御伽のバッドランド #2

 この世界は、武器の神々によって支配されている。
 数えきれないほど存在する国家はグラディウス(歩兵剣)神、トライデント(三又槍)神、ハルバード(斧槍)神、クロスボウ(石弓)神といった武器の神を各々信仰し、自分たちの奉じる神が最強であることを示すため終わりのない戦いを繰り広げている。
 そんな――
 ファンタジー風味たっぷりの世界に、千弦誠(せんげん・まこと)は召喚された。
 そしていま、彼は名もない交易市場にいる。
 様々な国に別れているとはいえ……否、わかれているからこそ、生活を成り立たせるために交易は必須であり、折々の情勢によって各国の勢力バランスが最適となる地点において、不定期に市は開かれていた。
 多くの屋台が立ち並ぶそんな市場の一角。交易に来る者たちを客として、酒や軽い食事を提供する天幕の中に誠はいた。
「ちょっとちょっと、旦那」
 誠は一人酒を飲んでいた中年男に声をかけた。召喚されてまだ三日も経っていないのだが、彼はすっかりこの世界の空気とでもいうものになじんでいた。というわけで、相手も特に警戒することなく誠との会話に応じる。
「いやさー。実は旦那にいいハナシがあんだよねー。旦那ってあれでしょ? お金持ちでしょ?」
 男の目が警戒の色を帯びる。誠はすぐにぱたぱたと手をふり、
「いやだって、見ればわかるっしょ? 着てる物とか周りのやつらとはもうぜんぜん違うしさ。何より顔つきが違うっていうの? 他のまぬけたちとはぜんぜん……」
 男があごをしゃくる。その先に、こちらを険しい目で見ている数人の男たちがいた。どの男も頑強な身体つきをしている。おそらく用心棒といったところだろう。
 だが、誠は平然とした態度を崩さず、
「カン違いすんなよ、旦那。さっきも言っただろ、いいハナシだって」
 警戒の態度を崩さない男。しかし、それ以上の動きは見せない。とりあえず話は聞くということだろう。
 誠は、にっと笑い、
「実は……買ってもらいたいものがあんだよ」
 そう言って、手にしていた荒縄をぐっと引き寄せる。
「わっ」
 小さな悲鳴と共に暗がりから出てきたのは、縄で上半身を縛り上げられた小柄な金髪の美少年だった。
 誠は中年男にぐっと顔を近づけ、言った。
「こいつ……買わね?」

