うちえのこゆちっ!

【第一章 ざっくざく少女】

 間に合わなかった――
 灰原煉人(はいばられんと)は、天橋神社の鳥居にもたれかかると、ぜぇぜぇと息を
切らした。境内の上空に浮かんだ白い雲をぼんやりと眺めながら、こめかみを流れる汗
を手の甲でぬぐう。
 目指す有明保育園は目と鼻の先、あと四百メートル走ればいいだけ。
 たった二分の我慢だ。のんびり休憩してる場合じゃないと立ち上がったはいいが、す
ぐにまた腰を下ろしてしまう。
 も、もう限界……ダメ、歩けねぇ……。
 煉人はカラカラに乾いた舌を空気にさらして、まだ見えない星々にとにかくサボりた
いと願う。
 今日は七夕。東から涼しい風が流れてきて、境内の真ん中、笹竹にぶら下がっている
色とりどりの短冊がさらさらと揺れた。
 すると、煉人の頭に名案がひらめく。そうだ、短冊に書いて吊るせばいい!
 ごく平凡な高校一年生が夢みるのは何ひとつ不自由のない優雅な生活。誰にも邪魔さ
れず、溶けかけのバナナアイスばっかりしゃぶって一生チンタラ暮らせたらどんなにハ
ッピーだろう。
 気休めだと分かっていても、このまま保育園に向かう気になれない。とっくに始まっ
ている子供達の七夕祭に途中参加したって汗びっしょりじゃ恥ずかしいじゃんか。
 そう自分に言い訳して、シャツをまさぐる。
 あった。あらかじめ貰っていた1枚の青い短冊がポロンと落っこちる。クシャクシャ
のそれを指でピンとただして天にかざした。
 こいつにありったけの望みをたくせば――
 その時。
 人の気配を感じて、煉人は即座に身構える。
 石段のたもとから見上げてくる、一人の少女が目に映った。
 ……誰だ、コイツ?
 なんたることか、少女は裸である。かろうじて、発育のいい胸部と下半身の一部に白
い衣類を着けてはいるのだが、よく見るとそれは下着ではない。ふわふわした霞が彼女
の身体にまとわりついている。
 目をこすって凝視する。やはり幻ではなく、少女の眼差しはこちらにまっすぐ向けら
れている。
 優しげに整った目鼻立ち。白い頬はほんのりと赤く染まっている。ていねいに切り揃
えられた前髪。ストレートロングのつややかな白髪が風になびく。
 少女は両手をうしろに組み、小首を傾げる。長いまつげに縁取られた瞳をキラキラさ
せながら、ふっくらした唇を動かす。
「まひめ、あなたに、すむ?」
 たとたどしい発音のソプラノが耳をくすぐった。
 ……すむ?
 聞き違いじゃない、たしかに少女はそういったのだ。
 それが質問かどうかも判らず、口を半開きにしたまま、立ち往生するしかなかった。
「かくまって、くれる?」
「……へ?」
「いいよね?」
「いや……その……」
「ありがとっ!」
 少女がにぱっと表情を明るませたかと思うと、いきなり姿が消えた。
「うわっ!」
 コンマ一秒後、煉人の目の前でパッと姿を現す少女。
「な、なんだっ?」
 たじろぐ間もなく、少女が煉人の胸を指先でちょんと突く。何かおかしい。おかしい
というか奇妙だ。痛みは感じないのに、心臓をくすぐられたような感覚だけが全身を支
配した。
「ちょっ……」
 煉人の胸板に、いつの間にか黒くて大きな穴がぽっかりと空いていた。少女が強引に
頭をねじ込もうとしてくる。
「ええーいっ!」
 少女の顔と腕が、煉人の胸の中にみるみる埋まっていく。肩、胸、お腹……どんどん
潜り込まれていく。少女の両脚が宙に逆立つと、ほっそりした素足がクロールのように
バタついて足のつま先までが消失した。
 すぐに痛くもかゆくもない平時の感覚に戻った。
 何だ、コレ?
 どういうこった?
 ……ポカンとするしかない。胸板をさするが、洗い立てのシャツは破れ目ひとつなく、
肉体は異物感ゼロ。
 キツネにつままれた気分でいると、何か物体が飛んでくる。それが煉人の額に衝突し
た。
 飲みかけのコーラ入りペットボトルが足元に転がる。
 今度は何だよ! 煉人は危害を加えてきた張本人をキッとにらみつけた。
 石段の下、今度はさっきの娘とは別の少女。夏だというのに漆黒のゴスロリ風ドレス
に身を包み、肌の露出が極端にすくない。煉人と同年代だろうか、勝気な目つき、赤色
の長い髪をツインテールでまとめ、腕組みしつつ、仁王立ちでこちらを睨みつけている。
「おい、貴様。今の美少女、ちゃっちゃと返せや」
 粗野な言葉遣いなのに、どこか偉そうな印象。ガムをくちゃくちゃ噛み、ぷぅーと膨
らませる。
 パンッ!
 相手の高飛車な態度に、煉人はイラッとした。
「返すだと?」
「さっき貴様の体内に逃げこんだだろうが、このボケ!」
 素性のしれない少女達が矢継ぎ早に現れる。そんな経験はこれまでの人生で一度もな
く、また夢にも思っていなかった。
 というか、むしろ避けたい。
「は? 返すも何もワケわかんねぇし」
「ちぃっ、うっぜぇ!」
 赤毛少女がガムを吐き捨て、跳躍。角度の急な石段を軽々とまたぎ飛ばして、煉人に
とびかかってきた。目にも止まらぬ速さに、襲われるとビクついた煉人はすかさず後ず
さる。
「遅すぎるっ!」
 少女の尖った拳がまっすぐに飛んできて、煉人の肩に直撃する。
「ぐあっ!」
「もう一丁っ!」
 今度はすねを蹴られ、骨が折れたかもしれないと思うほどの痛みにしゃがみ込む。そ
んな煉人に容赦なく、殴打の嵐が飛びかった。
 少女は口元を緩ませ、恍惚としている。どういうわけか知らないが、絶対にまともな
人間じゃない。きっと真性のサディストに違いないと、防衛本能から少女との距離をで
きるだけ置くことにした。
 だが――
 履いていた靴の裏が何かを踏みつけ、ベキッと音を鳴らす。
 煉人は足をすべらせ、くるんと転倒。背中を地べたに打ちつけると激痛が走った。
「ぐぉおおおおおおっ!」
 痛みに顔をしかめながら、おもむろに起き上がり、踏み砕いた異物を手で拾い上げる。
「……なんだ、こりゃ!? なんでこんなとこにプラスチックがっ?」
 驚愕する間もなく、少女の影に覆われる。暗く冷たく鋭い視線。彼女は口元に笑みを
つくり、こめかみに青筋をいくつも浮かべ、拳の関節をパキパキ鳴らした。
「妖怪野郎が……覚悟は出来てんだろうなぁ……」
「ふっ、ふざけんなっ! お前が俺に何をしたっ? あ、逆。俺がお前に――」
「あたしのガシャポン踏むたぁ、いい度胸してんじゃねぇの……んん~?」
「ガ、ガシャポン?」
 煉人の素朴な問いは少女の耳に届かず、逆に脇腹を思いっきり蹴られてしまう。その
拍子にコロン、と何かが転がった。
 あれ? このとき初めて、煉人は不思議に感じた。右手でプラスチック製の丸っこい
物体に触れ、さっきまでこんなものなかっただろ、まさかこれがガシャポンってやつな
のか、と少女と丸っこい物体を交互に見回す。
 赤毛少女の眼がギラギラと血走る。
「チッ、またハズレ! もう許せねー、許せないでーす!」
 煉人はあわてふためく。ハズレとは一体、どういうことか。
 ……あっ! ああ、思い出したぞ! あれだ、あの金を入れたら機械から出てくるア
レのことだっ!
「ま、待て待て! 命乞いのひとつくらいさせろ!」
「却下!」
「俺、死ぬのかっ!?」
「安心しな、あたしは死ぬほど優しいからさぉぉっ!!」
 少女は頬をヒクヒク引きつらせ、胸元から細くて長いムチを取り出した。そいつを水
平にひっぱり、痛そうな音を何度も響かせる。
 次の瞬間、ムチの先端が地面の土をえぐり、威勢よく跳ね返ると煉人の太ももをピシ
ャリと直撃した。片目に砂粒を入れてしまい、太ももをかばいながら指先で目端を拭い
取っているうちに、今度は金色のガシャポンが転がっているのを見つける。
「あっ……」
 少女が目を見開き、声を漏らした。さっきまでとは妙に反応が異なる。まるで抽選会
かなんかで一等を引きあてた時のような……というか、そのまんまの表情。
 そこに煉人は目ざとく気づき、必死な形相でガシャポンをかっさらう。
「コ、コイツがどうなってもいいのかっ!」
 素早く身をひるがえし、握りしめたガシャポンを少女に突きつける。
「うっ……き、貴様……卑怯だぞ……!」
 少女のムチを持つ手が止まった。
「大事なモンなんだろ? 大人しくしねぇと握りつぶすが……いいんだな?」
 彼女の顔が緊迫で凝固し、喉がごくりと鳴る。
「こいつ返して欲しけりゃ、俺の質問にちゃんと答えろ!」
 赤毛少女はムチを捨てると、両手をあげて、こくこくとうなずいた。
「わ……わかったって!」
「一つ。さっきの白い髪のガキは何だ? 二つ。おめぇは誰だ、名前は!」
「……アタシは、御伽だ。明神御伽(みょうじんおとぎ)」
「おとぎ……?」
「ちゃんと答えただろ? とっととレアもの、よこせよっ!」
 はい、そうですかと素直に渡しはしない。この理不尽な暴力娘を警察につきだして、
親から多額の慰謝料をせしめてやろうか。
「レアもの? この丸いのが?」
「き、貴様、知らんのかっ?」
 煉人は球体をガシャガシャ振って、眉をひそめた。
「何が入ってんだ?」
 御伽が中身について、滔々とまくしたてる。彼女いわく、超人気アニメの普通では入
手できない限定品キャラグッズらしい。その手の話題には疎い煉人でもタイトルと監督
名くらいは知っていた。
「じゃあ、捨てていいんだな?」
「だ、ダメだ! こ、答えるから! 貴様の中に逃げ込んだアイツ、まひめは……ざっ
くざくだ!」
「はぁ? ざっくざく?」
 煉人が呆気にとられていると、ガシャポンがいつの間にか強奪されていた。
「あっ……」
 御伽が不敵な笑みを浮かべる。
「死ねぇ!」
 御伽の蹴りが股間にめり込み、悶絶する煉人。
「あ、が……ぐ……」
「けっ、クソ弱ぇ! アタシを脅そうなんて百年早ぇーんだよっ、この宿便!」
 御伽の鉄拳が容赦なく飛んでくる。
 ああ、神様。短い生涯でした。
 だが、観念した煉人の目の前で、拳はピタリと止まった。
 あれ?
「ちぃっ……今日のところは、こんくらいで勘弁してやらぁ! ていっ!」
 御伽がやさぐれ顔で、煉人のスネをつま先で蹴った。さっきより痛くない。
「……」
「よく聞け、泥棒」
 御伽が煉人の鼻先に人差し指を突きつける。
「金輪際どこに逃げようが、貴様に訪れる災難が絶えることはねぇ。後悔しやがれ。わ
んわん泣き叫べ。そして今までのダメちんな日々が天国だったことを、走馬灯のように
思い知れ!」
「ちょっ……どうゆうこった……」
「次は手加減ナシだ。せいぜい覚悟しとくんだな」
 御伽は煉人の胸ポケットから、青い短冊をひょいと抜き取った。そこに何かをスラス
ラ書くと、笹の葉に視線を移した。
「おい、チンピラ。吊るすから紐よこせ」
「ん、んなもんねぇよ」
「何だよ、書いた意味ねぇだろうが」
 何を書いたのか無性に気になる。
 御伽はそんな心理を見抜いたように睨みつけ、
「覗いてんじゃねぇよ、変態」
「だ、誰が覗くか!」
 だが、裏からくっきりと透けて見えてしまっている。
 短冊には、つたない文字でこう書かれていた。
《うちでのこづち、うちでのこづち、うちでのこづち、チンピラ消えろ》
 ――何コレ? どういうこっちゃ?
 煉人は不思議な気分になりつつも、この神社に寄り道したことを後悔する。短冊とに
らめっこしている御伽の隙を見計らうと、こっそり逃げ出すのだった。

 翌日。
 北桐原高校の一階、1年C組の教室で、灰原煉人はむすっとした顔を保ったまま、窓
際の席で現国の授業を受けていた。
 手足にはぐるぐる巻きの包帯。クラスの連中はゴロツキ達に負わされたケガだと勘違
いしているようだ。ケンカなんて小学生以来していなかったのだが、まさか女の子相手
にここまでやられるとは思わなかった。なのに周囲は、とくに女子生徒達は強面のイメ
ージだけで煉人を恐れていた。
 煉人の背後にはヤクザがいる。そんな根も葉もない噂は、高校入学時から三ヶ月で定
着してしまっていた。最初は話しかけてくれた女の子も次第に煉人を敬遠するようにな
り、今ではクラスの誰も近寄ってこない。
 実際は童貞少年なのだが、たぶん信じる者はいないだろう。
 それにしても。
 昨日の、あの御伽って娘はなんだったんだろう。あいつの背後にこそヤクザがいるん
じゃないかと神経を疑ってしまう。言うに及ばず、もう二度と会いたくない。
 そうぼんやりと願っていると、窓ガラスがコンコンと叩かれた。
 窓越しから顔を覗かせている園児服姿の幼子に、びっくりする。
「こ、こゆ……」
 一ノ瀬こゆ。ベビーシッターのアルバイトをしている煉人が送迎をはじめとする面倒
を見ている有明保育園の女児である。
 すっかり忘れていた――昨日の七夕祭のこと。こゆと約束したのに、結局遅刻どころ
かすっぽかしてしまった。きっと怒っているにちがいない。
 こゆが、小脇に抱えていた画用紙に、赤いクレヨンで何かを書き始めた。
 それを無言で煉人に見せてくる。
【ばんそうこう、あげます】
 煉人ははにかんだ。今は授業中だから、私語禁止。でも、そんな高校のルールなんて
彼女が気にする必要ないし、ケガの心配なんてしてくれなくても、と首を横に振った。
 それでもこゆは、小さなポシェットから一枚のばんそうこうを取り出すと、小さく柔
らかい手で包装をめくる。
「いいって。それより、昨日はゴメンな」
 煉人は気まずい表情をつくり、手を合わせて小声で謝罪した。
【だれかに、いじめられたんですね?】
 当たらずも遠からずだが、ぶんぶん首を振る。だからって、学校の階段からすっ転ん
でこうなりましたみたいな嘘は通じそうにない。
 こゆは細い眉をつりあげ、黒くてつややかな長い髪をふるふる振ると、
【わたし、おこった】
「(いや、違うって……)」
 口パクでこゆにあわせた。かったるい授業をまともに聞くくらいなら、こうやってこ
の子とコミュニケーションするほうが有意義だと思う。
【わるい人、かばっちゃだめです】
 うーん、どう説明しようか。
 その時、煉人の頭に鈍い衝撃が走った。
 担任の鮫島がでかい手でゲンコツを落としてきたのだ。タンコブがふくれあがり、目
に涙の粒が浮かぶ。
「灰原ぁ……、今度は何をやらかしよったぁ……?」
 鮫島がくぐもった声で問い詰めてきた。血色のいいフランケンがスーツに身を包んだ
ようなこの大男は、生徒指導主任であり柔道の有段者でもあることから、不良達の間で
も恐るべき存在とされていた。
「ふん、どうせ予想はつくがな」
「……別に何もしてねーっす」
「何もしとらん? 何もできんの間違いじゃないのか? こんなチビッ子をさらうし
か能がないとは、なんと情けない」
 口元をつりあげる鮫島に一瞬カチンときたが、ここで挑発に乗っては相手の思うツボ
だと気づいて我慢した。
 窓に視線を送ると、こゆが張りつめた顔でクレヨンを走らせている。
【煉人さん、この人がはんにんなんですね?】
「いやいや、違うって!」
 煉人が否定すると、鮫島の怒声が飛んできた。
「な、なんだ、このガキはぁ! だ、誰が犯人だとぉっ!」
 いたいけな女の子をガキ呼ばわり? 煉人はこゆにいいところを見せるべく、机をバ
ンと叩くと勢いをつけて立ち上がった。目を閉じ、うつむきながらだったが、周囲が一
瞬でシンとしたのが分かる。
 深呼吸して、目を開けて、口を開いた。
「悪いのは、俺だ」
 真面目にそう思った。こゆとの約束をきちんと守ろうとすれば、すこし遅れてでも保
育園に向かっていれば、彼女を心配させずに済んだ。何の努力もしないでムシのいいこ
とばかり考えていたから、しっぺ返しをくらったんだ。たぶん。
「悪いだと?」
「ああ、でも、これは俺の問題なんで、別に関係な……痛ぇ!」
「関係ない、だと? ならば灰原、お前の頭に乗っている『コレ』は何だ?」
 鮫島に向き直った瞬間、煉人は目を疑った。
 しかめ面の鮫島が両手でびょんと引っ張っているのは、女性用の――しかも、幼い女
の子が着ける純白のショーツだった。
「な……なっ……」
「ぐっへへへ……最低だな、灰原!」
「なんだよ、これ……」
「非を認めた矢先にとぼけるとは……とっとと職員室に来いっ!」
 鮫島の凄まじい握力によって首根っこをつかまれ、ずるずると引きずられていく。
 うわ……気持ち悪い……変態……そんなささやきが教室のあちこちから聞こえてき
た。
「違ぇよ、これはっ……」
「黙らんかぁ!」
 今度は顔面を殴られ、鼻血が流れる。煉人の身体が黒板に叩きつけられた衝撃で黒板
消しとチョークが落下する。
 ん……?
 教壇に転がった黒板消しと白チョークに混じって、妙なものを発見する。鮫島が手に
していたはずのショーツと同じものが落ちていた。
 煉人は鮫島の手が握っているそれと見比べ、なんでこんなものが二枚もあるんだと混
乱する。
 どう考えてもおかしい。
 いや、そもそも昨日の出来事からして引っかかる。
(ふにゅ? ふわぁ~っ)
 煉人の腹部から女の子のあくびが聞こえてきた。
 え? この声はたしか――
(おはよう~)
 少女の呼びかけが身体中を駆け巡り、煉人はつい驚声をあげてしまう。
 その挙動が鮫島やクラスメイト達の不信感を強めたのだろう、険悪な雰囲気が教室を
包んだ。
 や、やべぇ! 煉人はせっぱつまり、この状況を打破するにはどうしたらいいか、な
けなしの頭をフル稼働させる。
 くそっ!
 パニック状態のまま、口を開く。
 何でもいい、切り抜けるんだ!
「お、俺の、俺のバックには……そうだ、ヤクザ! ヤクザがいる! 俺は強ぇ! マ
ジ強ぇ! これ以上、俺に指一本触れてみろ! 火傷じゃすまねぇ! 爆発だ!」
「な、何がヤクザだっ! お前ごときが――」
 だが、あからさまに動揺している鮫島。
 一気にたたみかけてやる!
「ウソとホントの見極め出来ねぇ雑魚が教師ヅラしてんじゃねぇっ!」
 精一杯に拳を振り、啖呵を切ると、あれだけ横暴に振る舞っていた鮫島のひざがガク
ガク震えだした。それだけじゃない、真っ青になるクラスメイト達、そして、窓の外に
いたこゆの姿まで見えなくなっていた。
(わーい! つよいー! ばくはつー! かっこいー!)
 あ……。
 やっちゃった。
 ……終わった。
(なー、なー、あなたは誰だー? わたし、まひめという! よろしくだよ!)
 煉人の恫喝にも動じない腹からの声に、小さな声で答えた。
「きちっと覚えやがれ……俺は、灰原煉人だ……」

 もうダメかも。
 学校からの帰り道、煉人は有明保育園の鉄柵の前に立っていた。
 外から見ただけでは園庭の様子を細かくうかがうことはできないが、保母さんと一緒
にはしゃぎまわっている園児たちの中に、こゆの姿は見当たらなかった。
「こりゃ、クビかな……」
(くびって、なに?)
 腹の声がそう聞いた。いったいコイツは何者なんだろうと逆に質問すると、相手が堂
々と名乗ってきた。
(わたし、まひめ、いう!)
「じゃなくて、何者だって聞いてる。素性を明かせ」
(まひめはまひめ!)
「あのなぁ、おめーのせいで、こっちは散々なんだ。何がお早う~だ」
(それはよかった)
「なワケねーだろ!」
 どうやら常識というものが通用しないヤツらしい。それ以前の問題として、ほとんど
裸の少女がとつぜん襲いかかってきて、しかも体内に潜入したなんて出来事そのものが
いまだに信じがたい。
(れんとの中、とても、きもちいい。ぐっすりしたよぅ)
「気持ちいいだぁ?」
(そんな人、なかなかいない。れんと、あたりだ)
「てことは、俺の中でずっと寝てたってわけ?」
(めいさつ!)
「なーにが明察だ。それに! さっきのアレ!」
(アレ?)
 Sサイズのパンティーだなんて口にできない。
「あれもお前の仕業なのか?」
(まひめ、むつかしいこと、しらない。でも、九九ならわかるよ! ににんがご!)
「あのなぁ!」
(うちえのこゆちっ!)
「……はぁ?」
(まひめのからだは、ざっくざく! 好きなたべもの、心でのぞんだもの、なんでもだ
せるっ!)
「やっぱお前だったか! 変なモン出してんじゃねぇよ!」
 ツッコんでみて、気づく。そういえば、まひめの身体なんてどこにも見当たらないぞ。
煉人の内部にもぐりこんでいるからだ。つまり、まひめは煉人の身体を通して、あの不
可思議な現象を起こしたってことになるのだろうか。
 ――じゃあ、俺は……?
「おいおい、ちょっと待て。なんであんなもんが出てくんだよ? 望んだもの? 俺は
あんなもん欲しいなんて一度も――」
 そこまで言って、はっとした。
 ひょっとして……。
 頭に浮かんだ疑問を、直接ぶつける。
「なぁ、例えばだ。例えば、自分で自分のツラ殴ったりしたら、望んだもん、出てくん
のか?」
(でるでる! れんとの気持ちとまひめ、きょうめい! おおばんこばん、ざっくざく
だよ!)
 一発だけ試してみたい衝動に駆られる。てっとり早く思い浮かんだのは、宙を舞う大
量の紙幣だった。
 へへへ、これはイケるぞ。
 煉人の頭をよからぬ妄想が駆け巡り、ニヤニヤしだしたその時、
「おい、キミ。そこの男子高校生」
 男の声がして、肩を叩かれる。
「なんだ、うっせぇな!」
 せっかくの気分に水を差され、煉人はぶっきらぼうに振り返った。渋い顔をした二人
の中年警官が腕を組み、立ちはだかっていた。
「最近、近所で小児狙いの変質者による窃盗事件が多発していてね。ちょっと署まで来
てもらおうか」
「……な、なんで?」
「さっきから聞いていれば、一人でブツブツブツブツ意味の分からないことを。これだ
から最近の若者は――」
 警官達に腕をガッシリとつかまれる。
「えっ? ちょっ……」
 なす術もなく、連行されていった。

 煉人がマンションの一○六号室に帰還できたのは、午後十一時を回ってからだった。
 警察署の取調室に拘束されてカツ丼どころか菓子パン一切れだって与えられず、警官
達の尋問と説教をくりかえし受けて数時間、やっとのことで誤解はとけた。
 だが、その頃にはフラフラになり、酒を飲んでいないのに酔っ払っているのかと詰問
され、二度と警察の厄介になるもんかと心に誓うのだった。
 煉人は自室の壁にもたれかかり、だらしなく崩れ落ちると、腹の底から息を吐いた。
「おい、まひめ……」
 まひめからの反応はない。どうやら眠っているらしい。
 ふざけやがってと悪態をつくが、そういえば昼からずっと空腹を感じていない。まひ
めの影響かと思い、だからって別に嬉しいわけじゃなかった。
 というのも一人暮らしの煉人は、生活費には困っていなかったのだ。ベビーシッター
のバイト代に加えて毎月勝手に振り込まれてくる、必要以上の仕送り。
 だけど、そんなものありがたくもなんともない。
 まひめは言った。
 望んだモノは何でも出してくれると。
 望んでいないモノならある。痛いのとウザいのと絡まれるの。
「参ったぜ……」
 煉人は散らかった八畳間、その押入れへと視線を巡らせると、子供の頃に読んだ絵本
のことを思い出す。億劫ながらも押入れまで這いよって扉を引くと、十年分のガラクタ
が一斉になだれこんできた。
「ぐぇ! げほっ! かはっ!」
 汚いホコリにむせ、目をこすりながら、ガラクタの山からお目当ての代物をまさぐる。
 あった。
 手垢のついた一寸法師の絵本。
 煉人はそいつを手にとって寝転び、目を細めながら、ページをパラパラめくる。
『……打ち出の小槌を振った一寸法師はおおきくなって、お姫様と結婚しましたとさ。
めでたし、めでたし』
 パタンと閉じた絵本を、フローリングの床に放り投げると、腹をさすった。まひめの
寝息だけがかすかに聞こえてくる。
「おい、一寸法師女」
 無言。
「俺は鬼じゃねーぞ、とっとと出て行け」
 別にまひめが嫌いってわけじゃないのだが、いちいち面倒なんて見ていられない。ち
ょっと刺激を与えて、居心地を悪くしてやろうか。
 煉人は瞑想し、意をけっして、自分の腹を叩いてみようと拳を握りしめる。
 その時だった。
「うっわ、なんだよ、この部屋~」
 誰かがそう叫んで、玄関からあがってきた。
 図々しい感じの足音に、一瞬、空き巣がやってきたのかと勘違いし、息を潜めたが、
すぐにそうではないと察した。
 酒臭さが鼻をついたと同時に、足音がピタリと止む。
 視線を上げた。
 酔っ払った男が、焦点の定まらない目で煉人を見下げている。
 男がわざとらしいシャックリをして、
「煉人、いたのか。ただいま~、デヘヘ」
「ア、アンタ……」
 煉人の表情が凍りついた。男は、かつて小学生だった煉人の前から忽然と姿を消した
実の父・灰原蒼弥(そうや)であり、七年も会っていなかった。そんな彼がなぜ、今に
なって。
 蒼弥は手にしているウイスキーボトルに口をつけ、グビグビと中身を飲み干す。その
ホスト風の柔らかい外見は二十代でも通用し、煉人と並んで歩けば兄弟と間違われるか
もしれない。
「……今頃、何しに来やがったっ……」
「ん? 父さん、来ちゃいけなかったかい?」
「最悪だ……」
 煉人は頭を抱える。ゴツイ空き巣相手に取っ組み合いになった方が十倍はマシだった。
「なんで来たんだよ……? どういう神経してんだっ!」
「どうした、疲れた顔して。せっかくの再会なのに。ひっく」
「質問に答えろ!」
「どーして? どーしてかな~、父さんにもよくわからないんだな~、これが」
 蒼弥は赤ら顔でヘラヘラと笑うと、テーブルの上に置いておいた煉人の携帯を手に取
り、いじりはじめた。
「おい、勝手に触るな!」
「いいじゃないか、親子なんだ。番号くらい教えてくれよん」
「うるせぇ、とっとと去れ!」
「ふーん、父さんに消えて欲しいのか。それがお前の希望なんだね?」
「その前に、父さんって人称やめろ!」
「どうして? 父さんは父さんだ。いくらウザくたって事実は変わらない」
 蒼弥は、煉人が投げた『一寸法師』を拾い上げた。
 表紙についているホコリをパンパンと掃って、
「駄々っ子のお前に仕方なく買ってやったの、これだっけ? ガキってなんでこんなモ
ン欲しがるんだろって不思議だったが、今ならよく分かる」
 煉人は視線を壁の一点に定めたまま、苦々しい顔で黙りこむ。
「父さんも探してるんだ~。うちでのこづち」
「は?」
「逃げたのさ。大切な一人娘が」
 一人娘だって?
「最愛の娘に逃げられて、お前の気持ちがようやく理解できた。きっと父さんに落ち度
があったんだと思う」
 胸の奥にイヤな何かがたまってくる。
 そんなバカな。まひめがこの男の娘だなんて。
「ウソ、だろ……?」
「その辺の事情は、おいおい話す。とにかくお前にも協力してほしいんだ!」
「おい、何を……」
 蒼弥がいきなり土下座しだした。額をグリグリと床にこすりつける。
「まひめは父さんの希望なんだ。あの子がいないと、父さん、どうしたらいいか……で
もお前は違うだろ? ダメな父親がいなくてもやっていける。だけどあの子は……あの
子は普通の子じゃないんだ!」
 蒼弥が頭をあげて、まひめの外見について話し出した。
 それらは、既に持っている情報と一致していたが、どう対応したらいいのかわからな
い煉人はとりあえず初耳を装うことにした。そして蒼弥は、煉人の腹中にまひめが隠れ
ているのに気づいていないようだった。
「どんな小さなことでもいい。何か知ってるか?」
「……いや」
「そうか……」
「つーか、今になって謝ってくんなよ」
「本当にすまない」
「だから」
 気まずい沈黙が降りる。
 しばらくして、蒼弥が口を開いた。
「怖いんだよ……あの子が餌食にされやしないかと」
「餌食?」
「例えばだ。頭のイカれたオタク女やロリコン野郎。こういう連中が弱いまひめに暴力
を振るう。それだけでたまらない……分かるか、この親の気持ち」
「……」
 まひめはまだ眠っているようだ。まひめの存在を正直に告白して、二人まとめて厄介
払いしたい気持ちと、本当に彼女がこの男の娘なのかという疑念と、ごちゃまぜになっ
た感情に、煉人は困惑する。
「お前のことだってそうだ。学校でイジメられてやしないか。ちゃんと美味しいご飯を
食べているだろうか……正直、まひめと同じくらい心配していた」
 見え透いたウソつきやがって! 煉人はうんざりした。
「うそじゃない」
「だったら、俺にどうしろって? いきなり打ち出の小槌とかホザかれたって、実感な
んてどう持てっつーんだ。アニメの見過ぎじゃねぇのか?」
「……だろうな。信用ないもんな、父さん」
 うなだれる蒼弥。煉人への申し訳なさは演技だとしても、まひめを探し当てたい気持
ちまでがウソとは思えなかった。
 だからこそ、その身勝手さに胸クソが悪くなる。
「自覚あるなら帰れよ。協力も何もアンタの娘のことなんて、俺には関係ねぇ」
「煉人」
「帰れ。いいから帰れ!」
「……すまない」
 蒼弥は立ち上がると、背中を丸め、玄関の方にとぼとぼと歩いていった。
 バタン、とドアが閉まる。
「何だよ。どいつもこいつも……」
 煉人は緊張が解け、ぐったりする。
 そして、そのまま眠りに就いてしまった。

