賛の嵐(多少の臍曲がりはどの世界にも存在しますので100%ではありませんが)でした。
そこで試しにパーヴェイヤー・ユースケ・ナカヤマ様の倉庫を訪れた次いでとしてこの洋食系のレストランの敷居を跨いだのでございます。そこでズッキーニさんが提供するパスタの美味しさに目覚めたお2人、今やパスタが食べたいから何かしらの用事を作ってユースケ様の倉庫を訪問、そしてこのズッキーニさんに入店するという、まさに本末転倒である逆転の流れとなってしまいました。
このズッキーニのオーナー・シェフである飯豊さんは、その最初の来店の時から織お嬢様に対してメロメロ、ぞっこんベタ惚れ状態でございまして、従来からのメニューに載せられたグラタンスパゲッティは実はシーフード入りなのですが、彼女の「チキンのクリームパスタが食べてみたいなぁ」とのリクエストに応える形として、本来はメニューに掲載されていないチキンホワイトシチューを流用したグラタンスパゲッティを急遽作成してしまうという激甘の神対応を見せたりもしたくらいなのです。
ま、そういう訳ですから本日も織お嬢様はグラタンスパゲッティ・チキンをオーダーされたのでしょうね、推察するに。
おや、向こう側のテーブルの2卓、通路越しに何やら会話を交わしている男性2人がおりますね。
どんなお話をなさっておいでなのでしょうか?
それでは耳殻を聳(そばだ)ててみることにしましょうかね。
「大丈夫ですかね、あの親子?」
どことなく、ちいかわを連想させる暗灰色のスーツを着用した小柄で細身の男性が通路を隔てた隣のテーブルに座るもう1人の男性に話し掛けた。
「?」
通路を隔てた隣のテーブルに着いている男性は黒いキャップを前後逆に被っていて、黒のTシャツを着用、これまた合わせたように黒色のショートパンツを穿いていた。言ってみれば全身黒で固めたファッションだった。非常に頑丈そうな印象を周囲に与える立方体を連想させる体躯、ノック用のバットで殴ったら逆にバットの方が悲鳴を上げそうなくらいの偉丈夫だった。
「いや、さっき横を通った時に聞こえちゃったんですけど、あの女の子がレギュラーサイズを頼んでたんですよ」
「!」
黒い男性が眼を剥いた。元々大きなサイズの両眼がより一層強調された。
そして、ちいかわスーツの方に身体ごと向きを変え「レギュラーサイズを?」と返した。
「はい」ちいかわスーツは頷くと「しかもグラスパ・チキン」と黒い男性に伝えた。
「グラスパ・チキン…あれ、レギュラーサイズだと全部で3kg弱あるんじゃなかったっけ?」
「…多分…」
黒い男性が遠くを望むように眼を細めた。
「超絶的な美人さんじゃんか」
「そうですね」その話題をスルーするかの空気感を醸し出しながら、それでも再び首肯しながらちいかわスーツは同意した。
2人が通路越しに会話を交差させていると、ペスカトーレと思しきパスタが載せられたお盆を掲げながら「通りまーす」と元気な声を掛けながら店員の女性が間を通り過ぎようとした。見知った顔の店員さんだったから、反射的にちいかわスーツが声を掛けた。
「四月一日(わたぬき)さん…」
自分の苗字を呼ばれて、その女性店員は立ち止まった。
白地に青い幾何学模様が描かれたバンダナを喧嘩被りしていて長めのエプロンを着用している。さきほどイトとケンゴのオーダーを伺った店員だった。
「何ですか?」早くしないとパスタが冷めるだろ、という焦りを隠そうともしていなかった。
その焦燥が感染したようにちいかわスーツも少し吃りながら、尋ねた。
「…あ…あの、あそこの2人連れ…親子さん?」
「そうですよ」呼び止められた彼女の返事には『いいから、早く論点を言えよ!』との隠された思惑が構音された言葉の群れ以上にふんだんに塗されていた。
「大丈夫?」
「?」
「さっき、横通った時にオーダー聞こえちゃったんだけど。多過ぎじゃない?」
『あぁ』という表情を浮かべ「あの2人なら大丈夫です」と諭すように伝えた。「超絶美少女ですよね、あの娘さん」
ちいかわスーツは無意識に頷いてしまった。
「でも、綺麗な外見に騙されちゃダメですよ」
「?」
「ほんっとに喰うから、あの娘(こ)」四月一日さんは意図的に自身の言い回しの中で『食べる』ではなく『喰う』を選択した。その行為が何事か全てを物語っていた。
「ホントに?」
「何なら少ないくらい」と呟いて「じゃ、行きますね」と彼女は2人の間から立ち去った。
ちいかわスーツと黒い男性は、1mほどの空間を間に挟んだまま顔を見合わせた。
言葉を何も交わさなかったが、通路に隔てられた2人の思いは一致していた。
マジで?
