3万年前の台湾に転生した大智の人生

アルキメデス、レオナルドダヴィンチ、二コラ・テスラ、スティーブン・ホーキング等有史以来たかだか数千年間でさえ天才と言われる人が何人もいた。ならば有史以前に天才が一人も居なかったとは言い切れないはずだ。それどころか世界各地には、現在の技術でさえ建造不可能と思えるような、高度な技術を用いた石材建造物等がいくつも見つかっている。これらの事実を踏まえて考えると、3万年前の氷河期に一人の天才が台湾に現れたとしても不思議はないと思えるのだ。
もともと私は現生人類以前にも、高度な技術を持った知的生命体がこの地球上に居ただろうと思っている。それが何万年前なのか数千万年前なのか数億年前なのかは分からないが、ユーチューブ動画「この地球に山や森は存在しない」に登場する、デビルスタワーやテーブルマウンテンが古代の巨木の切り株だったという主張に賛同した上で、それらが本当に切り株であったなら、その巨木は誰が切ったのか?。
その、誰がの問いの答えは分からないが想像できることは、現生人類では到底無理な技術であり、現生人類をはるかに超えた技術を持った生命体が存在したはずだと思えるのだ。そしてその生命体なら世界各地で発見されている石材建造物を造ることも可能だったろうと思う。
また私は、現在の人類の中には特殊能力を持った人が何人も存在しているが、現在に居るなら過去にも居たはずだと思っている。そしてその特殊能力の中には、未来人や俗に言うアカシックレコードから情報を得る能力もあったと思うのだ。一度も学んだことがない、聞いたことも見たこともない情報が、ふっと頭の中に浮かんでくる、そんな能力を持った人間が数万年前に居たかもしれないし、居たとしても不思議はないと私には思えるのだ。
そんな能力を持った若者が3万年前の台湾で目覚めた。しかし情報や知識があるだけで、はたしてその若者は3万年前の打製石器時代で生きていけるのだろうか。そう考えた時、私はこの小説を書いてみたくなったのだ。

3万年前の台湾に転生した大智の人生 現代人は石器時代で生きて行けるのだろうか

3万年前に台湾から船で日本に移住した人々についての実証実験内容に興味を持った大智は、猛勉強をして有名大学文学部考古学科を首席で卒業した。だが考古学者の募集がなく、やむなく都立高校の理科の先生になった。しかし新学年が始まって数日後に交通事故で意識不明の危篤状態になった。大智の最後の記憶は車の眩しいライトの光だけでトラックに跳ね飛ばされた瞬間の痛みも感じなかった。だが、考古学に対する強烈な執着心は消滅しなかった。
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(ん、ここはどこだ、、、俺がベットの上に寝ているのが斜め下に見える、、、あ、父さんと母さんが来た、、、どうしたんだろう、、、ついこの間、、、就職が決まったとアパートの両親に会いに行って話したばかりなのに、父さん母さんがとても懐かしく感じる、、、ん、大学の同級生たちが来た、、、父さんが母さんに何か言って、よろける母さんを抱きかかえるようにして出ていったら、同級生たちの話し声が聞こえてきた、、、)