(れんと、おきてっ!)
「ん……」
(おきておきておきておきておきてっ!)
 電流を流されたように耳がピリピリして、煉人は布団から飛びあがった。一瞬、何が
起こったのか飲み込めなかったが、辺りを見回せば昨日と変わらない自分の部屋が広が
っていただけなので、ホッと胸をなでおろす。
「……おい」
(にふ?)
「にふ、じゃねーよ。誰が目覚ましになってくれって頼んだ」
(まひめ、れんと起きないと、ひとりぼっち)
「あのなぁ、俺はおめぇの子守じゃねぇんだ」
(こもり?)
「そんな言葉さえ知らんのか、ガキ」
(まひめはおとな!)
「だったら……」
 とっとと腹から出ていってくれとはなかなか口にしづらい。せめてサイズがぴったり
の着衣を用意してやってからでないと、色々マズイ気がした。
「……お前って、追われの身なんだよな?」
 蒼弥のことを指したつもりだったが、まったく違う返答が返ってきた。
(おとぎのこと?)
「おとぎ? ああ、あのブス、そんな名前だったか?」
(ブス?)
「ああ、あいつのことをそう呼ぶんだ」
 嫌いな相手だとマイナス点ばかりが目につくものなのに、顔の愛らしさだけはこゆに
匹敵するかもと思ってしまい、頭に浮かんだ御伽の顔をあわてて打ち消す。
(ブスー! おとぎ、いっつもブッスー、れんと、わかってるー!)
 何がおかしいのかまひめがキャハハと笑いだしたので、煉人も釣られてしまう。
「お、お前もそう思うかっ?」
(思うよー、まひめ、いっぱい思うー!)
 御伽に殴られた痛みはまだ残っていたし、どうせ本人はいやしないので、陰口のテン
ションは次第にあがっていく。
「そーだろ! 俺、人を見る目あんだろ!」
(あるよー! まひめもあるー! れんとでよかったよー!)
 まひめに褒められ、さらに気を良くする。
「そ、そうか? だよな? そうだろ!」
(それにひきかえ、おとぎは、わるいこです! おとぎのおやつをたべたまひめを、お
いかけてきたっ!)
 あ、それでか。
 つーか、それはお前が悪いよな?
 煉人はまひめの非には目をつむって、
「ったく、ロクでもないね~、あの女は。アイツ、今頃きっとガシャガシャやって金な
くなって機械ブッ壊して絶対補導されてるに違いねぇ! いい気味だ!」
「ああ、正解だな」
「そうそう、それで、なんでカツ丼出ねーんだよってキレてるに――えっ!」
 ベランダの窓がピシャリと開かれ、来訪者の影に覆われた煉人は震撼した。
 ええっ!
 重たそうな鍬を携えたゴスロリ少女、明神御伽が口元を引きつらせ、汚物を疎んじる
ように煉人を見下げていた。ベランダから室内に足を踏み入れると、鍬の先端を指先で
うっとりとさする。
「けっけっけ。今日もザックザクだなぁ、お兄さんよぉ!」
「な、なんで……」
「外に筒抜けなんだよ、バカ!」
「あ……あ……」
(どうした、れんと? もっとれんとと、トークしたい)
 御伽が部屋に乱入してきたのを、まひめは理解できないらしい。おそらく彼女は煉人
の腹の中にこもっている以上、外界が見渡せず、煉人以外の人間の声を聞くことができ
ないのだ。
「く、来るな!」
「これがラブコメじゃなくて良かったな。死の恐怖をとくと味あわせてやんよ!」
「は、話せば分かる。話せば!」
(れんと、だれとおしゃべり?)
「ま、まひめ。何とかしてくれ!」
(まひめ、ソーヤに会いたいっ!)
「は? いきなり何言ってんだよ、お前!」
「おい、小僧、アタシに分かるように説明しやがれ!」
「そっちこそ答えろ! なんでお前らは――」
 え? お前『ら』?
 なけなしの頭で推察する。どういう事情があるかは知らないが、まひめは蒼弥や御伽
から逃げようとした挙句、とりあえずの駆け込み寺としてこの自分を選んだんじゃなか
ろうか。
 もっとも、駆け込み寺として機能しているかどうかは甚だ怪しい。
 何より、今は自分こそがまひめの代理なのだから。
「ちっ……うぜぇっ!」
 煉人は弾かれたように走り出し、玄関の扉を開いて、一階の廊下を抜ける。
「待ちやがれっ! この誘拐魔!」
 外に飛び出すと、通りかかった一人の女の子と目が合った。こちらをじっと見つめて
くる園児服を着た一ノ瀬こゆのことをすっかり忘れていた。
「煉人さん……」
 急ブレーキで立ち止まり、こゆを無視しようかどうか迷ったがそうもいかない。一ノ
瀬家は目と鼻の先。本来なら出勤時間の早い彼女の両親に代わって、保育園の送迎バス
がやって来るのを一緒に待たないといけないのだ。
「あ、ご、ごめん……俺……」
「ううん。私こそ、きのうはごめんなさい。煉人さん、本当はやさしいのに……」
 こゆは消え入るような声で謝罪し、小さな頭をペコリと下げる。
「そんなの全然――」
 なっ!
 瞬間、暴風を感じる。猛追してきた御伽が、盛大に振りかぶった鍬を煉人の頭に叩き
込もうとしているのが視界に入った。
 避けている時間もなくそのまま振り下ろされるが、鍬は煉人に直撃せず寸前でピタリ
と止まった。
「……」
 シンと静まる。
 御伽が舌打ちし、ぞんざいに鍬を投げ捨てると、こゆに視線を移した。
「あたし、祈祷師! ですわっ!」
 明朗に弾んだ声。御伽は何かを企んでいるっぽい不自然な笑みを浮かべている。
「きとうし……さん?」
「あと、金銀白黒赤青黄緑魔道士でもありますのよっ!」
 さすがの御伽も、五歳児の前で暴力を振るうのは如何なものかと考えたのだろうか。
だとしても、警戒すべき女であることには変わりない。
 御伽は誇らしげに手を胸にあてながら、デタラメを並べ続ける。
「彼に憑いた鬼の霊を祓わねば、三千世界は滅んでしまいますわっ!」
「おい、わけわかんねーこと語尾変えてホザ――」
 いきなり正拳攻撃をくらい、煉人の顔からポンと物体が飛び出した。
 御伽がそれをキャッチすると、げっそりした表情を浮かべた。彼女の手にした物体は、
厚底眼鏡をかけている太った妖怪キャラクターの携帯ストラップだった。
「くすくす。このお兄ちゃんにそっくりのキャラだと思いませんこと?」
「ううん、そんなことないもん」
 こゆが懸命に首を振る。
「ありますわよー。これ以上、放っていたら第五の魔界が覚醒しやがりますもの!」
「ちょっと待て。さっきからおめぇ言ってること矛盾しまくり……げぷっ!」
 今度は痛烈なアッパーが飛んできた。煉人の身体はふわりと宙を舞い、ズシャアッと
アスファルトに叩きつけられる。
「ぐぺっ……」
「貴様、くだらねー茶々いれてんじゃねぇよ!」
 なおも突進してくる御伽の蹴りが脇腹めがけて炸裂するかと思いきや、こゆがすばし
っこく割り込んできて、煉人をかばうように両手をひろげた。
 蹴りを寸止めする御伽に、こゆが叫ぶ。
「これ以上、煉人さんをいじめないでくださいっ!」
「んが?」
「あなたはいけない人です」
「……だったらどうすんのさ、カワイイお嬢ちゃん?」
 こゆは黙っていた。
 ゴスロリ女め……こゆにまで手を出すつもりか?
「けっけっけ。そんなロリコン男、かばうこたぁねぇんだって! ちゃっかりパンツな
んざ覗いてやがってよぉ!」
「えっ?」
 スカートを押さえるこゆ。
「み、見てねぇよ! バカかお前!」
 煉人があわててそう否定するが、すでに不穏な空気が醸成されている気がした。
「いいか、よく聞きな、お嬢ちゃん。極悪人はな、更正なんかしねぇんだ。その認識を
ごまかせば……生涯地を這う!」
「這いませんっ!」
 こゆはしっかりした声で言い返した。
「わたし、おこる!」
「怒る? 怒ったらどうだってんだ?」
「こうですっ」
 こゆが御伽のひざを叩いた。ペチ、と小気味よい音がした。
 御伽の表情が固まる。思いがけない痛みに泣きそうなのか、何が起こったのか分から
ない顔なのか、それさえ判別しにくい。
 煉人は起き上がって、いつでも反撃できるように体勢を整える。
「痛ぇ! なわけねーだろっ! ガキだと思って調子に乗りやがっ……」
「ストップ! タンマタンマっ!」
 二人を制止した煉人は、こゆと御伽の間に割って入る。
「だめだめ! とにかくだめだっ!」
「ああん? 貴様が身代わりになるってか?」
 頬が上気し、完全にケンカ腰でいる御伽。
 煉人は、このままでは暴力女がこゆに手荒なマネをしかねないと判断した。ベビーシ
ッターとしてまだ小さい彼女を危険に晒させるわけにはいかない。
「煉人さん……」
 こゆが、何ともいえない表情で煉人を見つめてくる。
 ……やっぱ守ってやらないとな。とは言っても、自己犠牲で身体を張るのはどうかと
思う。痛いのもウザいのもごめんだ。
 煉人は髪を掻きながら、渋々と答える。
「ったく、災難が絶えないってこーゆー意味かよ。よーするに、お前はこの俺に『まひ
め(アイツ)』を何とかしろって言いてぇんだな?」
「ふん、やっと音をあげたか、バカ夫」
「煉人さんはバカじゃないですっ!」
 こゆが反論してくれるのは嬉しいが、自分がバカだという自覚は充分にあった。
「いーよ、お前の要求は飲んでやるよ。そのかわり――」
「まひめを返したら、二度と近づくなってか? 望むところだ、誰が妖怪なんかに」
 御伽がへらへら笑いを浮かべる。
 その時、まひめの声が明瞭に響いた。
(れんと! れんと! まひめのはなしをきいて!)
 御伽達に気をとられて、まひめの声に耳を澄ますのをすっかり忘れていた。
(れんと、こまっているか? こまったら、まひめ、てつだうよ!)
「……」
 御伽がしかめっ面で煉人に顔を近付ける。
「なにボケッとしてやがる?」
「いや、その……」
 煉人は戸惑った。困惑の根っこがまひめの存在にあると本人に告げるのは、さすがに
抵抗がある。
 まひめの楽しそうな声が飛んできた。
(まひめ、いそうろう! だから、れんとにおんがえし! 大サービス!)
「恩返し……」
 いや、そうは言われても。
 んー、どうしたらいいんだろう。
 どうすればこの娘は身体から抜け出してくれるのだろうか。
 むりやり怒鳴りつけて追い出すってのも……。
(れんとのおねがい、かなえます!)
「願いったって……」
(なんでもいいよ!)
 答えられずにいると、煉人の指に何かが触れた。
 ん? これは?
 こゆが煉人の右小指に青い短冊のついたひもを巻きつけ、そっと結び目をつくってい
る。
「……こゆ?」
「赤い髪のお姉ちゃんにも」
 煉人にしたのと同様に、御伽の小指にも短冊をとりつける。
「わたしにも」
 三人お揃いの青い短冊が、冷たい風に揺れる。どの短冊にも、まだ願いごとは書かれ
ていない。
「はぁ? 何じゃ、こりゃ?」
 と、御伽が訝る。
「このたんざくに、本当のねがいを書いて、かなえるんです」
「本当の願い?」
「うん。でも、誰かとけんかしちゃうと、ねがいはかなわないの」
「……」
 こゆは真剣な眼差しで、短冊のついた掌を太陽にかざした。そこには、なにかよくわ
からない神秘の力が宿っているような気がして、煉人は神妙な気分になる。
 ふいに御伽が笑いだした。
「なるほどねぇ! ガキにしちゃ上出来の発想じゃん! いいぜ、あたし貴様をブン殴
るの我慢してやる! ただし十日間だけ、それ以上は待てねぇ! まひめが邪魔なら追
い出すなんて造作もねぇだろ! できねぇとは言わせねぇぜ!」
 御伽が煉人をビシッと指差した。
 その挑発的な表情に、煉人はたじろく。
「ちょっと待て、俺は……」
(れんと、どうした? げんきない)
「煉人さん?」
 こゆとまひめに心配され、煉人はまっさらな短冊を凝視した。
「何だ、怖気づいたのかよ」
「……わかった。何とかする」
 煉人の決意表明に、こゆの表情がパッとした。彼女の丸っこい瞳には、自分が尊敬に
値する頼もしい男のように映っているのかもしれなかった。
 でも、そんなわけないじゃないか。
(れんとがげんきでありますように! まひめのおねがいです!)
 おいおい。
 元気になんて、どうやってなれっつーんだ。
 なれねぇし、なりたくもねぇの。
 ったく。
 その時、有明保育園の送迎バスが近づいてきて、こゆ達の前でゆっくり停止した。
 保母さんに笑顔で迎えられたこゆが、たどたどしい足取りで乗りこむ。
 不審に思われないよう、煉人も作り笑いでその場をしのぐことにする。
 こゆが一番前の席に座ると、窓から煉人に手を振った。
 送迎バスが発進、無事に遠ざかるのを見送ると、煉人は御伽に目配せして、
「……お前って欲深そうだよな。羨ましいぜ」
 と、神社での一件を皮肉ってみる。
 そんな煉人を無視して、御伽は小指の短冊をぐいぐいと引っ張る。
「勘違いすんな。あたしは、一度もまひめに危害なんざ加えちゃいねぇ」
「ホントかよ」
「あたしだって相手は選ぶ。貴様をいくらブチのめしても、まひめはノーダメージ」
「ったく、とんでもねぇな」
「ホント。世話の焼けるガキだよ、まひめは」
「お前のことだよ!」 
 ふと、灰原蒼弥のことを思い浮かべ、彼に殴られたり蹴られたりした記憶が一度もな
かったのを思い出す。
 あの優男は愛娘と称するまひめにはどう接していたのだろう。あくまで想像でしかな
いが、溺愛していたんじゃないかって気はする。なんとなく。でも仮に、まひめに虐待
を行うようなダメ男だったとしても、それはそれでおかしくないと思えた。
 実際は、どうなんだろう。
 御伽がくっつけた中指と親指を、煉人の額に突き出した。
「ちょっ! なんでデコピン!?」
「もう一度言うぜ。貴様はこれからも狙われ続ける。あたしだけじゃない、他のろくで
もない連中からもな。ま、たった十日間だ。せいぜい我慢しやがれ」
「我慢も何も……」
「貧乏くじ引くのが、貴様一人ならいいんだがな」
「えっ……」
 御伽は手をすっこめると、今度は煉人の頬をペチペチとたたく。その程度の刺激では
何も出てこないらしい。
「また来るぜ、ですわ。灰原煉人クン」
 御伽は煉人に背を向けると、携帯電話を取り出した。横柄な口調で何事かを喋り、そ
の直後、黒塗りのリムジンがやってきた。
 御伽が後部座席に乗ると、リムジンは颯爽と走り去っていく。
「……もう来んなっつの」
 ぽつんと取り残された煉人は、誰にも聞こえない声で呟いた。

 担任の鮫島が逮捕されたのは、翌日未明だった。
 有明保育園に侵入しようとしたところを、パトロール中の警官によって現行犯逮捕。
朝のホームルームでは、副担任が何事もなかったように振る舞うのだが、鮫島がそうい
う性癖の持ち主であると疑っていたクラスメイトは、授業時間もずっと好奇の声をあげ
続けていた。
 休み時間。煉人が廊下を歩いているだけで、怯えた顔で露骨に避けてくる同学年の生
徒達。すすり泣きする女生徒さえいた。あのショーツ事件で変質者扱いされていた煉人
は、真の変質者の逮捕によってある意味救われ、また別の意味で居場所を失っていた。
(れんと、れんと、どや顔にらめっこしよ! まずはまひめから!)
 何も知らずにはしゃいでいるまひめを無視して廊下を渡っていると、男子トイレを発
見する。
 誰もいないなら、独り言をつぶやいても大丈夫だろう。煉人は上級生の使うトイレに
こっそり忍び込み、人がいないのを確認する。
 便器に腰を下ろすと、小さく声を出した。
「さっきからうるせぇよ、お前。学校じゃ静かにするって約束しただろ?」
(まひめの声、そとにきこえない。だから、おーけーなのでした)
「お前はよくても、俺はそうはいかねぇの」
(どうして? まひめはぎもんをいだきました!)
「どうしてって……うぜぇよ、お前」
(……うぜ? まひめ、うぜ?)
 声のトーンが下がった。煉人に拒否されて、しょんぼりしたのかもしれない。
「若干な」
(じゃっかんって何だ?)
「そーゆートコがうぜぇ」
(そっか、よかったよぅ)
「は?」
(れんと、しゃべってくれる! げんきのしょうこ! まひめはうれしい!)
 あまりのズレに、煉人は頭を抱えた。
 こゆみたいな行儀のいい子だったら、まだよかったのに。
「あのな、なんで俺なワケ?」
(にふ?)
「他のヤツに潜りこんだって良かったわけじゃん?」
(ううん。だって、れんとの中、あったかい。ふーふーすると、なおよろしいの)
「俺は風呂じゃねぇ。ぬるま湯扱いすんな」
(ぬるま湯とあったかいはちがう。れんと、わかってないね)
「お前のこだわりなんて知らねぇよ。そんな話はあの御伽ってヤツに聞いてもらえ」
(おとぎ、おんど、ちょっと、ちがう。でも、根はやさしいよ)
 温度うんぬんより、あの女を優しいとする感受性が煉人には理解できない。だけど灰
原蒼弥みたいなヤツでも異性からしたら、自分なんかよりずっと見た目のいい優男なの
かもしれない。
「じゃあ、俺は? 優しいってか?」
(れんとは……)
 まひめが言葉を紡ごうとした瞬間、笑い声がトイレ内にこだました。
「ギャハハハハ! うんこ星人発見!」
 粗野な挑発を、煉人はあっさり受け流す。
 ドアがガンガン蹴られる。
 複数いるのだろう、彼等は笑いながら罵声を飛ばした。おらおら、灰原組長でてこい
よ! と耳にし、ギクリとする。連中が誰だかしらないが、煉人を気に入らない上級生
グループなのはたしかだ。
 煉人が沈黙を保っていると、
「おいおい、ホンモノだったらどーすんだよ?」
 と、いさめる別のビクついた声。
 つまり、彼等は虚勢を張りつつも、内心では煉人を恐れているのだ。
 なんだ、こいつら。バッカじゃねーの。
 よし、ちょっと脅かしてやろうか――
「おい、おめーら!」
 煉人が威嚇と同時にドアをドカンと蹴飛ばす。ひぃ、ふぅ、みぃ、四人の剣呑な視線
が煉人に向けられる。見ない顔ばかりだが、あまり素行がよろしくなさそうな連中なの
は確かだった。
「うんこ野郎だと? この俺様を誰だと思ってやがる!!」
「え……? あ……なんでホンモノが……あ……ちが、違うんス……」
 浅黒い肌が青みがかり、四人ともガクガク震えだす。
「ホ、ホントですって! まさか御本人だったなんて……た、助けてくれっ!」
 一人、また一人と退散していく。残った一人が制止するも、薄情な仲間達はトイレか
ら逃げ出した後もぎゃあぎゃあ喚いていた。
 壁際に追い詰められ、顔をヒクつかせている上級生は、煉人よりも二回り大きく、あ
まり洗ってなさそうなこげ茶色の髪をドレッドヘアにしている。どう見ても彼の方が屈
強そうに見え、実際にケンカしたら敵わないと思えた。
「おいっ!」
「ひ、ひぃっ!」
「お前、いい筋肉してんな」
「お、おで、そんな趣味……うひぃっ!」
 この男、何かを勘違いしているらしい。過剰反応されて、どう対応すればいいのか。
その一方でなけなしの嗜虐性が疼いた。
 まひめも何を勘違いしているのか、れんと、おにたいじだ! などと喜んでいる。
 それでもドレッド男に暴力を振るう気にはなれない。相手に弱いのを悟られたくなか
ったのもあるが、こゆから貰った短冊のルールを無視するのは気が引ける。
「あんな鮫島(ロリコン)と一緒にしてんじゃねぇ!」
「し、してねぇ! オメの方が強ぇ! 降参だっ!」
 柔道と空手の黒帯教師を怯えさせたのは、思いのほか効果大だったらしい。
 あー、バカバカしい。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
 必要以上に怯える巨漢に閉口する。こりゃ、指一本触れるまでもなく楽勝だな……っ
て最初からケンカになってないし。
「こら、落ち着け。俺は強くなんかねぇんだよ」
「ひ、ひいぃっ!」
「マジだって。おめぇらが勝手に勘違いしてんの」
「……ぐへ?」
「見かけと噂でできた虚像。どーせ俺は弱ぇよ!」
「ホ、ホント……なのか?」
 煉人はうなずいた。
「な、なんだ……なんだぁ……ビビらせやがって」
 急にドレッドが口を歪めて笑みの形をつくり、煉人はぞっとした。
 マズイ。
 このままじゃ反撃される!
「おでを、ビビらせやがってぇぇ!!」
 さっきの怯えとは一転、山男のような雄叫びがトイレ中に響き渡る。
 鼓膜がピリピリと刺激され、足がすくんだ。
 な、なんだ、コイツ!?
 こんな猛獣、相手にしてられるか!
 安易にカミングアウトしてしまったことを後悔しつつ、とっとと退散しようと踵を返
そうとする煉人の脳裏に、ふと、まひめの存在が頭をよぎった。
 ん、ちょっと待てよ。 
 うちえのこゆち。
 そうだ、こいつがいた。
 こいつの力をもってすれば、誰が相手だろうと楽勝じゃねぇか?
 急によからぬ妄想が頭の中を次から次へと駆けめぐり、このまま安易にまひめを手放
したら、結局は自分が損するだけじゃないのか? そんな思考が働きだす。
 自然と、煉人の頬に不敵な笑みが浮かんだ。奇声を発しながら襲いかかってくるドレ
ッドに向き直り、言葉を投げる。
「お手」
「ぐあっ?」
「お座りっ!」
 煉人の自信に溢れた指令にドレッド男の暴威が静まった。鮫島相手にかましたハッタ
リとはまったく別の迫力が、場を支配しだす。
「よし、それでいい」
「お、おで……」
「おでじゃねぇ! お手だ!」 
「ひぃぃぃぃっ!」
 ったく。頭悪すぎだっつーの。
「いいか、デカいの。お前は運がいい。特別に欲しいものを一つ言ってみろ」
「……ふが?」
「何が欲しいかって聞いている」
「欲しいモノ……」
「あるだろ? ひとつくらい」
 せっかくの能力を手に入れたのだ。少しくらい遊んだっていいだろう。もちろん痛い
のは嫌なのだが、そんなことは大した問題じゃなかった。
 だって、まひめの威光をうまく利用すれば、どんな望みだって叶うじゃないか。
「あ、ある」
「言ってみろよ」
「こ、こ、ぶっ殺してぇ奴がいる!」
 ……殺したい奴?
 ドレッドが声高に言い放つのに、煉人は眉をひそめた。自分にそんな殺意の持ち合わ
せはなく、そういう相手もいなかったから。
「ふーん、どんな奴だ」
「く、腐った酔っ払いだ」
「酔っ払い? 名前は?」
「名前……たしか……思い出した! ソーヤと呼ばれていた!」
「え……」
 父の名を耳にした瞬間、煉人の表情が凍りついた。他人の恨みを買うような男だとは
思っていたが、まさか。
 ドレッドから色々と事情を聞きだす。彼が蒼弥を憎む理由は、恋人を寝取られたとい
う他愛のないものだった。もちろんそのソーヤが自分の実の父親だなどとは言えないし、
ドレッドも気づいていない様子だ。
「……ざけんな」
「だ、だろ? ふざけた野郎だろっ?」
「おめぇがだよっ!」
 煉人は怒鳴りつけると、ドレッドの顔をギリギリ避けて、トイレの壁を殴りつける。
拳がジンときて、赤く腫れた。
「この俺がそんなクソ野郎相手に手ぇ汚すと、思ってるのか!」
「う、うごぉ……」
「却下だ」
 ショックゆえかドレッドが目を見開く。だが、すぐに怯んだ顔つきに変わり、
「お、おめが何を望むかなんて聞いたから、おでは答えただけだっ!」
 煉人は拳をひいた。まだ痛む右手をポケットに突っ込む。
「ったく……」
 でも、待てよ、と思う。あの蒼弥を恨んでいるのは、何もコイツだけじゃない。また
性懲りもなく絡んでこられても、ひたすら邪魔なだけのあの男に少々のお灸を据えたと
ころでバチは当たらないんじゃないか。
 煉人は陰険な目つきで、ドレッドをにらみつけた。
「……なぁ、お前、本当にそうしたいのか?」
「あ、ああっ! あの野郎だけはタダじゃおかねぇ!」
 ドレッドが激情をあらわにして即答した。
「そうか……じゃあ俺をそいつだと思ってブン殴ってみな」
「ぐへ?」
 危険な提案をしてしまったのに、退く気になれない。
「度胸試しだ。お前に能力とやる気があれば、陰ながら協力しようと言っている」
「ホ、ホントか?」
 くい、と顔をかたむけ、自分の頬をドレッドに差し出す。
「遠慮はいらねぇ、思いっきりやってみろ」
 ああ、俺って存外悪人だなと思いつつ、罪悪感なんてまるでなかった。
 というわけで、うちえのこゆち。
 そのお手並み、とくと拝見させてもらうぜ。
「ヴォオオオオオオッ!」
 ドレッドが雄叫びをあげ、煉人の顔面に想像を絶するほどの衝撃が走った。あの鮫島
にもよく殴られていたが、コイツのパンチの威力はその数倍だ。
 派手に吹き飛ばされた。窓際の壁に背中を打ちつけ、だらりと崩れ落ちる。
 その時、床に転がった物体の存在を煉人は見逃さなかった。
「……!」
 頑丈そうなナックルにスタンガン。ピカピカの金属バットに、普通では入手できない
ピストル。片手では数え切れないほどの凶器が汚い床に散乱した。
「コ、コイツは……」
「へっ、ちょっとした手品だ。誰かに口外してみろ。どうなるか分かるな?」
 ドレッドは慌てて、ナックルを拾い、指にはめたそれに目を奪われる。こんなもので
殴り飛ばされたら一たまりもないんじゃないか。なるほど、鬼に金棒ってのはまさにこ
ういうことを言うのだと、不謹慎にも感心してしまう。
 グヘヘヘヘと気味悪く笑うドレッド。
 こんな光景をこゆには絶対に見られたくないと思い、煉人は顔をおさえながら、ふら
ふら立ち上がり、無表情で念を押した。
「俺はお前の望みを叶えただけだ。そっから先は……お前の勝手にしな」
「わ、わかった……ぐへへ」
 ドレッドは何度もうなずいて、次から次へと武器をかき集めだした。
(れんと? れんと?)
 煉人はまひめの呼びかけに、最後まで答えなかった。
 ――あんなフザけた奴、どうなろうと俺の知ったことか。
 しかし、この時。
 まだ煉人は事の重大さに気づいてはいなかった――


【第二章 ひとつめの願い】

 三日後。
 連休明けの有明保育園では鮫島の起こした事件が何でもなかったように、保育士や幼
児達が園丁を駆け回っていた。煉人は敷地に沿って一周してみたが、警察が捜査に入っ
ている様子はなく、園内にはのどかな時間が流れていた。
 七夕祭用の笹竹も片づけられていた。多分、物置小屋かどこかにしまわれたのかもし
れない。
 今は無邪気な子供たちもいつかは、七夕がただのイベントでしかないことを知るのだ
ろう。そうなった時、自分みたいなダメ男に育ってしまう子もいるのだろうか。
「おい、まひめ」
(むにゃ……ほにゅ~)
「何がほにゅ~だ、この疫病神」
 煉人の呼びかけに、まひめは応じない。煉人にも聞こえるか聞こえないかの寝息をた
てながら熟睡している。
「……ったく」
 煉人は鉄柵にもたれかかり、白い雲の流れる空を仰ぎ見る。冷たい風が吹いて、クシ
ャミを連発していると、背後から女性の声が飛んできた。
「あっ! パンツ泥棒発見っ!」
 ビクッとして、振り返る。保母の水鏡(みかがみ)先生が、煉人にうしろ指を指しな
がら、スタスタと近づいてくる。
「キミも逮捕だっ!」
 ブロンドヘアにメリハリのある体型。新米の保母さんというよりは人気美人ホステス
といった感じの派手な風貌。
 そんな彼女が、柵越しに煉人の手首をつかんで強くひねりあげた。
「痛ぇ!」
「なんでスッポかしたのよ、この裏切り者っ!」
 七夕祭に来なかったのをまだ責めているのだと悟り、
「別にいーでしょ、俺なんかいなくたって!」
「それは正解! だけどそーゆー問題じゃないのよ!」
 水鏡先生に捕まれた腕が解放され、煉人は人食いワニから逃れるようにあわてて手を
引っ込めた。もし殴られでもしたら、余計に怪しまれる。
「俺には、俺の事情ってモンがあるんすよ!」
「だったら、署で聞いてあげる!」
 水鏡先生は、保育園二階の応接室に来るように煉人に告げた。
 煉人は仕方なくしたがうことにするが、砂場やすべり台で遊んでいる園児達の素直な
視線がなにげに痛い。鮫島のクソ野郎、くだらねぇ真似しやがって……と誰にも聞こえ
ないようにつぶやいた。