「ったく、頭の悪ぃーオッサンだったぜ」
 屋台を出てからも、誠は愚痴をこぼし続けていた。
「なんで俺の言うこと信じねーんだよ。こいつは槍に変身する珍しい丸顔なんだぜ? それを、なにが『そんなことはありえない』だよ」
「当たり前です」
 縛り上げられているアネミスが、不機嫌そうに口にする。
 誠は、そんなアネミスをにらみ、
「つか、おまえもおまえだよ。なんで変身しねーんだよ。そうすりゃ、よけいなことしなくたって、あいつらも一発で信じて……」
「するわけありません!」
 アネミスがたまらず声をはりあげる。
「というか、本気なんですか!? 本気で! 僕を! 騎士様と固い絆で結ばれたこの僕を……」
「いやいや、結ばれてねーし」
「結ばれてます! だから、売るといっても信じないのです! 神聖騎士と武装神官が固く強い絆で結ばれているというのは常識です! 売るなんてことありえないのです!」
「ぶそーしんかん?」
「僕のことです! 神に仕え、その身を神聖武器に変える力を授かった者です!」
「ふーん、なるほどねー」
 腕を組み考えるそぶりを見せる誠。と、不意に自分を親指で指し示し、
「誠、な」
「はい?」
「だから、俺の名前。騎士様って呼ぶのいい加減にやめろよ」
「でも騎士様は騎士様ですし……不本意ながら」
「けどさ、それって他人行儀だろ。いいんだぜ……名前で呼んでくれて」
「え……?」
 不意に優しい言葉をかけられ、アネミスの頬が赤くなる。
 誠はやわらかなまなざしを向け、
「ほら……呼べよ」
「………………」
「まー、こー、と」
「……ま……ま……マコト……様」
「よし」
 誠は満足そうにうなずき、
「キシサマ、キシサマ、うるせーんだよな。とりあえず、名前で呼ばれるようになれば、こいつのことを売っても不自然には……」
「マコト様ぁ!」
 再び声をはりあげてしまうアネミス。
「なんでそうなるんですか! だから、武装神官が売られるということ自体ありえないんです! そんな、どこにでもいるような存在ではないんですよ!」
「そうなのか?」
「そうです! 普通はそれぞれの国に一人だけです! エリートなんです!」
「言うねー。自分で自分のことエリートってか?」
「あ……」
 言葉につまるアネミスだったが、このままでは向こうのペースになってしまうと、
「と、とにかく! 僕を売ろうとするのはやめてください!」
「売るしかねーだろ? おまえ一文無しなんだから」
「それは、あなたが僕をいきなりさらったからです!」
「ま、今日明日くらいは俺の金でなんとかなるけどさ」
「あなたのお金じゃないでしょう! 旅の途中で知らない人から盗んだお金じゃないですか!」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺は旅の宿の、他人の部屋の、他人の荷物の中に落ちてた財布を拾っただけで……」
「それを盗んだと言うんです!」
 ダメだ――! アネミスは頭を抱えてしゃがみこみたくなる。
 この人は本当に最低だ! ダメ人間だ! どうしてこんな人がよりによって自分と誰よりも強い絆でつながれた神聖騎士なんかに――
「行くぞ」
「わわっ! いきなり引っぱらないでください! というか、このロープもほどいてください!」
「だって、ほどいたらおまえ逃げるだろ?」
「逃げません!」
 即答され、誠は軽く目を見開く。
「……逃げねーの?」
「逃げるわけないでしょう! あなたは僕をなんだと思ってるんですか!」
「丸顔」
「見た目のことを聞いているのではありません! あなたをつれずに一人で帰れるわけがないと言っているのです!」
 勢いよく言ったあと、アネミスはつらそうに目を伏せ、
「こうしている間にも、ランス国は危機的な状況にあります。それを思うと、僕は胸がはりさけそうです」
「つか、もう滅びてるかもしんねーけどな」
「バカーーーーッ!!!」
「だから、いいかげんあきらめてさ? 槍に変身するめずらしい丸顔として、俺のために売られてくれ」
「絶対イヤです!」
「わかったよ。じゃあ、そっち方面好きのオヤジに、夜もおまかせの金髪美少年奴隷として……」
「もっとイヤですーーーーーっ!」

「おい」

 静かな、しかし鋭い呼びかけに誠とアネミスは言い合いをやめた。
 大騒ぎをしていた二人の周りには、いつの間にか野次馬が集まり輪を作っていた。そして、その中から一人の男が歩み出てきた。
「お。さっそく買ってくれるやつが♪」
「そんなわけ……あっ」
 アネミスが息をのんだ。直後、
「っ」
 誠の喉元に、槍の穂先がつきつけられた。

「……おいおい」
 額から汗が伝い落ちる。ぴくりとも動けなくなる誠。その喉元につきつけられていたのは、長大な騎士槍――ランスだった。
「………………」
 一見しただけで重量感が伝わってくる鋼鉄の槍を片手で持った青年は、無言のまま誠をにらみつけていた。大柄な誠に見劣りしない長身。槍を持ったまま微動だにしない強靭な腕力。それでありながら、短く刈りそろえられた金髪とアイスブルーの瞳というその容貌は、粗暴さとは正反対の気品をにじませていた。
「……あれ?」
 誠ははっとなる。金色の髪に青い瞳。他にもそういう人物に心当たりが――
「ベルくん!」
「っ……」
 アネミスの呼びかけに無表情だった青年の顔が赤らむ。そのまま視線を落とし、肩をふるわせながら、
「やっ、やめてほしいと言ったでしょう。子どものころと同じように呼ぶのは……」