「ふん、大智、お前は本当に運の悪い奴だな。同学年に天才考古学者の息子の俺がいたせいで、お前はその方面のどこにも就職できず、考古学科をトップで卒業していながら就職先は高校の先生。まあ貧乏人のお前には似合いの仕事だろう。しかしその仕事に就いて三日目に交通事故に遭うとはな。俺は、目障りなお前が居なくなれば大手を振って考古学者の仲間入りができるから、お前は蘇生などせずこのまま逝ってしまえ」
「お、おい斎藤、大智がいくら昏睡状態だからといって、そんな事言うなよ。4年間一緒に学んできた仲間じゃないか」「ふん、俺はこいつを一度も仲間だと思ったことはない。3万年前に丸木舟で台湾から日本に移住した日本人の先祖、などという最優秀論文を書いて俺を蹴落としやがったこの野郎を、天才考古学者の息子の俺は許せなかった。だから父に頼んでこいつの就職活動を妨害してもらったんだ。そしたらこいつ考古学界のどこにも就職できなかった。ざまあみろだ」
その時、斎藤の頬が鳴ってよろめいた。「何するんだ」と叫んだ斎藤の前に仁王立ちした女性が言った「あなたって本当に最低な人間ね。大智君と仲が悪いのは知っていたけど、その原因があなたの嫉妬心だった事が今やっと分かったわ。あなたのような卑劣な人はここに居るべきじゃない。今すぐ出て行って」考古学部のマドンナ的存在だった桃子にそう言われて斎藤はすごすごと去って行った。
(くそ、斎藤が父に言って就職活動の邪魔をさせていたのか。どうりでどこにも就職できなかったわけだ。父の斎藤和彦といえば考古学界で今一番の権力者らしいから、逆らえる人はいなかったのだろう、、、それにしても桃子さん、、、4年間ずっと思っていたのに、、、良い所に就職できたら絶対に告白しょうと、、、でも高校の教師では、、、結局告白できなかった、、、立派な考古学者になりたくてバイトしながら必死で勉強したのに、、、せめて俺のこの知識を誰かに伝えたいが、、、何か方法はないだろうか、、、)
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そんな大智がふと気がつくとそこは砂浜だった。上半身を起こして周りを見回すと、右側は50メートルほどの砂浜でその向こうは岩場だった。左側は数メートル先は岩場で、大智は砂浜の端っこにいるのが分かった。
大智はここがどこなのか自分が何故そこにいるのか分からなかった。過去を思い出そうとしたが何も思い出せなかった。立ち上がって自分の身なりを見た。スニーカーにジーパン、上半身には黒色の防寒ジャンパーを着ていた。しかしそれを見ても過去を思い出せなかった。ふと内ポケットに手を入れると財布があった。中には1万円札と小銭、それと鍵が1本あった。鍵を指でつまんで取り出し裏返したりしてよく見たが、ドアの鍵だとは分かるがどこのドアなのかが分からなかった。
思い出そうと考えていると頭痛がしてきた。大智は考えるのをやめた。その時急に空腹を感じた。砂浜を見たが食べ物はなかった。後ろを振り返って見ると10メートルほどの崖が連なっていた。大智は崖に沿って近くの岩場に行った。岩場を回って見ると絶壁が数百メートルも続いていた。大智は引き返して砂浜を歩いて反対側の岩場に行って見た。岩場の向こうは幅20メートルほどの川があり、川の向こうは数百メートルの砂浜があった。
空腹感が強まってきた大智はせめて川の水だけでも飲みたいと思い、岩だらけの狭い川岸に降りて行き水を両手ですくって飲んでみた。塩っ辛い。そこは海との境で海水が混じっているのだろう。(もっと上流に行かなければ)と思い上流を見たら、向こう岸は広い川原だが、こちら側は絶壁になっていた。
大智は川を渡って向こう岸に行こうと思ったが川はけっこう深そうだし泳いで渡る気にはなれなかったので、こちら側の崖を登ってみることにした。しかし川沿いの崖は正に絶壁でとても登れそうになく、一度砂浜の方へ引き返し登れそうな所を探した。すると松の木の根が数メートル垂れているのが見え、その根の所までなら何とか登れそうだったのでトライした。苦労したが何とか崖の上に登れて、一休みしながら周りを見回した。左側は絶壁の下に川、右側は所々草や木が生えている岩場が見渡す限り続いていた。
大智は思った(ここはどこだ、、、日本じゃないのか、、、)太陽はほぼ真上にあった。(東京なら夏至でもこんなに真上にならないはず、、、まさか九州辺りだろうか。しかしそれにしては暑くない。むしろ寒いくらいだ、、、しかし何故俺はここにいるのだ、、、その前に俺は誰だ、、、)そう考え始めるとまた頭が痛みだしたのですぐにやめた。(そんなことよりも腹が減った。とにかく水と食べ物を探そう)
岩の上を歩いていくと幸いにも窪みに水たまりがあった。ボウフラでもいるのではないかと思ったが何もいず水は澄んでいた。恐る恐る両手ですくって飲んでみるとうまかった。大智は夢中になって飲んだ。おかげで空腹感が薄まったが食べ物を手に入れるべきだと思い歩き出した。
岩の上は所々松や名を知らない灌木があり、土のある窪地には草が生えていたが植生は貧相なようだった。なおも歩いて行くと幸いにも草に混じってイタドリが生えていた。大智は自分の名前さえ思い出せないのに不思議なことにイタドリが食べられる事を知っていたし、皮をはいで一口食べると何故か懐かしい味がした。
(イタドリが生えているということは今は春か、、、しかしイタドリだけでは物足りないな)そう思った時、数十メートル先に親子連れの4頭の猪が見えた。(猪、、、野生の猪は獰猛で人を襲うこともある。特に子持ちは危ない。逃げよう、しかしどこへ、、、)と迷っているうちに幸いにも猪は去っていった。
(ふう、一安心だ、、、だがあんな野生動物がいるという事は、もしかしたら熊も、、、身を守るために武器を、、、それにしてもここはどこだろう。人はいないのだろうか)そんな事を考えながらも武器になりそうな物を探したがあるのは枯れ枝と石だけだった。それでも何もないよりかはマシだと思い、こぶし大の石を数個ジャンバーのポケットに入れ、枯れ枝の大きいので1メートルほどの棍棒を作った。
(武器もだが、寝る所も、、、近くにホテルはないか。そもそも人はいないのか)そう考えながら川の上流に向かって歩いていると川向こうの川原に数人が歩いているのが見えた。大智は嬉しくなり大声で呼びかけようとして、やめた。その人たちはみんな裸で下着すらも身につけていなかった上に、背丈ほどの槍らしき物を杖のようにして歩いていた。風貌も髪も髭もぼうぼうでとても現代人には見えなかった。
(あの人たちは何者だろう。裸族、、、もしかして人食い人種、、、うかつに近づかない方が良いかな)そう思った大智は松の木の陰からその人たちを観察した。その時ちょっと風が吹き頭上から小さな粒が落ちてきた。なんだろうと思い拾って見ると松の実だった。辺り一面に落ちている。大智は今度も嬉しくなり、拾っては口に入れた。満腹になると石を片側だけに入れ空いているポケットに松の実を入れた。やがてポケットいっぱいになると大智は思った。
(これだけあれば今日の食料は十分だろう。あとは寝る所だな)その時また風が吹いた。(夜は寒いかも知れない。どこかに空き家でもないかな、、、それにしてもここはどこだろう。あの人たちは、、、)
川原を見下ろすと裸族たちは奇声を上げて走りながら槍を投げていた。その中の1本が猪を貫き、猪はその場に倒れた。裸族は歓声を上げ猪を囲むとすぐ解体しながら生肉にかぶりつき始めた。
(生肉を食べている、、、)大智は驚愕した。(今どきこんな人たちが居るなんて、、、)しばらくすると裸族たちは4人で猪の四肢を持って川原の葦の茂みの中に消えていった。それを見届けた後(とにかく俺は温かい寝場所を見つけないと)と思い大智は川の上流に向かって歩き出した。湾曲した川沿いを1キロほど歩いただろうか、眼前に小高い岩山が見えてきた。川側は相変わらずの絶壁だったが反対側はなだらかな斜面になっていて灌木が茂っていた。
岩山の麓に沿って灌木に分け入っていくと岩山の1メートルほど登った所に、2メートル四方で高さも2メートルほどの洞穴があった。中は岩だらけのせいか雑草もあまり生えていない。大智は一目でここをねぐらにしょうと思った。だが扉も何もない、もし獣に襲われたら、と考え入口を囲むように石垣を作ることにした。先ず洞穴中の石を出して入口を塞ぐように並べていった。大きな石は他の石を叩きつけて割り持ち上げれるほどにして重ねた。
片側に出入口用に幅1メートルほど空けて、それ以外は肩の高さくらいまで石垣ができると辺りはもう夕暮れだった。大智は急いで枯れ木や枯草を洞穴内に運び込み、大きな石と枯れ木で入口を塞ぎ、その少し内側で火をたくことにした。だがどうやって火を起こすか。大智は枯れ木の上で細い枯れ枝を立て両手で力いっぱい錐もみした。薄暗くなって幸いにもやっと火がついた。その火のなんと温かいこと、なんと心地よいことか。大智はいつしかうとうとと眠りについた。
だが数時間後、近くで聞こえた獣の唸り声で大智は目を覚まさせられた。火は消えかけていていたがわずかな明かりで、塞いでいた枯れ木の隙間から野良犬の鼻先が見えた。大智は急いで火を焚き、火がついた枯れ枝をその隙間に差し込んで野良犬を追い払った。だがその後は寝る気にならず座っていろいろ考えた。
(本当にここはどこだろう、、、俺は誰だろう。何故ここにいるのだろう)だがいくら考えても何も分からず、それどころかまた頭が痛みだし、考えるのを止めるしかなかった。しかたなく大智はこれからどうするかを考えた。
(先ずここがどこなのかを知りたい。それに裸族以外にどんな人が住んでいるのかも、、、太陽の南中高度から考えて日本のかなり南の方だと思うが、それにしては寒すぎる。それに今の日本に裸族は居ないはず、、、今の?、、、)今の、と考えた時大智は何故か違和感がこみあげてきた。(とにかく夜が明けたら、、、そうだこの岩山に登ってみよう。その前に腹ごしらえ)大智はポケットの中の松の実を食べ始めた。
明るくなると大智は棍棒を持って岩山に登った。昨日見て予想はしていたが、山頂から見た川側はまるで岩山自体が割れたように垂直な断崖になっていた。登ってきた方はデコボコした岩肌剥き出しの斜面で窪地には水が溜まっていた。その水を飲みながらふと(ここに溜池を掘ったら水を確保できる)と思った。それから遠くを俯瞰した。
わずかに見える水平線上の朝日の位置から考えて南側は川と絶壁、西側から北側は岩場と松の木等が生い茂る台地のようだった。そして台地のはるか向こうはには山頂付近が雪に覆われた山脈が見えた。(ん、立山連峰か、、、違うな、方向からして北西に立山連峰が見えるはずがない。するとあの山脈はなんだろう、、、それにしても変だな人口建造物が全く見あたらない。これほどの景観ならリゾートホテルの一つもあって良いはずだ。いやホテルどころか民家も畑もない、、、いったいここはどこなんだ、、、)
その時岩山の麓で何かが動いているのに気づき、よく見ると数頭の狼が一匹の猪を襲っていた。(野良犬じゃない本当の狼だ)大智は怖くなりゆっくりと身をかがめた、俺に気づかないでくれよと祈りながら。(狼は夜行性じゃないのか、ここの狼は朝っぱらから狩りをするのか、、、ん、狼の獲物を横取りすれば肉が食える、、、だが、どうやって、、、奴らが満腹になるのを待つか、、、いや子どもがいれば巣に持ち帰るだろう、、、そうだ地の利を生かして、幸い大きな石がいっぱいある)
大智は自分の頭ほどの石を狼に向けて投げ落とした。間髪を入れず10個ほどの石を投げ落とすと狼はいなくなっていた。それでも狼がまだ近くにいないか警戒しながら岩山を降りて、食いちぎられた猪の肉片を探した。幸いまだ左足がほぼ無傷で残っていたのでそれを洞穴に持って帰った。
入口を塞ぎ、おき火を吹いて火を大きくし猪の足を焼いた。日の出前に松の実を食べていてまだあまり空腹ではなかったが、新鮮な肉など今後いつ食べられるか分からないので満腹になるまで食べ続けた。味付けもしてない焼肉がこんなに美味いとは大智は初めて知った。満腹になると昨夜の寝不足もあってか眠くなりしばらく眠った。
目が覚めるとすぐに武器を作ることにした。数頭の狼に襲われたら棍棒や投石だけでは勝ち目がない。少なくとも槍と弓が欲しいし、それを作るには斧や鉈が必要だった。大智は先ず石を割って石器を作る為に洞穴の外に出て、岩に大きな石を叩きつけて割った。岩は砂岩で鋭角に割れ、槍の穂先や斧にできそうな物を選んで刃先を岩肌で研磨した。また飛び散った石の破片も矢じりとして使う為に集めた。
それから斧の刃のような石器を持って、槍の柄や斧の柄にできそうな木を探した。すぐに打ってつけのような5メートルほどの杉の若い木が見つかったが、それを切り倒すのが大変だった。石器を手で持って木に叩きつけても木の皮が剥がれるだけで、その内側にはなかなか食い込まなかった。大智は少し考えた後その石器で土を掘り根を切っていった。石器の刃を当てる角度の違いか、それとも根が柔らかいのか簡単に切れた。
根を切り終えるとその木を洞穴まで運び込み、火を焚いて根本近くの木の幹を焼き切った。次にその部分から斧の柄の長さくらいの所も同じように焼き切った。同じようにして槍の柄の長さの所も切った。1本の木で斧と槍の柄を作れる。残った杉の葉っぱは寝床に敷いた。岩肌の上に寝るよりも寝心地が良いだろうと思えた。
幹を直角に切るのは大変だったがナイフのような石器で縦に割れ目を入れるのは楽だった。その割目に槍の穂先や斧の石器を挟みかずらで割目部分をぐるぐる巻きにして縛った。穂先も斧の刃も見事に固定された。柄の皮も火で炙りながら石器で叩くと簡単に剥がれ、すべすべした木肌の槍と斧ができあがった。休む間もなくそれを持って竹藪に行った。長い柄のせいか、手で叩くよりもはるかに強力で石器の斧が竹の幹に食い込み簡単に大きな竹を数本切り倒せた。それを引きずって洞穴に帰ると、夕食用にイタドリを採りに行った。今夜はこれと猪の焼肉で満腹になれるだろう。
日暮れまでにはまだ時間があったので、斧の柄と同じ要領で竹を焼き切り、水筒や柄杓それから入口の戸を作った。後は弓と矢だ。1メートル50ほどで切った竹を石器で縦に割、ほど良い弾力を測りながら竹の幅を決め、手で持つ辺りに別の短い竹を内側合わせにしてかずらを巻き付けて縛った。だが弦はかずらではすぐに切れてしまう。(弦はもっと強い紐でないとだめだ)と思ったその時ふっとクズの繊維で紐や布を織る方法を思い出した。
(ん、何故俺はクズのことを知っているのだろう、、、俺は、、、俺はどこに住んでいたのだろう。その前に俺の名は、、、俺は誰だ、、、思い出せない、、、)また頭が痛みだし思い出すのをやめた。気分転換にクズの蔓を取りに行った。クズの群生はいたるところにあり数分で帰ってきた。(本当は蔓を湯がいて数日置いてクズの外皮を腐らせてから中の繊維を取り出すのだが、その時間がないし湯がく鍋もない、、、鍋か、、、土器も作ろう)
その夜は夕食後、クズを火で炙ったり石器で軽く叩いたりして繊維を取り出し、手で撚って糸にし、それを数本束ねて撚り直径1ミリほどの丈夫な紐を作った。その紐で弓を張り弾いてみた。(良い感じだ、明日は細竹で矢を作ろう。ついでに土器にする粘土を探そう)
だが翌朝は雨が降っていた。着ている衣服を濡らしたくなかった大智は、洞穴から出なかった。朝食は何度も焼いて干し肉のようになっている猪の肉と食べ残しのイタドリで済ませた。だが、雨がやまないと食料を採りにも行けない。空はどんよりと曇っていてすぐに上がりそうにない。大智は不安になった。(早く上がってくれれば良いが、、、くそ、雨が降るのが分かっていたら昨日のうちにもっと食料を採ってきただろうに、、、そうか保存食も必要だな、、、)
その時ふっとアパートの部屋と近くのコンビニを思い出した。電気も水道もガスコンロも冷蔵庫もある部屋、そして豊富な品揃えのコンビニ。(お、俺は、、、あのアパートに住んでいた。そしてあのコンビニにも良く買い物に行った、、、ここは、、、ここはどこだ。何故俺はここにいるのだ、、、それより俺の名は、、、俺は誰だ、、、俺は記憶喪失になったのか、、、目で見た物は思い出せるのに自分の事は何も思い出せない、、、ここはどこだ、俺は何故ここにいるのだ、、、)大智は浜辺で目覚めて以来、何度も同じ言葉を呟いた。
幸いにも午後には雨が上がった。大智はさっそくイタドリを採りに行き、その場で腹いっぱい食べてから夕食朝食用に多めに採った。松の実も欲しかったが地面に落ちている物はゴミが混ざっていたので、手で届く範囲のまだ開いていない松ぼっくりを採ってきた。それを洞穴内に置いてそれから槍と斧と弓と、雨上がりまでに作った割竹の矢を持って細竹を取りに行った。
数十本の細竹を取り終えると束にしてかずらで縛り、帰ろうとすると数頭の猪がこちらを見ていた。大智はこれ幸いと思い、割竹の矢を射てみた。割竹が曲がっていたこともあり真っ直ぐには飛ばなかったが、猪の頭上を飛び越えて追い払えた。飛距離30メートルほどで大智は満足した。真っ直ぐな細竹で矢じりと羽を付ければ恐らくもっと飛ぶだろう。
洞穴に帰ると薄暗くなっていた。細竹を入口横に立て掛け食事を始めた。採ってきた松ぼっくりを火で炙り開いた所の松の実を取り出して食べながら考え、昼間は出歩いたり食料採集して、暗く長い夜は焚火の灯りで矢を作ったり矢じりを磨いたりすることにした。まだまだ必要な物、作らなければならない物がいっぱいあった。その一つが土鍋だ。今はまだ寒いくらいで水たまりの水でも腹痛になったりしないが暑くなれば湯冷ましにした方が良いだろうし、肉も煮た方が安全だろう。大智は土器を作りたいと思った。
翌朝まだ薄暗い時に、昨夜矢じりを付たばかりでまだ羽は付けていない矢を竹筒に入れて紐で背中に背負い、弓を肩にかけベルトにナイフ形の石器を刺し槍を持って出発した。心配していた雨も降りそうになく、また槍と弓矢を持っていることで狼や猪に対する恐怖心もなくなっていて堂々と歩き回ることができた。
今日の目的は、土器用粘土を探すことと、どこにどんな食用植物、有用植物があるか、それと大まかな地形も知りたかったし、何よりこの川沿いの岩山と絶壁がどこまで続いているのか、川に降りていける所はないのかも知りたかった。
1時間ほど歩いただろうか、いつの間にか岩山はなくなり岩の台地と同じ高さになった。しかし川面から10メートルほどの絶壁は続いていた。その絶壁の上から川の上流を見ていた驚いた。川は数十メートル先で南にほぼ直角に曲がっていたのだ。しかもそこは川の両岸とも絶壁でまるで岩の台地が真っ二つに割れた所が川になったようだった。
大智は興味を覚えその曲がり角に行ってみた。そこはこちら側の絶壁はまるで氷河のクレパスのように岩の割れ目が川の曲がり角からさらに数十メートルも西へ伸びていて、しかも南側の台地はこちら側よりも数メートル低くなっている。大智はその時その地形が断層によるものだと解った。
(断層でできた川か、、、吉野川や紀ノ川のようなものか。それにしても見事に直角に曲がっている、、、この上流にも行ってみたいが、、、食料も探さないといけない、、、今日は北に行ってみよう)大智はそこから岩の台地を北に向かって歩き出した。だが岩の台地は数十メートルで終わり草原になった。そしてその草原の北側には葦の群生が見えた。葦の群生があるということは恐らくそこに沼か川があるのだろう。
(群生が東に向かって伸びているから川だろう。それにしても草原の雑草の背たけが高すぎる。まだ蛇は居ないだろうが、あまり歩きたくないな、岩の台地と草原の境を歩いて海の方へ行こう)境を歩いていくと岩の台地は少しづつ高くなっていき30分も歩くと草原から2メートルほどの高さになった。しかもそこより先は緩やかに高くなっていて断崖になっている。まるでその岩の台地だけが隆起したかのようだった。
大智はその台地を海まで歩いていくか迷った。台地にはいたるところにイタドリがあり松の木もあったから松の実も手に入ると思われたが、粘土やその他の食料はなさそうに思えた。まあ台地でも低い所には竹藪や雑木林もあり、そこに行けばなにか別の食料が見つかるかも知れないが粘土はないだろう。
(窪地に溜まった砂岩が風化した土で土器が作れるだろうか、、、杉の木の根を切るために掘った所の土はまあまあ粘りけがあった、、、あの土で作ってみるか、、、だが、どうやって土を洞穴まで持って帰る、、、)その時になって大智は何の入れ物も持っていないのに気づいた。(そうだ先にバッグかざるを作るべきだな。カズラやクズの蔓を持って帰ろう)
大智はそこから南に向かって歩き出し、台地の窪地の雑木林に行った。そこで木に絡みついているカズラを取った。それから近くのクズの群生地で蔓を取っているとウサギが飛び出してきた。大智は置いていた弓矢をそっと取り構えた。ウサギまでの距離は約10メートル、この距離なら羽を付けてなくても真っすぐ飛ぶだろう。大智は射た、矢は見事にウサギの横腹を貫き、四肢を痙攣させていたがやがて動かなくなった。大智は可哀そうに思ったが、しかし肉を食べたいという気持ちの方が強かった。せめてもの罪滅ぼしに念仏を唱えながら矢を抜き取った。これが大智の初めての狩りの経験だった。
洞穴に帰ると熾火を吹いて火をおこしウサギを焼くことにしたが、皮を剥ぐのに手間取った。ナイフ型の石器ではうまく剥がせず、結局竹ナイフを作って刃の部分を火で炙りながら磨いて何とか剥いだ。その後腹を切って内臓を取り出して捨て、細竹を口から尻まで刺して丸焼きにして焼けた所から竹ナイフで削り取って食べた。柔らかくて美味かった。ポケット内の松の実と交互に食べると最高のランチになった。
食後まだ陽は高かったが、歩き疲れてもいたので出かけるのをやめ、カズラで背負い籠を作ることにした。細いカズラを編んで丸籠を作り、それを背負えるように三つ編みにした太めのカズラを取り付けた。背負ってみたら良い感じだった。カズラが乾燥すればもっと軽くなるだろう。次に矢じりの部分だけ竹筒に入れた矢を籠の右側に入れ、矢を束ねるように輪っかを取り付けた。これで籠を背負ったまま矢を取り出して射れる。連射も可能だろう。大智は狩りをするのが楽しみになった。
それから洞穴の外に穴を掘り水たまりを作った。その中にクズの蔓を丸めて入れ、焚火で焼いていた石を入れ水を沸騰させた。30分ほど何度も焼けた石を入れ替えているとクズの蔓が変色してきたのでそのまま放置した。これで表皮が腐れば剥離できるだろうし、良い繊維がとれるだろう。その繊維で強い紐を作り、弓の弦の予備や丈夫な袋を作りたい。できれば衣服も、いや先に柔らかいタオルが欲しい。手を洗った後ジャンバーで拭いてもうまく水気が取れなくて苦労していたのだ。
(それにしても、ここはどこだろう。3~4時間歩いても人に会えなかったし、民家も畑も見当たらなかった。もしかしてここは無人島か、いや川の向こう側には裸族がいる。奴らは川を渡ってこちらに来ないのだろうか。まあ野蛮な奴らは来てほしくないが、、、ここには普通の人はいないのだろうか。村や町はないのだろうか、、、何か変だ。西側は広大な原生林のようだし、その向こうは幾重も連なる山脈だ。こんな地形が日本にあっただろうか、、、それより俺は誰だ、、、よそう、また頭が痛くなる)
大智は気を取り直して土を取りに行こうとしたが(あそこの土ならここの土と大差ないだろう、ここの土を使ってみるか)と考え、水たまりを作るために掘った土に水を加えて練って中華鍋風の鍋を作った。壊れないようにそっと日当たりの良い場所に移して乾かすことにした。次に土瓶を作ろうとしたが複雑な形状はすぐに壊れてうまくできなかったので円筒形の鍋にした。それを乾かす所に運ぶと先の鍋にひび割れが入っていた。
大智はがっかりしたがそのまま乾かした。乾いた後で割目に土を塗ったらどうなるか、焼いたらどうなるか試してみたかったのだ。(近くに雑貨屋でもあれば、アルミ鍋だろうと薬缶だろうと包丁だろうと買えるのにな。だが雑貨屋なんてどこにもないようだし、必要な物は全て自分で作らなければならない。それどころか日々の食料を手に入れないと生きていけない、、、一体ここはどこなんだろう)
考えるのをやめると水を飲みたくなり、洞穴内に置いてある竹の水筒を取って飲んだ。もう残り少なかったので岩山の水たまりに汲みに行くことにした。背負い籠に竹の水筒4本と柄杓を入れ、槍を持って登って行った。水を濁らさないように柄杓でそっと水をすくい水筒に入れた。入れ終わり籠を背負おうとしてふと西の空を見ると、ちょうど夕陽が山脈の彼方に沈みかけていた。その景色の美しさに大智は呆然と立ちつくした。
(こんなきれいな夕陽は初めてだ、、、)大智は、陽が沈み暗くなりかけた空もきらいだと思った。その時ふと(暗くなったらもう一度ここに来よう。人が居れば灯りが見えるはずだ)と思いついた。洞穴に帰ると大智は竹を縦に十文字に割れ目を入れ枯草や枯れ枝を詰めて松明を作った。そして夕食後、松明に火を灯して再び岩山に登った。念のため槍と弓矢を持って。しかし星空以外は真っ暗闇だった。どこにも灯りは見えなかった。
(、、、これは一体どういうことだ、、、見渡す限り民家すらないのか、、、裸族はどうした。裸族は夜になっても焚火すらしないのか、、、そういえばここに来て一度も飛行機が飛んでいるのを見たことがない。日本の空なら一日に1機は見えるだろうに、、、本当にここはどこだ。日本ではないのか、、、俺は今どこにいるのだ、、、)その時大智はぞっとするほど不安になった。(も、もしかしてここには俺と裸族しかいないのか、、、)
洞穴に帰ると大智は怯えたように入口の戸を閉め、崩れ落ちるように焚火の横に座り呟いた「ここはどこだ、、、俺は誰だ、、、なぜ俺はここにいるのだ、、、」だが答えてくれる者はいなかった。大智は考え続けた。すぐに頭痛が始まったがそれでも考え続けた。過去を思い出そうとした。断片的にアパートの部屋やコンビニ内、そして夜の歩道を歩いていて急に二つの眩しい光が近づいてきて、、、その後気がついたら浜辺に横たわっていた。
(あの二つの光はなんだったのか、、、車のヘッドライトか、、、そうだとしたら俺は車にひかれたのか、、、俺はひき殺されたのか。俺は死んだのか、、、いや俺は生きている。肉体があり物を食べている。今日は弓矢でウサギを狩り焼いて食べた、、、死人がこんな事ができるか、、、俺は生きているんだ。間違いなく生きているんだ、、、では俺は誰だ、、、何故ここにいる。ここはどこだ、、、)大智は考え続けた。だが答えは出なかった。
翌朝日の出前に目覚めた。昨夜あれだけ考えても何も分からなかったから、もう考えないことにした。考えるなら、ここでどうやって生きていくかを考えるべきだと思った。(生きていく為には食べ物が必要だし、それを手に入れる為には雨の日も外出できる方が良い。雨具を作るべきだが、、、昔は蓑笠腰蓑があったそうだが、どうやって作ったのだろう。現物を見たこともないし、、、その辺に生えている茅でも作れるのだろうか)
大智は試しに茅で作ってみることにして、近くの群生地に取りに行った。しかし石ナイフでは茎が切れず、斧で根を切って引き抜き地面に寝かせてから根本近くで茎を石斧で叩き切り、それをカズラで束ねて持ち帰った。洞穴前に広げて干し、それから大竹を採りに行った。
大きな竹籠を作って海で魚を獲るのだ。入口に魚が入っても出られない仕掛けを作り、フジツボやカキ等の餌を割って入れ海に沈めていれば魚が獲れるだろうと考えたのだ。竹を縦に割ってその割竹を表皮辺りに石ナイフを食いこませ、こん棒で叩きながら薄く裂いていく。最初に石ナイフをうまく食い込ませれば4メートルほどの割竹でも最後まで薄く裂くことができた。
その薄い竹を使って直径1メートルほどの竹籠を作り、最後に入口に仕掛けを作った。初めてにしてはまずまずの出来だ。大智は今すぐにでも海に行きたかったがまだ籠を引っ張り上げるロープがないし草鞋もない。クズの蔓の繊維で作れば良いロープができるが手間がかかる。今回は細いカズラを撚り合わせてロープを作ることにした。しかし近場にはもう良いカズラがない。大智は少し遠出をしてついでに食料を探すことにして背負い籠に弓と矢や水筒竹ナイフ石ナイフ等を入れ、槍と斧を持ちフル装備で出発した。
下草の背たけが高いのでまだ入ったことがなかった窪地の雑木林に行き、斧で下草をなぎ倒しながら入って行くと、ちょうど良い太さのカズラがいっぱいあり嬉しくなった。また大きな松の木には人がぶら下がっても切れないと思える太いカズラもあり、絶壁から浜辺に降りていく所に使えると考え、斧を持って松の木に登って行った。松の木は枝が多くて登りやすくすぐにカズラが絡んでいる所に達した。大智はカズラを斧で叩き切って落とし、ふと見上げると数メートル上に大きな鳥の巣があった。
大智は鳥の巣の所まで登り中を見たが鳥はいなかった。だがきれいな羽が数枚あり、それをポケットに入れて木から降りた(この巣は今年また使うだろう。なんの鳥かは知らんが卵を、、、へへへ。恐らくこの木に登った人間はいないのだろう。だから鳥はこんな登りやすい木に巣を作ったのだ。だが俺に見つかったのが運の尽きだな)と考えながら。
大智はちょうど良い太さのカズラをいっぱい採り丸めて縛った。太いカズラも折れないように丸めて細いカズラで縛った。籠を背負いそれら全てを持つと重すぎて持って帰れそうにないので太いカズラは次回にと考え、松の木に立てかけておいた。松の木の下はあまり草が生えていず、松の実もいっぱい落ちていたが、岩場の上と違って拾い辛かったのでやめてまだ開いていない松ぼっくりを拾って籠に入れた。(あとは帰りにイタドリを採れば今日と明朝の食べ物は足りるだろう)
一度洞穴に帰って背負い籠とカズラを置いて、槍と弓と矢を持って大きいカズラを取りに行った。その帰り道、ふと窪地の雑木林の一番低い所を見ると数頭の猪がいた。弓と矢は持っているが殺して持って帰っても一人では食べきれない、どうするかと迷ったが、干し肉にできるかもしれないと思い直し、肩に背負っていたカズラを降ろしてそっと近づいた。猪たちは何かを食べているようでまだ俺に気づいていない。
10メートルほどに近づいて矢を射た。一番大きな猪の尻に命中した。その猪は一瞬跳ねた後よたよたと歩き出した。他の猪はすぐに逃げたのでその後を追おうとしたようだが、2発目の矢が首に当たりそこに倒れた。大智は走り寄って槍を喉から脳天に向けて突き刺した。猪はすぐに動かなくなった。大智は猪の後足を持って引っ張って行こうとして、その辺を見た。
ぬかるんだ地面を猪が掘り返したと見えデコボコになっている。その土の中に白いものが見えた。拾って見ると山芋の欠片だった。猪はこれを食べていたのだ。周囲を見ると、写真かなにかで見た覚えがある山芋の蔓とところどころに小さなむかごがあった。(山芋か、栽培すれば主食にできるかもしれない、、、だが今は猪だけを運ぼう。カズラは後日で良いや)大智は40キロはありそうな猪を引きずって何とか洞穴に帰った。
洞穴の外ですぐに解体を始めた。しかし石ナイフや竹ナイフではうまく切れず、やむなく斧で首と四肢を叩き切って焚火で焼いた。胴体も背中の方から肋骨にそって叩き切った。腹部が切れると胃腸が飛び出してきた。それを竹で作った火箸で取り出して竹ナイフで切り離して考えた。(これも食べれるだろうが、寄生虫がいるかもしれない)と思い川に捨てることにした。
胴体のあばら骨より下を切り離すと、内側から腹を切り開いた。内側からなら竹ナイフでも何とか切れた。腹を開くと背骨の横にそって斧で叩き切った。同じ要領で胴体上部も切り開こうとしたが、肋骨があってうまくいかず、しかたなく背骨の横を叩き切って心臓と肝臓を取り出し焼いた。焼けた所から竹ナイフで切り取って食べながら(猪の肉は本当に美味いんだな)と思い、また(しかし全ての肉を食べてしまうには1ヶ月はかかるだろう。それまでに腐ったら、、、うまく干し肉にできなかったら捨てるしかないな。とにかく火で焼こう)と考えて洞穴の中と外2箇所で火を焚いて焼いた。
火の上に肉をぶら下げられるように竹で棚を組み立て、四肢は足首を縛り、胴体上部は首を縛って棚にぶら下げた。胴体下部は細竹を2本づつ突き刺して皮の方から先に焼いた。焼けるにつれ、窪んだ所に油が溜まってきた。この油も何かに使えるかも知れないと思い、竹筒に集めた。肝臓心臓も美味かったが腹肉も美味かった。大智はとにかく食い溜めした。
暗くなると狼が来るだろうと思い、全ての肉を洞穴内の棚に吊るした。夜通し焚火を続けるつもりで薪も洞穴内に運んだ。一通り終わると洞穴の戸を閉め岩山の水たまりで手を洗ってきた。その時になって胃腸や頭を捨てに行くのを忘れていたのに気づいたが(いいや、狼にくれてやろう)と考え放っておいて洞窟内に入りしっかり戸を閉めた。すると30分もしないうちに狼が来て争って食べ始めた。
当然足りないようで戸の竹の隙間から鼻先を突っ込んできたので、槍で軽く突いた。狼はまるで子犬のようにキャンキャン鳴いて去っていった。外が静かになると大智は時おり肉をひっくり返しながらうとうとしはじめた。
数時間後石垣の上部から降り込んできた雨で目が覚めた。焚火も雨が当たる所は消えていた。大智は焚火を内側にずらし薪を足した。外はそうとうな大雨だった。岩山をつたわって雨水が洞穴の中まで入ってきた。幸い入口の方が低いので外に流れ出ていくが、流れ出るよりも降り込む方が多くなれば洞窟内に溜まってしまう。(洞窟の天井から外に向けて屋根を作った方が良いな。ついでにトイレも、、、)
大智は今まで大便は昼間松の木の下等でしていたが、もし夜間にもよおしてきたら、洞穴の中でするか、外で槍と松明を持って狼を警戒しながらせねばならず、なんとかしなければと考えていたのだ。(そうだ洞穴の前にコの字形に石垣を築こう。その上に梁をやり屋根を作ろう。ついでにトイレも作ろう、、、しかし、やりたい事やらねばならん事がいっぱいだな、、、まあ幸い食べるはいっぱいある。明朝から始めよう)
幸い朝には雨が上がり、大智はさっそく石垣を築き始めた。4X3メートルほどの広さで高さ1.5メートルほどにした。石垣の四隅に竹の柱を立て、高さ1.7メートルくらいに前側の梁、洞窟の方は洞窟の天井より30センチほど下になるように梁を通して、その上に屋根を支える縦竹を10本ほど渡して梁との交点をカズラで縛った。もともと洞穴が台地よりも1メートルほど高い所にあったので、この梁の高さでちょうど良い屋根の勾配になった。
ここまで二日かかったが、あとは屋根をふくだけだ。大智は豊富にある茅を使うことにした。茅の茎の方と真ん中辺りを2本の細竹に縛り付け、それを屋根の下側から上側に30センチ間隔に縦竹に縛り付けた。洞窟内にも50センチほど入るようにしたから、恐らくこれで洞窟内に雨が降り込むことはないだろう。屋根ができると、洞穴の戸をはずして石垣に作った新しい入口に取り付けた。それから洞穴を塞いでいた石垣をばらして石垣の隅に1メートル四方ほどのトイレを作った。これで夜でも安心して用が足せる。
大智は嬉しくなった。(正に手作り新築住宅だ。これで雨でも屋内で安心していろいろできる。布も織りたいし土器も作りたい。屋根に燃えつかないようにかまどもつくろう。だが今は雨が降っていないうちにイタドリや松の実を拾って来よう。干し肉ばかりでは飽きた。そうだ薪も、、、この辺りには枯れ木もなくなった。松の木の枝でも切って干しておかなければ。それにしてもやるべきことがいっぱいだな、、、そう言えばここに来て何日目だろう。日記も書いた方が良いな)
大智は背負い籠に弓や矢や水筒等を入れて背負い槍と斧を持って出発した。海に行くほうの台地を通り松の木の下に行ったが予想通り昨夜の雨で松の実には泥が混じっていた。背たけよりも低い所から伸びている枝を切って松ぼっくりを採って、枝は薪にすることにした。だが幹に近い所の枝に斧を叩きつけるとばらばらと松の実が落ちてきた。何度も斧を叩きつけて松の実が落ちてこなくなってから松の実を拾って竹筒に入れた。それから改めて枝を切った。
切った枝についている松ぼっくりを籠に入れ、台地の上を枝を引きずって途中のイタドリも籠に入れて帰った。帰ってから枝の切り口に松脂がにじみ出ているのを見て、松脂はロウソクを作れたりいろいろ使い道があると考え、槍と竹筒を持ってもう一度松の木の所に行った。そして枝の切り口の下に竹筒を立て石で固定した。それからついでに海を見に行った。海は満潮のようで砂浜の幅が狭かった。
(そうか今満潮か、すると昼前が干潮、海に来るなら昼ころ干潮の方が良い。貝やカキが獲れるだろうから。だが準備が間に合うかな)家に帰るともう夕暮れだった。大きなカズラを取りに行くのは明朝にして、生乾きの茅と細いカズラでわらじ(草鞋)を作った。それから夕食。洞窟内で焚火をして、その煙のせいでかうまく干し肉になっていたので、それをもう一度焼いて松の実と交互に食べ、最後にデザート代わりにイタドリを食べた。申し分のない食事だった。
翌朝日の出前に槍と斧を持って大きなカズラを取りに行った。ついでに細いカズラも数本取って、家に帰らずそのまま海に行った。思っていた通り崖に垂れている松の根には、硬くて大きなカズラを縛り付けることができなかったので、根と大きなカズラを合わせて細いカズラをぐるぐる巻きにして縛った。根も大きなカズラもごつごつしているので、滑って抜けたりはしないと思ったが念の為に根の下に降りてカズラを引っ張ってみた。びくともしない。これなら重い籠を背負ってカズラにぶら下がっても大丈夫だ。
海は干潮になりかけていた。これから家に帰って必要な物を背負い籠に入れて持ってくればちょうど良い時間だろう。斧は浜辺に置いて槍だけ持って家に帰り、朝食してから籠を背負い槍と弓と矢を持って家を出た。川沿いの崖の上を海まで歩いたが、川向こうに裸族の姿は見えなかった。
(裸族はどこへ行ったのだろう。あんな奴らでも居ないと寂しいな、、、もしかして奴らは移動しながらの狩猟採集民族なのだろうか。いや、まさか今の時代に、、、だが武器は投げ槍だけだったな。しかも穂先は俺と同じ石器のようだった、、、今の時代にそんなはずは、、、本当にここはどこだろう。今は2025年の春じゃあないのか、、、)大智は周囲の景色に違和感を抱きながらそんなことを考えた。
昨日切った松の枝の下の竹筒には少しだが松脂が溜まっていた。背負い籠の中から火起こし用の枯れ木と錐もみする小枝を取り出して松脂を塗ってから海に行った。崖では籠を背負ってでも松の根と大きなカズラを伝わって簡単に浜辺まで降りれた。さっそく籠を下して中から草鞋を取り出し、ジャンバーとジーパンとスニーカーと靴下を脱ぎ草鞋を履いて海に入ってみた。海水はちょっと冷たかったが耐えられないほどではなかった。
浜辺は潮が引いて幅が30メートルほどになっていた。ところどころ潮溜まりがあり逃げ遅れた小魚が泳いでいた。大智は思わずつかまえようとして(雑魚を相手にしてどうする、大物を探せ)と思い直し、海面が膝くらいの深さの所にあったちょっと大きな石をひっくり返してみた。そこにはこぶし大のサザエがいた。(こんな浅い所にサザエが、、、)大智は嬉しくなり手当たり次第に周辺の大きめの石をひっくり返した。
サザエがいっぱいいたし、海藻が付いている所には大きなアワビやトコブシがへばりついていた。大智は大喜びしながら斧でアワビを剥がしてサザエともども岩場の上の潮溜まりに運んだ。30分ほどで潮溜まりいっぱいになった。(なんでこんなにサザエやアワビがいるんだ、、、そうか獲る人がいないからか、、、自然のままだとこんなにいっぱいになるのか、、、いっそのこと海辺で暮らそうかな、、、いや、水や薪や植物採集を考えると今の家の方が良いか、、、さてサザエやアワビを焼いて食べよう)
大智はそう思って海からの上がろうとした時、足裏に異物を感じて海面上に足を上げて足裏の草鞋を見た。すると草鞋がまるで鋭い刃物で切ったように切れていた。不思議に思いそのあたりをよく見ると黒く直線的な物が海底から3センチほど飛び出していた。何だろうと思いその周りを斧で掘っていくと、長さ30センチ横幅15センチ厚み2センチほどの黒っぽい名前も知らない貝が出てきた。その貝の先端で草鞋のカズラが切れた事を知って大智はその貝殻がナイフの代わりになると思い持って帰ることにした。
大智はそれから流木を集めて焚火し、サザエやアワビそしてその貝も焼いた。焼けたサザエやアワビに海水をかけて食べると最高に美味かった。食べながらふと魚獲籠を忘れたのを思い出したが(もし魚を獲っても今は食べきれない、明日で良い。だが餌にするフジツボやカキは今日獲っておこう)と考えた。食後は岩場の下の海に入り、岩に着いているフジツボやカキを斧で削り取り岩場の上の潮溜まりに入れた。
海は満ち潮に変わって、大智がひっくり返した石が波に隠れはじめた。まだ陽は高かったが大智は家に帰ることにして後片付けを始めた。焼いたが食べきれなかったサザエやアワビは中身だけ取って、一番大きなアワビの殻に入れもう一つの殻で蓋をして、細いカズラでぐるぐる巻きにして背負い籠に入れた。夕食はこれと松の実で十分そうだった。
片付けが終わると波打ち際で足を洗い最後に水筒の水ですすいでジャンバーで拭いてからジーパンと靴下とスニーカーを履いた。(暖かくなってきたのでジャンバーはもういらないだろう。帰って洗濯しょう)ジャンバーを無造作に丸めて背負い籠に入れ家に帰った。
帰り着くとさっそく岩山の水たまりでジャンバーを洗濯した。下着やジーパンもしたかったが着替えがない。(早く布を織って着替えの服など作らないと、、、クズの繊維はもう乾いているはずだ、糸に紡ごう。簡単な布織機も作らないとな)両袖に竹を刺したジャンバーを家の前の木に吊るしてから大智はクズの繊維の糸紡ぎをはじめた。1本の繊維を細く裂いて撚り、2本合わせて糸にしてみた。不揃いだったが何とか10メートルほどできた。だがそれくらいでは服を作るには全然足りない。
夕方になってから草鞋が切れた事を思い出して先に草鞋を作ることにした。前回と同じように縦にはカズラを、横には乾かした茅の葉を使った。一足作り終えるともう夕暮れだった。大智は夕食してから洞穴の奥に焚火でできた炭で日記を書いた。砂浜で目覚めてからの出来事を思い出しながら、それと天気と潮の状態も書いた。(もし今日が大潮なら28日後また大潮になる。それと今は何月何日か分からないが仮に4月20日にしておいて、夏至の日が分かったらそれから逆算して正しい日付に直そう)
翌朝まだ薄暗い時間に、魚獲籠と槍を持って海に行った。思った通り満潮で海水溜まりも水没していた。大智は浜辺に降りると、フジツボやカキを割るための石と重石を拾って岩場に行った。そこで草鞋に履き替え、潮溜まりに入れておいたフジツボやカキを取り出して岩場で叩き潰して魚獲籠に入れ、深いところに投げ入れた、しかし予想通り沈まなかったので重石を入れて沈ませた。それから引き上げるカズラの端を大きな石で押さえて家に帰った。
家で2時間ほど糸を作ったりしてから背負い籠に役立ちそうな物を入れて再び海に行った。引潮で潮溜まりも海面上になっていた。岩場に行き魚獲籠を上げてみた。大きなカワハギ2匹と20センチほどのベラらしい魚と小さなベラが5匹入っていた。大智は喜んでカワハギやベラを焼いて食べた。焼けた魚に海水を掛けただけだが本当に美味かった。
魚を焼く前にカワハギの皮や内臓や頭、それと小さなベラも石で潰して魚獲籠に入れ沈めていたら、食後上げてみるともうタコ1匹と大きなカサゴが2匹も入っていた。大智はそれを石で殴り殺して焚火で焼いて漁獲籠と一緒に家に持って帰った。潮さえ引けば簡単に貝や魚が獲れるという海の状態が分かった今、食べきれないほど獲ってもしょうがない。干し魚等、保存食にできる準備が終わってからまた獲りに来れば良いと大智は考えたのだ。
家に着くと大智は、帰りながら考えていた事をすぐに実行した。先ず竹とカズラで土を運ぶ籠を作った。それを持ってクズと、山芋のあった所の土を取りに行った。土を掘っていると山芋が出てきて喜び勇んで帰ってくると、休む間もなく家の前に穴を掘り水を溜めクズを入れた。それからその横で焚火をしながら以前作って乾かしていた土器と石を焼き、焼けた石を水たまりに入れて沸騰させた。
そうしながら持って帰ったばかりの土をこね、煮炊き用の大きな円筒形の鍋とフライパンのような浅い鍋を作った。予想通りあの場所の土は粘りけがあり、薄くしても型崩れせず思い通りの鍋が作れた。
大きな竹を横に切ってコップやお椀の代用品を、縦に割って皿の代用品を作っていたが鍋がまだなかった。安全な飲料水を得る為にも、どうしても湯を沸かす鍋が欲しかったのだ。家の前の土で作った鍋が、縄文土器のように無事に焼きあがるか大智ははらはらしながら焼いた。中華鍋形の方は乾かす時すでに割れ目が出来ていて、そこに練った土を塗り込んだが、焼きはじめてすぐにそこに割れ目が入った。だが円筒形の方は幸い今のところ割れていない。
数時間後土器が赤黒く変色したので焚火をやめ冷えるまで放置しながら、灰の中に入れておいた山芋を食べてみた。けっこう美味かった。タコやカサゴも炙って食べた。今日は薄暗いころから二度も海に行き、クズ蔓や土も取りに行き、帰ってきてからは土をこねて土器を作った。働きづくめの一日だったが大智は満足していた。洞穴の奥に日記を書き込んでから眠りについた。
翌朝、冷えていた円筒形の土器を手に取って見た。割れ目は見あたらない。試しに水を入れてみた。水漏れもない。大智は万歳したくなるほど喜んで、早速それで湯を沸かした。沸いた白湯を竹柄杓で汲んで竹コップで飲んでみた。飲んで大智は驚いた(白湯がこんなに美味いとは、、、)ただ、その時になって気づいた(鍋の蓋がない)朝食の後で今日も土を取りに行くことにした。(もっと大きな鍋や蓋を作ろう。それとかまども)
土と、また見つけた山芋を持って2時間ほどで帰ってくると、さっそく土をこねて大きな円筒形の鍋と蓋を二つ作った。余った土と石で家の中の隅に、鍋二つを同時に置ける長方形のかまどを作った。その後はまたクズ糸を紡ぎ夕方には30メートルほどになった。(明日から布を織ろう、、、いつだったかユーチューブ動画で見た、どこかの少数民族のように、原始織機で縦糸を腰で引っ張り綜絖(そうこう)を取り付け、一本づつ交互に横糸を通していく。原理は分かっているがうまく作れるだろうか、、、)
翌日は朝から原始織機を作り、試行錯誤しながらも幅60センチほどの布を1メートルほど織った。そこで30メートルの糸が終わったので、原始織機を腰から外して出来立ての布に触ってみた。(ゴワゴワしている、これではタオルは無理だな。もっと糸を細くしないと。だが技術的に難しい、、、どうするか、、、綿があればな、タオルは綿糸の方が良いのだろう)
クズの繊維がもうないので布織を中断し家の外に出てみた。太陽の位置を見るとまだ正午になっていない。(さてこれからどうしょう。クズ蔓の皮むきもまだ早いし、土器は軒下に置いてあるから、そのまま1週間ほど置いとけば良い。山芋も猪の干し肉もあるから今日の食料はあるが、イタドリは旬が過ぎたのか伸びて固くて食べれなくなったし、松の実も落ちてこなくなった、、、別の食べ物を探した方が良いかな。
しかし何を、、、米があればな、、、今まで考えたこともなかったが、長期保存できる事など、考えれば考えるほど米は主食に打ってつけの食べ物だったんだな。種籾どこかにないかな、、、まあないものねだりしてもしょうがない、、、そうだそろそろタケノコの季節だ、行ってみるか。ついでにウサギでも獲れれば、、、)大智は狩りの準備をして籠を背負い、槍と斧を持って出発しょうと外に出たら雨がぽつぽつ降っていた。(なんだ雨か、、、蓑はあるが、、、蓑を着ると籠を背負えないかも、、、とにかく着て行ってみるか)
大智は蓑を着た上に籠を背負い竹藪に行ってみたが、タケノコは見当たらなかった。そればかりか大雨になった。帰ろうと思い振り向いた50メートルほど先に鹿が数頭集まって何かを食べているのが見えた。(50メートルか、もっと近づかないいと、、、せめて20メートルまで)大智はそうっと20メートルくらいまで近づき弓を構えた。その時、2メートル近い黒熊が鹿に飛び掛かかり、前足の一撃ではり倒した。
その光景を見て大智は肝をつぶした。(鹿を一撃で、、、あんな熊がいるのか、、、どうしょう、、、あんな熊に襲われたら、、、家の石垣も壊して入ってくるかも、、、しかしこれは天の助けかも知れない、、、先手必勝、今倒しておけば、、、奴らは縄張りがあるから、このあたりにいるのはあいつ一頭だけだろう。後顧の憂いを無くす為にも、今、、、矢は10本、とどめは槍で)決心すると大智はさらに10メートルほど近づき矢を射た。
矢は脇腹に突き刺さり熊は吠えて大智の方を見て後足で立ち上がった。その迫力に圧倒され逃げ出したくなったが、気を引き締めて続けざまに全ての矢を射た。腹や胸に突き刺さり熊は前に倒れた。だがまだ生きていて頭を震わせている。大智は走り寄って首に槍を突き刺した。それから顎から脳天に向けて何度も突き刺した。熊はやっと動かなくなった。熊が死んだことを確信すると大智はその場に尻もちをついた。槍を持っている手のひらも全身も汗びっしょりになっていた。
しばらくして興奮が収まると大智はこれからどうするかを考えた。こんな大きな熊を家まで運べない。ここで解体するしかない。幸い貝ナイフを持ってきている。せめて毛皮だけでも持って帰りたい、そう思ってうつ伏せに倒れている熊の脇の下から後足の付け根まで貝ナイフで毛皮を切り開きながら剥した。それから反対側の脇腹まで剥すとそこで切り離した。
熊を横向きにできるなら腹の真ん中から剥がして、背中まで剥してからまた反対側を上向きにして剥せば全身の毛皮がとれるのだが、大智一人では重すぎて熊を横向きにできず、下側の胸部腹部や手足の毛皮は諦めるしかなかった。熊の毛皮を内側合わせに折りたたんで籠に入れながら思った(もったいないがあとは狼にでもくれてやろう。ん、鹿は何とか引きずって帰れるな)大智は、熊に内臓を食われ軽くなっている鹿の後足を持って引きずって帰った。
家に帰り着くともう夕方だった。雨はまだ降っている。蓑を脱いで軒下の端に吊るしてから家の入口に腰掛けて鹿の解体を始めて、思い出して先にかまどで湯を沸かすことにした。(雨が止んだら外で焚火をして石を焼き、水たまりを沸かして熊の毛皮を茹でれるのだが、雨はまだ上がりそうにない。かまどで湯を沸かし石を焼いて、外の水たまりに入れて茹でよう。湯が沸くまでに鹿の毛皮も剥せれば一石二鳥だが、、、)
鹿の毛皮は湯が沸く前に剥せたが、腹部は熊に食いちぎられ、背中は爪で引き裂かれていて使い道がなさそうに思えた。だが、細長く切って革紐にできると考えて熊の毛皮と一緒に茹でることにした。鹿の腹肉を切り取ってかまどで焼いて食べると美味かったので夕食の分を切り取り、残りは猪の時と同じ要領で解体して洞穴内で燻すことにして棚にぶら下げた。
湯が沸くと水たまり内のクズを取り出して脇に置き、水を汲みだしてから熊と鹿の毛皮を入れて熱湯を振り掛け、さらに湯を沸かす間に、割れ目が入っている中華鍋土器に焼けた石を入れて運んで水たまりに入れた。暗くなるまでそれを繰り返し、夕食後やけどしそうなほど熱い毛皮を軒下に干した。思えば今日も重労働だった。だが、初めて大きな熊を獲ったことは、大智にとって大きな自信になった。
翌朝は雨がやんでいた。大智は急いで熊の所に行ってみた。熊は思った通り狼にかなりの部分を食われて軽くなっていた。足を引っ張って何とか仰向きにすると、矢を抜き取ってから昨日剥せなかった部分の毛皮を剥いで、ついでに斧で肋骨を叩き折ってから貝ナイフで切り開いて、まだ腐敗していないし狼に食われていず無傷の心臓を取り出して、毛皮で包んで背負い籠に入れた。薪が少なくなっている事を思い出し、道沿いの枯れ木や切りやすい位置の枝を切って引きずって帰った。
家に帰り着くと水たまりの水を捨て、熊と鹿の毛皮を入れてその上に持って帰ったばかりの毛皮も入れ、いつも焚火をしている所の濡れた灰を毛皮の上に振りかけてから焚火をした。かまどでも湯を沸かし、洞穴の中でも火を焚いて干し肉を乾かした。外の焚火で石も山芋も熊の心臓も焼いて、白湯をすすりながら焼けた山芋や心臓を食べた。ボリュームのある朝食になった。
朝食後は鹿の毛皮から内側の肉や脂肪を竹ナイフで丁寧に剥してから、縦割りにした竹を弓なりにして毛皮の両端に食いこませて張り、焚火にかざして干した。鹿が終わると昨日持ち帰った熊の毛皮を、それから最後に今日持ち帰った毛皮も同じ要領で処理して干した。その後は焚火に、まだ青い松葉や灌木の若葉を乗せて煙を発生させ、その上に竹で張ったままの毛皮をかぶせて燻した。
そうしながら大智は思った(まるで肉や魚の燻製を作っているようだ、、、それにしても俺は、こんな事をするのは初めてなのに何故やり方を知っているのだろう。やっている内に次はどうしたら良いのかふっと思い浮かんでくるのだ、、、クズ布織もまるでユーチューブ動画で見たかのように頭の中に浮かんでくる。それなのに俺自身の事は名前さえも思い出せない、、、まあ良いか。今はとにかく生きていく事が最重要課題だ。
その為に必要な衣食住を確保しなければ、、、この毛皮も温かい衣服になるだろうし、干し肉も貴重な保存食になるだろう、、、それで思い出したがこの家の石垣、この石垣では狼には有効だが、昨日のような熊に襲われたら恐らく破壊され侵入されてしまうだろう。もっと頑丈な石垣にした方が良いか、、、だがここは岩の台地の上で何かと不便だ。長く住むならもっと水の便利な、それに食用植物や薪が手に入りやすい所の方が良いだろう。一段落したら北の方にでも行ってみるか、、、)
幸い翌日は良い天気で、大智は朝食後背負い籠に干し肉等2食分ほどの食料を入れて出発した。以前行ったことがある岩の台地と草原の境まで行き、改めて周りを見回した。(台地を東に行けば1キロほどで海、北は背の高い草原、西は丘に向かって草原だが北の草原よりも背が低い。先ずはあの丘の上に行ってこの辺りの地形を見てみよう)そう考えて丘の頂上を目指した。
斧で草をなぎ倒しながら進んでいると突然雉の雌が飛び立った。そこを見ると巣があり卵が10個ほどあった。大智は草を根ごと引き抜いて、歩いてきた道に根を上にして置いて目印にした。(今夜は茹で卵が食べれそうだ、、、塩があればな、、、そうだそのうち塩も作ろう、、、それにしてもこんな所に雉がいたとは。ということは北の草原にはもっといるだろう、楽しみだ)そんなことを考えながら歩いていると30分ほどで丘の頂上に着いた。
頂上は岩だらけで草が少なく見晴らしが良かった。先ず登ってきた方を見ると、草をなぎ倒しながら登ってきた跡が一目瞭然で、その東に岩の台地と更にその向こうには果てしなく広がる海が見えた。北側はこの丘の麓までは草原だがその向こうは葦の群生地で葦の向こうは西の方から流れてきている幅百メートルほどの川があり、対岸も背の高い葦が群生していた。葦の向こうは草原が川と海に沿って伸びているが、その先は原生林に覆われた山になっていた。
西の方は丘の山頂とほぼ同じ高さで草原が20メートルほど続いたあと山の急斜面になり樹木が生い茂っていた。しかしその山はあまり高くなく、山の北側は急な谷になり、谷の途中には小さな滝も見え谷底は川があるようだった。その山の向こうは原生林に覆われた高い山が続き雪山も見えた。南側は家がある岩山と西に連なる岩の台地が見えたがそれより北は西から連なる低い山で見えなくなっていた。
(結局ここは山と岩の台地に囲まれた狭い平野部で、この丘は貴重な見晴らし台のようなものか、、、だがここなら例え川が氾濫しても水没することはないだろうし、岩山の家よりも眺望が良い、、、石もいっぱいありそうだしここに家を建てるか、だが水はどうする、、、滝から竹樋でひけば良いか、、、よし、ここにしょう。山頂から西の山に向けて5メートルそれか直角に南に向けて、最初は5メートルほどの石垣を築こう。熊に襲われても壊れないような頑丈な石垣を。その前に谷や滝を見ておくか)
大智は草原を抜けて山の麓を回り谷に行った。草原から10メートルほどで岩だらけの谷になっていた。谷底の川までは30メートルほど、しかし眼前20メートルくらい先に階段状の滝があり、大きな岩の低い所に沿って清水が流れ落ちていた。大智は山すそ伝いに滝の上に登ってみた。その向こうは狭い谷が100メートルほど続いたあと南側に曲がって見えなくなっていた。
(こんな狭い谷ではちょっと大雨が降ればすぐに洪水になってしまうし、崖崩れも起きやすいだろう。現に倒木や、川の岩には流木が挟まっている、、、そういえば昨日は雨だった。昨日の雨量でこれくらいの水量か、、、日照りが続けば水無川になるかもな、、、まあそこまで今心配しても始まらない。薪にする枯れ木も多いし、やはりあそこに家を建てよう)大智は丘の頂上に引き返すとさっそく石垣を築き始めた。
持ち運べない大きな石は頭ほどの石を叩きつけて割って運んだ。そうやって石を割っていて、その辺りの石が花崗岩であることに気づいた。(花崗岩か、、、花崗岩は砂岩よりも硬い。槍の穂先や矢じりを作ろう。矢じりといえば、この間の熊に射てほとんどの矢がダメになったし、手頃な形の破片を集めて持って帰って夜なべして磨こう。そうだ熊を一矢で仕留めれるような、もっと大きくて鋭く尖った矢じりが良い)大智は石垣を築きながらも槍の穂先や矢じりのことも考えていた。
その日は、そこから岩山の家までどれくらいの時間がかかるか知りたかったので、西の山に陽が沈んですぐに帰路に就いた、丘を下る途中で雉の卵3個を奪って。丘まで行く時は周りの景色を見たり、草をなぎ倒しながら歩いたから時間がかかったようだが、歩いて帰るだけなら1時間ほどで家に帰り着いた。すぐに洞穴で焚火をし毛皮を燻しながら夕食をし、その後は矢じりを磨いた。
次の日も朝早くから出かけ石垣築きをした。石垣はただ石を重ねるだけでなく、石と石の間に水を入れて練った土を混ぜて隙間がないようにして築いた。好都合なことに足元に石も土もいっぱいあるし、水は数十メートル先の滝から汲んでくれば良く、そこは正に石垣を築くにはもってこいの場所だった。しかも見晴らしが良い。休憩の時、海を眺めていると清々しい気分になった。
だが、東西南北どこを見ても人も人造物も見当たらなかった。そのことを考えると大智は得体の知れない不安に押しつぶされそうになったが(南の川の向こうには裸族がいる。決して俺一人だけじゃない)と考え気を取り直して石垣を築いた。六日で5メートル四方で肩の高さほどの頑丈な石垣ができた。
(明日は出入口の戸を作ろう。その後で屋根を、、、戸も柱も梁も本当は木材で作りたいが、とりあえず来る途中の竹で作ろう。屋根までできればここで寝泊まりできるし。帰りがけに竹を切っておこう。そして明日ここへ持ってこよう。屋根は茅で良いだろう。ここにもいっぱい生えているから)大智は帰る途中で竹を切っておいた。
翌日は雨だったので蓑を着て竹を引きずって来た。丘を登る時は竹を半分づつにして二往復した。そうしながら大智は考えた(雨の日には雨の日に好都合な作業がある。それは茅を根こそぎ引き抜く作業だ。本当は茎を刈りたいが石ナイフや竹ナイフでは切れないし、貝ナイフでは切れるがすぐに刃が欠けてしまう。根ごと引き抜いて横倒しにして斧で叩き切った方が良い)そうやって切った茅を、丘の斜面のなぎ倒した草の上に並べた。
午後雨が上がると山の斜面から枯れ木を運んできて、石垣の囲いの中で焚火し、竹を必要な長さに火で焼き切った。戸と柱や梁の分はできたが縦竹や割竹の分が足りない。それに紐も(紐はもったいない、また細いカズラを使おう)その日はまだ陽が高かったが、もっと竹を切っておきたいし、カズラも取っておきたかったので帰路に就いた。途中で竹を切っているとタケノコがあるのに気づいたが、まだ小さかったのでその日は採らなかった。山芋も採り尽くしたので他の食物が欲しかったのだが、、、。
干し肉はまだいっぱいあったが食用植物が無くなった。(明日は石垣は休んで食用植物を探しに行こう。獣はまだ欲しくないが念の為に弓と新しい矢を持って、、、)翌日、竹やカズラを丘の上に運んだ後で西の山に登ってみた。丘からだと100メートルほどだろうかそんなに高い山ではなかった。しかし岩の台地よりもはるかに樹木が多く、松だけでなく檜や杉の大木もあった。ふと足元を見るとクヌギのドングリがいっぱい落ちていた。
(これが栗だったらな、、、まあクヌギでも茹でてあく抜きすれば食べられるか)そう思って細いカズラを編んで作っておいた袋に入れた。山の尾根を南に向かって、ところどころ枝を折って目印にしながら歩いていたら、まるでカマボコでも切ったかのように山の南斜面全体が崩れ落ちている所に出た。急斜面でとても降りていけそうにないので、東側のなだらかな斜面を降りて行ったら途中に枯れた瓢箪が何個もぶら下がっていたので大きいのを3個背負い籠に入れた。
斜面を降りて気がついた、そこは岩の台地の西の端で、すぐ南には岩の割れ目があり向こう側は数メートル低くなっていた。(なんだ以前来た所に降りてきたんだ。ということは家はこの先数キロ、、、それにしてもこの断層すごいな、山自体が切ったように岩肌がむき出しになっている。あまり風化していないところをみると、こうなったのはまだ最近だろう、、、たぶん大地震だったに違いない。さて、これからどうしょう。家に帰って、、、クズの繊維も取らないといけないし、布織も途中だ、とにかく家に帰ろう)
家に着くとすぐに毛皮を燻す為に洞穴内で焚火を始めた。それから持って帰ったクヌギドングリを水洗いした。3分の1は浮いたので捨てた。(虫食いか、去年の秋のものだろうから仕方がない)水に沈んだ物を殻を剥して円筒形の鍋で茹でたらすぐに湯があくで真っ黒になったので湯をすて、また茹でた。湯が黒くならなくなるまで何度も繰り返した。そのころには柔らかくて渋みも苦みもなく、栗のように美味しくなった。干し肉を炙って代わる代わる食べると良い昼食になった。
食事が終わるとクズの繊維取を始めた。取り終えた繊維は順次洞穴棚に干し、繊維取りが終わると乾いた繊維から糸紡ぎにかかった。できるだけ細い糸にしたかったが思うようにできず、イライラしながら続けた。いつの間にか外は暗くなっていた。ドングリが腹持ちが良いのかまだあまり空腹ではなかったが軽く食事して、その後も洞穴内の焚火の灯りで糸紡ぎを続け、いつしかそのまま寝ていた。
翌朝も天気が良さそうだったので丘の上に行き、大竹で柱と梁を組んだ。それから縦竹を取り付け、割竹にカズラで留めた茅を屋根の下方から上方に順番に取り付けていった。夕方には茅葺屋根が全て終わり、続けて戸を作って取り付けた。(これで今夜から寝泊まりできるが、デコボコの岩の上で寝ると体が痛くなる。明日竹と茅でベットを作ろう。それからかまども、、、まだまだ作りたい物がいっぱいだな)
夕方岩山の家に帰って食事してからまた糸紡ぎをした。(そうだ昨夜は日記も書かなかったな、忘れないうちに書いておこう、、、最近三日に一度くらい雨が降ってるな、明日は雨かも、、、雨なら布を織ろう。糸紡ぎは何とか今夜終わらせよう)予想通り翌日は雨だったので布を織った。途中で止めたくなくて二日続けて糸がなくなるまで織り続けた。すると幅60センチ、長さ3メートルほどの布ができあがった。
サラサラした肌触りで、タオルには不向きだと考え、貫頭衣と褌を作ることにした。ここで暮らしだしてまだ一度も湯浴びさえしていなかった大智は、とにかく着替えの衣服が欲しかったし、タオルも欲しかった。だが簡単な形状の褌でさえ大変だった。何より縫い針がない。針があっても針に通せる細い糸がない。
細い針の穴を開ける道具もなかったので、薄く裂いた竹に割れ目を入れ、その両側を削り最後に先端を尖らせて竹針を作った。布の目が粗かったのでこれでも何とか縫え、手作りの褌ができた。決して良い出来ではなかったが大智は大喜びした。次の挑戦は貫頭衣だが、先に丘の上の家を住めるようにしょうと考え、翌日からはまた丘の上の家に行った。
先ず北東の隅に、竹と茅でベットを作った。大竹を組んで高さ50センチ縦2メートル横1メートル50センチほどの台を作り、その上に4分割縦割りにした竹を並べて敷きカズラで固定した。それだけでも十分眠れるのだが、更にその上に枯れた茅を敷いた。これで良い眠りができると思ったが、まだかまどやトイレも作らねばならない。かまど作りは二度目だし、かまどの上をドーム型にして干し肉や毛皮の燻しもできるようにしたかったので良く考えて設計した。
ベットの向かいつまり北西の隅にベットと同じ要領で高さ1メートル70センチ縦横1メートル四方ほどの棚を作り、その上梁にアーチ型に曲げた割竹を並べてカズラで縛って固定した。その上に枯れた茅を薄く敷き更にその上に水で練った土を5センチほどの厚さに塗った。それが出来上がるとその棚の下に、北側の石垣に並行に石と練った土で、奥行き90センチ間口60センチのかまどを作った。
これならベットに横になったままかまどの火を見れるし、燻したり干し肉を作る時は南側と東側に、垂れ幕の代わりに毛皮を内向きにして吊るせば、毛皮も燻せるし干し肉も作れて一石二鳥だ。大智はさっそくかまどで火を焚いてみたかったが、湯を沸かす土器も持ってきていないし焼く物もなかった。(火を焚いている暇はない、まだトイレも作らなければ、それに薪ももっと運んで軒下に積み上げておかなければ、、、本当にやることがいっぱいだ)
その後南東の隅に1メートル四方のトイレと、南西の隅に水浴び場を作った。トイレは石垣を築く前からトイレ用に岩をすり鉢状に削っておいたから、そこに水浴び場の土を入れて、それを囲むように幅が狭い石垣を築き、竹と茅の葉で作った戸を取り付けた。水浴び場は土を掘り取った所に滝の近くの川原から持ってきた玉砂利を敷き詰めた。(排水路がないが、あまり水浴びしないから大丈夫だろう。これで大分家らしくなった)大智は疲れ果てたが満足した。
夕方岩山の家に帰ってすぐに外で焚火をし、乾かしておいた大きな円筒形の鍋とフライパンのような浅い鍋と蓋2枚を焼いた。短時間でも焼けるようにどんどん薪をくべた。寝る前に鍋を中央に集め、周りの熾き火を寄せて囲み、その上にありったけの薪を乗せて燃やした。朝見てみると良い感じで焼けて冷えていた。その土器と先に作っていた円筒形の土器を、熊の毛皮で包み背負い籠に入れた。干し肉等も籠に入れて背負い、弓矢と槍と斧を持って丘の上の家に行った。
家に着くとさっそく滝で土器を洗い水を汲んできて、かまどで火を焚いて湯を沸かした。かまどの具合も良い。このかまどなら少ない薪でも効率良く湯が沸かせられる。大智はベットに座って竹コップで白湯をすすりながら満足げにかまどを眺めた。(そうだテーブルも作ろう。あと何を作ろうか、そうだ梯子も作らなくては)
朝食後竹と茅と練った土で1メートル✕1メートル50センチ高さ50センチほどのテーブルを作った。ベットと同じ要領で割竹を並べた上に枯れた茅を薄く敷き、その上に練った土を3センチほどの厚みに塗った。(あとはこの上にテーブルクロスを掛ければ完璧だ、、、テーブルクロスか、、、クズ布はもったいない。細いカズラを編んで作ろう。となるとカズラを取りに行かなければ、、、西の山に行ってみよう)
朝食後、大智は背負い籠に1回分の食料と水筒それに弓と矢を入れて背負い、槍と斧を持って出発した。西に山の樹木が茂っている東側の緩やかな坂を、邪魔になる木の枝を斧で叩き切ったり下草をなぎ倒しながらも周りを見回し、どこにどんな木があるか食べられる植物はないかと調べながら上り、尾根に達すると反対側に下って行った。カズラは中腹辺りにいっぱいぶら下がっているのを見つけたので、その他の物を探した。
下りの斜面もなだらかで、下草さえなければ造作なく歩けそうだったが、下草と所々地面を這うように伸びている蔓植物に足を捕られて上りよりも時間がかかった。やっと降り切った所には川があった。この山の北側の川の上流らしい。しかし北側の岩だらけの川と違ってここは幅30メートルほどの川原の向こうに浅そうな幅5メートルほどの川がゆったりと流れていた。
そこは日当たりも良く、川原と山の斜面の境辺りには色々な種類の植物が茂っていた。何か食べれる植物はないかと探していると、斜面側に山芋の蔓があった。しかもかなり広い範囲に伸びている。大智は嬉しくなりすぐに斧で掘った。斜面を縦に崩すように掘ると大きな山芋が出てきた。30分ほどで50センチほどのを3本も掘出し、川辺で洗って籠に入れた。その時、自分が掘っていた所で動いているものに気づいた。
よく見ると雌猪とその子どもらしい2頭のウリボウが土の中に鼻先を突っ込んだりしていた。(ここからなら仕留められる、、、だが雌猪を殺せばあのウリボウは生きていけるだろうか、、、干し肉はまだある、、、)大智はそっとその場を離れ、下流へ向かって歩いた。そこから20メートルほどの所にも山芋の蔓が伸びていた。大智は嬉しくなった。(恐らく一人では食べきれないほどあるだろう。貴重な主食が確保できたな)
更に歩いていると足元にクルミがあった。(へ~ぇ、クルミだ、天然のを見るのは初めてだ、、、この斜面の上の大木がクルミの木だろうか、、、秋が楽しみだ。で、これまだ食べれるだろうか)そう思って大智は、クルミを石で叩き割って食べてみた。全く問題ないようだったので辺りに落ちているのを拾って籠に入れた。(今日はラッキーだ、欲張らずこれくらいで帰ろう)
そこから数十メートル先には川岸から山の斜面の途中まで続く大竹の林があった。(今度作るつもりでいる竹樋にもってこいの竹がいっぱいある、、、だが滝の所までどうやって運ぼう、、、まあ今すぐでないから、おタケノコがある、岩の台地のより大きな、何故だろう、ここの方が暖かいのかな、それとも土地が肥えているのかも、、、とにかく1本持って帰ろう)大智は、タケノコの周りの落葉をどけて斧で根本から切って籠に入れた。籠が重くなった。
竹林を通り過ぎると数十メートル先で川が東に曲がっているのが分かった。しかしそこには、まるでダムのように大きな岩が川の両端を塞いでいて、そこから先は急流になっていた。上を見ると山の北側の急斜面が見えた。(そうかここから北の谷間の川か。ということは100メートル先に滝があるのか、、、山頂まで昇り降りするよりも、この斜面を通り抜けた方がずっと近道だが、、、川岸は岩場だし急斜面はいつ崩れ落ちてくるか不安だな、、、ええい、なるようになれ、岩場と斜面の境を通ってみよう)
強行突破してみるとどうってことはなかった。(くそ、心配のし過ぎだったか、、、それにしてもここの斜面もほぼ垂直で岩がむき出しだし、対岸も同じ形状だがここも南の急斜面同様断層でできた川だろうか。まあ俺の専門分野ではないので、、、ん、俺の専門分野、、、俺の専門分野とは何だろう)ふっと思い出せそうになったが思い出せなかった。(くそ、俺は誰なんだ。俺は今までどこで何をしていたんだ、、、ダメだ思い出せない、、、)
結局予定よりも早く家に帰ってきた。昼飯もまだ食べていなかったので、家で湯を沸かしながら持って帰った山芋を1食分だけ切って焼いて、炙った干し肉と一緒に食べた。(さてタケノコはどうしょう。新鮮なのは焼いて食べても美味らしいが、やってみるか)皮をはいで斧で縦半分に切りかまどで焼いたら少し苦みがあったが美味かった。(タケノコは栄養価はあまりないが腹の足しにはなる。あれば飢え死にはしないだろう。さてこれから何を、いけねえカズラを取ってくるのを忘れてた、しかたがないもう一度行こう)
大智はまた西の山に登って、中腹辺りのカズラがいっぱいぶら下がっている所に行って斧で切っては丸めて籠に入れた。何度も来るのも面倒くさいのでいろいろな太さの物を籠にいっぱい入れて帰った。(これだけあればテーブルクロスだけでなく、他にも色んな物が作れるだろう)
家に着くとさっそく細いカズラを、布を織るのと同じやり方で原始織機を使って編んだ。細いカズラとは言っても、クズ糸よりも何倍も大きいので、幅1メートル長さ1メートル50センチのを夕方前に織りあげた。それをテーブルの上に敷くとなかなか粋なテーブルになった。(さっそく今夜からこのテーブルで食事しょう。メニューは干し肉と山芋とタケノコとデザート代わりのクルミか、まあ新居初夜の食事としては十分だろう)
夕食後暗かったので松脂で作ったロウソクを灯した。まだ寝るには速すぎたので花崗岩の新しい石斧と矢じりを磨いた。研磨用の大きな石をベット脇に置き、ベットに座って根気よく磨いた。斧磨きが疲れると矢じりを磨いた。この矢じりは今までのの倍くらいの大きさで先を鋭く尖らせるつもりでいた。(あの時の熊は10本も刺さっていながら死ななかった。深く刺さっていなかった証拠だ。もっと深く突き刺さる矢じりを作ろう。弓ももっと強力なのを、、、)
数時間後ベットで寝ようとして枕がないのに気づいた。(そうだ今度枕を作ろう、、、まあ、枕なしで岩肌の上に寝ていたことを思えば、ベットで寝れるだけでもありがたい)大智は、種火の代わりに夜通し点けっぱなしのロウソクをかまどの上に置いてベットに横になってから日記を書いていないことを思い出した(いけねえ、また忘れるところだった、、、だが、どこに書こう。そうだ壁に、、、明日土を塗って壁を平らにしょう。とりあえず今夜は割竹の内側にでも、、、
それにしても紙もペンもない生活、、、本当にここはどこだ。日本ではないのか。今は2025年の春じゃあないのか、、、俺は何故ここにいるのだ、、、)だが、いくら考えても何も分からなかった。ただ分かっているのは、ここがどこであれ今が何時であれ、生きて行かなければならないということ。そしてどうせ生きて行くならできるだけ快適に生きて行きたいということ。そんなことを考えながら大智は、いつの間にか安らかな眠りについていた、日記を書くのをまた忘れたまま。
翌朝、東側の壁に作っていた小さな窓から差し込む日の出の眩しい光で大智は目覚めた。ベットから上半身を起こして窓から見ると、水平線の上に出てきたばかりの太陽が、この世のものとは思えないほどの美しさで輝いていた。大智はしばらく見とれていたが、ふとカレンダーのことを思い出し(そうだ西側の壁に当たっている光の位置を記録しておけば、、、最も南側になった日が夏至の日だ)大智は起きて壁に印を付けた。
朝食後、家の西側で土に水を入れて練り割竹で、北の壁から塗っていった。北が終わると西の壁を塗った。一休み時に乾き始めた北壁の手が届く上の方から昨日の日記を、かまどにあった炭で書いた。昼前には水浴び場以外の4面を塗り終えた。(これで数か月は書く所があるだろう。さて西山の向こうの竹を取りに行こう)大智は早めに昼食して出かけた。
川岸の岩場を歩きながら(竹を引きずって歩き辛かったら、岩場の上に橋のように竹を置きその上を歩けば良い)と考えていた。実際に考えた通りにやってみると、予想外に楽に大きな竹を20本も滝の所まで運ぶことができた。あとはその竹の内側の節を突き破れば良い水樋ができるが、その竹の中に通せるほどの少し細くて長い竹がそこの竹林にはなく、岩山の家の途中の竹藪に行った。
手ごろなのがすぐに見つかり2本切ってから、まだ夕方前だったので岩山の家に瓢箪や松脂を取りに行きそれを籠に入れて、竹藪からは竹を引きずって丘の上の家に帰った。翌日からは持って帰った細竹の細い方の先に、新しく作っていた槍の穂先を取り付けて、太い竹の内側の節を突き破った。時おり竹を立ててゴミを出したり、竹の先端の方からも節を突き破って、昼までに20本全部貫通させた。
あとは取り付けるだけだが、その時になって樋の傾斜の問題に気づいた。滝は家の屋根よりも高い位置にあったが、そこに樋を通すには樋を支える支柱が必要になる。少なくとも竹の接続部ごとに支柱で支えなければならないだろう。その支柱をどうするか。(先ず滝から山の斜面までに2箇所要る。そこから直角に曲げて、、、竹の接続部を直角にできるだろうか、、、無理だ、、、そうだ直角接続部は土器で作ろう。だが支柱はどうしょう、、、
滝からの1本目は、滝の端の上の岩から太いカズラで吊るせば良い。2本目は山の斜面に水平に杭を打ち込んでそれに乗せてカズラで縛れば良い。2本目と3本目の直角接続部は土器で作るとして。そこから家までは竹の接続部ごとに支柱を、、、これも大竹で作るか。では先に直角接続部を土器で作ろう。土器用の土は、、、丘の麓の川岸に行ってみるか)大智は土を運ぶ籠と槍と斧を持って、丘の北側の急斜面を斧で草をなぎ倒しながら降りていった。
何とか麓まで降りたが、そこから葦の群生地までの雑草の背丈がさらに高かった。斧で左右に叩き倒しながら進んで行くと、また雉や名も知らない、雉の倍くらいの大きな鳥が飛び達った。恐らく巣があり卵もあると思われたが、今はとにかく土器用の土を探さなければならない。なおも進むと葦の群生地の手前で小鳥の群れが突然飛び達った。驚いて空を見上げたが、小鳥なんぞにかまっていられない。
そう思ってもう少し進むと、里芋の葉が数メートルの幅で葦の群生地に並行して茂っていた。本当に里芋だろうかと一株掘ってみたら、ソフトボールほどの親芋の周りにテニスボールほどの子芋が4個付いていた。大智は(里芋は毒があるのがあるから、試しにに小芋4個だけ蒸かして食べてみよう)と思い、子芋を取って親芋はまたそこに埋め戻した。ついでにその辺りの土を掘ってみると、細かくて粘りけがあり、しかも小石等が混ざってなくて土器に向いていると思い、持って帰ることにした。
籠に土を山盛りに入れ、上に里芋を押し込んで、それから里芋の葉を数枚籠に入れた。この葉は乾かしてトイレットペーパーの代用品にならないか試したいと思ったのだ。土を入れすぎて重くてフラフラしながらも何とか家まで運んだ。それから昼食をし、少し休んでから滝に水を汲みに行ったついでに里芋を洗ってきて、小さい方の円筒形の土器に入れておいた。
その後土を練り、断面がU字型で、上から見ると弧を描いて直角に曲がった形の物を作った。さらにそれに蓋をするように板状の練り土を被せて接合部を接着させた。最後に入口側を広げて竹樋の先端が入るようにし、出口側は竹樋に入るように狭めた。それを壊れないようにそっと持ち上げ軒下に運んだ。それから同じ要領でT字型の物も作った。まだ夕方だったがさすがに疲れ果てたので、滝で手を洗い家に入った。
かまどで火を焚き里芋を蒸した。柔らかくなると一番小さいのを皮をむいて恐る恐るかじってみた。舌が痺れたりせず、今までに食べた里芋と同じだったが念の為2時間ほど何も食べず様子を見た。その間にまた新しい斧の刃を磨いた。その後、里芋に毒がないことがわかると残り3個も食べた。(台湾には里芋を主食にしていた民族がいたそうだが、俺も里芋を主食にできそうだ。これで当分食べ物には困らないだろう)大智は安らかな気持ちで眠りについた。
翌日は朝食後からまた土を取りに行った。ついでに里芋の子芋も20個ほど持って帰った。竹樋は直角接続部ができないと進められないので、今のうちに水瓶や盥などを作って乾かしておきたかったのだ。直径50センチ高さ70センチほどの円筒形の水瓶を2個作り、その後また土を取りに行って、軒下の平らな所に里芋の葉を何枚も敷いて、その上で直径1メートル高さ50センチほどの円筒形の盥を作った。乾くまでに持ち上げると壊れるかも知れないと思い、最初から軒下で作ったのだ。その後思い出して水瓶の蓋も2枚作った。
(竹樋の支柱にする竹、本当は杉などの木のほうが良いのだが、切って運んでくることを考えると竹で良いかな。それも取ってきたいが、、、もう夕暮れだ、明日にしょう。そうだ今のうちに竹を接続して支柱が何本要るか調べてみよう)大智は、竹の根本側に次の竹の先を差し込み、滝から直角接続部までとそこから家までの本数を調べた。
(12本か、すると支柱は10本ほど要るか、いや、竹の真ん中がたわむから真ん中にも要るだろう。だが支柱の高さは2メートルほどだから、竹の真ん中の支柱は半分に切った竹の先側で良いか、、、なんにしても脚立も要るな、石垣なら梯子で良かったが、、、脚立も竹とカズラで作ろう。やれやれ作らなければならない物がまだいっぱいあるな)疲れ切っていた大智は、その夜は早めに寝た。
翌日は雨が降っていたが朝食後また蓑を着て竹を取りに行った。その帰りに滝の上から遠くの海岸を見ると潮が引いていた。(あ、そろそろ大潮か、、、あれからもう1か月か、早いな、、、明日天気が良ければ海に行ってみるか、、、草鞋は向こうの家に置いたままだが、まだ使えるだろうか、念の為に一足作って行くか)草鞋も何足も作っていると良い物が作れるようになり、雨の日などはスニーカーを汚したくないので草鞋を履く時が多くなっていた。ぬかるみでも滑りにくくて良いのだが足が汚れるのが難点だった。
翌朝晴れていたので海に行くことにして、種を抜き良く洗って乾かしていた瓢箪3個に飲み水を入れ、小さい方の円筒形鍋と一緒に籠に入れて背負ったらそれだけでけっこう重かったので、弓と矢を持って行くか迷ったがやめにして槍と斧を持って、岩山の家経由で海に行った。岩山の家から魚獲籠も持って行ったので重くて海に着くまでに疲れた。
海岸に降りる所の松の木陰で一休みしながら、裸族は居ないかと川向こうを眺めた。川の向こう岸の砂浜に人と獣の足跡が見えたが裸族は見当たらなかった。(定期的に狩りに来ているのだろうか、、、裸族が存在しているのは確かなようだが、今は居ないらしい、、、)その後、大智は海岸に降りていった。
砂浜は引潮らしかったがまだ以前来た時ほど引いていなかったので、先に大きな石数個で囲んでかまどを作り円筒形の鍋に海水を入れてかまどに乗せた。塩を作ろうと枯れ木や流木を拾ってきて火を炊いた。瓢箪の水を飲んでからジーパンとスニーカーを脱ぎ、下半身は褌一枚で草鞋を履いて海に入った。
前回と同じように水深が膝くらいの所の石をひっくり返しただけで、サザエやアワビがいっぱい獲れた。それを持ってきていたカズラで作った袋に入れ、また石をひっくり返した。小さなタコが驚いて逃げて行くのが海面上から見えた。タコを追うようにして海藻がいっぱい揺れ動いている岩の割れ目に行くと大きな伊勢海老が見えた。大智は驚きながらも捕まえる方法を考えた。
数秒後に良い考えを思いついた大智は一度岩場に上がり、潮溜まりにサザエやアワビを入れ、空になった袋と斧を持ってきて、岩の割れ目に袋の入口を開いて沈め、斧で伊勢海老を追い込んだ。大智は思わず歓声を上げた。伊勢海老がこんなに簡単に獲れるとは思いもしなかった。喜び勇んで海から上がり、さっそく伊勢海老を焼いて食べたが、その美味しさに夢中になって食べ続けた。昼食用に茹でた里芋を持ってきていたが伊勢海老だけで満腹になった。
食後これからどうするか考えた。(前回と同じようにフジツボやカキを獲って潰して漁獲籠に入れ魚を獲るか、、、サザエやアワビは海水があれば数日は死なないだろうから、瓢箪に海水を入れて帰り後日食べれば良いし、食べきれないのは茹でて干しアワビにすれば良いが、魚は身だけ干物にすればだが手間がかかる。タコも茹でて干しタコにできるかもしれないが、、、保存食というのは本当にめんどくさいな。冷蔵庫のある暮らしが懐かしい)
結局サザエやアワビを獲れるだけ獲って、その後魚獲籠で魚も獲り、焼いたり茹でたりして持って帰ることにした。満ち潮になるまでにフジツボやカキを獲って潮溜まりに入れておき、満潮になったらそれらを潰して入れ、岩場の上から漁獲籠を沈める。(前回はカワハギが獲れたが、今日は何が獲れるかな。伊勢海老の殻も入れたからタコが獲れるかも知れない。タコが獲れたら茹でタコにして持って帰ろう。それまで塩作りだ)
大智は鍋の中を見てまだ海水があることを確認して更に枯れ木をくべた。(水分が蒸発してしまうまで燃やし続けると薪がそうとう要る、もったいない。何か良い方法はないか、、、そうだ、ここでは濃い海水にするだけで家に持って帰り、今度土器を焼く時にもう一度沸騰させて塩にしょう。そうすれば一石二鳥だ、、、それよりあの直角接続部の中はうまく焼けるだろうか。本当の陶器を焼くように登り窯を作った方が良いかな。でも、どこに作ろう)
やがて潮が満ちてきたので漁獲籠を入れてきた。(太陽の位置からして3時ころだろうか。1時間したら上げてみよう。何も獲れなかったらもう帰ろう)大智は瓢箪の水で足をすすぎジーパンとスニーカーを履いて帰る用意をしながら(干潮から満潮まで待って魚を獲るのは時間がもったいないな。次からは干潮の時にサザエやアワビを獲って、その後フジツボやカキを獲って潮溜まりに入れておこう。
それで魚が食べたくなったら満潮の時に来て魚獲籠を入れよう。フジツボやカキは潮溜まりから逃げたりしないだろうから。それと魚獲籠は重いから松の根にでもくくりつけて置いて帰ろう)それから大智は、火を消し濃くなった海水に更に海水を入れて冷まして瓢箪に入れてから、魚獲籠をあげた。大きなタコが一匹獲れ、急いでもう一度火をおこしタコをまる焼きにしてから、サザエやアワビの入っている袋に入れて帰路についた。
岩山の家に寄らずに最短距離を帰ってきたので夕暮れ前に丘の上の家に帰ってこれた。持って帰った円筒形の鍋にサザエやアワビを入れ普通の海水を入れた。濃い海水は入口の横に置いてから、かまどで火を焚いてもう一度タコを焼いて食べた。大きなタコで足三本で満腹になり残りはかまどの上の棚に吊るした。(さて明日は朝から直角接続部を焼こう。ついでに塩を作ろう)
翌朝、家と西の山の間の草原に大きな石を円形に並べて、中央部に直角接続部を置いて焚火をした。その脇で円筒形の鍋に海水を入れて塩作りもした。昼に直角接続部をひっくり返して夕方までずっと火を焚き続けた。おかげで持って帰った海水は塩になった。夜火を消して、翌朝には冷えていたので持ち上げて見た。割れ等はなく、内側も焼けているようだった。
直角接続部を取り出した後で水瓶や盥も焼いた。そうしながら支柱を建てたり竹樋を取り付けたりした。そして夕暮れ時に水樋がやっと完成した。これで家の中で水浴びができるようになり、大智はその夜ここに来て初めて水浴びをした。翌朝には水瓶も盥も焼き上がり、さっそく水瓶は屋内の入口とかまどの間に、そして盥は軒下に置いて水を溜めた。(これでまた一つ便利になった。次は家を拡張しょう。この家に並行して南側に5メートル✕10本メートル四方で高さ1メートル70センチほどの石垣を築こう)大智はそれから石垣を築きを始めた。
ほぼ一か月でその石垣が完成した。西側の石垣の南西の角から北に2メートルほどの所の出入口用の戸を竹で作りながら大智は思った(石垣さえできれば、その中では槍を持たずに行動できる。いつ熊や狼に襲われるか分からず、滝に水樋を上げに行く時でさえ槍を手放さずにいられなかったが、これからは石垣の中で気ままに過ごせるぞ、、、
それにしても水樋の先から水瓶に落ちる水滴の音はうるさいものだな。安眠できないから、水瓶や盥に水がある時は、水樋の給水口を滝の上に引き上げるようにした、、、さて戸ができた。あとは今の家の南側の石垣を壊して出入口を作れば、西側の出口から出て遠回りしてここに入らなくてもよくなる、、、それが終わったらここの半分に、木の柱や梁で丈夫な家を作ろう。竹の柱や梁は長持ちしないから、、、まだまだやりたい事がいっぱいだな)
石垣を築いている間に夏至になった。雨の日が多くなったが、幸いにもその日の朝は晴れていて、西側の壁の太陽光線が当たっている所に夏至の日の記録を付ける事ができた。今までの日記の日付と三日違いだった事がわかり、日記の日付を修正した。(、、、ということは俺があの海岸で目覚めたのは4月8日か、、、4月8日といえばお釈迦の誕生日、花祭りの日か、、、だが日付が分かっても何も思い出せない、、、4月8日以前の俺はどこで何をしていたんだ、、、俺は誰なんだ、、、)
思い出そうとすると頭が痛みだしたので止めて石垣築きに没頭した。そして完成した日に考えた。(夏至の日から数えて10日つまり今日は7月1日か、、、例年なら梅雨の真っただ中で連日雨のはずだが、ここは二日に一回くらいしか雨が降らない。異常気象だろうか、それとも、、、
夏至の日の南中高度から計算してここの緯度は北緯20度くらいだ。北緯20度といえば台湾辺りになる、、、もしかしてここは台湾、、、しかし台湾だとして何故俺が台湾に居るのか、、、それにここが台湾だとしたらもっと雨が多いはずだろう。それどころか台風だって来ているはずだが、3か月近く経っても一度も来ていない、、、分からない、いったいどうなっているんだ、、、それに台湾ならもっと人がいっぱい居るはずだ、、、)大智は、いくら考えても分からない事ばかりだった。考え始めると頭が痛みだすので(今は何も考えず、生き続けることだけに専念しょう)と思った。
石垣を築いていた間は一度も狩りをせず干し肉もなくなったので、花崗岩で作った新しい矢じりをつけた矢を持って狩りに行くことにした。湯冷ましを入れた瓢箪と蒸かした里芋を背負い籠に入れ出発した。水樋を作った後で取り付けた梯子を登って簡単に滝の上に上がり、川沿いを通って西の山の裏の川原に行った。ついでに山芋も採ってくるつもりでいたが、山芋の群生地は掘り返されていた。恐らく猪だろう。猪よりも深く掘れば食べ残した山芋があるとは思ったが、後回しにして川原を歩いて上流に向かった。
西の山も川の向こうの山も青葉が茂り、水辺以外は草ぼうぼうで、しかももう蛇が居てもおかしくない季節で、とてもその中に入り込む気にはなれなかった。水辺も川まで草が茂っている所がありやむなく斧で草をなぎ倒しながら進むと、突然鳥が飛び立ちそこには巣があり卵もあったが帰りに取ることにして先に進んだ。
南から流れていると思っていたらいつの間にか川は西に曲がっていて、上流は高い山の深い谷間の中で見えなくなった。そしてそこはもう川幅も2メートルほどでジーパンをまくり上げれば渡れるくらいの水深になっていた。
さらに進むと、川の向こうの草原に数頭の鹿が見えた。距離は30メートルほど。射程距離内ではあったがもう少し近づきたかった大智は、気づかれないようにしゃがんでジーパンをまくり上げ川を渡って近づいた。距離20メートルで弓を射た。矢は群れの中の一番大きな鹿の胸部に深々と突き刺さり、その一矢だけで鹿は絶命した。他の鹿は一瞬にして逃げ去った。
大智は新しい矢じりの威力に満足しながら鹿から矢を抜き取り、川で洗ってゆぎに収めてから鹿の足を持って川まで運んだ。鹿は角が30センチほどに伸びている雄で40キロ以上ありそうだった。重くてとても背負っては運べそうにないし、利用価値があり傷をつけたくない毛皮の鹿を引きずって行くのもと迷った挙句、川に浮かせて運ぶことを思いついた。川の中で角を持って引っ張れば、川の流れは下りであり浮力のおかげで楽に運べた。
そうやって西の山側の川を歩いていると向こう岸に一匹のやせ細った狼が現れた。大智は一瞬驚き緊張した。狼も立ち止まったが川を渡ってくる気配はない。大智は左手で鹿の角と斧を持ち右手で槍を持って、狼が襲って来たらいつでも戦える態勢にしてからまた歩き始めた。すると狼も歩き出したが前足を怪我しているらしく三本足でよたよたと歩いているのが分かった。(あれでは獲物は獲れまい、痩せているわけだ、、、)
大智は草のない川原に上がり、貝ナイフで鹿の腹を切り開き、内臓を取り出して狼に投げてやった。狼は少し逃げたがすぐに戻って来てものすごい勢いで内臓を食べ始めた。大智は、心臓と肝臓以外の内臓を全て投げてやり、手を洗ってからまた同じ態勢で歩き出した。川の曲がり角で振り向くと狼はまだ食べていたので(いくら空腹でもあれだけあれば食べきれまい。俺も、食べたくない内臓をくれてやって軽くなって運びやすくなった。あばよ、元気でな)
曲がり角から滝までの岩だらけで急流の川では、岩の上からでは手が届かなくなったり、岩と岩の間に挟まったりして鹿を浮かばせて運べなかった。やむなく崖沿いを鹿を引きずって何とか運んだ。その時(岩の上に大竹を数本並べて橋のようにしてその上を滑らせて運んだ方が良い。岩の上を引きずったら毛皮が傷だらけになる)と思った。へとへとになりながらも何とか帰ってきた。
結局鳥の卵も山芋も取らずに帰ってきた。一休みしてから石垣の中の洗い場で鹿の皮を剥いだ後、生の肝臓を薄く切って塩を付けて食べながら解体した。焼肉にする心臓とあばら肉以外は斧でぶつ切りにして、かまどの上の棚に吊るしてからかまどで火を焚いた。大きな円筒形の鍋で湯を沸かし、毛皮処理の準備もした。まだ昼前のようで、まさかこんな短時間で獲物を獲って持ち帰れるとは思っていなかった大智は、魚貝類といい獲物といい、驚くほど豊なここの自然に感謝せずにはいられない気持ちになった。
蒸かした里芋と焼肉で昼食を済ませると、軒下の盥の水を捨て、沸いた湯とかまどの灰を入れてかき混ぜてから鹿の毛皮を入れた。湯が足らずさらに何度も沸かして継ぎ足した。そのまま1時間ほど放置した後で石垣内で毛皮の内側の肉や脂肪を竹ナイフで根気よく取り除いた。それが終わると割竹を弓のように曲げて毛皮の上下左右両端に突き刺して張り、南東の隅で焚火をし熾火ができたら生乾きの草を乗せて煙を発生させ、その上に毛皮の内側を下にして乗せて燻した。数日後には柔らかくて良い毛皮になった。
鹿や熊の毛皮で防寒着や布団を作りたかったが縫い針がなかった。褌は竹で作った針で何とか縫えたが毛皮は突き刺す事もできなかった。(せめて錐があればな、、、自分で作るしかないか)大智は花崗岩を割って細長い欠片を作り、それを真っ直ぐな木の棒の先に打ち込んでから先端を鋭く四角い形状に磨いた。数日後にやっと完成した錐は、毛皮は無論のこと木や竹にも穴をあけれた。
(この錐があれば鹿の角や骨に穴をあけて針を作れるのじゃないか)と思った大智はすぐに試してみた。しかし角も骨も穴は簡単に開けれたが、磨いて細くするとすぐに折れてしまった(これなら竹の方がまだ良いな、、、割れ目じゃなく穴をあけてから削って磨いて火で炙って固くしてみよう)穴をあけた竹の針は何とか使えそうだった。毛皮には無理でも錐で穴をあけて竹針で縫えば良い。
大智は以前織っていたクズ布を縫って長袖の貫頭衣を作った。丈が膝くらいまで長いので貫頭衣と褌だけで夏は過ごせそうだったが、草原を歩くのにズボンが欲しかった。しかしクズ布はもうないので、クズの蔓を採ってきて糸から作らなければならない。その日のうちにクズの群生地に行っていっぱい採ってきて、熱湯の入った盥に入れ放置した。表皮が剥せるようになるまでの二日間、丘の麓から土を取ってきて様々な土器を作って軒下に干した。(まだまだ欲しい物や作りたい物がいっぱいだ、、、まあ焦るな、、、)
三度目に土を背負って登ってくると数日前の狼がいた。相変わらず痩せ細っている。大智はしかたなく干し肉を投げてやった。すると狼は毎日来るようになった。追い払うのも殺すのも簡単だったが、何故か可哀そうでそうできなかった。恐らく自力で獲物が獲れず、生きるために藁にも縋るおもいで大智の所に来ているのだと思うと、毎日干し肉を投げてやらずにいられなかったのだ。
狼はやがて軒下に住み着いた。干し肉も手から受け取るようになった。そうなると情が生まれて何かと世話をするようになった。短くなっている左前足を見た。生まれつきか熊にでも食いちぎられたか傷はなく先端は丸みを帯びている。三本足で歩くことはできても獲物を追って走ることは出来なさそうだった。自然界では弱者を助けてくれる者などなく、やがて餓死するか熊に襲われて食い殺される未来しかなかっただろう。
大智とて元気な時は何とか生きていられるが、怪我でもして動けなくなったら一か月ほどで餓死するだろう。今の日本には米という長期保存可能な食べ物や冷凍冷蔵庫があって、冷蔵庫まで這って行けたら当分は餓死しないし、電話で宅配便を使って食料補給も可能だろう。そう考えると大智の今の状態はいつ終了するか分からない危ういものだった。せめて保存食の確保と、熊に襲われても壊れない頑丈な家を作っておかねばならない。
大智は西の山の斜面に生えている檜や杉の手ごろな大きさの木を切り倒して麓に落とし、重くて持ち運べない時はその場で柱や梁の長さに切って家に運んだ。家の真ん中に南北に通す7メートルほどの檜の梁は、テコやコロを使って何とか家の近くまで運んだが、どうやって柱の上まで上げたら良いかと考えると、一人でできる事には限界があると思い知らされた。
(それにしてもこんなに大きい梁は要らないだろう。縦半分に割れたら、いや3分の2でも良いがうまくいくだろうか、、、)試しに根本側の切り口に斧を力いっぱい食い込ませた。3度目には割れ目が入り、そこに砂岩の古い斧の刃を楔代わりに打ち込んだ。わずかながら割れ目が更に開いた。大智はうまくいく予感がした。割れ目に沿って斧を振り下ろしたり、古い斧の刃をさらに打ち込んだりして少しづつ縦割りにしていった。そして4日目の昼前に先端まで割れた。
おかげで先端や根本側を代わる代わる持ち上げて運べるようになったし、何とか柱の上まで持ち上げられそうになった。(あとは柱のほぞ穴をあけたりすればもう少し軽くなるだろう、何とかなりそうだ。割った残りも後日さらに縦割りにして貴重な板材にしょう。次は柱だな。1本は梁用に切った檜の先で良いだろう。他は軽い杉の木を使おう)5メートル四方の部屋の真ん中に檜の柱を使い、四隅と梁の下の2本は杉柱にすることにして切ってきた。木を切るよりも草原を運ぶ方が重労働だった。
柱と梁の木材が揃うと、その次は梁に3箇所のほぞ穴開けにかかった。安心して作業ができるように梁を石垣内に運び込み、古い斧の刃をノミ代わりにして10センチ角で深さ15センチのほぞ穴3箇所を開けた。それからその穴に入るように柱の先端を四角に加工した。加工が終わると、長い竹と丈夫なカズラで支えながら柱を立て、周りに石を積み上げて固定した。さらに、縦割りした檜の端材や新たに切ってきた杉の木で柱間の小梁を取り付けると柱はびくともしなくなった。
大智は脚立の上に登って柱のほぞの位置と、梁のほぞ穴の位置を何度も確認してから、渾身の力を込めて梁の端をカズラで引き上げた。片側は何とかほぞの位置まで引き上げてカズラで縛って固定した。後はもう一方の端を引き上げるだけだが、大智はここで一休みした。水を飲み大きく深呼吸してから脚立の上に上がって梁の端を引っぱり上げた。すぐにほぞ穴にほぞを差し込み万歳をした。この梁さえできれば後は楽だった。
火打梁や軒桁を取り付け、大梁の左右に梁と軒桁に垂木をカズラで縛り付けた。最後に茅を縛り付けた割竹を垂木に取り付ければ茅葺屋根が完成する。大智は垂木を取り付け終わるとまだ夕方だったがその日はそれで止めて静養することにした。
西の山の斜面で檜の木を切り初めて以来ほぼ2か月、その間に何度か狩りに行ったり里芋を採りに行ったが、それ以外はずっと重労働が続いていた。おかげで体が随分逞しくなっているのを実感した。鏡が無くて髭ぼうぼうの自分の顔を見ることもできなかったが、もし今の大智の姿を他人が見たら屈強な原始人だと思っただろう。実際原始時代に生きているのだが、この時の大智はまだその事を知らなかった。
茅葺屋根が完成すると内壁を作り始めたが、内壁は日本の昔の家のように土壁にすることにした。柱と柱の間に細竹を格子状に取り付けて、それに細いカズラを巻き付けて両面から、短く切った茅を混ぜた練り土を竹へらで塗っていった。東西5メートルだが、幅1メートル高さ2メートルの開き戸と広い窓も作ることにした。だがガラスも障子紙もないので、寒い時は毛皮で塞げるように枝があるY字形の木を埋め込んだ。毛皮を張った上下の木の端をこれに乗せれば窓が塞げる仕組みだ。
土壁ができると、以前の家との境の石垣を幅2メートルほどばらした。これで2軒の家が繋がり東西5メートル南北10メートルほどの家になった。またその南横に、丈夫な石垣に囲まれた5メートル四方の庭ができた。獲物の解体等はこの庭の水浴び場でできるし、南東の隅では焚火して毛皮を燻すこともできるだろう。大智は、これからは広くなった家の中で幅広のクズ布を織りたいし、毛皮の服や靴も作りたいと思った。
いつしか季節は秋になっていた。大智はふと思い返して(ここの夏はぜんぜん熱くなかったが、今年は異常気象だったのだろうか、それとも、、、まあ良いや、暑くない夏ならいくらあっても良い、、、秋と言えば実りの季節、どんな実りがあるのだろう。明日は久しぶりに西の山に行ってみよう)翌朝薄暗いうちから狩りの用意と、新たに作った橇(そり)のような背負子を背負って出発した。
西の山の斜面の草は、まだ9月半ばだというのにもう枯れ始めていた。カズラを採りに来たりして何度も通っている所はいつの間にか踏み分け道ができていて歩きやすくなっていたが、それ以外は相変わらずの草ぼうぼうで、斧で草をなぎ倒しながら進むしかなかった。何とか尾根まで登ると南に向かって歩いた。以前クヌギドングリを拾った所に行くとクヌギの木にドングリが無数にできていたが、まだ落ちていなかったのでそこから西に向かって下りていった。
少し下りた所に椎の実が生っていたが、これもまだ殻に包まれていた。しかし試しに殻を剥して実を食べてみると美味かったので20粒ほど採ってポケットに入れた。そのまま下りて行けば川に行き着くと思ったが、平らな所まで下りても川がなかった。その時になって川が途中から西に曲がっていたことを思い出した。(そうかじゃあ川は北側にあるんだな。さてではどっちへ行こうか)と迷っていた時、大きなヘチマが何個もぶら下がっているのが目に付いた。
(ヘチマか、ヘチマの若い実は食べれるそうだが、食べる気にならないな、それより枯れたのがあればスポンジ代わりに使えるので持って帰ろう)探してみると去年のだろう、黒い皮が乾いてボロボロになっているのがあったので数個採って背負い籠に入れた。その時ガサガサと草をかき分けるような音が聞こえ、大智の前3メートルほどの所に突然熊が現れ驚いた。弓を取り出す時間はなかったが、右手には槍がありとっさに身構えた。
熊も驚いたのか一声吠えた後、後ろ足で立って襲い掛かってきた。熊の前足の鋭い爪が大智の顔に届く寸前に槍の穂先が熊の胸部に突き刺さった。熊が前側に倒れたら危ないので大智は力いっぱい槍を押し続けた。そして数秒後そのまま押し倒した。熊は体を痙攣させながらも起き上がろうとしていた。大智は素早く槍を引き抜いてすぐ喉から脳天に向けて突き刺した。熊は絶命した。
熊は体長1メートルほどの大人になったばかりのようだった。大智としてはこんな時間に仕留めたくはなかったが、襲われた以上倒さないわけにはいかなかった。(ふう、危ないところだった。気づくのがあと数秒遅れていたら俺の方がやられていた、、、しかたがない川まで運んで毛皮を剥ぎ解体しょう)背負子を降ろして背負い籠を外し、熊を背負子に乗せカズラで縛ってから背負い籠を背負い、槍と斧を右手で持って左手で背負子の取っ手を握りそりのように引っ張った。何とか引っ張っていけそうだった。
北に向かって数百メートル行くと思った通り川に出た。ジーパンをまくり上げ川に入り背負子ともども浮かせて下流に行った。せめて山芋だけでも採って帰ろうと思い、背負子を川原に引き上げて山芋を掘った。猪は急斜面は掘りにくいのか、急斜面の山芋は手つかずだった。大きな山芋を川で洗って、背負えるだけ籠に入れて背負った。ついでに熊の解体をと思ったが、空が曇ってきたので帰ることにした。
北側の岩だらけの所は長い竹を数本づつ並べて縛り橋のようにしていたので、背負子の一番下の横竹を乗せ滑らせて運んだ。最後の滝の所も梯子の上を同じように滑らせながらゆっくり下した。(事前に背負子や竹の橋を作っていて良かった。正に備えあれば患いなしだな)橋を降りると前足の悪い狼が来た。「ゴン、熊だ、生肉が食えるぞ」狼には「ゴン」と言う名前をつけてやり何度もゴンと呼んでいると狼も自分の名がゴンだと理解したようで、今では呼べばすぐ来るようになっていた。
家に着くと、最初は庭の洗い場で解体しょうと思っていたが、解体後何度も水で洗い流すのも面倒くさいと思い直して、家の外の岩の上ですることにした。貝ナイフで全身の毛皮を剥ぎ、それから腹部を縦に切り開いて内臓を取り出してゴンに食べさせた。ゴンは久しぶりの生肉を満腹になるまで食べ続けた。
大智は心臓と肝臓と、脂がのった腹肉を切り取った後は、背骨に沿って斧であばら骨を叩き切り、さらにあばら骨を1本づつ切り分けた。こうすると干し肉にしやすいし、食べる時も骨に沿って削れば簡単に肉を剥ぎとれるのだ。こういう事を知り得たのも経験の賜物だろう。初めての時に比べたら解体する時間もずっと短くなった。おかげで雨が降り出す前に終わって、塩をつけてのレバー刺しや心臓と腹肉の焼肉を大智も満腹になるまで食べた。
満腹になったゴンはいつものように軒下で眠り始めた。大智も戸を閉めて少し眠った。目が覚めると外は大雨になっていた。(早く帰ってこれてラッキーだった、、、熊が獲れたおかげで1~2週間分は食料もあるし、さてこれから、、、クズ布を織ろう、いやその前に糸を紡ごう)大智はクズの繊維を細く裂いて撚りを入れ細い糸に紡いだ。二日間紡ぎ続いて100メートルほどの細糸を作った。
梁や柱にした残りの木の先端や枝を使って、綜絖(そうこう)を足踏みで切り替えれる本格的な織機を作り新しい家の窓際に設置した。しかし幅1メートル長さ3メートルの予定で経糸を取り付けると、それだけで糸がなくなったので、またクズの蔓を採りに行った。(これからクズの蔓を湯がいて表皮を剥したり繊維を取り出したり糸に紡いだりしたら1週間はかかるだろう。それまでに、そうだ今までの毛皮で服やズボンを作ろう。糸は、、、とりあえず経糸を1本外して使おう)
予想通り竹針では毛皮を突き刺せなかったので、1箇所づつ石の錐で穴をあけてから竹針で縫っていった。熊の腹部と両足の毛皮でだぶだぶのズボンを作った。(防寒着は内側に衣服を着るからだぶだぶの方が良い、、、ベルトは鹿の皮で作ろう。あと手袋と靴も、服はクズの繊維を乾かしている時にしょう)毛皮の服作りを中断してクズの繊維を取って干した。乾いた順に裂いて糸に紡いだ。それが終わるとその糸を、杼(ひ)に入れ織始めようとして織機の前に座る椅子がないことに気がついて先に椅子を作った。それから改めて布織を始めた。
幅1メートル長さ3メートルの布を織り上げるのに1週間かかった上に、まだまだ糸が太いのかできあがった布はゴワゴワしていた。しかしこれだけの布があればズボンや長袖シャツが作れる。大智は喜んだが反面(やはりクズ布ではタオルには向いていないな。タオルは綿布が良いが、どこかに綿はないだろうか、、、とりあえず当面の間は着古したTシャツを切り分けてタオルの代わりにしょう。そうだTシャツの袖の部分は褌の股関の部分に使おう。クズ布の褌では又ずれして痛くなるから。Tシャツ1枚で褌が2枚作れるぞ)
数日後また西の山に行った。クヌギドングリも椎の実も殻が開いて実が落ちているのが多かった。大智は熊を警戒しながら、持って来たカズラを織って作った袋に拾って入れた。(椎の実は生のままでも美味しいが小さくて食べずらい、クヌギドングリはあく抜きなど手間がかかる。栗があったらな、、、そういえばクルミはどうなっただろう、行ってみよう)
クルミは大木の高い所にブドウのように鈴なりになっていた。外皮が付いたままのも少し落ちていて拾ったが大半はまだ頭上にあった。半月後にまた来ようと考えて、川原に降りて行った。川の向こうに数頭の猪が見えたが、まだ干し肉もあると思い追わなかった。また山芋を掘って洗って籠に入れると籠がけっこう重くなり、そのまま川沿いを歩いて家に帰ることにした。
滝の所まで帰ってきて、ふと川の下流を見ると鶏よりも少し大きい鳥が何百羽と水面に浮いていた。(何の鳥だろう、美味いのかな、近づければ弓で、籠の荷物を降ろしたら行ってみるか)数十分後丘の麓の里芋群生地に行ってみた。しかし2メートル以上の葦の群生の為に川が全く見えなかった。大智は(今回は鳥に逃げられるのを承知で、葦の群生地内に川に出れる道を作ろう)と考えて、葦の根本付近に斧を叩きつけた。
大智は、葦は固くてなかなか切れないと思っていたのだが拍子抜けするほど簡単に切れたので、すだれ等にできると考え家に持って帰ることにした。人が歩けるほどの幅を切り倒して大きな束にした。それでも重くないし乾燥させたらもっと軽くなるだろうと思えた。(外国には葦で舟を作る所があるそうだが俺もそのうち作ってみよう)そう考えながら進んでいるとスニーカーが水に浸かった。(ん、もう川か、、、そうか葦は水の中にも生えているのか。だが川はまだ見えない、どうしょう)
2メートルほどの槍で先の葦を傾けて見たが、それでもまだその向こうに葦が茂っていて川は見えなかった。大智は少し考えてから大竹とカズラを取ってきた。そして再び葦の群生地に行くと、川の水との境の葦を一抱えづつカズラで力いっぱい縛って束にした。通路の反対側にも同じような束を作り、その束を縛ったカズラの上に竹を刺し通して竹の上に乗ってみた。竹は全く沈まず葦も倒れなかった。
横木を縛り付け固定した長い大竹3本をその竹の上に乗せ、1メートルほど川の方に突き出し、その先端に乗ってみた。竹の根本側の方が重くて先端は下がらなかったので、そこでも同じように両側に葦の束を作り竹を通して、その上に3本の竹を乗せた。そうやって葦の束を作りながらそれを橋脚にして3本の竹を突き出していくと、やっと葦の群生地を抜け川に出た。
川を見ると10メートルほどの所にも鳥がいっぱいいたが、大智を見ても逃げようとしなかった。まるで初めて人間を見たかのようで全く怖がっていなかった。(ここからなら弓で確実に仕留められる、、、だがその後どうやって鳥を回収する、、、川を泳いでいくのか、、、矢に糸を付ければ良い。だが今は糸を持っていない、、、しかたがない、今日は諦めるか)
丘に登って家に近づくとゴンの変な鳴き声が聞こえてきた。何事かと思いそっと近づくと、一匹の狼がゴンの背後にまたがって激しく腰を振っていた。その向こうにも狼がもう一匹いて、うろうろしながら恨めし気に見ていた。(なんだ交尾中か、ん、狼の交尾は冬のはずだが、、、ゴンは餓えることがなくなって発情期が狂ったのかな。それとも前足が悪くて逃げ遅れてレイプされているのか、、、さてさて止めるべきか、、、いやいや中断させるのは酷だ、一生で一番の快感を味わっているのだろうから、、、しかたがない、東の戸を開けて家に入ろう)
翌朝、矢に太めの長いクズ糸を結びつけて射て1羽だけ鳥を仕留めて家に帰ってきた。さっそく湯につけてから羽根を抜き、解体して内臓をゴンに食べさせたが、ゴンは昨日の事など素知らぬふりで内臓をうまそうに食べた。それを見ていて大智は「ゴン、お前雌だったのか、、、」と言ったがゴンはがむしゃらに食べ続けて大智を見ようともしなかった。
大智は少し苦笑した後で家に入りながら(ゴンがあんなふうに食べたということは、この鳥はけっこう美味いに違いない)そう思って、両足の太ももを焼いて塩を振って食べたが本当に美味かった。大智はそれだけで満腹になり、残りは胸肉など大まかに分けて茹でた。そのスープも塩を入れただけで素晴らしく美味かった。
(あの鳥は渡り鳥だと思うしいつまで居るか分からないが、時おり1羽づつ食べさせてもらおう。それにしても、ここは本当に自然豊かな所だ。さまざまな美味い物が手に入る。俺が何故ここにいるのか分からないが、美味い物が手に入る事には感謝するべきかも知れない、、、しかし、誰に、、、)
ほぼ2週間後、大智はまた西の山に行った。落葉樹はすっかり紅葉していて既に葉を落としている木もあり、地面まで陽が当たり森の中も明るくなっていた。今日は西の山の向こうの川の上流に行ってみるつもりで草鞋も持って来た。椎の実やドングリもいっぱい落ちていたが、拾うのは帰りにしてとにかく上流を目指した。その後たどり着いた上流はまるで二つの山がくっついたような形で、その合わさった所から湧水が流れていた。
(これがこの川の源流か)大智はその水を手ですくって飲んでみたが、指がしびれるほど冷たかった。立ったまま一休みしてから北の斜面を登って行った。こっちの斜面にも椎の実やドングリがいっぱい落ちていたが、ところどころに熊の足跡があった。(そうかドングリは熊の餌でもあるんだな。冬眠前に腹いっぱい食べるとか、、、この前のように突然現れたら危ない。あの時は熊が小さかったから良かったものの2メートルほどのが現れたら俺の方がやられて食い殺されただろう。気を付けなければ、、、)
周囲を警戒しながら登って行くと右手の方に赤い実がいっぱい生っているのが見えた。もしかしてと思い近づくと案の定、柿の実が鈴なりになっていた。猿が数匹いたが木の上を伝って向こうに行った。(猿が食べていないところをみると渋柿だな)と思いつつも一つ取って食べてみた。渋くて飲み込めなかった(やはり渋柿か、雪が降りだしたら採りに来て干し柿を作ろう。それにしても柿の木がいっぱいあるな、、、ん、あの木は)
その柿の木は、猿も登れないような細い枝に数個の実が残っているだけで、他はへたを残して実は食べられていた。大智は木に登り細い枝を折って実をとって食べた。(この木は甘柿だ。恐らく突然変異で甘柿になったのだろう。春になったらまた来て渋柿に接ぎ木して増やそう。今生っているのは全部採っていこう)大智は枝を曲げたり折ったりして甘柿を全部採って籠に入れてから木から降りた。
次に来た時に見失わないように、隣の木の枝を切って目印にした。同時に麓を見て、川の曲がり角の斜め上だと、だいたいの位置を記憶した。それからまた斜面を登ったが、川原に比べ下草の背丈が低く、しかも枯れていて歩きやすかった。そこから少し登って振り返ると西の山の頂とほぼ同じ高さだった。さらに30分ほど登って振り向くと、西の山の頂越しに岩山や岩の台地が見えてきた。そしてその向こうの海も。
だがその海にも船とかの人工物は一切見えず、見える範囲はただ海だけだった。恐らくその海は太平洋だろう。しかし島さえも見えなかった。南の方を見ると狭い砂浜と絶壁が、そしてそのすぐ西側には原生林に覆われた山が見えた。その景色の中にも人工物は何も見えなかった。(いったいここはどこなんだ。俺は無人島に、いや裸族が居るのは間違いない。決して俺一人だけではないはずだ、、、だが、炊事の煙さえも見当たらないが、裸族は火も炊かないのだろうか、、、)
大智は気を取り直してなおも登って行った。30分も歩いただろうか。やっと尾根に着いた。そこは赤松林になっていた。ふと赤松の根本付近を見ると大きなキノコが傘を開いていた。良い香りが漂っている。(まさか松茸では、、、)スーパーマーケットで見たことがある松茸と同じだがここの方が大きい。周りを見たらスーパーマーケットのと同じくらいのがあり、記憶と照らし合わせて良く見ると、松茸に間違いないと言う結論に達した。
大智は大きいのを選んで夢中になって背負い籠に入れた。採り過ぎても食べきれないと思い途中で止めて思った。(なぜ松茸がこんなにあるのだろう、、、そうかサザエやアワビのように獲る人がいなければ、いっぱいになるんだ、獲る人がいなければ、、、)また暗い気持ちになるのを抑えて周りの景色を見た。東は赤松林の木の間から海が見えた。南は岩山やその向こうの原生林の山。そして西から北にかけて高い山が見えた。今大智がいる尾根は少し下ってからまた登りになり、その高い山に繋がっていた。
空を見上げると昼ごろのようだった。背負い籠を降ろして弁当代わりに持って来た、焼いた里芋を取り出して食べ、食後に柿の実を一つ食べながら考えた。(ここから高い山の麓まではけっこう広い高原になっているみたいだな。ところどころ紅葉しているのもあるが、その向こうは杉か檜などの針葉樹の森が山頂付近まで続いている。ここで標高500メートルくらいだろうか、これくらいの高さで針葉樹の森があるということは東北や北海道くらいの気候と思える。
だが南中高度から計算すればここは北緯20度くらい、、、北緯20度に針葉樹の森がある、、、いったいどういう事だろう、、、以前観光案内書で読んだ事がある、台湾には富士山よりも高い山があり山頂付近には針葉樹の森があると、、、だがこの辺りはせいぜい標高500メートルだ。この標高で針葉樹の森は有り得ないだろう、植林されたのだろうか、、、ん、あれは何だ、大きな木が揺れている)
そこを注視していた大智の顔色が変わった。見てはいけない物を見てしまった時の、いや怖くてぞっとする物を見た時の顔になった。(あ、あれは象だ、間違いない、、、インド象だろうか、、、しかしインド象は、あんなに長い牙はないはず、、、ま、まさかナウマン象では、、、いやナウマン象は1万年以上前に絶滅したはずだ、、、では、あれは、、、こっちに来る、、、逃げよう)大智のは籠を背負い槍と斧をつかむと急いで下山した。
大智は川原まで降りてきてやっと振り向いて見た。象が降りてくる気配はない。川の水を手ですくって一口飲んでやっと落ち着いた。(お、俺は幻を見たのだろうか、、、いや間違いなくあれは象だった。牙の長い象だった。4~5頭いやもっといたかも知れない、、、インド象は熱帯や亜熱帯のジャングルにいるはず、こんな寒い所に居るはずがない、、ナウマン象は、、、マンモスはシベリア等の草原で生息していたが、ナウマン象は針葉樹等の森の中を生息地にしていたと何かで読んだことがある、、、
しかし1万年前に絶滅したはずで現在はどこにもいない、、、だが俺は間違いなくこの目で見た、、、信じられない事だが、、、ま、まさか今は1万年以上前なのだろうか。もしそうなら裸族が居ても不思議はないし、どこにも人工物が見当たらないのも納得できるが、、、いや2003年生まれの俺が1万年以上前に生きているはずはない、、、いったい何がどうなっているんだ、、、)
その後ふと気がつくと大智は家の戸を開けていた。どこをどう歩いて帰ってきたのか記憶がない。だが草鞋を履いているのを見ると川を渡ったのは確かなようだ、、、考え事をしていたからだとは思うが、こんな事は生まれて初めてだった。(ん、生まれて初めて、、、何故それが分かるのだ、いつどこで生まれたのかさえ記憶にないというのに。
そういえばさっき、俺は2003年生まれだと思い出した。それと今年が2025年だということも知っていた。つまり今の俺は22歳、、、だがこの22年間の事が何も思い出せない、、、そういえば俺の名前は何だ、誕生日は何月何日だ、どこで生まれた、、、くそ、何も思い出せない、、、)また頭痛がしてきて大智は考えるのを止めた。
いつの間にか外は薄暗く生っていた。大智は籠の中から松茸を取り出して焼いて食べた。松茸は見たことはあっても食べたことがなかったが、焼いて塩を振りかけただけの松茸がこんなに美味いとは、、、(こんなに美味い物を俺は腹いっぱい食べている、、、1万年前でも良い、ここで幸せに生きて行けるなら、、、それよりもあの象はここまで襲ってこないだろうか、この石垣で大丈夫だろうか、、、いや、そこまで心配しても、、、もし、襲ってきたら運を天に任せよう、、、)その夜、大智は開き直って眠りについた。

