DREAM INCUBATION(執筆時限定公開作品)

この作品は電撃新人賞に応募するために執筆しているものです。
そのため完成後はカクヨムのみ公開し、星空文庫では非公開になります。

書いたり消したり、ある意味でのライブ感に付き合ってくれたらありがたいです。

1:主様ってなんですか?

 

  愛欲がらみの犯罪を立て続けに見せられると、恋愛という、一つ一つ
  が特別で一回限りと思われるものが、実は誰にでもどこにでもいつで
  もあるごくごく陳腐なものだと思い知らされる。
  (中略)
  「明日が来るのがこわいの」と泣きながらすがりつく夢は、日曜日の
  ようなもの。
  月曜日はその後必ず来る。そのような夢は日常の中で、日常を送るた
  めに癒し手として用意されたものであり、日常の一部分に過ぎない。

  目覚めなさい。
  現実から目覚め、「私」から目覚めなさい。
  もっと深く夢見たいのなら。

         (二階堂奥歯『八本脚の蝶 2001年10月25日(木)』)

 窓を開けた心当たりはないですが、生温い夜風と喧騒を感じます。
 薄目を開けるのもしんどいくらいの寝惚(ねぼ)(まなこ)でしたが――

「えっ、道路……?」

 不可思議な状況に、睡魔は吹き飛んでしまいました。

 窓を閉め忘れたどころの話ではありません。私は、夜の街のど真ん中に立っていたのです。
 眠りながら、パジャマ姿で外に出ていたみたいです。何故?

「夢遊病的なやつですか……? ていうかこれどういう状況??」

 私は混乱した頭で事態を把握しようと試みます。正確な時刻はわかりませんが、体感的には深夜のはずです。その割には人気(ひとけ)が多いような……。

 誰もかれも、みんな裸足に部屋着です。
 何かがおかしいのではないでしょうか。

「むむむ……」と、一応は考えてはみるものの、わかる気がしません。
 
 とりあえず帰ろう――そう気持ちを切り替えると同時、鈴の音が背後から鳴りました。号令に従うように私の脚が一歩前進します。

「あ、えっ……?」

 戸惑う私をよそに、鈴の音が規則正しいリズムで繰り返されます。一歩一歩、私の脚は家から遠ざかろうとするのです。

「あばばばば……か、帰ります、帰らせて!」

 誰だか知りませんが鈴の音で操るのは止めて欲しい……私は上体を捻り、背後の気配へ懇願しました。
 ですが、後方に広がる光景を見て言葉を失います。絶句です。

 背後に立っていたのは頭巾で顔を隠した(あま)二人。鈴の音は握ぎられた錫杖(しゃくじょう)から鳴っていました。
 さらに尼の後ろには牛鬼が並び、その後ろにまだまだ列が続いているようです。

 ――なにこれ……なんなのこれー!?

 二列に並ぶ人ならざる者たちの行進。百鬼夜行です。
 私は引き攣った笑みを張り付かせて、ただ前を向きます。

 りん。と、一歩前進。
 りん。と、さらに前進。

「あ、あばば……あばばばば……」

 このままじゃ帰れそうにありません。
 どこに向かっているんでしょう?
 なんで私が先頭なんです?

 ――百鬼夜行を率いてるみたいで、私……悪目立ちしてませんかね??

「た、たひゅけ……誰か助けてぇ」私は、泣きべそをかきながら助けを求めました。「たっけてぇ……けーさつ、警察呼んでぇ……」

 泣きながら歩かされる私に向かって、突然空から声が届きます。

「今助けるよ! 主様!!」
「ひっ」

 不気味な夜に突き抜ける堂々とした声。
 私は突然の大声に驚きながら顔を向けると、流れ星のように上空から人影が飛び込んできました。
 すたっ。と、揃えた靴が地面に降り立ちます。

「魑魅魍魎の百鬼夜行……やっと見つけたよ主様」

 ビルよりも高いところから舞い降りたその人は――少し不思議な女の子でした。

 見覚えのない他校の女子制服に紺色のカーディガンを重ね着して、手には鞘に収めた刀を握っています。ただでさえ今夜の出来事は私の理解を超えているのに、さらに訳のわからない人が現れました。

 耳に掛かるくらいに切り揃えられた銀色の髪。
 前髪から覗く鋭い視線。
 固く結んだ唇は薄く小さく……とても――《《ビジュ》》がいい……。

「もう少しの辛抱だぞ主様よ」
「あるじ? 主ってナニ?!」

 刀を構えてる人に話しかけるのはかなりの勇気を必要としましたが、私は聞いてみました。

「なにも糸瓜(へちま)も、主は主だろ」
「人違いとかじゃなくてです?」
「あぁ。私が主様だと感じたからな」

 聞いても無駄でした。
 意味がわかりません。

「おっと……悪いけど主様、口を閉じなきゃ舌噛むぜ」

 ――!

