美しい利己主義
言葉や誠意を尽くさないうちから人は解り合えないと結論づけたくない。たしかに人は浅はかで利己的で傲慢だけれど、それでも私は人と関わりたい。関わることを諦めたくない。人と人とは通じ合えない、解り合えない、その判断に逃げるのは簡単だ。私だって逃げたくなるときは何度もあった。けれど、何度逃げようとしても結局また人と対峙する道に帰ってきてしまった。私はなぜ人と関わるのだろう?新たな気づきを得たいから?安心を与えたいから?それとも自分が安心したいから?どれも利己的だ。利己的だけれど、それの何が悪いのか?どうせ利己的なら、ましな、美しい利己主義を選びたい。行動しないで結論づける人間にはなりたくない。絶望なら行動してからいくらでもできる。何度絶望しても結局また関わることに戻ってきてしまうかもしれない私はよそから見たら馬鹿なんだろう。でも私は馬鹿でいい。馬鹿でも人を愛することはできるから。
美しい利己主義