 応接室の長机に、お茶の入った湯飲みが置かれる。 
「キミさ、バックに怖い人達がついてるって、ホントなの?」
 柔らかいソファーに腰掛けていた煉人は、いきなりな質問に苦笑する。
「まさか、真に受けてるんすか?」
「だってキミってボディーガードなしじゃ、ガラの悪い小学生にカツアゲされちゃうく
らい弱いじゃん?」
「ちょっ! よくも人のブラッククロニクルを!」
「大丈夫、こゆちゃんにはまだ内緒にしとくから。そのかわり、」
 煉人に擦り寄ってきた水鏡先生が、ソファーの弾力を楽しみながら笑う。ふわりと揺
れる髪から甘いレモンの香りがただよった。
「今度変質者に襲われたら、ちゃんと守ってね? 煉人くん?」
「え? 別に鮫島が狙ってたのは……」
「む! 勘違いしたなっ! 守って欲しいのは子供達に決まってるでしょーが!」
 水鏡先生に肩を組まれ、煉人はアゴをぺちぺちと叩かれる。彼女なら大の男に襲われ
ても、簡単に返り討ちにできそうな気がした。
「それにしても許せない! あんなのが高校の指導主任だなんて!」
「それは……」
「キミの担任だったら、一発ブン殴っておけば良かったじゃん!」
「無理無理。逆なら日常茶飯事っすけど」
 煉人がため息をつくと、今度は頬をつねられる。
「そんなことだから、こゆちゃんにまで心配かけちゃうのよ! フツー逆でしょ! も
っとシャキっとしなさいよ、ベビーシッターさん!」
「ちょっ……痛ぇ! 痛ぇって!」
「私を見習って、立派な保育士になりなさいっ!」
「ならねぇよ!」
 水鏡先生の攻撃に、身体は何のアイテムも出してこない。やはり、ちょっとやそっと
叩かれたり、つねられた程度では何の問題もないのだろうか。それとも、彼女が煩悩と
は無縁な恵まれた日々を送っている人であることの表れなのだろうか。どっちにしても
助かった。でも痛い。
 ――ワル保母め……。
 水鏡先生の勢いが止み、煉人は解放される。説教とも拷問ともつかない行為を終えて
安堵したのか、彼女は勝手に煉人のお茶をすすりはじめた。
「ふぅ、疲れた~、過労死しそう~、恋人欲しい~」
「ぜって無理」
「ん? 空耳でしょうか? 今、私の逆鱗に触れる発言が」
「気のせいっすよ、気のせい」
 呆れ顔の煉人は、入口からそっと室内を覗いているこゆと目が合った。
「あ……こゆ?」
「あ、あの」
 こゆの声はいつも以上に細かった。何かよからぬ誤解をされてしまったのかもしれな
い。
 しかし、彼女の懸念は別のものだった。
「そのほっぺ……またあのお姉ちゃんにやられたの?」
「や、これは」
 ハッとして頬をかばおうとすると、水鏡先生がテーピングしていたガーゼをペリッと
剥ぎとった。それをじっと観察した後、丸めてポイとゴミ箱に捨てる。手をパンパンと
叩いて、ジト目で煉人をにらみつけた。
「ふーん、なるほどね」
「いや、なるほどって」
「ひょっとして、そのホッペって浮気がバレちゃった怪我なわけ? キミにはセンセと
いうフィアンセがいるのに?」
「なんか、すっげ勘違いしてるだろっ!」
「じゃ、きちっと説明しなさいよ」
「……いや、これは、その」
「わたし、きゅうきゅうしゃ呼びます!」
 こゆが真顔で叫んで、持っていた携帯電話で119を押そうとする。
 煉人はこゆに飛びかかり、それを素早くかっさらった。
「ちょ、ちょっと待て! こんなの痛くもなんともねぇんだ! 学校の階段から転んだ
だけだって!」
「ほんと?」
 こゆが上目遣いで見上げてきた。他力本願の煉人はどうしようもないウソでも、こゆ
ならあえて目をつむってくれるんじゃないかと都合よく期待する。
「……カッコ悪」
 水鏡先生がボソッと呟く。
「どうしてですか、せんせい? 煉人さんはいたいのをがまんして……」
 水鏡先生がこゆと同じ目線になるようにしゃがむ。
「んー、せんせいもねー、我慢強い子は好きよ。でも煉人お兄ちゃんは、こゆちゃんと
いうフィアンセがいるのに――」
「じ、時間だっ! 帰るぜ、こゆ!」
 煉人はこゆの手を握って、応接室からそそくさと撤退しようとする。これ以上いたら、
古傷だらけの園長まで押しかけかねない。
「ねぇ、煉人くん」
 何度呼びかけられようと、ここは無視。
「キミ達、本当にフィアンセだったんだ?」
「は?」
「小指にぶら下げてる、それ」
「……センセには関係ねぇ」
「関係あるわよ。発祥の地は、この私なんだから」
 水鏡先生は『ケンカをすると願いの叶わない』短冊が、自分が園児達に教えたお遊び
なのだと自慢たっぷりに主張する。だったらまずは恋人のいないアンタがつけろと言っ
てやりたい。
「で、本当に下心はないわけ?」
「当たり前でしょ! いちいち邪推すんな、ワル保母!」
 煉人はさっさと園から抜け出すと、こゆの小指の短冊に視線を送った。
「……」
 まだ何も書かれていなかった。この子だって本当の願いなんかが叶うとは信じていな
いのかもしれない。けれど、煉人としては、まだ『自分の手による』暴力を一度も振る
ってはいなかった。
 だとしたら。
 短冊に書いてみようかと思えることが、ひとつだけ心に浮かんできた。
 あのトイレでの出来事。
 いくら粗暴とはいえ、しょせんは高校生のやることだ。
 どうせ大した顛末にはならないだろう。
 けど、もし綴った通りにコトが運ぶなら――

 仕事で忙しいこゆの両親が一ノ瀬家に帰宅するまで、まだ何時間もあった。
 それまでの間、ベビーシッターとしての煉人は一ノ瀬家の中でこゆの面倒を見ていな
いといけない。もちろん一緒に入浴することは禁止なのだが、料理などの家事は時と場
合によっては行うことを許されている。
 一ノ瀬家の清潔なリビング。そのソファーではこゆが黙々と文庫本を読んでいた。
 煉人は掃除機でホコリを吸わせながら、こゆの後姿を見つめる。手のかからない子だ
なと思う一方、ここにいることに微妙な居心地の悪さを感じる。このままだと、自分は
まだ小さい彼女に悪い影響を与えてしまうんじゃないか。
「煉人さん、これなんてよむの?」
 こゆに聞かれて、文庫本の中身をこっそり覗く。こゆが指差しているのは、ルビの振
っていない漢字の部分。
「『おさななじみ』って読む」
「おさな、なじみ?」
「んー、意味はな、ガキの頃からずっと一緒にいる近所の友達のことだ」
「煉人さんと、わたし、おさななじみ?」
「んー、ちょっと違うぜ」
 こゆは小さな身体をくるりとひるがえして、小さな口を半開きにすると煉人の目をじ
っと覗き込む。
「ともだち、じゃないの?」
 バイト上の関係でしかないのをこゆにどう説明したらいいのか、戸惑う。
「わたしのおせわ、いや?」
 こゆだって理解してはいるのだ。でも、そういう問題じゃない。
 煉人は重たい口を開いて、
「そーだな……俺とお前はこの短冊をつけたもの同士だ。だから他人じゃねぇ。けど、
コイツをつけなかったからアカの他人になるかって言えば、それも違う」
 何だかよくわからないことを口にしてしまった。
 こゆは視線を落とし、小指の短冊に触れた。突然、ソファーから身を乗り出すと、テ
ーブルの上のマジックペンを手にしてペタリと座りこみ、短冊に何かを書き始めた。
 煉人は何となく、その内容を見ないほうがいいような気がして、さっと彼女から目を
逸らす。
「あのっ」
「……」
「わたし、がまんするっ」
 煉人は黙っていた。
「あのお姉ちゃん、苦手だけど、がまんするから……」
「……えらいな、こゆは」
「え?」
「それに引きかえ、俺は……」
 言葉が途切れたのと入れ替わるように、玄関からチャイムが鳴り響いた。
「どーも宅急便でーす! ついでに警察でーす!」
 すっとんきょうなバリトンが響くと同時に、ドアがガチャガチャと音をたてる。
 煉人がすかさず玄関に向かうと、顔を真っ赤にした灰原蒼弥が酒の臭いをプンプンさ
せながら、履いていた革靴を脱ぎ始めた。
「あ、やっぱりここだったか~、ほれ、お前へのプレゼントだ☆」
 手錠のようなものが飛んできて、それが煉人の胸に当たった。
「アンタ、なんで……」
「ははっ、玩具だ、よく見ろ」
 蒼弥が無断であがりこんできた。
 煉人は腹が立って、床に転がった手錠を蹴り飛ばす。
「勝手に入ってきてんじゃねぇ!」
「あ、そっか~、ここ他人様の家だっけ? 父さん、お家を間違ったみたいだな~、ア
ハハ、スマンスマン。あれ、でも我が息子がいるぞ? おっかしいなぁ~」
 この男、ワザとやってやがる。煉人がこゆの家に通っていることを前もって知ってい
たのだ。
「関係ねぇだろ、アンタには」
 そのおじさん、誰? とこゆがやって来た。
 蒼弥のだらしない視線が彼女に向けられる。
「おじさんじゃなくて、お兄さんだぞ☆」
「お兄、さん?」
「こんど呼び間違えたら、折檻しちゃうからね♪」
 煉人が蒼弥の前に立ちはだかった。
「こゆ、こんな人格破綻者、すぐに追い出すから心配すんな」
「ひどい言い草だな、泊めてもらおうと思ったのに」
「うるせぇ!」
「なんだよ~、怒ることないじゃんか~」
「おじさんは、煉人さんのおともだちなの?」
 煉人がこゆの質問に答えずにいると、蒼弥が煉人をどかして、ヘラヘラした笑みをこ
ゆに向けてきた。
「んー、当たらずとも遠からずってトコだねー。キミ、こゆちゃんって言うんだ、いい
名前だな~」
 煉人は蒼弥をグイ、とどかし返す。
「なぁ、とっとと帰れよ」
「そう言いたいお前の気持ち、よーく分かる。けど、父さんの気持ちも分かって欲しい
んだ」
「しつけーよ、アンタの事情なんて知ったこっちゃねーんだ!」
「たった一人の娘が……」
「出て行ったんだろ! そんなの当たり前じゃねーか! 誰がアンタなんか!」
 煉人の一喝に、蒼弥は目を見開いた。
 すぐに彼の表情に影が差し、全身からは力が抜け、がっくりと肩が落ちた。
「すまない……だが、今の父さんには、仕事も金もまひめも……もう何も……」
「自業自得だっつーの!」
「殺されるかも、しれない」
 え?
 何だって?
 煉人は息を飲んだ。つまりこれは。
 あのドレッドに命を狙われているということなのだろうか。
 だとしたら……。
「頼む! 頼む! この通りだ! しばらくかくまってくれっ!」
 血走った目をさらに見開き、ものすごい形相で手を合わせる蒼弥。
 煉人はこゆの様子をうかがった。単純には怯えていないものの、明らかにタダ事では
ないと察している。
「……相手は?」
「正直、分からない……父さんを恨んでいる連中はたくさんいて……そうだ! 大男で
銃を持っていた。武器組織か何かの刺客かもしれない……」
 やっぱりか……。
 蒼弥の顔は狼狽し、憔悴しきっている。
「煉人さん……」
 こゆが真摯な瞳で、この人を放ってはだめ、と暗に訴えていた。だからって、彼女を
こんな下らないことには巻き込みたくない。
「……わかったよ!」
 煉人は蒼弥の頼みを、仕方なく承諾することにした。
 こゆの相手が終わるまでマンションの部屋に待機するよう蒼弥に命じると、彼は素直
に従い、千鳥足で去っていった。
 ったく、何だってんだ。
 面倒くさいったら、ありゃしない。

 一ノ瀬家でのアルバイトを終えた煉人は、しかし蒼弥の待つ自室には帰らず、あても
なく電車を乗り降りすると、真夜中のターミナルまで足を運んでいた。
 誰があんなアホなんか。けど、この身勝手さこそが父親譲りの証ではなかろうかとも
考える。母親は煉人が物心つく前に他界していて、どんな顔をしていたのかもわからな
い。髪が長くて、かなりの美人だったと聞いている。もし、その人が今も生きていたな
ら、蒼弥も自分も多少はマトモでいられたんじゃないか。
 家族……か。
「ちょっ! 感傷に浸ってんじゃねーよ、俺!」
 想念を打ち消そうと、首をブンブン振る。駅から出た繁華街のそばにある噴水のベン
チに座って、偉そうに腕を組みながら、あぐらを掻いた。
 すると、別の悩みが襲いかかる。朝になってマンションにノコノコ帰ったら、蒼弥の
死体が転がっている可能性。そうでなくとも、業を煮やした蒼弥がふたたび一ノ瀬家に
押しかけてくる可能性。
 いずれにしても自分のまいた種なのに、刈るのが途方もなく面倒くさい。
 むあ~、ちくしょう!
(れんと、れんと!)
 いつの間にか起きていたまひめが、大声で呼んできた。
「……なんだよ、こんな時間に起きるなって」
(おなか、すいた、いっしょにバナナたべようよ!)
「何がバナナだ。んなもん必要ねぇだろ」
(やだやだ、おなかすいた! 甘いものたべたい!)
 ふと、煉人の腹の虫もぎゅるると鳴った。
 腹を押さえ、周囲を見回すと、あちこちでたむろしている派手な若者達が、怪訝な目
で煉人を見ていた。一人で意味不明なことを呟いている変質者だと思われたのかもしれ
ない。
 ばかばかしいので、無視を決め込む。
(れんとったら!)
「あのなぁ、俺はお前の母ちゃんでも父ちゃんでもねぇんだ。勘違いすんな」
(いじわる~)
 まひめが何かを口にするたびに、イライラが募る。元はと言えば、このガキがふんぞ
り返っているせいで自分はこんなに苦悩しないといけない。どうしてくれる。
「……じゃあ、こうしよう。お前の能力でこれからバナナを出す」
(やったー!)
「俺がそれを食べる。お前の分はなしだ」
(えっ)
「当たり前だろ? どうやって食べるんだよ?」
(食べさせてくれないのか?)
「そうだ。俺の中でお前はいないも同然。だって実体がねぇんだから」
(……え?)
「え、じゃなくて、決定権は俺にあるの。分かったら指図すんな!」
 煉人のふてくされた大声に、まひめの返事がとだえ、傍観していただけの周囲も何事
かと注目しはじめる。この瞬間、自分には大勢の人間を黙らせるパワーが備わっている
んじゃないかと錯覚した。
「おい、アイツ、北高の灰原煉人ってヤツだぜ……」
 群衆の誰かが、そう口にした。
 教師を半殺しにして刑務所に送ったらしいぜ。合成麻薬を隠し持ってるクソ野郎。何
の根拠もない妄言があちこちで飛び交う。
 けっ、雑魚どもが。
 ジロジロ見てんじゃねーよ。
 煉人はベンチから立ち上がった。うっとうしい連中をビビらせて追い払おうと、険悪
な表情でそいつらに中指を突きつける。
 半袖短パンのチンピラやサラリーマン風の男、ゴミの散乱したビルの入口で横になっ
ているホームレスの男、派手な化粧の女子高生、OL風の女性たち。こいつらの一人ひ
とりが小さな災難のように思え、誰にともなく声を張り上げた。
「痛い目見る前にとっとと失せろ!」
(うせる……?)
「この俺にケンカ売って、ただで済むと思ったら大間違いだっ!」
(れんと……)
「俺を誰だと思ってやがる!」
 今どき酔っ払っている社長さんでさえ言わないであろう台詞を炸裂させて、気分が高
揚したその時、人だかりの奥から聞き覚えのある少女の絶叫がこだました。
「どぅぉぉぉりゃぁぁぁぁぁっ!」
 ぶっとい大木槌を両手に抱きながら猛進してきたのは、漆黒のゴスロリドレスに身を
包んだ明神御伽。彼女がデタラメに振り回した大木槌が生温い強風を巻き起こし、煉人
は腕で顔をかばう。
「チンピラ発見! チンピラ発見! 善良な市民達の平和を守るため、正義の使者☆明
神御伽が妖怪マンモスを駆逐するであります!」
「なっ……!」
「くったばりやがれぇぇぇぇっ!」
 繰り出される一撃。
 だが、大木槌の威勢は煉人の頭上すれすれで、ピタリとおさまった。
 ……え?
 汗タラタラの煉人がふいに目にしたのは、彼女の小指に結ばれた短冊。これがあるか
ら攻撃を寸止めしたってのか。
「ふ、ふ、ふ。いーこと思いついたっ!」
「……」
「貴様はホザきました。『この俺をキレさせて、ただで済むと思うな』と」
「だ、だからどうした!」
「ぷっ」
「テメェっ!」
 口元に手をあて、嫌味ったらしく笑う御伽。
「あら、図星でしたかしら。そうでないと言い張るなら、ここにいる皆様に貴様の実力
を鑑定していただきましょうよ!」
「実力?」
 御伽はくるりと煉人に背を向けると、不特定多数の人々に向かって声を響かせた。
「みっなさーん! あたし、調教師! ですわっ! こーれーかーらー、この高校生風
珍獣ちゃんが世にも不思議な芸をお見せしまーす! っつわけでー、一撃につき百円払
いやがれ、ですわっ!」
 周囲がざわつく。
 なんかおかしいぞ……そんな懐疑の声が次々とあがった。
「でもでもー、顔は殴っちゃダメでーす。あとヘッポコ攻撃や曖昧な欲望もNG。本当
に欲しいものを明確にイメージしないとー、残念賞しか出なくなっちゃいまーす!」
「おい、まさか……」
 御伽が振り返って、ニヤリと微笑んだ。小さな声で、
「大丈夫だって。貴様から『何も出なけりゃ』、連中はすぐに飽きるからなぁ。けっけ
っけ」
「なっ……」
 御伽の思惑が功を奏したのか、好戦的な印象の男達が何人か前に進み出た。
 煉人は逃げようとするが、似たような若者達に囲まれてしまう。
「なぁ、アンタ、ヤクザがバックにいるってウソなんじゃねーの?」
 若者の一人にそう問われて戦々恐々とするが、時、すでに遅し。百円玉がチャリンと
地べたを跳ねたのを皮切りに、いきなり背中を蹴り飛ばされる。
 煉人の身体からエッチなパッケージのDVDソフトがポロリと落っこちた。
「おいおい、何だよ、これ!」
「はい、そこのお兄さん! 大当たりぃ! 賞品ですので持ってってね♪」
「えっ? いいのかよ?」
「もちろんだぜ! ですわっ!」
 御伽の嬉しそうな声に、煉人は戦慄を覚える。
 だからといって反撃をすれば……。
「あ、そうそう! ちゃんと一列に並んでください! 料金は前払いで!」
「ざ、ざけんなっ!」
 御伽はジト目でへらへらして、
「残り五日だろ? それくらい我慢しろよ。あたしだって貴様を半殺しにしてぇのメ
チャクチャ我慢してんだから」
「そーゆー問題じゃねぇ!」
「はい、次の方、お待たせしました! 手加減無用ですからねっ♪」
 みぞおちに一発、横腹に一発、相手の欲望に次々と応える煉人を、指差しながら嘲笑
う者たちが出始めた。
 ヤジが四方から飛んでくる。
 灰原って、すげー弱い。なんでこんな奴にビビってたんだ。
 やがて女子の笑い声まで飛び交い、屈辱と苛立ちにまみれる。
 ――こんな奴等、本気さえ出せばっ……。
 ただの虚勢でしかないことは自覚していた。打撃を受ければ受けるほど、ドレッドよ
りもずっとひ弱なはずの彼等の力量でさえ、煉人には太刀打ちできないもののように感
じられ、怒りはやがて恐怖へと姿を変える。
「おい、まひめ!」
(……)
「これ以上、俺を怒らせんじゃねぇ! とっととなんとかしろっ!」
 まひめからの返事はなかった。
 ちくしょう!
 次の言葉をぶつけようとしたその時、突然、煉人の胸に猛烈な吹雪が一斉になだれる
ような感覚が襲いかかってきた。
 全身にするどい痛みがほとばしる。破れかけた半袖シャツの胸元からまっしろな光が
飛散すると、すらりと細い腕がのびてきた。純白のつややかな髪がはらりと垂れ、まる
でサナギの羽化のように裸の少女が上半身をあらわにした。
「ナイス!!」
 嬌声をあげた御伽が、まひめの両脇に手をかけ抱きあげると、腰を思いっきりひねっ
て、むりやり引きずりだした。いきおい余って御伽はバランスを崩し、まひめと共に転
倒。そのふくよかな胸が御伽の顔にかぶさった。
「うぷ……ふ、服着ろ、服!」
 御伽は赤面し、まひめから離れると、ドレスのスカートから赤いチャイナドレスをす
かさず取り出して彼女の身体にかぶせた。
 まひめはむっくりと起き上がり、ポワンとした顔でチャイナドレスを見つめている。
そして、大きなクシャミを一つした。
 煉人は気圧されたまま、立ち尽くしていた。順番待ちしていた男達も何が起こったの
か飲み込めない様子でポカンとしている。
 御伽が自分の小指の短冊に視線を落とす。
「ん? これは……な、なんということでしょう! なんたる奇妙な偶然っ!」
 そう叫んで、男達の方に無気味な笑みを差し向ける。
「おやおや……叶ったってこたぁ、もうこんな紙切れに用はねぇんだよなぁ……うんう
ん、素晴らしい。非常に素晴らしい」
「おい! 調教師! どうなってやがる!」
 最前列の男が不愉快そうに御伽を怒鳴りつける。
 御伽はなんの反応もせず、笑みをたたえたまま、短冊の紐をつまんでいる。
「ちっ、ブスが! 続行だっ!」
 ふたたび敵意の視線を集めてしまった煉人がまごまごしていると、男が容赦なく正拳
を繰り出してきた。
 その時。
 間合いにはしっこく入ってきた御伽が煉人の前に立ち塞がり、相手の攻撃をあっさり
とキャッチする。その拍子に小指の短冊がパラ……とほどけた。
 御伽の足元に落ちた短冊。
 剥き出しになった、平仮名だけの単文……いや、単語。
 その、見覚えのあるヘタクソな七文字は――
 つまり――
《うちでのこづち! うちでのこづち! うちでのこづち!》
「チンピラ消えろぉぉぉぉっ!」
 御伽の放った痛烈なパンチが、見事、男の顔面に命中。御伽よりもでかい男の肉体は
いくども弧を描き、バシャンと音を立てて噴水の中に突っ伏した。
 あれほど騒がしかった周囲が、一瞬でシンと静まる。
「おらおら、見せモンじゃねーんだよ、貴様ら!」
 御伽は拾い上げた大木槌を華麗な手さばきで振り回しながら、一心不乱に野次馬の群
れをかき乱していく。わけのわからない横暴に戸惑う人々は散り散りになり、それでも
御伽は虚空に向かってブンブンと大木槌を繰っていた。
 呆然と立ち尽くす煉人のそばには、へたり込んでいるまひめだけが残った。
「……まひめ」
「れんと……ごめん……」
 まひめはチャイナドレスを抱えて、うつむく。
 煉人は疲労と痛みでひざを崩し、その場に尻餅をついた。
「まひめ、いっぱい、めいわくかけた。ごめん」
「……」
 御伽が息を切らして戻ってくる。大木槌を乱暴に投げ捨てて、
「帰るぞ、まひめ」
 まひめは答えない。
「あたし、もう怒ってねぇよ」
「……ほんと?」
「とっとと帰って、一緒にオイシイもん食おうぜ。こんな妖怪のことは忘れるんだ」
「れんとも……いっしょがいい」
「なワケねーだろ。コイツはお前が嫌ぇなんだ、あたしもまひめもコイツ超嫌い」
「まひめは……」
 煉人はこめかみをポリポリと掻いて、投げやりに言い放つ。
「とっとと連れてけよ。もう子守なんざコリゴリだ」
「れんと……」
「お前なんかいたって、何の役にも立ちゃしねぇ」
「れんと、まひめ、きらいのための、うそ」
「何がうちでのこづちだ。ただのクソガキじゃねぇか」
 御伽の手がのび、煉人の胸倉がつかまれる。
「ぶっ殺したっていいんだぜ?」
 煉人が何も言えずにいると、御伽はぞんざいに手を放した。
「どうせ何も出ねぇか。けっ、あの蒼弥(ダメオヤジ)と一緒だな。アホくさ」
「だめ、おやじ?」
「まひめには関係ねぇ。ほらさっさと着替えて、帰るぞ」
「まひめ……」
「いいから帰るぞ!」
 御伽がまひめを立ち上がらせる。
 まひめは、うなだれる煉人を憐憫の目で見つめ、
「わがままなまひめでした。ごめんね」
 それっきり御伽たちは煉人に背を向け、去っていった。
 煉人は一人、取り残される。
 立ち上がる気力さえ持てないまま、ただ呆然としていた。

 どうやってマンションまで帰ってきたのか、まったく記憶がなかった。
 気がついたら、朝になっていた。
 煉人は酒の匂いをプンプンまとわせながら、千鳥足で一〇六号室にたどりつく。ドア
の横の窓から透けてみえる電灯に、灰原蒼弥を待たせていたことを思い出す。
 なんでまだいるんだよと舌打ちして、ドアノブにゆっくり手を延ばすと、郵便受けに
何かが入っているのに気づいた。
 真っ白な便箋だった。キレのあるきれいな字体で《煉人へ》と書かれている。
 便箋を抜き取り、他に何も書かれていないのを確かめるとドアを開いた。
 すぐにおかしい、と感じる。電気はつけっぱなしなのに、フロアにもトイレにも押入
れにも蒼弥の姿は見当たらない。ドレッドに拉致された可能性が頭に浮かび、あわてて
手にした便箋を破くと、折りたたまれた中身の一枚を開いた。
 煉人は、手紙に書き連ねられた文章を黙読する。
《この手紙をお前が読むころには、父さんはもう、この世にはいないだろう……なんち
ゃってぇ、ウソ! 実はな、父さん、今、アルゼンチンにいるんだな、これが》
「……」
《ほら、また騙されたな! 冗談だよ。ずっと試してみたかったギャグだから、こうい
う機会でもないと使えないと思ったんだ。だから、本当は七年前、父さんが家を出た時
にこそ、せめてお前に書き置きすべきだった。何も言わずに家を去ったのはホントに悪
いと思ってる》
「……」
《父さん、お前が帰ってこない間、頭を冷やしていっしょうけんめい考えた。これ以上、
何の関係もないお前を巻き込むわけにはいかない。あんな小さい子の前で殺されるだな
んて言うべきじゃなかった。あの子の前で強い父さんを見せるべきだった……。
 父さんのことは父さんで落とし前をつける。そう、父さんのやり方で。せめてもの責
任として、そうすべきだったんだ》
 手紙を読むのを中断して、視線を天井に移し、目を細める。
 まだまだ酔いは醒めず、身体のあちこちが痛む。
 そんなことはおかまいなしに、もうすぐこゆを保育園に送らないといけない。学校だ
ってある。帰ってくれば、誰もいない。
 そう、いつもと同じ毎日。
 明日もあさっても、ずっと。
 ホント、せいせいしたぜ。
 ホント……。
 ……。
 無表情で残りの文に視線を走らせる。
《お前はお前の人生を送るんだ。でも、毎月の仕送りだけは心配するな。これからもほ
のぼの銀行にちゃんと振り込んでおくから……元気でな》
 紙面に落ちている一粒の水滴がインクを滲ませていた。
 手紙を畳む。元の便箋に収めた。
「最悪だ……」
 とうつむいた。
 余計な真似しやがって。けれど、事実として自分はずっと蒼弥の収入に依存していた。
それなのに……。
 煉人は強引にかぶりを振った。
 蒼弥なんて、どうだっていいじゃねぇか。
 まひめに頼れば――そうだ、その手があった。
 拳を握って、自分の頬に矛先を向ける。だが小指の短冊が揺れて、ギリギリで踏み止
まった。そもそもまひめはもういないんだから、ワザワザ殴ったって何も出てきやしな
いのだ。
「……バカか、俺は」
 拳を下げると、ふいに笑いが込みあげる。あまりの浅ましさに笑いが止まらない。ど
こまで甘ったれれば気が済むんだろう。
 こういうやつだから、みんな嫌気がさして出ていったんだ。
 床に大の字になって、くすんだ天井をぼんやりと眺める。
 誰もいないのに、声だけが出た。
「まひめ……金……金くれよ……ひっく」
 正義感あふれる誰かがやって来て、このどうしようもない自分をブン殴ってくれたら
と、願った。