 彼女の纏う気配が変わりました。
 こういう空気の変化って本当に感じ取れるものなんですね……。

 鍔を挟んで左手に鞘、右手に柄を握り、こちらを睨む視線がぞっとするほど冷たいものになります。助けに来てくれたということは後ろの妖怪達を斬ってくれるんだろうけど、大丈夫かな……一番前に私いるけど……き、斬られたりしないよね?

 半信半疑。というか疑心暗鬼です。
 本当なら逃げ出したいのですが、脚が操られているせいで逃げられません。

「いざ――鎧瀬抜刀型八段(アブセバットウガタハチダン)岩戸千曳(イワトチビキ)〉」
「ぎゃあ!」

 眩しいです。
 刹那の一撃が突き抜けました。後に遅れて稲妻が轟きます。あまりの衝撃に立っていられません。

 残光が消え、少しずつ視界が明瞭になると、私は恐る恐る振り返ります。
 列をなしていた化け物の行列は、すっぱりと一定の高さに均されていました。

 尼の二人は首を落とされていて、手に持っている錫杖が地面に転がっています。
 その後ろの牛鬼は鼻先から上を失って下顎だけが残っています。八本の脚は切れ目が入っていて、だるま落としのように崩れました。

 後方まで続く個性的な姿の妖怪達が、ずらりと並んで首と胴が泣き別れです。百鬼夜行は歩みを止め、きらきらと霧散していきます。

「なに、これ……?」
「『浮遊バクテリア』さ」

 いつの間にか隣に立っていた彼女が答えてくれました。

「ふゆーばくてりあ?」

 彼女がより詳しい説明をしてくれないかと期待しましたが、何も言ってはくれません。

 これだけ大勢の妖怪に私の体が操られていたのだと思うと、いやはや恐ろしいです。身の毛が総毛立(よだ)ちます。
 文字通り一刀両断してみせた彼女は慣れた手捌きで納刀。妖怪たち以上に只者ではありません。

「格好いい……」

 見惚れているうちに私は気が遠くなってきました。
 色々なことが起きたのですから、気絶したとしても仕方ないですね。

 病室に設置されているモニターは、どこも一つの話題で持ちきりでした。
 あまりにも同じ映像ばかり見せられるので、故障してるのかと思ったほどです。
 変化があるのはニュースキャスターの顔と声、右上に表示されるテロップだけですね。

  〈大気中の極微細(ヨクト)コンピュータが暴走――〉
  〈世界で同時多発的に集団幻覚が発生――〉
  〈国内も交通機関は全て麻痺しており――〉

 私はぼんやりとベッドに身を休めながら聞き流します。
 この幻覚災害は『世界同時多発集団幻覚(E.V.E.N.T.)』というのだそうです。
 22世紀を代表する最先端技術が起こした悲劇――ディストピアってやつでしょうか……?

 幻覚を見せられて正気を失う人の姿や、ホログラム広告が化け物へと変わる突拍子のない映像が、視聴者提供によってモニターに流れています。
 私が見た百鬼夜行も『イベント《E.V.E.N.T.》』の影響みたいですね。納得です。

 ――なんだか大変なことが起きてたんだなぁ……。

 イマイチ実感がありません。
 なんたって、気絶してから目覚めるまでの期間は延べ三ヶ月。幻覚災害の真っ只中で、私はずっと眠っていたみたいです。
 精密検査を受け、晴れて退院です。

 病院を出て街を歩くと、幻覚災害の痕跡をいたるところで垣間見ることができました。
 二階に車両が突っ込んでいる住宅。半壊になったコンビニエンスストア。バリケードの設置されている団地。
 何より、街ではホログラム広告が姿を消していました。これはあれですね。《《自粛》》ってやつです。

