雑記
自分の過去がまったく整理されていなくて、今まで生きづらい思いをしてきた。自分の中にはいつも何か重苦しいものが覆いかぶさってきて、それが行動意欲を減衰させるはたらきをしてくるらしかった。自分はいつもこのはたらきを何とか払いのけようとして、無理をして外面上では活発な人間になろうとしていたようなところがあった。こういうことは、これまで何度も表現を変えながら言葉にしてきた。飽きてきてもよさそうなのに飽きない。ずっとこのあたりのことに執着している。
今別のブログで自分の過去について色々書いているのだけれど、自分の行動や判断を本当に縛ってきたのは、下種な欲望だったり、せこい体裁だったり、反知性的な情念だったりすることが改めてわかった。だいぶ以前に自分の過去について書き散らしていたので、ある程度把握しているつもりだったが、今回改めて書き直してみると、やっぱりつらいものがあった。それでも自分は社会で生きていかなければいけないと思っている。安易に馬鹿にされたくない。壮大な世界観を持ち出すのは自分は好きだけれど、結局目の前の問題は残る。思春期のころに無理に努力したことがよくなかったと、今の自分は思っている。おかしな努力をする癖が常態化してしまった。無理にがんばるやり方を覚えてしまい、それ以外に生きる道が思い浮かばない。
言葉を生み出すのは傷なのだろうな。痛みに固執することで、言語的思考が活発になるところはある。言葉というものは、やっぱり不健全なもののような気がする。年を取ったし、身体も悪くなったし、精神の方が健全であろうとしたがるので、言葉が出てこなくなったなと思う。言葉で考えること自体が面倒になり、近所の自然の景色を見ているだけで気分が良くなって今日はもういいやなんて思ったりすることが増えた感じがする。
負の感情が起動しないと自分は何もがんばれないのだろうか。反知性的な情念のおかげで、これまで色々なことに励んで努力することができたのだとしたら、これからどうすればいいのだろう。若い頃は、もっと憎しみや恨みの感情が自分の心身を巣食っている感じはあった。そういう病んだ状態こそが、自分にとって通常の在り方だったのだが、30代半ばあたりから少しずつ沈静化していった。これが年齢によるものか、身体を悪くしたことによるものなのか、よくわからない。自分は内省しすぎているのだろう。よけいなことを考えずに、まずは行動を起こすべきだというのは正しいと思う。内省より行動の方が重要なのだろう。自分のように頭の中で理屈をつけたがる人間は、いつでも損をしているのかもしれない。
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