僕は誰ですか?
記憶を集めて
僕が、とても思い瞼をゆっくりと開けた時だった。
まず第一に飛び込んできたのは、白。白、白……真っ白な空間だった。
頭が働かず、何も考えることができずに、僕はただずっとその白を眺めていた。
しばらくすると、足音が近づいてくるのが分かった。
花瓶を持った人が近づいてくる、女の人だった。
その女の人と僕が目を合わせた瞬間、女の人は軽い悲鳴を上げて手に持っていた花瓶を勢いよく落とした。
ガチャン!という五月蠅い音が響いて、同時に女の人は割れた花瓶なんてそっちのけで僕のすぐ横に来て、急に僕の手を握ったのだ。
まだ頭がボーッとしていて、何が何だかわからなくて、僕はただその女の人を見つめることしかできなかった。
それからのことはよく覚えてない。
大勢の人が集まって、ワァワァ騒いでいた。
とにかく、あの女の人は泣いていたんだ。もうそれは、顔の化粧が落ちてしまうぐらい。
すぐに白衣を着た人が何人か来て、ああここは病院だったんだってその時に始めて理解した。
医者は僕の体を診察して、それから頭を触りながら僕に聞いた。
「頭の調子はどう?」
僕はもう口も動かすのがしんどかったけど、医者にはちゃんと伝えないと、という自然の心理が動いたので今の状況を伝えた。
「ボーッとします。何も、考えられない」
医者は1つ頷いただけで、すぐに次の質問を投げかけた。
その質問の答えで――僕の周りの人達は呆然としてしまった。
「君の名前は?」
医者はそう聞いた。
僕は、自分の名前が――わからなかった。思いだそうと必死に空を見つめたけれど、僕がどんな名前なのか、そして僕はどうやって今まで生きてきたのか、どうして入院しているのか――全てが分からなかった。
僕が答えないので、静まり返った病室の沈黙を割くように、もう一度医師が口を開いた。
「分からないんだね?自分のことが」
「……はい。何も分かりません」
僕は正直に答えた。ハッと息を呑むような音が聞こえた。
「そんな……まさか!」
さっきの女の人がまた近づいてきて、医者の顔を覗き込んだ。
医者は目を伏せがちに頷くと
「ええ。ツグル君は記憶を失っています。おそらく、お母さんのことも……分かっていないでしょう」
と答えた。
女の人はその場で膝から崩れ落ちた。
慌てて病室にいた何人かがその女の人を支えるように囲んだ。
「気を確かに持って!直子さん!」
大きな声でそう叫んでいる年配の女性。
僕は――分からないよ、何がどうなってるの?
さっきの会話から、いくら僕が馬鹿だろうと、この女の人が僕のお母さんなんだということに薄々気付いた。
でも、知らない人が突然お母さんになったと言われたようなもので、僕はそれを受け入れられなかった。
僕は本当にこの人が母親だったのか覚えていないし、この人とどんなふうに歩んできたのか覚えていない。
僕は、記憶を完全に失っていた。
僕は誰ですか?