時空の外

時空の外と言った時点で
空間の外部にある地点を想定している
外といった言葉を使った時点で
空間世界に包含されてしまう
空間的表現から抜け出すことはできない
抜け出すといった表現もまた空間的だ
どこまで行っても空間的表現はつきまとう
行くという表現も空間的かもしれない
空間は人間につきまとう
皮膚が人間につきまとうように
抽象度の高い表現を試みようとするほどに
空間的表現に依存してしまう
どうしても皮膚を通じて解釈しようとしてしまう
空間などないといって否定するしかない
時空の世界と
否定を前提とした存在の世界
二つの世界があるのだろうか




逸脱願望

言わなくてもいいことを
言いたいという欲望がある
ここでやってはいけないことを
やってやりたいという欲望がある
空気を破壊したい
順調な流れを乱したい
まぜこぜにしてしまいたい
別に人を困らせたいわけではない
ただ順当に進んでいくことに対して
漠然とした不安がある
予定調和で満たされていることに
耐えられなくなる
なんでもいいから裂け目がほしい
逸脱した状態を目にすることで
少し安堵を感じられる
人が怒りの表情を露わにしたときに
怖れと安堵の両方を感じる
相手を怒らせてしまったといつも思うけれど
本当は怒らせてやりたいと思っているのかもしれない




分裂と統合

書くという行為は
分裂を促すのか
統合を促すのか
論理は分裂を
比喩は統合を
もたらすのだとしたら
書いているといつも
どこへ行くのかわからないところがある
自分で自分を導いているはずだが
導いている自分と導かれる自分は
分かれた状態で文章は作られていく
自己が分裂しているというのも
単なる思い込みなのかもしれない




迂回

結局素直なものが何も書けない
うわべだけなぞったような文章ばかり
こんなもの書きたいのではない
迂回した思考を残しているだけ
文章も人生も同じ
遠回りして書いている
遠回りして生きている
そんなことをしているうちに
目前に死がやってくる
結局自分は裕福で甘えている
不全感だけが募っていく
真剣に生きていないのだろう
本気で生きようとする気概がないのだろう
もう疲れてしまっているから




緊張と弛緩

考える前に書け
思ったことをそのまま書け
率直に書け
自分に言い聞かせてみても
よけいに書けなくなるだけ
少しくらい力が抜けているときの方が
自分の本質に迫れる気がする
本音で語り合う場と
他愛のないおしゃべり
どちらの方が真に迫っているかは
簡単にはわからない
硬直した思考は不健全だというのはそうだけれど
脱力主義に甘んじるのも好きではない




形2

形は最も確かなものである
形は目と皮膚で把握する最も確実性の高いものである
物自体が何かというのはよくわからないけれど
触ることで物自体に最も近づくことができる
色は形ほど確かなものではないようだ
だから色に関する議論はよく揉めている
形を見直したときに近代が始まったのだろうか
音も形ほど確かなものではない
味や臭いも同様で形に比べて確実性は劣る
形は主観から遠いところにあるらしい
だから形と科学は相性がいい
形に合わせて思考するか
形から離れて思考するか
形から離れるほどに思考は自由になるが
独りよがりになってしまう点は否めない
皮膚と物の間にどういう関係があるのかはまだよくわからない




散文と詩

詩っぽい形式なら意外に言いたいことを言えそうな気がする
自分が書くものは結局は詩もどきなのだろうけれど
それでも途中で強制的に改行する形式はいい
思考を強制的に中断させる
どうしても単発的にならざるをえない
流れを重視する散文とは違う
散文の場合は自分で流れを作らなければならない
詩の形式には流れはない
流れを生み出す出発点のところでいつまでもとどまる
自我の思考を駆動させるところまで降りていこうとする
感情に身を委ねたことがない
まとわりついた邪魔な思考を除きたい
思考の流れは人生の流れ
散文の型式は人生の型式
まわりくどい文章しか書けないのなら
まわりくどい人生を生きてきたということだ




嫌われたい

人に嫌われそうな文章を書くことが得意でした
人に嫌われそうなことばかり考えているからでしょう
人に好かれそうなことばかり考えていれば
自然と行動も備わってきて
人に好かれる人間になれたかもしれません
初めの時点でまちがっていたようです
頭の中で人に嫌われろという命令が下ります
人に嫌われたくてしかたがありません
なごやかな会話の中にずかずか土足で踏み入りたい
積もった雪の中に初めて足を踏み入れるときの快感
作りこまれた精緻でおいしそうなケーキに
フォークを刺すあの瞬間
作るのには気が遠くなる時間がかかるのに
壊すのは一瞬です
壊したくなる衝動が自分の中にあるようです
人に嫌われたいという衝動みたいなものがあります
嫌悪という感情に人の本質があると思い込んでいるようです
人の顔が歪むときにどういう態度を取るか
見てみたいという卑しい好奇心
自分の特性をどうにかしたいけれど
どうにもできない




散文と詩2

散文より詩の方が対面的ではある
散文は自閉的思考を加速させる
当たり前といえば当たり前だ
詩は自分の中で想定している他人向けだ
自分の中にいる他人
これが誰なのかはわからない
超自我とかそういう言葉を持ち出して
他人の原型は親であると言ってもいいけれど
あまりそっちの方に持ち込みたくはない
散文より詩の方が自分の外に開かれている感じはする
途切れ途切れだからそうなってしまう
詩は継続した思考を許さない
他人に向けて解放的な思考をしたいのなら
散文より詩の方がよさそうだ




スーパーノヴァ

人と形の関係を捉え直したときに
科学が生まれたのだとしたら
今はまたその関係を問い直すときなのだろうか
どれだけ現代の科学が巨大だとしても
わからない問題は多くある
視覚と触覚を起点とした思考から始まっているので
限界はあるのだろうが
その限界が定義できていない
科学の定義は誰も知らない
だから科学は過大に過小に評価されたりする
科学という言葉を聞くと
誰もが少し冷静でいられなくなってしまう

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-08-18

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