柄杓
流れ灌頂 柄杓一杯の春の水
若かった頃、私は母と一緒に小川の縁に立った
そこには白い布が四角に張られた設えがあった
何を意味するものなのかは分からず、ただ母の真似をして柄杓で小川の水を汲んで布の上にかけては手を合わせた
後になって知ったのは、それは不幸にもお産で亡くなった人の供養であったという事だった
堂内に半夏生の供華白し
故人の法要の後で、半夏生がなぜその席に飾ってあったのだろうかという疑問にとらわれた
それから、幾つもの美しくない勝手な推測を重ねてしまった私は、言葉にしづらい結論に達してしまった
半夏生は半化生だったのではなかったのかと
住職はややそれに近い含みのある言葉を一言だけ言ったのを覚えている
独断と偏見に満ちた解釈の持ち主である私は、その時の結論を未だに変えていない
夏蝶の影や 諸精霊の影ひとつ
玄関の脇の古い腰板の前の地面に大きな蝶がいた
ぱたぱたと羽根をさかんに動かしている
たまたま玄関に入ろうとしていた私は、それを見ずにはいられなかった
しかし驚いたのは、地面にいたと思った蝶は、実際には蝶そのものではなくて蝶の影であった事だった
あっと思い、振り返って見上げた空には、私の背丈より少し高いところに大きな黒い揚羽蝶が宙に留まって浮いては羽根を動かしていた
それは実に不思議で、半ば気味が悪い光景のようにも見えた
私はもしかしたら誰かが来たのだろうかとさえ思った
蝶の影がくっきりと地面に落ちて見えた、日差しの強い日の出来事だった
脇侍なる菩薩の飾り涼しげに
知的障害者であった人の告別式に参列した時の事だった
お寺の本堂で行った少人数の告別式だった
至らなくも、曹洞宗のお寺さんで本尊様がどのような仏であったのかは分からなかった
ただ、脇侍として左側に観音様が祀られていた
それは私がいた所から近く、その御姿がよく分かった
厨子のようなものに入っていた観音様は小さめで、やや暗がりの中に静かに立っていた
眼を引いたのは、その観音様の前に下がっていた格子状の飾りだった
それは聖なるものに対する飾りの一種で荘厳といってもよいものだった
格子状に連なった、木で作った数珠のような飾りは縦と横に結ばれて、その奥にある観音像との距離をもたらしては奥深さを醸し出している
また直線的であるがゆえに静かな智慧を象徴しているようにも感じられた
堂内は仄暗く、観音様はその暗がりの中からこちらを見てくださっている
古い木造の観音像は決してきれいな御姿ではなかった
しかし仏像は美しすぎてはいけないという見方もある
衆生の苦しみや穢れを共に背負ってくださっている姿であればこそ親しみが感じられる
六地蔵供へし小菊二つ三つ
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ごく細く瞼を開けし 冬の人
奥さんはただ、帰ってきた、帰ってきたと言っては泣き通しだった
首に線条痕のある同級生の遺体を目の前にして、私は、馬鹿野郎!と言ってやった
すると、なぜかそいつは少しだけ薄目を開けた
それは呼びかけに応えて一瞬だけ、この世に戻ってきたのかもしれなかった
すぐ脇にいた連中もその事を目撃して覚えていた
告別式の時に、受付を済ませた私は、お返しの寿司の弁当を車の内で食べた
少し食べたら、なぜか涙が出てきて喉がつまった
こんなまずい寿司を食わせやがって・・馬鹿野郎!
と心の内で叫んだ
大きい声で馬鹿野郎!
小さい声で馬鹿野郎
その馬鹿野郎は戻ってこない
二度と会う事もない遠いところに行ってしまった
ただ冥福を祈るだけである
柄杓