詩
感覚と思考
感覚と思考の間のずれに悩まされて
少しずつ感覚の方に引き寄せられる
本当は思考の世界にとどまっていたかった
ずっと内面の世界で情念の火を灯していたかった
それでも感覚を通して外側の世界はあるようだった
いやでも感覚と思考の調整を強いられてきた
文明を進歩させたがる悪癖のせいでもあった
物が感覚と思考の間に横やりを入れて揺さぶってくる
感覚の向こう側に何かがあるらしかった
まだ誰もよくわかっていなかった
概念と真理
直観が高速で駆け抜けていった跡を
論理はのろのろと進んでいった
論理は固定された道から抜け出せなかった
概念は最後にできあがる墓場だった
真理をふりかざす牧師が
強面で贖宥状を配っていた
概念で塗り固められた理屈に苦しめられる
比喩の価値が貶めらていく
同一性を求めて比喩を駆使すること
その苦しみに価値を見出す人などもういない
概念と結託した真理が猛威をふるっている
内面
みんな内面しか知らない
みんな内面にしか興味がない
外の世界に注意を向けることで
感覚をはたらかせることで
比喩の力もはたらく
誰もが内面をひたすら徘徊して
そして論理が跋扈する
今日も都市社会は快適だった
直線と直角で彩られた世界の穏やかさ
私の内面とあなたの内面が交錯する
もうみんな内面しか知らないのかもしれない
外の世界と向き合うのはつらいことだ
結局内を向いて生きている方が楽だから
消費
消費に苦しめられる
消費が孤独を生む
消費が隔離を促す
消費が荒廃させる
消費が均一化を促す
消費がかんちがいを生み出す
消費が閉塞させる
消費が優しくさせる
消費が傷つきやすくさせる
消費が賢くさせる
消費が倫理観を高める
消費が感受性を衰退させる
消費が感覚を衰退させる
消費が思考を衰退させる
消費がどんどん優しくさせる
生産がなんなのかわからなくなる
この世に生産が存在しているなんて信じられなくなる
責め苛む
自分を責め苛む思考がいつも湧き上がる
自分を監視しようとする思考が浮上してくる
いつもちぐはぐでばらばらな感じがする
自分の肉体は置き去りにされたまま
あのころに置き忘れた肉体は
もう永遠に取り戻すことはできない
感情がいつも遅れてやってくる
その時その場で抱くべき感情は
いつも後になって襲ってくる
自分の中にあるずれを解消したい
もう何を書いてもだめみたいだ
最終地点
もういいんじゃないですか
考えるのは終わりにしましょう
人生も終わりが近づいてきてますよ
何の実りもない人生でしたね
結局要所では負けてばかりでしたね
普通に生きていきたかったのにできなかった
なんとかして社会の輪の中に加わろうとして
必死に努力しても嘲笑されただけでしたね
ほとんどがまちがっていたようです
どうすればよかったのかと自問したけれど
それももう疲れてきた感じがあります
しかしそんな悠長なことを言ってても
まだ人生は続いていくようです
負けが確定した後半生をどうするか
考えたくない
もう何も行動を起こしたくない
それでも明日はやってくる
無慈悲ですね
まあなんとかなると言い聞かせ
なんとかならないかもしれないけれど
とにかく目の前のことをやり遂げよう
不毛な思考
自分に素直になろうと言い聞かせている時点で
素直にはなれない
構えを取り除かないといけない
しかしこの構えがないと
社会で生きていけない気がする
適切な構えでなかったから失敗してきた
どういう構えならよかったのか
どういう構えなら受け入れてもらえたのか
こうやってずっと自分の中で考えるのが
一番よくないのだろうな
ここから抜け出せない
不毛な思考のループから出られない
その状態が一番楽だから
いつまでもそこに安住しようとする
どこまでも卑怯で怠惰な人生
なんとかして前を見よう
傷と言葉
傷が言葉を生み出すのに
傷を治癒するために言葉を浪費する
悪循環から抜け出せない
傷と言葉の間に何があるのか
傷から始まる思考が言葉を生み出す
最終地点である言葉を組み立てて
初めの傷を探ろうとしている
何かがおかしい
不毛な徒労だというのはわかる
でもそれ以外方法がない
もしかしてよけいに傷をえぐっているだけなのか
言葉という麻薬
言葉という麻酔
肥溜め
知的であることと誠実であること
二つは概ね両立しない
知識は重荷になって押しつぶす
知識は感受性を押しつぶす
不能になった知識の肥溜めができあがる
しかし誠意にあふれた無知な奴も嫌だ
それに比べれば知識の肥溜めの方がましかもしれない
現代社会はそういう風にできている
みんな肥溜めになる方へ促される
肥溜めが少しでも誠意に目覚めると悲惨である
どこからも嘲笑を食らって没落していく
画像
ディスプレイの向こう側で戦争がはじまる
ひげの濃い男たちが銃を持っている
壊れた廃墟から煙が漂っている
布を被った女性たちが不安そうな表情を浮かべている
豊かな国で甘やかされて育った愚かな僕は
コーヒーを飲みながら一連の映像を眺めている
クリックすればすぐに画像は切り替わる
芸人が漫才をまくしたてたり
どこかの国のガーデンに見とれたり
ゲームの実況中継を鑑賞したり
ふとディスプレイから目を離して窓の外を見てみる
変わりのない風景がそこにはある
裸眼が写す画像とディスプレイが写す画像
どっちが本当なのかわからなくなる
知らない間に肉体に機械が入り込んでいるのかもしれない
知らない間に肉体と機械の融合が進んでいるのかもしれない
詩