今となっては食事に欠かせない貴重なただ一つの調味料である塩がなくなった。また海水を汲んできて塩を作らなくてはならない。しかしどうせ塩を作るなら土器を焼く時に作った方が良い。(そうだ、湯を沸かすためのもっと大きな鍋を作ろう。まてよ良い土は丘の麓だ。いちいち土を運び上げるよりも麓で土器を作って焼いた方が効率的だし、海水をここまで運び上げるよりも麓で塩にした方が良い。麓に登り窯を作ろう。薪は丘の上から落とせば良い)
思ったが吉日、大智はその日から麓に、大竹や葦のすだれで小屋を作り、その中で土器を作って乾かしておき、その後斜面を掘ったり土を塗ったりして、人がやっと入れるくらいの登り窯を作った。また、その登り窯の火を炊く上部には、海水を沸かす鍋に合わせて穴を開けた。生乾きの短い煙突を登り窯最上部に取り付けて三日目にやっと完成した。(煙突は火を炊けば乾くだろうが割れなければ良いが、、、とにかくやってみよう)
登り窯の中の3段になっている一番上には、小石を並べた上に皿や魚を焼く網などの小物を置き、真ん中の段には湯を沸かす大きな鍋、そして一番下の段には暖炉用の継ぎ足し可能な煙突用土管を5本乗せてから、登り窯横の出入口を土を塗って塞いだ。後は焚き口で半日ほど火を焚続けるだけだが、その前に海水を汲んで来なければならない。大智は、そこから海までの最短距離の道を、草原の草を踏み倒して作ることにした。
一度家に帰って背負い籠に、この秋に採れた大きな瓢箪3個を入れ、槍と斧を持って出発した。麓に降りて草原の背丈が高い草をなぎ倒し踏みつけながら、海に向かって進んだ。ところどころにあの水鳥のだと思える大きな巣跡があったが、無視してさらに1時間ほど歩くと海岸に着いた。
海は運良く干潮で断崖の下の幅1メートルほどの砂利の浜が、断崖に並行して南に伸びていた。北側は川の河口付近が海にせり出すように広くなっていたが、それより北側は南と同じように断崖に並行して狭い砂利の浜が数十メートル続き、その向こうは断崖が海まで達していた。
(なるほど、こういうふうな地形だったのか。目覚めた海岸の岩場から北側を見た時、断崖がどこまでも続いているように見えたが、あの時は満潮で砂利の浜や川が見えなかったのかも知れない、、、ということはこの狭い砂利の浜を南に行けばあの海岸に行けるかもしれないが、、、今はやめておこう。それより河口に行ってみよう)
河口は幅が30メートルほどで水深も1~2メートルはありそうだった。それを見て大智は首を傾げた。(滝の所の水量ではこんなに広い河口になるはずがない。他の川が合流しているのかな、しかし合流地点はどこだろう、滝の下からここまでに合流地点があるようには見えなかったが、もしかして葦の群生で隠されているのかも、、、)
その後大智は、南側の断崖の端に行ってみた。断崖は砂利の浜から5メートルほどの高さがあり、波で削られたのか下から見上げると上部がせり出しているように見えた。とても登れそうになかった。(ここが岩の台地の北限か、、、たまたま干潮の時に来て幸いだった。満潮だと砂利の浜も水面下になり、つるべでもないと海水を汲む事もできなかったかもしれない、、、そうだ、運良く干潮の時に来れたんだ、ついでにサザエやアワビを獲って帰ろう)
草鞋を持ってきていなかったので、スニーカーを脱ぎジーパンをまくり上げて素足で海に入り、海面が膝くらいの所の海藻が付着している石をひっくり返してみた。ここにもサザエやアワビがいっぱいいた。大きいのだけを背負い籠に入れてから、澄んだ海水を瓢箪に入れた。それから河口の水で足を洗いスニーカーを履いて帰ろうとしたら、瓢箪に入れた海水が重くて、かと言って捨てるのももったいなと思い、背負い籠が食い込む肩の痛みに耐えながら何とか登り窯の所まで帰ってきた。
さっそく鍋に海水を入れて蓋をし登り窯の穴の上に乗せた。準備完了だ。大智は、焚き口の薪に火をつけた。やがて煙突から登り窯特有の黒い煙が出始めた。登り窯全体が熱くなるまで最初は弱火で1時間ほど、登り窯に割れ等がなければ、その後強火で半日焚けば火を消して一日冷やして終わり。その間に瓢箪3個の海水は見事に塩になったし、当然のこと火を焚いている間にサザエやアワビを焼いて食べた。
翌朝、登り窯が十分に冷えたを確認した後で出入口を開けようとしたら、塗り込んでいた土が石のように硬くなっていて開けられなかったので、しかたなく斧の背で叩き壊して開けた。出入口の戸は次回また作り替えるしかない。大智は、ハラハラドキドキしながら土器を出してみた。うまく焼けて硬くなってしかも軽くなっているのが分かった。初めての登り窯だったが大成功だ。大智は、嬉しくなって大きな湯沸かし鍋を愛おしそうに撫で続けた。
しかし登り窯での焼入れ成功とは言っても素焼きだ。大智は、釉薬の掛かった本物の陶器を作りたかった。(釉薬が欲しい。どこかに長石はないか、、、まあないものねだりをしても始まらない、、、さて明日は松茸採りに行こう。象がいなければ良いが、、、)
翌朝、狩りの用意と槍と斧を持って滝経由で、西の山の向こうの川の上流に行って渡り、斜面を登って松茸が生えていた赤松林に行った。象は居ないようだったので安心して松茸を探したが、時期が過ぎたのか松茸は笠が開いたまま崩れ落ちていた。それでも遅く生えたらしくてまだ笠が崩れていないのだけを数本採って帰ることにした。(くそ、もったいない事をした1週間ほど早く来ていれば、、、後悔先に立たずだ)
せっかく来たのだ帰りは違う所を通ろうと思い、東側の斜面を降りて行くことにした。しかし途中からごつごつとした岩が剥き出しの急斜面になった。ところどころ岩の割れ目から松などの木が生えているが、下の方はそれさえもなく百数十メートルの断崖になっていた。そしてその下には幅の広い川が断崖に沿って南北に流れている。大智はその斜面を横断して南斜面に出て降りて行きながら川を見ていると、思った通り滝のある川との合流地点辺りは広い葦の群生地になっていた。
(予想通り葦の群生の下を川が流れているんだ、、、つまりあの辺りは湿地帯、恐らく水鳥の繁殖地になっているんだろう。それに湿地帯ならもしかしたら稲が生えているかもしれない。今度行ってみよう、、、しかし行くには川を渡らなければならないが、舟はなし、、、川を渡るといえば、この下の川も川中を歩いて渡るのは、これから寒くなることを考えると、、、橋でも掛けた方が良さそうだ。渋柿を採りに行く時の為にも、、、)
大智は斜面を降りながら目についたカズラをいっぱい取った。川原まで降りると大竹林の対岸で草鞋に履き替えて川を渡り、大竹を何本も斧で切り倒した。その竹を使って川中に6箇所、橋脚用の竹杭を4本づつ打ち込んだ。その橋脚の川面上1メートル付近に横木をカズラで縛り付けた。6箇所全てに横木を付け終わると、大竹4本を横木の上に渡しカズラで縛って固定した。両岸間に大竹が渡されて竹の橋が完成すると大智はさっそく渡ってみた。
(悪くない、これで冷たい川中を渡らなくて済む)大智は嬉しくなって、その橋の真ん中に座り、焼いた里芋と干し肉で昼食をした。(川のせせらぎの音といい、黄色く色づいた葉が散るさまといい、こんなに情緒のある雰囲気に浸るのは初めてだな、、、こんな所に小屋でも建てて茶でも飲みながらわびさびの境地を、、、そうしている内に熊にでも襲われて食い殺されたら全てが終わりだ。そういえば最近熊を見かけないな。もう冬眠したのかな)
そうしているうちに少し上流の山芋の生えている所に猪が数匹来た。大智は気づかれないように弓矢を手にして近づくと一番大きな猪に向け矢を射た。矢は腹に突き刺さったが猪は倒れずよろよろと逃げようとしていたので、すぐに第二矢を放った。その矢は胸部に刺さり猪は絶命した。(ふう、久しぶりの猪だ、よく太っていて旨そうだ、ゴンも喜ぶだろう)大智は山芋を数本採った後、猪を川に浮かべながら足を引っ張って帰った。
数日後の朝、寒くて目が覚め窓から外を見ると雪が降っていた。(なに、11月になったばかりだというのにもう雪が降っているのか、、、暑くない夏といい、ここは一体どこなんだ、シベリアか、、、)大智はパジャマ代わりに着ているクズ布で作った貫頭衣の上に、手作りの熊の毛皮で作ったズボンを履き上着を着た。頭は髪の毛が肩まで達し口の周りは髭ぼうぼうの上に熊の毛皮の上下では、端から見ると熊そのものに見えただろうが、見る人間は居なかった。まあ家から出た時ゴンに吠えられたが、干し肉をやるとおとなしくなった、現金なものだ。
(さて雪が降りだしたら渋柿を採ってきて干し柿を作ろう)朝食後大智は弓矢とカズラで作った袋を入れて籠を背負い槍と斧を持って出発した。竹の橋を作ったおかげで楽に柿の林に行け、背負い籠と袋にいっぱい柿を入れて2時間ほどで帰ってきて、さっそく貝ナイフで渋柿の皮を剥いだ。その柿のへたの所に細い割竹を突き刺して、庭の軒下に吊るした。採ってきたのが終わるとまた採りに行き、夕方までに100個ほど吊るした。それを見上げて、甘い物を食べたくてうずうずしていた大智は(早く乾け)と念じた。
寒くなって本当に冬眠したのか熊を見かけなくなった。熊だけでなく猪や鹿も見えず、足跡さえも見かけなくなった。その代わりに水鳥が増えたようだった。もしかしたらあの川が越冬地になっているのかもしれない。大智は肉が食べたくなると、葦の橋に行き糸をくくりつけた矢で水鳥を獲った。たまに海にも行き、サザエやアワビも獲った。外は寒かったが海水はあまり冷たくなかった。恐らく黒潮のせいだろうと大智は思った。
(干し柿が作れるなら魚の干物も作れるんじゃないかな)と思った大智は魚を獲ることにした。(魚獲籠はあの崖に置きっぱなしだが、もう壊れているかもしれない。新しく作ろう。それにカズラの長いロープも。断崖の上から魚獲籠を沈められるようにすれば、餌さえ用意できればどこででもできる。それと鹿の毛皮で袋を作り、割竹の輪っかを口に付けてつるべにしょう。つるべがあれば満潮時でも海水を汲めるし、餌のフジツボやカキを生かしておける)
大智はさっそく魚獲籠と干物を干す目の粗い割竹のすだれを作った。その後、天気の良い大潮の干潮の時に魚獲籠やすだれを運び、サザエやアワビを獲った後でフジツボやカキを獲り、岸壁の上に運んで海水溜まりに入れておいた。それから一度家に帰って、断崖を上り下りする為の竹の梯子を作って運んだ。それでもまだ満潮になるまでに時間があったので、断崖の上を歩いて目覚めた所の海岸に行ってみることにした。
断崖の上は岩がデコボコしていて歩き辛かったが、海の景色は絶景だった。だが風が強くなり寒くて景色に見とれている余裕はなかった。また、ところどころに生えている松の大木の下には松の実がいっぱい落ちていたが、今はそれを拾う時間もなかった。やがて海岸の岩場に降りる松の根の所に着いた。川向こうの裸族も居ないようだった。思った通り魚獲籠は朽ちていたし、垂らしていた太いカズラもボロボロになっていた。それを見て海岸に降りていくのをやめにして引き返した。
断崖の最北端の所まで帰ってくると潮も満ちていたので、海水溜まりからフジツボやカキを取り出して石で潰して魚獲籠に入れて海に沈めた。それから近くの松の下に行き、松の実を拾って食べた。そして約1時間後に魚獲籠を引き上げてみた。大きなカワハギやベラがいっぱい入っていた。大智はすぐにカワハギの皮を剥ぎ、貝ナイフで三枚におろして、横向きに置いた梯子の上に、広げておいたすだれの上に並べて干した。ベラも同じようにした。残った頭や骨や鱗も潰して魚獲籠に入れて再び海に沈めた。
(たかだか1時間ほど沈めていただけでこんなにも魚が獲れる。ここは魚の宝庫かもしれない)その後また松の実を拾ったりして1時間後、魚獲籠を上げてみた。今度は大小のカサゴとカワハギ等が入っていた。それらを三枚におろし、頭や骨はまた潰して魚獲籠に入れて20メートルほど離れた所に沈めた。それからすだれの上の魚片を見た。最初に干したカワハギは薄いせいかもう乾き始めている。(潮風のせいか、それとも空気が乾燥しているせいか、乾くのが早いな。この調子だと良い干物ができそうだ)
次に上げると大きなタコが2匹だけ入っていた。タコが入ると魚が怖がって入らないのかもしれない。そのタコを籠から取り出すのに苦労した。頭を持って引っ張っても足の吸盤で籠の竹に引っ付いて剥がせられない。やむなく槍で頭を何度も刺して殺してから何とか取り出した。海水溜まりに残っていたフジツボやカキを全部潰して魚獲籠に入れ、さっきの所よりもさらに20メートルほど離れた所に沈めた。
それからタコの足を1本づつ切り分けて海水溜まりで洗ってすだれの上に干した。タコの頭も切り開き内臓を取り出した後で洗って干した。それからまた松の木の下に行ったが、もう松の実の入れ物がない。袋を持って来なかったのが悔やまれた。(まあ良いや、明日も天気が良さそうだしもう一度来よう)そんな事を考えながらふと松の木の上を見ると大きな巣があり鳥がいるのが見えた。そして巣から少し離れた枝の上にも大きな鳥がとまっていて大智の方を睨んでいた。
大智は一目見ただけでその鳥が大鷲だと分かった。(恐らく鷲のつがいだろう。雌は卵を抱いているようだ。一番危険な時期だ。今まで襲われなかったのが不思議なくらいだ、、、もしかしたらこの熊の毛皮のせいで、熊と思って襲って来なかったのかもしれない)大智は魚獲りの場所を変えるか迷ったが、とりあえず今日はこのまま続けることにした。陽が西の山の向こうに隠れようとしていた。(次に上げたら今日は終わりだな。魚獲籠はどうしょう。上げてから考えるか)
籠を上げるとまた大きなカワハギやカサゴが入っていた。それを三枚おろしにし、頭や骨を潰して魚獲籠に入れて海に沈めた。それから魚片を全てカズラで作った袋に入れた。すだれを丸めて松の木の根本付近に置き、その上に梯子を乗せさらに大きな石を乗せて重石にした。魚片の袋を入れた背負い籠を背負って、槍と斧を持って家に帰るとすぐにかまどで火を焚き、その上の棚に魚片に割竹を刺して全て吊るした。それから、大鍋に海水を入れて生かしておいたサザエやアワビを取り出して焼いて食べた。
翌朝はまた雪が降っていた。しかし毛皮の手袋と靴も履いた大智は断崖の上でもあまり寒くなかった。魚獲籠を上げてみると大きなタコが1匹と死んだアナゴが10匹ほど入っていた。(そうか、夜の間にアナゴが入ったが夜中の干潮の時みな死んでしまったのだな。タコは明け方の満潮時に入ったんだろう。アナゴもう腐っているだろう、もったいない事をした、、、しかしこれで夜はアナゴが獲れる事が分かった)
大智はタコを殺してから取り出し、アナゴは岩の上に乗せて置いた。(たぶん俺が帰った後で鷲がとって食べるだろう)雪が大降りになったので大智は、空にした魚獲籠も松の木の根本に置き、タコ1匹をぶら下げて家に帰った。家に着くとすぐ鍋で湯を沸かして茹でタコにし、薄切りにして塩をつけて食べた。それだけでも美味かったが(刺身醤油とワサビがあればな)と残念に思った。食べきれなかったタコもかまどの上の棚に吊るした。
雪は昼ごろには小降りになったが周り一面雪化粧になっていた。しかしその雪を手でつかんでみると、東京辺りの雪と違ってサラサラしていた。(11月半ばでこんなに雪が降るとは、、、本当にここはどこなんだ。それとももしかして本当に氷河期なのか、、、何かで読んだことがある。数万年前の氷河期は日本辺りまで氷河が拡大したせいで海水面が現在よりも百数十メートル低くなり、日本列島は大陸と陸続きになった。
それと空気中の水分が少なくなり雨量も減って台風も起きなくなった。雪が降っても乾いたサラサラした雪になると、、、まさに今日の雪だ、、、本当に今は氷河期なのだろうか、、、しかし何故俺は氷河期のここにいるのか。それにここは一体どこなのか、、、緯度的には台湾、、、台湾の氷河期に俺は居るのか、、、まさかそんな事が、、、いずれにせよこれからさらに寒くなる、、、そうだ新しい部屋に暖炉を作ろう。寒い時は体を動かした方が良いし、答えのない事を考えなくて済む)
大智は新しい部屋の西側の壁中央部に、石と練った土で暖炉を作った。上部には素焼きの土管を取り付けて完成するとさっそく火を焚いてみた。また部屋の真ん中の柱の南北に葦のすだれや毛皮で仕切りをし、南側の窓も毛皮等で塞いだ。2、5メートル✕5メートルの狭い部屋になり、暖炉の火ですぐに温かくなったが暗くなった。まあ寝るだけなら暗くても良いが、布を織る時は、、、ガラス窓があればな、、、ないものねだりしてもはじまらない。それよりベットをこの部屋に移そう)大智はその後ずっとこの部屋で寝るようになった。
時々雪が降るようになっても食料は足りていた。里芋山芋、干し肉に干物が加わり時々は川に行って鳥を獲ったりした。しかしゴンが子狼を5頭も産んだ。通常狼は春に出産だがゴンはこんな寒いさなかに産んだ。しかたがないので家の西側の軒下に石と土で囲いを作り、上と入口はすだれと毛皮で覆って、その中には干し草を厚く敷いてやった。しかし、ゴンの母乳だけで育つ間は良いが、肉を食べるようになったらと思うとぞっとした。
(そもそも足の悪いゴンの餌付けをしたのが間違いだった、、、それにしても父狼はどうした。ゴンを孕ませてから一度も来ない。これじゃカッコウの托卵と同じだ。くそ雄狼野郎、子狼の餌を持って来い。俺は子狼の育ての親じゃねえ)と怒鳴りたくなった。だが子狼は可愛かった。肉を食べるようになると大智の手から取って食べたし、満腹になると大智の膝の上を5頭で奪い合って寝た。まるで子犬と変わらなかった。
めんどくさいので名前をいち、に、さん、し、ごとつけたが、2週間もすると、それぞれ自分の名前を覚えて呼べばすぐ来るようになった。その頃にはゴンよりもむしろ大智になついていた。しかし餌の確保が大変になった。たまに大きな猪が獲れても、食欲旺盛な5頭は1週間で食べきってしまった。まあゴンと違って子狼は干物や魚の焼いたのも食べるようになったので、しかしそのせいで1週間に一度は海で魚を獲らなければならなくなった。
そんなある日の明け方、ゴンの唸り声とピーピーとけたたましい鳴き声が聞こえ、何事かと思い貫頭衣のまま戸を開けると大きな鷲とゴンが戦っていた。その傍には血まみれの倒れた子狼が一頭。大智はすぐに槍で鷲を追い払おうとしたが、敏しょうな鷲は突き出すやりの穂先をかわして、倒れた子狼を鷲掴みして飛び立った。大智は一瞬我を忘れて鷲の飛行を見ていたが、弱々しいうめき声に気づいてゴン見た。
ゴンは顔から肩にかけて鋭い切り傷があり血があふれ出ていた。大智はすぐにゴンを家の中のかまどの向かい側に入れ、タオルを傷口に押し当てて縛った。ゴンは出血多量のせいか痛みのせいか意識が朦朧としているようだった。怯えている4頭の子狼もゴンの周りに入れて戸を閉めてから、かじかむ手で毛皮の衣服を身につけた。それからかまどで火を焚き湯を沸かしながら干し肉を焼いた。子狼はそれを食べたがゴンは鼻先に置いても目も明けなかった。そして昼ごろ呼吸が止まり瞳孔が開いたままになった。
念の為夕方までそのままにしておいたが蘇生する気配はなく、西の山の麓の直角接続部の下近くに穴を掘って埋めてやった。子狼4頭はしばらく埋めた所をうろうろしていたが、晩飯だと言うと家の中に帰ってきた。大智は干物を焼いて子狼に食べさせながら思った。(ゴンの前足が正常だったら恐らくあの鷲を撃退しただろう。子狼も守れただろう、、、それと俺がもう少し早く起きていたら、、、後悔先に立たずか、、、子狼が乳離れした後だったのがせめてもの救いだ、、、)
その後、大智は本当に子狼の育ての親になった。子狼はいつも大智の行く所についてきた。夜寝る時も暖炉のある部屋に入ってきて、ベットの上に上がってこようとした。しかたなく、ベットの下に茅を編んで作った筵を敷いてその上で寝させた。暇な時は、行け、来い、待て、などを教えた。その結果大智は、狼は犬と同程度かそれ以上の知能があることを知った。(まあ番犬くらいにはなりそうだな)と大智は思った。だが子狼たちの能力はそれだけではなかった。
寒さが厳しくなり、熊の毛皮服の下にセーターを着て岸壁に魚獲に行った時、魚獲籠を海に入れた後の待ち時間に、松の実を拾いに例の松の木の所に行くと、子狼たちが上を向いて急に一斉に吠えだした。大智も上を見ると、ゴンと子狼を殺したあの大鷲が木の枝にとまっていた。子狼たちは、母親と兄弟の仇を覚えていたのだ。その大鷲は今にも子狼たちに向かって急降下しそうな態勢をしている。
大智は弓矢を持って松の木に登り、弓矢を全く警戒していない大鷲を至近距離から矢を射て殺した。大鷲は数回回転しながら地上に落ち、すぐに子狼たちの餌食になった。大智はさらに登って巣にいたもう一羽も殺し、2羽の雛を巣から落とした。つまり大鷲一家を皆殺しにしたのだ。しかしそうしないと子狼たちや大智自身さえも、いつ襲われるかわからない。自衛の為に先手を打って殺した方が良いのだ。ライオンがチーターの子を皆殺しにするのと同じような理由だ。
とはいえ、相手を殺さなければ自分が殺されるという自然界の掟の厳しさに、大智は今更ながらに惨さを思い知らされた。(2025年の人間社会では、スーパーマーケットに行けば誰でもパックに入った肉を買う事ができ、一般人が自ら生き物を殺して食べるような事は滅多にないし、その肉のほとんどが、人に食べられる為に生まれさせられ太らされた家畜だが、今の俺は自ら捕まえて殺して食べないと生きていかれない環境に居る、、、
俺が生きる為に今までどれほどの生き物を殺しただろう。そしてこれから生きてゆく為にどれほど多くの生き物を殺さなければならないのだろう、、、他の生き物を殺してまで生きてゆく価値が俺にあるのだろうか、、、だが俺は今は死にたくない、、、俺が誰で、何故ここにいるのか、その理由を知るまでは死にたくない、、、)そんな事を考えながら松の木から降りると子狼たちがすぐに寄ってきた。敵を討った後の達成感のような、清々しい雰囲気を漂わせながら、、、。
その子狼たちを一度も餓えさせることなく育てたせいか4か月目に入るとすっかり逞しくなった。体はまだ大人の大きさに達していないが、走る速さや跳躍力は目を見張るものがあった。そんな子狼たちが「来い」の一言で全速力でやってくる、まるで忠犬のように。これはゴンを助けた報恩かもしれない。
そんな事を考えながら魚獲籠を上げると大きなカワハギやグレがいっぱい入っていた。全部取り出して、石で殴り殺して皮を剥ぎ三枚おろし、皮や骨を魚獲籠に入れてまた海に沈めた。それを繰り返して干潮までにかなりの魚片ができた。夕方になり、その魚片を背負い籠に入れて家に帰りかまどの上に吊るした。それから久しぶりにあく抜きしたクヌギドングリを蒸かして、それと生乾きの魚片を焼いて子狼たちと一緒に食べた。
食後、子狼たちは西の山の方に走って行った。最近あまり寒くなくなったせいか子狼たちは夜家の外で寝るようになったので、戸を閉めても問題なかった。大智は東側の小さな窓から水平線のかなたに登る真っ赤な満月を見ながらまた感傷的になった。(こんなに赤い月を見るのは初めてだ。赤い月は大災害が起こる前ぶれだと言う所もあるらしいが、科学的に言えば月の手前に薄い雲があるせいだと解明されている、、、だが綺麗だ。
東京ではこんな綺麗な月を見たことがない、、、東京か、、、不意に思い出したということは俺は東京に住んでいたのだろう。その俺が今何故ここにいるのか、、、ここがどこなのか、今がいつなのかもはっきり分からないのに、、、分からないといえば俺の名前さえも今だに分からない。俺は記憶喪失なのだろうか、それとも、、、
クズ繊維の取り方とか体験したことがない事でも、ユーチューブか何かで見たことがあるのは思い出せるのに、なぜ自分に関することは思い出せないのだろう、、、誰かが意図的にそうしているように感じる時があるが、、、まさか俺は、誰かに操られているのだろうか、アバターのあの白人のように、、、分からない、、、本当に何もかも分からない、、、だが、俺は今こうして生きていて綺麗な月を見ている。この事実だけは疑いようがない、、、はず、、、)

