
百合の君(72)
「謀反人、川照見盛継ならびに並作、この喜林義郎が討ち取ってございます」
聞き終わらないうちに、将軍、出海浪親は立ち上がった。
「盛継と並作が謀反人とはよう言うたものよ、謀反人はそちであろうが!」
将軍は首桶を蹴り飛ばした。幸いしっかり蓋をしてあったので、中身は零れずに済んだ。
「私は将軍のために二人を討ったのです、それを謀反とは何たる仰せ」
「ここに並作からの文があるわ!」
浪親はあの盗賊村で受け取った文を広げて見せた。並作の字はみみずがのたくったようだった。しかも、その内容は(少なくとも義郎が認識している)事実とは大きく異なっていた。場の緊迫感と裏腹に、義郎はじっくり時間をかけて読んだ。
「これは嘘です、偽りです」
見上げると、浪親の目は充血し、覗く瞳孔が揺れていた。
「なら何故わたしに兵を出すと言わなかった? 将軍の許しも得ずに執事を討つなど、謀反でなければ何だと言うのだ!」
叫ぶその姿は苦しそうで、芝居がかってさえいた。そうでなければ狂気の沙汰だ。
ここに至って、義郎は自分がはめられたのではないかと考えた。そもそも川照見盛継に謀反の意思はなかったのではないか? 将軍の命で、出兵しようとしていただけなのではないだろうか?
それを盛継謀反と偽って、私に知らせるようにする。すべて将軍であれば簡単にできることだ。
「二人を討って私の天下を奪おうと言うのだな、義父を殺したそちのやりそうなことよ!」
義郎は考えるのを止めた。彼は立ち上がると、真後ろに向かって走り出した。将軍に斬りかかるのではないかと警戒していた兵たちは、虚を突かれた。義郎は塀を飛び越え城を脱出すると、煤又原城に逃げ戻った。
「この事態を挽回するには、殿も将軍になるしかありませぬ」
迎えた木怒山は歩きながら話し始めた。白いものが混じった髭に、汗が浮かんでいた。
「将軍が二人? そんなことがあり得るのか?」
「帝をもうお一方擁立し、そのお方に将軍にしていただくのです」
「帝をもう一人だと?」
木怒山は立ち止った。そして周囲に誰もいないことを確認すると、声をひそめて話し出した。
「ええ、都に上り皇子をおひとり、この煤又原城にお移し奉るのです。出海、つまり征夷大将軍の力は、その軍にあるのではありませぬ。神代から続く帝の信任を得ているということが肝要なのです。しかしその帝とてあのお方でなくてはいけないということではありませぬ。あのお家に生まれたお方なら、どなたでもいいのです」
義郎は深く頷いている。
「別所と戦った時にお分かりになったでしょう。人は正義のために戦ってはいけませぬ。正義が人のためにあるのでなくては。そして正義など、ビラ一枚でどうとでも作れるのです。帝も新たに作ってしまいましょう」
そんなわけがない、と木怒山は思った。そんなことをすれば喜林は朝敵となる。しかし、勅命に従うという形であれば、主を裏切っても道理に反することにはならない。上手くすれば、喜林の領地の大部分が手に入るかもしれない・・・。
「さすがだな。よし、では、さっそく上洛し皇子をひとり連れてまいれ」
「わたしが、ですか?」
木怒山は顎が外れんばかりに呆れた。そんなことをしたら、自分が朝廷から目をつけられてしまう。
「いや、私の身分で殿下の御前に参るのは、畏れ多いことです。殿が直接参るべきと存じます」
「そうか、では私が行こう」
言いながら義郎は、もう都に向かっていた。ああ良かった、こいつが馬鹿でよかった。木怒山は胸を撫でおろすと同時、にやりとほくそ笑んだ。
たとえ戦場で鬼と呼ばれようとも、しょせんは山猿。正しい事より信じたいことを信じる愚か者のひとりだ。
しかし、皇子をお迎えする用意をせよとの命を受けて、木怒山は息を飲んだ。こういう事が起こるから、戦火は拡大するし、時代も変わるのだ。
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百合の君(72)