 ふと、見覚えのある後ろ姿を見つけました。
 銀髪で紺色のカーディガンです。間違えようがないですね。

「あ、あの……」

 我が声ながら消え入りそうな、聞こえたかどうか不安でしたが彼女は振り返ってくれました。

「おお、いつぞやの主様」
「お久しぶりです、主です。先日は助けてくれてありがとうございました」
「元気そうでなにより」

 微笑む彼女はやっぱり綺麗です。眼福です。

「えへへ……あ、あの、聞きそびれていたんですけど、お名前を聞いても?」
「あぁ、私は――」名乗ろうとした声が途切れて、彼女の顔が険しくなりました。「――穢物(ケモノ)が来た……行こう主様よ」
「えっ、えっ? なんで私も……!?」

 駆け出した彼女を追いかけて、私は病み上がりの身体で走ります。
 別に付いていかなくても良かったのですが、名前は聞いておきたいです。

「はぁ、ひぃ、……こ、ここは、さっきの団地……」
「そ、私ん家だ」
「へぇ」

 バリケードの張られた集合住宅は、妙に煙たく景色がざらついて見えます。

「浮遊バクテリアが滞留してるせいで住めなくなってる。……いい加減出て来いよ、さっさと祓ってやる」

 団地の屋上、大きな角を持つ人面鹿がこちらを見下ろしていました。
 ――もののけ姫で観たやつです!

〈ほう、よもや余を祓うと宣うか。よもやよもやだ〉
「あぁ? よーよーうっせーよ。ラッパーか?」
〈小鳥が(さえず)りよる〉
「小鳥じゃねぇ。私の名は鐙瀬(あぶせ)(あかり)だ。覚えとけ」

 ――はい……覚えときます。

 いつの間にか鎧瀬さんは刀を握り、人面鹿と一触即発の雰囲気です。
 この間合いで戦うとしたら私まで危ないのでは?

「逃げないと……あいたっ!?」

 私はバリケードの外へ逃げようとしたのですが、見えない壁におでこをぶつけました。
 団地に結界が張られていて、出られそうにありません。

「あばば、あばばばは……」

〈む、この娘……〉
「……門の異能……!」

 鐙瀬さんと鹿さんの視線が何故か私に集まってます。
 門? 門ってなに?

 急速に空が翳りました。
 何事かと見上げると、私の頭上に巨大な化け物が……!

「で、デイダラボッチだー!!」

 巨大な化け物は拳を振り上げ、人面鹿に叩き込みました。強烈な一撃です。
 鹿さんは容赦なく消し飛びました。団地もです。

 鐙瀬さんが叫びます。

「私の家がぁぁぁ!」

 人面鹿の退治は出来たものの、被害が悪化してしまいました。
 幸いにもデイダラボッチはすぐに消えてくれましたが、失ったものは大きいです。

「あ、あの……ごめんなさい」
「家が……」
「お、お詫びといってはなんですが、家に来ませんか?」

 肩を落としたまま、鎧瀬さんは私に付いてきます。
 無言は気まずいので話しかけます。

「刀はどこにしまってるんです?」
「自由に喚びだせるんだよ……」
「なるほど(?)……では、私はなぜ主なんですか?」
「主様は、私にとってのお姫様ってこと」
「えっ……はわわ……」

 顔の良い女の人からそんなことを言われると照れてしまいます。
 共同生活。
 鎧瀬さんと。

 私のことを『主様』っていうくらいだから、家事とかも完璧に熟せるんだろうなぁ……。

 ――使用人みたいに私のお世話してくれたりして。

 三日後。

「主様ー、今日の晩飯なにー?」
「もう少しでカレーができます」
「やった、辛口でお願いするよ」

 七日後。

「もう鎧瀬さん洗濯物は放りっぱなしにしないでって!」
「んー」
「だらだらしないで……服がはだけてますよ」
「いいじゃんか減るもんじゃなし」

 鎧瀬さん……生活力皆無です。

 ――え? 私がお世話するの!? 主様なのに!?

2:この世にはびこる『ケモノ』たち

「鎧瀬さぁん、朝ごはーん」

 台所から呼びかけると、「んぁい」と間の抜けた声が返ってきました。
 鎧瀬さんはすっかり居候生活が馴染んでいますね。

 さて、食卓にはスクランブルエッグとウィンナー、それにトーストを並べて完璧です。

「……まだ来ない。あーぶーせーさぁん」

 私の方もある意味で主人らしくなってきたと思います。
 この場合鎧瀬さんの立ち位置はペットということになりますがね!