4月8日になった。ここに来て1年を記念してあの海岸に行ってみることにした。狩りの用意をして槍と斧を持って、そして子狼4頭を連れ、途中で太いカズラを採って。海岸に降りる松の木の所に来ると大智は、川の向こうに裸族がいないか見た。すると、干潮の砂浜のずっと向こうで何人かの裸族が砂を掘っていた。(お、裸族が居る。貝を採っているのだろうか、、、どうしょう、交流するべきか、、、しかしこの川は、、、潮が引いているから渡れそうだが、、、とにかくカズラを取り替えて降りてみるか)
大智はカズラを取り替えると、一度上がって子狼たちに干し肉と水をたっぷり与えた。それから「俺はこれから川向こうに行くからお前たちはどこかへ遊びに行け」と言ってから海岸に降りた。そして先ず目覚めた場所に行ったが、1年前と何も変わりはなかった。いつもなら恐らく物思いに浸るのだろうが、川向こうに裸族が居ると思うと、そんな気にはなれなかった。
大智は南側の岩場に登り川を見た。海と砂浜の境くらいの所の川は、干潮のおかげでジーパンをまくり上げれば渡れるほどの水深のようだった。スニーカーを脱ぎ草鞋に履き替えていると突然悲鳴が聞こえた。(何事だ)大智は驚きながら急いで川を渡り、上流の方を見ると倒れている裸族の背中に前足を乗せて頭部に噛みついている、体長2メートルほどの大熊が見えた。
大智は走って熊に近づき、10メートルほどの所で止まって槍を砂浜に刺して立ててから弓を射た。矢は腹の方に突き刺さり、熊は腹の方を見て吠えてから大智の方へ走りだした。大智は逃げずにその場で第2第3の矢を放った。矢は肩や前足に刺さり熊は前方5メートルの辺りで止まった。
大智は更にありったけの矢を放った。熊はうずくまったがまだ生きていた。大智は槍を持って走り寄り首に一刺ししてから、喉から頭に向けて力いっぱい突き刺した。その時熊が頭を振ったせいでか槍の穂先が折れてしまった。熊はまだ死に絶えていず、全身を痙攣させながらも頭を持ち上げようとしていた。大智は川原を見回し、自分の頭ほどの石を持ってきて熊の頭上に叩きつけた。4度叩きつけてやっと熊は動かなくなった。大智は安心して大きなため息をついた。
その時雄たけびが聞こえ、十数人の裸族が槍を持って走り寄ってきた。大智は一瞬殺されると思ったが、応戦する体力はなく観念してその場に立ち尽くしていた。しかし裸族は大智を遠巻きにして、槍を頭上に突き上げながら雄たけびをあげ続けていた。数十秒後、裸族の中から長老らしい人が槍を足元に置いて大智に近寄り、何かわめきながら腕や肩を撫でまわしはじめた。するとすぐに周りに居た裸族も走り寄って同じ行為をし始めた。
裸族のその時の顔の表情を見て大智は、裸族が自分を称えている事を察したが、汚れている手で撫でまわられるのに閉口して言った。「もう良い、やめてくれ」言葉は通じないと思うが裸族は動作を止めた。その時甲高い泣き声が聞こえた。大智が泣き声の方を見ると倒れている裸族に抱きついて泣いている少女が見えた。少女も熊にやられたのか腕から血が流れている。
大智は少女に近づき、籠を下して中から瓢箪を取り出してその水で傷口を洗ってやりタオルを二巻きして縛ってやった。少女は泣き止んで不思議そうに大智とタオルを見ていた。大智は干し肉を取り出してちぎって欠片を食べて見せてから少女に渡した。少女は恐る恐る口に入れたがすぐに夢中になって食べ始めた。大智はそれから倒れている裸族を見た。
裸族は背中に鋭い爪痕、そして後頭部から首は食いちぎられて胴体の脇に転がっていた。顔を見たら女性のようだった。この少女の母親らしい。大智は裸族の男性にこの女性を運んでいくように手振りで示してから熊の所に行き、矢を抜いてまわった。折れているのや矢じりが無くなっているものもあったが全て籠の中のゆぎに入れた。それから熊の解体を始めた。
裸族に手伝ってもらって大きな熊を横向きにしてから、貝ナイフで喉から肛門まで切り毛皮を剥でいった。半身終わるとまた裸族に手伝ってもらって熊をひっくり返して、1時間ほどで全身はぎ取れた。その毛皮を丸めてカズラで縛り、籠の横に置いてから長老に熊を持って行けと手振りで示した。
長老は「もらって良いのか」とでも言いたげな表情で大智と熊を交互に見ていたが、大智が籠を背負い、槍と毛皮を持って歩き出そうとするのを慌てて腕を引いて止め、熊肉を一緒に食べようと手振りをした。大智は潮が満ちたら川を渡れなくなるから早く帰りたかったが、裸族の暮らしぶりにも興味があり、この機会を活用して観察することにした。大智が承諾したのが分かると長老は、男たちに熊を運んでいくように指示してから大智を促して数百メートル先の松の大木の根本に連れて行った。
そこは広い木陰になっていたが、雨まではしのげないと思われた。しかし裸族はそこで寝泊まりしているようで、枯草を集めた寝床らしい所が何箇所もあった。しかも驚いたことに焚火の跡が見あたらない。ふと気づくと裸族は熊を取り囲んで、石器で叩き切りながら生肉に食らいついていた。(まるで狼の群れと同じだ)と唖然としている大智に長老が声を掛けてから生肉の塊を足元に投げてよこした。すると他の裸族も同じようにした。大智の足元はすぐに生肉の塊がいっぱいになった。
大智はしかたなく生肉を拾い一か所に集めてから、その横で枯れた松葉や枯れ木で火を焚き、折れた矢を肉に刺して焼いて食べ始めた。すると裸族たちが興味深気に寄ってきたので焼けた肉を手渡した。裸族たちは焼けた肉の方が美味いと気づいたのか夢中になって食べだした。もらっていた生肉はすぐに無くなり、しかたなく貝ナイフを取り出して肉を切り取った。いつの間にか大智は肉切り取り要員にされていたが、貝ナイフを裸族に使わせて欠けさせられたくないので、みんなが満腹になるまで続けた。
そうしながら大智は裸族を観察した(大人の男性が長老を含めて5人女性が6人、男の子が2人女の子が3人、全員で16人か。それにしても全員、性器さえも隠していないが恥ずかしくないのだろうか。特に女性が股を開いて座っているが、、、目のやり場がない、、、この人たちは服を着るという概念がないのか、、、もしかして、、、もしかして、この人たちは本当に原始人なのか、、、原始人、、、今は、本当に、いつなのだろう、、、2025年ではないのか、、、)そう考えると大智は背筋に冷たいものを感じた。
食事が終わると長老が男性たちに川原の砂地に穴を掘らせ始めた。女性二人がどこかから草花を持ってきた。穴が掘り終わると熊に襲われた女性が入れられ、体の上に草花を乗せてから砂で埋め始めた。顔が埋まる直前に少女が泣きながら女性の目を隠すように小石を置いた。なおも泣き続ける少女を長老が抱きしめて、なだめるように何かを言った。すると少女は男性全員を見まわしてから大智の所へ行き手を握った。
長老は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに納得したように頷いた。周りの裸族みんなも少女の行動を見て頷いた。その後少女はいつも大智の傍にいた。そのことを大智は気にしなかった。それよりも早く川を渡りたかった。だが、大まかに計算してももう満潮で渡れないと思えた。(どうしょう、夜中の干潮の時に川を渡ろうか、しかし夜は松明でもないと危険だ、、、しかたがない、今夜は裸族と一緒にいよう。幸い危害を加えられる可能性は低いようだし、、、)と腹をくくった。
松の根本に帰ってきてしばらくすると、長老が大智の所に来て横に置いてある籠の中の弓を指差した。大智が籠から取り出して見せると、長老が不思議そうに弓を見ていたので、大智は弦を引いて弾いた。長老は驚いたように後ずさり、大智と弓をかわるがわる見つめた。大智は危なくない事を分からせる為に何度も弦を弾いて見せた。
やがて長老が納得したようだったので、大智は折れていない矢を取り出して、松の木に向けて射た。至近距離だった事もあり、矢は音を立てて松の木に突き刺さった。長老をはじめ多くの裸族がどよめいた。矢が空気を引き裂く音に悲鳴を上げた者もいた。裸族のそのような反応を見て大智は、裸族が初めて弓矢を見たと確信した。(どういう事だ、裸族は弓矢も知らなかったのか、、、この裸族は本当に原始人なのか、、、)
大智は、その後すぐ裸族の使っている槍を見せてもらった。穂先は磨いた形跡がなく完全な打製石器だった。(打製石器といえば3~4万年前だ、この裸族は3~4万年前の人類だというのか、、、これが事実だとするなら、俺は今3~4万年前に居るということになる、そんな馬鹿なことが、、、)そんな事を考えていた大智の目の前に一人の若者が矢を持ってきて弓を指差した。(何だもう一度やってもらいたいのか)と思いまた射た。矢は松の木に突き刺さった。
若者は走って矢を持ってきて弓を指差して何かを言った。当然言葉は分からなかったが、若者の表情からは教えてほしいと見て取れた。大智は矢じりのない矢を取り出して、若者の後ろに立って左手に弓を持たせて矢をつがえ、弦を引いて矢を放させた。若者は途端に歓声を上げ、興奮した顔で矢を取りに行った。するとすぐに大智は他の裸族に囲まれた。しかたなく次々と弓の使い方を教えた。
そんな事をしているうちに薄暗くなってきた。ふと見れば熊の肉は、腹部から腰にかけて食べられただけで大半はまだ残っている。大智は腐らせるのはもったいない、干し肉にしょうと思い火を焚いた。それから長老に、地面に竹の絵を描いて見せ生えている場所を聞くと、若者を呼んで一緒に行かされた。中くらいの竹と細い竹、それとカズラを採って焚火の所に戻り、干し肉用の棚を作り焚火の上に設置した。それから熊を斧でぶつ切りにし細竹を刺して棚に吊るした。
焚火に近い所の肉が焼けて良い匂いを漂わせ始めると、また食欲が出たのか裸族が一人食べ始めた。するとすぐに全員が食べだし、肉が焼けるのが間に合わなくなった。大智は長老に、手振りでもっと薪をと示すと数人が持ってきた。大智も焼肉を食べながら(盛大なキャンプファイヤーになったな、、、思えば不思議な出会いだ、俺がここに来てちょうど1年、、、これも運命だろうか、、、)と思った。
みんなが満腹になったころには辺りは真っ暗になっていた。その頃から裸族の男女がいなくなり、どこからともなく喜びの喘ぎ声が聞こえてきた。(なるほど、そういう事か、食欲が満たされた後は、、、)いつの間にか長老も居なくなっていた。その時不意に大智は暗闇の方から手を引かれた。よく見ると若い女性が手を引き、熱いまなざしで大智の目を見つめていた。若い大智は誘惑に抗えなかった。女性もあとからあとから何人も入れ替わって大智を求めた。
大智は行為中にふと思い出した(原始人は近親婚にならないように、本能的に遠くの人の遺伝子を求めたらしい、、、ふう、俺の遺伝子で良いならいくらでも持っていけ)翌朝大智は、いつ寝たのか、いつ行為をしたのか良く思い出せなかった。ただ朝日がやけに黄色く見えた。だが、いつまでも余韻に浸っていられない。
熾火を吹いて炎を起こし枯れ木を乗せてから瓢箪を持って川に水を汲みに行った。だが帰ってきて鍋がない事に気づいた。(毎朝白湯を飲む習慣が、、、そうか竹筒で沸かそう)大智は焚火の両端に竹の柱を立て、その上に竹梁を通して、それに水を入れた大竹をもたせ掛けた。やがて沸いた白湯を竹コップでうまそうに飲んでいると裸族が寄ってきたので、新たに白湯を入れて竹コップを渡した。するとすぐに竹コップの奪い合いになった。
大智はしかたなく大竹を取ってきて斧で切り、みんなに竹コップを作ってやった。そうこうしているうちに海は干潮になった。大智は置き土産代わりに、弓矢を長老に手渡した。長老は興奮し、大智の手や身体を撫でまわした。大智はわずかな時間そうさせてから身を引き、生乾きの熊の前足を一本籠に入れて背負い、穂先の折れた槍と斧と熊の毛皮を持って海に向かって歩き始めた。
思った通り裸族全員がついてきた。そして川を渡る所に来ると、あの少女が抱きついてきた。大智は面食いながら優しく少女を離そうとしたが、少女は必死な表情でしがみついて離れようとしない。大智が苦笑しながら助けを求めるまなざしで長老を見ると、長老は伸ばした両手の人差し指を合わせ、その手を前に突きだし「二人で行け」と示した。しかも周りの裸族も当然だという仕草をした。
大智は驚いてもう一度少女を見た。すると少女は目に涙をためながらも、必死な表情でさらに強く大智にしがみついてきた。「絶対に離れない」という少女の強い意志を感じ取った大智は、しかたなく籠や槍などをそこに置いて少女を背負い、川を渡って岩場の上に這いあがった。それから少女を降ろして川を渡って、荷物全部を持って再び岩場の上に上がった。すると裸族の雄たけびが周りに轟いた。大智は裸族に手を振ってから背を向けて、岩場から浜辺に下りた。
その後カズラを登る時も先に少女を背負い、岩の台地に上がると予想通り4頭の子狼が待ち受けていて飛び掛かってきた。少女が怯えて悲鳴をあげると大智は「待て」と言って子狼たちを大人しくさせてから「俺の身内だ、仲よくしろ」と言って少女を降ろした。少女はまだ怖そうだったが子狼が代わる代わる少女の足を舐めると少女も安心して子狼の頭や首を撫でた。大智はもう一度浜辺に下りて荷物をすべて運び上げた。
それからすぐに熊の前足の肉を斧で削いで子狼たちに食べさせてから、少女と子狼たちを連れて川沿いの断崖に行き、あの松の大木の方を見た。裸族たちもすぐに気づいて両手を振って歓声を上げた。大智も右手を上げて振り、少女は何かを叫んだ後しっかりと大智の体に抱き着いた。やがて大智は少女の手を引いて断崖を離れ、最短ルートを通って家に帰った。少女は、家も水樋もかまども土器も見えるもの全てに驚いていた。
(まあ、この子が驚くのも無理はない。打製石器時代の子が数万年後の人間が作った物を初めて見たのだからな、、、さて、これからどうしょう、、、先ず、熊の毛皮の手入れだ)大智は大鍋で湯を沸かしながら、軒下の盥の水を捨てて綺麗に洗った。それから毛皮を入れてその上に貯めてあった灰を振りかけた。湯が沸くと灰の上から湯を入れた。(毛皮はこのまましばらく置いとけば良い、、、次は、、、槍の穂先の取り替えだな、花崗岩の穂先ができるまで砂岩の古い穂先を付けておくか)
大智が穂先を取り替えているのを少女は傍に立ってじっと見ていた。それに気づいた大智は中断して、かまどの熾火を手前に寄せ、干しタコの足を竹串に刺して焼いてから手渡した。少女が不思議そうにタコを見ていたので大智が手振りで食べるように示すと、少女は恐る恐る口に入れたが、薄い塩味のタコの旨さが分かると夢中になって食べ始めた。それを見て(俺が美味いと思う物はたぶんこの子にとっても全部美味いのだろう)と思った。
(ところでこの子の名前は、、、いや、その前に、、、俺の名前は、、、)その時東側の窓から岩の台地が見えた。大智は咄嗟に「俺の名前は台地、お前の名前は」と日本語で聞いた。当然少女は不思議そうに大智を見つめただけだった。大智は少女をテーブルの上に座らせ、自分は椅子に座って目線を同じ高さにして、先ず自分の顔を指差してゆっくり「だ、い、ち、」と言った。
すると少女も「だいち」と言ったので少女の手を撫でた。それから大智は少女の顔を指差して「こ、ど、も」と言った。少女は「こども」と言ったが、それが自分の名前だとまだ理解していないようだったので、もう一度「だいち」からやり直した。三度繰り返すと理解できたようで、大智を指差して「だいち」と言い、自分の顔を指差して「こども」と言った。大智はすぐに少女の手を撫でた。
(次は子狼たちに行け、来い、待てを教えたのと同じ方法だが、最初はこの方法で良いだろう)そう考えた大智は少女を連れて外に出た。すぐに子狼たちが集まってきたので、少女の目の前で「行け」と言った。子狼たちが草原を走って行くと「待て」と言い、子狼たちが立ち止まると「来い」と言って、子狼たちが帰って来ると大智はしゃがんで1頭1頭を抱いて頭を撫でてから干し肉の欠片を与えた。
同じ事を三度繰り返してから子狼たちを遊びに行かせ、それから少女を連れて家に入り戸を閉めてから少女に「行け」「待て」「来い」を覚えさせた。少女はその日のうちにこれらの日本語を覚えた。
夕食後湯を沸かして、庭の洗い場で湯浴びの準備ができると試しに「こども来い」と言うとすぐに来た。大智はこどもの手を撫でてやった後で、しゃがませてから湯を髪の毛に掛け、灰を振りかけて良く洗い多量の湯で洗い流した。それからヘチマの繊維にも灰をつけてから全身をこすってやった。恐らく初めての経験だろうが、こどもは気持ちよさそうにしていた。
湯浴びが終わるとタオルで拭いてやってから予備の褌を着けてやった。だぶだぶだが無いよりは良い。まだ異性として見れる年齢ではないが性器まる見えは目の毒だ。(そのうち貫頭衣も作ってやろう。とりあえず今夜は、、、クズ布で包んでやるか、やれやれ世話の焼けることだ、、、そうかその前に弓を作らなくては、、、明日作ろう)
翌朝まだ眠っているこどもをそのままにして大智は竹とカズラを採りに行った。2年ものの硬い竹を引きずって帰ってきて戸を開けると、こどもが大声で泣きながら抱きついてきた。時々大智の胸を叩きながらわめいている。言葉は分からないが恐らく、目が覚めて一人だと気づき不安になったのだろう。字が読めれば書置きでもするのだが、、、まあしかたがない、泣き止むまで抱き上げていた。
その後やっと泣き止んだので戸を開けて外の竹を指差して「竹」と行ってからこどもを降ろし弓を引く動作を見せてから「弓を作る」と言った。こどもは興味深げな顔になった。
大智はこどもを椅子に座らせ、テーブルの上に土器の湯呑みを置いてから鍋の湯を瓢箪の柄杓で汲んで湯呑みに注いでやった。「熱いから気をつけろ」と言って大智は自分の湯呑みに息を吹きかけてから飲んで見せた。(とにかく、事あるごとに日本語で話しかけよう。そうすれば、その時の状況から言葉の意味が理解できるようになるだろう)
それから大智の朝食の残りの、蒸かした里芋と干し肉の炙ったのを食べさせてから、先にクズ布で貫頭衣を作ってやることにした。長袖にしたので昼ごろまでかかったが、できあがって着せてやると喜んではしゃいでいる。細いカズラを三つ編みにしてベルト代わりに腰に巻いてやると、まるで裾の長いワンピースのようで可愛かった。こどもは大智に抱きついて何度も手を撫でた。その後草鞋も作ってやると、こどもはまた大智の手を撫でた。
午後は竹を縦割りにして弓を作った。長さを以前のより少し長くして強い弓にした。できあがるとさっそく矢を射てみた。10メートルは飛距離が増している。大智が自画自賛していると、こどもが弓を射る仕草を見せるので弓と矢を渡してみたが、こどもの力では弦を引けない。大智が笑うとこどもは膨れっ面になった。しかたなく小さい弓と矢を作ってやると大喜びした。さらに、残っているカズラを編んでこども用の背負い籠を作ってやり、短い矢を入れてやるとすぐに背負い狩人気取りで家の中を歩き回った。
翌朝大智はこどもに「俺は狩りにいく、お前は家に居ろ」と言って背負い籠に必要な物を入れていると、こどもは自分も一緒に行くと手振りで示した。大智は難しい顔をしてしばらく考えていたが連れていくことにした。外に出ると、大智の格好を見ただけで理解した子狼たちが嬉し気に走り寄ってきた。滝経由で西の山の向こうに行く予定だが、このコースでは子狼たちを1頭づつ背負って梯子を登らなければならない。しかも今回からはこどもも居る。
梯子の下に行き背負い籠を降ろすとすぐに、子狼が1頭大智の背中に乗っかってきた。梯子を5往復すると大智はそれだけで疲れを感じ、滝の上で一休みした。ついでに川に居る水鳥を観察した。(まだいっぱい居るな。今日獲物が獲れなかったら明日はあの鳥を獲ろう)大智は籠を背負い、槍と斧を右手で持ち左手でこどもの手を握って川沿いの岩場を歩いた。その後竹林近くの竹の橋を渡り柿の木の所に行った。(新芽が出ているが接ぎ木や取り木はうまくいったのだろうか、、、)
柿の木の所には何度も行き来しているので踏み分け道ができているが、それより先は草ぼうぼうで歩き辛かったし前も良く見えなかった。しかし子狼たちは微かな獲物の匂いを嗅ぎ取ったようで急に止まって耳を立てた。それを見て大智はこどもと一緒にしゃがみ、槍と斧を置いて弓矢を取り出して耳をすませた。すると少し経ってから数頭の鹿の頭が草の上に見え隠れするようになった。距離約50メートル、遠すぎる。もっと近づかなければ。
大智は身をかがめたまま前に進もうとした。だがその時こどもが悲鳴を上げた。鹿は驚いて逃げていった。舌打ちしてこどもを見ると足指を蟻に噛まれていた。大智はすぐに蟻を払いのけ、近くに生えていたヨモギの新葉をちぎり取って、こどもの足の噛まれた所に擦りつけてやった。こどもは、鹿が逃げたので泣きそうな顔で大智の手を撫でた。大智はこどもを抱き上げ苦笑しながら言った「しかたない、こんな時もあるさ」それからこどもを降ろしてまた進んだ。
30分ほど歩くと窪地に着いた。この辺りはクヌギ等の大木があり日陰になっているせいか下草が少なく歩きやすかった。秋にはここのクヌギドングリもいっぱい拾って家に蓄えたが、熊の足跡も多かった所だ。しかし今は、子狼が大人しいので熊はいないようだ。子狼たちがいると熊や猪をすぐ見つけてくれるので、その点は助かっている。今も安心して歩いていると子狼たちが急に走り出した。獲物を見つけたらしい。大智もこどもの手を引いて速足で歩いた。
そうしているうちに大智の目に、70メートルほど先に数頭の猪がいて子狼たちが囲んで唸り声をあげているのが見えた。大智はこどもの手を離して走った。そして20メートルの所で槍と斧を置き矢を射た。矢は一番大きな猪の胸部に突き刺さりその場に倒れてもがいた。大智は槍を持って走り寄りとどめを刺した。そこへこどもも走って来て、自分の弓矢を突き上げて歓声をあげた。そのあどけない仕草に大智は吹き出しそうになったが抑えて、子狼たちを集めて頭を撫で「よくやった」と言って労をねぎらった。
大きな猪だった。とても持ち上げられなかったので斜面を転がり落とした。平地に着くとそり型の背負子で川原まで引きずって行った。そこで猪の腹を切り開き、内臓を子狼たちに食べさせた。肝臓も取り出して、薄切りにして塩をつけてこどもと一緒に食べた。その後少し休んでから、背負子ごと猪を浮かせて下流に運んだ。途中でクルミを拾ったり山芋を掘ったりしながらのんびり帰った。
家に着いたのは陽が少し傾いたころだった。さっそく外で焚火をし、猪を毛皮を剥さず、火で毛を燃やしてから解体した。一番美味い腹肉とあばら骨肉以外は大まかに切り分けてかまど上の棚に吊るした。(食いしん坊の子狼が4頭も居るが、肉がこれだけあれば1週間はもつだろう、、、そういえば去年の今ごろはイタドリと松の実ばかり食べてたな、、、久しぶりにイタドリを採ってくるか、、、夕食のデザート代わりに)
イタドリは丘から麓に降りる道沿いにもあり、大智は猪解体後、散歩がてらこどもと採りに行った。当然子狼たちもついてきた。イタドリはいたる所に生えていた。さっそく採って皮をむいて食べた。こどももイタドリを知っていたようで好きなのを取って食べている。しかし子狼たちはイタドリには全く関心を示さず、大智が「遊びに行け」と言うと4頭がすぐにじゃれ合いながら草原の中に走り込んだ。それを見送った後で大智とこどもはデザート用に数本採って家に帰った。
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このような暮らしを数年続けていたある日、こどもが妊娠したのを知った。壁の日記を見ると初潮から1年ほど経っている。肉やイモ類や海産物などバランスの良い食事をさせたせいか、こどもはこの数年で身長も伸びて大智の肩くらいになり、体型も丸みを帯びてすっかり女らしくなっていた。
日本語もかなり覚え日常会話ができるようになり、教えた二桁の掛け算割り算もできた。スマホもテレビもない長い夜は大智が、現代的な事も含めさまざまな事を話して聞かせ、いつの間にかこどもも興味深く聞くようになり、原始人とは思えないほど知識を身につけていた。本人も衛生管理に気を付けるようになって、よく手を洗うようにもなった。おかげでこの家に来て一度も病気らしい病気をしたことがなく健康的な生活を続けている。
妊娠したのをきっかけに、こどもの名を「もも」に変えた。するとももは「台地、ももってどういう意味なの」と聞いた。「ももというのは、この辺りにはないが俺の好きな美味しい果物の名だ。甘くて、、、お前の胸のように柔らかい」「へ~ぇ、そんな果物があるんだ。あたいの胸のように柔らかい、、、あたいも食べてみたいな」と言いながらももは貫頭衣の上から自分の胸を撫でている。恥じらいの欠片もないその仕草に大智は苦笑しながらも、股間が熱くなるのを感じていた。

数か月後、玉のような可愛い女の子が生まれた。さっそく大智は降っている雪を見て、女の子の名前をゆきとつけた。ゆきはももの滴り落ちるほどの母乳と、あく抜きしたドングリやクルミの粉のお粥のおかげですくすく成長し、1歳を過ぎるともう歩き出した。大智は生まれた時から日本語でゆきに話しかけて、ゆきの第一声が「お父さん」だったことに涙ぐんでいた。
それから数か月後二人目が生まれた。男の子だったので「つるぎ」と名づけた。この時もももに意味を聞かれた大智は「剣というのは男が戦う時に使う武器の名だ。つるぎには強くて優しい男になってほしいんだ」と説明した。
つるぎが1歳半くらいの時に次男、それから2年ほどして三男、さらに1年半くらいに次女が生まれた。母子ともども健康で順調に成長し、5人とも記憶力が良く大智の話を一度聞いただけで覚えた。背丈に合った弓矢や槍を作ってやり、小さい頃から使い方と危険性も教えた。野生動物同様、自然界では自分で獲物を獲って一人で生きていけるようになれと、そして兄弟は助け合って生きていけとも言いった。おかげで5人とも大智の願どおりに強くて優しい大人に成長した。
だが、一つ問題があった。それは結婚相手がいない事だった。ももがこの家に来た後、数年に一度くらいあの裸族と会ってはいたが、大智は我が子をあの裸族とは結婚させたくなかった。何故ならあの裸族の子どもたちは、大智の血縁者が多いので近親相姦になる危険性を心配したのだ。実際大智に似た子どもが数人いることに大智は気づいていた。だからあの裸族とは結婚させたくなかった。
大智は通訳できるようになったももを通して長老から、もっと南に行けば百人ほどの裸族がいると聞いていた。だがその裸族も移動しながら暮らしているので、うまく会えるかどうかは分からないと言う。とにかく大智は長男のつるぎと一緒にそこへ行ってみることにした。寒い冬に熊の毛皮の上着とズボンを履き、背負い籠に数日分の保存食と弓矢それに手には槍と斧を持って出発した。冬を選んだ理由は、保存食が腐敗しにくい事と、雪の上の足跡を見つけやすい為だった。
二人はただひたすら歩き続けた、そして4日目に多くの人の足跡を見つけた。その足跡は西の山に続いている。二人はその跡を逆に追うことにした。大智は追いながら小声で聞いた「つるぎ、足跡は何人分だ」つるぎは大智の見解と同じ事を言った「11人です、みんな男です、でも俺と同じくらいの歩幅です」大智はつるぎの観察力に満足しながらさらに聞いた「何故男だと分かる」「子どもや女よりも足跡が大きいです、それに槍の柄をついています。たぶん狩りにいく途中です」「良し、よく見た」
二人は跡を追って松林に入った。理由は分からないが裸族は松林で寝泊まりしている。その松林でも残った裸族がいるかもしれない。二人は辺りを警戒しながら進んだ。やがて一際大きな松の木の周りに、数十人の女や子どもがいて雪をかき分けて、たぶん松の実を拾っているのが見えてきた。二人は木の陰に隠れて一休みしながら軽い食事をした。それからどうやって近づくかを相談した。
「干し肉と炒った椎の実しかない、手土産がなにもない、、、どうする」「俺たちも山に入って獲物を獲りましょう」「うむ、そうするしかないな。幸いまだ陽が高い、行くか」二人はそこから西の山に向かった。少し行くと松林を出た。そこからは雪原に岩が飛び出していたり、ところどころ草が生えているガレ場が見えた。「こういう所は雪に隠れている岩の割れ目に足を捕られたりして危険だ。それを知っているから裸族たちも遠回りして向こうから山に入ったんだろう。どうする」
「裸族が通らないなら獲物たちは安心して暮らしているかもしれません。それに俺たちは裸族と違って皮靴の上に分厚い草鞋を履いていますから怪我をしにくいでしょう。俺たちはここを通って山に入りましょう」大智はつるぎの意見を採用することにした。しかしそのガレ場は想像した以上に歩きずらかった。ちょっと気を抜くと石と石の間に足を突っ込み捻挫しそうだった。せめて雪が無ければと思ったが後の祭り、今さら引き返せない。二人は悪戦苦闘しながらも何とか無事に山の麓にたどり着いた。
そこで一休みしながら振り返って、今歩いてきた足跡を見た。大智が先に歩き、危険な所は雪を左右に払いのけて目印にし、つるぎに知らせた。そのせいかつるぎは大智ほど疲れていないように見えた。「これでは裸足で歩く裸族には無理だな。雪靴のように厚くて大きい草鞋を履いてきて正解だった」つるぎは大智に追いついて言った「はい俺もそう思います。父さんが作ってくれたこの草鞋のおかげでここを通れました」「よし、では山に入るか」「はい」
今度はつるぎが先になって斜面を登り始めた。斜面の方が雪が少なくて歩きやすかった。30分ほど登ると斜面の勾配が緩やかになり、数十センチ幅の小川が進行方向に交わるように流れていた。不意につるぎが立ち止まり身をかがめた。小川の下流に竹藪があり、その向こうに5~6頭の猪が土を掘り返しながら何かを食べている。二人はそっと竹藪の所に行った。「お前は2番目を狙え、ワシは一番大きなのを射る、同時に射れ」
二人は同時に射た。矢は2頭の胸部に突き刺ささり猪はその場に倒れた。二人は走って行ってとどめを刺した。それから大智はもしやと思い、猪が掘っていた所を調べてみた。思った通りここにも山芋があった。二人は喜んで大きな山芋を掘って5本づつ籠に入れた。「これだけあれば手土産は十分だ、、、問題はあのガレ場をどうやって2頭の猪を運ぶかだな。つるぎ、何か妙案はないか」と大智は聞いた。
「斜面は転げ落しましょう。ガレ場は竹でそりを作って引っ張って行きましょう。危ない所は滝の上の岩場のように竹を渡して、その上を滑らせて行けば良いと思います」「良し、それで良い」つるぎが自分と全く同じ事を考えたことに大智は満足した。二人はさっそく竹を切り、カズラを取ってきてそりを作った。それ以外に長い竹3本を切って斜面下に落とした。
猪や竹を落としながら麓に降りると、そこで竹3本に横木を取り付けカズラで縛り付けた。それをガレ場の危険な所に置いて、その上を2頭の猪を乗せたそりを滑らせて楽にガレ場を通過できた。ガレ場を過ぎた所で大智は言った。「頭を使えばこんなに楽に運べる。困った時や問題が起きた時は、どうすれば良いかよく考えることだ」「はい分かりました」その後二人はそりを引っ張って裸族の所に行った。
熊の毛皮に包まれた二人の男が、見たこともないそりの上に2頭の猪を乗せて、松の木の根本に来たのを、裸族の女や子どもたちは遠巻きにしてこわごわと見ていた。しかし二人は、来る途中で話し合った通り、裸族たちを無視して焚火をし、猪の毛を燃やしてから解体を始めた。すると空腹だったのか裸族たちは恐る恐る近づいてきた。それでも二人は無視して割竹を肉片に刺して焼き始めた。
良い匂いが漂いだすと我慢できなくなったのか裸族たちは、もう手が届きそうな所まで来ていた。二人は焼けた肉片を、割竹を刺したまま小さい子どもから順番に手渡していった。すぐに肉が焼けるのが間に合わなくなった。二人は大人の女たちに、手振り身振りで肉に割竹を刺すのを手伝わせた。そうしながらつまみ食いをして見せ、女たちにもつまみ食いをさせた。わざと肉片でやけどした風を見せ笑いを誘ったりした。みんなが満腹になったころには、裸族の女たちは二人に対する警戒心が完全になくなっていた。
夕陽が西の山に隠れたころ男たちが帰ってきた。獲物が獲れず苦渋に満ちた顔で、、、。空腹で機嫌も悪かったのだろう。男の中の1人がいきなり槍をつるぎに向けて奇声を上げながら突き出した。しかし、つるぎは余裕でその槍をかわして奪い取り、反転させて穂先を裸族の眼前に向けて止めた。つるぎの一瞬の動作にその裸族は驚愕して尻もちをついた。その時、長老らしき男がつるぎの前に来て、自分の槍を脇に置きつるぎの手を撫でた。つるぎも槍を置き長老の手を撫でて笑った。
長老も笑うと、静まり返って見守っていた周りの裸族が一斉に歓声をあげた。頃合いを見て大智が長老に、焼けた肉片を手渡し食べるように手振りで示した。長老はすぐにかぶりつき、周りの男たちにも進めた。やがて満腹になったのか長老は笑顔で大智に話しかけてきた「どこから来た、何をしに来た」。ももに教わり少しだが裸族の言葉が話せる大智はつるぎを指差して「息子の嫁を探しに北から来た」と正直に言った。
「ほう嫁探しか、ここにいる未婚のおなごなら何人でも連れて行くが良い。猪2頭もくれたのだ喜んでおなごを進呈する」大智は長老の手を撫でてから言った「ありがたい、だがワシには息子が3人娘が2人いるので、若い男と男の子と、女の子が3人欲しいのだ」「なに5人か、しかも若い男と男の子、、、おなごなら何人でも良いが、、、」長老が渋るのを(まあ当然だな)と思いながら大智はつるぎに言った「お前の弓の腕を見せてやれ、あの松ぼっくりを射落とせ」
つるぎは素早く立ち上がり、松の根本に置いていた籠から弓矢を取り出して、10メートルほど先の松ぼっくりを射落とし、矢は数十メートル先に落下した。途端にどよめきが起きた。すかさず大智は大声で言った「ワシの娘婿には弓矢を与え、息子以上の腕前にする。娘婿になりたい男はいないか」すぐに数人の若い男が立ち上がって言った「俺がなる」「いや俺だ」「俺だ、俺だ、俺を連れていってくれ」
長老が若い男どもを静めて言った「静まれ、、、お前らはここのおなごや子どもを飢え死にさせるつもりか。若い男が何人も居なくなったら、誰がここで獲物を獲る」それから大智に向かって言った「若い男は一人だけ選んでくれ。それと残りの者に弓を教えてくれ。槍だけでは獲物が獲れなくなったのだ」「分かりました。明日弓を作って教えましょう」途端に若い男たちから歓声があがった。
その夜、焚火の傍でウトウトしていたつるぎの手が引かれた。つるぎが驚いて引かれた方を見ると若い女が切なさそうな目でつるぎを見ていた。その時、大智の低い声が聞こえた「一緒に行け、良い経験になる」つるぎがついて行った数分後、大智も手を引かれた。疲れて眠かったが睡眠欲よりもその欲望の方が強かった大智もついて行った。親子ともども情熱的な夜を過ごした。
翌日二人は、数人の裸族の若者を連れてガレ場に行った。危険な所は置いてあった竹を橋のように使って難なく山の麓に着いた。若者たちは、3本の竹だけでいともたやすくガレ場を通れたことに目を丸くして言った「こんな事なら次からはここを通ろう」大智は頷いてから言った「問題をどう解決したら良いかいつも考えると良い」しかし言葉とは裏腹に内心は(まあ裸族に考えろと言っても無理な話だ、なにせ竹を切る斧さえも持っていないのだからな)
一行は斜面を登り竹藪の所に行った。2年物の硬い竹を2本切りながら大智は「弓を作るなら新しい竹はだめだ。古くて硬い竹が良い」と若者たちに教えた。若者たちは納得したのか頷いた。大智は竹を斜面下に落としてから矢にする細い竹をさがした。しかしその竹藪にはなかったので他を探しに行った。途中で10頭ほどの狼の群れを見つけた。幸いこちらが風下だったようで狼には気づかれていない。狼に関わりたくない大智はその場を去ろうとした。
しかし若者たちは槍を構えて突進し、10メートルほどに近づいて一斉に槍を投げた。槍は1本も当たらず狼はみな逃げていった。それを見て大智は思った(なるほど、槍での狩りは効率が悪いな。それに危険だ。今は狼が逃げていったから良かったものの、反撃されたら武器のない裸族は反対に食い殺されてしまう、、、裸族に男が少ないのは、狩りに失敗して殺されたのかも知れない。狩りは弓矢の方がはるかに良い)
数百メートル先の窪地に細い竹があったので、そこで数十本切って束にして一行は帰路に就いた。麓に着くとそこからは大竹を引きずって松の根の所に帰った。さっそく大竹を弓の長さに切り縦割りにして弓の材料を作った。長老をはじめ裸族みんんが集まってきて眺めていた。大智とつるぎは、自分が作るだけでなく若者たちに教えながら作らせた。そうしながら大智は娘婿にふさわしい者を探した。
弓が出来上がると次は矢を作らなければならない。矢じりと鳥の羽が必要で、鳥は松の木の枝にとまっていた名も知らぬ鳥を、大智が射落としたので手に入ったが、問題は矢じりだ。大智が岩を割ってその破片を、岩の表面で磨いて若者たちに見せたが、先端を鋭く尖らせるには数日かかるので、それは自分たちでやらせる事にして、とりあえず矢じりのない矢で、10メートルほど先の松の木を的にして練習させた。
若者たちの練習を見ながら大智とつるぎは日本語で話し合った。「父さん、あの男は覚えるのが早い」「うん、そうだな、ワシもそう思って見ている、、、ゆきの婿はあの男にするか、、、ところでお前の嫁は決まったか」「いえ、まだ」「つるぎ、昨夜の相手はだめだぞ。嫁にするのは少女が良い。言葉も教えなければならんし、家で布織などもおぼえさせないといけないから、子どもの方が良いのだ。大人の女では覚えきれないからな。母さんも10歳くらいで家にきた。お前もそれくらいの女の子を選べ」「はい」
二人にとってその日の夜も情熱的だった。それは裸族には当然の行為らしかった。そうする事で遠くの人の子を産み、生存能力を高められると本能的に知っているようだった。だが二人には刺激が強すぎた。つるぎは一生ここに居たいとさえ思った。(ここは天国だ。いろいろな女とナニできるし、ここに居たら俺は英雄のように扱われる。しかしここに居る為には獲物を獲ってこなければならない。女たちを飢えさせてはいけないんだ、、、)
翌朝二人は狩りに一緒に行ってくれと誘われた。二人は快諾してその準備をし、この間作ったそりも引いて行った。あのガレ場を通って山の斜面を登り、竹藪のさらに上に行った。そこはかなり広い平坦な雑木林があり、100メートルほど先に鹿の群れが見えた。一行は気づかれないように身を低くして近づいた。そして群れから20メートルほど手前の木陰に隠れ弓矢を取り出し、大智とつるぎが同時に射た。矢は2頭の腹部と胸部に突き刺さって倒れた。他の鹿は驚いて逃げた。
二人はすぐに走って行って槍でとどめを刺した。ちょっと遅れて走ってきた裸族の若者たちは興奮し、槍を突き上げて歓声をあげた。そして若者たちは目を輝かせて弓矢の威力を称賛した。若者の一人が言った「投げ槍が届かない所からでも倒せる、弓矢は本当に凄い。俺も早く覚えたい」「練習次第だ、練習すれば誰だって上手くなる。それと良い矢じりを作る事だ」と大智は、鹿から抜き取った矢の矢じりを見せながら言った。
その後さらに先に行こうとする若者たちを制して大智が言った「鹿2頭なら4~5日食べられる。獲物を獲り過ぎるとすぐに居なくなるから、今日はこれで帰ろう」若者たちは大智の言葉に素直に従って、鹿をそりに乗せ数人で代わる代わる引いて行った。斜面では猪はいつも転げ落とすが、鹿は毛皮を傷つけないように、そりを逆向きにして少しずつ下げていった。ガレ場でも竹の上をそりで滑らせれば楽に運べることを一人づつに体験させた。
松の木の所へ帰り着くと、鹿2頭を獲ってこんなに早く帰ってきた事に長老は驚嘆して言った。「あんたは狩りの神様だ、ずっとここに居てくれ」大智は苦笑しながら言った「妻子が首を長くして待っている。婿や女を連れて一日も早く帰らなければならんのだ」「、、、う~む、そうか、、、では居る間にできるだけ多くのことを若いのに教えてくれ」「承知した」
その後大智はつるぎに、貝ナイフで毛皮を剥がす方法を若者たちに教えるように言ってから子どもたちの所へ行った。そして少し離れた所に座って葦笛で簡単な曲を演奏して聞かせた。するとすぐに子どもたちが好奇心で目を輝かせて集まってきた。一曲終わると熊の毛皮の内ポケットから同じ葦笛を取り出して、その中では一番年上らしい少女に手渡し、笛の吹き方や指の使い方を教えた。何度も繰り返して教えると少女は30分ほどで一曲演奏できるようになった。
すると大智は2番目の少女に笛を与えて同じように教えた。2番目の少女も30分ほどで覚えた。3番目の少女は20分ほどで覚えた。大智はそうやって少女の能力や性格を調べながら息子たちの嫁候補と一番下の娘の婿候補者を選んだ。そして候補者が決まると、つるぎを呼んできて日本語で話した「つるぎ、お前の嫁候補はこの少女だがどう思う」「え、嫁候補、、、こんなに幼いのに」「前にも言っただろう。嫁は家に連れ帰ってから教えないといけない事がいっぱいあるから幼い少女の方が良いと」
「しかしこんなに幼い子ではナニもできない」「ハハハやっぱりお前も、ここの夜の女に骨抜きにされたな。だがなつるぎ、嫁にする女と夜の女を同じに考えてはだめだ。嫁は子を産み育て、さまざまな知識を学ばねばならん。だからそれなりに勤勉な子でないとだめなのだ。一方夜の女はその場限りの快楽を与えてくれるだけでよい。それにこの子だって数年経てばナニできるようになる。ナニを一から教えるのも楽しいものだぞ」「分かりました、父さんの言う通りにします」つるぎは顔を赤らめながらも頷いた。
大智はその夜、鹿の焼肉を食べながら長老に言った「あの若者とあの女の子たち3人と隣の男の子を連れて行きたい」長老は驚いて言った「あの若いのか、、、まあ良いだろう、、、だが女は、あんな子どもで良いのか、若い女は要らないのか」「はい、嫁にするには子どもの時から教えねばならん事がいっぱいあるので、それに息子たちもまだ17,15,13歳なので、あの女の子たちでちょうど良いのです」
「なに、あの息子はまだ17歳なのか。逞しくて立派な体格だし二十歳は過ぎていると思ったが、、、いったい何を食べさせたらあんなに良い体格になるのか、、、教えてくれ」「簡単です、餓えさせず肉や魚、それにクルミ等の木の実を食べさせると良いのです」「う~む、なるほど、、、だが餓えさせないというのが一番難しい、、、それに魚も食べると言ったが、どうやって魚を獲るのだ」大智は魚獲籠について話した。すると長老は魚獲籠にとても関心を示し「ここにいる間に是非とも魚獲籠を作ってくれ」と懇願された。
大智は快諾し、翌日魚獲籠を二つ作った。それから細いカズラを三つ編みにして長い綱を作り、準備を終えると長老や若者たち、いやほぼ全員で海に行った。松の木の所から歩いて1時間半くらいで海についた。幸い干潮でフジツボやカキが獲れ、ついでにサザエやアワビも獲れて浜辺で焼いて食べさせると、長老は感激して大智の手を撫でながら言った「ワシは今までこんな美味い物を知らずにいた。無知は損をするな、、、物知りのあんたに会えて良かった」
満ち潮になると、フジツボやカキを石で潰して魚獲籠に入れて海に沈め、1時間ほどで引き上げた。ここでも大きなカワハギやベラがいっぱい獲れて、長老や若者は瞠目して喜んだ。大智とつるぎは魚を三枚におろし割竹を刺して干し、残った頭や皮や骨を潰して魚獲籠に入れて沈めた。つるぎは待ち時間に、大きな貝殻を磨き竹で柄を付けて貝ナイフを作って見せ、女たち全員の人気者になった。つるぎは恐らく今夜も眠らせてもらえないだろう。
二度目を上げると大きなタコが3匹とカサゴが1匹入っていた。大智はタコを槍で突き殺して取り出して、足を切り離し海水できれいに洗い焼いて長老たちに食べさせた。長老はまた大智の手を撫でながら言った「これは鹿肉よりも美味い。毎日でも食べたい」「タコは洗って良く乾かせば2週間は腐らない。焼いて食べると美味い。それと魚獲籠に入れる餌によって獲れるものが違うから、タコを獲りたい時は、魚の頭などを潰して入れると良いのだ」
「そうか、あんたは本当に物知りだ、ここにずっと居て欲しいが、、、おい若者たちよ、この人から多くを学べ。いろいろ知れば知るほど得をするぞ」若者たちも目を輝かせて頷いた。
海ではサザエやアワビそれに魚やタコもいっぱい獲れて裸族全員が満腹になった上に、魚片が背負い籠に入らないほどできた。その時、大智は気づいた(裸族は物を運ぶ籠さえ持っていないのか、、、帰りにカズラを取って置き土産を作ってやろう)それをつるぎに話すと「分かりました帰りに若者たちと取ります」と言い貝ナイフ等を用意した。
夕方松の木の所に帰ってくると大智とつるぎは焚火の脇で、さっそく背負い籠を作り始めた。するとすぐにみんなが集まってきた。背負い籠が出来上がると先ず婿になる若者に進呈した。それから他の若者たちにも作ってやるとみんな大喜びした。大智は細いカズラで小さなハンドバッグを作って、家に連れ帰る三人の少女と男の子にやった。他の少女たちが羨ましそうに見ていたので作り方を教えて自分で作らせた。すると女たちも先を争ってカズラを取って作り始めた。大智とつるぎは満足して最後の夜を迎えた。
翌朝7人は長老はじめ裸族たちに別れを惜しまれながら松の木の所を去った。つるぎと長女ゆきの婿が先頭を歩き、次に男の子と少女三人が一列に並んで最後に大智が続いた。(無事5人をもらえたが、家までの4日間、男の子や少女たちが歩きとおせるかな、、、最悪の場合背負って行くしかないが、、、あと天気が、去年までの日記ではこのころが一番晴天が続くから来たが、帰るまでもつかな、、、)
だが大智の心配は稀有に終わった。寒かったがずっと晴天が続き、また男の子や少女たちは想像以上に健脚で無事家に着いた。そして母さんたちの歓喜した出迎えをうけた。大智の子どもたちは互いの相手と対面しすぐに仲良くなった。家での初めての夕食時に大智は5人に言った。
「将来夫婦になる二人はいつも一緒に居て仲良く過ごし、とにかく一日も早く日本語を覚えることだ。そして生きて行く為に必要な知識や技術を身につけるのだ。分からない事があったら先ず配偶者に聞いて、配偶者が分からない時は父さんや母さんに聞きなさい。それから、ゆき夫婦とつるぎ夫婦は明日から家を作りなさい。小さい子は母さんと家の中で勉強や糸紬をしなさい」
翌日から二組の夫婦は、石垣の南側に5メートル✕10メートル家2軒分の石垣を作り始めた。狩りや魚獲りに行く時は婿とつるぎが大智と一緒に行ったが、それ以外は二組の夫婦が助け合って石垣を築いた。石垣には2箇所出入口を作り、木材で戸を作った。その後、今までの南側の石垣に出入口を作り、今の家と石垣で囲われた中を行き来できるようにした。それから男三人で、西の山の斜面から檜や杉を切り出してきて柱や梁を作った。
毎夜の12人揃っての夕食時大智は言った「明日は棟上げだ。20数年前にこの家を建てた時は、父さんが一人で苦労して柱の上に梁をあげた。だが明日の棟上げは男手が3人も4人もいる、、、ケガをしないように気をつけてやればうまくいく」「え、この家は父さんが一人で建てたの、母さんは手伝わなかったの」「母さんと一緒になったのはこの家ができた翌年だ。だからそれまでは何でも一人で作ったのだ、家も土器も水樋も全て」「へー、そうだったんだ」と本当に驚いた顔で二郎が言った。
「母さんとここで暮らすようになるまでは、父さんは一人で何でも作った。作らないと安心して暮らせなかったからだ。ここに来る前は岩山の洞窟にいたが、当時は夜通し火を炊いて警戒し眠れなかった。ここに苦労して石垣を作ったおかげで、熊や狼が来ても中には入れないから安心して眠れた。だがこの石垣ができても、滝まで水を汲みに行く時でさえ槍を手放せなかった、いつ熊や狼に襲われるか分からなかったからな。だから家の中で水を使えるように水樋も作った。
土器の鍋を作ったおかげで水を沸かして安全な湯冷ましを飲めるようになったから、下痢をしなくなったし、そのままでは食べられないドングリを湯がいてあく抜きして食べれるようになったから保存食を増やせた。おかげで今のように5人増えても食料が足りている。安心して生きれる、快適に生きれる為に必要な物は何でも作った方が良い。苦労して家を作るのも、安心して快適な暮らしをする為だ。一日も早く、ゆきと婿の家つるぎと来夢(ライム)の家を作れ」
大智のこの檄の効果か、翌日一日で柱と梁ができた。次の日は茅の屋根を作るのだが、茅はいままでにいっぱい採って乾かしてあったので、家族総出で割竹に縛り付けていった。そしてそれも一日で終わった。それを見て大智は思った(人数が多いとさすがに早いな、嬉しい事だ、、、あとは垂木を取り付けて茅を乗せれば良い。数日後に屋根が完成だな、、、2軒を仕切る壁は土壁で良いだろう、、、そうだ暖炉も作らなくては、、、そうなると土管が要るな。先に作って乾かしておくか)
翌日は女たちにを休ませて男手だけで、丘の麓で土管を作って干した。ゆきの婿は初めての土器作りで、粘土が形ある物に変わっていくのを興奮して見ていた。土管作りが終わると葦の群生の中に作った竹の桟橋に行き、糸を付けた矢で水鳥を射て3羽を持って帰った。婿は簡単に水鳥が獲れたことにも驚いて「俺も早く弓の腕を上げたい」と言った。「弓の腕を上げるのも大事だが、良い矢じりを作るのも大事だ。それと獲物によって矢じりを変える事も覚えた方が良い」と大智は笑顔で言った。
婿もここに来ていろいろな事ができるようになり、日本語も上達した。ゆきがつきっきりで教えているのだから当然ではあるが。日本語といえば、つるぎの嫁のライムも覚えるのが早かった。やはり子どもは覚えるのが早いと思ったら、二郎や三郎の嫁はまだあまり上達していなかった。(幼すぎて学ぶことの喜びが分かっていないせいかもしれない。それとも遊びに夢中で、それ以外の単語を聞く機会が少ないのかもしれないな)
そう思った大智は、毎夜夕食後に二郎含め6人を集めて昔話等を話して聞かせた。その時、分からない日本語があるとすぐに質問させ、それを教えながら話した。最初は分からない単語が多くてつまらなさそうだったが、2か月も過ぎると話を夢中になって聞くようになった。やがて話の内容が昔話から、地球や宇宙の事など科学的な話になると、つるぎや他の者がみな聞くようになった。テレビやユーチューブ動画等の娯楽がなかったせいか、大智の話は唯一最高の興奮する物語だったのだ。
「良い機会だから今夜は潮の満ち引きについて話そう。母さんやつるぎには以前話したと思うが、二郎は海の潮が何故増えたり減ったりするか分かるか」「分かりません」「では地球と月と太陽については分かるな。今みんなが居るここが地球だが、この地球の周りを月が回っている。そして太陽も地球の周りを回っているように見えるが本当は地球が太陽の周りを回っているのだ」「え、でも太陽は朝東の海から出て西の山に隠れます。だから太陽が地球の上を回っているのではないのですか」
大智は松脂のロウソクと里芋と椎の実を持ってきて説明した「太陽は物凄く大きいが、地球から物凄く遠くにあるから月と同じくらいの大きさにしか見えない。仮にこのロウソクの炎を太陽とすると、地球はこの炎の周りを1年かけて1回回っている。で、この月は地球の周りを回っているが、その前に何故太陽や月が東から登って西に沈むように見えるかを説明しょう。それは実は地球自体が1日に1回回っているからだ。これを地球の自転と言うが、ちょっとこの里芋を見てごらん、ロウソク側は明るいが反対側は暗いだろう。この明るい方が昼で、暗い方が夜をなのだ、、、」
このような話を毎夜していると、子どもたちは何にでも興味を持つようになり、分からない事を分かるようになりたいと思って、考え学ぼうとするようになる。その結果勤勉で知識豊富な若者になっていった。また大智は、知識を得させるだけでなく、自分で体験させる事も重視して、石斧や石錐を各自に作らせたりした。大智のその教えを一番貪欲に学んだのがゆきの婿だった。婿は1年も経たずに知識的にはつるぎに追いついたのだった。
そうこうしているうちに二組夫婦の家ができた。古い家に近い方にゆき夫婦、その向こうの家につるぎ夫婦が住む事になったが、南面の仕切り土壁には出入口があり、開き戸を開ければ石垣内で行き来ができた。また土壁で仕切られた寝室にも出入口があり、その戸には内側にかんぬきを取り付けた。若い夫婦への大智の粋な心づかいだったが、婿はそのかんぬきの仕組みにも驚いていた。(まあ今まで家に住むことさえなかったのだから無理もない)と大智は思った。
数日後登り窯で土管を焼き、それが冷えると寝室に暖炉を作った。それからベットやテーブルや椅子を作ると新婚夫婦の部屋らしくなって4人は大喜びした。その後は当然、二組の夫婦は自分たちの部屋で過ごすことが多くなったが、朝夕の食事時や狩りにいく時などはすぐに大智の元へ集まってきた。家族が増えて狩りや魚獲りに行く回数も増えても、獲物や魚はまだまだいっぱい獲れて、誰一人餓えることはなく幸せな日々が続いていた。
(土器さえもまだないこの時代に生まれた者にとって、水瓶や鍋や自分たちの家さえある、ここでの暮らしは天国のようなものだろう。だが21世紀に生まれ育った俺にとっては、これでもまだ不便でしょうがないのだ、、、)大智はまだまだ欲しい物がいっぱいあった。その中で一番欲しい物は鉄だった。鉄製の斧やナイフや針それにノコギリが欲しかった。(だが鉄を作るには砂鉄が要る、良質な炭が要る、ふいごが要る、、、それ以外にも釉薬が欲しい、綿が欲しい、稲が欲しい、、、それらを探しに行きたい、、、そうだ手始めに葦舟を作って川向こうに行ってみよう)
大智は翌日から葦を束ねて葦舟を作った。束ねた葦に割竹を通して弓型にし、弦のように割竹の両端をカズラで縛って舟の形にして、隙間がないように葦束を何層にも重ねて縛った。完成して浮かせてみると全く問題なかったので、大智はつるぎと一緒に狩りにいく準備をして、その上に櫂(かい)を持って乗ってみた。水がしみこんでくる気配はない。二人は対岸に向けて漕ぎだした。数分で対岸に着き、念の為に舟をひっくり返して川岸に干しておいた。
対岸は思った通り湿地帯が広がっていた。いたる所に水鳥の巣があり、卵を温めているのか1メートルほどに近づくまで逃げようとしなかった。「これじゃあ獲り放題だな」と大智は笑いながら言った。つるぎも嬉しそうに笑って言った「帰りに獲りましょう」二人は湿地帯を避け、まだらに草が生えている砂利の上を歩いて北の山の麓まで行った。この山も垂直に近い傾斜の岩山だが、100メートルほど上からは原生林になっていた。
二人は先ず麓を東に進んで海岸に行った。そこは砂利の川原はわずか数メートルですぐに岩山になっていた。二人は引き返して麓を岩山に沿って歩いた。丘の上からは見えなかったが、この北の山には北西の方から広い川が流れていて、上流の方は二つの山に挟まれた深い谷川になっているようだった。二人はその谷川の出口まで行ってみた。そこの大きな岩の上に登って見ると、谷川は驚くほどの急流だがそこより下流は川幅が扇を広げたように広くなり緩やかな流れになっているのが分かった。
大智はつるぎに言った「こういう地形を扇状地と言うのだ、川によってできた地形だ」「扇状地ですか」「そうだ扇を広げたような形になっているだろう。まあ西側の岩山の方は際まで川になっているから扇を半分だけ広げたように見えるが、こちら側の岩山がここで終わって川原になっている。川原に流れている水は急に緩やかになり、谷川から運んできた土砂等が堆積されて広がり、ますます流れが緩やかになっていく。滝のある川との合流地点辺りはさらに緩やかで淀んでいるようにさえ見える。珍しい地形だ」「へぇ、そうなんですか、、、」
「さて、これからどうする、父さんはこの山を登ってみたいが、、、急な岩山だな、ん、つるぎ見てみろ、谷川の右側の岩は階段状になっているぞ。そうか水量の多い時に削られたんだな。ということはあの高さまで水流があったということだ。谷幅が狭いとはいえ凄い水量だ。ここより50メートルは高いぞ、、、だがそれは、、、ワシがここに住んでからそんなに雨量が多かったことはないから、恐らく何万年も前の出来事だろう、、、」
その時、大智はふと思った(そして3万年後、俺が生まれ育った2025年ころには、ここは海の底、谷川は深く切り込んだ断崖の海岸か、、、そんな地形の海岸が台湾に、、、台湾の地図で確か花蓮の北の方で見たような、、、いつどこでそんな地図を、、、くそ、思い出せない、、、)「父さん、どうしたの、顔色が悪いよ」つるぎの声で我に返った大智は「何でもない、、、それよりこの岩山、登れそうな所がないな、引き返すか」と言って岩から降りた。
二人は谷川の出口から川に沿って砂利の川原を歩いた。ところどころに草が生えている程度で歩きやすかった。歩いていて大智は黒っぽい砂が多いことに気づいて手に取って見た。(もしかして砂鉄では、、、)それから振り向いて谷川の方を見た(この岩山は花崗岩だ、、、花崗岩の中に砂鉄が、、、そう言えばたたら製鉄の原料の砂鉄は花崗岩から採れたと、、、花崗岩の岩肌が川の水で削られて流され、流れが緩やかになった扇状地に堆積した可能性があるな、、、磁石があれば簡単に調べられるのだが、、、)
大智がまた振り返ってつるぎを見ると、つるぎは不思議そうな顔で大智を見て言った「どうしたの父さん、今日の父さん、なんか変だよ」「ハハハ心配するな、ちょっと考え事をしていただけだ、さあ行こう」そこからさらに1キロほど川に沿って歩いて行くと湿地帯になった。湿地帯を歩きたくなかった二人は、北の山の麓の方へ向きを変えて歩き出した。そして少し行くと2メートル近い背丈の雑草の中に、米粒よりも小さい茶色い実が塊になってできているのを見つけた。
大智はその実を取って食べてみた。かすかに甘みがあり食べれた。(何かの雑穀だろうか、採っていこう、、、稲があれば一番良いのだがな、雑穀でも無いよりは良いか、、、)大きな穂をちぎり取ろうとすると実がバラバラと落ちてしまった。大智は松の実を入れる鹿の皮袋を取り出して、その中に穂を入れて揺すり実を貯めた。つるぎが言った「父さん、それは何ですか」「ワシも名前は知らんが食べられる穀物らしい。試しに持って帰って蒸かして食べてみたいのだ」「穀物って何ですか」
「そうか、お前はまだ米も穀物も見たことがないのだったな。穀物は保存ができて良い食べ物で、特に米は美味しい上に収穫量が多くて主食に最適な植物の実なのだよ。だがこの辺りには無いいようだ。これも穀物の一種らしいから調べてみたいのだ」「、、、」その時、どこからともなく鷲が飛んできて、近くで卵を温めていた水鳥を鷲づかみにして飛び去っていった。鷲に捕まった水鳥は悲鳴をあげていたが他の水鳥は何事もなかったようにうずくまっていた。
大智は穀物を袋いっぱいにすると紐で口を閉めて、背負い籠に入れてからなおも辺りを見回した。その穀物は辺り一面に生えていたが、稲は見当たらなかった。(今は春だ、稲があっても枯れてしまっているのだろう。だがこの穀物は穂をつけたままでも越冬できるようだ。もしかしたら寒さに強い稗かもしれない。なんにしても穀物なら貴重な食料になる。これを食べてみて美味いようだったら、明日にでも皆で採りに来よう)二人は葦舟の所まで帰ってくると水鳥4羽と水鳥が温めていた卵を獲って帰った。
持ち帰った穀物は蒸かして食べると美味かったし、腹痛になった者もいなかったので、翌日大人全員で皮袋や大きな瓶を持って、しかし念の為三人づつ葦舟に乗って対岸に渡り穀物を採りに行った。瓶と皮袋にいっぱい採っても、穀物の穂は半分以上残っていた。(凄い穀物の量だ、、、去年の実だろうから何割かは地面に落ちているだろうが、それでもこれだけの量がある。うまく栽培すれば家族の主食にできるかもしれない)と大智は喜んだ。
葦舟を作って対岸に行けるようになった事は、新たな採集場所や猟場ができた事に加えて、海にも行けるようになったという大きなメリットがあった。干潮時にフジツボやカキを採ってさえいれば満潮を待たずに干潮時でも、沖合で魚獲籠を沈める事ができた。しかも獲った魚を葦舟で丘の麓の桟橋まで運べるようになった。同時に塩にする海水も運べた。ただ一艘の葦舟のおかげで、さらに便利で楽に暮らせるようになったのだ。
大智は葦舟を大切にし、使わない時は陸揚げしてひっくり返して干しておいた。また葦の群生地に水鳥を射る為に作っていた桟橋を、改修増築して葦舟が接岸できるようにした。それから麓から丘の上に上がる為の階段も改修し、階段横に線路のように竹を2本敷いて、その上をそりを滑らせて運べるようにした。そのそりに三つ編みしたカズラの長いロープを結んで、丘の上から引っ張り上げれるようにもした。そうやって新しい物を作る度に、家族は驚嘆し大智に対する家族の尊敬と信頼は高まるばかりだった。
しかしそれでも大智はまだ満たされなかった。(鉄があればな、ノコギリや大きな斧を作って、それを使って木造船を作るのにな、、、葦舟ではいつ浸水するか怖くて長時間乗っていられない、、、それとも丸木舟を造るか。丸木舟でも東南アジアのようにアウトリガーをつければ転覆しにくくなり、遠洋航海さえもできたらしい、、、丸木舟か、、、丸木舟を造れるような大木があったかな、、、そうか大木でなくても中くらいの丸木舟を二艘三艘と横に繋ぎ合わせれば転覆しにくい舟が造れるはずだ)
大智は、西の山の東側斜面に生えている木の中では一番大きな、根元の直径1メートルほどの杉の木を切ることにした。ゆきの婿やつるぎと代わる代わる石斧を振るって2週間ほどで切り倒した。杉の木は斜面を滑り落ち麓の草原で止まった。その場で枝を切り落とし、長さ13メートルほどの幹を半分ほどの所で切って二艘造ることにした。幹の先の方の木から先に作ることにして家の近くに運ぼうとしたが、家族全員でも動かせずやむなくそこに屋根を作り、そこで木をくり抜くことにした。
幹の両端から1.5メートルくらいの2箇所を幅10センチほど残してそこ以外をくり抜く計画だが、木材を無駄なく使いたくて、舟の上部になる部分はくり抜かず、梁を作った時と同じように縦割りにして剥がす事にした。斧で割れ目を入れそこに石の楔を打ち込みながら割れ目を伸ばしていって二日で1箇所(厚さ約15センチ幅約60センチ長さ1.5メートル)を剥ぎ取った。それから厚さ約10センチでもう1枚剥がし取った。同じようにしてもう一方の1.5メートルの所と3メートルの所も剥がし取った。
大智としてはできるだけ剥がし取って板材として使いたかったが、舟の側面として残さないといけないのでそれ以上剥がし取れなかった。しかたなく、舟の側面から内側は斧で叩き切ったり、側面内で火を炊いて内側を炭化させながらくり抜いていった。時々狩りや魚獲りに行きながらも、2ヶ月ほどで一艘をくり抜いた。それから家族全員でひっくり返して舟の側面の木の皮を取り除いたり、船首や船尾の不要部分を切り取って舟らしい形にした。
舟をひっくり返したまま家族全員で持ち上げてみると何とか持ち上がったが、川まで1キロほどの距離を運ぶ事を考えて、船底や側面をもう少しくり抜くことにした。ひっくり返して二日ほどくり抜いて船底や側面を薄くするとさらに軽くなった。大智はもう一艘造ることを考えて、そこから丘の東側の斜面を横断して川に至る道を作った。その道にも竹を敷いて滑ららせたり、舟の下に丸太を置いてころの原理で運んだりした。無事、川に進水できた時にはみんなで歓声をあげた。
丸木舟は家族全員が乗っても沈まなかったが安全性を考えて定員6名にした。最初に大智他大人2名、子ども3人で乗って海まで行って帰ってきた。その後、つるぎ他がみな乗って海に行って帰ってきた。舟を桟橋にもやうと舟の中や桟橋で食事し、その夜は家で遅くまで舟造りの苦労や思い出話に花を咲かせた。(あとは錨を、それと櫂ももっと改良しょう。魚獲籠も新しく作ろう。紙を作って行灯に貼れば夜でも、そうだアナゴが獲れるぞ、、、)大智の想像は夜通し止まなかった。
その後2ヶ月半ほどでもう一艘も完成した。根元側の材木だったせいでこれの方が一回り大きかった。さっそく進水させて海まで行ってみた。何の問題もなかったので桟橋で、二艘並べ1メートルほど離してアウトリガーのように二艘を横木で連結した。このようにするつもりで最初から、連結壁を原木のまま残しておいたのだが、正に計画通りに出来上がっていた。丸木舟の双胴船完成だ。これなら少しぐらい波が高くても転覆することはないだろう。二艘の間に帆を張ることも可能だ。大智は大満足した。
双胴船は家族全員が乗っても全く問題が無かった。水瓶や食料を入れた壺を乗せるスペースも十分にある。長距離輸送もできそうだった。だが当分の間は近場で魚獲りに使い、舟の操縦をマスターしたり、風向きや海流を知ることにした。まだ家族には話していないが大智は、この双胴船で日本に行く計画を立てていたのだ。(俺は、、、何故かは分からんが、どうしても日本に行かなければならないという気持ちが年々強くなっているのだ、、、本当に何故かは分からないが、、、)
当然というか丸木舟ができてから漁獲量が増えた。食べきれない時や魚片にする時間がない時は、竹の筏の下に竹を編んで作った生簀に魚を生かしておいた。この筏の生簀は干潮時でも海水中にあるように、錨と海岸からのロープで沖合に固定した。また、わざわざ双胴船で行き来するのが面倒くさい時は、葦舟で生簀内の魚を取りに来たりと、今も葦舟も使っていた。

