小雪
今年初めて雪の積もった日だった。学校からの帰り道、今日も1人。天気は曇り。溶けた雪が靴に染み込んで足を重くする。手がかじかんで痛い。後ろを振り返ると体育館が見える。声が聞こえる。もう部活が始まっているのだろう。暗くかすんだ空と辺り一面に降り積もった雪。体育館からこぼれる光に暖かさがある。
死にたい、、。
ふとよぎった言葉。別に本気ではない。ただその4文字が頭によぎった。罪悪感と惨めさが僕の冷え切った心に重くのしかかる。早く帰ろう。そう思った。そうするのが1番だ。前を向き、足を動かす。雪がかなり深い。丁寧に雪を踏み潰しながら歩く。普段なら自転車で15分ほどの道のりだが、この調子なら1時間弱はかかるだろう。最悪だ。
チャリ、チャリーン!
突然の甲高い音。顔を取り繕う間もなく前を見る。自転車だ。ぎりぎりで自転車が雪の上に突っ立った僕をよける。何もなかったように自転車はどこかへ消えていった。運転手が通り間際僕の顔をジロッと睨んできた。僕はどんな顔してた。思い出すと恥ずかしくなる。考えても仕方がない。早く帰ろう。小雪がしんしんと降り出していた。
5分ほど歩いた。学校を出た時よりも寒さが増している。ビュ〜ン。小さな雪の群れが風の中で舞っている。雪が肌に触れる。手が凍えて熱くなる。
体育館はもうとっくに見えない、放課後の生徒たちもいなくなった。
この3年間毎日のように歩いた道だ。でもなぜか今日は違和感を感じる。雪のせいだろう。降り積もった雪が見慣れたはずの景色を見知らぬ世界に変えてしまう。
、、、、、、
小さい頃には皆持っていたはずの好奇心が心の奥底で疼いた。もう完全には戻ってこないであろう、あの好奇心が。僕はその場にしゃがみ込んだ。地面に積もった雪を両手でめいいっぱいにすくいい込んだ。手はこれ以上ないくらいにかじかんで痛かった。
でも彼の中に潜む幼子が彼を酔わせ麻痺させていた。雪はなぜ空から降ってくるのだろう。なぜ雪は白いのだろう。溶けた雪はどこへいってしまうのだろう。彼の思考は無限に広がっていた。雪をすくってみたり、掴んでみたり、固めてみたり、溶かしてみたりする。夢中だった。どれほどそうしていたのだろう。彼の好奇心は次第に落ち着いてきた。
ふと僕は我に帰った。何をしていたんだ。手がかじかんで思うように動かない。小雪は降り続いている。随分と長くしゃがみ込んでいた気がする(実際には数分しか経っていなかった)。誰かにこんなところを見られていたら恥ずかしすぎる。早く帰ろう。僕は立ち上がった。
、、、あなたは。おとな、、、?
背筋が凍る。後ろから少女の澄んだ声がかすかに聞こえてきた。雪のようにすぐに溶けてなくなってしまいそうな朧げな声だったが確かに聞こえた。すぐにそこから逃げ出したかった。でも体が思うように動かない。ずっと雪の中でしゃがみ込んでいたせいだ。足の指先の感覚が麻痺して、歩けない。声の持ち主が少しずつ近づいてくるのを背中で感じる。ひんやりとした空気が僕の体を覆っていく。ゆっくりと、ゆっくりと、、、ビクっ。冷たい何かが首元に触れた。
冷たい空気のかたまりが徐々に彼を包み、取り込んでいく。体に入り込むことを許したかのように、彼はぴくりとも動かない。冷気は彼を侵食して、心臓にまで達した。暖かい。彼の肌は死体のように冷たくなっていた。しかし、母の胎の中にいるような温もりを彼は感じていた。
目を開けると、そこは我が家だった。こたつの中に下半身を埋めて、灰色のモジャモジャのカーペットの上に横たわっている。リビングだろう。部屋の窓から暖かな優しい光が差し込む。窓の外には冬の美しい空が広がっていた。ほっとした。悪い夢を見ていたんだ。こたつで寝ていたからだ。昔から親によくこたつで寝るなと怒られた。その通りだった。
玄関ドアの開く音がする。誰かが帰ってきた。お母さんだ。小学生ぐらいの子供を引き連れている。おとうと、、だろうか。自分に似ていた。顔も、雰囲気も、言葉では言い表せない全てが似ていた。
じっと見つめる、おとうとの顔を。ギュッと締めつけられるような感覚になる。ドクッドクッ。心臓の鼓動が高まる。顔が、目頭が熱くなる。冷たい涙が一筋。
、、、、、、
あたり一面の雪。家の塀も、家の屋根も、周りの木々も真っ白に染まっている。はっと目を覚ました。雪の降り積もった道路の上に膝から崩れ落ちていた。
ブッ、ブッーー!
咄嗟に顔を見上げる。一台の白い車が目の前にあった。道路のど真ん中だ。こんなところで何をしていた。帰ろう。いつのまにか雪は降り止んでいた。
お腹がすいた。
昼から何も食べていない。家に帰れば何かあるだろう。帰る足が早くなる。
家まではいつも通りの道のりだった。ただ毎日見ている景色に雪を降らせただけだ。雪なんて毎年見てる。これぐらい積もることも珍しくない。小学生の時を思い出す。あの時は雪が降っただけで大はしゃぎ。小さいながら永遠を感じていた。あの頃も良かったのかもしれない、、。
家の前まで来た。窓から暖かい光が漏れている。やっと着いた。夕飯にはまだ少し早い。早く入ろう。玄関のドアノブを手に取る。我が家だ。
「おかえりー」
彼は暖かな光の中に消えていった。
雲の隙間から溢れた光が雪をオレンジ色に染める。
小雪