夏の日よ、今日も回れ
古い観覧車とメリーゴーランドと、人間とそうじゃないもの。
○登場キャラクター○
·ニコちゃん
元遊園地の近くに住んでいる少年。
勉強はあまり好きじゃない。
星空観察は好き。
·J
元遊園地の管理者。
ご近所付き合いが苦手。
資産家だがミニマルに生きてる。
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ただの田舎町、という呼称を拒むかのように、その町には遊園地の名残が存在する。
工場や畑に取り囲まれるように立つのは観覧車とメリーゴーランドのみ。デザインは一昔前のものだが、遊園地そのものが閉園している事実を感じさせないほど、それらには整備が行き届いていた。
「元々、こんな場所に観光客を呼ぼうだなんて取り組みがおかしかったんだ」
「道路の拡張もしなかったから渋滞がひどくってね」
「結局すぐ赤字になったもんな。税金もドバドバつぎ込んでたってのに……」
「誰だったかな、観覧車なんかを土地ごと買ったのが居たんだろ? それで随分助かったって」
大人たちの愚痴や思い出話を聞き流し、ニコは今日も観覧車へと向かう。
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遊園地だったもの、“旧園”の敷地をぐるりと囲む柵は低く、これでは侵入者を防げないだろうとニコは訪れるたびに思うのだが、不思議とそうした事件は起こっていないらしい。
「皆怖いんじゃないの」と、半天使の友達は言う。
「半自動の遊園地の残骸だよ? 不気味なことこの上ないんだって」
「でもJが管理してるから大丈夫だよ。Jとは昔から僕、仲良いんだ」
そうだったね、と半天使は笑った。抜けた羽根をくせ毛のようにいじりながら。
「管理人に会ったことがあるのはあなたくらいなんじゃない? ずうっと通っているもの」
せっかくのお小遣いの大半を入場料に使ってね。言葉の響きに呆れの色を感じつつ、同時にニコは不思議な満足感を覚えていた。
管理人は観覧車の隣にぽつんと建っているプレハブ小屋にいることが多い。来園者が少ない上に、ここを管理人室だと知っている者は多くはなかった。
「ねえ、ちゃんと水分摂ってるー?」
外は車のボンネットで目玉焼きが焼けるほどの暑さだ。小屋の中は意外にも冷房が効いていたのだが、管理人、Jと呼ばれる男性は、黒いスーツに深緑色のネクタイまで締めている。彼は制服の半袖を捲れるだけ捲ったニコを一瞥し、すぐに手元の本へ視線を戻した。
「この程度の暑さでどうにかなるのは人間だけだろ」
「人魚も熱中症になるって、この暑さ。毛皮が厚い系の友達も大変そうにしてる」
「地元は建物が溶けるのが普通だったからな。こっちの基準が分からん」
ニコは勝手に冷蔵庫から出したサイダーを飲み、頭の片隅で、茹でガエル、と考える。
「それって、皆が暑いって思わないで暮らしてたってこと? すごくない? 僕、登下校だけで汗びちゃなんだけど」
「人間を万事の物差しにするな。まぁ、私も特異な体質だとは認めるが」
「じゃあなんで冷房つけてんの。……まさか僕が来るって分かってたから?」
Jは答えず、片眉を上げるのみだ。いつも変なのに、こういうところは格好いいんだよなぁとニコは呟き、再びサイダーをあおった。
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多種多様な属性を持つ者が生活するこの地域でも、完全自律型ロボットは珍しい。
アトラクション毎に設置されたゲートで入場管理や搭乗案内を行う二台は、Jがリセール品を改良したものだった。
「古いものを修理して使う、とか、そういうところはあなたも人間臭いよね」
「お前たちの生活サイクルがせわしないんだ。”これ”は古いの内に入らないぞ」
ロボットが案内してくれる小さな遊園地に興味を引かれ、運試しと肝試しの感覚でやって来る子供は絶えない。かつてのニコもその一人だった。
遊具が稼働する日時はJの気分で決まる。そのランダムさが運試しの面白さに拍車をかけているのだろう。
「ここに来たのが家族にバレて二度と来れなくなった友達も多くてさ。残念だよ」
「あの半天使の奴もだったか。無駄にアクロバティックに馬に乗っていた」
「そうそう。今日も一緒に補修受けてきたんだ」
「学生の本分を全うしろ……。しかしなぜ禁止にするんだろうな、保護者は。下らないものに金を使うなと?」
「大人は、遊具が古くて危険って思い込んでるんじゃないの。うちもそうだよ」
「張り紙をしていても意味がないのか」
確かに、ゲート近くには張り紙がある――「定期的に点検を行っております。事故はありません、安心してください」と、Jが手書きしたものが。
「あれ、逆効果だと思うんだけど。かえって怖いよ。フリみたいで」
「難しいな……」
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Jがゴンドラの塗装の修正を計画していると知り、ニコは「白鳥は!?」と思わず叫んだ。
例によってプレハブ小屋は快適な涼しさだ。ジャングルの雨季を思い起こさせる雨のせいで、屋根がぼこんぼこんと鳴りっぱなしなのが気にはなるが。
それぞれのゴンドラには星座や天体の絵が描かれている。内部にも同じ絵があり、夕暮れになると蛍光塗料が光るのだ。ニコがこの観覧車を気に入っている理由の一つが、白鳥座がひときわ大きく描かれたゴンドラだった。
「塗装を修正するだけだ。柄は変えない。白鳥座もな」
「そう、良かった。……そういえば、開かずのゴンドラって本当にあるの?」
ニコが小さい頃、近所のお兄さんから教えてもらった噂の一つだ。そこで唯一事故が起きたとか、価値あるものを隠しているだとか。
乗るゴンドラは自分で選べないうえ、似た模様のものが多い。そのため、突き止めるのは困難だと聞いていたが。
「あると思えばあるし、ないと思えばない」
「なんだそれ」
「見つけたとしても開かないのだから乗れはしないぞ。ならどちらでもないと思っておくのと同じじゃないのか」
それもそうか、とニコは納得しつつ。
Jにはもしかすると知られたくない事情があるのかもしれないな、とぼんやり思った。
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夏季休暇が始まる前日、下校途中のニコがプレハブ小屋へ赴くと、Jは分厚い書類に目を通しているところだった。
ニコの気配に気付き「サイダーはないぞ」と小さく言う。
お前のように足繁く通う奴が増えればな、とぼやくので、ニコは首を傾げた。金の話か。ここを土地ごと買い取れるほどの資産家であるJに、金銭の問題が?