それから2ヶ月ほど経ってゆきが女の子を産んだ。改めて思い返せば、婿が来て早くも1年半が過ぎていて子が生まれてもおかしくない頃だった。母子ともに健康で、ゆきの母乳の出も良った。ゆきを出産した時を思い出したのか、ももが言った「やっと生まれたわね。ゆきも最初は女の子で、、、貴方はおじいちゃんになった」「ははは、お前もおばあちゃんになった、、、だが、もも、お前がおばあちゃんになっても、お前は俺のただ一人の妻だ」「、、、あなた、、、」ももは、突然こんな分かり切った事を言う大智を訝しげに見ていた。
それから半年ほどして今度はライムが男の子を産んだ。ライムはここに来たころはまだ初潮がなかったように思っていたが、ここに来て栄養状態が良くなったせいか急に身長も伸びたので初潮もすぐに始まったのだろうと思えた。(なんにしてもめでたい事だ)大智とももは喜びに浸っていた。
この家は子育てにも適していた。部屋の中だけでなく中央部の庭でも過ごす事ができたし、二郎三郎の嫁や次女が赤子の面倒を良く見てくれた。おかげでゆきもライムも子育てノイローゼになったりしなかった。それどころかクズ布作りに精を出してくれて、良いクズ布をいっぱい作ってくれた。今では家族全員がクズ布の衣服をまとい、寒い時には熊や鹿の毛皮の上着を着ていた。だが、女もみな着用している褌の股の部分だけは、クズ布は股ずれするので、大智はやむおえず綿のカッターシャツを少しづつ切り取って褌の股の部分に使った。
カッターシャツを切り取る度に大智は(綿が欲しいな)と思った。(綿はこんな寒い所では育たないのかもしれない、もっと南の方なら、、、)大智は双胴船でずっと南の方まで行けないかと考えた。(問題は風と海流だ、、、今が本当に3~4万年前だったとしても黒潮は南から北に流れているだろう。だが海岸沿いを南下すれば黒潮の影響はあまりないなずだ。それとここは北西の季節風もあまり強くないから、南下する時は手漕ぎで、帰りは沖合の黒潮に乗って、、、とにかくやってみるか、、、)
大智は双胴船の丸木舟の間隔を2メートルにして、連結壁に3メートルほどのマストを立て二艘間に、太いクズ糸で織った丈夫な帆をつけた。すると僅かな風でも前に進む事が分かった。大智はすぐに帆を降ろさせて手漕ぎで海岸に帰ってきた。(行きたい方向の風が吹けば帆で楽に行けるな、だが逆方向だと手漕ぎするしかない、、、婿とつるぎと二郎も連れていくか、、、それと船尾に舵を取り付けよう)
ほぼ1週間後、大人4人の2週間分ほどの水と食料と、念の為槍や弓矢も積んで朝早く出発した。海岸沿いを浅瀬なども調べながら南下した。ももが居た川岸までは30分もかからなかった。裸族の姿が見えなかったので素通りしてさらに南下した。大智が思った通り黒潮の影響はないようで手漕ぎでもまあまあ進んでいるのを感じた。午後からは北からほぼ南へ向けての風が吹き出したので帆を張ってみた。微風だと思ったが帆を張ると、手漕ぎよりもはるかに速く進みだした。
大智は他の者に櫂で漕ぐのをやめさせ、船尾に座って操舵した。もう一艘の方はつるぎを座らせて自分と同じように操舵させた。風任せでは沖に出すぎるので舵を左に向けて海岸から離れすぎないようにした。夕方には風がなくなりまた手漕ぎしたが、1時間ほどして西側の断崖が少し湾曲している海岸の沖で錨を降ろした。まだみんな余力があったが初日だったので、早めに食事し停泊の準備をした。
先ず屋形船のように船縁に低い柱と梁を組み立て、折りたたんでいた帆を天幕代わりに広げ、二艘を覆うよに被せて帆の端を船縁に縛りつけた。これで夜露や多少の雨ならしのげる。それから櫂を漕ぐ時に座っていた椅子を外し、船底に筵を敷いて、大智は船首側に二郎は船尾側の連結壁の傍に枕を置いて横になった。すると二人の足が脛くらいまで交差するが、一日中足を曲げて座っていた二人には、足を伸ばして眠れるだけでもありがたかった。婿とつるぎも同じ気持ちで眠りについた事だろう。
翌朝も無風状態だったので手漕ぎで出発した。4人でただひたすら南に向けて漕ぐのみ。だが幸いにも昼食後また風が吹きだしたので帆を張り、夕方には婿たちの実家の裸族と一緒に行った海岸に達した。しかしここも裸族たちの姿は見えず、しかも風が吹いていたので船足を止める気にならず素通りしたが、大智は(歩けば3日半近くかかる距離を約2日で通過できた、、、もう少し先まで行こう)と考え、さらに1時間ほど進んでから、少し入江のような海岸の岸から50メートルほどの所で錨を降ろした。
三日目の朝は南から北に向けて弱い風が吹いていた。(逆風か、入江のせいかな、、、)とにかく4人は手漕ぎで入り江を出た。すると東風になったが、横風の時のセーリング方法を知らなかった大智は、海岸に近づき過ぎないように舟の西側ばかりを漕いだ。片側ばかりを漕いでかなり疲れたが、昼前には東風がなくなり普通に漕げるようになった。そこで錨を降ろして小休止した。
風景は相変わらず西側の断崖の上に松林が、それ以外の方向は海が見えるだけだった。こちら側の舟に乗っている二郎が言った「父さん、同じような景色の海岸が続いているね」「そうだな、断崖の上に松林の景色が続いている。川がないと浜辺はないらしいね。上陸できそうな所も見当たらない、、、婿殿とつるぎ、疲れてないか何か問題はないか。なかったら出発するぞ」「父さん、大丈夫だよ全く疲れていない」とつるぎが言ったので錨を上げて出発。その後はただひたすら漕ぎ、薄暗くなってから停泊した。
翌日も翌翌日も4人で漕ぎ続けた。そして6日目は幸いにも北から南へ弱い風が吹いていたので帆を張った。みんなはやっと骨休めができて喜んだ。だが午後には風がやんでしかたなくまた手漕ぎを始めた。それから1時間ほどで広い川がある浜辺に着いた。川の流れが緩やかだったので数百メートル上流まで行ってみた。しかし裸族の人たちも、人がいた形跡も見当たらなかった。(こんな広い川なら人が居てもおかしくないと思うのだが、、、)大智はそう思いながらも河口に引き返し、そこから海岸沿いをさらに南下して行った。
翌日も昼前まで手漕ぎ、しかし午後は風が吹いて帆を張れ、かなりの距離を南下できた。そしてその翌日の昼ごろ、西側に南北にずっと続いていた断崖が終わり、今度は西に向かって断崖や岩場や狭い浜辺や草原があるのが見えてきた。(ここは恐らく台湾最南端の岬だろう。現代ならここから北は台湾海峡だが、、、とにかく海岸沿いを行ってみよう)大智はそう思って櫂で漕ぎ続けた。2時間ほどで海岸線が北向きに変わった。
その頃から北西の風が強くなり寒くなった。帆を張ってなくても漕ぎ続けないと沖に流されそうで、4人で一生懸命に漕いだ。しかし2時間もすると4人とも疲れ果てて、風上に大きな岩がある磯で錨を降ろし、今夜はそこで停泊することにした。夕食時、大智は周りの景色を観察した。
(東側の海岸線は北に伸びているが海岸からすぐ草原になっている。草原の東側に続く崖は昨日までの西側の断崖と明らかに違って、なだらかな崖でところどころに灌木や草が生えてる。登ろうと思えば簡単に登れそうな崖だが、誰かが昇り降りした形跡はないな。その下の浜辺にも足跡一つ見当たらない。この辺には裸族も住んでいないらしい、、、ん、鹿だ10頭ほどの群れ、、、こんな所にも居るのか、、、干し肉はまだあるが、帰りに獲ろう、、、
それより明日はどうするか。風が止んでいたらもう少し北上してみよう。本当に今が3~4万年前なら台湾海峡は陸地になっていて海がないはずだ。それを確かめたい、、、できたら綿があるか探してみたいが、こんなに寒い所では恐らくないだろう、、、それにしても北西の風が何故ここはこんなに強いのか、、、そうか台湾には富士山より高い山がけっこうあるから、台湾の東側は山で風がさえぎられているからだ。ということはここは間違いなく台湾の西側で、風を遮る山がないから中国大陸からの北西の風が直接吹き付けるのだ)その夜4人は、熊の毛皮の上着を着ても寒くて震えて眠った。
翌朝は幸いにも無風状態、朝食後すぐに出発した。海岸線に沿って北上して行くと、草原を切り分けるようにたて続けに7~8箇所の狭い川があり、河口の辺りは砂浜になっていた。その砂浜は弧を描いて西に伸びて長い入江になっている。(砂浜の幅はせいぜい20メートルでその向こうは見渡す限り草原が続いているが、やはり海はない、、、ということは今はやっぱり3~4万年前の石器時代だという事か、、、まあ、もう少し西に行ってみるか、、、)
入江の西の端を越えてみると、そこからは砂浜が南西にどこまでも伸びていた。砂浜の陸側は見渡す限りの大草原で、毛が長い野牛らしき群れが見えた。鹿や猪の群れも草の中に見え隠れしている。ところどころにある川には水鳥が水面を隠すほど群れていた。(獲物の宝庫だ、、、しかし何故裸族は居ないのだろう、、、そういえばこの大草原、何か変だ、樹木がないせいか、、、)
その時、猪の甲高い悲鳴が聞こえた。大智がそっちを見ると、大きな虎が猪の首に噛みついていた。(何という事だ、ここには虎が居るのか、、、まあ、これほど野生動物が居たら虎にとっては天国だろうな。しかし人間にとっては、、、)大智は3人に言った「帰ろう、ここは危険すぎる」
船首を東に向けると運良く北西の風が吹き出したので帆を張った。海岸から離れすぎないように操舵すると、船は今までにない高速度で南東に進んだ。おかげでその日のうちに最南端の岬に達した。大智は岬の東側に回り錨を降ろした。思った通り北西の風が嘘のようになくなった。風がないと夜もあまり寒くなく良く眠れた。
翌朝、大智は試しに黒潮に乗ってみようと沖に出た。すると漕がなくても舟が北に向かって進んだ。しかも漕ぐよりもずっと速い。(これが黒潮か、すごいスピードだ、、、これに乗れば日本まで行けるかも、、、しかし海岸から離れすぎて、、、いかん、海岸に帰れなくなるかもしれない)4人は慌てて海岸に向けて漕いだ。しかし舟はどんどん北に、いや北東に向かって流されていく。
4人は2時間ほど必死に漕いだ。すると急に、舟自体が北東へ引っ張られるような感じがなくなり海岸へ近づくのが速くなった。恐らく黒潮海流から外れたのだろう。大智はホッとした。その後は手漕ぎでゆっくり北上して、薄暗くなったころ広い川口に着いた。そこから100メートルほど川をさかのぼり、湾曲して淀んでいる所に錨を降ろして停泊した。大智は筵の上に横になってから(あとは帰るだけだから、寄り道しながらのんびり帰ろう。明日はこの川の上流に行ってみよう)と考えた。
その夜、寝入ってからしばらく経って、かなり遠くの方からかすかに、女性らしい悲鳴が聞こえたが、夢うつつの大智は猿か何かの鳴き声だろうと思って起きなかった。翌朝ものんびり朝食してから上流に向けて漕ぎだした。川幅100メートルはありそうで、流れも緩やかで手漕ぎでもさかのぼれたが、川岸に近い浅い所を竿で押して進めた方が速いのではと思いやってみたら、4人で押せば楽に速く進むのが分かり、竹林のある川岸に上陸して手頃な竹を4本切って再出発した。
それからは舟足が速くなり1時間ほどで、南へ行く時に来た所を超えた。そのころ大智は、川の西側が異様に静かな事に気づいた。(変だな、川の東側はここからでも猪や鹿の群れが見えたり鳴き声が聞こえるのに、西側は動物が見当たらないし、鳥の鳴き声さえも聞こえない)そう思いながらなおも竿を押して西側の川岸沿いを行くと、腐臭が漂ってきた。さらに数十メートル進むと、川岸から陸側に少し離れた草原に、下半身だけの腐乱死体が見えた。
大智たちは急いでそこを通過した。あまりの腐臭に耐えられなかったのだ。そこから数十メートル進み腐臭が匂わなくなってホッとしていると、西の川岸の向こうに松林が見えてきた。近づくにつれその林は松の本数は少ないが大木が多いことが分かった。やがて松の大木の上流側に裸族の女性や子どもたちが輪になって内側を見ているのが突然見えてきた。大智たちは驚いたが、裸族たちも舟を見て驚いたようで、見開いた目でこちらを注視していた。だが何故か顔だけ舟の方に向けただけで誰一人動かなかった。
大智は舟を川岸の砂浜に少し乗り上げさせて止め、舟の上から裸族にどうしたのかと婿に尋ねさせた。裸族たちは、恐らく生まれて初めて服を着た人間を見て驚き、しかもその人間が自分たちの言葉を使ったので、恐怖心と好奇心に駆られながらも少しづつ川岸に近づいてきた。大智は婿を介して「男たちは居ないのか」と聞いた。するとリーダーらしい女性がこわごわと言った「男たちは虎退治に行ってまだ帰ってこない。それどころか昨夜また女が一人食い殺された」「なに、虎に、、、」
大智は舟を一度数メートル沖に出して船尾の錨を降ろしてから船首を川岸に乗り上げさせ、船首側の錨綱を岸辺の木に巻き付けた。それから4人とも槍や弓矢等を持って上陸した。大智と婿が先頭に立ち、さっきの女性に聞いた「ここにも虎が居るのか」「はい、それで三日に一人女や子どもが食い殺されます、昨夜も、、、」そう言うと女性は松の大木の根元に行った。そこには頭から腹にかけて食いちぎられた無残な女性の死体があった。
「男たちはいつ帰ってくる」「わかりません、、、虎は男たちが居ない時に襲ってきますから男たちに行かないでと言ったのですが、、、」それを聞いて大智は(虎は賢くて、獲物の状態を良く観察してから襲うという。男たちが居ないことを知って襲ったのかも、、、そしてもしかしたら今も木の上などからこちらを見ているかもしれない)と思った。その時、女性が言い辛そうに言った「男たちが行ってもう二日間なにも食べていません、、、」
大智は二郎に言った「舟の中の干し肉を全部持ってきてここの人たちにあげなさい」それから婿とつるぎに「向こう岸に獲物を2頭獲りに行こう」と言って、二郎が干し肉を配り終わるのを待った。
そこへ女性が来て言った「今夜はここに居てください」「分かった、だがその前に獲物を獲ってくる」「最近この辺りの獲物は獲り尽くしていなくなりました」「いや向こう岸にはいっぱい居る、向こう岸に行って獲ってくる」「え、どうやって向こう岸に、泳いでは行けません」大智は指差して言った「当然あの舟で行く」「舟、、、」「そうか舟を知らないのだな。一緒に行くか」女性がこわごわと頷いたので5人で乗り込み出発した。
15分ほどで向こう岸に着いた。川への錨と陸地の木に錨綱を巻き付けてから上陸すると、目の前に鹿の群れが居て、訝しげにこちらを見て逃げようとしない。恐らく近くで人間を見たのが初めてだったのだろう。大智はつるぎに狙う獲物を指示して同時に射た。矢はそれぞれ2頭の胸部に突き刺さり倒れた。すかさず婿と二郎が突進して槍でとどめを刺した。上陸して5分も経っていなかった。同行した女性はあっけにとられて立ち尽くしていた。
4人で四肢を持って2往復して舟に乗せ、それから女性を促して舟に乗せて反対川岸の砂浜に帰った。待っていた他の裸族も、あまりに早い帰りに、そして大きな鹿2頭に呆然としていた。裸族にかまわず大智はつるぎと鹿の皮を剥ぎ、婿と二郎に焚火と割竹を作るように言った。皮を剥ぎ終わると、子どもたちがすぐに生肉に食いつこうとするので、女性に言って止めさせてから、肉片に割竹を刺して焼き、焼けた肉から子どもたちに与えた。
30人ほどの裸族みんな空腹だったようで、1頭の鹿肉をほぼ食べつくした。大智ほか4人も久しぶりの新鮮な焼肉を堪能した。その後、焚火を囲んで女性たちと相談した。「虎は恐らく今夜は襲ってこないだろうが、念の為俺たちが夜通し見張るから、あんたたちは安心して眠りなさい。そして明日の夜、獲物をぶら下げて虎をおびき寄せて殺そう。他に良い案があれば言ってくれ」大智の案に誰も異論はなかった。
陽は傾いていたがまだ明るかった。大智はつるぎと二郎に竹をとって来させ、松明を作った。幸い枯草も松の枯れ枝も豊富で良い松明が20本ほど作れた。大智は独り言のように言った「虎は夜行性で夜襲ってくる。だが俺たち人間は夜は何も見えない。だから虎が来たらすぐに松明に火をつけて明るくしなければならない。しかし明るくすれば虎が逃げてしまうかもしれない、、、どうすればいい、、、婿殿なにか良い考えはないか」
「、、、俺は何も思いつきません」「つるぎはどうだ」「俺も何も思いつかない」「二郎は」「、、、獲物をぶら下げている所は松明を点けっ放しでも良いと思います。いくら虎が賢くても、松明が自分を見えるようにする物だとは思わないのではと」「そうか、なるほどな、、、二郎、良い視点だ。よし、では松明に慣らす為に今夜から点けっ放しにしよう」その夜は松の大木の根元で焚火をし、大木の反対側で松明1本に火をともした。
裸族たちは、いつもそうしているのか子供たちを真ん中に寝させ、その周りを囲むように女性たちが寝た。大智たちは女性たちから少し離れた四方に座って見張っていたが、たびたび女性に手を引かれて居なくなった。そんなありさまで見張りが務まるかとも思えたが、幸いにもその夜は虎は現れなかった。
翌朝まだ薄暗いうちに大智の傍にリーダーらしい女性が来て言った「私たち全員、向こう岸に行きたいです。ここは虎が怖いし、向こう岸には獲物がいっぱい居て私たちでも獲れそうです」それを聞いて寝不足顔の大智は女性の顔をまじまじと見た。すると女性は昨夜の事を思い出したのか恥ずかし気に顔を赤らめて俯いた。夜はどうであれ朝になると皆のことを考えている女性に大智は好感を持った。
大智は少し考えてから言った「、、、向こう岸に行くのは良いが、向こう岸に虎はいなくても狼や熊はいるかもしれない。それが襲ってきたらどうする」すると女性は媚びるような目で大智を見て言った「その時はあなたに守って欲しいです」そう言ってから大智の手を撫でた。大智はまた少し考えてから言った「分かった連れて行こう、最初は強い女性を8人連れて行くから選んでくれ。それと槍はないのか」「10本ほどあります」「では5本を8人に持たせてくれ。朝食後に出発する」
大智ほか4人と女性8人は慌ただしく食事してから向こう岸に行った。そして女性たちを降ろしてすぐに引き返し、次は子ども10人を連れて行った。結局4往復して全員を運び終えると、休む間もなく家造りにかかった。つるぎと二郎に竹を取りに行かせ、大智と婿は家を建てる場所を探して5メートル四方の草を切り取ったり燃やしたりして整地した。竹が来ると2メートルと3メートルに切って四隅や真ん中等に立て、梁用の竹をカズラで縛って固定した。四隅の柱間にも数本間柱を立て、長い割竹で囲った。
その後は多くの女性に手伝わせて土壁を塗っていった。その間に大智は竹で丈夫な戸を作った。夕方には高さ1メート60センチほどの土壁4面が出来上がった。後は土壁をもう20センチほど高くして茅葺屋根を作れば完成だが、土壁だけでは熊を防げないので、土壁の外側に石垣を作るよう教えるつもりでいた。だが裸族たちは、今の状態でも既に感激して次々と大智の手を撫でた。まあ、今までに家など作ったことどころか見たこともなかっただろうから、裸族たちのこの反応は理解できた。
薄暗くなると家の外で松明を点けて、夕方獲ってきた猪を解体し、家の中の焚火で焼いてみんなで食べた。高さ1メート60センチの土壁とはいえ安心感があり、裸族たちは安らかな眠りが保障されていた。だが大智たちは今夜も四隅の暗がりに誘い込まれた。大智としては今夜は十分に寝て明日の夜に備えたかったのだが、、、。
翌日は女性たちを二組に分けて一組は土壁造り、もう一組は茅葺屋根造りをした。その間にまた猪を1頭獲ってきた。夕方壁や屋根の全てが完成すると、昨夜同様に食事し、その後は作っておいた長い竹槍や弓矢、それに松明を船首と船尾に取り付けて火を点け、か弱そうな女性二人を乗せて6人で対岸に行った。そして船首船尾の錨で、川岸から10メートルほどの所で舟を川岸に平行に停めた。
川岸側の一艘に、長い竹槍を舟と直角に、穂先を川岸側に向けて置き、大智たち4人が船縁に隠れ潜んだ。川側のもう一艘には女性二人を立たせ、会話をさせながら虎が現れるのを見張らせた。夜になりやがて虎が現れた。女性は緊張しながらも、虎が泳いで舟に近づいてきたと言った。大智たちはいっせいに立ち上がり、長い竹槍を虎に突き刺した。暴れる虎を竹槍で船に近づけ、大智が石器槍を開いた口に突き刺して息の根を止めた。大智たちは雄叫びを上げた後で錨を上げ、その綱で虎を縛って船尾にくくりつけ対岸に帰った。
下船すると川岸に数本の松明を立てて火を点け、大智と二郎は虎の皮を剥いだ。裸族たちが瞠目しながら大智たちを囲んで見ていた。大智は狼や熊が来ないか心配になり、婿とつるぎに見張らせた。虎の毛皮を剥ぎ終わるとリーダー女性に虎の肉をどうするか聞いた。女性は「虎の肉は一度も食べたことがないので食べてみたいが、今はまだ満腹で食べれそうにない。明朝食べたいがそれまでどこに置いておけば良いか分からない」と言った。
大智はしばらく考えてから、虎に石をくくりつけ予備の錨綱で川に沈めておくことにした。(川の水温が低いから明朝までなら腐らないだろう。だが味が悪くなるかもしれないが)翌朝虎を引き上げる時、虎に数十匹の鰻が食いついていたが水面上に上げると逃げていった。それを見て大智は鰻を獲る籠を作ることにした。だがその前に虎肉を焼いて食べてみた。しかし大智の思った通り虎肉はまずかった。
(肉食獣の肉はまずいと聞いたことがあるが、それともこの虎が老いて痩せていたせいだろうか、、、それにしても昨夜はラッキーだった。地上でこんな2メートル以上の虎を倒すのは不可能だったろう。か弱い人間の肉に味を占めて泳いで船に近づいたのが運の尽きだったな。まあ老獪な虎とはいえ、作戦を考えられる人間の頭脳には敵わないということか。だが舟という文明の利器があったからできた作戦だったわけだが、、、)
結局、虎肉はまずい上に何か臭くて、一口食べただけで誰も食べようとしなかったので、鰻獲りの餌用に太ももの肉をそぎ取った残りは、舟で河下に捨てに行った。帰ってからは竹とカズラで鰻獲り籠を作った。入口の内側に薄い割竹を尖らせたものをロート状にして差し込み、入ったら出られないようにした。それを4つ作り、夕方虎肉餌を入れて川底に沈めておき翌朝上げてみるとまるまると太った鰻が合計19匹も入っていた。朝から塩味の鰻の蒲焼を皆でたべた。脂がのっていて塩味でも美味かった。
その日の午後、対岸で裸族の男たちが大声で叫んでいるのが聞こえた。そろそろここから離れることを考えていた大智は、良い機会だと思い持ち物を全て舟に積んでから家族の3人とリーダー女性を乗せて対岸に行った。女性が下船して男たちと話した後で長老が大智の傍に来て手を撫でながら言った「虎を倒し、女や子どもを守ってくれた事に感謝する。その上でお願いする、ワシらも全員向こう岸に乗せていってくれ」大智の予想通りの申し出を断ることもできず、4往復して男たち全員を対岸に運んだ。
それから少し休んだ後で、疲れてはいたが男たちと一緒に狩りに行った。弓矢を使えばまた作らされると考えて槍だけを持って。30分も歩いて行くと鹿の群れが居て、裸族の男たちは突進して槍を投げた。2頭を倒せて男たちは満面の笑みで引き上げた。獲物さえ多ければ狩りは楽だが、獲り過ぎればすぐに居なくなる。大智たちのように魚を獲ったり稗を食べたりして狩りは月に一度くらいにすれば獲物もあまり減らないのだが、、、。
その夜大智たちは男たちに囲まれて質問攻めにあった。家のこと船のこと狩りのこと等、大智が文明の利器について話すのは簡単だが、話せば裸族は当然欲しがり作らされることになる。この家にしても女性や子どもを守る為にしかたなく建てたが、男たちまで一緒に住むならもう一軒建てなければならなくなる。家族を待たしている身ではいつまでもここに居るわけにはいかない。翌日、大智は家の石垣の作り方だけ教えた後で逃げるように4人で舟に乗った。
もうそれ以上上流に行く気がしなくなり河口に向けて漕いだ。午後には河口付近で東側の川岸に上陸して猪を1頭獲り、川原で焚き火をし焼肉を食べた後で、翌朝まで火を炊いて干し肉を作った。翌朝、炒った稗がまだ4~5日分あるのでそれと干し肉で家まで帰れるだろうと計算し出発した。河口を出て左折し、左側に断崖を見ながら手漕ぎで北上した。もっと沖に出て黒潮に乗れば速いのだが、海岸に帰って来れなくなる事が心配でその勇気が出なかった。無風状態で帆を張ることもできなかった。
だから4人でただひたすらに漕ぐしかなかった。そして漕ぎながら大智は、今回の旅行?探検?について考えた。(人力での航海がこんなに過酷だとは思わなかった。一歩間違えれば漂流する危険があった、、、それでも3万年前の台湾の人々は日本を目指した、、、何故、、、住んでいる近辺の獲物が居なくなり食料不足になったからか。それとも疫病が流行り移住せざるを得なくなったのか、、、原因が何であれ3万年前に日本に移住した台湾の人々が居たのは事実だし、丸木舟で日本に達することは可能だったのだ、、、
だが、、、それが分かったとして、何故俺がここに居るのかが分からない、、、俺はいったい何者なんだ、現代人なのか石器時代の人間なのか、、、仮に現代人だったとしたら、俺は石器時代にタイムスリップしたというのか、、、仮に石器時代の人間だったとしたら俺のこの知識や記憶はどう解釈すれば良いのか、、、ふん、もうよそう、ここに来て20数年間いくら考えても分からなかった事だ、、、
それよりも今回の旅行で確信できた事は、今が間違いなく氷河期であり、台湾海峡は陸地になりユーラシア大陸の動物が台湾まで来ているということだ。だからナウマン象や虎が居ても不思議はないのだ、、、まあ、あの川の西側に居た虎は恐らく年老いて、元台湾海峡の草原で縄張り争いに負けてしかたなく台湾に来て、逃げ足の遅い人間の女や子どもを襲って食べるようになったのだろう。
ということは、今住んでいる辺りにも虎が来る可能性があるが、しかし今はまだ草原で獲れる獲物が豊富だからわざわざ台湾の東海岸まで来る必要がないのだろう。人だって動物だって、自らすすんで食べ物の少ない不便な所へ行こうとしないのと同じだ、、、では熊や狼が東海岸に居る理由は、、、それも恐らく虎に生存競争で負けて台湾に逃げてきたのかもしれない。虎の縄張りは物凄く広いらしいからな。
それに今ふと思い出したが、虎はナウマン象も狩っていたらしい。あの高原で見たナウマン象ももしかしたら虎に追われて逃げてきたのかもしれないな。そういえばあのナウマン象、あれ以来一度も見かけないが、まあ高原自体年に数回しか行かないから、運悪くナウマン象に出会う確率も低いのかもしれないが、、、高原といえば松茸、あの松茸は本当に美味いが採れる期間が2週間ほどしかないのが残念だ、、、)などと考えているうちに陽が暮れ停泊した。
翌日も朝から手漕ぎ、しかし昼前から南風が吹き出し、大喜びで帆を張った。舟は海面を滑るように進んで行く。このまま家まで行けたら嬉しいのだが、自然は思い通りにはいかないものだ。南風は陽が傾いたころにはピタリと止んでしまい、その後はまた手漕ぎ。だが今日は昨日よりもはるかに進んで、夕方には婿の裸族と来た海岸を通り過ぎた。今日も海岸に裸族の姿は見えなかった。婿の話では獲物がいなくなると移動するので運良く会える事は少ないだろうとのことだった。
だが、これで帰りの距離がだいたい分かった。手漕ぎでも明後日の昼には家に着くだろう。そう思うと大智は急にももに会いたくなった。初めての2週間ほどの不在で妻がこれほど恋しくなるとは、、、裸族の女性で数日股間は堪能したはずだが、心までは満たされなかったようだ。40歳過ぎの自分でさえこんな状態なら、若いつるぎや婿や二郎はもっと妻が恋しい事だろうと大智は思った。
翌日も一日中漕いで疲れ果てて眠り、その翌日の昼頃ほぼ予想通り、丘の下の桟橋に着いた。出迎えに来た妻たちと抱擁すると妻たちは口々に「臭い」と言った。家族が増えたので庭で盥で湯を沸かすようになったが、湯が沸くのが待ち遠しかった。(変だな裸族の女性は誰も臭いと言わなかったが、、、後ろからの交わりだったせいかな、、、ふふふ、今夜は後ろだけでなく、、、)

一夜明けるとまた家での日常が始まった。だが、それからの大智は旅行に行く前と違って、さまざまな事を実行するつもりでいた。先ず始めたのが石垣造りだった。もうすぐ二郎や三郎の家が必要になるので、それを見越して、今の東面の石垣を南に5メートル延長させ、その端から直角に西に15メートルさらにその端から北に向けて25メートルそしてその端から東に10メートルで、大智が最初に築いた家の石垣の南西の角に接続するように築くことにした。
そして今回造る北面の10メートルの石垣の上に土管で作った水樋を乗せるつもりでいた。またその土管を作る為に、新たに大きな登り窯を丘の麓に造った。その土管の為にも大智はどうしても釉薬が欲しかった。海岸や川原を歩く時はいつも長石を探した。家族全員にも白っぽい石があったら拾ってきてくれと言っておいた。すると数週間後狩りから帰ってきたつるぎが、西の山の向こう側の川の上流から長石を拾ってきた。
大智は翌日つるぎと一緒にそこへ行って調べた。そこは川の北側が崖になっていて、その崖の中に長石が含まれていた。大智は崖を割り長石だけを運べるだけ家に運んだ。それからその長石を丸い石で砕いて粉にし、水と灰を混ぜて釉薬を作った。(長石や灰の割合も分からないから色々な割合の釉薬を使ってみよう。その前に素焼き、それと火を高温にする為にふいごも作りたい。鹿の皮や割竹を編んだ物で作れないだろうか)
男たちに石垣造りをさせ女たちに土管作りを手伝わせた。土管作りは杉の丸太に練った土を厚さ約1センチ塗り、生乾きの時に丸太を引き抜いて作った。土管と土管の接続部も被さりを長めにしておいた。素焼き後うまく接続できるように接続部を削ったろした。それから釉薬を塗り数日後に本焼きをした。4種類の釉薬を使って何とか1種類だけがうまくできていたので、次からその割合の釉薬を使うことにした。長さ約80センチの土管を100本焼き終えるのに1ヶ月半かかったが、大智は満足していた。
そのころには東西南北4面全長50メートルの石垣もできていたので、北側の石垣の上に土管を設置した。その前に廃水用の大きな土管も作って埋設していたが、これは釉薬なしの本焼きで、石垣を築く前に、丘の東側斜面に向けて土中に埋設した。(俺はこの家に20年以上住んでみて、家を建てる前の、廃水等のインフラの必要性をつくづく実感した。
トイレも少人数なら、掘った土の中に用を足して上に土を被せれば良いが、多人数になるとすぐにいっぱいになり、その土を何度も入れ替えなければならず手間がかかった。排水管を設置すれば水で流せるし、その排水は排便混じりの土と同じように、柿や里芋の肥料にできる。そういえば丘の東側斜面の草原を燃やして植えた甘柿も、その肥料のおかげか毎年いっぱい実が生るようになったし、川沿いの焼畑で栽培している里芋も収穫量が増えた。化学肥料などない今は人糞肥料は貴重品なのだ)
その後南北に大きくて丈夫な戸を作って閉めると、石垣で囲まれた内部は安心して過ごせた。とはいえ鷲による上からの襲撃には無防備なので、囲い内で子どもを遊ばせる時は鷲に注意するよう親たちに言っておいた。(ゴンとその子狼が鷲に襲われた時の事を今も忘れられない。早く家を建てて広い家の中で安心して遊ばせてやりたい。檜や杉を切って来なければ、、、女たちには茅の屋根作りをさせよう)
大智がこの丘の上の家に住むようになってから西の山の東側斜面の樹木の種類もすっかり変わっていた。松と檜の大木数本は切り倒せずそのままだが、他の雑木等は切り倒して薪にし、その後に檜や杉の苗木を植えた。それが20数年の間に大きくなり家の柱や梁に使えるようになっていた。また家に近い斜面にはクルミや椎やクヌギをいっぱい植え、斜面の下には山芋を栽培していた。木の実や山芋を食べに熊や猪が来たら好都合で近場で狩りができた。
家族が増えても食料は十分にあるし安全な住居も造れる。この時代の人々の中では、家族は一番幸福なのではないかと大智は思っていた。(衣食住は満たされている。あと不安なのがケガと病気だ。俺にどんなに知識があっても、ケガや病気になったら付ける薬も飲ます薬もない。石垣の陰に植えてあるドクダミの葉を傷口に擦り付けるぐらいしかできないのだ。だからケガをしないように、病気にならないように常に注意するしかない。特に食事は魚肉だけでなく木の実やイモ類等も食べさせて健康的な食事をさせなければ、、、)
大智のそのような心づかいのおかげもあってか、家族は今のところ大きなケガや病気になった者はいなかった。ゆきやつるぎの子もすくすく成長していた。舟でのあの旅行以来、二郎は精神的に成長したようで二十歳前だがもう大人の雰囲気を漂わせるようになった。裸族の村から連れてきた者たちも餓えることなくバランスのとれた食事のおかげか、肉付きの良い丸みを帯びた健康優良児になっていた。
(不満を言えば鉄が欲しいし綿が欲しい。だが無くてもこうして幸せに暮らしている。我が子たちにもっと色々なことを教えて、楽に生きていけるようにしてやり、子孫がさらに発展できるように、俺はできるだけのことをしてやりたい、、、21世紀人の俺が何故こんな石器時代に生きているのか、その理由は今だに分からないが、俺は俺にできる事を精一杯やっておこう。そうすればいつかはその理由が分かるかも知れない、、、)
数か月後、西側の石垣の内側に南北25メートル東西5メートルの家が完成した。その家は土壁で5部屋に区切られて、各部屋に二郎夫婦三郎夫婦そして次女夫婦が住むことになった。新しい家と古い家の間の南北25メートル東西5メートルは中庭とし、獲物の解体場や共同湯沸かし場、湯浴び場を作った。古い家側の南端の5メートル四方は、今は毛皮の燻し場にしているが、孫が増えれば家を建てることも可能だった。
暖かい日は空いている部屋の庭側の大きな窓脇に、改良した大きな織機を置き、女たちがクズ布を織っている。その傍には子に乳をやるライムやゆきが居るし、二郎三郎の嫁や次女が糸紬や縫物をしていた。男たちは狩りに行ったり魚獲りに行って、いつも日帰りだが十分な獲物を持って帰ってきた。もう大智が同行しなくても息子たちだけで何も問題なかった。夜は庭の焚き火を囲んで皆で大智の話を聞いた。他の者たちにとっては大智の話は、今も目を輝かせる夢物語であり、科学的知識を学ぶ講義のような状態だった。
大智の今夜の話は地球の環境についてだった。「前に地球が丸い事は話したし、その証拠として水平線が弧を描いて見えることも話したと思うが、その丸い地球が今どんな状態なのかを今から話そう。その前に今みんなが居るここは地球上のどの辺なのか、つるぎは分かるか」「、、、確か地球の真ん中、赤道よりも少し北側だと思います」「そうだ、ここは赤道よりも少し北にある。で、赤道付近は太陽光線がほぼ垂直に当たり、地表の温度が高くなる所なのだ。
だがそんな場所でありながら、ここは夏でも涼しいし冬は滝の水さえ凍るほど気温が下がる。西にそびえる高い山々は頂に年中雪を被っている。恐らく山の谷間には氷河があると思う。こんな赤道に近い所の山でさえ氷河がある今は、間違いなく氷河期と言えるのだ。だが氷河期も、いつも同じというわけではない。数十年後には今よりも寒くなるかも知れないし、暖かくなるかもしれない。
そして今よりも寒くなり夏でも雪が降るようになれば、、、婿殿はこの辺りはどうなると思うか」「夏でも雪が降るのですか、、、クルミ等の木の実がならなくなるかも知れない」「その通りだ。木の実はならなくなり草も枯れてしまうだろう。現に、まだ行ったことはないが、ここよりももっと北の方は草木がない岩と氷原しかない所が多い。だがそんな所でも、マンモスという大きな象を狩りその肉を食べて生きている人々も居るらしい。
反対に冬でもあまり雪が降らないほど暖かくなったら二郎、この辺りはどうなるか分かるか」「、、、暖かくなったらですか、、、木の実がいっぱい生り、草も生い茂る、、、それに獲物も増える」「その通り、暖かくなれば草が多くなりそれを食べる鹿や猪が増えて、鹿や猪を食べる熊や狼も増える、、、だがそれだけではない。もっと暖かくなれば氷河が溶けて水になり海面が上昇する。現に3万年後には海面が今よりも80メートルも高くなった。つまりこの辺りも海の底になってしまうのだよ」
「えっ、この辺りが海の底になるのですか」と三郎がひょうきんな声で言った。その言い方がおかしかったのか女たちが笑った。その笑い声が終わってから大智が続けた。「そうだこの辺りは全て海の底になる。この家の数十メートル上まで海水が覆うのだ。それにそのころには家も石垣も波で破壊され跡形もなくなっているだろう。何故ならそのころには台風という強い風が吹き、大きな波が海岸を破壊してしまうからだ。
まあ3万年先の事を詳しく話してもお前たちには関係ないが、環境というのはいつも同じではない、少しづつ変わっていくのだという事を覚えておけば良い、、、だが俺は今の環境がずっと続いてくれれば良いと思っているがな。何故なら今の環境は本当に生活し易いからだ。主食となる稗や木の実がふんだんに実り、山の獲物も海の魚介類も十分に獲れる。それに空気が乾いているせいか干し肉や干物が簡単につくれる。おかげで餓えることなく生きていける、、、婿殿やライムは村で餓えた経験はないか」
「あります、何度も経験しています。獲物が少ないと男どもが先に食べてしまい、女や子どもはいつも空腹でした。それに熊や狼が襲ってきたら、女や子どもや病人は置いて行かれます。女や子どもが食べられている間に男たちは逃げてしまうのです」とライムが言うと婿殿は何か言いたげだったが言葉は発しなかった。その様子を見て大智は、初めてももに会った時の事や、虎に襲われた裸族の女たちの事を思い出した。
(やはりそうだったか、、、初めてももに会った時、俺が熊を倒してから男たちが現れ、何か違和感があったが、男たちは逃げようとしていたのかも、しかし俺が倒したから安心して出てきた、、、虎の時も、男たちは虎退治に行くと言いながら本当は逃げて、どこか遠くから様子を見ていたのかも知れない、、、まあ裸族の男たちにとっても自分の命が一番大事だからな、、、だが女や子どもが死に絶えたら、その種族は子孫を残せず滅びてしまうのだ。だから男たちは女たちを守らないといけないのだがな、、、)
その時ももが言った「そう、男たちは逃げてばかりだわ。私の時も、逃げ遅れた私を守ってくれたのは母さんだけだった。母さんは私を抱きしめてうずくまり熊に食べられた、、、あの時の母さんの悲鳴を私は忘れられない、、、」「その悲鳴を聞いて俺は無我夢中で熊に挑んだ。幸い倒せたが、それもこれも強力な弓矢があったからだ。槍だけでは絶対に倒せなかっただろう」大智がそう言うと、ももは焚火を回って大智の横に来て手を撫でながら言った「あなたは勇敢で優しい人だった。だから私はあなたを選んだの」すると周りから歓声が上がった。
大智は少し顔を赤らめて言った「男は妻子を守れるように強くならなければいけない。弓も槍の使い方もうまくなった方が良い。だが女も男が居ない時は自分で自分や子どもを守らないといけないから弓矢や槍の使い方を覚えておいた方が良い。暇なときは練習しなさい」女たちも真剣な顔で頷いた。「よし今夜はもう寝よう。少し寒くなったが風邪をひかないようにな」「大丈夫です、人間湯たんぽがいるから」途端に二郎の頬がなった。
「あの二人もすっかり夫婦らしくなりました、、、あなた、今夜は私が温めてあげますからね」それを聞いて大智は寒気が、、、とはいえももはまだ30半ばのはずだったが、当時はもう年寄り扱いされていた。当然大智はさらに年寄り扱いだった。
その翌日の夜の話「今夜は幸せについて話そう。婿殿、婿殿が幸せだと思う事は何かね」「、、、旨い物を食べた時や妻子と寝ている時です」「なるほど、ではつるぎはどうだ」「俺も同じです」「では母さんはどうだ」「あたいは家族みんなで一緒に食事している時が一番幸せだと感じる」「そうか、だいたいみな同じようだな。みんなが言うように旨い物が腹いっぱい食べれて、家族と一緒に安心して暮らせる事は幸せな事なのだ。
つまり今はみな幸せに暮らしている。だからこそこの幸せをずっと続けられるようにしなければならないのだよ。日ごろから稗や里芋の手入れをし、日照りの時には水や人糞をやり、秋には木の実を拾い集めておかねばならない。また冬に備えて薪も蓄えておかねばならない。そうすれば正に備えあれば患いなしで幸せに暮らせる。だからいつも先の事、未来のことを考えていなければならないのだ。ここでの幸せな暮らしが永遠に続けられる保証はどこにもないのだからね。
ここは気候的には良くても地震も火山噴火もあり得るし、もし北の方で大きな火山噴火が起きれば風向きによってはこの辺りまで火山灰が飛ばされて来るかもしれない。火山灰の種類によっては動物が一呼吸しただけで死に至ることもある。そしてそんな事がいつ起きるかは誰にも分からない。まあ、そんないつ起きるか分からない事を心配して憂鬱になる必要はないがね、、、だからこそ今の幸せを存続できるように努めなければいけないのだよ。
付け加えて言えば、食料が十分にある時は問題ないが、不足するようになると争いが起きる。誰しも餓えたくない、腹いっぱい食べたいと思っているから、足りなければ他人よりも先ず自分が食べるようになる。裸族の男たちの話がそうだ。不足すれば力のある者が食べてしまい、弱い者は食べられず死んでしまう。野生動物と同じようにね。だからこそ日ごろから蓄えておかなければならないのだよ。そしてこの蓄えるという事は賢い人間にだけできる事なんだ。愚かな人間は蓄える方法も知らないのだからな。
婿殿はここに来る前に、木の実を蓄えたり干し肉を作ったことがあったかね」「いえ一度もありませんでした」「ライムはここへ来る前に、離れた所に水を運んだことがあったかい」「ありません、竹に入れて運ぶ事すら知りませんでした」「そうだろう何よりも竹を切ることすらできなかったのだから当然のことだ。だがここへ来て、水瓶に水を溜めておくことも、壺に稗や木の実を蓄えておくことも知った。つまり、そんな事を知って賢くなったのだ。そして賢くなったおかげで幸せな暮らしができるようになった。
何かを知る、賢くなるという事は本当に大切な事なんだよ。だからみんなも、もっともっといろんな事を知りなさい。そしてその為には疑問を持つことだ。例えば何故雨が降るのかとか、狩りに行って何故今日は獲物が居ないのか等を考えると良い、、、さて今夜はこの辺にしておくか」その時三郎が言った「父さん、雨は何故降るのですか」「、、、三郎、先ず雨とは何かを考えてみなさい。雨はなんでできている」
「雨は、、、水でできています」「そうだ雨は水でできている。ではその水が何故空から落ちてくるのかね、空に大きな水瓶があって誰かがその水をこぼしているのかね」「う~ん、、、水瓶が空にあるのを見たことがない、、、分からない、何故雨が降るのか」「では分かる人に聞きなさい」「誰か分かる人、、、二郎兄さん、分かりますか」「いや俺にも分からない」「じゃ、つるぎ兄さんは」つるぎは以前大智から聞いた事を思い出して言った。
「、、、以前父さんから聞いた話だが、空気中には水の小さな粒があるが、気温が上がるとその水が軽くなって空にあがる。それがいっぱい集まって水の粒が大きくなり雲になる。その雲の中で大きくなった水の粒が大きくなり過ぎて重くなり落ちてくるのが雨だという事らしい。だから空気中の水が少ないと雲ができないから雨も降らないそうだ、、、父さん、そうだよね」「それで良い。よく覚えていたな。ついでに言えば、この空気中の水が少ないと生肉や生魚が腐りにくく、干し肉や干物を作りやすい。反対に夏の雨の多いころは腐りやすいのだ。これも覚えておくと良い」
このようにして大智は家族にさまざまな事を教えたが、石器時代の人間も何かを覚えるという能力は現代人とあまり変わりがないようだと大智は感じていた。その上、つるぎや二郎を見ていると身体的能力は現代人よりも上だと思えた。何より病気にならない丈夫な体であることは確かだった。まあ、病弱な者や体力のない者は置いて行かれ自然淘汰され、強い者だけが生き延びてきたのだろうから当然と思われた。大智は、良い子孫に恵まれて良かったと常々思っていた。