「主様ぁ、マヨ取って」
「はいどうぞ」
「あり」

 ――ん? この朝食にマヨの出番なんてあったっけ?
 疑問に思う私の前で、鎧瀬さんはスクランブルエッグにたっぷりマヨネーズをかけ始めました。

「なんてことを……!」
「どしたん?」

 気怠げな態度で鎧瀬さんは私を見つめます。
 罪深いです。無自覚な悪です。

「スクランブルエッグにはケチャップでしょう!? 百歩譲って塩胡椒ですよ!」
「なんだぁ主様よ、私の飯にケチつける気か?」
「それは作った人の台詞です! 卵に卵かけて食べるなんてどうかしてます!」
「焼きそばパン。ラーメンに餃子。チャーハンに半ライス……な?」
「なんで体育会系な例えしか出ないんですか。それとこれとは別です。鐙瀬さんのは最早タルタルソースですよ!」
「美味しいじゃんか」
「おかずとして食べてほしいんです!」
「グルメぶりやがって、グルメハラスメントだぞ。残さず食べるならなんでもいいだろ」

 鎧瀬さんは見せつけるようにマヨ塗れのスクランブルエッグをがつがつ平らげ、ウィンナーをトーストに挟んで自室へ逃げていきました。

「ごっそさん!」

 なんなんですかあの人は……。
 ペットどころか《《ヒモ》》です。とんでもない居候です。
 ちょっと顔がいいからって私にお世話させて、そもそも『主様』としか呼んでくれないし、私の名前知らないんじゃないですかね?

 ――なんだかむかむかしてきました。乗り込みます。

「話はまだ終わってませんよ!」
「もがっ!?」

 私は鎧瀬さんの部屋に突撃しました。貧乏ホットドックを咥えている鎧瀬さんがベッドの上で目を丸くしています。

「またごろごろしてたんですね!? 私は封月(ふうづき)茉莉(まつり)! 封月茉莉です!!」
「怒りながら名乗り出した!? どうした主様!?」
「あなたが名前を聞いてくれないからです! 封月ですよ。封月茉莉。暖かい声援を!」
「わかった、わかったから!」

 もうこれまでの私ではありません。
 いくらビジュが良いからといって鎧瀬さんに流されませんよ。

「……蒸し返すようですが、主様と呼ぶ理由がわかりません。確か前に『お姫様』とか言ってましたよね? 諸々教えてください」
「そりゃあれだよ。百鬼夜行を召喚してただろ? この前のデイダラボッチもそうだ」
「召喚……私はなにも呼び出してないです」
「制御できてるかどうかは関係なく、あるじ――《《封月》》様は異能を備えているんだよ」
「イノウ……」
「特異体質と言ってもいい。幻想(ユメ)と現実を繋ぐ門であり、穢物(ケモノ)にとっても私にとっても重要なものだ」
「むむむ……」

 わかるようでわかりません。

「幻覚災害のとき祀り上げられていたじゃないか。門である主様は穢物の姫なんだよ」
「もののけ姫?」
「ケモノの姫。……さてはジブリ好きだな?」

 鎧瀬さんが言うには、封月茉莉(わたし)に引き寄せられる存在を穢物(ケモノ)と呼ぶそうです。常世(とこよ)の存在で、それを祓うのが鎧瀬さんの役目だそうな。
 そして、私の異能である『門』は重要なものなのだそうです。

「わかりやすく魔法少女で例えよう。穢物(アイツ)らはキュゥべえで、私がまどかちゃんってこと」
「かなり特定の作品で例えましたね」
「あ、まどかはあんまり変身しないから〈ほむらちゃん〉のほうがいいか。んで、(ほむら)に守られる立場の主様が、まどかちゃん。
 私と穢物は敵対関係で、『門』を巡って争ってるわけ」
「おぉ……」

 だいぶわかってきました。

「偶然巻き込まれていたと思っていましたが、私中心にバトってたんですね」
「おうよ」
「では、鎧瀬さんは何者なんですか?」
「〈鎧瀬家〉は、古来より魔物を祓う職能に就いてる。歴史の暗部で主君に仕えた時代もあるんだぞ」
「カッコいいです!」

 ――なんだかわくわくしてきました。
 この時代に私のことを仕えるべき主君として護ってくれているなんて。
 自己肯定感上がりますね。

「でも堅苦しいですし、私のことは主様なんて呼ばなくていいですよ。対等にいきましょう」
「それもそうだね。これからはどんなときもアンタを守るよ」
「『アンタ』って……」