「……兄上」

「え?」
 軽く目を見開く誠。ロープで縛りあげているアネミスと、自分に槍をつきつけている青年とを交互に見て、
「なに、おまえら兄弟なの? つか、おまえが兄貴? こっちが弟?」
 誠が驚くのも無理はない。「兄上」と呼ばれたアネミスのほうが、ずっと小柄で童顔なのだから。普通だったら、こちらが弟と思うだろう。
「へー、丸顔の弟かー」
 誠は目の前の青年をしげしげと見つめ、
「つか、ぜんぜん似てねーなー。こっちは顔長いしさ。まー、目と髪の毛の色は同じだけど……」
 直後、
「うおっ!」
 ぐいっと槍が突き出され、ぎりぎりでかわした誠の首を穂先がかすめた。
「………………」
 再び無言で誠をにらみつける青年。
 殺されかけた誠は、額から汗を流しつつも余裕の口調で、
「おいおい……マジになるなよ、ベルくん」
「貴様が言うな!」
「じゃあ、兄貴にだったらいいのかよ」
「!」
 青年が動揺した隙を、誠は見逃さなかった。素早く前に踏みこみ、距離を詰めることで騎士槍の攻撃範囲から逃れようとする。
 しかし、
「おっ!?」
 槍が勢いよく横に振り払われる。誠は前進をはばまれ、大きく後ろに飛んだ。
「……なめるな」
 怒りをこめ静かにつぶやく青年。
 振り回した勢いのまま、さらに腰をひねって後ろに引き構える。結果、誠は再び槍の攻撃範囲にとらえられていた。
 手にした武器の長所も短所も把握している。熟達した戦士の動きだった。
「ふーん……」
 感心したように誠が鼻をならす。この状況でもなお口もとの笑みは消えない。
「やるじゃねーか。丸顔と違って」
「当然です!」
 アネミスが得意そうに声をあげる。
「ベルくんは、ランスの戦士の中でも特に優秀だって評判なんです! 僕の自慢の弟なんです!」
「まー、兄貴がダメな分、よけいに良く見えるよな」
「う……」
「兄上を侮辱するな!」
 表情を一変、青年が怒声と共に槍をくり出す。再び首の皮一枚で刺突を避けた誠は、しかし冷静な思考を保ったままで確信を持つ。
(ふーん……こいつの弱点は『兄上』か)
「ベルくん、ダメっ!」
 縛られたままのアネミスが、転びそうになりつつ青年に駆け寄る。
「っ……兄上……」
 続けて槍をくり出そうとした青年の動きが止まる。
 アネミスは泣きそうな顔で、
「やめて、ベルくん! マコト様は騎士様なんだよ!」
「しっ……しかし!」
 青年は悔しそうに顔をしかめ、
「いいのですか、兄上は!? このような仕打ちを受けて!」
「そ、それは……」
 縄で縛られているアネミスは言葉につまりつつ、
「ち、違うんだよ、これは。マコト様が僕をこうしたのは……その……あ、悪意があってじゃなくて……」
「プレイ」
「そう、プレ……って、何ですかそれはぁ!」
 あわてて声を張り上げるアネミス。
 誠はしれっとした顔で、
「なんだよ、おまえが言ったんだろ。『マコト様がよろこんでくださるなら僕……どんなにきつくされても構いません』って」
「言ってません!」
「貴様ぁぁぁ……!」
「!?」
 アネミスがはっとふり向く。青年はいっそう怒気をみなぎらせ、
「兄上をさらっただけでなく……いかがわしい欲望の赴くまま凌辱まで……」
「って、なに言ってるの、ベルくん!?」
「よかったぜ、おまえの兄貴❤」
「貴様ぁ!!!」
「マコト様も挑発しないでください!」
 アネミスの制止もむなしく、再び二人の間に戦意が高まっていく。
「離れていてください、兄上」
「ベルくん!」
「おー、いいぜ。いつでも来いよ、ベルくん」
「貴様が言うなぁーーっ!」
 怒号と共に一切手加減なしの攻撃が誠目がけて――
「!」
 青年の動きが止まった。
「おまえたち……」
 誠もまた動けなくなくる。左右から突き出され、十字に組み合わされた二本の騎士槍で首元を抑えられて。
「槍をお収めください、ベルグーン殿」
「この者は生かして連れ帰るよう……それが我々の受けた命令です」
 ベルグーン――そう呼んで彼のことを止めたのは、あまり年の変わらない二人の若い男たちだった。凛々しい顔つきや鍛えられた体躯等、彼らもまた優れた戦士であることを伺わせる。
「………………」
 誠の動きを封じた二人の登場に、落ち着きを取り戻す青年。
 すっと冷たい無表情に戻って誠をにらみ、
「我らは貴様を追ってここまで来た」
「へぇー……」
「敵国との戦に苦戦する最中、貴様は我々を見捨てて逃亡した。しかも、兄上……国家の守りの要たる武装神官を奪ってな……」
 彼の怒りを示すかのように、鋼鉄の槍がにぶい光を放った。
「貴様を拘束する」