一嗅ぎすれば誰もが額突(ぬかず)かずにはいられない程の素晴らしい芳香を辺り一面に発散させながら、イトとケンゴが頼んだ料理の数々が運搬されて来た。
「お嬢さんは『グラスパ・チキン』のレギュラーサイズでしたね」と言いながら四月一日さんが直径30cmは優にある土鍋をイトの前に据え置いた。三重県四日市の名産品である萬古焼の土物が『ゴトン』という無音のオノマトペを立てた。
チキンのホワイトシチューの上に大量に載せられたチーズがオーブンの熱気で蕩かされ焦がされて実に魅力的な芳香を立てている。
「パパさんはドレッドノート・ハンバーグとイタリアントマトSサイズ」
四月一日さんとは別のスクラブ・グリーンのエプロンを着用した女性店員さんがケンゴの前に巨大なハンバーグが載ったお皿と、見るからに凶悪そうな風貌をしたオーブンで焼き上げられたパン丸ごと一斤を置いた。
「そのハンバーグって、初見」イトが言った。
「オレも初めて頼んだ」
「大っきいね」失笑しながらイトが感嘆の声を漏らした。
「吹き出し笑いしながら感心できるって、器用な行為だな」
「誰に似たんだろう?」
ドレッドノート・ハンバーグと呼ばれた一皿には牛肉8:豚肉2の黄金比率で合挽されたミンチ肉800gのハンバーグに玉ねぎとベーコンを炒めて醤油・味醂で甘辛く味付けされたソースが掛け回されていた。横に(というかベッド様にハンバーグの下敷きになっている状態の)添えてあるのは茹で前が250gのスパゲッティ(つまり茹でられた後は優に500gを超えている)だった。
イタリアントマトと呼ばれた一斤丸ごとの食パンは内部をくり抜かれてシーフード入りのトマトスパゲッティ(もちろん茹で前200g)が詰め込まれていて、大量のホワイトソースがパンの凸部に掛け回されており、その上からこれも眼を剥く程大量のチーズがとろけた状態で載せられている。
イトの頼んだ料理にも、ケンゴがオーダーした料理にも野菜の影は全く見えなかった。
炭水化物と脂質、タンパク質の小山と表現できる、その料理たちは食べる人間に罪悪感しか湧き立たせないが、罪を贖うかのように2人はミニサラダをそれぞれ1つずつ頼んでいた。だが、このお店の『ミニ』は通常の意味合いにおいての『ミニ』ではなかった。
そのサラダ、普通の飲食店ならジャンボ・サラダと表記されるべき量だった。お好み焼きの広島焼きに入れるより多い量のキャベツが山盛りにされ、その上にコーンとキュウリがちょこんと載せられている。しかし、玉ネギはじめ多彩な野菜や果物から作成されたことが容易に窺えるドレッシングが素晴らしく美味しいから、女性でもペロッと完食イケちゃうのだった。
ミニサラダだけなら…w
おぉ、何とも形容の難しい芳しさの香りを拡散させますね、ここの料理は。
私はテーブルの天板越しに織お嬢様の尊顔を拝しました。
実に嬉しそうな笑顔を浮かべてらっしゃいます。
美味礼讃という書物の中でブリア=サヴァランという人は『何を食べているか言ってみたまえ、君がどんな人間なのか、私が当てて見せよう(Dis–moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es.)』とか『新しいご馳走の発見は、人類の幸福にとって天体の発見以上に尊い(La découverte d'un nouveau mets fait plus pour le bonheur du genre humain que la découverte d'une nouvelle étoile.)』などの名言を残しております。
人は、というか、生物は美味しい物を食べている時が一番幸せなのだと、イヌである私は思うのでございます。満腔の美味に恵まれた時、皆さんが笑顔を浮かべて、満足気にお腹を擦(さす)るのでしょう。お腹一杯でプンスカ腹を立てている人、見た事ございますか?