【第三章 出発!】

 夏休みが間近にせまった日曜の昼。
 一ノ瀬家では家族三人そろって、ダイニングルームで食卓を囲んでいた。
 おまけの招待客として呼ばれた煉人は、次々とテーブルに並べられていく豪勢なメニ
ューの数々に目を奪われる。
 普段、自炊する習慣もなく、そもそも料理を作れないので、ボロネーゼだのフォカッ
チャだの説明されても何のことやらさっぱり分からない。
 こゆの母が穏やかに微笑みかけ、遠慮しないでどんどん食べてね、と促した。
「お、恐れいります……」
 まひめが連れ去られて以来、煉人は沈んだ気持ちで学園生活を送っていた。鮫島の逮
捕と、あのドレッドヘアの巨漢が登校しなくなったのをきっかけに、我が物顔で振る舞
いだした輩がいたのだ。
 勘違いで煉人を恐れ、トイレから逃げ出した下っ端の三人である。
 彼等は、煉人の『本性』――繁華街でゴロツキ達から一方的に暴行を受けている瞬間
の写メール――をチラつかせ、強気な態度でゆすってきたのだ。反撃しない煉人をいた
ぶっては新しい遊びができたと大笑い。暴力を振るわれる以上に、何のアイテムも出て
こないことがまひめを思い出させ、つらくなった。
「煉人さん?」
 ボンヤリしている煉人の視界を、白と黒が交互にチラつく。
 我に返ると目の前で、こゆがふるふると手を振っていた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
 眼鏡をかけたこゆの父が笑って、
「はっはっは。何かある人のセリフだぞ、それは。何があったか言ってみたまえ。こん
なオジサンでよければ、何でも相談に乗るぞ?」
「……ありがとうございます。でも、本当に何でもないんで」
 精一杯の愛想笑いをとりつくろう。
「ほんとうに、ほんとう?」
 こゆが黒目がちの瞳で、じっと見つめてくる。
 煉人は思わず、目をそらした。
「こーら、こゆ! 煉人お兄ちゃんを困らせちゃダメでしょ!」
 こゆの母がたしなめた。こゆがあと二十年歳を重ねたらこんな美女になるんだろうな、
と思えるくらいに母子そっくりである。
「こまらせてないもん」
 こゆが口をとがらせ、プイとそっぽを向いた。
 煉人は一瞬、この幼子がほんとうの妹であるかのように錯覚した。頼れる父に優しい
母。いま抱えている悩みを正直に打ち明けてしまえば、快く受け入れてくれるかもしれ
ない。
「あの……」
 煉人が口を切る。
「……俺、バカだし性格悪いし、怠け者だし。将来なんか何も考えてなくて。俺の父親
がそうだったんです」
 こゆ達の視線が集まる。
「そいつ、こないだ、アホ面さらして、のこのこ帰ってきたんすよ。一人娘が家出した
とか何とか、そんなこと俺に聞いたって知るわけねーだろ、この野郎って」
 わけのわからないことを話し出してしまったと、恥ずかしくなる。
「俺、無視しちまった。お前の人生なんだから、自分のケツくらい自分で拭けって。で
も分かっちまうんです。俺が、俺自身がそういう大人になれないんだって……そんなヤ
ツが子供の世話なんて、やってていいのかって……」
 こゆも父母も黙って、煉人の話を聞いていた。
 やがて、こゆの父が口を開いた。
「以前から耳にしてはいたが、ずいぶん問題のある人のようだね、君のお父さんは」
「……」
「最低の男じゃないか」
 思いもよらぬ言葉に、煉人の眉尻がピクリと動く。
 煉人が反論しようとして、それを先取りするかのような笑い声が響いた。
「はっはっは。それでいいんだ」
「え?」
「今、キミは私の言葉に怒りを感じたね。その心があるかぎり、キミはバカでも性悪で
も根性なしでもない。違うかな? キミのお父さんだって、そうだ」
「俺は……」
「その娘さんも反省して、きっと帰ってくるんじゃないかな」
 そうだ、まひめは今どこで何をしているんだろう。蒼弥はまひめが誰かにイジメられ
ているかもしれないと恐れていた。御伽のヤツはまひめを……彼女を一度も殴ったこと
がないというのは本当なのだろうか。
 それだけじゃない、うちでのこづちというだけで付け狙ってくる奴等なんて、世の中
にはいくらでもいるだろうに。
「わたし、いえでしたら、ぱぱとまま、いや?」
「当たり前じゃない! こゆがいないとママもパパも、どうしたらいいか……」
 こゆの母がグスンと泣き出した。
「わたしも、ぱぱもままも煉人さんも、いえでしたら、やだ。ずっと、いっしょ」
「はっはっは。結論が出たようだね、煉人くん。さ、食べようじゃないか」
「……」
 せっかくの昼食会をだいなしにするような話題を切り出したのに、本当は煉人なんか
に大事な娘を任せたくはないだろうに、嫌な顔ひとつせず受け入れてくれる彼等に、居
心地の良さと悪さ、その両方を感じる。
 ――くそっ。
 気持ちのふんぎりがつかない。勘違いするな、目の前にいる人達は本当の家族じゃな
いんだ。惨めな自分に同情して優しくしているだけなんだ。
 煉人は手前のフォークを取り、手前のサラダをすくった。口に運ぶ前に、こゆが子羊
のように手料理を食んでいる横顔を眺める。
 妹、か……。
 あらぬ妄想を思い浮かべ、あわてて首を振る。
 な、何を考えているんだっ。
 どうせ自分は遠からずお払い箱になる身だというのに。
 サラダを口に入れ咀嚼しながら、むりやり落ち着こうとする。
 しかし。
 不意に気づいてしまう。
 いた。
 いたのだ。
 俺にはたしかに――

 お腹いっぱいになって眠たくなったこゆに、煉人はひなたぼっこをせがまれた。
 陽の当たる二階のバルコニーには、煉人とこゆが大の字になれるほどのスペースがあ
り、真ん中には三人分の真っ白な椅子とテーブルが置かれている。
 こゆは、寝室とバルコニーをつなぐ窓をそっと閉めると、くるりと振り返った。
「煉人さん、おはなしがあります」
 黒くて長い髪が風にそよぐ。閉じこめられているのか追い出されてしまったのか、不
思議な気分になりながらも、煉人はこゆと向き合った。
「お話?」
 こゆはうなずいた。
「このあいだの男の人は、煉人さんのおとうさん」
「え?」
「そうなんでしょ?」
「……」
「煉人さんに似てたの。とても困ってました」
 うすうす自覚はしていたが、改めて指摘されるとやはりいい気はしない。
「……違う。ただの酔っ払いだ。困ってるったって、どうせ金のことだろ」
 煉人はため息をつき、急に嫌な予感がした。
 今日は蒼弥が銀行口座に金を振り込んでくる日だ。休日だから実際には一昨日か明日
ということになる。
 生きていれば、の話である。
 ――なんで、今まで……。
 こゆは手をグーにして、にっこりと小指を差し出した。風鈴のように揺れる短冊に書
かれていた一文が目に止まる。
《煉人さんと、煉人さんのおとうさんが仲なおりしますように。こゆ》
「……アイツとは、もう」
「ねがいは、かないます」
 バツが悪くなって、こめかみを掻いた。つくづく優しくお利口さんな女の子だと思い、
いったいどっちが世話されてるんだろうな、と情けない気持ちになる。
 煉人は黙っていたが、こゆの柔和な眼差しと向き合って、口を開いた。
「……アイツには、まひめって娘がいるらしい。アイツに似て、けっこー自分勝手なヤ
ツでさ、家出しちまったんだ」
 まひめを追い出したのはどこの誰だよと、自己ツッコミしながら続ける。
「うぜぇよな。悪いと思うだの、許せだの、だったら勝手に離れていくなっつーの。ど
うしてこうなっちまったんだろうって考えて、でも全然わかりゃしねぇ。仲直りするっ
たって、もう俺なんかとは会わないって……」
「会えます」
「え?」
「だって、ねがいはかないます」
 煉人はてのひらの短冊を見つめた。別に蒼弥と仲直りしたいなんて思わない。それで
も、彼が死ねば少なくともまひめは悲しむんじゃないか。
 相手はケンカの強い復讐鬼。
 しかも複数の武器を持っている。
 けど。
 だからって、復讐が成功するとは限らない。
 うん、限らない。
 どうせ……何かのきっかけで失敗するさ。杞憂に終わるさ。
 そうだろ、まひめ?
 煉人は短冊をのせた手を胸に当てた。
 大丈夫だと自分に言い聞かせると、鼓動が高鳴り、指先がかすかに熱くなる。
「願いか……そうなると、いいよな」
「はいっ」
 ぐずぐず悩むのは取り敢えず後回しにしよう、煉人はそう決心した。

 ほのぼの銀行の預金残高は、想像以上に増えていた。
 煉人はしかめっ面で通帳をにらみながら歩道を進み、こゆがその後をついていく。
 すれ違う人達がヒソヒソ声で話したり、クスクス笑いしているのが聞こえてくる。人
前で通帳を覗いている怪しい人物に見えるせいなのか、それとも自分が灰原煉人である
からなのか。まぁ、どっちだってよかった。
「煉人さん!」
 突然、ジーンズの尻ポケットをひっぱられ、ギョッとする。
 目の前には電信柱。こゆが止めてくれなかったら、顔面衝突していた。
「わ、悪ぃ……」
「おかね、こまってる?」
「ん、ああ……そうじゃなくて」
「わたし、プレゼントします!」
 こゆがポシェットから、可愛いキャラのついた小銭入れを取り出す。
 煉人はあわてて、言いつくろう。
「違うっ。そうじゃねぇんだ。いっぱい入ってんだっ!」
「いっぱい?」
「そ。こーんなに! こーんなにだ!」
 両手を思いっきり広げて、リッチっぷりをアピール。一晩にして貯蓄のケタが一つ増
えたことが単純に驚きだった。
 抱えた財布をじっと見つめるこゆ。
 しまった。その気持ちだけ受け取るといえばよかったのに。
「煉人さん、うれしそう」
「は、ははっ。ま、ラッキーってことで」
 笑ってごまかす煉人に、こゆはどこか不可解そうな表情を浮かべた。
「よ、よし。どこ行きたい? 何でも奢ってやるぜ!」
「あの……」
「ん?」
「仲直りするの、いや?」
 消え入るようなか細い声。やはり、気づかれていた。煉人がこゆの願望成就に乗り気
ではないことを。
「や、そんなことねぇよ。ただ、向こうがさ」
「……」
「せめて居場所が分かればな。ははっ、困った困った」
 それっきり、会話が途切れた。
 はぁ……。
 どこを目指すわけでもなく、ふらふらと歩き続ける。
 ふと視界の奥に、ガシャポン機の前でしゃがんでいる小さな男の子を発見した。その
姿に煉人は見覚えがあった。こゆと同じさくら組の男の子だ。その後に並んでいるのは、
厚底眼鏡をかけた恰幅のいい青年が数人。彼等はみんなヨレヨレのリュックをかついで
いた。
「やった~! 巫女巫女にゃんゲット~!」
 男の子は嬉しそうに飛びはね、プラスチックの丸い球体をひねると中身を取り出した。
中に入っていたのは巫女姿の少女キャラの小型フィギュア。男の子は目をらんらんと輝
かせ、それをじっくりと堪能している。
 並んでいた青年達は拳を握り、プルプル震えていた。なにかに耐えているようだ。デ
リカシーのない煉人は、トイレに行きたいならとっとと行けばいいのにと眉をひそめた。
「わーい!」
 はしゃいでいた男の子が誰かとぶつかった。ちゃんと前見て歩けよ、ガキだなと視線
を落として苦笑していると、とつぜん男の子がうわ~んと泣き出した。
「よっひゃ~! 巫女巫女にゃんゲット~!」
 拳を高くあげ、カン高い嬌声をあげている女性に、煉人は唖然とした。
 ――げっ、コイツ!
 彼女――明神御伽が天高く握っているのは、さっきの巫女キャラの模型。
 一方、男の子の手は何も持っていない。
 あろうことか、いたいけな子供から強奪しやがったのだ、この女。
「返して~! 返してよ~!」
 男の子のもっともな抗議に、御伽は顔を歪め、舌打ちする。あたしのターン! など
と意味不明なセリフを吐くと、ゴスロリ服から取り出した一括りの札束をポイとアスフ
ァルトに放り投げた。
 数十枚の千円札は、幼児にとっては異常な額である。そんなものの価値など分かるは
ずもなく、男の子はわんわん泣き続ける。
 こゆが心配顔で男の子にかけよった。転んで擦りむいている男の子のひざをさすって
あげる。泣かないで、となだめ、バンソウコウと消毒薬を取り出した。
 御伽がスタスタと煉人に接近してくる。
 生意気な顔つきで腰に両手をあてて、
「絶対悪発見! 御伽、世界を守れるか!? の巻!」
「お前なぁ……」
「とりゃーっ」
 御伽に足を踏まれる。煉人はトホホとため息をついた。
「勝利! 御伽、大団円! の巻……と思ったらチビガキが黒幕だった! の巻!」
「こら待て。こゆが黒幕だぁ?」
 ギクリとして、後ずさる御伽。
「ま、まだ生きてたのか……貴様! お、恐るべし……!」
「勝手に殺してんじゃねぇよ!」
「くそっ……次から次へと災いが絶えぬとは! 残念っ!」
「テメェの存在がな!」
 なんたるアンラッキー。
 まひめの居場所を問い質したいのだが、この暴力女がそう簡単に答えるとは思えない。
それにまひめだって自分なんかに会いたくはないだろう。
「くそっ……うちでのこづちさえあれば、こんな奴等……!」
「はいはい」
「あの力さえあれば……世界すら征服できるというのに!」
「いや、ダメだろ」
「まひめはどこだー! どこにいるー!!」
「こっちが聞きてぇよ!」
 御伽がきょとんと目を丸くした。
「は? なんで?」
「いや、なんでって……その、腹違いとはいえ妹でもあるわけだし」
「妹?」
「だから灰原蒼弥の実の愛娘ってことは、そういうことなんだろ!? 俺はあの野郎の
息子で……つまり……」
「はふっ……」
 御伽は口からプッと息を漏らし、爆ぜるように笑い出した。
「あっはははははっ! そんなわけねっつーの!」
「じゃあ、何なんだよ!」
「考えてみろ! ただの嘘吐き人間から、うちでのこづちが出てくるわけねーだろ!」
「け、けど、母親が普通じゃなけりゃ……」
「んなもんいねーよ!」
「え?」
「アイツ(まひめ)の来歴……それはなぁ、うちえのこゆちだ!」
「説明になってねーよ!」
 ようやく御伽は笑いを収めて、
「ほら、あれだ! 何の取り得もない嘘吐きが何の必然性もなく不思議っ娘と出会って
駆け落ち! みたいな。しかも実はその娘、死んだ愛妻とそっくりさんってパターン!」
「何だそりゃ!」
「はぁ~っ、これだから脳内設定を持たんヤツの理解力は! やれやれっ!」
「……」
「まひめはな、貴様のクソ親父からあたしが買収したんだ、このボケ!」
「何だって……」
「つまり、あたしの娘だ! ざまぁみろ!」
「ちょっと待てよ……そんな……」
 御伽は腕を組みながら、片方の指で金額を数える仕草をはじめた。計算に苦戦してい
るのか、首をかしげ、顔をしかめている。
「ぐぁ~、いくらだっけ……わかんねぇ……わけわかんねぇ……」
 具体的な金額なんてどうでもよかった。今まで煉人の口座に振り込まれてきた金がど
こから流れているのか、考えるだけで嫌な想いが込みあげてくるのはなぜだろう。
 煉人は通帳をめくって、御伽の鼻先に突きつけた。
「これくらい……なのか?」
 御伽は通帳を一べつすると、鼻で笑った。煉人の鼻先にパーを突きつける。
「ケタが違ぇ過ぎんだよ、カス!」
「嘘だろ……」
 自分はまだいい。まひめと血が繋がっていなかったのだって、むしろ安堵の範疇だ。
問題はそんなことじゃない。
 やはり、あの酔っ払いにまひめの存在を隠したのは正解だったのだ。
「あたしはうちでのこづちとして、ヤツと取り引きしただけだ。文句あんのか?」
「……欲ボケが」
「ああん? だったら貴様はただの腰抜けじゃねーか!」
「コケにしやがって……都合のいい時だけ、のこのこ現われやがって……」
「何ホザいてっか意味わかんねぇ!」
「……会わせろ」
 蒼弥じゃない。まひめに。
「ふが?」
「今から全額引き下ろして、お前に払う。一度だけ、会わせろ」
 御伽は通帳をかっさらうと、黙って中身を凝視する。
「少ねぇな」
「残りはあとでどうにかする」
「だめだ」
 その時、
「わたしもあげますっ」
 こゆが煉人のそばまでやってきて、財布の中身を御伽に差し出した。
 御伽はまだコイツいたのか、といった感じでこゆを見下げる。
「煉人さんとお父さんを会わせてあげてくださいっ!」
「なんだ、このガキ。バカか?」
「お願いしますっ!」
 こゆの短冊が揺れる。御伽がそれを摘みあげ、しばらく凝視した後、意味深に含み笑
いをした。
「……ははーん、なるほど。いーぜ、そのはした金で手を打ってやんよ」
「ほんとうっ?」
 こゆの声が明るく弾む。
「いいか黒幕。コイツの親父は刑務所にいる。あたしはそこの刑務官だ」
「なっ、お前……!」
 テキトーなこと言いやがって。
 こゆはじっと御伽の目を見ていたが、やがてしっかりとうなずいた。
「仲直りできるかどうかは、このお兄ちゃん次第だ。ガキは連れてってやんねー」
「わたし、行きません」
 御伽はかったるそうに、こゆの財布をまるごと奪った。
「こゆ……」
 こゆは両手をうしろに組んで、にっこりと笑う。
「だいじょうぶ。わたし、平気です」
「……」
「がんばって、煉人さん!」
 こゆはそう言い残して、男の子の所に戻っていった。
「けっ、ムカつくぜあのガキ」
 御伽は財布の中の人差し指でひっかきまわす。しけてんな、貧乏人がよぉとボヤきな
がら、自前の携帯を取り出して、なにやらぶつぶつと話し始めた。
 すぐに黒塗りのリムジンがやってきて、御伽が後部座席に乗りこむ。
「お前はトランクだ。とっとと乗れ」
 ――この女、シバき倒してやろうか。
 煉人は表情を固めて、偉そうに足を組んでいる御伽の隣に腰を下ろした。

「あのこゆってガキ、くだらねぇこと書きやがったな」
 御伽がサングラスをかける。煉人から顔を背け、窓外の流れる景色に視線を移した。
「念を押すぞ。俺が取り交わしたのは、まひめと会うことだ。アイツとじゃない」
 御伽は頬杖をついて、
「そうだっけ?」
「おい、お前」
「冗談だ、ボケ」
 乾いた笑い声が、車内を満たした。
「よっぽど嫌われてやがんだな、あの糞オヤジ。流石だぜ」
「まひめは……」
「さぁな。誰が相手でもなつくし、ちょっといい顔すれば簡単に騙せる。まひめに嫌わ
れたいとは、なんたる茨の道であろうか!」
「誰もそんなこと言ってねぇ!」
 御伽が突然、煉人の小指ごと短冊をひっぱった。ドライバーの胸ポケットから万年筆
をかっさらって、何かを書こうとする。
「な、何すんだ、お前!」
「邪魔すんな! 『まひめが灰原煉人を嫌いますように』って書くんだよ!」
「ザケんなっ!」
 煉人が御伽を引き剥がそうと肩に触れると、彼女は顔をしかめ、とっさに煉人から距
離を置く。
「いっ、貴様! アタシの身体、触ったなっ!」
「お前がつっかかってきたんだろうが!」
「よくもハメやがったな……許さねぇ! お、おい! お前、起きてたのかっ?」
 急に慌てふためき腹を抑える御伽を見て、煉人は不審に思う。
 ――まさか……。
「まひめ、いるのか? 俺だ、煉人だ」
 あ、そうか。外から呼びかけても、まひめには御伽以外の声が届かないんだ。
 煉人は御伽をにらみつける。
「出してやれよ」
 御伽が急に右耳を押さえだした。
「くっ……あたしの中の黒邪神が膨張して、暴走してやがる……あたしに構うな……早
く離れるんだ……!」
「うそつけ! 邪神はおめぇだっ!」
 御伽の胸の隙間から、少女の頭部がひょっこり現れた。
 少女――まひめは煉人を見るなり、大きくつぶらな瞳を更に丸くした。
「れん……と?」
 あ……。
 まひめ、無事だったんだな……。
「覚えててくれたのか?」
「れんとっ!」
 嬉しくてたまらないといった風に、煉人の名を叫ぶまひめ。キツい態度をとったのを
気にしている様子はなく、煉人の頬も安堵で緩んだ。
「バカ! アタシがいいって言うまで出るなっつったろ!」
 まひめは口を尖らせ、プイとそっぽを向いた。
「やだ。まひめ、はこいりむすめ、きらい。めいれいいはん、がんばる!」
「頑張んなくていい! ひっこんでろ!」
「やだやだ。れんともいっしょ! れんとがいい!」
 御伽は胡乱な目をして、煉人にシッシッと手を振った。
「ホラ、貴様はもう降りて去れ。ちゃんと会わせてやったじゃねぇか」
「何いってんだ、お前。そんなの通るかよ!」
「そーゆー約束だろうが。今すぐ降りろ、残り5秒、4、3……」
「せめて停めてからカウントしてくれ!」
 御伽はまひめの頭に手を乗せて、
「なぁ、まひめ。こんなお兄ちゃんイヤだよな?」
「れんと、いい」
「なぁ、まひめ。御伽ってブスだよな!」
「うん、おとぎブスー。いっつもブスー」
 煉人とまひめが笑い合う。
 御伽の頬がみるみる紅潮して、赤い髪が逆立ち、頭から湯気がふきあがった。プルプ
ルと拳を固くして、溢れんばかりの怒りを制御している。
「うふふ。うふふふふ。いやー、貴様を連れてきてホント正解だったぜ」
「……の割には、険悪オーラ出まくってるんだが?」
「んなことねぇよ。うふふ。そんなに降りたくないなら、ずっと降りなくたっていいん
だぜ? そう、永遠にな」
「なっ……!」
 煉人はあわてて、車内を見回す。そもそも、このリムジンは一体どこに向かっている
のか。
 御伽の目が怪しく光った。
「れんと、いっしょにいてくれるのか! やったー!」
「そうだ。だからお前は今から最終決戦に向かうコイツの顔をよく見ておくんだ」
「うおいっ! そんなの聞いてねぇし!」
「まひめ、おてつだい!」
 御伽は残念そうに首をふって、
「この死闘にまひめを巻き込みたくないんだよ。そうだろ、貴様?」
 不機嫌な御伽のするどい視線に、煉人は戦慄した。
「ふ、ふざけんな! なーにが死闘だ。無実の高校生を拉致しやがって!」
「れんとに会えてよかったよ! やったね!」
「あ、ああ……って、やってはないと思うぞ!? やりたくもねーし!」
「決戦……終結……結婚しようと思うんだ……そして離婚……貴様、人生、滅!」
「離婚していきなり滅ぶのかよ!」
「わーい、れんととけっこんだー!」
「しねぇよ!」
「けっこんけっこんー!」
「だから、そんなのは」
「しようよー」
「……」
「えいえんのあいをちかうー!」
「……ねぇよ」
 なんてこった。
 はー、来るんじゃなかった。
「にふ? れんと、どうした?」
「いや、そのなんつーか……」
 煉人は口をつぐんでしまう。
 まさか、面と向かってそんなことを言われるなんて。
 それでも、まひめが元気そうで良かった。暴言を吐いたのを謝ろうと思ったが、どう
も切り出しづらく、そっぽを向いてしまう。
「……」
 無性にまひめのことが気になって、おそるおそる訊ねてみる。
「まひめ……お前、嫌いなヤツっているか?」
「にふ?」
「あと苛めてくるヤツとか」
 唐突な質問に映ったのだろう、まひめはキョトンとしていた。煉人が見たかぎりでは、
露出の高いまひめの身体にアザやケガの存在を認めることはできなかった。だが、人の
受ける傷が目に見えるものばかりとはかぎらない。
「ううん! きらいなやつ、いじめるやつ、いない!」
 明るく弾んだ声が返ってきた。
「……そっか。ならいいんだ」
 御伽は不審者を見るような目つきを向けている。かなりイタい質問をしてしまったか
もと気まずくなる。
 だけど、ホッとした。まひめは大事にされていたのだ。
 自分とは違って。
「まひめ、のどかわいた。あまいのみもの、ほしい。いっぱいほしい」
 御伽がため息をついて、
「ちったぁ、我慢しろって。もうすぐ着くから」
「れんと、つよい! かつやく!」
「……」
 クーラーの効いたリムジンは一定速度で車道を走り続ける。
 煉人も急に喉が渇いてきて、とろみたっぷりのバナナジュースを思い浮かべた。

「……なんだ、ここ?」
 リムジンが駐車場に停止する。どう見ても戦場ではなさそうな光景に気が抜けた。煉
人は御伽からとっとと降りるように指示される。
 そこは新装されたばかりのレジャーランド性の強いアクアリゾート。巨大なドームの
入口に吸い込まれていくのは、大半が子供連れの家族である。時期が時期なだけに人の
出入りは激しく、彩度の強いライトが夜景を賑わせている。
「まひめは、プールがだいすきです!」
 まひめが御伽の胸からひょいと身を乗り出した。
 親カンガルーが子供の脱走をふさぐように、御伽がまひめの肩を押さえつける。まひ
めの上半身が御伽の体内に沈みこんだ。
「お前、ワガママ過ぎ!」
「だって、れんとと、およぎたい」
「こいつは妖怪だから泳げねーの」
「勝手に決めつけんなっ! 妖怪と俺に謝れ!」
 まひめが顔をほころばせ、楽しそうに両手を拡げる。
「れんと、かっこいい! まひめのコーチだね!」
「……すまん。やっぱ、そんなには泳げねぇです、俺」
「おとぎ、かわいいみずぎ、ほしい!」
 御伽は両手でまひめの目を塞ぐと、ヘヘンと笑った。
「このお兄ちゃんもお前のブラジャー、欲しいってよ!」
「にふ?」
「よーく覚えとけ。煉人お兄ちゃんみたいのを変態ロリコン妖怪ってんだ。もちろん語
尾はうひょだ。コイツにかかればどんな台詞も一網打尽!」
「だぁーっ! お前、デタラメばっか教えてんじゃねぇよ!」
「うわ。ナニ顔まっかにしてんだよ、気持ち悪ぃ」
「れんと、きもちいい! まひめのみずぎ、あげる!」
 まひめが御伽の手をどけて、外に抜け出ようと必死でもがく。
 御伽はまひめのふくよかな胸を隠しながら、強い調子でたしなめる。
「おっ……大人しくしねぇと帰るぞ!」
「やだやだやだやだやだぁ!」
「おい、灰原妖怪! 貴様からも何か言え!」
 煉人は頬をポリポリ掻いて、
「よし、まひめ。一緒に遊ぶか?」
「うんーっ!」
「こ、こら、貴様! 誰が誘えって命じた!」
 ここは理性的に振る舞おう。煉人はコホンと咳をした。
「……あのなぁ、お前が普段から好き勝手させねーからツケが回ってんだっつの。禁止
してりゃいいってモンじゃねーんだ」
「れんと、ただしい!」
「お前もお前だ。人前に出るならせめて水着くらいちゃんと着ろって。好き勝手ばかり
やってると、いつか手痛いしっぺ返しがくるんだぜ?」
「……まひめ、まちがい?」
「いい子にしてりゃ、間違いねぇ」
「うん。まひめ、いい子にします。いい子のおにたいじ!」
「うむ、分かればよろしい!」
 煉人が真面目ぶった顔で二度うなずくと、まひめは御伽の中に引っ込んだ。
「よし、出発!」
 御伽の舌打ちをスルーして、エントランスに向かう。
 そういえば、水着をレンタルする金さえ持ってなかったっけと御伽を振り返る。御伽
は面白くなさそうに落ちていた石ころをつま先で蹴飛ばしていた。
 広々とした明るい雰囲気のロビーに到達。煉人はカウンターで手続きを済ませると、
まひめ達と別れて、男子更衣室に入った。
 男の着替えなんて見たくなかったので、誰もいない列のロッカーを選んだ。レンタル
用具一式を中に放り込むと、はぁ~とため息をつく。
 プールで遊んでいる場合じゃねぇだろ。そう自分に言い聞かせる。その一方で、勝手
に去っていった蒼弥のことなんか放っておいて、息抜きするのも悪くない気がした。
 こゆには適当に言い繕えばすむのだ。一ノ瀬家に乱入してきた酔っ払いと親子喧嘩な
んてこと、どうせ二度と起こりはしないのだから。
 まひめが無事なら、それでいいじゃんか。
 煉人は気を取り直して、着替えを済ませる。まひめとの合流を楽しみに口笛を吹きな
がら歩いていると、下品な感じの笑い声がこだました。
 男数人の談笑。
 瞬間、煉人の肩がビクリと震えた。
 目の前を横切る男連中の先頭を仕切っていたのは、あのドレッドヘアの巨漢だった。
 タンクトップにハーフパンツ姿のドレッドは煉人の存在に気付かず、おそらく取り巻
きと思われる気の荒そうな大学生っぽい数人とゲラゲラ笑いあっている。そのまま素通
りされ、彼の歩きタバコによる煙が辺りに漂った。
 煉人が警戒していると、粗野な声がとどろいた。
 ゲヘヘ、おで、悪党を殺したんだ! ついさっきだ、スゲェだろ!
 ドレッドの自慢気な声がはっきりと耳に届く。
 ――おい、まさか……。
 それまで笑っていた連中が一気に静まるのががわかる。ドレッドの武勇伝だけが更衣
室にこだまする。おでは正義、なぜなら人の女を取る悪党を殺したからだ! どうやっ
て殺したか聞きたいか? まずは指の爪をゆっくりはがして、泣きわめく相手にすべて
の爪をコリコリと食わせた。次に……
 もう聞いていられない。
 それでも煉人はドレッドの奴と対峙できずにいた。
 耳を強くふさぎ、足早に更衣室を抜けだす。
 ロビーの前で待っている水着姿のまひめと着替えていない御伽の前に回りこんで、
「帰るぞ」
「ああ!? 何だと?」
「こんな場所にいられるか!」
「れんと、どうした?」
 そこまでヒドい顛末にはならないだろうと高をくくっていた。完全に甘かった。取り
返しのつかないことを、してしまった……。
 御伽にすねを蹴られ、我に返る。
「じゃあ、貴様だけ帰れよ」
「そうはいかねぇよ! ここにいたら、お前達だって……」
「れんと、こわいか?」
「怖ぇも何も……」
「まひめといっしょに、ぱわーあっぷ!」
「え……」
「おにとたたかう!」
 まひめが桃色のビキニに包まれた豊満な胸を張って、煉人を励ました。
 たしかにそうだ。同じ手を使えばいいんだ。
 まひめの力で強力な武器を――
 その瞬間。
 更衣室から出てきたドレッドと視線が噛み合う。
「お、おめは……」
 目を丸くしたドレッドが呟いた。
 煉人は、突き刺すような視線に束縛され、動けない。心臓が異様に高鳴り、そのまま
止まってしまいかねないほどに激しく動く。
 そんな煉人を横目に、まひめが頬を膨らませ、ドレッドにズカズカと歩み寄る。
 いきなりドレッドの髪をいじりだすと、
「へんなのー」
 と匂いをくんくん嗅いだ。
「おい、まひめっ……」
 ドレッドがまひめに鋭い視線を送る。
 取り巻きの一人がまひめを怒鳴りつけ、肩をついた。
 まひめは一瞬、顔をしかめるが、すぐに取り巻きにあっかんべーで反撃。
「こ、このガキっ!」
 まひめに手を上げようとする取り巻きを、ドレッドが手で制止した。
 そして、一歩ずつ、煉人に近付いていく。
 だめだ。
 もう逃げられない。
 そう覚悟して、タバコ臭い息がかかるくらいまでドレッドとの距離をつめる。
 しかし、返ってきたのは思いもよらぬ反応だった。
「灰原サン! ぜひ、おめに会いたかった!」
 ドレッドが無骨な両手で煉人の手を握りだした。その表情は不気味なまでに上機嫌で、
ふたつのギョロ目は爛々と輝いている。
「……は?」
 ――ど、どういうこった?
 ドレッドの指には何故かダイヤと思われる指輪が嵌められている。残忍な復讐を成功
させた直後の人間とは思えない不自然な態度。
「アンタのお陰で、おでの人生に光が差したぜぇ!」
「……へ?」
 煉人と同様、何のことやらサッパリといった様子で、御伽もまひめもドレッドの盛り
上がりぶりを不思議そうに眺めていた。