 夜――
 市場から離れた丘陵地帯で、ベルグーンと仲間たちはキャンプを張っていた。
 ベルグーン――ランスの騎士ベルグーン=リア=ランスは、十六という年齢ながら屈指の実力を持つ戦士として知られている。それでいながら慢心することなく日々の鍛練を積み重ねており、将来はランス国を背負って立つ勇者になると言われていた。
 そんな彼だからこそ「逃亡した神聖騎士の追討」と「武装神官の奪還」いう重要任務を任されたのだ。奪われた武装神官が彼の実の兄だったことも大きな理由の一つである。何よりも彼自信が兄を取り戻したいと願い出たのだ。
 そして、彼と仲間たちは、神聖騎士の捕縛と武装神官アネミス=リア=ランスの救出に成功した。
 後は、無事にランス国に帰還するだけだった。
「っ」
「あ……申しわけありません。痛かったですか、兄上」
「ううん。ありがとう、ベルくん」
 アネミスに礼を言われ、ベルグーンははにかむようにして視線を落とした。焚き火に照らし出された彼の顔に、年相応のあどけなさが垣間見える。
「それにしても……」
 長時間縛られていたことによるアネミスの傷を手当てしたベルグーンは、瞳に静かな怒りの炎を燃やす。
「あの男……兄上の身体を傷物に……」
「ちょっ……おおげさだよ、ベルくん!」
 あわてて弟をなだめようとするアネミス。しかし、ベルグーンの怒りは治まらず、
「いいえ、おおげさではありません! 兄上は何も感じないのですか!?」
「え……?」
「あの男は兄上を手にする神聖騎士として選ばれたのです! 望んでも選ばれるとは限らない……その名誉ある騎士に!」
「う……うん……」
「にもかかわらず、あの男は危機にある我が国を見捨てて逃亡した。しかも兄上にこのような辱めを……」
「で、でも、なんとかカトラスを追い返すことはできたんだよね? だったら良かったじゃ……」
「そういう問題ではありません!」
 ベルグーンの強い口調に、アネミスがびくっとふるえる。
「ベ……ベルくん……」
「!」
 おびえる兄を見て、はっと我に返るベルグーン。
「申しわけありません。兄上に向かって声を張り上げるなど」
「う、ううん、僕は平気。だから……」
「すこし頭を冷やしてきます」
 心配そうにこちらを見るアネミスに背を向け、ベルグーンは火の前から歩き出した。
 現在、仲間の一人は火から離れたところで周辺の警戒。もう一人はテントの中で、捕まえた神聖騎士の見張りをしている。
「どうだ?」
 ベルグーンは声をかけながらテントに入った。と、仲間が口を開くより先に、
「よう、ベルくん」
「っ……!」
 反射的に頭に血がのぼるが、先ほど見た兄のおびえる顔を思い出し、懸命に自分の感情を静める。向こうは、昼間の兄と同じように縛られ身動きできないようにされている。圧倒的に有利なこの状況で怒り出すようではまだまだ未熟……ベルグーンはそう自分に言い聞かせる。
 と、そんな彼の葛藤を知ってか知らずか、
「なー、俺も火に当たらせろよー。この中、結構寒ぃーんだって」
「………………」
「つか、なんでこんなところでキャンプしてんだよ? さっきの市場の近くとかでいいんじゃねーの?」
「愚かな」
 ベルグーンは鼻をならし、
「あのように素性の知れない者が集まる場所で休息などできるはずがない。我らは武装神官をつれているのだからな」
「ふーん、あっそ。ま、どうでもいいから火のほうに……」
「できないな。火のそばには兄上がいる」
「だから何だよ? 別に俺はいいぜ。丸顔と一緒でも我慢してやって……」
 あっさり忍耐の限界を超え、ベルグーンは誠の胸倉をつかみあげる。
「立場がわかっていないようだな、貴様」
「『貴様』じゃねーよ。ちゃんと名前で呼べよな」
「フン」
〝マコト〟という名はアネミスから聞いている。しかし、ベルグーンはこの最低な男をわざわざ望み通りに呼んでやるつもりはなかった。
「いいか? あのように非道な真似をした貴様を二度と兄上に近づけるつもりはない」
「なんだよ、非道って。ちょっと別のご主人様紹介してやろうとしただけじゃ……」
「貴様ぁっ!」
 またも怒りが沸点を超え、誠の胸倉が強く締め上げられる。さすがの誠も苦しそうな顔になり、そばで見ていた仲間があわててベルグーンを止めた。
「げほげほっ……。ハハ……ったく、気ぃ短ぇのな、ベルくんは」
「!」
 再び脳の芯が熱くなったが、仲間に抑えられていたこともありかろうじて手を出すことだけはこらえた。
 ベルグーンはこみあげる怒りのまま誠をにらみ、
「なぜ……貴様のような男が……」
「あン?」
「これならば……これならば私のほうがずっと……」