 都落(みやこお)(はなは)だしいです。
 とはいえ、話を聞いて意識しているせいか、視線を感じなくもないです。

「……なんだか今度は寒気がしてきました」
「アンタは赤くなったり青くなったり忙しいな」
「アンタじゃないです! 封月茉莉です! うわっ……」

 貧血みたいに脚がふらつきます。

「おっと」

 抱き止められました。だらしなくても顔だけは整っていて狡いです。ヒモ女にときめいてしまう……。

「封月は朝から働き過ぎだよ」
「でも、家事が……」
「無理はしないほうがいい。召喚して体力を消耗してるはずだ」
「むー……」

 鐙瀬さんが家事を手伝ってくれたらもっと楽なのですがね。と、言外に含んだ目で鎧瀬さんを見つめます。
 心の声が届いたのか、鎧瀬さんは苦笑いです。

「……しゃーない。私が働きゃいいんだろ?」
「できるんです?」
「バカにして。見とけよこの野郎」

 期せずして主人と使用人の関係が実現しました。
 果たして鐙瀬さんの家事能力は如何に。

 ――ちなみに私の体調はしっかり悪化していました。ガチ看病を希望します。

「しゃあっ! 私のフルコースを喰らえよ封月!」
「えっ、はい」
「先ずはデザートから」
「おかしいなぁ」

 鐙瀬さんは鍋を抱えて部屋に入ってきました。歩くたびにジャポジャポ言ってます。
 初手デザートなのもおかしいですが、大量の液体というのも謎です。フルコース序盤でお腹破裂しますよ?

「これを見ろ!」
「……水?」

 鍋の中身は透明な液体です。怖いくらい無臭でした。

「まぁ飲んでみてよ。はいストロー」
「ん……甘。……あっまぁ……」
「封月茉莉、復活っ!」
「ふざけないでくださいよ! なんですこれ? 砂糖水?」
「そう」
「そうじゃないが」

 家の砂糖使い切ったとしか思えません。後で凍らせて保存します。

「私本当に体調悪いんで、冗談には付き合ってられませんからね」
「おぉ……わかってるって。次作ってくる」

 鐙瀬さんは鍋を抱えて台所へ戻っていきました。
 部屋を出る際に「これも本気だったんだが」と呟いていたのが聞こえて、甘いのは私の覚悟だったと後悔します。

 次の料理を運んできたのは二時間後のことです。このペースでフルコースは日を跨ぎますね。

「お待たせ」
「本当に待ちました。飽きたのかと」
「そこまで人でなしじゃない! 全力で調理したら時間かかっちゃっただけ」
「健気なこと言わないで……」

 不器用な優しさが心に染みます。

「ってことで、はい」

 皿に乗せられているのはおそらく卵料理です。が、焦げが目立って褒められた見た目ではありません。
 でもいいんです。私のことを思って鐙瀬さんが頑張ってくれた。出来ないなりに丹精込めた一皿です。食べます。

「へへへっ、美味……苦いや」
「ご、こめんな。やっぱりコンビニ行ってくる」
「ううん。優しさが美味しいよ。これはオムライスかな?」
「……卵粥、だよ……」

 焦げの苦味とざらざらした食感は、キャラメル……? 砂糖水を再利用した……? 噛み砕くとお米がネバネバします。
 鐙瀬さんの手料理を胃が受け付けません。口に運ぶ行為を本能が拒否しています。私の命が輝いてる……。

「不思議だね。食べる。食べさせて」
「お、おう」

 腕が痙攣している私を前に、鐙瀬さんは真面目に看病をしてくれます。
 卵粥をスプーンでパキパキと砕いて一匙掬うと、手皿を添えて私の口へ運びます。
 憂いを帯びた鐙瀬さんの表情……ビジュ、ビジュが良い。美女は全てを解決します。