そんな幸せな暮らしが続いていたある日、大きな地震と津波が起きた。幸い丘の上の家は無事だったが、津波で丘の麓の登り窯は破壊され、里芋は海水のせいでみな枯れてしまった。数度海水に覆われながらも稗が枯れなかったのがせめてもの救いだった。岩の台地も海水を被ったが松は枯れなかった。双胴船は滝の下の葦の群生地の中に埋まるように乗り上げていたが、葦船は沖に流されたのか無くなっていた。
大智は、ここに住んで何度か小さな地震は経験していたが、今回のような大きな地震と津波は初めてだった。それでも日本で東日本大震災の津波の動画を見ていたので、丘の麓や岩の台地まで津波に覆われても恐怖心はなかったが、大智以外の者は怯えて家の外に出たがらなくなった。特に丘の麓には誰も下りて行こうとせず、大智が一人で被害状況を調べて回った。まあ、地震や津波がまたいつ起きるかは大智にも分からず不安ではあったが、、、。
夕食時に大智は言った「恐れて家の中にばかり居たら何もできないぞ。とにかく舟を葦の群生地から引き出して魚を獲ってこないと食料がなくなる。津波が来ても沖に出れば大丈夫だから、、、そうか魚獲籠もなくなったかもしれないな。明日は先ず竹を取ってきて籠を作ろう。それとも先に狩りに行くか。つるぎと婿殿は籠を作れ。二郎と三郎は一緒に狩りに行こう。心配するな、父さんがついている」
翌朝、狩りの準備をして大智たちは高原に向かった。1時間ほど歩いて高原の上に着くと、木々の間から崖の下の川を見た。数回海水に覆われたはずだが今はもう以前と変わらないようだった。だが、高原の東端を進んで行き峡谷が見えてきて驚いた。北東側の山の斜面の岩が割れて峡谷に落ちて川を堰き止め小さなダムのようになっていたのだ。(なんと、これも地震のせいか、、、花崗岩の硬い岩がこんなにも割れて落ちるとは、、、上流の方はどうなっているのだろう)三人は上流の見える所まで行ってみた。
上流はあまり変化はないようだったが、川をせきとめられダムのようになったせいか川の水が増えているように見えた。(まあ大した変化ではない、それにしてもこの川の上流は幅が狭いな。まるで一つの山が割れて川になったみたいだ、、、川幅は狭いからかかなりの急流だ、これでは獣が泳いで対岸に行けないだろう。だとしたら川向うは獣は居ないかも知れないな。そんな事よりこちらの獲物を探さなくては)
三人はそこから西に向かって進み松林の中を歩いた。少し下り坂になり窪地の真ん中辺りに背丈の高い草が生い茂っている所で動いている物が見えた。三人は身をかがめそうっと近づいて見たら数頭の猪が何かを食べていた。すぐに一番大きな一頭に3本の矢がほぼ同時に突き刺さり猪は倒れた。三郎が突進して槍でとどめを刺した。大智は背負っていた背負子を降ろしてそれに猪を乗せ、二郎と三郎が左右の取っ手を持って橇のように引いて行った。高原が終わり山の斜面まで帰ってくると、猪を転がし落としながら下りていった。
家に帰るとつるぎたちは魚獲籠を4つ作り終え、カズラを三つ編みにして綱を作っていた。二郎と三郎を休ませて、大智は一人で双胴船の所に行った。しかし双胴船は川岸から離れた葦の群生地の中にあり、舟に乗り込む事もできなかったし、仮に乗り込めてもそこから川まで出せる見込みはなかった。大智はどうしたら良いか考えた。(、、、長いロープで岸から引っ張って川に出すしかないか。だがどうやって舟にロープを掛けるか、、、泳いで舟まで行くか、だが水温はかなり低いから低体温症で死ぬかもしれん、、、)
結局、竹で筏を作り舟に乗り込むことにしたが、なんにしても一人では無理だった。大智は家に帰り皆に状況を話した。そして夕暮れまでに竹とカズラをいっぱいとって来させ、翌朝から川岸で筏を作った。出来上がるとすぐにカズラの長いロープを持って舟に乗り込み、ロープを縛り付けて皆なで引っ張らさせたが葦の群生地の中から出ず、やむなく連結棒を外して一艘づつ引っ張った。それで何とか二艘とも川岸に運べた。川岸で調べると一艘は、津波で岩に叩きつけられたのか側面が割れて浸水するようになっていた。使い物にならないので当分は一艘だけで海に出るしかなかった。
翌日は小潮だったが干潮時にフジツボやカキを採って餌にして魚獲籠を沈めた。1時間ほどで引き上げると、津波があったにもかかわらず以前と同じように魚が獲れて、大智は(これで食料不足は免れたな)とホッとした。(あとは桟橋を直さねば、、、そうだ筏をばらして使おう。今日はとりあえず川岸に引き上げておこう。あ、生け簀もなくなったから作らなくては、、、災害があると復興が大変だな。家が被害が無かったのは本当にラッキーだったし、丘の上に建てて正解だった)
翌日は桟橋を直したり生け簀を作ったりした。家族も丘の麓に行くのを怖がらなくなって、大智はホッとした。(だが里芋は全滅のようだ、、、親芋を水で洗って植えなおしたらどうだろう)大智は試しに10個ほど洗って、丘の斜面の樋の水や廃水が流れている端に植えておいた。(まあ里芋がだめでも稗も山芋もあるから餓死することはないだろう。それより舟をどうするか、もう一艘造るか、、、しかし大きな杉の木が、、、そうだ、北の山の崖の上に、、、だが根周り直径1メートル50センはありそうだが切り倒せるだろうか)
翌日から大智とつるぎと婿の3人で、それぞれ狩りの準備と槍と斧と弁当を持って、北の山の東側斜面崖上の杉の大木の所へ行った。この大木は根元付近が曲がっているがその上は真っすぐ天に向かっていた。曲がった元から切れば船首にもってこいの形状だった。最初は切りにくかったが木の下側から二人で切っていった。疲れたら一人が休憩し、いつも二人が石斧を叩きつけていた。そして1週間ほどで下側が直径の3分の1くらい切れると、次は両横側を切っていった。
横側を3分の1くらい切るのに1週間かかった。最後に上側を切っていったが2週間ほどして、まだ切れていないのは真ん中の直径50センチほどになり、強い風が吹けば折れてしまいそうになった。斜面を下りながら大智が二人に言った「いよいよ明日は折れるかもしれないな」その時先頭にいたつるぎが足を止め身をかがめて西の方を指差した。斧で木を切る音で獲物など逃げていないだろうと思っていたが、つるぎが指差した先には大きな熊が草の茂みの中をノロノロ歩いていた。
一応狩りの準備はしてあるので仕留められると思ったが家まで運ぶのが大変そうだった。しかし家の近くに来て、子どもたちにもしものことがあったらと想い仕留める事にした。三人は20メートルほどまで近づいて同時に矢を射た。熊は途端にこちらを振り向いて後ろ足で立った。三人は続けざまに矢を射た。6本の矢が熊の胸や腹に突き刺さり後ろ側に倒れた。つるぎが突進して槍でとどめを刺した。
辺りは薄暗くなりかけていた。三人は急いで矢を抜き取ると、一緒に引っ張って熊を川原まで転がし落とした。そこで毛皮を剥がし、腹を切り開いて心臓と肝臓だけを取り出して毛皮で包んで背負い籠に入れてから大智が言った「ここに置いておけば狼に食べられるだろうが、それはせいぜい腹の部分だけだろう。明日の朝までなら腐らないだろうから明日の朝みんなで取りに来れば良い」それから三人は暗くなる前に急いで家に帰った。
翌日の朝食後、ももと赤子を家に残して他の者は一緒に熊の肉を獲りに行った。思った通り熊は腹部は食われていたが他の部分は無傷だった。男たちが肩や股の所から四肢を切り離したり、肋骨を叩き切って解体すると、女たちが背負い籠に入れて家に持って帰った。全て運び終えると三人はまた杉の木の所へ行った。恐らく今日中には切り終えるだろうと思っていたら、いち早くつるぎが斧を叩きつけると、数分後にはメキメキと凄い音を轟かせて折れて崖下の川まで落ちて行った。
三人は歓声を上げてから家に帰り、一休みしてから船で木の落下地点に行ってみた。木は川に浮いていたが、枝が川底に引っかかっているのか、舟を漕ぎながら引っ張っても全く動かなかった。「皆で長いロープで川岸から引っ張っらないと無理だな」と大智が言い、三人は家に帰った。それから数人にカズラを獲りに行かせ、帰って来ると皆でカズラを三つ編みにして丈夫な長いロープを作った。
翌朝みんなを川岸に連れて行き、木の根元の方にロープを縛り付けて全員で下流の方へ引っ張ると、木はゆっくりと流れ始めた。だが川が淀んで葦が群生している所で止まるとそこより先には行きそうになかった。桟橋の所まで運びたかったがやむを得ない。一番近い川原に根元だけでも引き上げて、枝を切ったり幹を船の長さに切るしか方法がなかった。しかし川岸から全員で引っ張っても根元側の幹を2~3メートル引き上げるのが精いっぱいだったので、そこに屋根を作って作業する事にした。
翌日から屋根を作る者、上に上がって幹を切る者や舟で近づいて枝を切る者など分業して丸木舟造りを始めた。最初の枝がある所までの幹の長さは約13メートル、その次の枝までだと14メートルほどになるが、大智はどっちを切るか迷った。(舟は少しでも長く大きい方が良い。だが枝や節があるとくり抜きづらい、、、いいや13メートルにしよう。これでも今の舟の倍の長さだ。しかも直径は1.5倍、かなり大きな丸木舟になる)
幹を13メートルの所で切る為に、幹の両脇に竹を川底に突き刺して足場を組んだ。その足場の上と幹の上の三人が交代しながら幹を切っていった。切り終えるのに1ヶ月半かかった。そのころには今の状態で切れる枝は全て切り離していたので、反転させてから皆で引っ張って川岸に上げた。それから幹にロープを縛り付けて、これも川岸に引っ張り上げた。(さあ、これからが舟造りの本番くり抜き作業だが、すでに2艘造っているので皆も要領は分かっているだろう)
結局、丸木舟を完成させて川に浮かべたのはほぼ2か月後だった。とにかく大きかった。船底に大人が二人並んで眠れたし、家族14人が乗ってもまだスペースに余裕があった。さっそく全員乗って海に出た。赤子以外12人が舟の左右を櫂で漕ぐとかなり速かった。アウトリガーの代わりに古い丸木舟を取り付ければ十分に日本まで行ける事を大智は確信し、桟橋で取り付けた。
大小の丸木舟の間を3メートルにし、大きい方に高さ4メートル小さい方に2メートルのマストを立て、台形の帆を張れるようにした。しかも横風用に小さい方のマストは後ろ側の連結壁にも取り付けられるようにし、舟に対して斜めに帆を張れるようにした。そして実際、少し風がある時に6人が乗って沖に出て帆の使い方や操舵の練習をした。その結果、向かい風はだめでも横風なら行きたい方向にある程度行けるようになった。これは現在のヨットのセーリングのようなもので革新的な技術だった。
大智はすぐにでも日本へ行きたくなったが、その前に練習を兼ねて台湾北端まで行く計画を立てた。その計画は赤子二人を含め14人全員で行き、食料も3週間分持って行く事にした。また大小の舟の間の連結棒に並行して数本の補助棒を固定し、その上に組み立て式のトイレも作った。トイレは当然、四方を薄い筵で囲って見えなくして女性も安心して用が足せるようにした。まあ強風の時は筵を外すしかないが。

準備ができると早くもその翌朝出発した。海に出ると、海岸から50メートルほどの沖合いを手漕ぎで北上した。疲れた者が赤子の面倒を見、それ以外の者がひたすら漕いだ。1時間ほどすると海岸の断崖に滝があった。その滝の水は直接海へ落ちていた。舟の中の水瓶は満杯で補給する必要がないので素通りした。さらに2時間ほど北上すると、まるで山を切ったような谷川があった。その川は岩だらけの河口が海に達していてかなりの急流だった。人がいる気配もなかったのでそこも素通りした。
そこから2時間ほど進むと川幅70メートルほどの川があった。河口は両岸とも砂浜になっているし、山まで2~3キロの平野があるようだった。もしかしたら人が居るかも知れないと思い1キロほどさかのぼってみた。人は見当たらなかったが、何故か南側の草原だけ猪や鹿の群れが見えた。北側も同じような草原だがひっそりとしていた。大智は猪の群れを目で追いながら(干し肉がいっぱいあるから今上陸して狩らなくても良いだろう)と思い海まで引き返して薄暗くなるまで漕ぎ続けてから停泊した。
翌日朝食後から手漕ぎで3時間半ほど北上するとまた川があった。手前の川よりかは狭いがかなりの急流でさかのぼれそうになかったので南側の川岸に上陸してみることにした。大智とつるぎと婿の三人で上陸してすぐに、川岸の砂地の所に複数人の足跡を発見した。その足跡は草原から川原に来て、また同じ所を通って草原に帰ったのが見て取れた。またその草原には踏み分け道ができていた。だがその草原の草は人の背丈よりも高く、もし熊などが潜んでいて突然襲われたら、と考えると入っていく気にはなれなかった。
大智たちは舟に引き返し、50メートルほど沖合いに錨を降ろして昼食をしながら川岸を観察していた。すると1時間ほどして鹿等の毛皮をまとった男たちが草原から出て来て、舟に気づいて驚いた表情で何かわめきながら槍を突き上げたりし始めた。大智は立ち上がり槍を振りながら裸族の言葉で話しかけた。しかし通じないようだったので婿に代わってもらった。だが婿の言葉も通じないようだった。どうも裸族とは違う部族らしい。
そうこうしているうちに女や子どもまで海岸に出て来た。総勢50人ほどだった。大智はつるぎや婿と話し合った。「どうする、上陸するか」「上陸して何をしますか、言葉も通じないのに」と、つるぎが言った。「、、、うむ、それもそうだな、、、婿殿はどう思う」「俺も今奴らと接触する必要はないと思います」「そうか、では出発しよう、だが北側の川岸はどうする」「この急流では奴らは北側に渡れないと思います。もし人が居ても別部族かもしれません」「、、、そうか、ではこのままま出発するか」
その後錨を上げ沖に出た。部族の人たちは船が見えなくなるまで見続けていたが、無視して舟はさらに北上した。それから二日間はただひたすらに漕いだ。そして三日後の朝食後2時間ほどすると急に海岸線が西に折れて、断崖や荒々しい岩だらけの磯が続くようになった。1時間ほどそのような景色を見ながら西に進んで行くうちに大智は(ここが台湾の北端かも知れない、、、俺の推測が正しければ、もう少し行けば北へ向かう砂浜になるだろう)と思った。そして大智の推測通りに砂浜に達した。
砂浜の向こうは広い草原らしい。「また虎が居るかも」と大智は南の大草原を思い出しながら呟いた。しかし虎どころか鹿や猪すら見当たらなかった。大智は次第に(こんな草原で動物の姿が見えないとは、、、何か変だ)と訝しく思った。実際その草原は奇妙だった。見渡す限り樹木が1本もない。ただ背丈の高い草が生い茂って冬枯れしているだけだった。
(恐らくこの草原は、東シナ海が海面低下でできた陸地であり大平原になっているのだろう。だが樹木がない理由がわからない、、、)さらに北上した。海岸線はところどころ磯や入江になっていたが、だいたいは長い砂浜が続いている。(それにしてもこの砂浜と草原は広いな。2時間漕いでもまだ続いている)その頃から強い北西の風が吹いてきて急に寒くなった。
大智は、北西側に小高い丘がある入り江を見つけ、そこの中に入り錨を降ろした。太陽の傾きから5時ころだと思われたが、空には薄雲が広がり始めていた。(もしかして冬型の天気になるんじゃ、、、とは言ってもまだ10月初めだが、、、それと、北西の風がこんなに強いという事は、やはり台湾の高い山が終わった。つまりさっきの所が台湾最北端で間違いないようだ、、、それにしても寒い、毛皮の上着を着よう)大智は、皆にも上着を着させた。
結局その日はそこで停泊した。夕食後、毛皮を縫い合わせて作った幌を舟全体を覆うように被せ、その中で6組の夫婦が抱き合って眠った。夜が更けるとさらに寒くなった。大智が幌の外を見ると雪が降っていた。思わず身震いしてももに抱き着いた。その時、陸地の方から今まで聞いたことがない唸り声が聞こえた。「な、なんだあの唸り声は」「あれ、象の鳴き声だよ、あたいが小さい時聞いたことがある」「なに、象、、、」
象の鳴き声は明け方さらに高くなった。うるさかったせいか日の出前にはもう皆起きだした。陸地の方を見ると草原のかなたに十数頭の象の群れが見えた。「あんなに遠くにいるのに鳴き声がここまで聞こえるのか」「そうだよ、象の鳴き声は遠くまで届くんだ。あたいが小さい時も遠くの象の鳴き声が聞こえたんだ。そのせいで人間に追い回され殺されて食われた」「、、、」「たぶんここでも人間が追い回している。それより白湯を沸かして朝飯しょう」
一番船首側に寝ていた大智夫婦は、七輪の炭を燃やして大きな鍋で湯を沸かした。その間に炒った稗と干し肉を茶碗に入れて皆に配った。湯が沸くと瓢箪の柄杓で竹の湯飲みに注いでこれも皆に配った。その後で甘柿を一個づつ配った。皆にとっては申し分のない朝食だった。大智は柿を食べた後で白湯をお代わりし、息を吹きかけゆっくり飲みながら呟いた。「、、、雪が止んでよかった。それに風も弱まっている、、、今日はもっと北に行ってみるか」
その時東の水平線に朝陽が昇ってきた。薄雲があるのか真っ赤な朝陽だ。しばらく見とれていたが、みんなが食器を片づけたので錨を上げ出発した。入り江を出て北上すると海岸線の地形が複雑になった。入り組んだ海岸があったりこじんまりとした砂浜があったり大小の岩だらけの磯があったりした。また浅瀬も多く、かなり沖に出ても海面すれすれの瀬があったりして危険だった。大智は船首に座り瀬を見つけては迂回させた。本当に危険な海域で本来のスピードを出すことができなかった。
やむなく100メートルほど沖に出て北上した。それでも時おり浅瀬があり、気を抜けない航海になった。昼頃小さな入り江で錨を降ろして昼食したが、大智は疲れ果てて自問した。(こんなに苦労して俺はいったいどこに行こうとしているのか、、、日本に行くならもっと沖に出て黒潮に乗れば良い。このまま海岸線に沿って朝鮮半島に行き、そこから九州北部まで行けない事はないが、こんな調子では1ヶ月はかかるだろう、、、よくよく考えたら無駄な航海のように思えてくる。もう止めてかえろうか、、、)
その時また草原の向こうから象の鳴き声が聞こえてきた。よく見ると1キロほど先の岩山の崖っぷちに数頭の象が槍を持った原始人に追い詰められていた。原始人は数十人いて槍を投げたりして象に迫っていた。やがて象の一頭が後ずさりして崖から落ちてしまった。原始人は残りの象を追い払い、崖っぷちから落ちた象に大きな石を投げ落とし始めた。やがて象の悲鳴が消えると崖下に降りて行った。
(これが石器時代の象狩りか、、、マンモス象もナウマン象も人に狩られて絶滅したと何かで読んだことがあるが、、、)その時ももが言った。「あんた、象の肉もらってきてよ、美味いらしいから」「お、おい簡単に言うなよ、ただでくれるわけないだろ」「だったら物々交換、干し肉でも持って行けば」「そんなの欲しがらないよ」「じゃあ、、、」ももは少し考えてから言った「柿はどう、たぶん食べたことがないから喜ぶと思うよ」「、、、本当かなあ、、、」
しぶしぶ大智はつるぎと婿を連れ、柿を50個ほど籠に入れて念の為、弓矢や斧や槍を持って上陸した。船は二郎たちに沖合で錨を降ろして待機させ、草原の枯草を斧でなぎ倒しながら崖下に行った。すると手に持った石器で象の腹肉を叩き切って食べていた原始人たちがいっせいに大智たちを見た。その原始人たちの表情は警戒心丸出しだった。大智は、つるぎと婿を止まらせ一人で数歩進み、槍や弓矢を横に置いてから籠を降ろして中の柿を取り出し、両手で捧げ日本語で「これ食べないか」と言いながら近づいた。
すると象の肉を食べていた一人が近づいてきたので柿を手渡し、1個を食べて見せた。原始人は不思議そうな顔で柿をかじりすぐに顔色を変えて食べだした。途端に他の原始人が集まって来て柿を求めた。大智は象を指さしてから柿と交換するよう手振りで示した。すぐに商談成立、大智たちは象の所へ連れて行かれ、肉片を手渡された。だがそれでは足りないので、かと言って原始人の切り方では間に合わないので、大智は斧で腹肉1メートル四方ほどを切り取った。
すると原始人たちは目を見開いて斧を見つめた。大智はその視線を無視して象肉を三等分にしてそれぞれの籠に入れて背負った。原始人たちはその背負い籠にも興味を示した。三人が帰り始めるとぞろぞろついてきた。大智は、こうなることを予測していたが、対応策までは考えていなかった。入り江まで帰って来ると、手招きして舟を浜辺に着けさせた。原始人たちはこの舟にも驚いていたが、大智たちはさっさと船に乗って沖に出た。
その時になって原始人たちは我に返ったのか急に大声を上げだした。中には小石を投げつける者もいて、一人がすると皆も石を投げ始めた。大智たちは急いで石が届かない沖まで出た。それから入り江の外に出ると、原始人たちはいっせいに砂浜を走りだした。だが原始人たちが入り江の南端まで来る前に船はそこを越えて遠ざかっていた。だがそこからは浅瀬が多い所だ。大智はまた船首に座ってコースを指示した。
大智は(夕方までにこの難所を超えられれば良いが)と思った後ですぐに(別に急いで帰る必要はない。どこかに上陸して象肉を焼いて食べよう、、、それにしても陸地は草原ばかりで木が生えていない。炭はもう少しあるが薪までは持って来ていない。できたら上陸して焚火で焼いて食べたいのだが、、、)と考え直して、浅瀬と陸地を見ながら進んだ。それから1時間ほどして、磯の岩の間に大きな流木が挟まっているのが見えた。海面よりかなり上にあるところをみると、数か月前の津波で打ち上げられたらしい。
(という事はもう十分に乾いているだろう、薪にもってこいだ)そう思った大智は、岸から10メートルほどの所で船尾の錨を降ろして、そのまま直進し船首を岸に着けた。船首の錨を岩の上に置いてから婿とつるぎの三人で斧を持って上陸して流木の所へ行った。流木は松の木で、崖っぷちの松が地震で崩れ落ち津波で運ばれてきたらしかった。何にしても好都合でさっそく三人で切って舟の近くに運んだ。
それから見晴らしの良い岩の上で、石で囲ってかまどを作り象肉を焼いて食べた。ももが言うほど美味いとも思えなかったが、腹の足しにはなった。食後は竹の湯飲みで白湯を飲みながら寛いだ気分で地平線のかなたに沈もうとしている夕陽を見た。(向こうは恐らく中国大陸だろう、、、陸続きになっているから歩いて行けるだろうし、さっきの原始人たちもナウマン象を追って歩いて来たのだろう、、、それなのに、、、
それなのに3万年前台湾に住んでた人たちは何故与那国島に渡ったのか、、、まあ舟なら食料等を多量に運べるし最短距離を行けるが、徒歩では運べる物が限られているし、湾曲部などでは長距離になる。しかも狩りなどをして食料を確保しながらの移動だっただろうから長期間になる。最短距離の朝鮮半島からでも数か月や数年かかって日本列島に到達したのだろう、、、しかし今回の旅行で俺は新たな疑問を持った。
それは、朝鮮半島経由や北から日本列島に入った原始人は理解できるが、食料確保が容易な台湾東部から何故、寒くて食料確保が難しいと思える北東を目指したのか。いやそうではない。俺のこの疑問は、当時いや今の寒い日本の状態を知っているから生じた疑問だ。当時つまり3万年前に台湾東部に住んでいた人たちは、東80キロほどの所に与那国島がある事など知らなかったはずだし、ましてや琉球列島があることも日本列島があることも知らなかったはずだ。それなのに何故、当時の台湾の人たちは無謀な船出をしたのか、、、
居心地の良い台湾東部で異変が起き、とにかく船出するしかなかったのか。そして幸運にも与那国に到着できたのか。そして与那国で子孫を増やし、少しづつ琉球列島を北上しながら各島々に住み着いた者とさらに北上した者たちが居て、最終的に日本列島に到達したのだろうか、、、それにしても俺は何故日本に行きたいのだろう、、、日本人だからか。いや、他にも理由があるはずだ、、、どんな理由があると言うのだ、、、)
そんな事を考えていると、つるぎが傍に来て言った「父さん、今夜はここに泊まるの」「ん、ああ、そのつもりだ、だが陸上は心配だから舟の中で寝よう」「分かった、その準備するよ」「ああ、頼む」そう言った時、大智の目に北側の遠くの磯に黒い物が動いたのがが見えた。
よく見ると数十頭のアシカが磯の石の上で動いていた。その磯の沖を舟で往復したのだが、その時は居なかったのかそれども浅瀬に気を取られてよく見ていなかったので気付かなかった。まあアシカが居たから別にどうこう言う事ではないが、、、(いや、アシカの油はランプ等に使えるが、、、そうだ、石鹸の材料にもなるとか、何かで読んだ気がする、、、捕まえるか、いやいずれにせよ明日だ)大智はそう考えてから舟に乗り寝る用意をした。
翌朝は干潮だったし波が無かったので海底がよく見えた。大智は何気なく海底にいっぱいいる赤っぽいウニを見て思わず歓声を上げた。「う、ウニだ、ウニがいっぱいいる」他の者が驚いて大智を見た。大智は舟に積んであった竿でウニを岸に上げてから竹ナイフと箸を持っていきウニを割ってみた。たっぷり卵が入っていた。さっそく箸で口に運んだ。そしてすぐにまた歓声を上げた「美味いぞ、、、本当に美味い、お前たちも食べてみろ」
ももを筆頭にみんながこわごわと口に入れた。そして美味いを連発した。それから皆でウニ獲り、ついでにサザエやアワビそれに大きな伊勢海老までも見つかりお祭り状態になった。(寒い所の海の方が海の幸が多いと聞いたことがあるが、正にその通りだ、、、そうだ急いで帰る必要はない。津々浦々で海の幸を満喫しよう、、、焼きウニも美味いらしい、次は焼きウニを稗の上に乗っけて食べてみよう)
1時間後には皆満腹になり舟内で横になる者や岩の上で横たわる者が多くなった。やがて潮が満ちてきて海に捨てたウニの殻に大きなカワハギ等が寄ってきた。それを見てつるぎが言った「父さん、カワハギがいっぱいいる。槍で突いて獲ろうか」「獲ってどうする、みんな満腹だよ。干物にするならここで獲らなくても家の前の海で良いだろ」「そうだね、、、」「それより一休みしたら上陸してこの辺りを調べてみよう。何か珍しい物があるかもしれない」
その後、大智とつるぎと婿の三人で狩り装束で磯から草原に入った。海に近いせいか草の背丈が低かったので歩きやすかった。草原に入ったとはいえところどころに大きな岩もあった。その岩の方から女性の甲高い悲鳴が聞こえてすぐ、子どもを二人も抱いた女性がよろよろと出て来た。大智がよく見ると、女性の向こうに大小2頭の熊が近づいていた。大智が走りながら二人に言った「先ず大きい方の熊を射れ、動きが止まったら小さい方だ。その後すぐ槍でとどめだ」
三人は20メートルほど手前で立ち止まり射た。三本の矢が大きい方の熊に突き刺さり動きが止まった。続いて小さい方の熊にも矢が突き刺さった。念の為大きい方の熊にさらに三本の矢を突き刺さしてから、つるぎが走って行ってとどめを刺した。女性は力が抜けたようにその場に座り込み荒い息を吐いていた。その女性はまるでミイラのように痩せていたが、抱いている二人の子どもも痩せこけていた。大智は一目で餓死寸前だとみてとり、婿にゆきやライムを呼びに行かせた。
それから背負い籠の中から水の入った瓢箪を取り出して三人に飲ませた。しかし生まれたばかりらしい子どもは水さえも飲めないほど衰弱していた。大智は女性のむき出しの胸を見たが萎れ果てていた。これでは母乳も出ないだろう。その時ライムが来たので大智は母乳を飲ませるように言った。ライムはすぐに子どもを抱き上げ乳首を口に含ませた。子どもは無意識状態でも乳首を吸うようで、やがて力強く吸いだした。それを見て大智は安堵した。
その時ももが来て一目で状況を察し、女性と上の子に干し肉を与えた。だが固い干し肉が噛み切れないようだったので、大智はすぐに熊の腹を裂いて肝臓を取り出し小さく切って親子に与えた。親子は丸飲みしているのかと思うほど速く肝臓を食べ次第に元気になった。もう大丈夫だと思った大智は、つるぎと婿と一緒に熊の毛皮を剥いだ。それが終わったのを見定めたように岩陰から20人ほどの原始人が出て来た。そして何人かが熊を指さしてはその手を口に当てる仕草を繰り返した。大智は、剥ぎ取った毛皮を持って下がり、手招いた。すると原始人がいっせいに熊に群がって食べ始めた。
大智は(、、、舟に食料はいっぱいある、熊はくれてやろう)そう思って家族を促して舟に向かった。すると女性が二人の子を抱いて足を引きずりながらついてきた。それに気づいた大智が振り向いて、原始人の所へ行くように手振りでしました。すると女性は泣き出しそうな顔で大智を見つめた。その顔に気づいたももが大智に言った「この親子、連れて行こうよ。あいつらと一緒に居ても置いて行かれ、熊や狼の餌にされるだけだよ、、、」
それからももは独り言のように言った「この親子は運が良いよ。こうやってあんたに助けられたんだから。そんな運が良い親子をまた不幸にするなんてできないじゃないか」大智はももの横顔を見て、ももの母親がももを守る為に熊に食い殺されたのを思い出してからライムに言った。「この母親は等分母乳が出ない。その間はお前とゆきが母乳をやれ」それからももに言った「この親子はお前が面倒を見ろ。先ず湯を沸かして体をきれいに洗ってやれ」それを聞いてももは嬉しそうに大智の手を撫でてから親子を手招いた。
ももは磯に帰ると大きな鍋で湯を沸かした。その間に親子を海に浸からせヘチマで全身をこすって垢を落とした。そうしながら自分が初めて丘の上の家に来た時のことを懐かし気に思い出していた。(あの時は大智が今と同じようにあたいを洗ってくれたが、とても気持ちが良かった、、、あれからもう何年経つのだろう、、、5人の子を産み育て、みんな大きくなって、、、全て大智のおかげだ、、、あたいは死ぬまで大智と離れない)
親子が湯浴びを終えたころ原始人たちがぞろぞろ磯に来た。当然初めて見た舟に驚いていたが、大智たちは無視して鍋などをかたずけてから親子ともども舟に乗り岸を離れた。その時大智は思った(原始人たちに弓矢や斧をやったり、いろいろ教えるのは良いがキリがない。我が子だけで精いっぱいだ、、、さて暗礁の多い所だ気を付けて行こう)大智はまた船首に座り暗礁をよけながら進んだ。
幸い夕方には暗礁の多い海域を通過できた。そこからは右手に南北に続く長い砂浜を見ながら南下した。その途中で、来る時には気づかなかった、砂州によってできたと思われる入口幅が狭い入り江があり、その中で停泊することにした。だが翌朝驚いた。干潮のせいで入口が陸地になり舟が出られない。夕方の満潮を待つか早朝の3時ころ出るかしか術がなかった。(まあ急いで帰る必要はない、、、これも経験の一つだ、、、それにしてもこんな大きな潮溜まりがあるとは。もしかしたらこの中には特別な魚が居るかも知れない)
大智がそう思ってしばらくして、海底を見ていた二郎が震えながら言った「と、父さん、海の底が動いている」そんなバカなと思って大智が海底をみると、確かに動いている。だがよく見るとそれは大きなヒラメが砂に埋もれたまま移動しているのだと分かった。「なんだ、二郎あれはヒラメという魚だ。そうだ暇つぶしに竿で浜辺に追い上げてみるか。みんな錨を挙げて漕ぐ用意をしてくれ。それから二郎は向こうの船の船首で竿で追え。父さんはここで追う」
漕ぎ手の準備ができると大智と二郎が、竿でヒラメの尻尾の辺りをつつきながら、舟を砂浜に向けて前進させ、浜辺の手前1メートルくらいの所でヒラメの尻尾の付け根を竿で力いっぱい突いた。すると予想通りヒラメは浜辺まで飛び上がった。すかさず船首にいたつるぎがヒラメの頭に槍を突き刺した。みんなが歓声を上げた後で、体長1メートルくらいのヒラメの解体をした。貝ナイフで三枚におろして刺身のように切って、海水に浸けて食べたが美味かった。特にエンガワは本当に美味かった。良い思い出になった。
また、その入り江に居たのはヒラメだけではなかった。大智の草鞋を切ったあの三角形の大きな貝がいたるところに居た。その貝を数十個採りサザエやアワビと同じ籠に入れ海に浸けて生けた。これで良い貝ナイフが作れるだろうと大智は喜んだ。
やがて潮が満ちてきて、砂浜の向こうの草原がよく見えるようになった。見渡す限りの大草原。樹木が一本も見えない不思議な大草原だった。その草原のいたるところに毛の長い大きな牛が群れで草を食んでいた。それを見て大智は(あんな牛が居るという事は虎もいる可能性が高い。入り江を出たら沖で停泊しょう)と考えた。やがて満潮になり入り江を出ると、日没まで浜辺沿いに南下して、少し沖合いで停泊した。
翌朝、日の出とともに皆が起きてきた。いつものように舟の中の七輪で白湯を沸かして飲みながら、炒った稗や干し肉を食べた。小さい方の舟でライムと一緒に寝起きした原始人の母親も息子もすっかり元気になり、戸惑いながらも朝食を残らず食べ終え、その後の柿も美味しそうに食べた。生後間もない娘も、数時間ごとに与えられるライムやゆきの母乳のおかげで元気になり泣き声も力強くなってきた。
その泣き声を聞きながら大智は思った(あの赤ん坊ももう大丈夫だろう、、、さて今日はどうするか、、、草原を探索するか、だが虎が居たら怖いな。まあ4~5人で矢を射れば倒せるとは思うが、そこまでして探索する必要はないだろう。珍しい物もない、ただだだっ広いだけで代わり映えしない草原のようだし、、、では、のんびり漕いで帰るか、、、まてよ、西の方から雲が広がって来ているな。もしかしてまた冬型の気圧配置になり北西の風が吹いてくるかもしれない、、、北西の風なら帆を斜めに張れば、、、)
大智はつるぎや婿と、帆を斜めに張る為にマストやロープを準備し、風が吹きだせばすぐに張れるようにした。するとつるぎが言った「父さん、こんな無風状態で何故、帆を張る準備をするのですか」「、、、つるぎ、西の空を見ろ、あの雲が広がれば北西の風が吹き出す」「え、本当ですか」「ああ、昼くらいから吹き出すと父さんは予想している。こういうのを天気予報というのだが、船乗りにとって天気予報は非常に重要な事なんだ。場合によっては生死にかかわるほどにな」
「天気予報、、、」「そうだ、お前も雲の動きや風向きから天気予報ができるようになった方が良い。今はないが、父さんが育ったころ、つまり3万年後はこの辺りは台風という暴風雨が年に何度も起きたし、冬には強い北西の季節風が吹いて舟が沈んで何人も死んでいる。だから天気予報で事前に船出を止めたりしなければならなかった。今は氷河期で台風も季節風もあまりないようだが、天気予報はできた方が良い。ここは3~4日間隔で季節風が吹き出すようだ」「、、、父さんは何故そんな事を知っているのですか」
「ははは、父さんは3万年後から来た未来人らしいのだ。だから色々なことを知っている。父さんは、父さんが知っている事をできるだけ多く、お前たちに教えておきたいのだよ」「と、父さんは未来人、、、」「そうだ未来人だ、3万年後の未来に日本という国があって、そこの東京という所で22歳まで暮らしていた。その間にいろいろな事を学んだのだよ。だから父さんは今生きている人たちよりもはるかに色々な事を知っているのだ、、、
だが知っていても何もできない事もある。例えば病気になった時、薬という物を少し飲ませば病気が治ると分かっていても、今はその薬がないから病気を治せない。だから病気にならないように、怪我をしないように日ごろから気をつけていなければいけないのだよ、、、お、見ろ虎だ、やっぱり虎が居た、虎が牛を襲っている」大智のその声でつるぎや他の者がみな虎の方を見た。
牛は大きな体のわりに動きが速く、角をいつも虎に向けていた。虎は牛の周りを回りながら距離を縮め不意に飛び掛かった。だが向きを変えた牛の角が前足に刺さり、そのまま振り飛ばされた。虎は忌々し気に起き上がり、前足を庇いながら去って行った。それを見ていた大智は思った。
(虎と言えど狩りを失敗することもあるんだな。しかも怪我をしたら狩りができなくなり、、、そんな虎が生きる為に弱い人間を襲うようになる、、、弱肉強食か、、、なんと残酷なことか、、、しかし自然界は全て弱肉強食で成り立っているようだ。強い者が弱い者を殺して食べて生き抜く、、、
人間を含む地球上の動物は進化途上の未熟な生命体と言えるだろう。何故なら、光合成で生存できる植物以外はすべて他の有機物を体内に取り込んで、食べて消化吸収して生命を維持したり成長したりしているからだ。しかもその他の有機物を体内に取り込むということは、肉食動物のように他の生き物を殺して食べる事に他ならない。その結果生死を賭けた戦いが繰り返されることになる。
それは人間もまた同様で、ひとたび飢饉でも起きようものなら隣村と食物を奪い合って争い、やがて部族間や国としての戦争になる。その結果が「人間の歴史は戦争の歴史だ」と言われるほどになってしまったのだ。自分が生きるためには他の生き物を殺して食べなければならないという残酷な宿命を負った生き物は、未熟な生き物としか言いようがないだろう。
もし完璧な生命体が存在するならその生命体は、植物のように太陽光線と水分だけで生存できるようになっているのではないかと思うし、そのような生命体こそ完壁な或いは究極の生命体と言えるだろう。そしてそのような究極の生命体が地球の雲の上で何億年も生き続けているかもしれない。
俺は、生命あるいは生命体についてよく考えるが、目に見えている生命体だけが全てではないはずだとも思っているし、宇宙にもそして地球上にも目には見えない生命体が存在しているだろうと思っている。現に昔は、細菌やウイルスのように小さくて見えない生命体もあったし、今でも幽霊とか霊魂とかのように人によって見えたり感じられたりする、生命体と言って良いかどうかは分からないものもある。
また宇宙では、人間に見えている物資はたかだか5%で残りの95%はダークタマーのように見えない物資だそうだが、見えない物資が95%もあるなら、そんな見えない物資でできている生命体がいても不思議はないとも思う。人間は見えるものしか信じないし認めないようだが、宇宙はもとより地球上でも見えない生命体が存在しているはずだと俺は思うのだ。
学生のころよくYFOや宇宙人についての動画を見たが、その動画に登場する宇宙人の大半が人類のように二本足で頭や目が大きい俗にいうグレイ型だった。だが俺はグレイ型の宇宙人ばかりではないと思っている。本当に進化した宇宙人なら、他の生き物を殺して食べなければ生きていられないなどという未熟な生命体のままではないだろう。植物のように水と太陽光線だけで生存できるようになっているのではないかと思うし、それどころか物資的な身体さえも無くして意識だけの生命体になっている可能性さえあると思う、、、)
「父さん、父さん、どうしたの何を考えているの。このままここにいるの」と言うつるぎの声で我に返った大智は苦笑いしながら言った「、、、では、のんびり漕いで南下しょう。途中で何か珍しい物が見えたら知らせてくれ」船は波もない無風状態の海上を、南に向けてゆっくり進みだした。右側は相変わらず南北に続く砂浜とその向こうの草原が見えていた。左側は島影一つ見えない大海原、単調で飽きてしまう風景だった。
その時大智は思った。(まだ陸地が見えるだけ良い。もっと沖に出れば大海原しか見えなくなり、日が高くなれば方角さえも分からなくなってしまう、、、それでも俺はまだ日本に行きたいのか、、、何の為に、、、
台湾の少し北のここでさえ寒いのに、今の日本は恐らくここよりも寒いだろう。北西の季節風が吹きつける地域は恐らく亜寒帯地帯で針葉樹林ばかりだろう。だが南東側の鹿児島や宮崎それに四国の高知辺りは、今の家がある台湾東部と同じかも知れない。だが、稗やクルミやクヌギドングリがあるかどうかは行ってみないと分からない。まあ海の幸は恐らくこの辺りと変わらないだろう。いやもしかしたら鮭がいっぱいいるかも知れない、、、)
その時、北西の風が吹き始めた。それに気づいたつるぎが言った「あ、風が吹いてきた、父さんの言った通りだね」大智は頷いてから言った「よし、帆を張ろう」数人で帆を張り終えると舟は海上を滑るように進みだした。大きい方の舟には大智が、小さい方の舟にはつるぎが船尾に座って操舵した。舟は手漕ぎの数倍の速さで南下し、夕方には早くも砂浜の海岸線を過ぎて岸壁の海岸線になった。すると途端に風がなくなった。台湾の東側に入ったのだ。
大智は帆をかたずけながら(やれやれ、また手漕ぎか、、、)と思った大智の目に、ずっと南の方の断崖に数十メートルの高い波が打ちつけているのと、そこから東に一直線に数メートル盛り上がった海面が見えた。「なんだ、あれは、、、」すぐに顔色を変え大智は怒鳴った「津波だ。みんな漕げ、沖に出るんだ、急げ」沖に出ると大智はまた怒鳴った「つるぎ、舵を左いっぱいにしろ。漕ぎ手は船の左側だけを漕いで舟を津波に直角にしろ。船首から津波を乗り越えるんだ」
津波が数十メートルに近づくと大智はまた怒鳴った「つるぎ、舟の中に座れ、みんな船側を握って離すな」すぐに舟は数メートル持ち上げられて落とされた。女たちの悲鳴が聞こえた。数秒後静かになった船の中から立ち上がって大智は「みんな大丈夫か、子どもは無事か」と言ってから一人ひとり見回した。「ふう、みな無事で良かった、、、ん、もう一回来る、みんな、もう一度船側を握れ」それから数秒後また持ち上げられ落とされたが最初のよりかは弱かった。
海が静まると大智は「よし、もう少し海岸に近づこう、それから家に帰ろう。まあ家に着くのは明日か明後日になるだろうが、、、」と言ってから櫂で漕ぎ始めた。赤子を抱いている者以外は皆で漕ぎ、日が暮れた所で停泊した。
翌日も一日中みんなで漕いだ。そしてその翌日の午後、家の前の海に着いたが、川は流木などで塞がれていて進入できなかった。これでは恐らく桟橋も壊れているだろうと思った大智は、つるぎと婿の三人だけで岩の台地に上陸して様子を見に行った。川沿いの草原は津波によって草がなぎ倒され、ところどころに魚の死骸があった。桟橋も跡形もなく壊れていた。岩の台地も津波が覆ったようだった。
丘の麓に近づくと、斜面中腹に津波で土が剥ぎ取られ岩盤が露出している所があった。つまりそこまで津波が来たわけだが、その高さに三人はゾッとした。恐らく30メートルは超えていたのだろう。(何という津波の高さだ、、、もし岩の台地や丘の麓に家族が居たら確実に死んでいた、、、舟も桟橋に留めていたら恐らく流されていただろう。舟で旅行に行ってたのは正に奇跡だ、、、)
斜面を昇って行くと左側の柿の実は無事で色づいていた。どうやら地震はあまり強くなったようだった。家の中も出かけた時のままだった。(という事は津波の発生源は、、、進行方向からして台湾の南、、、フィリピン辺りの海底火山でも噴火したのだろうか、、、)
やがて三人は舟に帰った。「さあ家に帰ろう」と大智が言うと、ももが青い顔で言った「あたいは上陸したくない。地震や津波が怖い、、、このまま地震や津波がない所に行こうよ。あれ見て、、、あの岩、津波で押し上げられたんだろ、フジツボやカキがついているもん。あんな大きな岩が、、、あたい、津波が怖いんだ」ももが指さした所は、さっき三人が上陸した時には気づかなかったが、岩の台地の松の木の根元に直径5メートルほどの岩が乗り上げていた。津波のせいなのは間違いないだろう。
「、、、津波が怖いと言ったってお前、家はどうするんだ。家は無傷だし安全だぞ」「嫌だ、あたいは舟から降りたくない。このままどこかへ行こう。津波や地震のないとこへ行こ」そう言ってももは舟から降りようとしなかった。大智は唖然として他の者たちの顔を見た。すると他の者たち特に女性たちは下船拒否の顔が多かった。つるぎと婿の顔は迷っているような表情に見えた。
「、、、津波や地震のない所と言ったって、、、津波は高い所に行けば良いが地震は、、、」その時、大智の脳裏にささやき声が聞こえた「今こそ日本に行く時だ」しばらく考えてから大智は言った「、、、分かった行こう。だがその前にありったけの食料と水、それから衣服やクズ布、斧や錐や、、、織機も持って行きたいが、、、柿も忘れるな全部採ってしまえ」その後、男たちはそれらの物を舟に運んだ。それでも舟にはまだ空きスペースがあったので、ベットの下に敷いていた筵まで乗せた。全て終えるともう夕方だった。
「明日の朝出発する、、、あの家に住んで25年だ、、、みんなで石垣造りをしたな、、、苦労して梁を上げたな、、、」大智がそう言うと、丘の上の家を見ながら泣き出す者も居た。さすがに大智は涙を見せなかったが、心の中では一番泣きながらここでの思い出に浸っていた。(恐らくこれも運命だろう、、、俺を日本に行かせる為に、、、)

翌朝、朝食後に真っすぐ沖に出た。2~300メートル行くと急に舟が北上しはじめ、黒潮に乗ったのが分かった。皆で漕ぐよりも何倍も速い。大智は舵を真っすぐに綱で固定し、のんびり皆と雑談をし始めた。「いま舟の下は海流というものが流れている。5日後の朝まではこのまま進むが、その後は皆で漕がなくてはならなくなる。今のうちに体を休めておけ」その時点では舟は真っすぐ北上していた。
翌朝起きると舟は北東に流されていた。大智は、琉球列島の西側を並行して進んでいるのを確信した。そのころから波間に草や、草原に住んでいる動物たちの死骸が流されているのが見えてきた。あの大きな牛まで流されている。大智は、あの草原に樹木がない理由がいま分かった。(津波だ、、、あの草原ができて以来、恐らく今までにも何度も津波が押し寄せて来たのだろう。そして海水が引いた後、塩分が土中に浸み込んだ。表層は雨で流されて草は生えても、土中深く根を張る樹木は育たなかった、、、たぶんこれがあの草原に樹木がない理由だろう。
それにしても、あの原始人たちも皆死んでしまっただろう、、、あの高さ30メートルの津波がたぶん草原全体を覆いつくした、、、草原に居て生き残れた者たちはわずかだろうな。原始人も動物も突然襲ってきた津波になす術がなかった。みんな津波という自然の猛威に殺されたのだ、、、津波が来た時、船に乗っていた俺や俺の家族は本当に運が良かったのだ、、、そして、ももの願いで船に乗った原始人のあの親子も、奇跡と言える幸運だろう、、、生き残れた俺たちは、何が何でも幸福にならなければならん、日本で、、、)
4日後の朝、舟は東に流されていた。みんなで急いで朝食をし、その後は舵を右手45度に固定し、皆で舟の右側を漕いで北を目指した。舟は海流に流され大きくカーブしながらも、少しづつ日本列島に近づいて行った。そして大智の心の中に焦りが広がった夕方にやっと陸地が見えてきた。「もう少しだ、もう少しで海岸に着く。みんな頑張れ」大智の言葉に励まされ皆で漕ぎ続けていると急に流されなくなった。大智は舵を真っすぐに直して漕ぎ薄暗くなったころ海岸に着いた。「みんなよく頑張った。無事に日本に着いたぞ。今夜は腹いっぱい食べてぐっすり眠ろう」

