挑戦者
びりびりびりびり、とカレンダーをめくると十日のところに、あと一ヶ月、と記されていた。それまではぼんやりとしか動いていなかったような心臓も、どきっどきっどきっどきっ、と急に叩き起こされたように動き出し、なにか気道も細くなったような気がして息も苦しくなってきた。大丈夫なのか、俺。この先の一ヶ月をまともに生きて過ごせるのだろうか。カレンダーをもう一枚ちらりとめくってみると、十日のところに大きく赤丸がしてあり、行政書士試験、と太字で記されている。何気なしに、それに向かって小さく手を合わせてみた。するとなにかが落ちるように、体の中が静かになっていくのを感じた。窓の外には細かく雨が降っていた。まだ車の走る音も聞こえず、静かな朝だった。
テーブルの上には行政書士試験のテキストブックが開かれたままになっていた。昨年購入して使い回しているせいで、端のほうがめくれ上がってぼろぼろになっている。テキストブックのページを開くと画数の多い漢字がずらっと並んでいて、その界隈だけが異世界に感じられてしまう。現実の世界では全くもって一生使うことはないだろうというような言葉で埋め尽くされたその異世界で、さらに仮想劇団を編成しながら勉強を進めていた。Aさん、Bさん、Cさん、といったただの記号だけで表された登場人物を仮想劇団の俳優さんに当てはめ、その仮想劇団の監督役を務めてみたり、時には主演俳優を演じたりしながら異世界物語に入り込んでいた。たまにアイドル女優と恋に落ちるような話でもないのかと思ってしまうのだが、そんな浮いたような話は行政書士試験テキストブックには存在しないのであった。そんな話でもあれば率先して主役を演じるのに、いつも期待は裏切られてしまう。そしてそんな異世界物語に入り込むには早朝がいい、と気づいたのは今年の夏の始めの頃だった。夏の朝は涼しいということもあるにはあったのだが、寝る間も惜しんで夜通し勉強に励むよりも、朝の限りある時間できりっと勉強したほうが性に合っているようだ。それからはいつも早起きして勉強するようになっていた。
行政書士試験の勉強をするのにあたって、テキストブックとの相棒ともいえるのが国語辞典だった。どうしても言葉の意味が分からなくて、学生時代に使っていたものを段ボール箱の中から探し出してきたのだった。そしてもう一つ、ある意味で最も大事なものが老眼鏡だった。この間、ついに購入してしまった。普段の生活では掛けなくとも大丈夫なのだが、殊更こんな込み入ったものを読み込むには字が細かすぎて老眼鏡なしには読み取ることが難しくなってしまった。テキストブックと国語辞典、そして老眼鏡が三種の神器として机の片隅に陣取っている。そのすぐ脇には、テレビのリモコンが置かれていた。
いつもそうして早朝から勉強していると妻が起きだしてきて、少しづつ一日が動き出していく。台所でそわそわとした感じが次第に大きくなっていき、異世界の中に現実世界が混じり込んでくる。そうなると、みるみるうちに現実世界の占める割合が圧倒的に大きくなっていき、テキストブックを閉じて異世界から抜け出してきてしまう。テレビをつけて、いつもの一日が始まる。妻の作ってくれるご飯を妻と二人で食べていると、現実世界はやはり良いものだと幸せを感じてしまう。こんな、やらなくてもいいような行政書士の勉強を続けていられるのも、妻のお陰かと感じていた。そんな妻のためにも、今年こそは、と意気込んではいるものの、どうだろうか。試験まで一ヶ月と迫った今でも、そこまでの自信は感じられていない。かえって不安のほうが勝っているようにも思わなくもない。だけどそこで辞めてしまおうかと思わないのは、面白いからかもしれない。なぜだか分からないが、この行政書士試験の勉強が面白いからだ。
面白いと思うことって、二種類あると思う。その一つは、何もしなくても事が意のままに進んでいて、うきうきしているとき。そしてもう一つは、叶うのかどうか分からないけど出来そうなことに挑戦して、わくわくしているとき。行政書士の試験を続けていて面白いと思うのは、間違いなく後者の方だ。今の俺は、ロッキーⅡの頃のロッキー・バルボアに成り切っている。もし、無事に合格できたなら、妻に向かって、エイドリアン、と叫びたいが、どうだろうか。そこは、妻の名前を叫ぶべきかもしれない。合格発表には大声で妻の名前を叫びたいものだ。
窓の外には昨日までの夏服から、冬服へと衣替えした学生が傘を差しながら通学していた。
了
挑戦者