「兄上を手にする者として――ふさわしかった」

 うめくようにつぶやくベルグーン。
 テント内に訪れる沈黙。
 やがて、
「……あー」
 誠が納得したというようにうなずき、
「なるほどな。俺に嫉妬してたってわけかよ。大好きなにーちゃんを取られて」
「っ……貴様に何がわかる!」
 誠に飛びかかろうとしたベルグーンを仲間が必死に押しとどめる。しかし、完全に激昂したベルグーンはさらに荒れ狂い、
「私は兄上を尊敬していたのだ! 幼きころから武装神官としての才能を認められていた兄上を! だが私には、そのような兄上を手にする資格はなかった……」
 握りしめた拳がふるえる。
「神聖武器の持ち主として選ばれるのは……異界から召喚された神聖騎士のみ。この世界に生まれた者は決して神聖武器を手にすることはできない。どのように修練を積もうとも……決して……」
「あー」
 誠はまた納得したという顔になり、
「だから、丸顔のこと売ろうとしても信じてくんなかったのか。俺以外に使えないってんじゃ、普通手放さねえって思うよな。なるほどなー」
「売ろうと……した?」
 ベルグーンの顔色が、大きすぎる怒りのあまり蒼白になる。
「武装神官を……あ、兄上を……売ろうとしただと……」
「つか、おまえ、買わね?」
「!」
 その瞬間、ベルグーンは再び限界を超えた。
「うおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 ベルグーンを抑えていた仲間の戦士が猛烈な勢いでふり払われた。油断していたわけではないのだろうが、爆発するような怒りの力は彼の想像を上回っていた。
 誠に向かって、腕をふり上げるベルグーン。
 鍛え抜かれた拳が、必殺の気合をこめて容赦なく誠の顔面へ――

「きゃああああーーーーーーーーっ!」

「!」
 少女のような悲鳴。
 怒りに我を失いかけていたベルグーンが、はっと動きを止める。
「……兄上?」
 あぜんとつぶやいた直後、
「兄上! どうされましたかーーーっ!」
 一目散にテントを飛び出す。そして、
「な……!」
 息をのんで、その場に立ち尽くす。
 野営地は――包囲されていた。小ぶりな片手用の斧を持った十人以上の男たちに。
「ハンドアックス……山賊たちか!」
 武器の神を信仰する一族には、さまざまな形態がある。主立った一族は、ランスのように神を祭った神殿と、その神権を代行する王のもとに国家を形成している。
 しかし、中にはこのハンドアックス神に仕える者たちのように、決まった国を持たず略奪行為をくり返す一族も存在した。国の存亡をかけた大きな戦いになることはほとんどないが、旅人たちにとっては油断ならない脅威だ。
「く……!」
 焚き火の明かりを頼りに、ベルグーンは素早く状況を確認する。テントの周りは完全に囲まれていた。さらに見張りに立っていた仲間の姿が見えない。すでにやられてしまったというのか!?
 そして、
「兄上!」
 悲鳴じみた声があがる。ベルグーンの視線の先――そこには首筋に斧を当てられたアネミスの姿があった。
「ベ……ベルくん……」
「兄上ぇーーっ!」
 冷静さは一瞬で吹き飛んだ。
「うおおおーーーーーーーーーーーーーっ!」
 怒りの雄叫びをあげ突進する。彼がこんな無謀な行動に出るとは思っていなかったらしく、山賊たちに動揺が走る。
「はぁっ!」
 気合一閃。山賊の一人はアネミスを盾にする間もなく騎士槍で突き倒された。
「ベルくん!」
「兄上! 私の後ろに!」
 アネミスを背後にかばい、ベルグーンはするどく周りを牽制する。山賊たちは、殺気をみなぎらせ、じわじわと包囲の輪をせばめてきた。もう不意打ちは通用しそうにない。一対一なら、負けない自信がベルグーンにはある。だが相手は多勢だ。しかも、戦うだけでなく兄のことも守らなければならない。
 いいや! 傷一つだろうと兄につけさせるわけにはいかない!
(だが……どうすれば……)
 想いが強いあまり、ベルグーンの中に焦りが生まれる。それが表に出るのを、まだ十六歳の若い彼は抑えきれなかった。
「くっ……!」
 ベルグーンの動揺を見て取った山賊の一人が斬りかかってきた。不意をつかれたベルグーンは、アネミスをかばいつつ必死に後退する。
 しかし、周りは囲まれているのだ。
 体勢を崩したベルグーンに山賊たちが次々と殺到し――