翌朝から日本での暮らしが始まった。大智は先ずここが日本のどこなのかを知りたかった。だが船から見える景色は、海岸の西側に落葉樹に覆われた低い山と、麓から東側に広がる平野、それ以外はただ海が見えているだけで、ここがどこなのかを知る事はできなかった。空を見ると西の方から薄雲が広がり始めている。無風状態だが気温が低くいのか寒かった。大智は上陸して落葉樹の山に行ってみることにした。
他の者は沖に停泊した船の中で待機させ、つるぎと婿の三人で狩りの準備をして出発した。降り立った海岸は岩だらけの磯だったが数十メートルで草原に変わった。しかしここも津波が襲ったようで草は枯れ、ところどころに魚の死骸があった。かまわず歩いて山の麓に行くと、斜面に津波に削られた跡が水平に伸びていた。それより下側の草木は枯れ、上側の木も根が露出しているのは枯れかけていたが、その上は大丈夫だった。斜面を昇って行くとクヌギドングリがいっぱい落ちていた。まだ新しくこの秋の実だと分かった。すぐにも拾いたかったが今は止めにしてさらに登っていった。
頂上は落葉樹に混じって松の大木もあったが、北側の斜面には杉や檜も多かった。ずっと北の方の高い山は針葉樹林らしかった。その針葉樹林の方から象の鳴き声が聞こえた。林の中にはナウマン象がいるようだ。原始人も居るかも知れない。三人は尾根伝いに北に向かった。登ったり下ったりの歩きやすい道を30分ほど歩いて行くと下り坂の下に幅数メートルの川があった。三人はその川岸で澄んだ水を手で汲んで飲んだ。冷たくて美味かった。飲料水になりそうだと大智は嬉しくなった。
念の為に源流に行ってみることにした。西に向かって谷間を数百メートル行くと、岩山に囲まれた小さな池があり覗くと、湧き水で水底の砂が噴水のように動いていた。正に清水だ。この川の下流に住めば飲み水は確保できると大智は思った。三人は引き返して下流に行った。谷間を出ると、東側はなだらかな勾配の草原が海まで続いていて、川も草で見えなくなっていたが海まで伸びているらしかった。
津波の到達点よりかは上だったし、石や木材も近くにあるので、そのあたりに石垣と家を建てようかと大智は考えた。(だが海まで遠すぎる、、、海の近くに丘と滝がある所が良い、、、台湾のあそこは本当に理想的な場所だったのにな、、、)そんな事を考えながら飛び石伝いに川を渡り、山の麓を北へ数キロ行くと、さっきの2倍ほどの川があった。谷間を出た水量のある川はほぼ直線で海まで続いていて、草原の間に河口が見えていた。
(この川なら流れも速くないし舟をここまで漕いで来れるかも知れない)そう思った大智は、引き返して舟で来ることにした。津波で枯れた草原の草を踏み倒しながら舟の所へ帰ってくると、二郎に舟を着けさせて乗り込んで言った「北の方に手頃な川があるから、その川の途中に停泊して桟橋も作ろう」
錨を上げ出発して1時間ほどでその川に到着した。しかしさかのぼろうと近づいてよく見ると、津波のせいか河口には砂利が堆積していて水深が浅くなっていた。しかたなくそのまま北に向かうともっと広い、幅20メートルほどの川があった。その川は河口の水深も深く、また流れも緩やかだったので手漕ぎでさかのぼった。両川岸には葦の群生があったが、津波でなぎ倒されたり流木が乗り上げていた。その上、猪と数人の原始人の死骸まで見え、大智は(しまった)と思ったが遅かった。
思った通りももがヒステリックに言った「ここも津波が来たんだ、嫌だこんな所」「もも、高い所に行けば津波は来ない。もう少し先で上陸して山に登ろう」「嫌だ嫌だ」とももが駄々をこねた。その時、上流の方で煙が上がっているのが見えた。「もも、見ろ、煙だ、人がいるんだ、行ってみよう」大智は何とかももをなだめながら上流に行った。そこには川岸で焚火をしている数人の毛皮の衣服を着た原始人がいて、舟を見て驚いていた。
大智は焚火の少し沖合いで船首の錨を降ろして止めさせてから婿に呼びかけさせた。だが婿の裸族の言葉は通じなかった。大智も婿の隣に立ち日本語で話しかけたが当然のこと通じなかった。大智は舵を引き上げ、竹竿で押して船尾を川岸に着けて上陸し、柿を三つ持って原始人に近づいた。原始人たちは警戒心と好奇心丸出しの表情で見ていたが、大智が数メートル手前で立ち止まり美味そうに真っ赤な柿を食べ始めると、好奇心に負けたと見え近づいてきた。
先頭の原始人に一つ与えるとすぐに齧り、驚嘆の声をあげて食べだした。それを見て他の原始人たちも手を伸ばして近づいてきた。大智は婿たちに原始人の人数分の柿を持ってこさせて手渡した。先頭の原始人が食べ終えると、大智に近づいて自分の胸を叩いて見せた。他の原始人たちも食べ終えると同じようにしたから、これがこの部族のお礼の仕草らしかった。
大智は一歩近づいて焚火を指さしてから、身振り手振りで近くに行ってよいかと示した。大智の仕草の意味が通じたようで、すぐに手を引かれ焚火の傍に連れていかれた。大智はつるぎに湯沸かし鍋と柄杓や竹の湯飲みを持ってこさせ、川の水を鍋に入れさせようとすると、原始人が制して立ち上がり、鍋を持ってついてこいと動作で示した。大智とつるぎがついて行くと、少し上流の斜面に小さな滝があり、その水を汲めと示されたのでその水を汲んで帰って沸かした。
湯が沸くまでにももに、少し塩辛い干物を持ってこさせ、焚火の熾火で焼かせた。湯が沸くと皆で白湯を飲みながら干物を齧った。原始人たちはみなすぐに胸を叩いた。それから一人の原始人が立ち上がって斜面の上の方に向かって叫んだ。すると2~3分経って原始人の女性が、80センチほどの鮭をぶら下げて降りてきた。それを見て大智は、大げさに驚いた仕草をして見せてから、どこで獲ったのかと手振りで聞いた。すると原始人は川の上流を指差し、槍で突いて獲った動作をした。
この川には鮭がいることを知った大智は、不機嫌そうに横に座っているももに言った「もも見ろ、この川にはこんな魚が居るぞ、先ず食べさせてもらおう」焼けたところを食べてみた。鮭は濃厚な味がしたが物足りない。大智は舟にいる者に言って塩を持ってこさせた。焼けた鮭に少し塩を振りかけただけで驚くほど旨くなった。大智が原始人に食べさせると、みんな瞠目して白い塩を見た。原始人たちが塩を渇望しているのが一目で分かった。塩は、大智たちにとっても貴重品だが、少しだけ竹の湯飲みに入れて手渡した。原始人たちは非常に喜んだ。
鮭を食べ終えると大智たちは、川岸から数十メートル上の台地にある岩で囲まれた窪地に案内された。どうやらここが原始人たちの住まいらしい。入っていくと囲いの奥の枯草を敷き詰めた所に横になっていた長老らしき原始人が、上半身を起こして大智たちを見た。大智は近づき、裸族のように手を撫でた。すると長老は裸族の言葉で言った「どこから来た」「ずっと南から舟に乗って来た」舟という単語が通じなかったようで、長老は回りの原始人にいろいろ聞いていた。
長老は自分の目で見たくなったのか、よろよろと起き上がり、他の者に支えられながら囲いの外に出て川が見下ろせる所に行った。そして舟を見て瞠目して言った「あんたたちはあれに乗って来たのか」すぐ横に立っていた大智が答えた「はい」「ワシは若いころ南にいたが、象を追って何年も歩いてここに来た。もともとこの辺に居た部族の女と一緒にになり多くの子を育てた。だが子どもらはワシの南の言葉は覚えずここの言葉しか覚えなかった。久しぶりに南の言葉で話せてワシは嬉しい」
大智としても言葉が通じて嬉しかったし、いろいろな情報を聞けそうだった。大智はももを横に来させて言った「俺の妻も南の言葉が話せる。いろいろな話を聞かせてやってくれ」するとももは即座に言った「ここも津波が来たんだろ。あたいは津波が来る所は嫌だ」「お前は津波が怖いのか、、、心配いらん、津波はここまでは来ん。津波が川を上って来る時は音で分かるからすぐに高い所に登れば助かる、心配いらん」「、、、」ももは黙り込んだ。
「俺はこの辺に家を建てたい、もっと広い所はないか」「、、、家とは何だ」「石や木で住むところを作る。ここは石に囲まれているが雨に濡れる。家には屋根も作って雨に濡れないようにする。広くて見晴らしが良い所はないか。ついでに滝があればなお良い」「この東側に広い所があり滝もあるが、夜には狼が来る」「狼は石垣を築けば防げるが、象や熊は来ないか」「象は来ないが熊は時々来る」「分かった。俺たちはそこに家と石垣を作る」
その後、大智たちは広い所を見に行った。300メートルほど東側に広い所があり、北側に落葉樹に覆われた小高い山があった。その山の谷間に小さな滝と小川もあった。その滝の横を登って山の頂上に行った。だが下からは頂上に見えた所は、数キロ先にある1000メートルほどの高い山の尾根の一つだった。その山を見て大智は思った(近いうちにあの山に登ってみよう。あの山からなら、この辺の海岸線や地形が見えて、もしかしたら日本のどこかが分かるかも知れない)
大智たちは下山しながらさっそく周りの樹木を調べた。斜面には松や杉や檜もあった。滝の上の谷間には竹藪もある。だが柿はなさそうだ、まあそこまで都合よくはいかないだろうと大智は思った。広い台地に戻ると、そこから川岸に下りる道を、草木を折ったり踏み倒して作りながら降りた。川岸はちょうど川が曲がった所で、舟を停泊するのに適していた。大智たちは川岸を歩いて数百メートル上流の舟の所へ帰った。
翌日から台地で家と石垣築きを始めた。高さ1メートル70センチほどの石垣が出来上がるまで舟で寝泊まりし、時々は海に行って魚獲籠で魚を獲ったり、狩りに行って獲物を獲ったりしたが、2カ月程で台湾の家と同じくらいの広さの石垣が築けた。冬になり4日に一度くらい雪が降るようになったので先に柱と梁を作り茅葺屋根を作った。原始人たちは何度も見に来て、石垣にも柱と梁にも驚いていたが、この屋根に一番驚いていた。
そんなある日、大智は長老に自分たちの所にも屋根を作ってくれと頼まれた。大智は表面上は快諾し原始人たちに教えながら屋根を作らせた。だが斧を持っていないので木を切ることができなかい。仕方なく斧を貸してやり杉の木を切らせて柱と梁を作った。横木は竹を使い屋根が完成すると長老は喜んだが、大智たちが家の仕切り壁を作ると今度はその壁も作ってくれと頼まれた。大智は原始人たちに教えて土壁も作らせた。大智たちの家が完成したころ原始人たちの家も完成した。
その後も原始人たちは暇さえあれば大智たちの家に来て、かまどや鍋を欲しがった。(誰だって便利な物が欲しい、、、こんなふうになるのは分かっていたが、全くキリがない。もっと離れた所に家を建てれば良かった。後悔先に立たずだ、、、)大智はその思いをももに話した。するとももは「仕方ないだろ、あんたがここを選んだんだから。でも奴らだって、いつかは役に立つ時があるさね。家族が20人ほど増えたって思えば良いよ。できるだけ面倒をみてやれば良いさ」とあっけらかんとしていた。
やがて春になった。大智は場所を選んで稗や瓢箪やヘチマ、それに里芋とクルミと柿の種も植えた。(甘柿の種を植えても先祖帰りして渋柿になるが、、、甘柿の取り木をする時間が無かった。ここでも突然変異して甘柿になってくれれば良いが、、、ここは、緯度は台湾よりも高そうだが海流のせいか気温はあまり変わらないようだ。稗も育ってくれたら良いが、、、この辺りでも何か良い穀物はないだろうか)大智は狩りに行く時はいつも食用植物を探していた。
そんなある日、原始人の子どもたちが大豆に似た小さな黒っぽい豆を生のまま食べているのを見た。数粒もらって食べてみると乾いて固かったが大豆のような味だった。大智はその実が生っている所に連れていってもらった。そこは日当たりの良い斜面に、冬枯れした背の低い大豆の茎が群生していた。ところどころに葉やさやが残っていて、さやの中には豆があるのもあった。大智は、大豆の原種だと確信し栽培することにした。原種があった所のように日当たりが良い、小川の傍の緩やかな斜面を耕して種を植えた。
また、傷薬用に川原に咲いていたドクダミとヨモギを根ごと運んで家の石垣の周りに植えた。大智は自分の知識を総動員して穀物や食用植物を栽培していった。また、家を建てる為に切った杉や檜の跡地には、クルミや椎を植えておいた。主食の稗が残り少なくなったこともあり、皆で弁当を持って松林に行って松の実拾いをした。その時、松脂がいっぱいの老木を見つけ切り倒して松明を作ることにした。とにかく自然にある物を最大限に活用した。
生活が安定すると大智はつるぎと婿を連れ、狩りの道具と数日分の食料を持って1000メートルほどの高い山に登った。山頂から見ると、家は低い山に遮られて見えなかったが、河口と長い砂浜が見えた。それを見て大智は思った。(日本でこんなに長い砂浜があるのは九十九里浜だろうか、いや九十九里浜が見えるなら西側に箱根山や富士山が見えるはずだが、、、
東西に長い砂浜、、、もしかして高知県の土佐湾だろうか、、、今は3万年前で2025年よりも海面が低いので砂浜も広くなっているはずだから、土佐湾の可能性が高いな、、、という事は下の川は四万十川だろうか。氷河期で雨量が少ない事を考慮すれば四万十川の可能性があるな。だとしたらここは四国の高知、冬でもあまり寒くなかったのも納得がいく、、、よし、家のある所は高知の西の端の四万十川沿いだと認識しよう)大智はそう考えてから下山することにした。
だが辺りはもう薄暗くなり始めていた。どこかで野宿するしかない。檜の大木の根元で焚火をしながら夕食をした後で、交代で一人が見張り二人が眠った。何事もなく朝を迎え、朝食後のんびりと下山したが、登る時よりも下山時の方が地形等が良く見えるようで、山の中腹に湖が見えた。三人はそこへ行ってみた。湖面には水鳥が無数に浮かんでいた。鹿や猪も水を飲みに来ている。まるで動物たちの楽園のようだった。
突然近くで象の鳴き声が聞こえた。驚いて鳴き声がした方を見ると10メートルほど先を6頭のナウマン象が横切って湖に入って行った。その大きさと迫力に大智は肝をつぶした。(近くから見るとこんなに大きいのか。原始人たちはこんな象を狩っているのか、、、原始人たちには恐怖心がないのか、、、)幸いにも象は大智たちに気づかなかったようで、湖の浅い所で水を飲んだりしていた。
(やれやれ、四国にもナウマン象が居るのか、、、家まで襲って来なければ良いが、、、さてどうしょう、いま動いても大丈夫だろうか、象が去るのを待つべきか、、、)大智が迷っているうちに象は立ち去り、ホッとしたのもつかの間今度は大きな熊が鹿の群れめがけて突進して行った。それを見て大智は考えた(こちらは男3人、弓矢30本と槍、倒せるとは思うが、帰りの距離が長い。このまま帰ろう)大智はつるぎと婿を促してその場を離れた。
林の中の昇り降りする尾根を歩いて、家の裏山の頂上まで帰ってくると、100メートルほど先に猪の群れが見えた。ここからなら家まで運べると考えた大智は、二人とともに身をかがめてそうっと近づいて行った。そして20メートルほど手前から三人同時に続けざまに2本づつ射た。2頭の猪が倒れ群れは走り去った。三人は走って行ってとどめを刺した。山の斜面を2頭の猪を転がし落としながら運び家に帰り着くともう夕方だった。また来ていた原始人たちに1頭を持って帰らせ、もう1頭を二郎や三郎に解体させた。

ここでの暮らしも安定してきて台湾に居た時と同程度になった。稗は食べつくしたがまだ昨年秋に拾い集めたクヌギドングリがあり、肉は狩りで魚は魚獲籠で獲れるので飢え死にする心配はなかった。時間的にも余裕があったので登り窯を造り、土器を焼いた。山の中の崖崩れした所で長石も見つけていたので釉薬も作り、大智としてはまあ合格点の土器ができた。さっそく大きな壺や鍋を長老にやり、ついでに作った塩も分け与えた。長老はホクホク喜んだ。
ここに来て半年が過ぎた。二郎も三郎も逞しく成長し、次女のはなも年ごろの娘になった。婿にするつもりで連れて来ていた裸族の男も好青年になり、はなと仲睦ましく暮らしている。ゆきやつるぎの子ども、それから原始人の連れ子の二人も母親ともどもすくすく育っていた。大智の身内はここでも何も問題なく暮らしていたのだ。だが原始人の家庭は、兄弟や夫婦間でよくもめていた。その原因はいつも食べ物の分配だった。
原始人たちは今も生肉を主食にしていたのだが、心臓とか肝臓は先ず長老が食べ、残りは息子や孫の男の子、その後で女たちが食べるのだが、ちょっと食料が不足すると女の子たちの分がなくなり、女の子たちはいつも痩せこけていた。そんな状態にもかかわらず男たちは、自分が空腹にならないと狩りに行かなかった。大智が見かねて「こんな暮らしでは女の子は生きていけない。もっとたくさん食べさせないとダメだ」と長老に言うと「食べ物の分配方法は昔からの掟だ、変えられない」と言う。
「では息子たちにもっと獲物を獲ってこさせろ」と言うと「食べ残しの肉は腐らせるだけだから獲物を獲り過ぎるのは馬鹿らしい」と言う。しかたがないので大智が、かまど等を作ってやり干し肉の作り方を教えた。「肉が余った時は干し肉にしろ。そうすれば餓えなくてすむ」そう言って大智は原始人の家を出て帰ってきた。(まったく世話が焼ける、、、原始人の近くに家を建てたのは失敗だった、、、)と大智は後悔していた。

大智の家族の暮らしは何事もなく過ぎていき秋になった。瓢箪もヘチマも実を間引いて蔓に1個だけにしたので大きな実になった。晩秋までおいて良い種を取り出した後は水入れや柄杓に、ヘチマはスポンジ代わりに使えると大智は喜んでいた。だが、それよりも嬉しかったのは稗が大豊作で、家族1年分の主食が確保されたことだ。(これで餓えの不安がなくなった、、、人間、衣食住さえ賄えれば、いつでもどこでも生きていけるのだ、、、その上俺は妻子に恵まれ、孫の成長を見守り、、、
俺はこれ以上どんな暮らしを望む必要があろうか、、、俺は3万年前の台湾に突然現れた。何故現れたのかその理由は今も分からないが、今こうして幸せに暮らしているのは紛れもない事実なのだ、、、人も他の生き物も、生まれたからには幸せに生きる事を目標とするべきだろうが、俺は今その目標を達成したのだ、、、22歳で死のうと50歳で死のうと、幸せに生きるという目標が達成できたなら、人生の長さにこだわる必要はないだろう、、、俺は幸せな人生を送っているのだから、、、)
そのころから大智は、もの思いに耽る時が多くなった。50歳に近づき当時としては老人と見られるようになったこともあり、狩りにも魚獲りにも行かせてもらえなくなった。そのような事は、ももの婿とつるぎが中心になって行っていて大智が助言する事も何もなくなっていた。大智はもうご隠居様の身であり長老と呼ばれるようになっていたのだ。もの思いに耽る時間はいっぱいあった。
その日も、いつものように朝食後の白湯をすすりながら赤い日の出を見ていた。すると突然脳裏に不思議な声が聞こえた。「3万年前に台湾から日本に渡ったのは間違いないが、そればかりではない。偉大な日本人の祖先は、縄文時代には太平洋を横断して南米にまで行った可能性があるのだ。私はいつの日かこれを検証したいと思っている、、、」
(この声は、、、大学の東教授、、、俺が最も尊敬していた、、、海流にも詳しい教授は良く言っていた「黒潮に乗れば3~4ヶ月でアメリカ大陸に着く事は、東日本大震災時の漂着物が証明している。問題はその間の食料と転覆しない舟を作れるかどうかだ」、、、何故俺は今になって東教授の言葉を思い出したのだろう、、、俺に太平洋を横断しろと言うのか、、、転覆しない舟はあるし、炒った稗を土器に入れておけば3ヶ月は腐らない、、、問題は水だ、、、水瓶を海水に浸けて冷やしておけば、、、待て、、、俺は本当に太平洋横断するつもりか、、、)
それからの大智はいつも太平洋横断について考えていた。(冬に出発すれば黒潮に加え北東の季節風が吹く。帆を斜めに張ればかなりの速度になるだろう。もしかしたら2ヶ月足らずで到着できるかもしれない、、、秋に稗の収穫が終わったら、、、誰を連れていく、、、つるぎ夫婦とゆき夫婦は二人目が生まれたばかりだ。では二郎と三郎夫婦、はなと婿も、、、その前につるぎたちにもう一艘舟を、、、)その後つるぎたちの為に丸木舟を造った。

稗の収穫が終わると、二郎夫婦三郎夫婦はな夫婦それに、死ぬまで離れないと泣き叫ぶももを連れて8人で出発した。大智が思った通り、黒潮と北西の風で双胴船はすごいスピードで東に進んだ。夜は風が止んだが海流が東に運んでくれた。3週間過ぎたころから、1週間に1度くらいは雨が降り、南の風とうねりが強くなったが舟が転覆するほどではなかったし、雨は新鮮で貴重な飲料水を補給してくれた。大智は(氷河期の太平洋は台風もなく正に太平の海だ)と思った。

だが、1ヶ月半を過ぎたころから大智は、身体の異変に気づいた。最初は手足に小さな血豆ができ不思議に思っていたら、その血豆が次第に大きくなり紫色になっていった。また酷い倦怠感で、座っているのさえ気だるかった。そのころになって大智は、自分が壊血病になっていることを知った。(間違いない、俺は壊血病だ、、、ビタミンC不足だ、、、保存性を高める為に稗を炒ったから唯一の植物性食料の稗にもビタミンCがなくなっていたのだ、、、炒った稗と干し肉と水だけでは、、、せめて新鮮な生肉でもあれば、、、イルカでも居ないか、、、)
大智の願いは叶わず、イルカどころか海鳥さえも見当たらず、四方八方ただ大海原が見えるだけだった。大智はももを呼んで聞いた「お前や他の者は皮膚にこんな物はないか」ももは二郎たちに聞いたが幸いにも他の者には症状は出ていなかった。それを聞いて大智は思った(俺が歳を取ったせいか、、、他の者が無事なのは不幸中の幸いだ、だがこの状態があと1ヶ月も続いたら他の者も、、、)
大智は二郎を呼んで言った。「二郎、舟が南に流されだしたらすぐに東に向けて皆で漕げ。夜も北極星で方向を調べて東に行け。そうしたら必ず陸地に着ける、、、陸地に着いたら猛獣に気をつけて、食べられる果物を探して食べろ。酸っぱい果物が良い。そうすれば元気になる、、、」その後、大智は寝たきりになり水を飲むだけになった。目を閉じて誰が呼びかけても反応しなくなったが鼓動はあった。
大智は夢を見ていた。自宅で炬燵に入り両親とみかんを食べていた。甘くておいしいみかんだった。だが突然酸っぱいみかんになった。(なんだこの酸っぱいみかんは、、、)そう思って薄っすらと目を開けると、ももが必死な表情で大智の口を開かせ酸っぱい液体を飲ませていた。大智は少しずつ意識が覚醒し稗のお粥も食べれるようになった。さらに1週間ほどして大智は座れるようになり、周りの景色を見て驚いた。夢にまで見た陸地がそこにあった。
ももが傍に来て言った「あんたの言う通り、舟が南に流されだしてすぐに東に向けて漕いだの。そしたら二日目に陸地が見えて、それから二日漕いでここに着いたの。もう皆へとへとだったけどすぐに陸に上がって果物を探したらこれがあったの。酸っぱかったけど、あんたに飲ませて、それからみんなも飲んだら元気になった、、、何もかもあんたの言う通りだった、、、あんたはすごい人だ、まだ絶対に死なないでね」
ももが見せたのはまだ青いレモンのような柑橘類だった。(、、、壊血病にはビタミンCが豊富な柑橘類が一番良い、、、俺はなんて運が良いのだろう、、、)その時、海岸から二郎の声が聞こえた「こんなのを獲ったけど食べられるのかな」大智が見るとそれはアシカだった。まだ大きな声が出せない大智はももに言った「あれの血を俺に、、、皆にも少しづつ飲ませてくれ。肉は鍋で焼いて油も採ってくれ。それとその獲物がどこにいたか聞いてくれ」ももが大智の言う通りに言うと二郎が言った「これ、向こうの海岸にいっぱいいるよ。石を投げても殺せるほどだ」
それを聞いて大智はふと思いだした(アメリカ大陸の西海岸はカリフォルニアアシカが多いが氷河期の今もいるようだな、、、アシカの肉が美味いかどうか知らんが栄養はあると何かで読んだことがある。今の俺に打ってつけの食べ物だ)大智は病気を早く治す為に無理やりアシカの生の血や、脂っこくて独特の臭みがある焼肉を食べた。最初はあまり食べられなかったが、匂い消しの為にレモンの汁と塩を混ぜたものに浸けて食べると、いつの間にか病みつきになり、おかげで大智は1週間ほどで歩けるようになった。
高知湾に着いた時と同じように大智は、ここがどこなのかを知りたかった。小高い山に登って見たかったが、今の体力では無理なようだった。(まあ無理をしないでおこう。アシカがいるだけで肉に不自由はしないだろうし、ここでも海の幸は豊富なようだ。あとは主食になる、、、トウモロコシは中南米原産らしいがこの辺りにはないだろうか)その時、二郎が瓢箪のようなものをぶら下げて来て言った「父さん、こんなのがいっぱいなっていた」
大智はそれを斧で縦半分に切ってみた。大きな種はカボチャに似ている。カボチャなら嬉しいが、とにかく焼いて毒見役として一人で食べてみた。まだ熟していないのか甘みが無くまずかった。食後は水以外は何も口にせず腹の具合に注目した。4~5時間経過しても腹痛等なかったので食べれる物として、今後の成長を観察することにした。大智はこのようにして近場の植物から調べていった。
数日後、今度は三郎が言った「父さん、草原に大きな角の牛がいっぱいいた。でも獲るべきか迷った。大きすぎて運べそうになかったから」「そうか、、、その牛は毛が長かったか」「ううん、あんまり長くなかった」「そうか、それはバイソンという牛だと思うが、そんなに大きいなら、干し肉作りの準備ができた後で獲ろう。それより三郎、そこへは一人で行ったのか」「うん、一人で」「一人で行ってもし虎や熊が襲ってきたらどうする。ここはまだどんな猛獣がいるか分からないんだ。絶対に一人では行くな。行くなら男三人で行け」「うん、分かった」
ここに来て早くも1ヶ月が過ぎた。大智もすっかり元気になった。女たちを舟に残し、息子たちと少しづつ遠出をするようになった。3月半ばであまり寒くなかった。常陽樹が多く草も冬枯れしていなかった。しかし背たけ以上の草は少なかった。(どういう事だ、これだけ暖かいなら草の背丈がもっと高いはずだが、、、それに樹木の林も少ない、、、そういえばここに来てまだ一度も雨が降っていない、、、ところどころに小川があるから飲み水は足りているが、、、)
4人で丘の上に登ってみた。そこは禿山のようで木がなく草の背丈も低かった。また丘の上から見える景色も変わっていた。凹凸のある平野が広がっていたが、樹木は窪地にしか生えていず、斜面や小高い所は禿ているか背丈の低い草が生えているだけで、それ以外は土地や岩が見えていた。(荒地、荒野)と言う言葉がふと大智の頭の中に浮かんだ。(この辺りは気温が高くても雨が少ないのかもしれない、、、建材になるような木も竹藪すらも見当たらない、、、)
よく見ると一ヶ所だけ線上に樹木が茂っている所があったので行ってみると、細い川の両岸に木が茂っていた。しかもところどころにあのレモンのような実がなっている。大智は少し色づいた実を採って食べてみた。少し甘くなっている。完全に熟せば甘いミカンなのかもしれない。他にも初めて見る名も知らない小さな実が鈴なりの木もあった。それを見て大智は思った(水さえあれば農作物ができそうだ、、、)
大智たちは上流に向かって歩いていった。30分ほどすると先頭を歩いていた二郎がいきなり身をかがめて前方を指さした。見ると上流100メートルほどの所に数十頭の大きな牛がのんびり水を飲んでいた。だがそのうちの一頭が突然悲鳴をあげよろめいた。と同時に奇声が聞こえ、原始人たちが走ってきて槍を投げた。牛の身体に10本ほどの槍が突き刺さり、牛が倒れると川の水が血で真っ赤に染まった。他の牛は逃げず遠巻きにして倒れた牛や、すぐに解体を始めた原始人たちを見ていたが、数人の原始人に槍で追い払われた。
その後、女や子どもも来て総勢50人ほどの原始人たちの宴が始まった。原始人たちは膝くらいまでの毛皮をまとっていたが、服と言えるような造りではなかった。それを見ただけで大智は原始人たちの文化水準が分かった。(日本の原始人と同レベルのようだ、、、さてどうする、接触するか、、、先方はまだ俺たちには気づいていないようだが、、、奴らの住処も知りたいし、もう少し観察するか)
やがて満腹になったようで、原始人の男たちが食べ残しの骨付き肉を持って帰りだした。大智たちはそうっとあとを追った。原始人たちは川の1キロほど上流の渓谷にある洞窟に入って行った。全員が入れたところをみるとかなり大きな洞窟らしい。(川も近いし良い所に住んでいるな)と大智は思った。大智たちが帰ろうとすると数人の女たちが出てきて川で大便をし始めた。大智は(水がきれいな川でもうかつに水を飲まない方が良い)と思った。
原始人たちに聞こえない所まで帰ってくると大智は二郎に言った「原始人たちと付き合ってもメリットはない。もっと離れて暮らそう。それにこの辺りには家を建てる木材がない。明日は舟でもっと南に行ってみよう」大智たちは下流で、できるだけ色づいたミカンを採ってから舟に帰った。
翌朝朝食後に錨を上げ手漕ぎで南を目指して出発した。左手に見える崖は台湾東部の垂直に近い断崖ではなく緩やかに傾斜しながら海岸に達していた。そしてその海岸には恐ろしくなるほどのおびただしい数のアシカが群れていた。(アシカが多いという事はその餌になる魚も多いという事だ、、、孫子の代に至るまで海の幸が無くなることはないだろう。主食さえあれば、舟で寝泊まりしても暮らせるのだ。それなら陸地に家や石垣を造る必要もないが、、、)大智はそんな事を考えながら漕いでいた。
少し進むと沖合に小さな岩礁があり、その上にもアシカが群れていたが、近づくと舟に驚いたのかいっせいに海に飛び込みだした。それを待ち構えていたように大きな鮫と鯱がアシカに襲い掛かった。しかしそれもほんの1分ほどで終わりまた静かな海に戻った。アシカは鮫や鯱にとってもいつでも獲れる獲物らしかった。(舟で暮らせば家も石垣も要らないが、海に落ちたら鮫や鯱の餌食になるかもしれない。だが落ちることはまずないだろう)
さらに進むと東側に大きな入江があったので入って行った。入江の真ん中ほどの所には川があり北に伸びている。両岸の草が低いのでかなり上流まで見渡せたが樹木は少なかった。(樹木が少ないのは気候のせいだろうか、、、もっと南へ、、、)そこを素通りしてまた南下した。やがて左手に高い山が見えてきた。その山の山頂付近は針葉樹に覆われている。(こんな海岸に近い所にあんな高い山が、しかも針葉樹に覆われている、何故だ、、、標高は3000メートルほどだろうか。なら針葉樹があってもおかしくないか)
海岸線に沿って南下すると、山の西側の麓が海岸まで達しているのが分かったし、独立峰ではなく山脈のようだった。そしてその山脈は一日中漕いで南下してもまだ続いていた。(すごい山脈だ、いったい何キロ繋がっているのだろう、、、)その日はそこの沖合いで停泊した。
翌日も朝食後から漕ぎ、午後になってやっと山脈が終わり平野が見えてきた。山脈から流れているらしい川もあるし、川岸沿いには樹木も茂っている。(草の背丈が高いところをみると数日前の所よりの雨が多いのか、それとも山からの水が多いのか、、、いずれにしても良さそうな所だ、上陸してみるか)大智は二郎と三郎を連れて狩りの準備をして上陸した。
背丈が高い草原を歩きたくなかったので、河口から草のない川岸を歩いた。数十メートル進むと両岸は雑木林になった。中にはあの色づいたミカンもある。(良い所だ、これだけ木があれば薪は十分だろう。草原は焼畑にすれば稗を栽培できそうだ)そう思っていた時、数十メートル上流を大きな角の鹿の群れが横切って行った。大智は、鹿の大きさに圧倒されて狩るのを忘れて呆然と見ていた。(あんなに大きいのでは8人では食べきれない、、、それと稗を栽培してもあの鹿に食べられてしまうかも知れないな、、、)
さらに歩いていくと二本の川の合流地点に着いた。どちらも同じくらいの大きさだが東側の方はほぼ真っすぐだが北側は直角に合流していたので、北側を支流と考えて、先に支流の上流を目指した。数十メートル行くと川は山脈の麓の谷間に続き、上の方には小さな滝も見えた。だが大智が歓喜したのは鈴なりのクルミの木と一面に落ちている実だった。三人は数十分夢中になってクルミを広い背負い籠に入れた。籠が重くなったし、日も傾いてきたので舟に帰った。夜は久しぶりにクルミを腹いっぱい食べた。
翌日は朝からクルミの木の所へ行き、麓の斜面を登って滝の上へ行った。その滝の上流は渓谷になっていて水量は少なかったが流れは速かった。渓谷の両岸もクルミの林で、大智は(クルミだけで家族8人が暮らせそうだ)と喜んだ。渓谷沿いをさらに登って行くと斜面の勾配が緩やかになり、渓谷が終わって小川になった。だがその小川は数メートルで岩で囲まれた小さな池になった。岩のあちこちの割れ目から水が流れ出ているのを見るとここが源流らしい。大智は池の水を手ですくって飲んでみた。冷たくて美味かった。
それから振り返って景色を見たが、クルミの大木のせいで良く見えなかったので斜面を西の方へ行ってみた。そこは背の低い草原で視界が良かった。西の方の河口と舟も見える。南の方は、川岸から数十メートルは草原だがその向こうは、背の低い草地と岩肌の荒地になっていた。東側も川沿いだけに樹木とそれを挟むように背の高い草原が伸びているだけだった。(結局このクルミ林も川の両岸だけのようだな。本当に雨が少ないようだ。この山も中腹は荒地で岩肌が見えるが山頂付近だけ針葉樹がある、、、山頂付近だけ雨が降るのだろうか、、、)
大智たちは荒地を登って行ったが、針葉樹の茂っている所までは今の大智の体力では無理のようだったので引き返した。一度川の合流地点まで帰りそれから主流の上流を目指した。だがこの主流も1キロほどの所から北に曲がり、山脈の麓に伸びているようだった。(結局この川も源流は山脈の斜面の湧き水だろう、、、平地は西部劇に出てくるような乾燥した荒野、、、さてどうする、、、南に行けば恐らくもっと乾燥しているだろう。ここに家を建て定住し、稗を栽培するか、、、)
大智は舟に引き返すと皆に自分の考えを話した。みんなも舟での生活に飽きていたようですぐに賛成した。さっそく舟を河口から100メートルほど上流に停め家を建てる準備を始めた。とはいっても柱や梁にできそうな材木がない。使い物になるとしたらクルミの大木くらいだが、実がいっぱい生っているから切りたくなかった。しばらく考えた末に土壁で四角く囲い屋根は雑木林の木で支えて草ぶきにすることにした。雨が少ないようなので、むしろ日除け程度の屋根でも良いと考えたのだ。
川から離れた所の土は固くて木の鍬では掘れないので川岸の土を掘って行くと水が染み出てきたのでそのまま川に並行して掘っていった。こうすれば堀た所に腐葉土を入れて畑にでき稗を栽培できるだろう。一石二鳥だった。家も土壁だと簡単で早かった。長屋のように4軒並びに建て、その前にも土壁で囲い内庭を造った。雑木林の木と筵で、1軒づつの戸と庭の出入口用の大きな戸を作ると、屋根は未完成でも子供夫婦は家の中で筵を敷いて寝るようになった。
屋根が完成し、庭の下流側の隅にトイレを造り排便は畑に流れるようにして、山の斜面や雑木林から腐葉土を運んできて畑に入れ稗や大豆を、それから畑の端には瓢箪とヘチマの種を植えた。また雑木林の木を切った所は根も切ってから腐葉土を入れ、柿の種を植えた。(半年後に稗や大豆が実り、もし大鹿や牛が食べにきたら逆に狩って食べてやる、、、無事実れば良いが、、、それと竹林はないのだろうか。竹は本当に利用価値があり、魚獲籠などを作れるのだが、、、他に代用品になる、、、そうだ柳とかないだろうか)
大智は翌日から川岸や雑木林の中を探した。すると主流の川の上流で柳を見つけ、垂れ下がっている長い枝を持って帰ってそれを編んで魚獲籠を作った。しかしカズラがどこにもないので何でロープを作ろうかと考えていたら、イネ科らしい草が見つかり、その茅のように長い葉を乾かして綱を作ってみることにした。それを束ねて持って帰ろうとして、遠くに葉がない真っすぐに伸びた木が見えたので行ってみると、それは大きなサボテンだった。それを見て大智はこの辺りが岩石砂漠だと確信した。
(北アメリカ大陸西海岸の岩石砂漠と言えば、、、カリフォルニア半島やメキシコか、、、3万年前で気温が低いとは言え雨が少なければ砂漠になるのだろう、、、ベドウィンじゃあるまいし砂漠でどうやって暮らすと言うのか、、、まあ舟があるので魚貝類とアシカは獲れるし、陸上では大きな牛や鹿がいる。稗さえ栽培できれば十分暮らせるだろう、、、しかし竹やカズラがないのは痛いな、、、それも代用品を探せば何とかなるか。とにかく歩き回って探してみよう)そう考えた大智は翌日から二郎と三郎とはなの婿も連れて先ず山に登った。
以前登った所よりもさらに半日登とやっと針葉樹林に達した。驚いたことに林の最下部は松林で松の実がいっぱい落ちていた。拾いたかったが時間がない。恨めしそうに見ながら林の中を登と杉林に変わった。日本のとは種類が違うようだったが、直径3メートルほどの大木もあった。また谷間には湖もあり樹木が生い茂っていた。大智たちはそこへ行き湖の水を飲み回りを見ると、山ぶどうらしき葉をつけた蔓が方々にぶら下がっていた。大智は少し掘って根っこごと蔓を背負い籠に入れた。
山頂まで行きたかったが日帰り装備だったので帰路に着いた。名残惜しそうに松原を出ると、傾いた太陽光線のせいでか下界の素晴らしい景色が見えた。空気が澄んでいるのかかなり遠くまで見える。北東側に連なる山々の向こうには、雪をかぶったひときわ高い山が見えた。そしてその隣の山からは煙が出ていた。どうも火山らしい。(なんだ、ここにも火山があるのか。という事は地震や津波も、、、)そう考えると大智は憂鬱になったが、西側の景色を見て気が晴れた。
東側も南側も高い山以外は岩肌むき出しの荒野で荒涼とした景色だったが、西側の大海原は大智の心を爽快にしてくれた。(なんという壮大な景色だ。これこそ大自然の景色だ、、、そして俺たちはあの海を、太平洋を横断してきたのだ。そのことを思えばここでの生活上の問題など大したことではないさ)クルミ林の手前で水平線の彼方の日没を見た。台湾や日本では水平線からの日の出は見えても日没は見えなかった。ここでは逆になった事に大智は改めて感動した。
翌日は骨休めを兼ね土器作りや登り窯造りをした。まだまだ寒くて水浴びが辛いので、湯沸かし用の大鍋と盥を作った。塩も残り少ないので舟でサザエやアワビを採りに行ったついでに海水を持ち帰った。女たちには茅のような葉でロープを作らせた。わら綱みたいでけっこう丈夫なロープができたが海で使えるか心配だった。日をずらして2本づつ結んで使ってみることにしたが、4~5回は大丈夫だった。大智は、その葉で草鞋や筵も作らせた。
いろいろな物を作れば作るほど生活は快適になり、ここでの暮らしも苦にならなくなった。川に並行して栽培している稗や大豆も青々と伸び、瓢箪もヘチマも白や黄色の花を咲かせている。柿の芽も出たし、山から持って帰った山ぶどうらしい蔓も新芽が伸びてきた。魚獲籠ができたおかげでサザエやアワビ以外にも大きな魚が獲れて、干物等食事のレパートリーが増えた。川岸に自生しているミカンも熟れて甘くなったし、初めて食べた鈴なりのブルーベリーも美味かった。食べきれないのはドライフルーツにしてみようと考えている。
住めば都と言うが、ここも慣れれば天国だった。生活が安定した為か、家で寝泊まりできるようになったせいか二郎と三郎の妻が妊娠した。ももは大喜びし面倒を見ながら分かり切ったアドバイスをした。そんなももに大智は、赤子の産着作りを頼んだ。しかしこの辺りにはクズがない。大智は毎日狩りの準備をして近場に一人で出かけ、布にできる植物を探した。
そして数日後名も知らない、サボテンのように肉厚で長い葉を見つけた。その葉が縦に裂け乾燥したところは、まるで髪の毛のように細くなっている。しかも一本一本がけっこう強い。大智は2本を紡いでみた。細くて強い糸ができた。大智はその葉を家に持って帰り縦に切って干した。岩石砂漠で乾燥しているせいか1日で乾いて髪の毛のように細くなった。翌日から糸にして織機で織ってみた。クズ布と同じような感触だったが吸水性はクズ布よりも良いようだった。大智たちは大喜びで布を織った。
だが、できた布で手を拭くと後で痒くなった。大智はできた布を川で一日晒してから干した。すると痒くならなくなった。これで植物繊維の布が作れるようになったが、同じころずっと南の山の松の木の枝に、綿のような柔らかい毛玉が引っ掛かっているのを発見した。動物の毛らしいがその時は動物が見当たらなかった。大智は二郎三郎と一緒に泊りがけでその山に行き、三日目の朝とうとうその動物を見つけた。見つけたというよりも野宿したすぐ近くを、20頭ほどの群れが枯草を食べたりしながらゆっくり移動していったのだ。
その動物は首が細長くラクダを小さくしたような体型で柔らかそうなふさふさした毛に全身をおおわれていた。動物が通った後の林の中の枝には、あの綿菓子のような毛玉がいっぱい着いていた。(南米の山中にはアルパカやリャマがいて、現地人はその毛で良い毛織物を作っていると聞いたことがあるが、もしあれがその動物なら飼育して毛を取れれば、、、だがどうやって捕まえる、、、)大智はその動物の後を追い習性等を観察した。
その動物は温厚なのか近づいても逃げなかった。大智は飛びついて捕まえられると思ったがそうせず、何とか餌付けできないかと考えた。(餌付けするならあの動物の好物を調べなければならない。好物はなんだ)良く見ているとその動物は、ここにもあるブルーベリーを一心に食べている。だが届かない上の枝の実は食べられない。大智はそうっと近づき枝を持って下げてやった。すると、まだ誰も食べていない新鮮な実を、その動物は嬉しそうに食べ続けた。
大智はゆっくり片手を伸ばして背中に触れてみた。それでも動物は逃げようとしない。大智は少しづつ大胆になり背中を撫でてみた。汗ばんだ手に抜け毛がいっぱい付いた。今までに他の数頭が木の幹に背中をこすりつけているのをみたのを思い出した大智は(夏が近づき抜け毛の季節なのかもしれない)と思い背中を掻いてみた。その動物は食べるのを止めて大智を見たが嫌がっていないようだったので更に続けた。すると少しして動物は自分で身体の向きを変えた。
大智は手に付いた多量の毛を籠に入れ、また背中や首筋を掻いた。というよりも抜け毛を搔き集めた。すると他のも近づいて来たので二郎三郎にも同じようにさせた。やがて群れの全ての動物を掻き終え、毛が籠いっぱいになった。そのころにはその動物たちはすっかり大智たちに懐いて、高い枝のブルーベリーを取ってやると手渡しでも食べるようになった。(本当に人懐っこい動物だ、、、名前はひとまずリャマにしておこう、、、で、これからどうしょう、、、せっかく懐いたのに、、、
南米の山岳民族はリャマやアルパカを家畜にしていると読んだことがあるが、家畜にすると餌やりが、いやそれより稗や大豆を食べられたりしたら大ごとだ。柵で囲い、放し飼いにすれば良いか、、、だが連れて帰るにしても、どうやって、、、馬や牛は群れのボスをロープで引っ張って行けば他のはついてくるらしいが、、、)そんな事を考えていると三郎が林の向こうを指差して言った「父さん、熊だ、こっちへ来る」
熊はリャマたちを襲うつもりなのか100メートルほど先からこちらに向いて突進している。リャマたちも逃げ始めた。大智は落ち着いて二人に言った「弓矢の用意だ、もっと近づいたら三人一緒に射る」その後、10メートルほどに近づいた熊に立て続けに射た。10本ほどの矢が突き刺さり熊が倒れると三郎が走っていって槍でとどめを刺した。三人は矢を抜き取ると毛皮を剥がしてから、腹を開いて心臓と肝臓を取り出して食べた。
リャマの毛を二人の籠に押込み、熊の毛皮を自分の籠に入れてから大智は二人に言った「家まで遠い、熊の肉は持って帰れそうにないがどうする」熊の肉が好きな二郎が言った「美味い所の肉だけでも籠にぶら下げて帰れば、家に着くころには干し肉になってる」「そうか、では好きな所を切り取れ、三郎はどうする」「、、、妻が好きだから俺も少し持って帰る」そう言って三郎も斧で切り取り始めた。大智は食べ残しの心臓と肝臓を矢で刺して籠に固定し、二人が終えるのを待ってから帰路に着いた。
翌朝から女たちにリャマの毛で糸を紡がせた。1週間後には幅1メートル長さ3メートルほどの毛織り布ができたが、これも念の為川で一日晒してから衣服を作った。柔らかくて良い産着が2着づつできた。だが、産着を作った後の残り布を巡って女たちが奪い合った。仲裁に入ったももが大智に言った「あんた、もっと毛を取ってきてよ、あたいだって欲しいんだから」大智は苦笑しながらも今度ははなの婿も連れて出発した。
ほぼ一日歩いて前回リャマと出会った所へ行ったが予想通り居なかった。それどころか熊の肉の腐臭が酷くて長居できなかった。(大部分は狼に食べられているのに、この匂いは耐えられない)大智たちは急いでその場を去り、林の中を枝に引っ掛かっている毛玉を探しながら登って行った。松林と杉林の境辺りで暮れてきたので、杉の大木の根元で焚火をし野宿の準備をした。いつものように三人が寝て一人が見張りを交代しながら。朝になるとリャマたちが集まって来た。
大智は籠の中から干したブルーベリーを取り出して立ち上がり、最初に近づいて来た一頭に食べさせた。すると他のリャマも寄ってきたので二郎たちにも自分と同じようにしろと小声で言って、また手で抜け毛を搔き集めた。リャマにとっても身体を掻いてもらうのは快感なようで、あとからあとから近づいて来た。ふと気がつくと、いつの間にか前回よりも頭数が増えていて、1時間ほどで全頭掻き終えた時には、4つの背負い籠が満杯になった。
もう十分だから早く帰ってももたちを喜ばせたかったが、リャマたちがすっかり懐いて去ろうとしないので、大智たちは無視して籠を背負い槍と斧を持って歩き出した。するとリャマたちもぞろぞろとついてきた。(ついてきたいならついてくれば良いさ、家で放し飼いにしてやる。だが家まで遠いが本当についてくるだろうか、、、)大智はそう思いながらすぐ横を歩いているリャマの首を撫でた。するとそれを別れの合図とでも思ったのかリャマは立ち止まり、他のも止まった。大智は軽く手を振ってから去った。
夕暮れ時に家に帰り着き、ももたちに喜ばれた。すぐに湯を沸かしてくれて順番に浴びてから食事した。その時リャマたちが懐いた事をももに話すと、ももは「それなら家の近くで飼えば良い。そうすればいつでも毛が採れる」と言ったので大智は苦笑しながら言った「餌やりはどうする。それに稗や大豆を食われるかもしれんぞ」「放し飼いなら勝手に餌をたべるでしょう。稗や大豆は柵をして入れないすればいい」「、、、」大智はしばらく考えた。
(ももは簡単に考えているが家畜を飼うのは大変なのだ。熊や狼から守ってやらねばまらんし、、、仕方ない、石垣で囲いを作るか、石垣と言えば家の周りも石垣で囲った方が良い。土壁では熊を防げんだろうから。それと川に橋をかけよう。対岸に行くことが多くなったから、、、やれやれ、やる事が増えたな)
翌日からみんなで稗や大豆の柵と、家の西側に石垣を築き始めた。出入口の戸もできあがると他の者には家の周りの石垣を築かせ、大智は二郎三郎とリャマを捕獲しに行った。現地で野宿した翌朝、集まって来たリャマたちに乾燥ブルーベリーを食べさせてから、ボスらしい一頭の首にロープを掛けて引っ張って行くと、思った通り他のリャマもついてきた。そうやって一日中歩いて家に帰ってくるとすぐに囲いに入れた。囲いの中には新鮮な草や水を入れ、一部分には屋根も作っておいたので問題ないと大智は思った。
翌朝からリャマの世話はももに任せた。ももは朝早く囲いの中に入り笛を吹いてからボスに乾燥ブルーベリーをやり、外に出させた。他のリャマはすぐにあとをついて行った。夕方ももが笛を吹くとボスが近寄って来るので乾燥ブルーベリーを食べさせた。数日そうやるとボスはももに懐き、笛を吹けばすぐに来るようになった。放し飼いが成功したと思ったが、熊の襲撃を心配した大智は、家の前の川岸の高い木の上に見張り場を作り梯子をつけて昇り降りし易いようにし、石垣築きに疲れた者が交代で見張り場に登った。
家の周りの石垣が完成すると女たちは布織、男たちは狩りや魚獲りの平凡な生活に戻った。大智は植物採集と釉薬用長石探しを兼ねて、二郎と1週間ほどの遠出をすることにした。狩りの用意と食料を籠に入れて背負い槍と斧を持って出発した。まだ行ったことが無い東に向かって荒野を歩いた。日付では8月初めで真夏のはずだが全く暑くなかった。昼頃には低い禿山の頂に着いたのでそこで昼食をした。そこから見える景色は、北から北東にかけての高い山以外は、見渡す限り荒涼とした岩石砂漠だった。
それを見て二郎はうんざりしたように言った「父さん、どこまで行くの、こんなところを歩いたって珍しい物なんてないよ。どうせ行くなら北の谷間に行ってみようよ」「そうだな、、、だが二郎あれを見ろ、多くの原始人たちが南へ向かって歩いている。奴らはどこへ行くのだろう」二郎が大智が指さした方を見ると、数十人の原始人が向こう側の丘の上を南に向かって黙々と歩いていた。女や子どもも一緒だし狩りに行くにしては違和感があった。
二郎も訝しげに呟いた「う~ん、本当にどこへ行くんだろう」「どうする、、、後をつけて行ってみるか」「、、、そうだね」二人は原始人から1キロほど後を追った。丘を越えて数キロ行くと前方に狭い窪地があり、そこだけ青々とした背丈が高い草が茂っていた。どうも小川か池があるらしい。原始人たちは手前で立ち止まり、槍を持った数人の男だけが身をかがめて草の茂みに入っていった。そして数分後に雄たけびが聞こえると残っていた原始人たちがいっせいに茂みの中に入って行った。狩りが成功したらしい。
大智と二郎は茂みの近くの灌木の下に隠れた。原始人たちが食後どこに帰るのかそれとも更に南へ行くのか知りたかったのだ。がが原始人たちは夕方になっても移動せず、茂みの中から話し声が聞こえ続いていた。どうやら肉を食べつくすまでそこに居るらしい。大智たちはしかたなく近くの岩陰で野宿することにした。
翌朝早く茂みに近づくと原始人たちの声が聞こえたが、すぐに静かになった。前方へ移動しているらしい。30分ほどして茂みに入って行くと原始人たちは居ず、小さな池の周りに肉片がこびりついた小さな鹿の骨が散らばっていた。よく見ると茂みが押し倒されている所が何箇所もあった。原始人たちが寝た跡らしい。(よくこんな所で寝れるな、熊にでも襲われたら、、、一人を見殺しにして逃げるか、野生動物のように、、、
さてこれからどうするか、、、奴らは、以前見かけた洞窟に居た原始人とは違う集団のようだ。恐らく狩りをしながら移動している狩猟部族だろう。追いかけても無意味だな)そう考えた大智はそのことを二郎に話した。二郎は元々この遠出にあまり乗り気でなかったようで、すぐに帰り支度を始めた。その時かすかな泣き声が聞こえた。耳の良い二郎が聞き耳をしてから大智に言った「南の方から女の泣き声が聞こえる、、、たぶんあの原始人の女だ、、、」「、、、どうする、行ってみるか」二郎は既に歩き始めていた。
そこから数十メートル行くと酷いガレ場になった。気をつけて歩かないと足を滑らせたり、岩の割れ目に足を突っ込みそうになった。大智と二郎は長旅用のくるぶしの上まである革靴の下に草鞋を履いているからまだよかったが、裸足の原始人には歩きづらかったろうと思えた。もう少し進むと思った通り、原始人の女がうずくまっていて、大智と二郎に気づいて、こわごわと二人を見ていた。大智が近づいて見ると右足首から血が出ていた。
大智は二郎に聞いた「どうする」「、、、ここまで来たんだから、、、」二郎はそう言いながら背負い籠を降ろして水の入った瓢箪を取り出して近づいた。女は怯えた顔で後ずさりした。二郎は水を一口飲んでから瓢箪を女に手渡した。女はこわごわと水を飲んだ。二郎は瓢箪を取り上げてその水で切口を洗い、自分の手拭いで拭いてから傷口に巻き付けて縛った。その間女は不思議そうに二郎を見ていた。
女は、膝くらいまでの毛皮を身体に巻き付けて腰を革紐で縛っていたが、毛皮のせいかそれとも垢のせいか臭かった。肩を貸して立ち上がらせるのさえ躊躇した。今度はそんな状態の二郎が聞いた「この人どうしますか」大智はふざけて言った「放っておこう、怪我をしたから奴らに置いていかれたんだろ。俺たちが助ける必要はない」「でも、ここへ置いて行ったら熊や狼に、、、」
「そうだ熊や狼の餌食になる、、、だがそれが今の時代の掟だ。怪我をした者、病人、弱い者は仲間から見捨てられ死ぬしかない、、、だが家があり食べ物があり面倒を見てくれる人がいっぱい居ればリャマのように生きていける。だがこの人はあの集団に連れていってやれば良い。この傷なら数日後には歩けるようになる」「でも追いつけるかどうか」
「問題はそれだ、奴らが大きな獲物を獲れば、肉を食い尽くすまではそこに止まっているだろうが、獲れなければ先へ行ってしまうだろう。追いつけるかどうかはこの女の運次第だ」「じゃ、家に連れて帰ろう、この人一人なら食べさせれるだろ」「だが連れて帰って、お前の妻が怒らないか」「、、、」「、、、よし、では明日の夕方まで追って行って奴らに会えなかったら家に連れて帰ろう」「、、、うん、分かった」
それから二郎は女に、奴らがどっちへ行ったかを手振り身振りで聞き、女は南を指差した。大智は野宿用の熊の毛皮でできた大きな外套の裾を紐で縛り、袖から裾に槍を2本差し込んで即席の担架を作り女を乗せ二郎と二人で持ち上げて運んだ。女が小柄で軽かったのが幸いだった。だが薄暗くなるまで歩き続けたが、その日は追いつけなかった。その夜も岩陰で野宿したが、予想通り親子で代わる代わる、女と繋がりながら見張りをした。翌朝は寝不足だったが早めに出発した。そして疲れ果てた夕方、窪地の雑木林の中で群がって食事している原始人集団に追いついた。
担架から降ろすと女はよろよろと歩いて何か叫びながら集団に近づいて行った。集団の中からすぐに身内らしい男女が出てきて女を連れて行った。数分後、長老らしい男が肉の塊を持って来て大智に手渡し、集団の中に招いた。
原始人が食べていたのは大きな牛だった。サナダ虫などの寄生虫が心配で生肉を食べたくなかった大智は、すぐに焚火をして焼いて食べた。毎度の事で原始人が集まって来たので焼肉を渡すとみんなが奪い合って食べだし、大智と二郎は肉片の切り分け作業員にさせられてしまった。まあそれで、すっかり打ち解けて集団の中で寝させてくれた。だがその夜も何度も女たちに手を引かれたが、、、。
翌朝、長老に別れの挨拶を手振り身振りで示してから出発しょうとすると、あの女が5~6人の若い男女と来て、一緒に行きたいと手振りで示した。大智は即座に大きく手を振って拒絶の意を示した。すると女は二郎の手を握って必死な眼差しで一緒に行く仕草をした。二郎は困った顔で大智を見た。しかし大智は無表情で歩き出した。仕方なく二郎も歩き出すと女と数人の男女がついてきた。しかし数メートル進んだ時、長老の怒鳴り声がして長老と槍を持った10人ほどの男が走り寄ってきた。
何事かと思い大智が振り向いて見ると、二郎についてきた男に長老がすごい剣幕で怒鳴りつけていた。大智には言葉は分からなかったが、集団から出ていくのを怒っているようだった。これ幸いと思い大智は二郎を促して歩き出した。するとすぐあの女が二郎と大智の間に隠れるようにしてついてきた。大智が立ち止まって女を見ると、女は泣き出しそうな顔で二郎の後ろに隠れた。苦笑してから大智は歩き出して言った「その女はお前が面倒をみろ。だが妻が優先だぞ、妻と喧嘩しないようにな」二郎はしかたなさそうに頷いた。
大智たちは北東に向けて帰路に着いた。二郎と二人で三日分の食料はあったが、女の分を考えると心もとなかったので最短コースで帰ることにした。小高い丘の上で昼食をしながら大智は周囲を見回した。四方八方荒野が広がり、かなり遠くに低いが山頂付近に林がある山が見えた。恐らくあの山がリャマがいた所だろう。あの山まで行けば後は一日で家に帰れる。だが山まで何日かかるか、山までに水場があれば良いが、と大智が心配しているのをよそに二郎は女と瓢箪を取り合いながらふざけていた。
大智は「あの山まで水場がなさそうだ、水を大事にしろ」と語気を強めて言った。二人はすぐに大人しくなり、大智が指さした方を見た。そしてこれからの行程が過酷なものになる事を悟った。二郎は女を促して立ち上がり歩き出した。今までは大智と二郎が並んで歩き女がついてきたのだが、遅れがちな女を二郎が待つ時が多かったので、二郎が考えて先に歩かせることにしたようだった。上り坂ではまだ足が痛むのか遅れがちになり、二郎はこんな状態で家まで帰り着けるのか不安になった。
その後は幸い平坦な地形が多くなり歩きやすかった。だが日が傾いたころ大智が突然二郎を呼び止め岩を指差して一言言った「長石だ」二郎が見ると岩の表面に白い筋が入っている。しかもそのあたりにはそのような岩がゴロゴロしていた。「今夜はここで野宿する、お前はその女と薪を集めてくれ、ワシは長石を採る。熊に気をつけろ」二郎は早く家に帰りたかったが今回の目的の一つが長石探しだった事もあり、渋々薪集めをした。
二郎と女が僅かな枯れ枝と枯草を持って帰ると、大智は一心に岩を割って長石だけを採っていたが、ちょっと枯れ枝を見て「それだけでは朝まで持たない。その木を切ってこい」と言った。二人は斧を持ってまた行って低木を切って、幹を持って引きずって帰ってきた。大智は集めた長石を袋に入れ、その袋を背負い籠に入れながら嬉しそうに言った。「良い長石だ、これで良い土器が作れるぞ。もっと家の近くだったらな、、、」
翌朝はまだ薄暗い時に出発した。水がもう残り少ない上に大智と二郎は思い籠を背負うので歩行速度が落ちるのを心配したのだ。地平線の彼方に朝陽が見えてくると朝食し、最後の水を飲み干してからまた出発した。日が高くなると暑くはなかったが真上辺りから射す太陽光線の強さに、露出している部分の皮膚がヒリヒリした。だが女は慣れているのか平然としていた。しかも足が治ったのか一人で先をスタスタ歩いている。まあ健康な狩猟民族なら当然だろうと思えた。
昼は干し肉とクルミをゆっくり食べた。水が無いから飲み込みにくいのだ。一度に多く食べると喉を詰めそうになった。何とか食事を終え出発して2時間ほどして、幸いにも今まで見えなかった窪地があった。青々とした草が生えている。水がありそうだった。そしてこんな所には獲物がいる。大智と二郎は思い籠を降ろし、弓と矢と槍を持ってそうっと近づいた。予想通り青草の向こうには池があり数頭の猪が水を飲んでいた。その一頭を狩り、岩の割れ目からこぼれ落ちている水を飲み、瓢箪に水を溜めながら猪を解体した。
水が満杯の重い瓢箪と、心臓や肝臓や腹肉等必要な分だけ切り取って籠の所に行きそこを去った。水があれば野宿も楽だったが、水場には熊や狼が来るので危険なのだ。その後夕方まで歩き、低木があったのでそこで野宿することにして、低木の枝を切って焚火をし、三人で腹いっぱい焼肉を食べた。昨夜までと違って、すっかり体力が回復した三人は夜を楽しんだ。その三人を満月が羨ましそうに見下ろしていた。
翌日からは、水と食料が十分なので気分的には楽だったが、午後からは上り坂で体力の消耗が激しかった。特に大智は一番重い籠を背負っていた上に年齢的な疲労も加わっていたのだろう。夕方、低い山の頂の林に着いたら、もうそれ以上歩けそうになかった。夕食後、野宿の準備をし焚火の横でウトウトしていたかと思うとそのまま寝入ってしまった。これ幸いと二郎と女は今夜も楽しんだが、その後二人とも寝てしまった。
夜中に異変を感じて目を覚ました女は、熾火の弱い光の向こうに怪しく光る無数の目に悲鳴を上げた。大智も二郎も飛び起きた。そして槍で光る目に向けて槍を突き出した。と同時に狼の悲鳴が辺りに響いた。大智と二郎は、女と焚火を真ん中にして立ち、外側に向けて何度も槍を繰り出した。やがて光る目は居なくなり静かになった。大智と二郎は肩で息をしながら座って焚火に薪をくべた。
火を恐れる狼は焚火が消えてしまうのを待っていたのだろう。危ないところだった。こんな事にならないよう、誰か一人は見張りをしていなければならなかったのだ。三人とも無事だったのは本当に幸運だった。大智は二人を眠らせ朝まで見張りをした。
翌朝まだ薄暗いうちに出発した。尾根を歩いていると、その尾根が弧を描いているのに気づいた。よく見るとその内側に湖が見えた。やがて朝日が昇り、湖の全体が見えるとそれが噴火口だったのが分かった。湖の対岸には鹿や猪の群れが水を飲んでいるし、水鳥もいっぱい浮かんでいる。(まるで貯水池だ、、、どおりで動物が多いわけだ。この山が低い割には樹木が多い理由が解った。恐らく側壁にひびが入っていて湖の水が周りに漏れているのだ)大智は動物の多さに一瞬ここに住もうかとさえ思った。
尾根を北に向かって歩いて行くと以前リャマと出会った所に着いた。そこは尾根が平らで広くなっている所の外側の端だったため、その時は林の向こうの湖が見えなかったのだと分かった。ブルーベリーの木もあったがもう実はなかった。大智は二郎に言った「さあもうひと踏ん張りだ、夕方には家に着けれるぞ」「うん、分かっている、、、」「ん、どうした浮かない顔をして」「ん、何でもないよ」そう言って二郎は歩き出したが、大智には二郎が女の事を、妻にどう話そうか悩んでいるのが手に取るように分かった。だが大智自身もももにどう切り出すか考えあぐねていたのだった。
予想通り夕方家に帰り着いた。そして橋から家に掛けて血だらけだったのに驚いて、背負い籠も降ろさず庭に走り込んだ。すると熊の解体をしていたももが気づいて言った「あら、あんた、お帰り」「な、何だこれは、どうした」「実はリャマが熊に襲われそうになってね、でも三郎とはなの婿が射て槍で突き殺したんで、リャマはみな無事だよ。少し怯えているようだけどね」「ふう、そうだったのか、、、三郎はどこだ」そう言いながら大智は籠を降ろした。
「ここだよ父さん」そう言って三郎は解体を止めて立ち上がった。大智は近づいて軽く肩を叩いて言った「三郎、よくやった、よく家族を守ったな」「当然だよ、俺もう大人だよ、でもはなの婿が一緒に射てくれたから倒せたんだ。俺一人では危なかった」「そうだったのか、婿殿もよくやった、偉いぞ」無口な婿も嬉しそうに微笑んだ。その時、二郎が女を連れて気まずそうに庭に入ってきた。それに気づいたももが言った「二郎もお帰り、ん、その女は誰」
大智がすかさず言った「足を怪我して原始人の奴らに置いて行かれ泣いていたんで、しかたなく連れて来た。お前が一緒だったら、こうするだろうと思ってな」「ふうん、そうだったの、、、で、どこに寝させるの」「とりあえず今夜は庭の軒下に寝させ、明日から庭の隅に小さい部屋を作ってやる」「分かったわ、でも臭いから湯浴みさせないとね」「ああ、それはお前に頼む。だが俺と二郎が先に浴びるぞ」そう言って大智は二郎を見て頷いた。二郎は急に笑顔になった。
夜、木と筵で作った大きなテーブルを囲んで9人で夕食を始めると、女はテーブルにも、その上のアシカの油で作ったローソクにも、食器にも、いや初めて見る物全てに驚いていた。だがそれは、ももや二郎たちの妻や婿が初めて台湾の丘の上の家に来た時と同じだったので誰も笑わなかった。大智は言った「この娘は今日から家族だ。みんなはこの娘に、とにかく日本語を教えてやってくれ。この娘から食べられる草などを教えてもらいたいし、原始人との通訳になってもらいたいのだ。先ず、この娘の名前は何にする」
真っ先にももが言った「黒子、このこヘチマでいくら擦っても黒いままだから」「いや、身体の特徴を名前にするのは良くない」「じゃ、大豆」「いや、大豆が黒いからと言ってそれは、、、」「アパでいいよ、自分でそう言ったんだ、、、日の出って意味らしい」と二郎が言うとそれで決まった。試しに大智が指差して「アパ」というと娘は頷いたので、自分の顔を指差して「父さん」それからももを指差して「母さん」その後でみんなを一人ずつ指差して名前を教えた。アパは二郎の名は既に覚えていたようだったが。
翌日から9人での生活が始まった。女たちはアパを交えて糸紡ぎや布織、男たちは4人でアパの部屋とベット作りをした。大智とももの部屋の庭に面した窓の横から、川側の石垣まで土壁で仕切って出入口と屋根を作るだけだったから二日で完成した。その次の日にベットと小さなテーブルを作ってやるとアパは大喜びした。薄暗くなって大智がローソクを灯して持っていってやると更に喜んで抱きついてきた。そのまま押し倒したい欲望を抑えて大智は戸を閉めてももの待つ部屋に帰った。
アパは知能指数が高いのか、教えた事や言葉をすぐ覚えた。舟でみんなで海に行った時も、最初は舟に驚いて乗るのをためらっていたが、自分より背が低いはなが楽しげに乗るのを見て恐る恐る乗り込み、その後はすぐにはしゃぎだした。磯でサザエやアワビを採るのも籠での魚獲りもすぐに夢中になり、磯での食事も干物作りも楽しそうだった。そんなアパをみて大智は安堵した。だが大智も二郎も夜の相手をしてやれないのが辛かった。時々食べられる草を教えてもらうという口実で、二郎と三人で林に行くと激しく求めあったが、家に帰ると素知らぬふりをした。
何事もなく月日が過ぎて秋になった。大豆は柔らかいうちに、さやの小さいのを間引いて枝豆にして食べていたので、さやが枯れてから収穫し、種用に大きな実を選り分けて保存し、残りを煮豆等にして食べた。稗も色づいたが収穫にはまだ少し早い。だが一食分採って蒸して食べると本当に美味かった。新米同様に稗も新しい方が美味いようだった。幸い豊作で9人の1年分の主食になりそうで大智は喜んだ。来年はもっと増やそうと考えた。
長石を手に入れたので釉薬を塗った本格的な土器も作った。つるつるとした仕上がりにみんな驚嘆し、茶碗や湯呑等を奪い合った。それを見て大智は、重い長石を長距離運んだ苦労が報われたと思った。もっと近くにあればと、大智は食べられる草も探したいとアパと二郎を連れて日帰りで北東の谷間に行った。当然、二人が交わっている時は一人は見張りで、特に熊には気をつけていた。三人が満足するまで幸い熊は現れず、アパに教えられた草を摘んで証拠物を籠に入れて帰ろうとすると、アパが嬉しそうに植物を掘り始めた。
掘り出された物はジャガイモだった。アパよりも大智が大喜びした。(ジャガイモの原産地は南米アンデスの高地だと聞いていたが、氷河期の今は寒いからこの辺りにも自生していたんだ。栽培してどんどん増やそう)大智にとっては、そして恐らく二郎とアパにとっても今日は身も心も満たされた良い一日になった。ジャガイモと食べられる草とそして三人だけの秘密を背負って帰って行った。
それから1週間ほど経って二郎の妻が男子を産み、約1ヶ月後には三郎の妻も男子を産んだ。ももは大喜びし日々笑顔だった。そして娘のはなにも早く産めと煽った。二郎と三郎もそれなりに喜んでいたが、アパだけが沈みがちだった。アパは子が生まれたらどうしょうと思い悩んでいたのだ。原始人の子だということにすれば良かったが、生まれるのが遅くなったり、子の顔が大智や二郎にそっくりだったら言い逃れができない。かと言って二人との密かな喜びを捨てたくはなかった。
アパの悩みを理解していた大智も人知れず悩んでいた。しかししばらく経って大智は決心した(生まれたら俺の子として育てる。例えももと喧嘩しても、、、)次に三人だけになった時、大智は二人にその事を告げた。アパも二郎も喜び、その日はいつもに増して強く求め合った。以来アパは明るくなった。子守も進んで引き受けた。まるで自分の子が産まれた時の練習をするかのように。しかし幸か不幸かアパは妊娠しなかったが。
いつしか冬になった。時おり雪が降ったし、山の上の森はしょっちゅう雲に隠れていた。時々風の強い日があった。草ぶきの屋根が飛ばされないかと大智は不安になった。(柱や梁を強くして瓦屋根にした方がいい。山に木を伐りに行こう)大智は夕食時にその事を話すと、二郎が聞いた「父さん、瓦ってなに」「屋根に乗せる土器だが、釉薬がないとできないのだ。だからもっと長石が欲しい。だが遠くだし重い」「だったらリャマに運ばせたら」
「ん、リャマに、、、そうか」「じゃ、あたいも行くよ、リャマはあたいに一番懐いているから」「よし、じゃ明日から先ず男4人で山に木を伐りに行こう。ももたちは土器にする土を集めてくれ、いっぱい要るからな」「あいよ、任せときな」
翌日から斧と弓矢と槍と弁当を持って山の森に木を伐りに行った。吹きっさらしの斜面は寒かったし、雲の中の森はみぞれや霧雨で防寒用の熊の毛皮が濡れて重くなった。だが杉や松の木を切り始めるとすぐに身体が温まった。二人づつで離れた所の、根元直径40センチほどの杉の木を切り始めたが、切り倒したら下側の松の木が邪魔で運び出せない事に気づき、先に松の木を切ることにした。松の木は曲がっているのが多いのだが幸いにもここの松は真っすぐで建材になりそうだった。
切り終えた松の木は斜面側に倒れたが、枝が引っ掛かって少ししか落ちていかなかったので、先に枝を付け根から切り落とした。枝も重要な建材なので1本たりとも捨てられなかった。二郎と三郎も、50メートルほど離れた所の松の木を切り倒した。もう夕方だったので4人がそれぞれ持てるだけ枝を持って引きずって斜面を降りていった。急な斜面は投げ落とし、結局、家と船着き場の真ん中辺りに落とせた。
翌日は枝を切り落とした木を斜面の途中まで降ろしてから、昨日の切りかけの杉の木を切ったが、日本の杉とは種類が違うのか堅くて時間がかかり、その日は切り倒せなかったので4人で松の木を運んだ。夕方には2本の松の木と枝を平地に落とせて、女たちも呼んで皆で家の傍まで運んだ。翌日はなんとか杉の木を2本切り終え平地に落とし、更に同じくらいの杉の木を切り始めた。杉の木は長さが20メートルほどあり、2本は梁と柱にできそうだった。結局、二日後に予定の杉の木2本を切り倒して、合計松の木2本と杉の木4本全てを家の近くまで運べた。
次の日から木の加工を始めた。先ず杉の木を梁の長さに切り、斧で皮をそぎ落としてから石ノミでほぞ穴を開けた。その杉の木の先は柱の長さに切り、先端にほぞ加工した。そのようにして梁が2本、柱6本を加工し終えるとすぐに瓦作りにかかった。直径20センチ長さ60センチほどの丸太の半周に練り土を2センチほどの厚さに塗り、断面がC字型の瓦の原型を1000本ほど作って干した。屋根に取り付ける時は、開口部を上向きにして2本並べ、その端部を覆うように開口部を下向きにした瓦を乗せて固定する。つまり端部から見ると波型になる。
それを乾かしている間に大智と二郎とももは、リャマを10頭連れて長石を採りに行った。行は山越えで帰りは山の麓を通る道を見つけて4日で帰ってきた。その後は多量の薪運びや登り窯に瓦を入れたり、海水を取りにいったりして準備が終わると素焼き開始。入りきらず3回に分けて素焼きを終えると、その間に作っておいた釉薬を塗り乾燥。それから素焼きの3倍ほどの薪を準備して本焼き3回。おかげで塩はいっぱいできたが、クルミやミカンやブルーベリーの木以外の川沿いの木は薪になり灰に変わった。切った木の跡地にはクルミや杉や柳の木を植えた。
そのころは四日に1度くらい強風が吹き、雪が舞う時もあったが平地は積もらなかった。だが山の森辺りまでは雪に覆われた。気温もかなり低くなり盥の水は凍った。こんな寒い時に屋根を取替えたりしたくなかったが、今の草ぶき屋根がいつ風で飛ばされるかわからない状態だったので、4部屋のうち2部屋を先にやり変えることにした。こうすれば屋根ができるまで1部屋に4人になるがしかたがなかった。結局、1ヶ月ほどでアパの部屋も含め全ての屋根が完成した。これで台風並みの強風でも安心して眠れた。
年が明けて寒さが一段と厳しくなった。川の水さえ凍ってしまった。堪らず各部屋に暖炉を作った。また今までは庭のかまどで調理して、吹きっさらしの庭で食べていたが、庭を土壁で仕切って水浴び場とトイレを含むもう一部屋を作った。その為にまた瓦も作り、木も切ってきた。大智は、こんなに寒くなるとは、そして冬にこんなに強い風が吹くとは予想していなかった。(とにかく薪が要る、、、ヨーロッパはもともと森に覆われていたが人類が住み着いて木がなくなり草原になったと聞いたことがある。ここも原始人まで薪を燃やすようになれば、、、)
新しくできた食堂の真ん中に、昔の日本のように囲炉裏を作り、その周りを4つの細長いテーブルで囲って食事できるようにした。天井から自在鉤を吊し、鍋でクルミ入りの稗粥や、アパに教えられた草や干物を入れて煮込んだ鍋料理、獣が取れれば焼肉をし、寒い冬なりに考えて楽しみ、家族も喜んだ。だが暖炉が五つも増えたこともあり、薪の消費量が倍増し、男たちはしょっちゅう山の森に木を伐りに行った。
やがて、ここで一番辛い季節の冬を乗り越え、春になり川の氷も解け、川岸の草木はいっせいに新芽を伸ばし始めた。ミカンも色づきはじめ、1年前にここに来た時のことを大智は懐かし気に思い出した。(1年か、、、いろんな事があったな、、、1年経てばここでの生活設計ができる。いつごろ何の種を蒔けば良いか、どこに行けば何が獲れるかも分かる、、、丈夫な家もあるし、昨年よりかずっと楽な暮らしができるだろう。二郎と三郎の子もすくすく育っている。ももの話ではリャマの子が3頭産まれたそうだ。今年は良い1年になるぞ)
大智はその年、畑を増やして稗も大豆もジャガイモも植えた。海岸で見つけた厚さ1メートルはありそうな海鳥の糞を持って帰り、畑や川沿いのクルミやミカンや柿にまくと、秋には驚くほどの収穫量になり、苗木もどんどん成長した。余分な稗や大豆は粉にして、アシカの油で天ぷらさえ作れるようになり、みんなはその美味しさに仰天した。
特にアパは、まるで手品師のようにあとからあとから様々な物を作り出す大智を、神様ではないかとさえ思い、陶酔した目で見るようになった。そして大智の話をもっともっと聞きたい。聞いて話の内容が理解できるようになりたいと一生懸命日本語を覚えた。今では日常会話どころか、感情的に込み入った内容や、植物の成長に必要な肥料など科学的な話も理解できるようになった。そんなある日、事件が起きた。
放し飼いのリャマが荒野で草を食べている時、身を隠しながら近づいてきた十数人の原始人に投げ槍で殺され、その場で食べられだしたのを、木の上の見張り場にいた三郎が見つけて大声で皆に知らせた。ももは血相を変えて飛び出していきアパも後に続いた。大智たちも弓矢と槍を持って走った。そしてももに追いつくと、笛を吹いてリャマを全部石垣の囲いの中に入れろと指示してから原始人に10メートルほどまで近づき、槍を地面に突き刺してから弓矢を構えた。
原始人たちは食べるのを止めて怪訝そうな顔をして立ち上がった。そして自分たちの獲物を横取りされると勘違いしたのか、槍を持ち上げ投げる構えをして喚きながら威嚇し始めた。大智がアパや他の者を下がらせ一歩近づくと、途端に5本の槍が大智を目掛け飛んできたが、大智はわけなく避けてから、しかたなく次に投げようとしている原始人の右腕を射抜いた。その原始人は槍を落とし、左手で右腕を持ってパニック状態になり泣きわめきだした。
大智は突進してその槍を拾い上げ柄の方で、まだ構えている原始人たちの槍を叩き落としていった。そして素早く槍を反転させ穂先を原始人の眼前で寸止めした。その原始人は腰を抜かして怯えた顔でそこにうずくまった。大智は二郎たち三人に弓矢を構えて原始人を取り囲めと指示し、矢が刺さっている原始人の腕を足で押さえつけて一気に矢を引き抜いた。原始人は悲鳴を上げ失禁した。大智は血の滴る矢を原始人たちに見せつけるとアパに言った。「奴らの言葉が解るか、解るならリャマは家で飼っている大切な家畜だ。二度と獲りに来るな。今度来たらこの矢が胸に突き刺さると言え」
アパが通訳して伝えると、原始人たちは怯え切った顔を見合わせてから、よろよろと立ち上がり自分の槍を拾って帰り始めた。「死んだリャマは要らん、持っていけ」と言う大智の言葉をアパが伝えると4人で四肢を持って帰って行った。しかし右腕を射抜かれた原始人一人だけはその場で泣きわめき続けていた。大智が見ると血があとからあとから流れ落ちている。どうやら動脈を切ったらしい。このままでは出血多量で死んでしまうだろう。
大智はしかたなく自分の服の袖を肩から引きちぎり、それで縛って止血し家に連れ帰った。庭で改めて傷を食塩水で洗い長い布を巻きつけた。消毒液も傷薬もなく、ただ止血するだけ。傷口が化膿し敗血症で死ぬかどうかは本人の体力次第だった。庭の大きなテーブルの上に寝かせてアパが水を飲ませた。原始人は青ざめ既に弱っている。大智たちにできることはせいぜい精力のつく物を食べさせることぐらいだった。
その日の夜、うめき声が聞こえたので大智とももが行ってみると、原始人は高熱で意識朦朧状態だった。「今夜が峠だな、もも濡れ手拭いで頭を冷やしてやりなさい」ももが大きな瓢箪で作った洗面器に水を入れて持って来て、手拭いを浸して絞り頭を冷やしてやった。ももは何度も手拭いを取替えながら朝になると、原始人の熱が下がり眠っているように見えたが、まだ安心できなかった。だが昼前に目を覚まし、水を欲しがったので、ももはもう大丈夫だと判断し、水を飲ませた後で鹿肉入りの稗粥を作って食べさせた。
それを美味そうに食べる原始人を見て、大智は原始人の体力の強さに改めて驚いた。まあ食塩水で洗った事と、空気が乾燥していて細菌感染が少なかったせいとも思えた。その後はアパに面倒を見させ、精力のつく物を食べさせ続けると、翌日には歩き出した。腕の傷が癒えるのは数週間先だろうし、傷が癒えても以前と同じように手を動かせるかどうかはまだ分からなかった。いずれにせよ腕はまだ動かさない方が良いと思い、大智は三角布で腕吊りを作ってやった。数ヶ月前のアパ同様、原始人も腕吊など見る物全てに驚いていた。アパはその都度説明してやっていた。
元気になった原始人を追い出すこともできたが、一人で狩りをするのは無理だったし、仲間の原始人がどこにいるかも分からないと言うので、しかたなく家に居させた。アパを通しての会話で、他の部族に南に行けば獲物がいっぱい居ると聞いて、東、南、西の三方が海の所まで行ったが、あまり獲物が居なかったので引き返しているところだったと聞いた。大智は(三方が海という事は岬だろう。アメリカ大陸の西海岸で岬がある所は、、、やはりカリフォルニア半島か)と考えた。そして行きも帰りも同じ所を通ったのかと聞いた。
すると原始人は「行く時は荒野で全く見えなかったが、帰りは左手に海が見え隠れする所を歩いた」と言った。(つまり帰りはカリフォルニア半島西側の海岸線を通ったという事か、、、だが海岸線ならアシカがいっぱい居たはずだが、原始人はアシカは食べないのだろうか)そう思って聞くと原始人は「あの獲物は臭くて食べられない」と言う。確かに生肉は臭くて無理かもしれない。焼いてレモン汁と塩に浸ければ美味いのだが、、、
それから大智は「お前たちの先祖はどこから来た」と聞くと「北から獲物を獲りながら南下してきた」と言った。「北なら大きな牛がいっぱい居ただろう」「ああ、俺の親父が子どものころは牛や大鹿がいっぱい居ていつも食べきれなかった。だが冬の風が強い時に山火事が起きて獲物がみな南に逃げて行った。それで親父たちも獲物を追って南に行ったが見失い、その後は飢え死にすることが多くなった」
その話を聞いて大智は思った(恐らく獲物は、山火事から南に逃げた後で東の草原に向かったのだろう。だが原始人たちは見失い勘違いして、ずっと南下し続けた、、、南下でも大陸の方ならまだしも獲物が多かっただろうが、半島を南下したがために、、、そして行き止まりの半島最南端まで行っての帰りか、、、この半島で狩猟だけでは何十人もは生きてゆけまい。俺のように農産物や海産物も食べないと、、、そう言えばアパが居た集団も南に向かっていたっけ、、、帰ってくるころには人数が減っているだろうな、、、まるで死の行進だ。
自然の中で生きるという事は、些細なことで自ら死に向かうし、死に向かっている事すら気づかないでいる。だがそれでも人類は世界中で生き延びて2025年には80億人になった、、、俺もここで子孫を大繁栄させよう。恐らくつるぎとゆき夫婦は日本で子孫をいっぱい遺していくだろう。そして台湾の裸族女性の中の何人かは、俺やつるぎの子を産んでくれているだろう。俺の遺伝子は、、、フフフ、、、俺はもっと多くの女に遺伝子を与えるべきかもしれない)
予想通り原始人はアパの部屋で暮らすようになった。大智と二郎はこっそり喜んだ。これでアパに子どもが産まれても原始人の子だと言い張れるのだ。もう三人で出かける必要はなくなった。だがそれでも大智に対するアパの尊敬の念は消えなかった。更なる日本語の習得や様々な知識を得ようと、暇さえあれば大智の傍にいた。そんなアパと一緒にいてゴンと名付けられた原始人も、大智を敬服するようになった。そしてアパ同様いつも大智の傍に居た。
ある日、大智が籠を背負おうとすると、ゴンが素早く取って背負った。大智は苦笑しながらゴンを連れて柳の長い枝を採りに行った。家に帰ってくると、アパを呼んで一緒に背負い籠を作らせた。籠ができるとそれに革ベルトの肩掛けを取り付け、最後に籠の内側左に矢を入れるえびらを取り付けて、矢を数本立ててからゴンに背負わせた。ゴンは大喜びした。大智は自分の籠を背負い弓を持って庭の外に出ると、ゴンに見せるようにして素早くえびらから矢を抜いて射た。矢は10メートルほど先のミカンの木に突き刺さった。
ゴンは目を見開き大智を見た。大智は無言のまま弓をゴンに手渡してから、弓の練習をさせた。ゴンの右手は傷は癒えていたが、指先に力が入らないようだったので、右手に弓を持ち左手で矢を射るように、えびらも左側に取り付けたのだ。それを理解したゴンは泣きながら大智にしがみついた。すぐにアパもしがみついた。大智は微笑んでからアパに自分の籠と弓矢を持ってこさせ二人に弓の練習をさせた。二人は短期間で上達した。
ここには竹がないので松や杉の木で弓と矢を作っているが、杉の木で原型を作ってよく乾燥させると強い弓が作れた。矢も長さを決めて丸太を切り、縦に割って削りながら火で炙って真っすぐにして作った。竹で作るよりも手間がかかったがしかたがない。その分、弓や矢一本一本に愛着が生まれて大切にする事だろう。
矢じりや槍の穂先や石鍬も自分たちで作らせた。川原や海岸で平たい花崗岩を拾ってこさせ、それを石ハンマーで欠いて大まかな形にし、その後はひたすら研磨させた。そうやって完成した矢じり等は皆で見せあって自慢し合った。その後大智は、杉の木を縦に割って板にして大きな水車を作り、先端に瓢箪を付けて水を汲み、上で瓢箪内の水を樋に落として川沿いの畑に水を流せるようにした。また、車軸を陸地まで伸ばして、大小の木の車輪や革ベルトを組み合わせて高速回転の研磨機を作った。砥石は、少し厚みのある平らな石の真ん中に石ノミで穴を開けて車軸に差し込んで固定した。
おかげで矢じりや穂先だけでなく木の板も研磨でき、つるつるとした良いテーブルや椅子や棚を作れた。この研磨機があれば、砥石を替えれば石や木の器や臼さえ作れたが、女たちはしょっちゅう竹針や石錐を磨いていた。まあ研磨機はうるさいので夜は使用禁止にして革ベルトを外したが。このようにして大智は、快適な暮らしができるように様々な物を作った。

