正体をみて
「なぜ、泣いてるのかい?」
背後から、長い、とても長い両腕にぐるぐる巻きになって抱きしめられている。その正体はよく見えない。そして、うまく動けない。
「なぜ、泣いてるのかい?あなたは。」
その声は、頭の先っぽから体の中に染み込むようだ。じわじわと侵食するように内に広がって、心臓と足先からすー、と力が抜けていく。この感覚を無理に言葉にするなら、「敵う気がしない」。なんとかして声を振り絞るとふざけているのかというほど声が震えた。
はははっ!なにそれ?ウケ狙ってんの?
誰かが指をさして笑ってきた。通り過ぎる人が何人も何人も同じことをした。中には苛立っている人もいる。
捕まって、身動きが取れないこの子を、誰も助けようとしない。
捕まって、身動きがとれないのに、だ。
長い腕は抱きしめる力をより強くした。
「ああ、それは仕方のないことだよ。彼らは、ワタシの姿が見えていないのさ。あなたとワタシ2人だけの世界さ。これはあなたの心の中だもの。」
背中がひやりとする。
やっとのことで、心の中で返事をした。
「泣いてねえし。必死でへらへら笑ってんのに馬鹿にしてきてんじゃねえよ。とっとと腕を離せよ、邪魔くせえんだよ、失せろよ気持ち悪い。」
「なんて威勢の良い言葉。あなたは強い子だね。こんなに体も声も震わせて、顔面蒼白。おまけにあなたのことを見てる人はあなたのことを誤解してる。それはなんて悲しくて痛快なことなんだろう」
頭にすりすりと頬擦りされる感覚。
どんどん、得体の知れない何かに支配される不快感。これからどうなるのだろうという絶望、どうか大袈裟な言葉だと笑わないでほしい。
「ああ、ほらやっぱり泣いてる。ではなぜ、あなたは泣いてるのかい?」
涙がぼろぼろ目から溢れてきて、唇を噛み締めるのに呻き声が出る。
「ワタシは、知ってる。誰もいなくなったから泣いているのだろう」
ぽたん、ぽたん、ぽたん
「誰にも見られずに泣くことを選んだのだろう」
ずずー、ずー、ず
「道ゆく人が、しあわせそうに見える。あなたもみんなみたいに幸せになりたいだろう。」
「だまれお前が、お前が縛り付けてくるせいでふつうでいられない。ふつうになれない。お前のせいだ、お前のせい、お前が誰かもわからねえのに馴れ馴れしくわかったようなことを」
「わかるよ。大好きなあなた。」
まっすぐな声に、体が硬直した。でもそれは恐怖からくるものではなく驚きからくるものだった。その声は、やや冷たかった。
「ワタシと話をしてくれてありがとう。ワタシは、あなたにワタシを見てほしいんだ。ずっと、ずっと外の世界ばかりに目を向けて心の中のワタシをみようとしないから、見て欲しくてこんなに腕が長くなってしまったよ。」
腕がするすると解けていってゆるやかに、呼吸が楽になる。まだ体に何かまとわりつく感覚があるが。体は強張ったままだ。
「ほら、あなたがちょっとでもアタシと対話してくれただけでこんなにも嬉しくて腕が離れていくのさ。でもアタシはあなたに抱きしめてほしいと願ってる。わがままでごめんね。」
ゆっくり、ふりかえる。
それは体に突き刺さるような痛々しい存在。太陽のようで直視できなかった。
「あなたがワタシの正体を知ることは、向き合うことは苦しいだろうが。ワタシは待ってる。そしてその時ワタシはあなたの強い味方になることを約束する。」
それに手を伸ばす。
長い腕に触れる。
過去の記憶が蘇る。
これは、なんだ。
なんだ。
あなたは、
「その昔、あなたが感じ、隠し通してきた強い感情さ」
ああ、そうか。
あなたは、
頬に涙がつー、と流れた。
正体をみて