このズッキーニのオーナーシェフである飯豊さんは、美味しい食べ物を満喫したお客さんたち全員が笑顔を浮かべながら帰途へと着く。ただそれだけを願って、このお店を経営なさっておいてなのです。
ただ、まぁ…そのお気持ち自体は本当に素晴らしく、尊敬に値するのですが、何でしょうか、その思いが強過ぎるというか…
少し、拗(こじ)らせてしまっているというか…
え?
何を言いたいのかって?
うーん…簡潔に表現ならば、このお店…デカ盛り具合が過ぎるのです。
どんな具合か、ですか?
このズッキーニというレストランはパスタ・ピザ・オムライスなどの洋食系を取り扱うお店でございまして、そのメニュー構成から一例としてパスタを挙げるとその数は約40種類(シェフの気紛れで増減する、というか増える一方)それもオイル系、トマトソース系、ホワイトソース系(=クリーム系)、マヨネーズ系とフルラインナップでございます。
サイズは小さい方からSSサイズ、Sサイズ、 レギュラー・サイズ、そして大盛りと4段階あります。
一番小さなSSサイズ、これはパスタの量が120〜130gほどあります。ですが、このパスタの量は茹でる前、つまり乾麺状態で120g。自炊なさる貴方なら先刻ご承知でしょうが、パスタは茹でると2〜2.5倍にその量を増加させます。因みにですが、普通の洋食店における『普通盛り』のパスタの量は乾麺状態で100g前後。そうです。一番小さなサイズですら通常の『普通盛り』を超えて『大盛り』サイズなのです。
じゃ、Sサイズは?
Sサイズのパスタの量は乾麺状態で約250g、つまり茹でたら倍の500〜550g。
しかし、これは単にパスタの量だけ。
そこに合わせられる具材やソースの量を勘定に入れるとこのSサイズ、メニュー内容にも左右されますがその総量は1〜1.5kg
この『S』って、スモール(small)の『S』なのではありません。
おそらくこの『S』とは『Sadistic』を意味しているのでしょう。
(sadistic<sadism:加虐症:フランスの作家であるサド〔Marquis de Sade:正式な名前はDonatien Alphonse François de Sade〕の名に因む:相手に肉体的・精神的苦痛を与えることで,性的満足を得る異常性欲を意味する)
さぁ、少し怖さを感じて来ましたか?
その上のサイズ、レギュラーサイズ、つまり『並盛り』はパスタの量が乾麺状態で500gへと倍プッシュされます。茹でれば当然の如くその量を増幅させ、細めの麺ということも手伝ってか、パスタは1500gまで膨張します。このレギュラーサイズ、出来上がりはソースと具材を合わせるとその総量は2〜2.5kg。織お嬢様がオーダーされましたグラタンスパゲッティ・チキンともなりますと、その重量は3kg弱とまさにヘビー級。料理の多さから普通のお皿には載せることが不可能ゆえに土鍋に盛られた状態で提供されるのです。
『レギュラー(regular)』という単語をリーダース英和辞典で引くと、その意味が『規則正しい』とか『均整のとれた』などと書いてあります。形容詞ですね、これらは。
名詞の時の意味はというと『安心できる人(もしくは物)』『標準サイズ』とあります。
安心できる物?