【第四章・ふたつめのねがい】

 灰原蒼弥は、やはり生きていた。
 煉人は、プールサイドのデッキチェアにあぐらを掻きながら、ぼんやりとしていた。
 その隣にはパラソルに覆われたチェアに寝そべっている御伽。彼女は水着姿に着替え
ることもなく、テーブルのミルク入りトロピカルジュースを手にとると、ストローです
すり始める。
「ふん、くっだらねぇ!」
「何がだよ」
「あんな酔っ払い、くたばりゃいいのに」
 煉人から離れたプールサイドの片隅で、取り巻き相手にウソ武勇伝をまくしたててい
るドレッドの姿が目に入る。蒼弥を殺した発言は見栄のためのハッタリであり、しかし
高校生の分際で殺人の凶器を蒼弥に売り渡した彼は、それと引き換えに億単位の大金を
手にし、一瞬で成金と化してしまった。
「ま、別にいいんじゃねぇの?」
「けっ、クソ親子!」
「うっせぇな、しょーがねぇだろ」
 御伽の剣幕は当然といえば当然だった。本当に復讐を果たしたいのであれば、金を積
まれたぐらいで心変わりすべきではないと思う。裏を返せば、最初から本気ではなかっ
たのだ。
 自分を含めて。
 ドレッドにはもう近寄ってきて欲しくなかった。煉人は蒼弥殺害のウソ自慢を黙秘し
てやるかわりに、自分の『虚像』を他人に一切ひけらかすなとドレッド相手に交換条件
を出した。さいわいにもそれは成立したのだが、やはり情けない。
「あんな酔っ払い、死にゃあいいんだ! 姑息なマネしやがって!」
「さっき聞いた」
「あたしだったらどんだけ積まれようがギッタンギッタンにしてやったのに!」
 おいおい。言い過ぎじゃんか。
「……お前、ガキだなぁ」
「黙りやがれっ!」
 思った以上に攻撃性の高い女の子だ。何不自由ない環境で余程ワガママに育てられた
のかもしれない。そういう意味でも自分とはかけ離れているなと感じる。
 プールの人工波に遊ばれているまひめに視線をうつした。
 わーわーと楽しそうにしている彼女の周りに、なぜか年端もいかない幼児達が次々と
群がってきた。たちまち仲良しになるのを見て、きっと波長が合うのだろうと羨ましく
なる。
 一瞬、彼女には保母の仕事が向いているんじゃないかと思ってしまう。時折、まひめ
からは女の子というより成人女性の色香が漂っているのが見て取れた。子供っぽい性格
や喋り方のせいで見過ごしていたが、透きとおる水に濡れながら子供達をあやす彼女の
横顔は清廉としていて、美しい。
「ああん? 何みとれてんだよ、貴様」
 御伽がジェラシー丸出しで、ストローの先っぽをガリガリ噛む。
「別に。つーか、お前は着替えないのか?」
 スタイルに自信ないんだな、と付け足そうとしたが、ブン殴られそうなので止めてお
く。
「泳げねぇんだよ、バカ」
「ははーん、やっぱペッタンコじゃねーか」
 御伽が顔を真っ赤にして、とっさに煉人に飛びかかる。デッキチェアごと馬乗りにな
って、拳を振り上げた。
 だが、振り下ろされた拳が煉人の目の前で止まる。
 ――?
「ちぇっ! やーめた!」
 御伽が手首をふるふる振りながら、煩わしそうに煉人から降りた。
「何だよ、急に」
「……貴様、そのアザ、誰にやられた?」
 御伽が煉人の腹部にあるアザを指した。
「お前が俺を殴られ屋にしたてたからだろうが!」
「いーや、違うね。つい最近じゃねぇか? やられたの」
「あっ……」
 腕や足に残っている青アザの大半は、たしかにあの四人の上級生達にユスられてでき
たものだった。
「抵抗するか何かしねぇと、もたねぇぜ」
「え? 心配してんの?」
「誰がするか、バカ! あんなチビガキの言いつけなんざイチイチ守ってるのが気に入
らねぇだけだ! あー腹立つ!」
 そりゃ反撃の一つや二つしたいのは山々だけど、そうもいかない。
「いや、だって、お前の願いはちゃんと叶ったじゃねぇか」
 御伽はやれやれと肩をすくめ、ため息をつく。
「は? 何だそりゃ。アホくさ。だから貴様はダメなんだ」
「んなこと言われても」
「貴様なんぞに心配されるまひめが不憫でならんわ、くそボケ」
「別に俺は……」
「まひめは渡さん。貴様達クソ父子は、勝手に殺し合いでもやってろ」
「誰がやるかよ!」
「そう、貴様はどうせ何もしねぇ。だから黒幕の願いは絶対にかなわねぇ。向こうから
貴様に謝罪しにくる確率もな」
「……」
 御伽の言う通りだった。
 灰原煉人が何もしないかぎり、ありえない。
 でも、今になって仲直りだって?
 くだらない、やってられるかよ。
 それでも煉人は短冊を外してまでプールに入ろうとは思わなかった。あんなふざけた
男でも、やっぱり心根では彼の無事を期待していたのだから。
「……どこにいるのか分からないんじゃ、しょうがねぇよ」
「どうせ分かったって尻尾巻いて逃げるんだろ?」
 図星を突かれて、やるせなくなる。
「まひめを売っちまうようなヤツなんて……」
 御伽が高らかに笑いだした。
「けっ。血は争えねぇな、クソバカ!」
「え?」
「キャラ被りしやがって!」
「……被ってるってどこがだよ?」
 御伽は、蒼弥がまひめを自分の目の前に連れてきた時のことを語りだした。蒼弥が煉
人のもとから失踪して数ヶ月、彼は賭博が原因でかなりの借金を抱えてしまっていた。
人間関係も壊滅状態となった彼には何も残っていなかった。一人の少女を除いて。
 蒼弥は大金と引き換えにまひめと別れる際、彼女を強く抱きしめ、お互いに涙を流し
あったのだという。たとえ実の娘ではなかったにせよ、彼女に対する何らかの思い入れ
はあったのだろうか。
 御伽の話を聞いて、煉人は灰原蒼弥という男がますますわからなくなってしまってい
た。もし、自分が似たような状況に陥って苦渋の選択を強いられれば、同じマネを行い
えただろうか。
「……どこが似てるってんだよ」
「あのクソ野郎、一度もまひめには手をあげなかった」
「えっ……」
 そうだ。
 たしかに大金を調達したいだけならまひめの力を存分に利用すればよかったのに、あ
えて蒼弥はやらなかった。いや、やれなかったのだ。実の息子よりも大切な存在だから
こそ、まひめを必死で探していたのではないか。
「まぁ……俺が同じ立場でも、同じことしたかもな」
「何だと、貴様」
「違ぇよ。まひめのこと考えたらさ、アイツが脅かされないで暮らせる環境って、やっ
ぱ欲望から隔離された場所なんだろうなって」
「ふん。たしかにあたしん家は超金持ちだ、ざまぁみろ!」
 御伽が腕を組んで、すねたようにそっぽを向いた。口では自慢しているのに、どこか
卑下している感じが妙だ。それでも、その事実を確認できて安心する。
「つーかさ、お前って意外に悪い奴じゃないっぽいよな」
「んが?」
「ヘタレっぽい」
「ふん、当然だ。あたしは根が純粋で優しくて……って、ヘタレだぁ!?」
「撤退!」
 御伽に反撃されまいと、煉人はそそくさと逃げ出した。
 案の定、怒り顔の御伽が追いかけてくる。
「貴様ぁ!」
 たとえ距離を詰められても、しょせん相手はカナヅチ女。水の中に逃げ込めば楽勝だ
と油断していると、足首をつかまれる感触がした。
「ま、まひめ!?」
「わーい、れんとー」
 御伽の痛烈な飛び蹴りが炸裂。背中に衝撃を思いっきり叩き込まれた煉人はプールに
ドボンと転落した。
 無数の泡をゴボゴボ吐き出し、あわてて顔を水面から突き出す。
「ぷはぁっ!」
「ナイスだ、まひめ!」
「れんとー」
 いきなりまひめに背後から抱きつかれ、息もままならないうちに、ふたたび水中に沈
められてしまう。
「モゴモゴモゴモゴ……ぷはぁーっ! こ、こら! やめんか!」
「れんと、いっしょにおよぐっ! シンクロです!」
「どこがシンクロだっ! 沈めてるだけだろーが!」
「はい、これ!」
 まひめが何かを差し出してきた。
 煉人はそれを何気なく受け取ると、仰天した。紐のついた三角形の布。頭がクラクラ
して、耳の先まで真っ赤に染まる。
 まひめは肩まで水に浸かりながら、エヘヘと笑みを浮かべた。
「だ、だめだっ! ちゃんと着けろ! ここは風呂場じゃねぇんだ!」
「やだ。れんとにつけてほしい!」
「じ、自分でやらねぇと、いつまでたっても着替えできねーだろ!」
「れんとがつける! じょそう! じょそう!」
「そっちかよ!」
「あくしゅ!」
 水中で手渡された、もう一枚の布。どっちが上でどっちが下なのか、煉人は一刻も早
くこの場を退散したかった。
「うちえのこゆち、とても、あつがり。ふくを必要としない人生!」
「んな人生ねぇよ! そもそも服じゃねーし!」
「れんと、いっしょに、ぬいで!」
 まひめがジャボンと潜り込んだかと思うと、煉人の腰に手が添えられた。何ともいえ
ない違和感に危険を察知し、まひめの手を抑える。
「や、やめろ、この変態!」
「(ゴボゴボゴボ……)」
 何を言っているのか分からないが、たぶん『れんとといっしょがいい』のだろう。
「わかった! わかった! 俺が着せてやるから、とにかくあがれ!」
 まひめが水からあがって、両手でゴシゴシと顔を拭きだした。長い白髪がしっとりと
肌にまとい、前髪で大きな瞳が隠れてしまっている。
 煉人はしぶしぶ、まひめのおでこにかかった髪を丁寧にわけてやった。
 ほっとしたのも束の間、さっきまで手にしていたまひめのビキニがいつの間にか、な
くなっている。
 やばい!
 あたふたと水を掻きわけ、見回すが、見つからない。
「どーした?」
 このままじゃ、自分も脱がされるハメになる。
 ふと後を振り向くと、ずっと傍観していた御伽が何かを拾っているのが見えた。
「お、おい……」
「どーした? 変態男」
 御伽がにっこりとして、拾い取った水着を背中に隠す。
「バカ! それはまひめのだ!」
「さて、何のことかしら。妖怪脱がし魔太郎くん?」
「誰が!」
 煉人は前進して取り返そうとするが、水の抵抗でなかなか前に進まない。ようやく這
い上がろうとした瞬間、御伽はえいっと、肩を前に突き出してビキニをプールに放り投
げた。
「まひめ、ナイスキャッチ!」
「お、お前!」
 ビキニを受け取ったまひめが、濡れたそれをじっと眺めている。
 よし、ボーッとしている隙に!
「にふ?」
 やった! 煉人は念願のビキニを取り返すことに成功した。
「よっしゃー! 俺の勝ちぃ!」
 歓喜の声をあげ、すぐにハッと我に返る。
 他の大勢の客達が煉人に視線を集中させていた。不審な存在を見つめる目で。
「あ、あれ……いや、これは……」
 どうにも言い訳できず、逃げれば逆効果。ひとつだけ弁解法があるとすれば、恋人同
士ですからと声高に宣言するしかないのだが。
「これはですね、その……」
 煉人が言おうとした、その時、
「キャー、変態ぃー! 変態がいやがるですわーっ!」
 トドメを刺したのは、御伽だった。

「なんで俺ばっかこんな役回り……」
 性犯罪者あつかいされた煉人は短パン姿のまま、施設内の医務室で呆然としていた。
顔は赤く腫れ、頭にはトリプルアイスのようなタンコブが乗っかっている。
 シンプルなワンピース姿のまひめが、丸椅子に座って手当てを受けている煉人の様子
を、心配そうにうかがう。
「まひめは、ふくきた。もう心配、ないからね」
「……暑いからって、いきなり脱ぐなよ? ただでさえアレなんだから」
「うん、脱がない」
「よし、いい子だ」
「やったー。まひめ、はなびにいきたーい!」
「花火?」
 かすかに聞こえてくる盛大な花火の音。近所で花火大会でもやっているのだろうか。
「いきたい、いきたい!」
「……」
「まひめと、れんとと、おとぎ、いっかだんらん!」
 ったく、何が一家団欒だよ。こっちの気も知らないでと毒づきたかったが、また後味
悪くまひめに去られるのは避けたい。かといって、ずっと彼女と一緒にいるわけにもい
かなかった。
「ま、まぁ、それは次の機会ってことで」
「えー、どうして?」
 不満そうなまひめに、煉人は弱々しく笑った。ふくれたタンコブを指先でトントンと
つつく。
「ん? 元気なお前が見れりゃ、俺はそれで充分だ」
「え?」
「俺、ホッとした」
「れんと?」
「お前は大事にされるのが合ってる。誰からも攻撃されない世界で過ごせよ。たくさん
大事にされて、俺なんかどうでもよくなるような結婚相手に――」
 突然、煉人の後頭部に何かが当たった。
 コロン、と飲みかけのコーラの入ったペットボトルが床に転がる。
 振り返ると、入口にもたれかかっていた御伽が、億劫な顔で腕を組みだした。
「ふん、バカか、貴様」
「バカ?」
「誰からも攻撃されないだと? 聞いて呆れるぜ!」
「何だよ、呆れるって」
 何かマズいことでも言っただろうか。だって彼女の家は自分なんかでは想像もつかな
いほどの大富豪であり、金銭なら腐るほどあるに違いないのだから。
「まひめ。灰原の中に潜れ」
「おとぎ?」
「じゃねぇとコイツ、お前から逃げちまうぜ。そんなの嫌だろ?」
「う、うん……れんとっ! 潜っていい?」
「ん……ま、まぁ、いいけど」
 まひめがいそいそと煉人の腹に潜り込んでいく。その光景に今まで無言で手当てをし
ていた老保険医があんぐりと口を開け、腰を抜かした。
 ――何なんだよ、一体……。
 煉人が不可解に思っていると、御伽は懐から札束を取り出して、ガクガクと身動きの
取れない保健医にポンと手渡す。
「おい、おじいちゃん。診察しろよ、あたしのケガ」
 そう言って、御伽がゴスロリドレスの長袖をまくった。
 ――え、なんだ……これ?
 御伽の腕のあちこちには、青黒いアザが滲んでいた。ほとんど消えかけているものか
ら、まだくっきりと残っているものまで、その細い腕にしみついたアザが単にぶつかる
などしてできた怪我ではないと、煉人には容易に想像がついた。
 保険医が厚底のメガネをくいと持ちあげて、
「そ、そうじゃのぅ。こりゃただの打撲というよりは……」
 保険医の診断を聞いているうちに、煉人は御伽が何をいいたいのかはっきりと悟った。
 御伽は、長期間にわたって暴力を受けていたのだ。
 でも、誰が?
 何のためにそんなことを?
 保険医が説明を終えると、煉人の口がしぜんと開いた。
「誰に――」
「ストップ。まひめに感づかれないように質問しろ。でなきゃ、答えねぇ」
「わ、わかった……」
 御伽は神妙な顔で、話を始めた。
「あたしには、たった一人だけ、家族がいる。一人だけだ。残りは、血の繋がった獣達
と連中に飼われている、いい年こいたオスの駄犬。執事とメイド達は……まぁいいや。
あたしみたいな家出娘がいくら豪遊したって連中はビクともしねぇ」
「家出?」
「兄貴達と違って、女だと何も期待されねぇんだ。ま、あたしの出来が悪いってのもあ
るんだが」
 つまり、その兄貴達の仕業なのか?
 だとしても、そんな理由で妹を虐待するなんて、ありえるのだろうか。
 いや、ありえるのだろう。
 名家と名高い明神家の人間にとって、末子の御伽は空気でしかない存在であり、同じ
屋根の下で暮らしていてもほとんど注意を払われなかった。しかし、御伽に暴力を振る
っていたのは家族達ではないという。
「連中にとって肝心なのは、まひめが傍にいることじゃねぇ。まひめが『他の金持ち共
に存在を知られていねぇ』ことだ」
「え?」
「争奪戦。招かれうる災厄の質と量。その片鱗を味わったバカなチンピラ」
 意味が分からない。それと御伽のアザとどういう関係があるのだろう。
「だからって、なんでお前が……」
 御伽は何も答えなかった。まくっていた袖を戻すと、煉人に背を向けて、医務室の外
に出て行ってしまう。
 煉人は何とも言えず、無言で御伽を追う。
 そのままアクアリゾートの正面入口を抜けた。御伽は背筋をのばし、毅然とした空気
を漂わせながら、リムジンの止まっている駐車場で足を止める。
「あたしの家族は、まひめだけだ」
 ふいに、蒼弥の言葉がよみがえる。自分ではなく、まひめこそがたった一人の娘であ
り、家族。忌むべき相手と血が繋がっていることに耐えられないから、彼はそう決め込
んだ。
 そういうものなんだろうか。
 疎ましい存在。それが自分。自分も、相手を疎んじている。
 でも。
 本当にそうなのか?
 煉人は生暖かい空気を目一杯吸い込むと、息を止めて、ゆっくり吐きだす。
「なぁ、まひめ。明神の家……御伽の家族は好きか?」
 一瞬だけ間があったが、
(えーと、まひめはれんとと、はなびにいきたい!)
「俺と?」
(ソーヤもいっしょ!)
「……」
 小指の短冊を軽くひっぱって、何も書かれていない紙面を見つめる。
 煉人の願いだけ、まだ書かれていない。
 ふと、心に浮かんだことを口にしてみる。
 そういうのも悪くない――
「何かホザいたか、貴様」
「いや、何でも」
「ふん」
 煉人は自嘲気味に笑ってしまい、後部座席に乗り込んだ御伽に呼びかけた。
「あのさ」
「さっきから何だ、うぜー」
「逃げたかったら、逃げちまえよ」
「何だと?」
「でかい家が欲しかったら、遠い国に行きたかったら……そうだ、俺を殴れ。お前を苛
める奴がいたら、俺を――」
 ――違う。
 俺を殴れ、じゃなくて。
 逆に『そいつ』をブチのめすべきじゃないのか?
 言葉が出てこない。なぐさめるつもりが逆に御伽を不愉快にさせてしまったんじゃな
いかと、暗い想いに囚われる。
「しつこいよ、貴様。余計な世話してんじゃねぇ、ばか」
「けど」
「放っとけっつってんだ。さっきのこと、まひめにチクったら、殺すからな」
(おとぎ、いじめるやつ、まひめ、ゆるさーん!)
 まひめが強い調子で煉人に吼えた。
 その無邪気さに煉人は応えることができない。もし、まひめが御伽の秘密を知ってし
まったら、まひめはそのことをどう受け入れるのだろう。
「……行くぞ」
 御伽に命じられる。
 煉人はもやもやした気分のまま、隣の座席に座って、扉を閉めた。リムジンが発進す
ると、ふたたび見慣れない夜景が流れはじめた。
 御伽は眠たそうに目をこすって、ふわぁとあくびを漏らす。
「おい、貴様」
「何だよ」
「肩、借せ」
「え?」
「眠い。妖怪の肩すら借りたいほどに」
 御伽のまぶたがトロンと下り、身体がゆらゆらと傾く。
「い、いいけど」
「むにゃ……今回は特別に連れてってやる。感謝しやがれ……」
「え、連れてくって……」
「むにゃ。犬んとこ。別荘」
「別荘?」
 御伽は煉人の肩に頬を寄せ、眠りに就いてしまった。くぅくぅと寝息をたてて、窓か
ら流れる風に寝顔をさらす。紅蓮のツインテールがさらさらと揺れた。
(べっそーは、ソーヤのとこだ!)
「えっ……」
 てっきり借金取りに追われまくっている野宿生活をイメージしていたのだが、別荘な
んて所有していたのか。
(まひめ、べっそー、いきたい!)
「……なんでそんな場所にアイツがいるんだ?」
(ソーヤ、べっそー、おとぎのぱぱにもらったとゆってた)
「貰った?」
(まひめ、ふだん、みょうじんのいえ。でも、べっそーであそぶの、すきだよ!)
「そ、そうか……」
 まるで探していたカギが胸ポケットにあったかのように、煉人は拍子抜けした。
 それにしても、今になってわざわざ別荘に向かったところで自分に何かができるわけ
でもなかった。せいぜい凶器の件で告白、謝罪するくらいだろうか。でも、それをネタ
にまた金を無心されでもしたら……。
 煉人は運転手に声をかけた。
「なぁ、俺だけ降ろしてもらっていいだろうか?」
 運転手は無言でかぶりを振って、御伽様の許可が必要です、と事務的に返答した。
「御伽、起きてくれ!」
(おとぎ、ねてる。むりにおこす、どっかーん!)
 子供のような寝顔の御伽を揺さぶるのは抵抗がある。なんだかんだでまひめに会わせ
てくれた彼女を裏切るようにも思えて、不承不承、黙り込んだ。
 ――ん?
 ふいに視線を移し、すれ違おうとする対向車に目をやる。
 その『相手』と目が合ったかどうか、わからない。
 だけど、間違いなかった。
 スーツ姿の灰原蒼弥が、タバコを片手にハンドルを握っているではないか。
「あっ……」
 煉人の漏らした呟きに、御伽が反応する。
「ほにゅ……」
「おい、あの車……」
「ん? 貴様、まだいたのふぁ?」
「いや、そうじゃなくて」
「ああ、もう朝か……よ~し、まひめ、出てこい~。帰るぞ~」
 まだ半分夢心地の御伽が、へらへらしながら煉人の胸をポンポンたたく。
 やっぱ、黙ってた方がいいよな……余計なことだもんな……。
「……まひめ、聞こえるか? ここで俺とはお別れだってよ」
(おわ、かれ?)
「てゆーか、また今度だ」
(どーして?)
「どうしてって、そういう約束だし」
(やだやだー)
「いいか、よく聞け。俺といても、お前にとっていいことなんてないんだ」
(そんなことないよぅ)
「自分の都合でいなくなる。都合のいい時だけ、お前に擦り寄る。それが俺って奴だ」
(……)
「別荘にいるオッサンに優しくしてもらうんだ」
(ソーヤ?)
「そうだ」
 感情を抑えて、まひめに伝える。
 まひめはしばらく黙っていたが、やがて言葉を返してきた。
(まひめ、ソーヤにも、たくさんしんぱいかけた)
「……そうだな」
(まひめはうちえのこゆち。なのに、わがままばかり。それ、まちがい)
「え?」
(まひめのせいで、れんと、ふこうになる)
「そんなことねぇよ」
(まひめ、ともだちがふこうになるの、とてもこわい)
「……」
 まひめが普段ワガママに振る舞っているように見えるのは、知らない間に誰かが傷つ
いてしまっているかもしれない、そんな不安の裏返しなのかもしれない、と思う。誰か
を傷つけたくない気持ち。
(まひめは、とてもわるい子でした)
「まひめ……」
 そうなんだ。
 自分だって、ひどいことをしたんだ。
 なのに、その事実から逃れようとしている。
 ばかみたいだ。
 アイツが自分を置き去りにしたのだって、仕方なかったことなのに。
 なのに……。
 やられたら、やりかえせばいいなんて、なんて幼稚なヤツなんだ、俺は。
 煉人は息を長く吐き、意を決した。
「……一緒に、ソーヤに謝りにいこう」
(れんと?)
「きっと、許してくれる」
 煉人は御伽に向き直って、Uターンするよう指示した。
 しかし、御伽は呑気顔で鼻ちょうちんを膨らませながら、
「えへへ、ば~か」
「いや、バカじゃなくて」
「ノロマ~」
「それは認める。でも、どんなに足が速くても無理だ、頼む!」
 両手をあわせて、必死に懇願した。
「まひめからも頼んでくれ!」
 煉人の胸から、まひめが顔を出してきた。
「おとぎ、お願いです! ゆーたーん!」
「ゆた~ん、ぽ?」
「いや、ぽを取れ。ぽを」
「んぽ?」
「そんなに取るなっ!」
「おしいよ、おとぎ! ゆっ! ゆっ! ゆっ!」
「ゆ~、ゆ~、ゆ~……た~、た~、た……か?」
「この豊(ゆたか)めを呼びましたかな? 御伽お嬢様」
 くるりと振り向く老運転手。
「アンタの名前だったかっ! まずは前見て運転してくれ!」
「御伽様の命令でないと……」
「なわけねーだろっ!」
「どっ」
「笑うなっ!」

 ……説得すること数分経過。
 やっとのことで運転手が煉人の指図に従った。リムジンが180度方向を変えて、蒼
弥の軌跡をなぞりだす。
 そのまま進み、煉人は開けた車窓から上半身を乗り出してみたが、蒼弥らしき車は見
当たらない。せめて蒼弥の携帯番号が分かれば――御伽から番号を聞き出してコンタク
トを取ることを思いつく。
 だが、相手は息子を置いて失踪するような男。そんな彼が携帯なんか所持しているの
だろうか、所持していたとして、この自分と取り合ってくれるだろうか。
 あー、やっぱダメかもな。
 ため息をついたその時、突然、持っていた携帯が鳴り出した。
 非通知設定。
 ――あれ?
 煉人が応じると、聞き覚えのある声が耳に届く。
『やぁ』
 電話ごしから、しゃっくりの音がした。
『もしかして、父さんを探しているのかな?』
「……」
 まさか、向こうからかけてくるなんて。
『公衆電話だ。父さん、お前に合わせる顔がなくてな。なんせ、すっからかんなんだ』
 おそらくドレッドに全財産を明け渡したせいだろう。だが、蒼弥の声からは悲壮感や
怨念のようなものは感じられなかった。
「そんなことより、今どこにいるんだ?」
『心配してくれるのか。こんなどうしようもない男なのにな。娘一人守れやしない』
「知るか。どうせ悪い奴にでも取られたんだろ」
『……当たり。なんて情けないんだろうな、父さんは。ひっく……でも、かわりに強力
な武器が手に入った。高く売れば、これからの足しになるかもなって。はは』
「おい」
『冗談だよ~。この父さんが、そんなことに使うもんか』
 煉人は調子が狂い、頭を抱える。
「……とにかく、アンタに合わせたい子がいる。今から代わるから」
『ん?』
「まひめ、電話だ」
 まひめの耳に携帯をあててやる。
「これを使って、話すんだ」
「ソーヤ!」
 まひめが歓喜の声をあげた。
『まひめ? 本当にまひめなのか? ああっ……よかった……』
「ソーヤ。まひめ、べっそーでていった。ごめんなさい。ペコリ」
『いいんだ、元気にしてたか?』
「うんっ! これから、かえるよ!」
『ああ……なるほど、そういうことか……。でも、行き違いだな、あはは』
「れんとが助けてくれた!」
『え?』
「まひめの、たいせつなともだち!」
 一瞬、沈黙が訪れる。
『あ、ああ……そうか、そういうことか……そうだな、父さん、お礼を言わないといけ
ないな』
 まひめがくるんと振り返って、
「れんと、ソーヤがありがとうだよ!」
 煉人は電話を取り次いだ。
「礼なんていい。それより頼みがある。アンタにまひめと、あと明神御伽の面倒をちゃ
んと見てやって欲しいんだ」
 そう、二人が傷つくことのないように――
 御伽を向くと、彼女はふたたび眠りに落ちていた。ただでさえ小柄な身体が、ひとき
わ小さく見える。
『面倒?』
「ああ……それはその、直接会って、アンタと話がしたい。今日はもう遅いから、明日
の朝、こゆって女の子送って……9時に俺の部屋に来てくれないか?」
『う~ん、そうだな。いいよ。その方がお前にプレゼントしやすいものな』
「だから、そんなのは」
『わかってるって。父さん、お前の気持ちがよくわかった。勇気を出して、電話した甲
斐があったよ、ははは』
「……」
 気恥ずかしくなって、携帯を切った。
 すぐにしまったと思う。まひめともう少し話をさせてやればよかった。
「まひめにかわってよー」
「あっ……す、すまん」
 煉人は苦笑しながら、まひめの頭をなでてやり、御伽の安らかな寝顔を見つめるのだ
った。