「俺が管理できなくなったときに任せられる奴が、現状居ない状態だろう」
「……すぐ取り壊すつもりはないんだ」
Jは深く頷く。マーブル色の夕焼けが、彼の髪をチョコレート色に照らしている。
「でもJって長生きでしょ。観覧車より長生きだったら、心配する必要はないんじゃないの」
「―命があっても、何らかの事情で管理人を辞めざるを得ない場合がある」
「保険ってことかぁ」
「私と同程度とまでは望まないが、あれらにはここに出来るだけ長く残って欲しいからな」
お前はまだ子供だから対象外だ、とJはいかにも子供へ言い含めるようにニコへ冗談を投げる。僕は遊ぶ側専門だから、とニコはひとみを回した。
「まずはJが、事故にも怪我にも病気にも気を付けるとして……あなたの性格なら、自分でどうこうできなくなったら全部おしまいにしそうなのに、なんで壊さないの」
「少しでも多くの者の記憶に、少しでも長く残るように」
ニコは予想していなかった返答に口をつぐむ。
Jはテーブル上の書類を指し示した。年に一度の、“あの日”を思い出すイベントの開催要項だ。
「あれほどの出来事でさえ、皆の記憶から薄れていく。この土地にだって、過去を思い出すためものがあってもいい」
「……こんなところ、なんにもないのに。何を残すっていうのさ」
「何もないからこそだ」と、Jは珍しく笑ったようだった。
「この町にも変化はある。それを捉える時間や技術が無かっただけで」
「へぇ……確かに、道路の形とかはそうかも。この辺りは、僕が小さい頃より広くなってるよね」
「だろう。変化は目まぐるしい。だからこそ、自身の北極星を見つけることが肝要なんだ」
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休日の昼下がり、一人で空を半周していたニコの眼前に、見慣れているが見慣れない影が映った。Jが珍しく空を飛んでいる。手を振れば控えめに同じ動きが返ってきた。
ニコが降りるのを待っていたのか、ゲート脇にJは立っていた。腰から伸びた、二対の黒い翼をしまい込むのに難儀しているようだ。
「お前の前に乗っていた子供が、町の見え方がいつもと違うと言うから。何か起きたのかと思ってな」
乗るより飛んだ方が早い、とJは付け足す。
おかしな感じはなかったよ、とニコが言えば、
「恐らくあいつの体質が変わったんだろう。見えなくても良いものが見えるようになった、大方そんなところだろうな」
超的な力を持つものは、この町には少なくない。ニコには「見えなくても良いもの」が何なのか分からなかったが、事故や災害がなくてよかった、と朗らかに言った。
「今日は久し振りにメリーゴーランドにも乗ろうと思うんだ。Jも一緒にどう? お金は払うから」
「良い年をして楽しむものではないだろう」
「あなたの元の世界でいうと何歳になるのかなんて知らないよ」
Jはぐうと黙ってしまう。しめたとばかりにニコは言葉を重ねた。
「天体観測にも植物の観測にも年齢制限はないのに回転木馬にはあるだなんて、おかしな話だって思わない?」
「……お前に付き合うんなら乗ってもいい」
「そういうことじゃないんだけどなぁ」
ゲートのロボットはJに対しても一般客と同じ態度で接客をした。悩みに悩んで白いたてがみを持つ馬を選んだニコとは対照的に、Jはメッキ飾りのついた馬車を即決する。
二人きりのメリーゴーランドは、もどかしい速度で回転する。流れている音楽もバリバリと割れて少し聴き苦しい。しかしニコは、笑い出すのを止められない。
小さな子供の頃と変わらず馬の首にしがみついて回るニコは、斜め後ろの馬車を見、Jと目を合わせた。
「なんかさ、今までで一番楽しいかも!」
「貸し切りだからか」
「それはいつもだよ。……Jが一緒に乗ってくれるのっていつぶり?」
ランドセルを背負ったまま馬に乗ろうとして、危険だと叱られたり。白鳥座のゴンドラに合うよう、タイミングを見計らって観覧車に乗せてもらったり。ここに来ればいつも、Jが相手をしてくれた。
遠い将来は分からないけれど、とニコは思う。この感じ、つながってる感じを、ずっと大事にしていたい。
「ねぇ! あんたにとって、このスピードはどう?」
速いのか、遅いのか。
自分とJとの、人生の時計の進み方が違うように、異なっているのか。
「私が整備を始めてから変わっていない。故障を気にしてくれているのか」
「あのねえ、そうじゃなくって――」
「冗談だ。……お前が楽しそうにしているなら、どんな速度でも丁度だよ」
夏の日よ、今日も回れ