「おい、丸顔ぉ!」

 闇夜に響く不敵な大声。山賊たちが思わず動きを止める。
「マコト様!」
「!」
 アネミスの声に続き、ベルグーンも驚きに目を見開く。
 誠だ。
 拘束されていたはずの誠が、なぜか自由になってテントから姿を現したのだ。
「おーい、丸顔ぉー!」
 まったく緊張感のない声をあげる誠を、山賊たちもあぜんと見つめる。そんな中、誠はアネミスに向かって、
「ちょっとこっち来いやー、丸顔ぉー!」
「え!?」
 さらに目を丸くするアネミスとベルグーン。
「な……」
 何を言っているのだ、あの男は! ベルグーンは瞬時に激昂する。
 こっちに来いだと! 兄上に? いまの状況がわかって言っているのか!? 武器を持った山賊たちに囲まれたこの状況でどうやってそちらに行けと――
「丸顔ぉ!」
 声をはりあげ続ける誠。
 と、その声にかすかな怒りがにじむ。
「なに、ぐずぐずしてんだよ、丸顔ぉ~」
「っ」
 誠にすごまれたアネミスはびくっとふるえ、
「そ、そんな……ぐずぐずなんて……」
「だったら、さっさと来いって」
「でも……」
「来い!」
「!」
 はじけるように身体をふるわせ、そのままアネミスはふらふらと歩き出した。
「兄上!」
 あわてて止めようとするベルグーン。しかし、それより先に、我に返った山賊たちが斧をふり上げた。
「くっ!」
 ぎりぎりだった。山賊とアネミスの間に飛びこみ、手斧の一撃を槍でかろうじて受け止める。そこへ、他の山賊たちも次々と襲いかかってきた。
「くおおおおーーーっ!」
 騎士槍をふり回し、山賊たちを追い払おうとするベルグーン。そんな奮闘の一方、アネミスは何かにつかれたような足取りで誠へと近づいていく。
「兄上……!」
 なんとかアネミスのそばに行きたいが、群がる山賊たちがそれを許さない。彼らは、一番手ごわそうなベルグーンをまず倒そうとしていた。
「うおおおおーーーーっ! どけぇぇっ、貴様らぁぁーーーーーーーっ!」
 ベルグーンが悲痛な叫びをほとばしらせる。このままではアネミスが……敬愛する兄があの最低な男のもとに――
「!」
 たどりついて……しまった。
「ったく、おせーんだよ、おめーは」
「す、すいません、マコト様」
「まー、いーや。じゃあ、さっそく……」

「脱げ」

「!?」
 その誠の言葉にベルグーンは絶句する。まさかあの男……こんな危機的状況にもかかわらず兄にいかがわしいことを!?
「兄上ぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 血を吐きそうな絶叫と共に、死に物狂いで騎士槍をふり回すベルグーン。しかし、彼がアネミスのもとへたどりつくより先に、
「ど……どど……どういうことですか、マコト様ぁぁ……」
「だからさっさとやれよ。この前みてーに」
「こっ、この前も何も、僕はマコト様の前でそんなこと……」
「やっただろう……」

「その身体を――脱ぎ捨てるんだよ」

 はっと目を開くアネミス。
 直後、表情を引き締め、こくりとうなずく。
「……わかりました」
「!」
 聞こえてきたアネミスの声に、ベルグーンはがく然となる。まさか……身を任せてしまうというのか? そんな最低な男に――
「兄上……」
 嵐のような戦いぶりを見せていたベルグーンの身体から、がくっと力が抜ける。
 その隙を見逃さず、遠巻きにとりまいていた山賊たちが手斧を振り上げ一斉にベルグーンへ――

 ――!!!!!!!!!!!!