 蒼弥はまだ近くにいるかもしれない。
 煉人とまひめは最寄り駅の駐車場で降りて、鍵のかかっていない放置自転車をありが
たく借りると、街に点在する安そうなカプセルホテルや電話ボックスに捜索ポイントを
絞ってみる。
 何軒かまわって、しんどくなる。睡魔に耐えながら、夜道を自転車で走るのはなかな
かの苦行であった。冷静に考えれば、焦って探さなくても指定の時間まで待てば済む話
なのだ。
 あー疲れた、やーめた。煉人は目についたネットカフェで休憩をとることにした。ま
ひめを隠しておけば、一人分の料金で済むよなとセコイことを考えながら受付で手続き
を済ませると、指定されたフルフラット席に入った。
(ねっとかふぇ、ってなに?)
 まひめの質問に答えようとすると、隣の客が耳障りないびきを掻き始めた。すぐに店
員の厳しい注意が入り、煉人は人差し指で口を抑える。
「(静かにしなきゃいけない場所だ)」
(ソーヤもしずかにしてる?)
「(たぶんな)」
 朝になるまで仮眠を取ろう。デスクトップパソコンを起動させることなく、煉人は仕
切りに寄りかかると、腕を組んで、静かに目を閉じた。
 数分後、いい具合にまどろんできた煉人の耳に、何やらカタカタと音が聞こえてきた。
「ちょっ、お前!」
 いつの間にか肩から上を乗り出していたまひめが、両手でキーボードとマウスを操作
し始めている。意外にもその白く細い指先は一定のリズムを刻み、ボード上をなめらか
に踊っていた。
「お前、そんなもん、使えたのか?」
「おとぎ、いつもやってた。みようみまね!」
 まひめが閲覧していたのは、煉人が見たこともないような妙なサイトだった。
「かいもの、いっぱい! 御伽のすきな『かいが』に『ちょーこく』!」
「絵画に彫刻って……アイツにそんなもの理解できるのか?」
「おとぎ、はかせ!」
 ネット通販で限定フィギュアや美少女ポスターを片っ端から購入しまくるまひめの
後姿を見守りながら、何だかちょっと心配になってくる煉人であった。
 別のサイトに移動した。今度は不特定多数が訪れることで有名な掲示板。
「おとぎ、このサイトで『ばとる』をする! とてもあたまいい!」
「ばとる?」
「えと、ぶろぐに書いたあにめ論をこぴぺして、たたくやつはゆるさん、ゆってた」
 それバトルじゃねーだろ、という真っ当な疑問が沸いたのだが、怒りの感情に任せて
こそのぶつかり合いも時には大切なのかもな、と無理やり自分を納得させる。
「それから、それから!」
「まだあるのか?」
「まひめ、おなかすいた」
「あっ」
「甘いものがほしい!」
「そだな。何か頼むか」
 煉人はメニューリストに目を通し、何を食べようかまじめに考えてみる。
 とは言ってもいつも煉人がコンビニで買って食べるような軽食がほとんどなので、リ
スクを承知で新発売のイチゴレモン味ポテチに決めた。
「お前は?」
「れんと、まひめのあたま、たたいていいよ。好きなたべもの、たっくさん!」
「だめだめ」
 煉人は首を横に振る。
「どーして? まひめは平気です!」
「お前が平気でも、俺はダメなの」
「けち!」
「そーゆーのはケチとは言わねぇ」
「どーしたら、たたいてくれる?」
「そんなの……」
 返答に詰まる。めったにない極限状態に陥った時には仕方なく、なんて答えるのも野
暮に思える。
「やむを得ずって場合は、そりゃ、やっちまうかもな」
「いまのこと?」
「違ぇよ。色々な条件をつけた上ならOKってことだ」
「じょうけん?」
「まひめが傷つかないとか、奪い合いにならないとか……そんな感じ、かな」
「そんなの、やだ。れんとばかり、いたいめ、よくない」
「……いや、別に俺が袋叩きにあうってわけじゃ」
 まひめはキーボードをいじる手を休めると、煉人の身体からするりと抜け出た。
 もともと狭い空間がひときわ狭まり、煉人はまひめにしゃがむように言いつける。
 まひめが座り込むと、吐息がかかるまでに顔と顔が近づいた。
「れんとはまひめのこと、きらい?」
「そ、そんなことねぇよ」
「れんと、たくさん、いたいおもいしたよね? きっと、まひめがわるいこだから」
「た、大したことねぇって、いやマジで」
「ほんとう?」
「あ、ああ!」
 まひめのやわらかい手が煉人の頬に添えられる。
 心地よい刺激が走り、一瞬、顔をしかめた。
 潤んだ瞳に見つめられ、ドギマギする。
「な、なんつーか……」
 甘くて温かい匂い。小さくてふっくらした薄桜色の唇。指先で触れたくなるような艶
に目を奪われ、鼓動が高鳴る。
「ゆるして……くれる?」
「ゆ、許すも何も最初から恨んでねぇから」
 迫ってくるまひめに、あわてて身動ぎする。
「ほんとにほんとっ?」
「ああ、ホントだ。だから、俺の中に戻ってくれ」
 顔を真っ赤にして、ぎゅっと目を閉じた。
 何秒たっても反応がまったくないことに気づき目を開くと、いつの間にか、まひめは
煉人の中に潜っていた。
(えへへ~)
 何だよ。
 ったく、いい気なもんだぜ。
 気の抜けた煉人の腹から、盛大な音が鳴り出す。
「フ、フライドポテト大盛!」
 煉人がぎこちなく叫ぶと、すぐにやって来た若い店員が仕切りから見下ろしてきた。
イチゴレモン味ポテチだったら、余計に怪しまれたに違いない。
 愛想笑いする煉人。
 若い店員は機械的に注文の品を確認すると、何事もなかったように去っていった。
「ふぅ~、危なかった」
 安堵した煉人が手の甲でひたいを拭うと、
(ふぅ~)
 と真似声が返ってきた。
 煉人は力なく笑って、
「似てねぇよ」
(れんとと、ちゅーしたかった)
「はいはい、わかったわかった。そんなの後で……って、ちゅう!?」
(まひめ、れんとのこと、ずっと守ってあげるからね)
「お、お前には心配してくれるソーヤがいるだろ。そんな……」
(まひめ、わからない)
「分からないって、何が?」
(きもち、てんびんにのせる。おもいほうのきもちが、したにさがる)
「なら、アイツのが重いってことだろ」
(ううん。おなじ……あっ!)
 まひめが声のトーンを高めた。
(みんないっしょがいい! よにんいっしょ! いっかだんらん!)
「へっ?」
 その四人が誰と誰で構成されているのかハッキリしてしまい、ちょっと無理だろ、と
異を唱えたくなる。
「いや、それは……」
(れんと、だいこくばしら!)
「ありえねー」
(ペットのわんわん!)
「冗談じゃねー」
(じゃあ、どうしたらよろしい?)
「そうだな……」
 その時、仕切りが開いて、店員からフライドポテト山盛りの皿が渡される。
 煉人はポテトをつまんで、もさもさと口に運んだ。指先についた塩の粒を舌先ですく
いとる。
「俺、やっぱ一人がいい」
(ひとり?)
「そ、テキトーってこと」
 だって何だかんだで一人暮らしは気楽じゃないか。誰にも邪魔されないで済むし。蒼
弥に戻ってこられても、正直、同居なんて面倒くさい。まひめや御伽にしたって、同じ
ことだ。
「まひめには難しいかもな。でも、大人になれば理解する」
(そうかな……)
「そういうもんだ。矛盾するけど、お前はお前で御伽と幸せに暮らせよ」
(しあわせ?)
「ああ。俺もやれる範囲で協力するからさ」
(まひめは、れんとと……)
「わかったわかった。それもどーにかするから」
 煉人は弛緩して、大きなあくびを漏らした。明日はいつもより早く起きなくてはなら
ず、そのことがわずらわしく感じられる。
 ――あー、眠ぃ。
 ちょっとだけ仮眠させてくれとまひめに断りを入れ、煉人はすぐに寝込んでしまった。

 ブルルルルル……ブルルルルル……。
 マナーモードに設定した携帯のバイブ音で煉人は目覚めた。
 げっ、こゆを送らないといけない時間になると、あわてて身を起こす。すぐにネット
カフェ内にいるのだと思い出し、携帯を手に取ると、しつこいアラームを解除する。
「ああ、間に合わねぇ……」
 ま、いっか。
 まひめも起きてこないし。
 もう五分だけ。
 煉人は二度寝を決断すると、惰眠モードに突入した。
 プルルルルル……プルルルルル……。
 ったく、しつけぇよ。
 どーせまた蒼弥からだろとウンザリしながらも、それが着信音だとわかり時間を確認
する。午前九時十分。こゆを送る時間どころか、蒼弥との待ち合わせ時間も過ぎてしま
っている。
 煉人はカウンターで会計を済ませると、外に飛び出した。それでも呼び出し音はおさ
まらず、せわしない気分で電話に出た。
「すまん、すまん。もうしばらく待ってくれ、ははっ」
 相手が蒼弥だと思い込み、煉人は笑ってごまかす。
 しかし、返ってきたのは取り乱した女性の声だった。
『もしもし! 煉人くん? 煉人くんなのねっ?』
「……あの、失礼ですが、どなた?」
『今、どこにいるの? た、た、大変なの、こゆちゃんが、こゆちゃんが……』
 ――え?
「……水鏡先生?」
 嫌な胸騒ぎを覚える。保母の水鏡先生が煉人の携帯に電話をしてくるなんて、今まで
になかったから。
『い、今、救急車呼んだし、応急処置もやったつもり……ねぇ、今すぐ来て』
「ちょ、ちょっと待って下さい。何があったんですか?」
『どうして、こゆちゃんの傍にいてあげなかったのよっ……』
 水鏡先生の涙声に、煉人の表情が凍りつく。
『こゆちゃんが何をしたっていうのよ……ひどいよ、こんなの……』
「とにかく落ち着いてください。いま俺もそっちに行く!」
 煉人は自転車にまたがり、御伽のいるリムジンを目指す。必死でペダルを漕ぐも、具
体的な状況が把握できず、頭の中はこんがらがっていた。
 口がカラカラに乾くのを感じながら、煉人はこゆの無事をひたすら願い続けた。


【第五章 三つ目の願い】

 こゆが運び込まれた市内の病院に、煉人が辿り着いたのは正午過ぎだった。
 玄関を抜けると、長椅子の並ぶ待合室から女性の声がかかった。
「水鏡先生!」
 水鏡先生は椅子からゆっくり立ち上がると、ほっと胸をなでおろした。
「やっぱり、煉人くんだったのね……よかった」
「こゆは……」
 こゆの安否が気懸かりで、煉人は足早に駆け寄った。水鏡先生のやつれた表情が目に
入る。
「今、集中治療室。さいわいにも、命には別状ないみたい」
「……」
「さっきは責めるようなこと言って、ごめんなさい。私がしっかりしてれば……」
 水鏡先生は長い髪をかきあげ、煉人に頭を下げた。
 煉人はどう答えていいのかわからず、口を閉ざしたまま、立ちつくしていた。
「……今朝、こゆちゃんを迎えにいったの。いつもキミと一緒に待っている姿が見えな
くて、玄関に入っちゃった。そしたら、こゆちゃんが廊下で倒れてたの」
「えっ……?」
 昨日の時点で、こゆは元気だったのだ。いきなり重度の風邪や病気をわずらうなんて
考えにくい。
「何度、声掛けしても、反応なくて。出社なさってるご両親に、なんて伝えたらいいの
かわからなくて……私、キミを疑いさえした」
「……」
「こゆちゃんの背中、靴の跡がついてた。目隠し、されてたの」
 煉人の顔から血の気が引いた。
「お酒の匂いがしてて、ビール瓶の破片が床に散乱してたの。それだけじゃないわ。近
所の人から聞いたんだけど、銃声がしたって……」
「まさか、こゆの身体に……」
 水鏡先生が顔を覆って、うなずいた。
「あの短冊……ずっとつけたままだったの……」
「え?」
「私がいけなかったんだ……」
「そんなことねぇ!」
 煉人は弾かれるように走り出した。院内を走ってはいけないとすれ違う誰かに注意さ
れた気がしたが、もう耳に入らない。
 ただひたすら集中治療室を目指して、廊下を駆け抜ける。
 あった!
 ICUというプレートが貼ってある部屋に侵入しようとすると、半透明のドアがひと
りでに開いた。
 現れた医師らしき白衣の男性にけげんな顔でにらまれ、煉人は立ち止まる。
「な、なぁ、こゆは大丈夫なんだろ!?」
 君は誰だね、とでっぷり太って口ヒゲを生やした医師に問い返され、煉人は自分の素
性をてっとり早く明かすと室内に足を踏み入れ、大きなベッドを目にする。
「こゆっ!」
 ベッドに横たわる、長い黒髪の幼い少女は、紛れもなくこゆだった。彼女の小さな身
体には雑多な医療器具が取りつけられている。
 煉人は医師に向き直って、
「ちゃんと取り除いたんだろ!?」
「銃弾のことかね? それに関しては問題ないが」
 冷淡な印象の声色に、煉人はカチンときた。
「他に、まだあるんだろ? 問題ってのが! 教えてくれよ!」
「とりあえず、診察室まで来てくれたまえ」
 医師は煉人に背を向けて、歩き出した。
 こゆの容態が気になるが、仕方なく彼についていくことにする。
 医師にうながされ、診察室に入った。真っ白なライトに照らされた、たくさんのレン
トゲン写真に驚く。この中にこゆのレントゲンがあるというのか。
 まずは座りたまえという命令に、大人しくしたがう。
 医師はこゆがこうむった外傷について、丁寧な説明を始めた。水鏡先生が話してくれ
た内容にくわえ、複数の鈍器や武器のようなもので暴行された跡があると伝えられる。
肩に打ち込まれた銃弾の除去手術はひとまず成功して、今はこゆが麻酔から目覚めるの
を待つしかない状態だという。
「そんな……」
 煉人はがくぜんとして、肩を落とした。
 すぐに、強い怒りが芽生え始める。
 そうか。
 そういうことだったのか。
 アイツだ……。
 アイツがやったんだ……。
 ガチガチと拳が震える。喉はガムシャラに乾き、背筋がチリチリと冷えていく。ドレ
ッド野郎に凶器を提供した報いが五歳の女の子に訪れる可能性を、どうして想像さえし
なかったのか。
 バカ野郎っ……!
 煉人に医師の言葉を聞き入れる余裕はもうなかった。バカだと思われようが変質者だ
と思われようが、まひめを強引に呼び起こす。
「まひめ、起きろ」
(ふにゅ……)
「……お前、人に裏切られたことがあるか?」
(れんと、どうかした?)
 煉人は立ち上がり、声を震わせる。
「俺はある。『ソイツ』の優しい言葉や態度に騙されて、何も見抜けなかった……!」
(どういう、こと?)
「俺がそんなクソ野郎だったら、お前……許せるか?」
(れんとは、クソやろうじゃないもん)
 予想通りの答えに、煉人は窮した。もう耳障りのいいことなどいわない。
「だったら教えてやる! お前が懐いていた、」
 灰原蒼弥は――
 いや、違う。
「俺は! 俺は……鬼だっ!」
(え……?)
「お前を殺すためにっ……お前を油断させて、ずっと騙していたっ!」
(ちがうよ~)
「嘘じゃねぇ!」
 全力を込めた拳で壁を叩きつける。衝撃で書類がバサバサと崩れ、状況の把握できな
い医師が金魚みたいに口をパクパクさせていた。
(れんとが、まひめを……?)
「もう……他の奴等だって容赦しないっ!」
(おとぎは……)
「今までやられた分、やり返してやるっ!」
(ソーヤは……)
「アイツは! ぶっ殺す!」
(だめだよ、そんなの!)
 まひめの咎めに、煉人は暗い興奮に目覚め、凶暴な衝動に駆られる。蒼弥なんて本当
に殺しちまえばいいと、煉人の口元が引きつった。
(れんとは、そんな人じゃない! まひめ、わかるもん!)
「……」
(れんと、うそつき! まひめは、おみとおしです!)
 煉人は乾いた笑い声をたてて、着ていたシャツをつかむとありったけの力で引きちぎ
った。手中の切れ端を強く握りしめ、低い声を震わせる。
「……何も分かってねぇよ、お前」
(わかってないのは、れんとだ! れんと、とても、くるしんでる!)
「何だって……?」
(れんとがくるしいの、まひめはいやです!)
 必死で首を振る煉人。
「く、苦しくなんかねぇよ! 苦しいわけあるかっ!」
(つよがり!)
 何も知らないくせしやがって、勝手なことばかりホザいてんじゃねぇ。
 まひめには聞こえない心の声が、罵倒となって激しく渦巻く。なのに、本当に伝えた
い言葉はちっとも届かない。
「黙れよ。お前から殺すぞ……」
(うそつき!)
「黙れっつってんだろ!」
(やだやだっ! れんとがほんとうのこというまで、だまらないもん!)
 絶叫が、全身をつんざく。
「お前っ!」
(れんとはまひめがいやなんだ! まひめがいるとやなおもいするから、まひめにでて
いってほしいから、うそをついたんだ! まひめにはわかるんだ!)
「……!?」
(ほんとうのことをいってよ! まひめに、でていけといってほしい!)
 ……え?
 追い出して欲しいって、どういうことだ?
 違うぞ。
 追い出したくて、呼び起こしたんじゃない。
 まひめのせいで迷惑をこうむってるなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだ。
(でていけと、ひとこと、いってほしいよ……)
 そうじゃなくて、なんで分からねぇんだよ。
「言えるわけねぇだろ……」
(えんりょ、いらない。本当のきもちを、つたえてほしい)
「だから、俺は……」
 答えられないでいると、診察室のドアがガチャリと開いた。
「さっきから聞いてりゃ、ぎゃーぎゃー騒ぎやがって」
 診察室に、御伽が足を踏み入れた。彼女は室内を一べつし、無言で近寄ってくる。そ
して半目で煉人を指差した。
「貴様が人殺しだと? 笑わせるぜ」
「……勝手に入ってきてんじゃねぇ」
「本当のこと、教えねぇのかよ」
「本当のこと? 何がだ?」
 御伽は吊るされたレントゲン写真を抜き取って、チラッと見ると鼻で笑った。
「さっき、あのチビのICUを見てきた。ずいぶんヒデェじゃねぇか。頭がおかしくな
るほどボコボコにされりゃ、後遺症が残るかもしれねぇな。いつかバカ息子である貴様
にも襲われるかもしれねぇと、アイツはちっこい体で毎晩悩むんだ」
「やめろ」
「やめろも何も、現実問題として明神家の駄犬はそういう奴だろうが。貴様がまひめに
奴の本性を告げりゃ、ブッ殺すって告げりゃ、さすがに目覚めるさ」
「……明神家の駄犬だって?」
「そう。あたしを打ち出の小槌(まひめのかわり)として扱ってくださったのは、血の
繋がった家族じゃねぇ。連中の命令を忠実に実行したのも、その駄犬だ」
「なんだよ、それ……」
「奴等にとって可愛い娘は、まひめだけ。そういうこった」
 それを聞いて、目の前が真っ白になった。
 一瞬で気づいてしまった残酷な事実。
 御伽にずっと暴行を加えていた蒼弥は、一度もまひめ『には』手をあげなかった。具
体的な目的が不明だろうと、そこにはたしかに陰湿な悪意が存在しているのだ。
「教えてやれよ、まひめにも」
 静寂が場を満たす。
 煉人は呟くように言った。
「まひめ……お前はいけない子だな……」
 まひめから返ってきたのが沈黙でも、何かを答えたがっている気配が伝わる。
「甘ったれだし、臆病だし、鈍ちんだし……母親でもない俺が、どーしてわけのわかん
ねぇお前の面倒見なきゃいけねぇんだって何度も迷惑した」
 なのに。
 なのに……。
 力を失って、苦悶に歪んだ顔を両手で覆う。
「……そんなお前に助けてほしいのに、だめなんだ。怖いよ……怖い……もう、どうし
たらいいのか、わかんねぇ……どうやって、どうやって生きていったらいいのか、わか
んねぇんだ……!」
 ずっと一人がいいなんてウソだ。最初にまひめと出会ったときに、不思議でなつかし
い気持ちになった。まひめは何のとりえもない自分を体温なんかの理由で肯定してくれ
た。そんな恩人を追い出せるわけないだろ。
「れんと……」
 瞬間、肩に温かいものが触れた。いつの間にか煉人から離脱していたまひめの指先が、
煉人の背筋をそっと包み込む。
「あなたは、しょうじきもの。まひめ、とてもうれしいよ」
「え……?」
 まひめは目線を同じくして、幼子みたいに怯える煉人を優しく諭す。
「もう、なにも、いわなくていいよ。まひめが、守ってあげるからね」
 まひめの細い腕に包まれて、返事をするように二の腕にすがりつく。今まで生きてき
てこんなこと一度もなかったはずなのに、どうして、どうして、こんなになつかしい気
持ちになるんだろう。
「まひめ……まひめっ……」
 煉人は喉の奥から振り絞るように、まひめの名を何度も口にした。
「まひめっ……」
 呪文のように口ずさんでいると、心なしか気持ちが落ちついてきた。目の前にいる少
女の温もりをゆっくりと噛み締める。
 すると、御伽が煉人の背後でしゃがみこんで、すねたような顔で悪態をついた。
「ふん、ばーか」
 彼女はカタツムリに悪戯するように、半目とへの字口で煉人の膝裏をツンツンと突い
たのだった。

 こゆが目覚めたのは、夕方になってからだった。
 容態が快方に向かったため一般病室に移ったと聞かされ、とりあえず気持ちの落ち着
いた煉人は、まひめ達と一緒にこゆを励ましに行くことにした。
 病室に向かう御伽とまひめ、その後を煉人がついていく。
 途中の廊下で煉人の足だけが止まった。
 やはり前に進めず、足が竦む。
 御伽とまひめの姿が遠のいて、室内に吸い込まれていく。つづいて水鏡先生、仕事を
切り上げて駆けつけてきたこゆの母が病室の扉の前で泣きくずれる。
 どんな顔でこゆに会えばいいのだろう。かけるべき言葉が見つからない。
 自分は何をすべきなのか。
 いっそのこと、ヤツの息の根をとめてしまえばいいのだろうか。でも、息子に大金を
ばらまいて命乞いするかもしれないような父親に殺意をつらぬくだけの心性が自分に
あるのか。
 ない、と言い切ってよかった。
 蒼弥はきっとそのことを熟知している。
 その上でせせら笑っているんだ。
 こゆに深いケガを負わせたのは、灰原煉人の弱さなのだと。
「やぁ、探したぜ」
 背後から突き刺すような声に、ぞくりとする。
 煉人がハッと振り返ると、視界の奥にちっぽけな人影を発見した。
 灰原蒼弥がこちらに向かって、ニッと微笑みかけている。
 彼は手にしているウオッカのボトルに口をつけ、グビグビと喉を鳴らした。中身が空
になっても、まだまだ飲みたりない様子で先端を舐めまわす。
「テメェ……」
「お前も飲みたいか? だめだめ。まだガキなんだから」
「やっぱりテメェなんだな……?」
 蒼弥は焦点の定まらない目で天井を仰ぎながら、
「あはははははっ、なかなかの演技だったろ? お前にはちょっと刺激の強いプレゼン
トだったかもなぁ。アレ、父さんとしては教訓のつもりだったの、いやホント」
「教訓?」
 蒼弥はYシャツの胸ポケットから何かをつまみ出した。
 しわだらけの短冊。
「それ、まさか……」
「ヘタクソな字だけど、読んでみようか。えー、何々『れんとさんと、れんとさんのお
父さんがなかなおりできますように こゆ』だって……残念だが、無理な相談だ」
 煉人が声を荒げる。
「俺に恨みがあるんだろっ!? だったら俺に仕返しすりゃ良かったじゃねぇか!」
「なるほど、なるほど。父さんをコケにした自覚はあったわけだ……ふっ、あっははは
はははっ! 自業自得とはまさにこのことだなっ、煉人!」
 赤く染まっていた蒼弥の顔はさらに紅潮し、すわった目が一段と淀みを帯びる。
「父さんが知らないとでも思ったかっ! お前はまひめをかくまっていたくせに、知ら
ないとウソをついたっ! 挙句の果てに、低脳な刺客を送りつけ、父さんの命乞いまで
無視したっ! 最低だな、お前はっ!」
「それは……」
「金のことだって、そうだ! 明神の連中に雇われてからだって、なんで父さんが一文
無しで、棄てたはずのお前に金が回るのか、どうにも納得いかないっ……!」
「ちょっと待ってくれ……! 送金してたの、アンタじゃないのかよ?」
 こいつバカかと言わんばかりに、蒼弥は鼻で笑って肩をすくめる。
「父さんは何度も何度も送金をストップするよう、連中に頼んだ。なのに、金持ちのや
ることと言ったら、つくづく理解できないんだ。連中はな、父さんが嫌がるからこそお
前に金銭を送り続けたのさ。狂ってるだろ?」
 まひめを売り渡した蒼弥は、本来ならもっと巨額の富を得るはずだった。だが、御伽
の親は蒼弥の足元を見て『提案』を持ちかけたのだ。本当はまひめと一緒にいたいだろ
う。置き去りにした息子が心配だろう。一度手に入れたまひめは絶対に返さない。その
かわりに自分達のもとで裏の仕事をするなら、もっと出そう。煉人の面倒も見よう。ま
ひめと同じ居住地を与えよう。彼等はそう誘惑したのだ。
「実験台には末娘を使え。小学生だった御伽ちゃんを媒介にまひめを殴るよう命令され
た瞬間、こんな一族にまひめを渡してしまったことを心底、悔やんだね」
「そんな……」
 明神家の人間が蒼弥に要求したのは、うちでのこづちの限界がどこに設定されている
か、その極秘情報の獲得。まひめの体質にはまだまだ解明されていないことが多く、緻
密なメカニズムから、非人道的兵器やクローンの複製、悪魔召喚といった誇大妄想的な
願望の実現可能性の掌握まで、蒼弥が一手に引き受けていたというのだ。
「連中は嬉々としていたよ。まひめには途方もない力が眠っている。なんてひどい奴等
だろうな。でも、可愛いまひめと一緒に暮らすには他に方法がなかった。いかにうちで
のこづちとはいえ、一度死んだ者を蘇生させたり産み落とすなんて、流石に不可能だっ
たわけだし」
 蘇生?
 産み落とす?
「……わけわかんねぇことホザきやがって。下らない理由がありゃ許されると思ってん
のかよ?」
 蒼弥ははっきりと二度うなずく。
「だよな、許されない。その通りだ。どんな理由があろうと、お前は許されない」
「……こゆは何もしてねぇぞ」
「なんだ、お前。あの子に恋愛感情でもあるのか?」
「違うっ!」
「まひめにはあるんだろ?」
「……違う!」
「なら、今度こそ返して貰うぜ? もう父さん、他に頼れるアテがないんだ」
「断る!」
 蒼弥の口から、歯軋りする音が聞こえてきた。
「断る、だと? ふん……人が下手に出てりゃ、腐れ小僧が……まひめを都合よく利用
しようなどと……!」
「何言ってんだよ、テメェ!」
「どうやら父さん、お前の育て方を間違ったようだ。折檻の必要がありそうだ!」
「どういうことだ?」
「こういうことだ!」
 一瞬、蒼弥の姿が消えたかと思うと、視界の片隅に残像が映った。不穏な気配を感じ、
ハッと背後を振り返ると、蒼弥が余裕綽々と言わんばかりに立ちはだかっていた。
「トロトロするなよ、クソガキ」
 身体に異変を感じた。腕に激痛が走り、喉の奥から悲鳴があがる。
 ――痛ぇ!
 とっさに腕をかばうと、固いものが触れた。
 針だ。
 細長い針が、腕の皮膚と肉を貫いている。
 まさか、蒼弥の仕業なのか?
「子供を放置したベビーシッターの罪は重い。だが、父親として、バカ息子の不手際は
詫びておいてやる」
「……」
「父さんが『お前の代わりに』謝ってやれば、あの子もきっと許してくれるさ」
 そう言い残して、こゆの病室に向かっていく蒼弥。
「ちょっ……待てよ!」
 煉人は、深く刺さって取りづらい針をどうにか引き抜いて、
「何考えてんだよ、テメェ!」
 心にめばえた暴力衝動をこらえて、煉人は蒼弥の跡をついていく。

