負の感情

若いころの憎しみがもうない
若いころの恨みももうない
若いころの妬みももうない
若いころの怒りももうない
自分を突き動かしていた感情が
ことごとく消え失せた
心は平穏で満たされたのだが
何もやる気が起きない
今日も職のない状態で
その辺をただ散歩する
負の感情が私を動かしていた
暗い感情に苛まれていたあのころ
あれだけつらかったのに
今では腑抜けのようです
もう一度あの感情が
やってきてほしいような
やってきてほしくないような




細部と本質

日々の生活を捉えるような詩を書きたい
何気ない生活を感受できる人間になりたい
頭の中はくだらない妄念ばかり
懸命に生活を生きないと細部に気づけない
細部を軽視して本質だけ求めたがる邪念が私にはある
SNSが本質主義を加速させる
生活に耽溺しながら少しだけ本質の方への窓を開けておく
そういう生き方がよいと思うが私にはつらい
本質を求めて論理の渦の中でもがくのは嫌だ
細部を見ながら比喩の方も成長させていきたい




衝動

虚無的な世界観をすごい勢いで書きなぐる
その書きなぐろうとする意欲はまったく虚無ではない
厭世的な読書家の向学心と知的好奇心
結局学びたいという衝動には逆らえない
新しい世界を開きたい
もっと高いところから見下ろしたい
もっと低いところから惨めな立場を体感したい
認識を確信したいという衝動
何かをつかみ取りたいという衝動
色んな欲望や煩悩はあるけれど
その衝動が一番質が悪いのかもしれない
そこからは逃れられないのかもしれない
もしかするとこれが罪なのだろうか




演技

気取ったり衒ったり
そんなことばっかりしてきたね
素直になる勇気が必要だった
目の前の人に心を開く勇気が大事だった
わかっているがどうしようもなかった
愛を知るなんて生まれ変わっても無理だよ
誠実な詩なんてこれからも書けないだろう
相手に届けようとして届かない苦しさ
ずっと自己に対する演技で徒労が重なっていく
しかしそれこそが演技の本質なのかもしれない




SNS

今日も死ねと誰かが叫ぶ
想定外の人がその言葉に傷つく
そうして螺旋はまわっていく
苦悩をいかにして見せびらかすか
心の痛みの大合唱が耳をつんざく
私の中にある何かが死んでいく
もう本質にしか興味がなくなっている
いいから本質を見せろと誰かが叫ぶ
少しずつ数理的思考がしのびよってくる
寂しさを大事にしている暇などない
みんな幽閉されていく
みんな内面だけで生きている
鋭い批評と論理で比喩を根絶やしにしようとする
すぐに真理にたどり着ける社会の到来
すごい勢いで何かが変わっているらしい
でも誰も全貌を把握できていない




限界

そろそろ限界です
自分の弱さを押し隠して
自分にもわからないように偽装していたけれど
そろそろ限界です
自分に欠陥があって問題があるのか
豊かになりすぎた社会に問題があるのか
自分と社会との接点がわからず
異様な目まいに襲われそうだ
そろそろ終わりにしようか
もう少し生きようか
馬鹿にされた悔しさだけは感じられる
それだけが自分を支えているのかもしれない
たまねぎみたいな自分の心を剥ぎ取っていっても
中に残る芯は汚い執着だけ
何も書かない方がよかったのか




本質主義の弊害

本質という言葉が嫌いになりそうだ
みんな本質を求めようとしているように見えた
細部に興味を持つ人がいなくなっていくように思った
人同士が対面することで生まれる感動も感触も違和感も嫌悪感も
みんな隅に追いやられていく
書き言葉が初めにやってくる交流が増えていく
初対面の印象や話し言葉から受ける印象ものけられていく
社会の進歩が速すぎて何もわからない
よけいな社交が削ぎ落されていく
簡単に本質にアクセスできる時代がやってきた
本質にそれほど価値があるように思えなくなった
今日もディスプレイ上で真理が飛び交っている




滅茶苦茶

本を読む能力がないのに読むようになってしまいました
文学なんかわからないのに文学に魅かれてしまいました
哲学なんてもっとわからないのに手を出してしまいました
そうして人生が滅茶苦茶になってしまいました
それでも読書が人生をだめにしたとは言い難い
人生が滅茶苦茶になったから本に手を出してしまった
私は多分そういう人間だった
思考より行動の方が私に影響を与える
作品より人生の方が私に影響を与える
思考と行動が、作品と人生が混ざり合って
滅茶苦茶な人生を滅茶苦茶で上塗りする
どこから来てどこへ行くなんて問うたところで
そんな定められた空間的経路などないと
否定してしまえばもう終わりだ




痛み

心の痛みは共有できそうな気がするけれど
体の痛みは共有が無理だと思う
それはなぜなのだろう
心の痛みは共有できる可能性を見出せる
だからSNSは今日も賑わっている
他人の心の痛みを知りたいという感情は情念に基づく
他人の体の痛みは知りたくないという感情は本能に基づく
有史以来心の痛みは広がってきたのかもしれない
だが体の痛みは一個人の中に幽閉されたままだったとしたら
私たちは体の痛みに苦しんでいる人に
向ける言葉をまだ知らないのかもしれない




愚かであろうとする努力

嘘はもういい
自分に素直になろう
欲望と体裁と情念
それくらいしかない
自分のことしか考えていない
自分の利益しか考えていない
と思ったけれど
自分が愚かで矮小な人間であろうと
自分は卑しいことしか考えていない人間であろうと
無理をしているのかもしれない
自分に素直になるといいながら
自分は愚かで下劣な人間であろうと
努力をしているのかもしれない
しかし社会の方から
欲望と体裁と情念に基づいて
行動しているように振舞えと
指示がくだっている
そういう気もする

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-09-09

Copyrighted
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