 直後――
 闇夜を一瞬にして白く染め上げた閃光に、山賊たちは目を覆う。
「……! これは!?」
 ベルグーンも目を閉じつつ、驚きに息をのむ。
 そして目を開けたとき、
「あ……兄上……」
 アネミスの姿は、消えていた。
 しかし、ベルグーンにはすぐにわかった。
 誠が手にしている――神々しい光をにじませている雄々しき騎士槍。それが武装神官たる兄の変貌した神聖武器だということが。
「く……」
 強く唇をかむベルグーン。
 信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。自分以外の者に、兄がその身をゆだねているという事実を。
 しかし、いま現実に目の前で――

 神聖武器は――神聖騎士と一つになった。

「ふーん」
 それほど驚いた様子もなく、手にした騎士槍の感触を確かめる誠。
「思ったより軽ぃーのな。あれか? 俺だけが使えるってのと関係してんのか? ま、こーゆーとき便利だよな、ファンタジーって」
 そう言ったあと、茫洋としていた誠の目がすっと鋭くなり、
「あとは使い心地だな……」
 あぜんとしている山賊たちに向かって、流れるような動きで槍を腰だめに構える。
「イイとこ、見せてやるよ」
 走った。
 ベルグーンに理解できたのは、そこまでだった。

 ――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 圧倒的な光の奔流が、世界を白で覆い尽くした。

 ベルグーンは、ただ茫然と立ち尽くしていた。
 やがて、
「こ……」
 うめくように、言葉がこぼれる。
「こ……これが……」
 神聖武器の――力!
 その力を目にするのは、彼にとって初めてのことだった。
 アネミスの変じた騎士槍が、誠の手によって勢いよく突き出された。その瞬間、衝撃とも突風ともつかない巨大な光の波動がほとばしった。
 光は、山賊たちすべてをのみこみ、ベルグーンもそれに巻きこまれた。
 光が通り過ぎた後――
 その場には一瞬の静寂が訪れた。
 やがて、山賊たちが次々に倒れ出した。先ほどまでの荒々しさが消え、まるで抜け殻のようになって。
 どうしてそうなったのか、ベルグーンにはよくわかった。
 身体を包む脱力感。あの光が、体力、気力、その他あらゆる力をすべて奪ってしまったように感じられた。
 正直いまも立っているだけでやっとだった。
 そして、限界はあっさり訪れた。
「ベルくん!」
 倒れかけたベルグーンの身体を、人の姿に戻ったアネミスがぎりぎりで支えた。
「兄……上……」
「うう……」
 小さな体で懸命に弟を抱き止めるアネミス。たまらずベルグーンの目頭が熱くなる。
「兄上……」
「ごめんね……ベルくん」
「え……?」
「ベルくんまで巻きこんじゃって……ごめんね……ごめんね……」
 何度もあやまるアネミスに、ベルグーンはあわてて、
「そ、そのような……私は大丈夫です……」
「でも……」
「すこし身体に力が入らないだけで……どこにも怪我は……」
「そうなの?」
 アネミスが心配そうに弟を見つめる。ベルグーンは懸命に笑顔を作り、
「大丈夫です……兄上」
「そう……」
 アネミスがほっと息をもらす。兄が安心してくれたことを確認し、ベルグーンもまた表情をゆるめる。
 兄は昔から優しかった。ちょっと怪我をしただけでも、あわてて手当てをしてくれたものだ。そんな兄の優しさが、いま自分を包んでくれている。このまま兄にすべてを預けたい……。しかし、こうして支えているだけでも兄にはもう精一杯のはずだ。自分は大人になってしまった……もう幼いころのように無心に甘えることはできない。そのことにベルグーンはたまらなくさびしさを覚える。
 だがせめていまは……心だけでも兄にすべて預けたいと――