 病室に入ると、たくさんの視線が向けられた。ベッドから上半身を起こしているこゆ
を含め、心配して見舞いに訪れた女性達のことを煉人はよく見知っている。
 そして、彼女達も煉人のことを知っている。なぜもっと早く来てくれなかったのか、
どうしてこゆがこんな目に遭わないといけないのか、直に責めることはないにしても、
みんな自分に強い不信感を抱いているのだ。
 黙っている煉人を見かねたのか、こゆが呼びかけた。
「煉人さん?」
「あ、ああ……。げ、元気か?」
 こんな返事があるかよ。部屋の壁にもたれている蒼弥に鼻で笑われた気がした。
「煉人さんと、煉人さんのお父さん?」
 そう言って、こゆが煉人と蒼弥を見比べる。彼女に乱暴し、小指から短冊を奪った相
手が蒼弥だと気づいていないのが、その穏やかな表情から見て取れた。
「仲直りしたんだね?」
「そうだよ~、こゆちゃ~ん。こゆちゃんをイジめた悪い奴も、もういないからな!」
 馴れ馴れしい口調でウソをつく蒼弥。
「ホント?」
「ホントさ。おっと自己紹介が遅れました。わたくし、こういう者です」
 蒼弥が笑顔をつくって、水鏡先生やこゆの母に名刺を手渡す。デタラメな肩書きなの
は一目瞭然だった。
「灰原くんのお父様、ですか……」
「ソーヤはとってもやさしい!」
 まひめの自慢に蒼弥はクスリと反応して、
「我が家は少々、複雑な事情がありまして。今回のことにしましても不出来な息子が至
らないばかりに、大切な娘さんに……この通りです!」
 蒼弥が突然、冷たい床をたたきつけるように両手をつき、深々と土下座をはじめた。
リノリウムの床に額をしつこくすり合わせ、全身を小刻みに震わせる。
 その場に沈黙が降りた。
 困惑したこゆの母が頭をあげてくださいと言っても聞かず、背中をさらし続ける。
「そうはいきませんっ! ひとつ間違えれば死なせてしまったかもしれない!」
「ソーヤはわるくないよ!」
「娘さんに万が一のことがあれば、私は……私は……」
 事実を知らない人間が相手なら、ほぼ確実に騙せていただろう。実際、こゆとまひめ
は言うに及ばず、こゆの母はオロオロとするばかりで、水鏡先生だってウソつき男をそ
うとも知らず同情的な目で見ている。
「わたし、痛くないよ」
 こゆが立ち上がって、ベッドの上をポンポンと跳ねだした。えいっとベッドから飛び
降りると、蒼弥に駆け寄り、ふにゃふにゃした小さな手を蒼弥の手の甲に重ねた。
「めかくしされても、たたかれても、ずっと、がまんしたもん」
「……煉人を、許してくれるのか?」
 こゆは煉人を見上げて、
「あとは、煉人さんのおねがいだけです」
「俺の、願い……」
 何度も迷ったあげく、ついに書くことのなかった願い。
 今、一番やりたいことなら、ある。
 こゆの背中を踏みつけたこの男に、この卑小でみすぼらしい背中に、同じことをして
やりたい。一度じゃ済まない。こんなヤツにかける情けなどないのだ。
 御伽だってコイツに仕返ししたいはずだ。その権利が彼女にはある。それだけじゃな
い、いつか明神家のクソッタレな連中にも報いてやりたい。
 煉人は込み上げてくる殺気を抑えようと、血が滲むほどに拳を固める。
「……こゆ。悪い奴に叩かれて、すごく痛かっただろ」
 健気にうなずくこゆ。
「そういう奴は刑務所に入れないといけないんだ。そして、そいつは二度と人前に出ち
ゃいけない」
「だいじょうぶ。もう来ないんでしょ?」
 煉人はそれには答えず、
「……こゆはそいつとケンカしなかった。偉いと思う。けど、俺は許さない」
「煉人さん?」
 蒼弥の背から、くぐもった笑い声が漏れた気がして、吐き気をもよおした。この男を
踏みつけてしまえば、踏みつけたいという願いは叶ったことになる。でも、それは矛盾
だ。こゆの前でそれをしてはいけない。
 だから。
「そいつが本心からこゆに謝らない限り、何の解決にもならないんだ。俺が引きずりだ
して、何としてでも謝らせてやる」
「おい、煉人。バカなことを言うんじゃない」
 蒼弥の声はとげとげしく、暗黙の敵対心をむき出しにしていた。
「高校生にもなって恥ずかしくないのか。許す許さない言える立場じゃないだろう」
「許さない」
「お前」
「許さない!」
「いい加減に――」
 蒼弥の言葉など遮断して、持ちうるすべての声量を振り絞った。
「よく聞け、こゆ! 俺の願いは必ず叶う! 叶えてみせる! お前が二度と暴力に怯
えないように!」
 呼吸がめちゃくちゃになり、息が切れる。
 蒼弥は微動だにしなかった。自分の犯した愚行を告白してくれるかもしれないと、煉
人は淡い期待を抱いてしまう。
 だが、口を切ったのはまひめだった。
「れんと、かっこいーっ! びゅーてぃふる!」
 つづいて、パチパチと拍手が沸き起こる。悲痛に沈んでいた水鏡先生がいつもの明る
い表情を取り戻し、こゆの母がほんわかした笑顔で涙目を浮かべていた。
 こゆが蒼弥を素通りして、煉人の足にぴょんと抱きついてくる。傷はまだまだ癒えて
いないのに、みんなに心配かけまいと元気いっぱいの彼女が愛おしくてならない。
「こゆ……本当にごめん。痛い思いをさせて、守ってやれなくて、本当に悪かった。全
部、俺のせいで……」
 こゆが嬉しそうな微笑みを返してきた。
 煉人は照れてしまい、こゆの頭をなでる。そうしているうちに、ついさっきまで事態
に怯え、蒼弥を憎んでいた気持ちがウソのように薄れ、力強い気持ちに満たされていく。
この時間が永久に続けばいいのにとさえ切望した。
 だけど、これで終わりじゃない。
 案の定、ひざまずいていた蒼弥が、床に長いツメを立てていた。すべての指先は青白
く変色し、ドス黒い殺気が立ち昇りそうなほどに背中がプルプルと震えている。
 蒼弥がゆらりと立ち上がる。爽やかな笑みを取り繕っているが、目が笑っていない。
「帰るぞ、まひめ」
「ソーヤ?」
「もう用は済んだ。別荘に戻るんだ」
 蒼弥の口調はあくまで優しい。
 まひめは一瞬とまどったように見えたものの、無邪気な様子でうなずいた。
 だが、
「れんともいっしょがいい!」
 まひめが大きな声で訴える。
 すると、蒼弥は苦笑した。
「だめだ」
「どーして?」
「お前が不幸になる。煉人のことは誰よりも知っているつもりだ」
「ならないよー」
「ワガママばかり言うなら、御伽だけでも連れて帰る。御伽、お前は来るよな?」
 御伽は腕を組みながら、静かに口を開いた。
「あたし、別にアンタの娘じゃねーし」
「……お前」
「違ぇのか?」
「……まぁいい、すぐに頭を冷やすさ」
 蒼弥がイラついた様子で踵を返し、扉に向かって歩き出した。
「すぐに、な……」
 横切られる瞬間、視界の片隅で蒼弥の不気味な笑みが浮かびあがる。また針で刺され
るのではないかと、煉人は反射的に身体をこわばらせるが、危害を加えられることはな
かった。
 振り返って、病室から去っていく蒼弥の後姿を神妙な顔で見届ける。どんな報復を目
論んでいるのだろうかと想像し、ごくりと息を飲みこんだ。


【終章 ほんとうの願い】

 終業式の日がやってきた。
 登校時間はとっくに過ぎているのに、煉人はマイペースな足取りで、木漏れ日の射し
こむ玄関のゲタ箱から内履きを取り出した。
 明日は夏休みにして、こゆがめでたく退院する日でもある。保育園にはお盆を除いて
夏季休暇がなく、ベビーシッターのバイトはその間も勤めてほしいと、こゆの両親から
頼まれていた。
 クビになると思っていたのに、あの親子は自分を指名した。汚名を返上できる自信な
どあるはずもなく、逆に更なるトラブルを招いてしまうかもしれない。
「なぁ、まひ……あ、そっか」
 まひめは、煉人の自室に待機中。灰原蒼弥が付け狙ってくる可能性は充分に想定でき
たが、その時は問答無用で叩き潰すまでだ。
 覚悟はできている。
 気合のこもった目つきで廊下を歩いていると、体育館に向かっている生徒達と鉢合わ
せになる。
「びくっ」
 一斉に擬音が発せられた。
 ああ、こいつらは未だに勘違いしてるんだっけ。どーすっかなぁ……。
 ま、どうでもいっかと、淡々と生徒達の合間を縫って教室に向かおうとすると、制服
をだらしなく着た数人が向かってくる。ガラの悪いドレッドの取り巻き三人衆が、煉人
を包囲した。
 下卑た笑みを浮かべる連中に、恐怖はない。わざわざ大勢の前で恐喝ってことは、コ
ソコソしたユスり行為から次の段階にシフトしたってことか。
「よぉ、灰原組長よぉ。俺らにもおこぼれくれよ」
「おこぼれ?」
 テメェ、トボけてんじゃねぇよ、と怒鳴られ胸倉をつかまれる。
「いるんだろぉ? テメェの背後にヤベぇのがぁ?」
 煉人は三人衆の背後に目を配る。
 そして、プッと吹いた。
「いや、お前等の背後だと思うんだが」
「あぁん? 死にてぇだと? だったらお望み通、ぐぼぉっ!?」
 突如、ストライクゥゥゥ! と絶叫がこだまし、連中の一人がよだれと鼻水を垂れ流
しながら盛大にブッ飛んでいく。
 ぐるぐる大回転する大木槌。操り主である明神御伽の奇襲に、誰もが目を疑ったに違
いない。
「誰がヤベぇだって? このクソ共!」
「……御伽?」
 弛みなく大木槌を振りかざす御伽。
「ったく、こんなザコ共相手にやられてんじゃねーよ、このタコ!」
 御伽の憎まれ口に、煉人は弱々しく笑みを浮かべる。
「いや、助けてくれたのはありがたいんだが……」
 煉人の礼を無視して、御伽がうろたえている残りの連中を一べつ、失笑する。
「総員戦意ゼロだが、いいか?」
「え?」
「いいかって聞いてんだよ! とっとと答えろ!」
「……」
 煉人が答える前に、三人とも悲鳴をあげて退散していく。まさか、こんな小柄な女の
子が背後にいたなんて予想もできなかったに違いない。
「次はどいつだ!」
「も、もういいって!」
 暴れまわる御伽を、煉人は必死で制止する。
「それより、まひめはどうしたっ?」
「まだいるんだろーが! ケンカふっかけてくる奴は! 先に片付けてやる!」
「いねーよ!」
「じゃあ、ぶっ殺してやるっ!」
「ちょっ、どーしたんだよ、お前っ!」
「離せ! アイツはどこだっ!」
「アイツ?」
「灰原蒼弥! さっきお前の部屋に来やがったっ!」
「えっ……?」
 御伽が煉人を引き剥がし、向き直って、大木槌を突きつける。
「貴様がトーストかじって飛び出してすぐ後だ。煉人はどこにいるんだ。ちゃんと会っ
て話がしたい……こっちがしてやる話なんてあるかよ!」
「部屋に……いるのか?」
「連れ去られたっ!」
「待てよ、それって……」
 御伽が全身を震わせる。
「奴は言っていた。煉人が許してくれないなら、今度こそ何も知らないまひめにすべて
を暴露してアタシやこゆと同じ目にあわせてやる。二度と反抗できなくなるまで!」
「アイツ、そんなこと……」
 ……やっぱり、和解なんて無理なんじゃないか。
 こゆや煉人が許しても、アイツが悔い改めることなどありうるだろうか。少しでも隙
を見せたら殺されるんじゃないだろうか。もう、謝罪の言葉なんて期待できないんじゃ
ないか。
 御伽は歯軋りしたまま、話し続ける。
「アタシ、何もしなかった。蒼弥をボコボコにしたいって何度も想像したのに、実行に
移さなかった」
 御伽の掠れる声。何かを必死で堪えているようだった。
「あんな男、一撃で潰せたのに、指一本触れられねぇんだ。アイツがあたしを実験で攻
撃する時、全部まひめのせいにするんだ。なのに、まひめの前じゃ、ニコニコする……」
「……」
「何も知らないまひめが……正直、憎かった。いなくなればいいって何度も思った。で
も……なんつーか、まひめと蒼弥が仲良くしてるの見てると、なんかホッとしたんだ。
その……」
 煉人は御伽の肩にそっと手をかけた。
「辛かっただろ」
「……何だよ、急に」
「黙っているの、辛かっただろ? 騙されていて、辛かっただろ?」
「そ、そりゃ……」
「んな下らねぇもん、とっとと終わらせようぜ」
「……」
 御伽の握り締めていた大木槌が、床に落ちる。
「なーに、しょげてんだよ。まひめに失礼じゃねぇか」
「え?」
「ずっとまひめを守ってたお前がへこむ理由なんか、どこにあるってんだ」
「……別に守れてなんて、ねぇし」
「いいや、お前は俺と違う。だから、へこむべきは俺だ。それ以前の問題として、頑張
らなきゃいけないのも、俺だ」
「まひめを……助けに行くのか?」
「当然の帰結じゃねぇか」
「……無理に決まってるだろ。だって相手(ソーヤ)は、お前の――」
「分かってるって。だからこそ行くんだろうが」
「お前、何言って……」
「ん? だって相手(まひめ)は、俺の……そう、脳内設定持ってるお前なら、理解で
きないはずがねぇ。だろ?」
「灰原……」
 煉人が握った拳を御伽に示し、強気に笑みを浮かべる。
「何だよ、お前が言ったんだぜ? 自分から何もしなけりゃ絶対に何も叶わないって。
相手が鬼なら、腹の中! そいつが凶器を振るうなら、一枚の紙切れで切り返す! こ
の弱い俺にケンカ売って、ただで済むと思ったら……大きすぎる間違いだぜっ!!」
 もう、逃げられない。
 もう、負けられない。
 だって、こゆと約束したんだ。
 絶対に、願いを叶えるって――
「ふん……アイツから、これ」
 御伽がポケットから一枚の便箋を取り出し、煉人に手渡してきた。
「これは……」
 煉人は不穏な気持ちになり、便箋をかっさらって破り捨てると、文字のびっしり詰ま
った中身に目を通す。
 煉人へ――こゆちゃんには悪いと思ってる、と始まる一連の文章は読むに耐えないも
のだった。灰原蒼弥が煉人を置き去りにしてから、まひめとの出会いについて、その詳
細が延々と書かれていたが、エゴをごまかすための言い訳にしか感じられなかった。
 それでも読み進める。今度は自分をないがしろにした明神家への不平不満に、すべて
を失った今の自分自身への泣き言。もうまひめしか縋れる存在はない、という悲哀めい
た意味の一文。
 最後の一行には、こう書かれていた。
『 今夜九時、天橋神社へ 』
 煉人は手紙を握りつぶし丸めると、暗い表情の御伽に目配せする。彼女に心配をかけ
たくなくて、明るい表情をとりつくろう。
「でも意外だよな、お前って」
「え?」
「まひめいねぇと、チキン」
「だっ、誰がチキンだ、このクサレ妖怪っ!」
「よし! それでこそお前!」
 煉人の笑い声に、御伽がハッとして口をおさえた。頬がみるみる赤くなり、瞳孔が広
がり、細い眉がつりあがる。だが、単純に怒っているのとは違って見える。
 御伽はちいさな顔と身体をそむけると、身軽な挙動でそばの教室に飛び込んでいった。
「なんだよ、変な奴」
 そういえば……引っかかることは他にもあった。でも、それが具体的に何なのか言語
化できない。
 がらんとした廊下に取り残された煉人は、不安とも違う妙な胸騒ぎを覚えて、時間が
経っても気持ちが落ち着かないまま、夜が来るのを待った。

 満月の夜だった。
 点灯中のだだっ広い体育館でバスケットボールが小気味よく弾む。
 御伽がシュートしたボールがゴールリングに弾かれ、煉人の頭に見事ぶつかった。
「試合終了!」
 御伽のガッツポーズをスルーして、あぐらを掻きながら煉人は考え込む。もし、まひ
めを取り返したとして、自分は彼女とどう接したらいいのだろうか、と。さっきは御伽
を励ますような発言をしてしまったものの、いざとなると踏ん切りがつかない。蒼弥の
本性に気づいてしまったまひめが、息子である自分を受け入れてくれるだろうか。
「おらおら、ボケッとしてんじゃねぇよ!」
「御伽。俺、わかんねぇんだ」
「脳ミソでも溶けたのか?」
「違ぇよ。まひめのこと、俺はどう思ってるんだろうって」
「欲情!」
「バカ! そうじゃねぇ。そうじゃなくて……」
「何が言いてぇ?」
「やっぱ、資格がないんじゃないかって。俺なんかが……えっ!?」
 突如、御伽が煉人の顔面めがけて直線で鋭い蹴りを繰りだし、風圧で髪がなびいた。
まっすぐのびた御伽の軸足が煉人をスレスレで横切り、壁にピッタリと接触する。髪の
毛の数本が床にハラリと落ちた。
「貴様、今になって怖気づきやがったのか?」
「違ぇよ。俺は、まひめが……」
「だったらヘタレてんじゃねぇよ」
「自信がねぇんだ」
「自信だぁ?」
「悪用しちまうかもしれないって。俺、なんだかんだでまひめのこと――」
「バカ。本当にそうなら、まひめは貴様の名など呼ばねぇよ」
「呼ぶ?」
「損得抜きで接してくれたのは、あたしとお前だけだったって。クソ親父じゃなくて、
煉人と会えてよかったって。そう言ってたんだよ、このバカ!」
「俺と?」
「何も応えられねぇヤツに、あたしだって助けを求めたりしねぇんだ……ちっ」
 御伽が複雑な感じの表情で、そっぽを向く。
「……御伽?」
 その時、煉人の携帯が鳴り響いた。
 通話ボタンを押す。
『傘、欲しいか?』
 蒼弥の声でたしかにそう聞こえた。
 直後、体育館の窓ガラスがガタガタと軋みだし、風が吹き荒みだした。雨がパラパラ
と降りだして窓を濡らしたか思うと、突然、激しいどしゃぶりの音が建物全体を覆い始
めた。
 蒼弥が爆ぜたように笑う。
『今日は快晴だったのにな~、父さん、濡れたくなくてまひめから傘借りちゃった。台
風も来ちまうらしいぜ』
「煉人、あたしに代われ!」
『ん? 御伽もいたのか? 見ろよこの豪雨。すごいだろう。出来の悪い実験体をクッ
ションにしてたら、こうはいかない。なんせ、うちでのこづちから『真の』打ち出の小
槌を取り出せたのだから』
「まさか、まひめを……攻撃したのか?」
 蒼弥は凝りもせず、酔っ払っているようだった。飢えた肉食獣のような吐息を小刻み
に漏らしている。
『仕方ないだろ~。父さん、もう貧乏は御免なんだ。お前に父さんの気持ちが理解でき
るのか?』
「できるわけねぇだろ!」
『じゃあ、理解してもらうしかないよな。まひめの力がどれだけのものか。お前に超強
くなった父さんを直に見て欲しいんだ。そう、これ以上ないパワーを手にいれちゃった
父さん……いや、このオレの力をな!』
 ビキッ……、ビキッ……、
 さっきまでの豪雨が一瞬でみぞれに姿を変え、散弾のように降りそそぐ。窓ガラスが
デタラメに打ち叩かれ、一粒一粒のありえない大きさに震撼する。体育館全体を支配す
る激音。暗い夜空に強烈な光の柱が一瞬ほとばしると、彼方から無数の雷鳴が轟いた。
「なんだよ、これ!」
『次は炎でも降らせようか。それともダイナマイトがいいかな?』
「やめろ!」
『やめて欲しかったら、オレに恥をかかせたことを、謝罪するんだ』
「……今、そっちに行くっ!」
 煉人は携帯を切って、脇目も振らずに外に駆け出した。
 普段ならにわか雨だと高をくくっていた悪天候の中を、神社目指して走り続ける。三
十秒もしないうちにこれは雨ではないと確信する。
 天災だ。
 この地球上のどこからこれだけの水量が集まってくるのか、煉人の視界は既にあやふ
やになっていた。全身はびしょ濡れになり、水位はひざの高さにまで及んでいた。雷の
音がすぐ近くで響き、鼓膜が破れそうになる。
 煉人は、それでも前に向かって走り続けた。