標準サイズ?
土鍋に入れられた3kgのパスタ、全然安心できる量ではないでしょう。
さぁ、普通盛り(?)がこのサイズ感です。
それでは大盛りは…?
勘の良い貴方ならもう既に答えを胸筋の内に得ておりますね。
このズッキーニさんの大盛りパスタ、乾麺状態で1000gつまり1kgあります。茹でた後はその量は2.5kgへと膨れ上がります。そこに合わせられるソースや具材、といってもこのソースや具材もサイズアップするに比例するように増加の一途を辿るので、メニュー内容にも右顧左眄(うこさべん)されちゃいますが、その完成状態は3.5〜4kgを軽く凌駕して来ます。本当にサイズを一段階上げる度に量的な倍プッシュの連打が続くのです。
因みに大盛りサイズで一番ヘビーなメニューなのは織お嬢様が頼まれたグラスパ・チキン。
大盛りのグラタンスパゲッティ・チキンの総重量は、普通の人なら危険を感じる脅威の5kg超え。怖いですね…w
デカ盛りのお店には2種類ありまして、タイプ1のお店は普通のメニューは普通の量、しかしチャレンジ・メニューとなると総重量が凶暴化するお店。そしてタイプ2として、このズッキーニさんのように通常メニューのレベルから量的にバグり散らかしているお店。
そうです。
後者のタイプのデカ盛り店はサイズアップする度に加算(足し算)ではなく乗算(掛け算)で、その総量を増加させて来るのです。
しかも逆詐欺とも表現されるように、メニュー表に掲載された写真に映るパスタの大きさがおかしい。ま、その掲載写真をよく観察するとパスタと比較して横に添えられたフォークの大きさが「君はデザート・フォークくんなのかい?」というくらい小さくその身を縮こませていることが分かるのですが。
本当にこのメニュー表に載せられた写真の中の料理は全て無口で、声高に自分が『デカい』ことを一切主張して来ないのです。ま、物語的には無口で静か、自身を変に大きく見せようとしないキャラクターが強いのは定番中の弩定番ですから、ねぇ。
しかし、何の前情報も無い人間が迷い込んで来て、迂闊にも大盛り頼んだら、巨大な土鍋さんが登場じゃ、そのお客さんは泡吹いて倒れておしまいになるでしょう。
しかも、このズッキーニさん、料理のお値段がお安い。
最近の世間には円安基調がもたらす消費者物価高騰の嵐が吹き荒れておるのですが、このお店に関してはそんな風潮など『どこ吹く風』です。
一応、店内の壁には
『原材料の高騰のため
メニュー価格より
一律100円
値上げさせて頂きます』
と書かれた紙が掲示されておりますが、元々のお値段が安いので『100円で良いのか?』と内心不安を抱いてしまうくらいなのです。
パスタ関係を例に挙げるとランチタイムでSSサイズが580円から。(プラス100円)
グラタンスパゲッティ(シーフード)のSサイズが980円。(プラス100円)レギュラー・サイズでも1080円。そしてこのレギュラーサイズに500円プラスするだけでほぼ全てのメニューを大盛りに変更可能なのでございます。
六分儀様が頼まれましたイタリアントマトなるパスタ入りの一斤食パン。これはSサイズですが1100円。サイズアップしてレギュラー・サイズにすると食パンは1.5斤へと膨張し、内部のパスタも重量増加の500g。大盛りサイズの用意もございまして、その場合食パンは3斤分へと増幅、中のトマトスパゲッティも700gまでその量が嵩上げされます。
どうでしょう?
安過ぎ、でしょう?