「おいおい、いつまでイチャついてんだよー」

「っ!?」
 至福の時間はあっさり打ち砕かれた。
「貴様……!」
 ベルグーンの顔が憤怒の色に染まる。
 近づいてきた誠は、気にする様子もなく、
「つか、俺への礼とかないわけ? 助けてやったの俺なんだけど」
「マコト様!」
 怒りの声をあげたのは、ベルグーンでなくアネミスだった。
「なんてことをするんですか! ベルくんまで巻きこむなんて!」
「大丈夫だったんだろ? だったらいいじゃねーか」
「よくありません! もしものことがあったらどうするつもりだったんですか! マコト様は初めて僕を使ったんですよ? だったらもっと慎重に……」
「兄上」
 ベルグーンがアネミスを止めた。そして、険しい顔のまま、ふらつく足取りで誠に向かって歩き出す。待ち受ける誠は、相変わらずの不敵な笑みだ。
「………………」
 誠の前で立ち止まり、無言で彼の目を見つめるベルグーン。
 そして、おもむろに口を開く。
「……どうやって戒めを解いた?」
「おまえの仲間に言ったら、すぐにほどいてくれたぜ」
「っ!」
 反射的にテントのほうをにらむと、仲間の戦士がすまなそうに目をそらした。おそらく誠にいいように言いくるめられたのだろう。山賊たちを追い払うのに力を貸すとでも言われて。しかし、事実、誠は山賊たちを無力化した。おかげで兄も自分も救われたのだ。
 そのことを――認めないわけにはいかなかった。
「お?」
 深々と頭を下げたベルグーンに、目を丸くする誠。

「兄を――お願いします」

 誠がさらに目を見張る。ベルグーンは初めてこの男から一本取った気がして、口元にかすかな笑みを見せた。
「ベルくん……」
 近づいてきたアネミスが、おそるおそるという感じで、
「えーと、その……あ、ありがとう」
「なぜ、兄上がお礼を言われるのです?」
「だってマコト様のことを……僕の騎士様のことを認めてくれたから」
「………………」
 かすかな胸の痛み。しかし、ベルグーンはそれを理性で抑えこむ。
 これでいいのだ。兄を兄として――神聖武器として輝かせることができるのは、自分ではなく神聖騎士である誠しかいないのだ。
 そして、アネミスも、誠のことをすでに受け入れている。
「ただし」
 これだけは譲れないというようにベルグーンは誠をにらみ、
「二度と兄上のことを悲しませるな。たとえ貴様が兄上の使い手であろうと、兄上は決して貴様の物では……」
「ああ……」

「もう俺のものじゃねーよ」

「な……!?」
 思わぬ誠の言葉に、ベルグーンは言葉をなくす。
「な……あ……ど、どういうことだ? 貴様は兄上の神聖騎士として……」
「は? ンなこと知らねーよ。つか、こっちはしっかり商人のオッサンと約束しちまってんだよなー」
「約束?」
「ああ」
 倒れている山賊たちを親指で指し示し、
「こいつらを一人でやっつけたらさ……」
 今度はアネミスを指さし、
「この丸顔が、本物の神聖武器だって認めてくれて……」

「高く買ってくれるってな」

「なぁっ!?」
 ベルグーンだけでなく、アネミスも顔色を変える。
「どどど、どういうことですか、マコト様! その話はもうなくなったのでは!?」
「はあ? いや、なくなってねーし。つか、こいつが武器になるなんて信じられねーって言うから、俺は言ってやったんだよ。証明してやるってな」
「証明!?」
「で、最近、ここらで暴れてる山賊をやっつけるってハナシになってさ。ベルくんたちが邪魔しに来たときはヤベーと思ったけど、ま、結果オーライってことで」
「な……な……」
 ベルグーンは、みるみる顔を怒りで赤くし、
「き……き……貴様……そのために……そのために山賊たちを……」
「あ?」
「私たちを……兄上を救うためでもなく……」
「いや、まー、丸顔がやられたらマズかったよな。これから売りに行くわけだし」
「貴様ぁぁーーーーーーーーーーっ!」
「バカぁぁーーーーーーーーーーっ!」
 ベルグーンとアネミスの絶叫が、夜の荒野にこだましていった。

御伽のバッドランド #2

御伽のバッドランド #2

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-29

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