 雨の勢いが弱まった。
 打ち出の小槌の効果が切れたのか、蒼弥が気候をコントロールしたのか、分厚い雲の
すき間から満月が姿を覗かせた。
 それでも雨は降り続け、辺りを見渡せば停電状態の人家ばかりが目立つ。それが復旧
するかどうかは蒼弥の一心にかかっている。
 煉人は限界まで走るスピードをあげた。
 目的地はすぐそこだ。
 天橋神社の前までたどりついた煉人は、水に浸されたまっすぐ延びる石畳を走り過ぎ、
見下ろすように高くそびえる鳥居と対峙する。
 蒼弥がこの先で待ち受けている。ひとまず気を静め、息を飲むと、目の前の石段を一
歩ずつ踏みしめた。
 まひめと最初に出会った神社。もし自分が怠惰でなければ、アカの他人でしかない彼
女に迷惑をかけられずに済んだだろうか。多分そうだ。
 なんて困った子だろう。
 面倒な子なんだろう。
 こゆみたいな子だったら、よかったのに。
 これからもずっと俺を困らせるつもりかよ? いい加減にしろって。
 ばか。
 今、迎えに行くからな。
 煉人は濡れた髪を激しく振って、洪水の流れ来る石段をがむしゃらに駆け抜ける。
 鳥居を抜け、奥の社に蒼弥の姿を認める。賽銭箱の上に尻をつき、開かれた真っ黒な
傘を肩にかけながら、暗い空をじっと見つめている。
「テメェ……!」
 蒼弥に近付くと、彼はゆっくりと腕時計に視線を落とした。
「お前にしては、ずいぶん早かったな。てっきり遅刻するかと思ったんだが」
「まひめはどこだっ!」
「まぁ、落ち着け」
「ざけんなっ!」
「落ち着け、と言っている」
 蒼弥が腕を水平に振り、煉人の鼻先に小槌を突きつける。
 奇妙な造形の小槌だった。大きさは拳大でしかないが、蛇のような飛竜が流麗に彫刻
され、透明色と漆黒の宝石が埋め込まれている。
「分からないのか? お前に主導権はないんだ。まひめを返して欲しいなら、今ここで
土下座して命を乞うべきだ」
「うるせぇ! とっととまひめを返せ!」
 蒼弥は口の端を歪め、やれやれと首を振った。
「口の聞き方がなってないぞ。そんなに死にたいのか?」
「……話にならねぇ!」
「それはオレとお前の力量差のことか? それとも、まひめとこの小槌の力量差のこと
かな? オレだって極力手荒なマネはしたくなかったんだぜ?」
「その小槌……まさか……」
「泣いて暴れたのはあの小娘の方だ。お前の名前ばかり呼ぶから、ちょっとな」
「テメェ!」
「最後まで話を聞け。オレがまひめをナイフで刺し殺したなんて一言も言ってないじゃ
ないか。この兵器を取り出すのに、一苦労して貰っただけさ。お陰でまひめの持ってい
る特殊エネルギーはごっそりとコイツに移植されて、万々歳というわけだ。お前の出方
次第じゃ、抜け殻となったまひめの方は返してやってもいいんだぜ?」
 この時、既に煉人は蒼弥の襟首につかみかかっていた。
 だが、小指の短冊が目に入り、攻撃するのをためらってしまう。
「どうした、殴ればいい。十倍、いや百倍にして返してやる」
「くそっ……」
 煉人が短冊に刻んだ『灰原蒼弥がこゆに心から詫びますように』の一文は、雨でイン
クが滲んでしまっている。それでも、まだ読み取れるのだ。
 攻撃してこない煉人を、蒼弥が乱雑に突き放した。
 煉人は社の外側に弾かれて、弱々しく尻餅をつく。
「ふん、哀れだな」
「……こゆに謝れよ」
 煉人の言葉を、蒼弥が笑い飛ばす。
「笑止千万だな。謝罪もクソもないだろ。オレの本物の力を前に、下らない要求をかざ
してくるなよ……この愚か者っ!」
「何が……何が本物の力だ。笑わせるな」
「何だと?」
 煉人は立ち上がった。
「何もかも小槌(ソイツ)頼みじゃねぇか!」
「オレは父親だぞ。口の聞き方に気をつけるんだ」
「アンタをブチのめして、二度とこゆ達の前に姿を現さないと誓わせてやる!」
「どうやって? さぁ、どうやるんだよ?」
「お前なんか……お前なんかっ……!」
 煉人は歯を食いしばって、蒼弥を睨みつける。
「ふっ、笑わせているのはお前の方じゃないか。すぐに逆らえなくしてやるよ」
 蒼弥が小槌を大上段に振りかざし、大声で叫んだ。
「さぁ、うちでのこづち! この甘ったれたガキを縮めたまえ!」
 小槌が輝きだして、煉人の全身にけいれんが起こりはじめた。
 蒼弥の姿がどんどん大きくなっていくように見えるのは、こっちが小さくなっている
からだ。六十センチ、四十センチ、二十センチ……。
 煉人はすぐに危険を感じる。これ以上、小さくさせられたら地を覆う雨水に頭まで浸
かってしまう。
「どうだ、すごいだろう? 溺れたいか? それとも踏みつぶしが好みか?」
「くそっ!」
 激しい水流に叩きつける雨。
 煉人の身体はわずか三センチまで縮み、蒼弥の足元に辿り着くまでの距離が果てしな
く長く思える。流れに逆らって泳ぐどころか、身動きさえままならず、どろで汚れた雨
水をたっぷり飲み込んでしまう。
「なんだ? 何をホザいているのか、まったく聞こえんぞ」
「がぼっ……ぐぱっ……」
「助けて欲しいのか? 嫌だね。オレに謝罪して、二度とたてつかないと誓うんだ!」
「誰が誓うかっ……」
 蒼弥を見上げ、ありったけの眼力を込めて睨みつけると、何かが飛んできた。
 げっ! 唾だ!
 バカにしやがって! 煉人はあえて流れに身をまかせ、唾の直撃を避けた。
 蒼弥が足を上げ、向かってくる。大槌を持った巨人の進攻。流される煉人との距離は
一瞬で狭まり、蒼弥の革靴の濡れた足裏がありありと見渡せた。
 真っ黒な影に覆われる。
「まさか、父子だから殺さないと思ってるとか? 勘違いするなよ。上っ面の関係など
オレには何の意味も持たない!」
「そんなの……! まひめだって……!」
 俺だってお前なんかっ!
 精一杯、叫んだ。蒼弥に届いただろうか。
「ああ、そうさ。まひめはただ単に拾っただけのガキに過ぎないっ!」
「何とも思ってねぇのかよ……!」
「まさか。まひめはお前とは違う。全然違う。オレが今までの腐れ人生で出会った女の
なかで! まひめとの出会いは唯一、いや、二番目に光明を感じたものだった! なぜ
か分かるか? お前には分からないだろう!」
「なら、何で殺したっ!」
「人聞きの悪いことを言うな。とある場所に監禁してやっただけさ。ま、目を隠し、手
足の自由を奪ってやれば、お前がまひめを助け出すことなど不可能なのだが」
「まだ生きてるんだな?」
「他人の心配より、自分の心配をすることだ」
 蒼弥の足がゆっくり落下する。
 逃げ道がない。何かいい方法はないのか。
 あっ!
 流水の底に、石畳の一部が欠けて出来た大きめの隙間を発見する。
 すかさず駆け込み、隙間に潜り込んで、鼻をつまみながら身を屈める。
 蒼弥の足が、チャプンと石畳を踏みつけた。
 よし、助かった。
 煉人は息をひそめて、蒼弥の足が退くのを待つ。
 だが、一向に動き出す気配がない。
「甘いな、煉人」
 え?
「お前の浅知恵など、お見通しだ」
 ちょっ、ヤバイ!
 溺れ死ぬっ!
「ま、お前らしい死に方ではあるがなぁ!」
 蒼弥の爆笑に、戦慄と絶望を覚える。もう助かる見込みはないのだ。
 ムダな抵抗を承知で、靴底を力づくで持ち上げようとする。当然のごとく、びくとも
しない。
 息が苦しい。肺にたまった空気を全部吐き出してしまう。
 意識がもうろうとする。
 もう、ダメだ……と諦めかけた、その時だった。
 真っ暗闇だった視界に、満月の光が差し込んだ。
 煉人の身体が捕縛され、水の底から引き上げられる。
 大きな手に包まれているのだと知り、その手が誰のものなのか、一瞬で分かった。
「何ボケッとしてんだ、妖怪」
 御伽を向くと、彼女の呆れた顔が目に入る。
「握り潰していいか?」
「ダメダメダメっ!」
「じゃあ、潰すぜ」
「お、おいっ!」
「冗談だ、ボケ」
 御伽が小さい煉人をポイと放り投げた。
 煉人は彼女の肩に着地、黒ドレスのフリル部分に必死でしがみつく。すこしバランス
を崩せば、簡単に落ちてしまいそうだ。
 蒼弥が血の滲んだ口を拭いながら、不愉快そうな表情を向けてきた。
「いきなり殴ってくるなんてひどいじゃないか。モルモットお嬢様」
「黙れ、サンドバッグ野郎」
「なんだ、まだつまらない過去を気にしてたのか? お前が憎むべきはオレではなく、
お前の親族だと何度も釘を刺したはずだが?」
「ああ、そうだな。ってことは、テメェが憎むべきはあたしじゃなくて、コイツってこ
とになるから、いくらボコボコにしてもあたしは無罪だ。ざまぁみろ!」
 御伽に指をさされ、煉人はたじろぐ。
 蒼弥は顔色ひとつ変えず、クスリと笑った。
「煉人なんかに肩入れするとは……いや、出来損ない同士、お似合いか」
 御伽が持ち上げた大木槌を蒼弥に突きつける。
「肩入れ? 誰がするかそんなもん。今度はこっちが実験してやる番だ! テメェの腐
った肉体でなっ!」
 瞬間、御伽が蒼弥に向かって、突進しだした。
 振り落とされないようにしがみつくだけで精一杯の煉人。
 蒼弥が小槌を夜空に掲げる。スキだらけになった相手の腹めがけて、大木槌が繰り出
される。
「うちでのこづ――」
「遅ぇ!」
 御伽の放った渾身の一撃が見事に命中。
 蒼弥は激しく吹き飛ばされ、賽銭箱に頭を思いっきり打つと、そのまま気絶した。手
にしていた小槌が蒼弥の足元に転がる。
 よし。これで元の大きさに戻れる。
 煉人は、御伽の耳元で小槌を拾ってくれと囁いた。
 だが、御伽の様子がおかしい。
「いねぇ……」
「え?」
「アタシが攻撃しても、ヤツの身体からまひめが出てこない」
「そりゃ、そうだろ」
 御伽が首を横に振る。
「違う……『何も』出てこねぇんだ」
「あ……ってことは……」
 つまり、蒼弥の体内に囚われていない? まひめは、どこか別の場所に監禁されてい
るのか?
 低くこもった笑い声が聞こえた。蒼弥が目を覚ましたのだ。
「……言ったじゃないか。まひめが抜け出るなど不可能だと。今後ずっとお前達の前に
姿を出すことはない。無駄足だったな」
「まひめはどこだっ!」
 蒼弥は賽銭箱を支えに、ゆらりと立ち上がる。
 その口から呪詛のような声が漏れた。
「どこだ、だって? 人に暴力を振っておいて、どこだ、だって? あーっはっはっは
はっは! そうやって不満があれば、お前達はすぐに泣き喚く! すぐキレる! ダダ
を捏ねれば自分の思った通りにコトが運ぶと思い上がってやがる! お前等のような
バカなガキがいるから、周囲の大人はムダな苦汁を舐めねばならんのだっ!」
 蒼弥がひきつった笑みを浮かべながら小槌を踏みつけると、今度は暴風が一帯に巻き
起こりだした。
「親に牙向く幼稚なお前達や金の亡者にまひめを渡して、不幸になるのはまひめなんだ
っ! いや、この世の中全体なんだっ! いいか、もう一度言う! オレに土下座をし
ろ! 自分達にまひめを所有する資格がないと認めろっ! まひめを管理していいの
はこのオレだけだっ!」
 蒼弥の咆哮と共振するように風力が強まる。
 あまりの猛威にあらがえず、吹き飛ばされそうになる煉人。その時、御伽の手が煉人
をつかんで、ドレスの胸ポケットにしまいこんだ。
「……あ、ありがと」
「触ったら、潰す」
「絶対に触らない」
「どういう意味だっ!」
 蒼弥が汚れた小槌を足の甲でかっさらって宙に浮かせると、掌にひょいと収めた。
「煉人、とっとと父さんに謝れよ。そうすれば、酒池肉林のひとつやふたつくれてやっ
たっていいんだぜ? 今までのことは水に流そう」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」
「御伽、そんな虫ケラ小僧なんて握り潰して、俺の従者にならないか? 今までのこと
は思い出のアルバムにでもしまっておこうじゃないか」
「とっとと死ね!」
 中指を立てる御伽。
 蒼弥は呆れた風に肩をすくめた。
「まひめ、お前はどうだ? 聞こえてるんだろ? バカな二人は力を失ったお前なんか
助けても仕方ないから帰るってさ。ひどいよな」
『テメェ!』
 煉人と御伽の叫びが重なる。
 一瞬、蒼弥が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……そうか。そんなに父さんから抜けたいか。これだから駄々っ子は!」
 まひめの声は蒼弥という壁に隔てられて聞こえないはずなのに、彼女の意志が手に取
るように分かる気がした。
 間違いない。
 まひめは蒼弥の腹中に沈められている。
 どうしたら救えるんだろう。蒼弥は、まひめの目を隠し、手足の自由を奪ったと言っ
た。自力で脱出ができないんだ。じゃあ、要求された通りに謝るしかないのか? 
「なぁ、御伽」
「……何だよ」
 御伽の声は小さかった。
「どうしたらいい?」
「……ヤツの持っている打ち出の小槌。多分アレが……ほら、さっきぶっ飛ばしても、
ヤツから何にも出なかっただろ? アタシの時もたまにそういうことあった」
「どういうこった?」
「まひめが死ぬほど疲れた時、効力が異様に薄くなる。いくら試しても何もでない時に
は回復するのを待つしかねぇんだ」
「じゃあ……」
「今は無理だ……と言いてぇけど、もう一つ方法がある。こっちの問題だ。アタリが出
るかどうかは、こっちの欲望の強さと集中力……あと運に左右される。あたしは確認し
たことねぇけど……もっと強く願って、渾身の力を込めて叩けば……」
「……あっ」
 そうだ。
 まひめのことを強く思い浮かべればいいのか!
「オレに隠れて、何を相談しているんだ?」
 蒼弥がゆっくりと近づき、煉人は身構える。
「……やるんだな?」
「ああ、貴様は黙って見てろ」
 煉人は決意を固め、うなずく。
 でも、ただ黙って見ているつもりなどない。
 御伽が攻撃の構えを示し、ごくりと息を飲んだ。
「うぉおおおおおおぉぉっ!」
 突撃。
 大木槌が猛威を振るい、無防備の蒼弥に襲いかかる。
「無駄だ、バカ娘。うちでのこづちよ、俺を守護するん――」
 突如、凄まじい爆裂音がして、衝撃を受けた御伽の身体が地面を四回跳ねると、あお
むけに転がった。大木槌は粉々に粉砕され、もがれたグリップ部分の先端が真っ黒に焦
げて、煙をあげていた。
「おい、御伽っ! 御伽っ!」
 御伽から返事はなかった。煉人が何度呼びかけても、煤だらけで口から血を流してい
る彼女の身体は降りしきる雨に打たれ続けたままだった。
「起きろって!」
「何をブツブツさえずっている。次は煉人、お前の番だ」
 蒼弥が煉人に近付いてくる。
 くそっ、どうすれば……。
「おい、貴様。聞こえるか……」
「……御伽」
 良かった。死んでなかった。
「よく聞け。さっきあたしが攻撃した相手は誰だと思う?」
「え? そりゃ蒼弥に……」
「バカ。あたしが狙ったのは、あの小槌の方だ。蒼弥よりも早く願ってブッ叩けば、当
然、あたしの願いが優先される……つまり、小槌と相殺できるだけの攻撃力を『アタシ
の木槌に』与えたまえだ。あのバカ、自分の願いが叶ったと勘違いしてやがる」
「あっ……」
「もっとも、アタシだって爆発するとは思ってなかったがな」
 御伽が弱々しい笑みを浮かべた。
 蒼弥の小槌をよくよく見ると、小さくはない亀裂がくっきりと入っていた。もう一度
同じくらいのダメージを与えれば破壊できそうだった。
「御伽、俺は……」
「あとは任せた。アタシ、もうダメ……」
「御伽っ!」
 御伽はもう返事をしなくなった。
「往生際が悪いぞっ!」
 蒼弥が煉人を軽くつまみ、御伽から引き離すと、細めた目でまじまじと観察する。
「煉人、お前は有害な存在だな。とことんダメな奴だ」
 五本の指が小さな身体をじっくりと捻りだす。
 煉人の喉から悲鳴とも絶叫ともつかない濁音が搾り出された。
「母さんのかわりに、お前が死ねばよかったんだ!」
「母さん……? 誰だよ、それ……」
「ああ、お前は顔さえも知らなかったか……そうか、はは……あっははははっ! こり
ゃあ、いい!」
 蒼弥が歯軋りしながら、小槌の表面を煉人に押しつけてきた。手加減のない圧力をじ
わじわと、そして容赦なく加えられ、煉人に死の恐怖が訪れる。
 胸が、腰が、腕が、耐え切れないっ!
「まひめぇぇぇぇぇっ!」
 ほとばしる痛みに煉人の全身がカァッと熱くなる。
 潰されかける両腕よりも先に口が動いた。
「うちでのこづちよ、うちでのこづち!」
「バカが! お前の願いなど、どう足掻こうが――」
 蒼弥の嘲笑など吹き飛ばして、煉人が小槌をポカポカと叩く。何も届かないのを承知
で、大声を張り上げた。
「叶う! 叶える! こゆと約束したんだ! この裏切り者! 勝手に家出して、勝手
に戻ってくるな! 恥知らず! お前なんか……お前なんかっ……!」
 小槌の重圧が倍加する。煉人の口から血が噴き出た。
「お前に抵抗しなかったこゆの気持ちがわかるか! ずっと耐えてた御伽の気持ちが
わかるか! まひめがどうしてそんなテメェを慕ってたかわかるか? テメェが誰よ
りもちっぽけで弱ぇからだ!」
「言わせておけばっ……!」
 全身の骨の軋む音。気絶しそうになるのを、気力と集中力で耐え切る。
「俺は、負けないっ……!」
「そうホザいて、勝ったヤツはいないっ!」
「ぎゃああああっ!!」
「ふん、どうした。威勢がいいのは最初だけか? 恨むだけ恨んで気が済んだかっ!」
「まひめぇ……」
「せめての慈悲だ……ひと思いに、逝け」
 今度こそ、もうだめだ。
 まひめ、ごめん。
 御伽、ごめん。
 こゆ、ごめん。
 さようなら――
 その時だった。
「ぐあっ!」
 蒼弥が短い悲鳴をあげたと同時に、煉人を支配していた息苦しさが失せ、開放感に包
まれる。蒼弥の胸から延びてきた白くて細い手が小槌を払い落とし、蒼弥の手首をがっ
しりとつかんだ。
「まひめ……?」
 蒼弥の体内から、まひめが姿を現す。全身をあらわにし、足のつま先を地につけたま
ひめは、それでも蒼弥の手首を離さない。
 まひめの掌が煉人の目の前に差し出された。
 こっちに来いという合図だと悟って、蒼弥の手からまひめの掌に移動する。
 まひめが上半身を素早く屈め、蒼弥の腕をぐっと引っ張り、一本背負いで背中に引き
寄せた瞬間、大の男が軽々と投げ飛ばされる。
 ボギィ、と骨の折れる音がした。
 背を強打した蒼弥が激痛に絶叫する。
「ぐぁぁっ……お、お前……何を……」
 まひめは何も答えなかった。長い前髪が雨に濡れ、顔の半分が隠れている。
 まひめは割れた小槌を拾い上げ、それを軽く振る。煉人の身体があっという間に元の
大きさに戻った。
「く、くそっ……! 返せ、それはオレのものだっ……!」
 蒼弥の命令に、まひめは静かにかぶりを振った。
「まひめは……わからないです」
「わかるもクソもないっ! お前は大人しく引っ込んでろっ!」
 激痛に顔を歪め、蒼弥が命じる。
「どうして、けんかをするのか、わかりません」
「……だったら、教えてやる。すべての元凶はお前だ! だからオレがコントロールし
なければならない。こいつらは駄目なヤツなんだ。あまりに弱すぎて、自分の身すら守
れない。まひめを都合よく悪用しようとしているだけなんだっ!」
「れんとは、助けてほしいとまひめに言いました」
 抑揚のない声が、響く。
「そりゃ、そうさ! 騙そうとしているんだからなっ! そこで倒れている明神の小娘
だって、お前を恨んでいるんだっ!」
「……」
「本来ならモルモットになるべきだったのは、お前なのだからな!」
「おとぎ……」
 蒼弥が折れた腕を庇いつつ、体勢を整える。まひめの一撃が堪えたのだろうか、息を
荒げる口から血を流し、満身創痍な様子で足腰に力を込めていた。
「役立たずの疫病神め……! 分かったら、さっさとソイツを返せっ!」
「ソーヤがほんとに欲しかったもの、与えられなかった。まひめ、わるいこ」
「何を言っている?」
「ソーヤが欲しいものは、もっと違うもの。正直に、言ってほしいよ」
「何をホザくかと思えば……!」
 蒼弥が狂ったように笑い出した。これだけ好き勝手やっておいて、まだ満たされない
というのか!
 煉人が弾かれたように蒼弥の胸倉をつかんだ。
 よろめく蒼弥に持てる力のすべてを込めて、拳を振りあげる。
「なんだ、今度はお前か。いいぜ、やってみろよ」
「やってやるよ……!」
 ためらうことなく振り下ろせばいい。もう謝罪なんてしてくれなくたっていい。
 コイツを。コイツをっ!
 小指の短冊を強く握りしめる。
 ほんとうの願いを叶えるために。
 今、ここで、禁忌を……!
 蒼弥が変な咳をしながら、頬を緩める。その拍子に身体のバランスを崩し、膝から崩
れ落ちた。
「やれよ。オレが憎いなら全力で叩き潰せばいい。まひめを奪えばいい。奪って、オレ
と同じようにモルモットにすればいい。お前のことだ、すぐに病みつきになるさ」
 煉人は答えない。
「父親だと思う必要はない。これでハッキリしたじゃないか、オレはまひめにもお前に
も愛着などないんだ」
「……」
「なぜやらない? 仇を討つんじゃないのか」
「……」
 どうしてなのか自分でもわからなかった。こんなどうしようもない男を許せる要素な
ど、どこにもないはずなのに、どうしても殴れない。
 こゆを失望させるから……そうじゃない気がした。今ここで目の前の男を殴ってしま
えば、彼の宣告が現実になってしまうからだと思う。
 そんなの、嫌だ。
「……悪かった」
「何?」
「俺は……アンタに恨みを持った人間をそそのかした。それはいけないことだ。どんな
理由があっても。だから謝る」
 煉人は拳をさげて、うつむいた。
「何の罠だ」
「罠じゃない。俺はアンタにそんなことする資格はなかった。そんなことに、まひめの
力を利用しちゃいけなかったんだ」
「本気で言っているのか?」
 煉人は静かにうなずいた。
「だから、ごめん」
 蒼弥は、驚きとも怒りともつかない表情を浮かべていた。
 だが、すぐに緊迫した顔に戻り、
「ふざけるなよ……! だったら返せ、その小槌だけはっ!」
「それはできない」
「やはりか! やはり、お前はオレに罪悪感など持てないと言うわけだな!」
「そうじゃない!」
「ならば、よこせ! 抜け殻だけはくれてやる!」
「まひめは抜け殻なんかじゃない! 本当に抜け殻だったら、アンタは最初からそうし
ていた! 違うかよっ!」
 蒼弥が一瞬、眉をピクリと動かした。
「なっ……何を……! 薄汚いだけのガキにオレが思い入れるわけなかろう!」
「ウソついてんじゃねぇよ! 俺には記憶がねぇんだ。よくしてもらった記憶が一個も
ねぇんだ! でも、まひめは違うじゃねぇか! 誰も好きになれない奴に上っ面の態度
で騙されてヘラヘラしてられるほど、子供は……バカじゃない!」
「……」
 ずっと分からなかった。どうして、この男が自分の前から姿を消したのか。人でなし
には違いないのに、どこか人間臭くて、弱かった。
 やっぱり、まひめのことを――
「れんと……」
 まひめが手にしている小槌をじっと見つめていた。何かを思いつめた様子で、煉人に
視線を向け、口を開く。
「まひめも、あやまります。みんなにめいわく、かけた」
「……」
「よくしてもらったのに、めいわくかけた。まひめがいると、みんながかなしい。まひ
めがいないと、みんながしあわせ」
「何言ってんだよ! 俺も御伽もそんなこと思っちゃいねぇよ!」
 まひめは寂しそうに、にっこり微笑む。
「かばってくれて、うれしいです」
「そんなの当然だろ!? 痛いとかうるさいとか、そんなことでお前を見捨てたりなん
かしねぇよ! できるわけねぇだろっ!」
「まひめは、うちえのこゆち」
「そんなの関係あるかよっ! 俺はお前のことが……」
 お前のことが、俺は……。
 本当の家族よりも……。
 まひめは穏やかな表情を湛えたまま、胸に手をあてた。
「小槌、さいごのねがい、かなえる」
「え?」
「小槌こわれる、まひめ、いなくなる」
「何だって……! ダメだっ……壊すなっ……!」
 煉人がまひめに駆け寄ろうとするが、鼻先に小槌を突きつけられた瞬間、硬い石にさ
れたような感覚に支配されて身動きが取れなくなる。
 どうしてだと問いたくても、言葉が出てこない。
 まひめが煉人と蒼弥に近付き、ゆっくりとしゃがみこむ。
「みんな、まひめがいるから」
 違う。そうじゃない。
「れんともおとぎも、ソーヤも、まひめのお世話、よくしてくれました」
 俺のことなんてどうだっていいんだ! いいから、やめろっ!
「とてもとても感謝です」
 まひめの瞳から大きな粒の涙がこぼれた。
 煉人だって泣き出したかった。
 死んだほうがいいのは、こっちなのに!
 まひめが立ち上がり、小槌を天高く捧げた。
「うちでのこづちよ、さいごのねがい、きいてほしい! まひめといっしょに、このせ
かいから、いなくなって――」
「勝手なマネしてんじゃねぇ!」
「おとぎ?」
 倒れていたはずの御伽が、まひめの背中に飛びかかるように抱きついてきた。汚れた
小さな顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうなのを堪えている。
「そんなのアタシが通さねぇ! あたし、あたし、お前のせいでめちゃくちゃ大変な思
いしたんだっ! なのに、勝手にいなくなるなっ! 悪いと思うなら、アタシと一緒に
いろっ!」
「おとぎ……まひめは、みんなに……」
 御伽が雨混じりの涙を流し、まひめから小槌を奪いとると、そっと抱きかかえる。
「だからこそ、一緒にいろっつってんだ!」
「だって……」
「煉人のクソバカに守らせるっ! だから死ぬな!」
 煉人が声を張り上げる!
「そうだっ! 俺はお前がいないとダメなんだよっ! お前に振り回されてないとダ
メなんだっ! だって、お前は俺の、俺のたった一人の娘だからっ!」
「れんと……」
「俺を大人の男にしてくれ! 頼むっ!」
 御伽がまひめを優しく抱きしめる。
 雨の中、まひめが、大声で泣きじゃくりだした。
「えぐっ……れんと……おとぎ……」
「バカ……」
「ごめん……ごめんなさい……」
 ずぶ濡れになるまひめと御伽。
 その姿を、膝をついたままの蒼弥が黙って見つめていた。アルコールで濁った目はう
つろに泳ぎ、戦意というものがまったく感じられない。
「くっ……」
 蒼弥が、かすれた呻き声を出す。何を言っているのか聞きとれない。
 彼は息を整え、枯れた唇を動かした。
「大人の男だと……? そんなもの、お前がなれるわけない」
 煉人が警戒をもって、蒼弥の前に立ちはだかる。
「アンタがここで退けば、こゆには言わない。犯人は見つからなかった。そういうこと
にする」
「……ふん、血迷い事だな」
「もしアンタが悔い改めた時、その時初めて、ぶっ飛ばしてやるよ」
 くっきりした声で宣言した。
 蒼弥はきょとんとして、やがて乾いた笑い声を発する。
「ずいぶん舐められたモンだ……まひめ、オレがお前を諦めても、コイツがお前に危害
を加えるぞ……いつか、必ずな……なんせ、コイツはオレの……」
「俺は、失うもの、たくさんできた」
 蒼弥が腕をかばいつつも立ち上がるが、今にも倒れてしまいそうにふらつく。
「煉人、ここで断言してやるぞ。お前はいつか絶対に後悔する。まひめと出会ったこと
そのものをな」
「……ウソつき。ウソばっかりつきやがって」
「本当さ。これからお前が誰かを愛し、守り続けようとすれば、それは地獄だ。何故か
って? お前のホザいた失うものってのが、何かのきっかけで、一つずつ、確実に、失
われていくからだ」
「失われる……?」
「いったん失えば、もう後戻りはできないぞ。以降、何を得てもだ」
 煉人には、蒼弥の言っていることの意味が理解できなかった。
 蒼弥が踵を返し、神社の鳥居に向かって歩き始める。
「ソーヤ……」
 まひめの心もとない呼びかけに、蒼弥が立ち止まる。
「……仲良しごっこしかできないお前達など、顔も見たくない」
「いつでも帰ってくるといい。まひめ、待ってる」
「待ってる?」
「またあったら、ただいまといってほしいよ」
「……ふん、下らない」
 蒼弥はそれっきり何も言わず、煉人に背を向けて立ち去っていった。
 彼の背中が見えなくなると、降り注いでいた雨があがっていった。果てしない夜空に
はたくさんの星が浮かび、小さな願いを聞き届けたかのように輝き続けるのだった。

 翌日、正午。
 煉人は病院のロビーに足を運び、こゆが来るのを待っていた。
 びしょびしょに濡れてカサカサに乾いた短冊には、溶けたインクの跡がかすかに残っ
ている。真犯人から謝罪を引き出せなかったことを、こゆにどう説明しようか。
 ……そうやって言い訳ばっかり考えているから、回避できたかもしれない惨事を招く
ことになるのだ。煉人が頭をポカポカ叩いていると、パジャマ姿のこゆがこちらに駆け
寄ってきた。
「煉人さん!」
 その明るい声にビックリする。
 元気いっぱいの女の子にぴょんと抱きつかれ、その柔らかい感触に手足が硬直してし
まう。
「む、無理すんなって」
「今日から、またいっしょです!」
「だ、大丈夫かよ?」
「いたいけど、だいじょうぶ!」
 やはり、こゆは煉人に心配かけまいと無理をしているようだった。まだ安静にしてろ
と言い聞かす煉人に、こゆはふるふると首を振る。
「煉人さんと、いっしょがいいの」
「や、だって、俺は……」
 必死にしがみついてくるこゆに、煉人の顔が赤くなる。
 ふと、こちらに歩み寄ってくる水鏡先生の姿が目に入った。彼女の冷たい視線に射ら
れ、半笑いでごまかす煉人。
「あの、これは、その」
「で、ちゃんと犯人は捕まえたのかしら?」
「む、無理でした……すいまへん……」
 こゆがぱっと顔をあげた。何かを言いたそうに口を半開きにしている。
 煉人はこゆから目を逸らし、口元を頼りなく吊りあげて、
「そ、それが、いい線までいったんだけどな……俺、ソイツのこと許せなくて、ぶん殴
っちまった。犯人のヤツとっとと逃げちまって捕まえられなかった……ごめん」
 と、こゆにおずおずと短冊を見せる。
 こゆは目を見開いて、短冊に魅入っていた。
 そして、彼女はにぱっと微笑んだ。
「煉人さん、そんけいです」
「え?」
「かっこいい、男の人」
「俺は……」
 いつか、本当にそんな風になれる日がやってくるだろうか。こんなちっぽけな自分で
も、こゆが敬愛してくれるような人間に変わっていけるだろうか。
「俺は、そんなんじゃねぇよ……ぜんぜんダメな奴だ」
 水鏡先生に頭を軽く叩かれる。
「そう! キミはカルシウム不足だよ!」
「……ホント、そうだな」
 煉人は思わず、笑ってしまった。
 こゆと水鏡先生は、なぜ煉人が笑いだしたのか分からず、不思議そうにお互いの顔を
見合わせていた。

 病院を出ると、煉人はこゆにおんぶをせがまれた。
 中途半端に筋肉のついた背では安眠しにくいと思うのだが、こゆにしてみれば、最も
ぐっすりできる背中の持ち主が煉人なのだそうだ。
 うとうとし始めるこゆを背に乗せ、水鏡先生と一緒に帰途につく。
 晴れわたる青空。鉄橋の上を走り抜ける電車。土手のアスファルトを初夏の日差しが
じりじりと照りつける。こうして歩いていると、妙な開放感に包まれ、どこか遠くに行
ってしまいたい気分になる。
 ずっと黙っていると、水鏡先生に背後から呼びかけられた。
「ねぇ、煉人くん。その短冊」
「ん? 気にしないで下さい。別に意味なんてないっすから」
「私も、その短冊つけてたの」
「え?」
 水鏡先生は恥ずかしそうに笑うと、語り始めた。
「幼稚園児の頃ね、やんちゃな男の子相手にケンカばっかしてた私に、短冊のことを教
えてくれた美人で優しい保母さんがいたの。もし彼女がいなかったら、私、保育園で働
こうなんて思うこともなかった」
「ふーん」
「私の書いた願いは、保母さんになれますように」
「じゃあ、良かったじゃないすか」
「まぁね。でもその保母さん、私が卒園してから結婚して辞めちゃったのよ。もう十六
年も前の話。今は、どこでどうしてるのかしら?」
 水鏡先生には悪いけど、他人様の話にはあまり興味が持てない。そして持つべきでも
ない気がした。実の父親が今どうしているのかも知ろうとしないのだから。
「ごめんね、こんな話して。でも、あの病院にいた白髪の女の子に、よく似てたから」
「まひめに?」
 煉人は思わず、立ち止まる。
「性格は全然違うけどね」
 水鏡先生はそう言って煉人の前に回り込むと、おどけるように片目を閉じた。
「あ~あ、私も恋人欲しいな~。キミにそっくりの」
「……どーゆーことすか」
「ダメ人間♪」
 水鏡先生はぺろっと舌を出し、煉人を置きざりにスタスタと歩いていく。
「アンタに言われたくねーよ!」
 煉人はマンションに帰ったら、まひめにこのちょっと変な話をしてやろうかと考える
が、単なる他人の空似なんてのはよくあることだと思い直す。何より、まひめが面白が
ってくれるとは思えなかったので、無駄話として早々に忘れてしまうことにした。

 こゆ達と別れた煉人は、まひめと御伽のいるマンションの入口に着いた。
 明神家には二度と帰らないと御伽は決意し、それに従う形でまひめも煉人の部屋に居
つくことになった。ふつうに泊めてやる分には構わないが、相手が相手である。今まで
の生活ペースを改めなくてはいけなくなる可能性は高い。
 そう考えて、ちょっと気が重くなる煉人であった。
「何ボーッと突っ立ってんだ、妖怪口だけ男!」
 煉人が振り返ると、食材のこんもり入った買い物袋を両手に携える御伽がいた。
「貴様、いったい何をふらついていた!」
「何って、夏休みだし」
「夏休み? 何だそれは?」
 煉人はため息をついた。
「あのなぁ、学生ってのはかくかくじかじか……って、それくらい常識だろ!」
「む、貴様に諭されるとは思ってもみなかった! 一生の不覚!」
 御伽は口をヘの字に、シリアスぶった顔をする。
「大体、その買い物袋、そんなんで何作ろうってんだ?」
 買い物袋には季節外れのマツタケやメロンが入っている。高級品だけで攻めるかと思
いきや、着色料たっぷりのアイスキャンデーがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「貴様、料理は作れるか?」
「ああ! カップメンだったら作れるけど」
 御伽は不思議そうに小首をかしげて、
「カップメン? ああ、カップメンか……ふむふむ、カップメンカップメン。貴様、案
外やるじゃねぇか!」
「そ、そうか? あはは! そうだろ!」
 料理の腕は絶望的な上、そのことに無自覚な二人。アイスキャンデーの一部はすでに
溶けていた。
「じゃあ、任せたぜ。マズイもん作ったら承知しねぇ!」
「ちょっ、なんで俺が!」
「他に誰がいるんだ」
「お前も手伝えよ! 住まわせてやってんだから、当然だろ!」
「食材を山ほど買ってきたじゃねぇか」
「いやいやいやいや、当番制にしようぜ! 俺とお前とまひめで!」
 御伽が少し考え込む。
「むう、仕方ねぇな……しかし、あたしは……」
「俺だって料理得意ってわけじゃねぇんだ。お互い様だろ?」
「その、初めてなんだ。こういうのは」
 煉人は口ごもっている御伽を半目で見る。彼女は目を逸らし、どこかうつむきがちで
あった。
「じゃあ、後片付けと皿洗いは毎日俺がやる。だったら文句ねぇだろ!」
「そうじゃなくて……貴様、あたしのこと、嫌なんだろ?」
「……へ?」
「だって、あたしだって、貴様の父親が嫌だったし。貴様が息子だったなんてさ。もっ
とブン殴っておけばよかったって後悔したし」
 煉人は恐怖によだち、一歩後ずさる。
「お、俺、今は普通人だからなっ! 何も出ねぇよ!?」
 しかし、御伽からは殺気が感じられない。
「わかってるって。そうじゃなくて、こんなアタシなのに……うん、お前とお前の父親
はやっぱ違う。なんつーか……」
「な、なんだよ……どーしたんだよ、お前?」
「な、なんでもねぇよ!」
 御伽がそっぽを向きながら、買い物袋を煉人に突きつけた。
 煉人は困惑しつつも、それを受け取る。
「よ、よし、行こうか」
 また背後からドロップキックをお見舞いされやしないかと、煉人はヒヤヒヤしながら
入口の廊下を進む。
「お……」
 御伽が口を開く。
「お兄ちゃん……」
 煉人は聞き取れずに、くるりと振り向いた。
「何か言ったか?」
 御伽は顔を真っ赤にして、右足を蹴り上げる。
「な、なんでもねぇよ! この空耳野郎! とっとと前に進みやがれ!」
「ヘイヘイ。わかりましたって」
 ったく、ホント世話が焼けるぜ……。
 ふと、カレーライスの匂いが嗅覚を刺激した。くんくんと鼻を鳴らし、その発生源が
一階からのものだと確信する。
「ご馳走になろうぜ!」
「バカ」
 御伽は腹を抑えるとポーッとして、口からよだれを垂らし始めた。半ば放心状態でフ
ラフラと歩きはじめる。
「おい、待てって」
 そんな御伽の跡を、呆れ顔の煉人がついていく。
 ――え?
 換気扇が回っている一室、煉人の一○六号室から濃厚な香りが立ちこめていた。
 御伽に先回りして、突き動かされるようにドアを開ける。
「おかえりなさい、れんと。三時のおやつをつくった!」
 フリルのついたエプロン姿のまひめが、台所から華やかな顔をのぞかせた。
「これ、お前が……?」
「れんとの大好きなカレーだ! めしあがるといい」
 テーブルの上にはコップに注がれた水道水と、ホワイトドレッシングのかかったサラ
ダが三皿。一本しか置いてなかった箸とフォークは三本用意されていた。
「たくさんつくった!」
「始めて作ったのか?」
 まひめはえっへんとうなずく。
「まひめは、りょうりの王様!」
 台所には包丁やまな板が置かれていないのを思い出し、コポコポと煮立った大鍋の中
を覗き込む。溢れんばかりのカレールーには具材がほとんど入っていない。サラダだっ
て冷蔵庫に残っていた缶詰コーンやプチトマトを組み合わせたものだった。
「れんと、きっとよろこぶ!」
 その気持ちだけは受け取っておこうと思った。
「もうすぐできるから、すわって!」
「はいはい」
 煉人はまひめの言う通りにして、テーブルに向かって腰を下ろした。狭い部屋の中に
カレーの匂いが満ちていく。
「あれ……」
 ふと、煉人は指先で下唇を押さえていた。
 なんだ、これ?
 どうしてなのか、わからなかった。心のどこかがひどく震えているような気がするの
だ。爆笑したいわけでも、怒りたいわけでも、悲しいわけでもない。
 なのに。
「れんと、どうした? とても、かなしそう」
「えっ? 俺が? 何言ってんだよ」
「泣いてるよ?」
「え……」
 乾いた頬に、一粒の涙がつたっていた。どうして涙が流れるのか自分でもよくわから
なかった。
「あは、あはは。変だな、俺。わけわかんねぇ」
 親指で涙を拭いさる。
 御伽が部屋に入ってくるのに気づいて、何もないように装った。
「はい! できあがりですっ!」
 まひめが煮えきったカレーたっぷりの鍋を、テーブルのど真ん中にドンと乗せる。部
屋中が香ばしくて温かくて懐かしい匂いに包まれる。
「……」
 ああ。
 そうか。
 そうだったのか。
 自分が本当に求めていたもの。
「な、なんだよ、お前達。とっとと盛っちまおうぜ!」
 御伽からもまひめからも返事が来ない。
「な、何、黙ってんだよ? 早くしないと冷めちまうぜ」
「貴様もか?」
「……え?」
「なんか照れるな。こういうのって」
 御伽が気恥ずかしそうに言うと、煉人の右隣に三角座りした。
「ん……ま、まぁな」
 まひめが煉人の左隣にへたりこむ。
「いっかだんらん!」
「べっ、別に俺は、いつまでも泊めてやるなんて……」
「まひめ、がんばるからね!」
 満面の笑顔を見せるまひめに、煉人は薄く笑い返した。
「……うん……ありがとな」
 それぞれの皿に均等な量のカレーライスが盛られる。
 煉人は思う。自分はずっと何かを失ってしまっていたような気がする。もし、まひめ
と出会っていなかったら。御伽と出会っていなかったら。一生、一人ぼっちのままだっ
たかもしれない。
「それでは、てをあわせて!」
 まひめが手を合わせるのと一緒に、煉人と御伽も手を合わせた。
『いっただきまーすっ!』
 三つの声が明るく重なる。
 こうやって、一緒に――
 ずっと一緒にいられたら。
 煉人は顔を上げて、窓の外に果てしなく広がる青空を見つめた。
 これから、どんな夏休みが待っているんだろう。
                                     了

                                                                           

うちえのこゆちっ!

うちえのこゆちっ!

主人公・煉人は、七夕の夜に出会った少女・まひめに身体を乗っ取られる。そのせいで煉人は刺激を受けることで振るった相手が欲するモノを体から産み出すという、打ち出の小槌そっくりの体質になってしまった。まひめを奪い返そうとする少女・御伽の暴力や、まひめの父親を名乗る男・蒼弥のつきまといをはじめ、さまざまな騒動に巻き込まれる煉人。トラブルは次第にエスカレートしていき、まひめに纏わる大事件へと発展していく――

  • 小説
  • 長編
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-29

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