自分たちの料理が運ばれて来てからイトとケンゴの2人の親子はその旺盛な食欲を発揮し終始無言で食べ続けることで周囲のテーブルに着いていた他の客たちを睥睨するかの如く圧倒した。
検索ボックスに『前橋市 レストラン 美味しい』とでも打鍵してGoogle先生からこの『ズッキーニ』というお店を提案され、レビューの数字の高さだけ確認し、レビューのコメント欄を碌に読まないままに迷い込んでしまった雰囲気を濃厚に漂わせているサラリーマン4人組はそんな六分儀親子の喰いっぷりと運ばれて来た料理のサイズに気圧されて心中に戦慄を抱いた様子だった。
『この料理のサイズのデカさは、一体何なのだ?』
『失敗した。レギュラーサイズって…普通盛りじゃないのか?』
『どう見ても大盛り過ぎるだろ』
『SSサイズにしときゃよかった』
『あれがレギュラーサイズ、普通盛りなのか、あれが?』
『この親子、デザートまで注文しやがった。化け物か、こいつら?』
周囲のテーブルの困惑や戸惑いなど全く気に掛けることなく、イトとケンゴの2人は楽しそうな空気と共に「ハニートーストのSサイズを1つ追加でお願いします」とオーダーした。
ちいかわスーツが一息吐こうとグラタンスパゲッティ・チキンの大盛りサイズが装(よそ)われた大土鍋から顔を上げた瞬間だった。
超絶美少女とその父親(?)が食事を終えて席を立ち、感謝の意をスタッフさんたち全員に告げてから、満腔の寂寥感を身体全体で顕在化しているオーナーシェフの飯豊さんからの名残惜しそうな袖振りを受けながら、こちら側に歩み寄ってくる所だった。
むぎゅ…
細めのパスタを誤飲しかけ、ちいかわスーツは咽(む)せ返ってしまった。
本当に綺麗な女の娘(こ)だ。
目算で多分だが170cmを超える身長。細長い手脚。
レギュラーサイズのグラスパ・チキンを食べても1mmの変化量を顕現していないスレンダーな肢体。
神様ってホントに不公平な事ばかりするんやな。
ちいかわスーツは軽く臍(ほぞ)を噛んだ。その女の娘の存在している世界は、彼の到底及ぶ所ではない事、それは証明という作業を経るよりも早く悟れる、言わば自明の理だった。
人生という究極のガチャに無事成功した女性。
何歳くらい、なんやろか?
20歳、いや17、8くらいに見えんねんけど。
彼女の横を通過した時には気付かなかったのだが、その相貌を覆っている皮膚はビスケット・オークルと呼ばれる明るい小麦色を発している。その事からノーメイクである事が推察できた。
えっ?
今時の高校生ともなると美白に命を削っているはずやんな?
それともスポーツ関係の、運動会系のクラブに所属してんのかいな?
ちいかわスーツは大阪大学時代に参加していた庭球部の女性たちを脳裏に甦らせた。
あれくらいの日灼けは、まぁ、あり得るんちゃうか。いや、あれどー見てもノーメイクやで。皮膚、張りあり過ぎやろ、とちいかわスーツは瞠目した。20歳…?
しかし彼は、その超絶美少女が一歩近付いてくる毎に、予想した年齢から1つ、また1つと減算(引き算)を何回も繰り返さなければいけなくなった。
えっ?
もしかして、まさかやけど、小学生…?
女の娘はリードを手繰って年老いた黒イヌを上手にハンドリングしている。
嘘、だろ?
小学生、なんかよ…
彼の前頭皮質に『公正』とか『平等』といった概念の一群が浮かび上がって来た。
こんな…将来、一体どうなるんやろ?