それから10年が経った。生活は安定し、二郎は5人、三郎は6人はなは4人アパも4人の子を育てる親になった。川の向こうにも石垣で囲った家を建て二郎家族と三郎家族が住みだした。それまでに毎年畑を増やしたおかげで食料不足になることはなかった。逆に牛や大鹿を獲っても数日で食べきれるので、干し肉でない新鮮な肉をいつも食べれて無駄なく効率的な狩りができた。
(柿もよく実るようになって干し柿にして食べられるようになったし、山ぶどうとブルーベリーもドライフルーツでも楽しめる。クルミやジャガイモも皆で食べきれないほど採れる。何より主食の稗や大豆が毎年豊作なのが一番嬉しい、、、5キロほど北東の谷間に住み着いた原始人にも、ゴンとアパを通して稗や大豆を作らせているし、石垣造りや土器作りも教えているが、アパの話では少しずつ習得しているそうだ、、、人手が足りない時は応援に行くからとも言ってくれている。嬉しいことだ、、、
こんなに安定して充実した日々を送っているのに、何故か満たされない、、、最近寝ている時に聞こえる「もっと南へ」と言う声は何だろう、誰の声だろう。単なる幻聴か、、、それとも、東教授の時のように俺にもう一度、、、60歳を過ぎた俺にもう一度、、、南に何があると言うのだ、カリフォルニア半島の最南端があるだけではないのかか、、、それとも南米まで行けと言うのか、、、)
ある夜ももに起こされた。「あんた、どうしたの、南へ南へって、寝言なの」「うっ、、、俺がそう言ってたのか」「そうよ、苦しそうな声で、、、いったい南がどうしたの」「い、いや俺にも分からん、、、だが南へ、、、誰かに呼ばれているような、、、何故かは分らんが、どうしても南へ行けと、、、」「、、、」
翌朝みんなを集めてももが言った「父さんがどうしても南へ行きたいって、、、どうする」「な、何を突然に、、、それに父さん、いま何歳だよ。もう遠出ができる身体じゃないだろ。家に居て孫の相手をしていてくれよ」と一番に二郎が言った。続いて三郎も反対した。当然はな夫婦もゴンもアパも反対した。みんなが反対するのが分かっていたから、ももはみんなを集めたのだが、それまで無言だった大智はこの時出発を決意して言った。「心配するな1ヶ月で帰ってくる。漕ぎ手として屈強な原始人を8人雇ってくれ。それと食料も、、、海岸沿いを行くから干し肉はあまり要らん、アシカを獲るからな。その代わり水とドライフルーツを多めに積んでくれ。準備でき次第出発する」
一度言い出したら引かない事を知っている二郎たちはみな黙った。だが数十秒後アパが言った「私を連れていってください。私はいつも老師の傍にいたい」「俺も妻と一緒に」「何を言うか、二人が行けば誰が子を養うのだ。心配要らん、原始人8人だけで良い」「あたいが行くよ。子はみんな大人になったからね。それにあたいは死ぬまで離れないって誓ってたからね。あんたが置いて行くつうたら死んでやるから」とももが叫んだ。その剣幕に大智は何も言えなかった。
1週間後、大智とももと8人の漕ぎ手が双胴船に乗り込み出発した。川を下り海に出ると南を目指した。幸い北東の風が吹いていたので斜めに帆を張り、大智とももが操舵して沖に出すぎないようにした。風さえあれば舟は速い。しかも大智は夕食後も夕陽や北極星を見ながら進んだので、2週間ほどでカリフォルニア半島最南端に着いた。ごつごつした岩だらけの半島を手漕ぎで回り込んで東側の海岸沖に行くと、強い北東の風が吹きつけて前に進めなくなったので、引き返して風上側に断崖が突き出ている入江で停泊した。
その夜寝ているとまた声が聞こえた「明日から南風が吹く昼夜北上せよ」大智はその声で目が覚め毛布から顔を出して夜空を見た。半月が西に傾いている。無風状態のようだ。(今の季節、南風が吹くはずがない、、、やはり幻聴か、、、やれやれもう一眠りしょう)翌朝、食後から手漕ぎで入江を出ると途端に南風が吹き始めた。急いで帆を張ると、舟は海面を滑るように北に向けて進みだした。(昨夜の声は正夢だったのか、、、)と大智は不思議に思った。
(不思議と言えば、なんだこのスピードは、、、南風はあまり強くないのに何故こんなに速いのか、、、まるで何かに引っ張られているかのようだ、、、)大智は操舵しながら周りを見た。(カリフォルニア湾に入っているはずだが、どの方向にも陸地が見えない。まあ太陽の位置から方向は分かるが、、、この風向きなら夜も帆を張りっぱなしでも大丈夫だろう、、、それに今思い出したが、カリフォルニア湾は幅が100キロ以上あるから、真ん中辺りを進めば陸地が見えなくてもおかしくない)そうして舟は昼夜進み続けた。
1週間後、前方に陸地が見えてきた。そして夕方には東西に長い砂浜に着いたが、前方に銀色の屋根のような長い建造物が見えて大智たちは驚いた。ももが目を見開いて言った「あんた、あれ何」「さあ、俺にも分らん、、、だが原始人が造った物ではなさそうだ」そう言いながらも大智も頭の中が混乱していた。その時、建造物の方から大きな卵型で半透明な物体が音もなく飛んできて舟の上、約十メートルで止まった。
8人の漕ぎ手は恐怖でひきつった顔でしゃがみ込み震えていた。大智も腰を抜かしそうだったが何とか立っていた。ももは、そんな大智にしがみついて震えている。大智はこれから何が起きるのか固唾を呑んで上を見ていた。そんな大智に、以前聞こえた「もっと南へ」と言う声と同じ声が聞こえた。「よく来たな柴田大智、、、」「柴田大智、それが俺の氏名か」「なんだお前は自分の氏名も忘れていたのか、、、まあ無理はない時速80キロの自動車に跳ね飛ばされ、アスファルト面に叩き付けられたのだ、記憶を司る脳細胞が破壊されていても不思議はない」
「、、、やはり俺は交通事故だったのか、、、しかし何故あんたがその事を知っているのだ。そもそもあんたは何者だ」「ハハハ、私をあんたと呼ぶとは、敬語の使い方も忘れたようだな。まあ良い。私は1億年前からこの地球に住んでいる者だ。原始人たちは私を神と呼んでいる」「、、、1億年前から地球に、、、神と呼ばれている、、、神なら俺の事を知っていてもおかしくないか、、、だが、その神がなぜ俺をここに来させたのか」
「お前に頼みたい事があるからだ、、、お前は臨終の時、強い思念で魂をこの時代に転送した、、、人間の中には、臨終の時に強い執着心があると、特定の場所に魂を置き去りにして地縛霊になる者もいるが、お前は3万年前という過去に魂を送った。こんな人間は初めてであり、それほど強い思念の持ち主なら、我々の危機を救ってくれるかもしれないと考えたのだ」「なんと万能のはずの神にも危機があるのか」
「ハハハ皮肉など言わぬがよい。我々には肉体はなく、思念だけの生命体なのだが、それ故に物資でできている発射装置の故障の修理ができないのだ。それで原始人たちを操り修理させているが、原始人たちでは修理方法を理解できず、全ての工程をその都度教えなければならず非常に時間がかかるのだ。既に200年も修理を続けているがまだ完了しない。
この発射装置を使って一日も早く母星に帰らなくてはならないのだが、まだ70%しか修理が終わっていないのだ。それで3万年の未来から来ているお前に協力して欲しいのだ。お前だけでなく、お前が未来について様々な事を教え育ててきた子どもたちにも協力してもらいたい。無論謝礼はする。お前が常々欲しがっていた鉄も綿もコークスも与えよう。お前が使いこなせるなら地球内瞬間移動装置も反重力装置もレーザー切断機も進呈する。だから是非とも協力してくれ」
「なに、地球内瞬間移動装置、、、」「そうだ、その装置で家に居る子どもたちも、日本に居る子どももここに連れてきてほしい」「、、、神様にお願いされたら断れないが、、、もも、つるぎやゆきに会いたいか」「え、つるぎやゆきに、会いたい会いたい、でもまた舟で行くの」「いや、もっと良い物で、、、分かりました神様、協力します」「そうか、感謝する。ではさっそく子どもたちを連れてきてもらいたい。地球内瞬間移動装置の操作方法を教えよう、と言っても操作は簡単だが」
神様がそう言い終わると大智とももの身体が浮き上がり、半透明の壁で囲まれた直径5メートルほどの部屋に入れられた。部屋の中には小さなデスクと椅子があり、大智はその椅子に座らされた。するとデスク中央部に水晶のような玉がでてきた。
「その玉を握り行きたい所を頭の中に描いて、行けと言えばどこへでも瞬時に着くが、今回は原始人が乗っている舟も反重力装置で吊り上げて運ぶから、少しゆっくり行くが良い。反重力装置も、その玉を握って舟を思い描いて反重力装置で運べと言うだけで良い。前方や下の景色を見たい時も言えば見えるようになる。家に行った後そのまま日本に行って子どもたちを連れてきてくれ。みんなが来たら発射装置の修理方法を説明しよう」
大智は半信半疑で、先ず舟を思い浮かべて反重力装置で吊り上げろと言った。それから前方や下が見たいと言うと、大智の下で船が空中に浮いて原始人たちが恐怖で失神したのが見えた。次に「家の前の川の船着き場に行って舟を降ろせ。それから家の前に止めて俺とももを降ろせ」と言うとすぐにそのようになった。大智とももが家の前で、幽霊でも見たような顔で呆然と立っていると、見張り場から降りてきた三郎が驚いて大声で言った「父さん、母さん、いつ帰ってきたの」
三郎の声で我に返った大智は呟いた「ゆ、夢ではない、、、神様の言う通りになった、、、なあ、もも、お前は信じられるか」ももは大智にしがみついて言った「あ、あんた、あたい怖いよう」「いや、もう大丈夫だ。ほら見ろ、三郎だ。俺たちは本当に家に帰ってきたのだ」ももはこわごわと三郎を見た後で抱きついて叫んだ「三郎~」訳が分からない三郎は不思議そうに大智とももを見て言った「父さん、母さんいったいどうやって帰ってきたんだい」
大智は三郎の問いには答えず「三郎、みんなを庭に集めてくれ話がある」と言ってから庭に入ろうとして、ふと思い出して、手に握りしめていた玉をポケットに入れた。庭でゆきやアパを呼んでから、軒下の椅子に座って待っているとすぐに二郎たちが家族を連れて来た。大智は先ずゴンに言った「舟に行って原始人たちに家に帰るように言ってくれ。舟の中の食料は全部持って帰って良いからともな」それから二郎に言った「二郎、つるぎやゆきに会いたくないか」
いきなりそう言われて二郎は怪訝そうな顔で聞き返した「つるぎ兄さんや、ゆき姉さんに、、、会いたいけど遠いよ、、、」「大丈夫だ、すぐに会える。実はな信じ難い事が起きたんだ」大智はそれから神様と出会った事などを話した。そして最後に「という事ですぐにつるぎたちの所へ行く。赤子のおしめや身の回り品だけ持ってここに集まってくれ」と言った。
数十分後みんなが集まると外に出て、大智は玉を握りしめて言った「あの部屋に全員で入りたい」するとあの半透明の卵型が現れ、すぐに部屋の中に入っていた。大智ともも以外の者はみな腰を抜かした。だが一番驚いていたのは、いきなり現れた大智たちを見た、日本のつるぎやゆきたちだった。しかし、もう二度と会えないと思っていた両親や弟や妹に会えたつるぎたちは驚きにもまして再会を喜んだ。
その後、積もる話は神様の所へ行ってからでもできるとして、とにかく身内全員で神様の所へ行った。神様も喜びすぐに、子どもたちや赤子を住まわせる部屋に入れてから、みんなを修理場に連れていって大人たちに修理の方法を説明した。その後、大智だけを瞬間移動装置に乗せカリフォルニア湾上空に行った。湾全体が見えるほど上昇すると銀色の屋根の全容が見えた。屋根は南北に100キロほどなのが2本並行して見えている。その途中に東方向に2本の短い屋根もあった。
(何という大きさだ、、、)大智がそう思った同時に、上方から見た屋根全体の形に見覚えがあることに気づいた。(この形、どこかで見た、、、そうだ、思い出したぞ、グーグルアースの写真だ。カリフォルニア湾の海底にある海底遺構だ、、、これが3万年後の海底に遺っていたのだ、、、)その時の大智の思念を読んだのか神様が言った「ほう、これが3万年後の海底に遺っているのか」「そうだ、グーグルアースという宇宙から見た地球の写真にはっきり見える」「そうか、3万年後にはここは海の底で、海底の写真もあるのか」
「、、、しかし、これ全体が発射装置なのか」「そうだ、、、お前の時代にはレールガンという兵器が完成していただろ。この発射装置はそのレールガンと同じ仕組みだ。だが我々を宇宙空間まで飛ばす為に100キロものレールが必要なのだ。屋根はそのレールが太陽光線で歪まないようにする為の物でしかない。横に並行して伸びているのは発電装置とバッテリーだ」「、、、よくもこんなに大きな物を作ったな、、、レールの鉄は、製鉄所はどこに」
「北に火山がある、その地下で溶岩の熱で作っているのだ。銅や様々な合金もな、、、お前の記憶の中に、古代の日本に緋色金やオリファルコンと言う金属名があるが、それはここにある錆びない合金を古代人が見つけたのだろう、、、我々が母星に帰った後、ここにある物は全てお前が使って良い。お前なら様々な物を作れるだろう」「ほう、それはありがたい、、、それより、神様は俺の記憶を調べられるのか」「それは容易い事だ。お前は思い出せないようだが、お前の潜在意識の中の記憶を全て調べてある」
「なら教えてくれ、俺がこの時代に来る前の俺は、どこで何をしていたのだ」「お前は、東京の貧しい家庭の一人息子として産まれた。いつごろからか考古学に興味を持って、有名大学の考古学部に進学し、考古学者になろうと猛勉強をした。その時、台湾から日本へ丸木舟で渡ったことを実証しょうと、当時の原始人の生活や生活必需品についても詳しく研究した。その結果、卒業論文は最優秀賞になり、将来考古学者になるのは確実視された。だが何故かお前は教師になり、数日後にアパート前のコンビニに夕食を買いに行く途中で車にはねられた。
そこで記憶は切れたのだが、数分後から新たに台湾での記憶が始まった。魂を他人に乗り移らせて生まれ代わる者は稀にいるが、お前は何故か肉体ごとこの時代に現れた。お前の場合は転生というよりもタイムスリップしたと言う方が正しいと思う。だが、脳死状態のお前が何故健康な肉体で現れたのかは我々にも理解できない。しかも子孫まで遺すとは、、、前例はないがもしかしたらお前は強力な思念エネルギーで自らの肉体まで形成したのかもしれない。だとしたらお前の思念エネルギーは、、、」
「、、、俺の思念エネルギーがどうした」「我々にも分からない事はある。未来の事もな。だがこれでお前は自身の過去が分かっただろう。お前が膨大な知識を持っている理由もな。まあ、お前やお前の子どもたちのおかげで我々も早く母星に帰れるのでありがたい。お前の過去の時代では、このような出会いを縁と言うそうだが、我々にとってもありがたい縁だ、感謝する」「、、、俺が神様に感謝されるとは、、、ついでに教えてくれ、人は何のために生きているのか」
「、、、それはお前が何故この時代に生きているのかを考えれば、答えが見つかるだろう。そしてその答えは全人類の答えと同じだ。ここでの残りの人生をその答え探しに使えば良い、、、
さて、お前はこれからこの瞬間移動装置で、家族みんなの為に食材を運んで来るが良い。北に行けば大きな牛がいっぱいいるし、西の海に行けばマグロもいる。反重力装置で生きたまま運んで来れるだろう。広い調理場も食堂もあるから、球を握ってそこに行きたいと言えばすぐに移動できる、、、それにしても、他の生き物を殺して食べないと生きていけないとは、地球上の生物は不便だな」「、、、確かに、、、人類も植物のように光合成で生きられるようになれば良いが、、、神様は肉体がないと言ったが、肉体がなくても生命体と言えるのか」「ハハハ、その件は次回にしょう。お前は食材を獲りに行け」
瞬間移動装置の中から神様の気配が消えると、大智は球を握って北の大草原に行くように言った。移動装置はすぐに草原上空に浮遊した。下界には無数のバッファローが草を食んでいる。大智は丸まると太った一頭を吊り下げて帰った。

15年後、やっと発射装置の修理が終わった。神様は喜び、全ての原始人を獲物が豊富な草原に移動させ、岩山をレーザー切断機でくり抜いて住み心地の良い洞窟を作ってやった。それから大智たちに言った「あと何か欲しい物はないか。我々にできることなら何でもする。わずか15年で修理を終わらせてくれたお礼をしたいのだ」「神様、瞬間移動装置等今までにいただいた物だけで十分です」「そうか、欲のない者たちだ、、、では我々は母星に帰る。移動装置で上空から見送ってくれ」「わかりました」
大智たち全員が移動装置に乗り上空から見ていると、地鳴りのような振動が発射装置の始点から伝わってきたと思ったら、すぐに発射口から大きな弾丸のようなロケットが超高速で飛び出していった。発射は成功した。もう神様に会うことはないだろう。(さて、これからどうするか、、、当分はここに住んで、移動装置で世界中を旅行するのも良いし、、、そうだ皆がどうしたいか一人づつ聞いてみるか)
夕食時、大智は子や孫たちにこれからどうするかを聞いた。つるぎは「すぐには思いつかないから当分ここに居るよ。冷暖房完備で居心地が良いし。そう言えば冷暖房等の電源は?」「屋根上のソーラーパネルで発電しているから数十年は大丈夫だろう、、、ゆきの婿殿はどうする」「長男は大人になったが、一番下のはまだ小さいから、しばらくここで子育てしたい」「、、、そうか」大智は二郎や三郎にも聞いてみたが皆も当分はここに居たいと言う。それを聞いて大智は思った。
(人は誰しも快適な暮らしを経験すると、その暮らしを捨てたくなくなるものだ、、、まあ、それは俺とて同じだが、、、だが、ここでの暮らしは瞬間移動装置や反重力装置で食材を運んでこれるから成り立っているのだ。もし瞬間移動装置が壊れて使えなくなれば、すぐに飢え死することになる。便利な装置に依存することなく生きていかなくては)と思った大智はその事をみんなに話した。すると皆はここに来る前の所に帰って暮らすと言い、翌日から移動を始めた。
以前と同じ程度の暮らしができるようになるまで、大智とももは食材を運んでやり、その後は台湾の甘柿を根の周りの土ごと、日本のつるぎたちの畑とカリフォルニア半島の二郎たちの川沿いに運んでやった。またカリフォルニアのミカンの木やブルーベリーも日本に運んだ。大智はこのようにして食用植物を増やしていった。つるぎや二郎たちの生活が安定してくると、大智はももと一緒に瞬間移動装置で世界各地に行ってみた。
先ずは上空から見て今と21世紀との地形の違いを把握してから、地上の気候や植生等を調べた。大智はそうしながら稲や綿を探した。そしてスンダランドの大河の湿地帯で稲の原種を見つけた。またインドの西側で綿の原種を、それから赤道の近くでバナナやマニラ麻を見つけた。大智は大喜びし、バナナとマニラ麻をつるぎたちや二郎たちの所に運んだ。だが大智は満足できなかった。(稲や綿を栽培したい。だが日本もカリフォルニア半島も寒すぎて栽培できない、、、現地の原始人に栽培させるしか方法がない)
そう考えた大智は、岩山からレーザー切断機で石材を切りとり、瞬間移動装置と反重力装置で運んで、高さ5メートルで1キロメートル四方の石壁を、稲が自生している近くに造った。これで体長20メートルの大蛇や虎などの猛獣に襲われずに安心してコメの栽培ができる。石壁の中の草原を燃やしてから種を蒔いた。同じ方法でインド西部で綿を栽培した。収穫時には近くに住んでいる原始人に手伝わせて、終わると牛や猪等を十分に与えた。
このようにして大智やももだけでなく、つるぎや二郎やゴンやアパの孫に至るまで米を食べれたし、綿織物のタオルや褌を着用できた。とは言え日本やカリフォルニア半島では栽培できない物は結局は瞬間移動装置で運んでくるしかなく、いつかは入手できなくなる物で(やはり住居地域で作れない農産物まで欲しがるのはやめよう)と大智は考え、綿や米作りをやめにした。
(、、、瞬間移動装置、反重力装置そしてレーザー切断機があれば、アマゾンのジャングルやアンデスの山中やシベリアの山頂でもいや南極でさえも、巨大な石材建造物を造れるが、それを俺が造って何になろう、、、俺は日本にもカリフォルニア半島にも子孫を遺し、子孫は幸福に暮らしている。俺はこれ以上なにを欲しがる必要があろうか、、、満たされた人生だ、、、もうこれ以上、俺は何も要らない、、、
そうか今解った。人は何のために生きているのか、という俺の問いに「何故この時代に生きているのかを考えれば答えが見つかる」と神様が言った意味が、、、俺は丸木舟でも太平洋横断できる事を実証したし、子孫にも恵まれて、もう欲しい物が何もなくなった、、、思い残すことが何もない、満たされた心でこの世を去れる。これ以上の幸せはない、、、そして俺のこの幸せこそ全人類共通の幸せなのだ、、、)

いつしか大智は99歳になり、老いさらばえて歩けなくなった。つるぎの家で大智はももに言った。「もう一度台湾のあの家に行きたい。あの家の中で死にたい」「あんた、何を言うんだ、あんたはまだ死んじゃダメだ」「ハハハ、人は誰もみんな老いたら死ぬ、、、もも、お前と生きて来られて俺は幸せだった」「あんた!、、、」
つるぎはひ孫に至るまで一族郎党全員を連れて台湾の家に行った。そこで葬式をし、遺言通りに大智が目覚めたあの海岸で、多量の薪を積み重ねて荼毘に付した。一族郎党50人ほどが見守るなか、下から燃え上がってくる炎に包まれた時、大智の身体が消えた。みんなは、まさか、と思って目を凝らして見たが炎の中に遺体はなかった。

その時、大智の耳に不思議な声が聞こえた「ご臨終です」
冷酷な医師の声に母は泣き崩れ、父は激怒した。満ち足りた笑顔で、天使のような安らかな死に顔の大智を、父は睨み付けながら怒鳴った「大智、大智、、、お間へは何故死んだ。何故死んだんだ、、、お前は父さんや母さんの苦労が分からないのか。お前が大学を卒業する為に父さんや母さんがどれほど苦労したか知らないのか。お前の大学の学費の為に借金をし、生活費を切り詰め、お前が居ない所で父さん母さんが、見切り品のパンをかじって飢えを凌いでいた事をお前は知らないのか。
4年間新しい服も下着も買わず、ありったけの金をお前の学費生活費に費やした父さん母さんの苦労をお前は、何も知らないで逝ってしまうのか、、、この親不孝者、、、謝れ、、、母さんに謝れ、、、たった22歳で逝ってしまう、、、親よりも先に逝ってしまう、、、最悪の親不孝を母さんに謝れ、、、母さんに謝れ、、、大智、、、母さんに謝れ、、、謝ってくれ、、、」父はベットの脇に崩れ落ちて慟哭を発した。
それを斜め上から、自分がベットの上に居て顔に白い布を被せられるのを不思議に思いながら眺めていた大智は叫んだ「父さん母さん、俺は生きているよ、ほら、ここに居るじゃないか。父さん、俺が見えないの。俺は99歳まで生きて、台湾や日本や北米にまで行って子孫や文明を残して、最高の人生を過ごして、子や孫たちに惜しまれて最高の人生を送って、そして死んだんだ。俺は満足して死んだんだ、、、
父さん母さん、、、本当だよ、、、俺は俺の人生を悔いなく生きて、そして死んだんだ、、、父さん母さん、、、分かってくれよ、俺は満足して、、、寿命を全うして、、、」しかし大智の声は父にも母にも届かず、大智は次第に意識が薄れていくのを遠いところの出来事のようにぼんやり感じていた。

3万年前の台湾に転生した大智の人生

3万年前に大智は本当に存在したのだろうか?。私が何故このような考え方をするようになったかというと私は数年前から、すでに亡くなっている父や兄の声が聞こえたり姿が見えたりするようになったからだ。その一例を載せておく。

2018年の春分の日の次の日、家族と初めて先祖の墓参りに行った時、十数年前に死んだ兄が墓場の石垣の上につまらなさそうに座っているのが見えた。墓に近づくにつれ兄も私に気づいて「良が来た、良が子どもをつれて来た」と言って墓場に走り込んだのを感じた。良と言うのは私の名前だが、私は兄の声をはっきり聞いたし、兄の姿を見たのか感じただけなのかは解らないが、その時の兄の言動が今も脳裏に記憶されている。
その後、私の子どもが御先祖様の墓石に向かって手を合わせると、数年前に他界している私の両親が、立ってじっと子どもたちを見ているのを感じた。
これを私の幻覚や幻聴だという人もいるかもしれないが、普通の人々には見えない聞こえないものでも存在すると私は思うのだ。そしてそのような(もの)もまた生命体と言えるのではないかと思っている。生命体や宇宙人について考える時、人間の目に見えるものだけに限定してはならないのではないかと思う。
ついでに言っておくが、本当に発展した文明なら瞬間移動装置くらい開発されているはずだし、その装置があるならYFOや円盤等を飛行させる必要はなくなっているだろう。恐らく移動したいと望んだだけで宇宙の端から端まで瞬時に移動できるようになっているだろうし、そのような生命体が地球を見つけて(他の生き物を食べて生きている未熟な生命体が居るが、この生命体の進化を観察してやろう)と思って千年に一度くらいの間隔で地球に来ているのかもしれない。
その中の心優しい生命体が、人類の進化や文明の発展に援助してくれたことがあったとしても不思議ではないだろう。
まあ、地球という実験室で(愚かな人類の発展と滅亡を繰り返す様を見てやろう)と嫌味な心境で眺めている生命体もいるかもしれないが。
私はそのような生命体を「ウイルス研究員村田の夢」の最後の方に載せたが、読者の方々はどのように感じられただろうか。

       2025年9月1日     完

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3万年前の台湾に転生した大智の人生

3万年前の台湾に転生した大智の人生 現代人は石器時代で生きて行けるのだろうか?

  • 小説
  • 長編
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  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-09-01

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