映画『六つの顔』レビュー
『狂言』は舞台の構造などが『能』に酷似している。
呼称は違っても主役となる者とその相手役が舞台に立ち、二人の間で行われるやり取りが「今、そこにない」はずの世界を立ち上げる。『能』ではその世界があの世とこの世を結ぶ幽玄なものになり、『狂言』ではそれが俗世のおかしみとなる。『歌舞伎』のような派手さはなくてもその声を音として響かせ、人物を語る言葉とし、猿真似も、人を化かして己を誤魔化せない狐の末路といった人外の領域も、その身ひとつで演じてみせる。『狂言』はキャラクターという要素で何が出来るか、どこまで出来るかを究める芸能。であるからして、『狂言』では型が命。けれど、同じ型を演じる者の人間性が表出の際において決定的な違いを生み出す。
その事実を最もよく知る人間国宝、野村万作(敬称略)の芸歴に『六つの顔』を介して迫るドキュメンタリーのハイライトは2024年6月に文化勲章受賞を記念して開催された「川上」になるが、個人的に興味深かったのは祖父や父、先立たれた弟あるいは一度は演じたことのある役について語る万作の声音。その顔。偉大なる父、六世万蔵が趣味で詠んでいた俳句の中で大切にしている一首をインタビュアー(おそらく犬童一心監督)に紹介し、その趣意が「恰も万作さん自身に向けて遺されたようですね」と返って来たのに対して見せた笑顔は観てるこちらも思わずニンマリと笑ってしまうぐらいの照れ臭さが露わになっていて、「これぞ破顔!」と思わず膝を打ってしまった。訓練された筋肉の動きは胸の内に湧き出る感情に素直で、笑った後にまた笑えるぐらいの切れ目のなさを伝えるものだなぁと感銘を受けた。
一方で、これもまた身体操作の術なのか、ときどき息苦しそうに言葉を紡ぐ様子は見せても整った頃合いを見計らってぱっと話し出し、伝えたい事を全て相手に伝える姿にも感動した。3歳の頃に初舞台を踏んで、94歳になる現在も狂言師として舞台に立ち続けることを可能にする技術は継承されてきた『狂言』の歴史でもある。それを思えばモノクロの質感で正しくフォーカスされ、明暗をもって映し出される野村万作の「今」に結実しているものは計り知れない。
まさに芸の道は生きる道。生きる人生そのものが芸になる。
私のような初めて『狂言』を目にする人にはこれ以上ないくらいの入門編で、その世界で至れる圧倒的な高みないし境地を体感できる一作。興味がある方は是非。音が非常にものをいう『狂言』の醍醐味を知れるという点で、例えば、優れた音響システムであるodessaを導入しているテアトル新宿といった劇場で鑑賞することをお勧めしたい。大笑い、皆で致しましょうぞ。
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