ちいかわスーツは絶対に解を得られない質問を胸襟の内で呟いた。
彼女が発するアウラに負けた訳でもないのだが、顔を上げ続けられなくなり、俯いて土鍋と対峙するだけの格好になってしまった。
父親に続いて女の娘がちいかわスーツの横を通り過ぎる瞬間「クリーム」とだけ言葉を発した。ハッと顔を上げると超絶美少女がちいかわスーツの頬にお約束のように付着したホワイトシチューの残滓を指差しながら婀娜婀娜(あだあだ)しい微笑みを表出させていた。
ちいかわスーツは意を結したように振り向いて、2人親子と1頭のイヌの後ろ姿を眼で追い掛けた。首がねじ切れるくらい後ろを振り向き続けていた。するとそんな友人に憐憫の思いを抱いたのか、傍観できなくなった隣りテーブルの黒い男性がたまらずに告げた。
「お前、両方の眼が蕩(とろ)け切ってるぞ」
織お嬢様と六分儀様はズッキーニの扉を閉める前に「ごちそうさまでした」とお店の中に揃った声をお掛けになりました。
おやおや、もう陽が傾きかけておりますな。内陸部の昼間は短いのですかね。
ま、秋の日は釣瓶落とし、と申しますしね。
!
織お嬢様、いまだに鶴瓶師匠が断末魔の叫び声と共に奈落の底へと落ちて行く様子を表した物言いだと誤解…
あぁ、そうでした。
昨年、本当の意味をお教えしましたっけね。
「さて、帰るとしますか」六分儀様が顔を上げてBNR-32に視線を送りました。
「美味しかったね、グラスパ」織お嬢様が父上と腕を組み合わせながら仰いました。
「オレは喰ってないが…」
「良いじゃん。デッカいハンバーグを食べたんだから」
「半分くらい誰かさんに盗られたような記憶があるな」
「記憶違い、ってヤツじゃない?」婀娜しい笑みを浮かべた織お嬢様。
本当に仲のよろしい親子でございます、な。
あぁっと、そうです、そうです。
肝腎要のことを伝え忘れておりました。
よろしいですか?
一度しか言いませんぞ。
11/1 3:58
そして明くる1/1 11:26
ま、これらのイヴェントを起こすのがこの世界線において、なのではないかもしれませんけれども。
何せ、管理執行を担当しているのが別の『Administrator』ですから、ねぇ…
ま、一応、念の為というヤツでございますよ。
それでは “¡ Que te vaya bien!”
そして “¡ Vaya con Dios !”
<了>
注)群馬県前橋市にズッキーニというレストランは存在しません。
完全なるフィクションですが、モデルとしたお店はあります。
その店名は『パンプキン』といってパスタやピザ、オムライスやハンバーグといった洋食系が主なメニュー構成となっています。
デカ盛りの魔境である群馬県に位置しているだけあって、このパンプキンさんも例に漏れず、デカ盛りメニューのオンパレードです。
サイズ関係はパンプキンさんのシステムを丸写ししています。
お値段も大体同じくらいです。
ただ、メニュー構成は大分変更をしております。
グラタンスパゲティというメニューはパンプキンさんにありますが、シーフードのみでチキンはありません。
ドレッドノート・ハンバーグも存在していません。
これらは作者が『喰いたいなぁー』と思った、架空の料理です。
悪しからず。
あとパンプキンさんはペット同伴不可です。
ま、大体ご飯を頂く場所に(いくら大切な存在であるとはいえ動物を連れ込むのは考え物です。
イヌ・ネコに対するアレルギーを保有している人は多数いるのですから。
下手すると最悪の場合、アレルギー保有者はアナフィラキシー・ショックを起こし、命を落としてしまいますからね。
尚、パンプキンさんの情報を得るために参考試聴した動画が『しのけん大食い』というチャンネルです。
参考動画のURLを下に貼り付けておきます。
あ、リンクはしてないのでURLをコピーしてGoogle検索に掛けて下さい。
1)グラタン・スパゲッティの回
https://www.youtube.com/watch?v=MHvSmgOBlHA&list=LL&index=6
2)大盛り土鍋ペスカトーレの回
https://www.youtube.com/watch?v=52V-gun9MTo&list=LL&index=7
3)イタリアントマトの回
https://www.youtube.com/watch?v=J0h2wrSETR4&list=LL&index=8
ポチさん、仕事をする