「はい、あーん」
「あぁ〜……おぇぇ」
「うわ、無理するな」
「無理してません……あーん。あーんちてぇ」
「封月は何と戦ってるんだよ」

 背中を(さす)られながら、美女から食べさせてもらえるなんて。
 胃を騙せれば完璧なのに。ままなりません。

 ――食べたい。食べられない。う、うぅ……。

「ちょっ、封月!? 門が開いてる!」
「あーんして。あばば……。あーん。あば、ばばば」
「壊れちゃった!?」

 戸惑う鐙瀬さんの背後に人影が見えます。
 誰だろう……美女の気配がします。

〈まぁ、主様……えらい弱ってはるわぁ〉

 ――今、『主様』って言いました?
 問いかけようとしたものの、私はもう声を出す元気もありません。
 体が芯から熱っぽくて、耳が詰まっている感じがします。

〈熱もある……〉

 額に添えた掌がひんやりして気持ちがいいです。

〈ちょい待っときぃな〉
「あっ、おい! どこに――」
「鐙瀬さん……」

 私は追いかけようとした鐙瀬さんの腕を掴みます。祓ってほしくない。なんだか悪い人じゃない気がするんです。

「よく見えませんでしたが、あの人はどんな方でした……?」
「封月が召喚したのは〈玉藻之前(タマモノマエ)〉だ」

 玉藻之前。平安末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物。妖狐の化身です(Wikipedia調べ)。その容姿は美女とされ、一説にはとんでもない世話焼きとされています(私調べ)。

「手を離せ。早く祓わないと」
「……せん」
「え?」
「祓わせません……この命に変えても……!」

 玉藻之前の名前は『(たまき)』というのだそうです。
 彼女曰く、〈お粥は消化に悪いから、病人に無理矢理食べさせる必要はない〉のだそうです。氷水で薄めた砂糖水を持ってきて、残りは冷凍庫に入れてくれました。的確です。おかげですっかり良くなりました。

 次の日。

〈主様〜? 鐙瀬さぁん? 朝御飯の用意ができたでー〉

 台所から呼びかける声がして、私は「んぁい」と間の抜けた返事をします。
 食卓には環さんお手製のお味噌汁と炊きたてのご飯。おかずには沢庵と焼き鮭。ゴキゲンな朝食が並んでいます。

「マヨ取って」
〈はぁいどうぞ〉
「あり」
「ちょっと鐙瀬さん」
「どしたん?」
「ここにマヨの出番は無いですよ!」
「なんだぁ主様よ、私の飯にケチつける気か?」
「それは作った人の台詞ですってば! 環さんからも言ってやってください!」
〈うーん……うちは美味しゅう食べてくれはるなら気にせーへんよぉ〉

 母。
 懐の深さよ……。

「っでもでも、この人はスクランブルエッグにもマヨネーズかけるんですよ! 卵料理に卵の調味料、わかりますか? 卵×卵なんです!」
〈そやけど主様。お豆腐に醤油かけるやろ?〉
「――っ!?」

 お豆腐に、醤油……?
 なにもおかしくない。
 論破された!?

〈うちはねぇ、食べ物に堅苦しい礼儀作法は必要あらへん思うねん。美味しゅう食べる。残さず頂く。大事なのって、食卓を囲む時間や思うねん〉
「は、はわわ……」

 そうか、私はだらしない鐙瀬さんに目くじらを立てて、視野が狭くなっていたんですね。反省です。

 環さん。貴女は私の母になってくれるかもしれない女性です。

3:封月堂への依頼

 封月(ふうづき)家は古き良き日本家屋です。
 玄関から板敷の廊下が真っ直ぐ伸びて、客間、居間、台所の順に繋がっています。二階へ続く階段は自室や空き部屋に続いていて、今は鎧瀬(あぶせ)さんと(たまき)さんが使っています。賑やかですね。

 それとは別に、渡り廊下を進んで庭を横切ると離れにも繋がっています。ホログラム広告全盛の22世紀に珍しいアナログ看板を掲げているおかげで、幻覚災害後も『オーダーメイド〈封月堂〉』の文字がしっかり読めるのです。

〈あらあらぁ? 仲良しさんやねぇ〉

 割烹着姿で洗濯物を抱え、廊下を歩いていた環さんです。私達を見かけて立ち止まりました。
 ちなみに玉藻之前(タマモノマエ)の環さんには九尾のしっぽがあり、目元と唇に鮮やかな紅をさしています。頭には《《ぴん》》と立った獣耳(けもみみ)。もふもふです。

〈主様、髪を結うて貰うてるん? かいらしいわぁ〉
「えへへ。鐙瀬さんがやってくれてます」
(あぶ)ちゃんもこないなとこは器用で関心してまうわぁ〉
「……家事は出来ないのにって?」

 三人での生活も慣れてきましたが、鎧瀬さんは穢物である環さんを警戒しているようです。しかしながら、身の回りのお世話を環さんに依存しているのですから邪険に扱うのは失礼というもの。

「まあまあ鎧瀬さん、脳を騙しても胃が拒絶反応するような絶望的料理センスは置いておいて」
「置くならそっと置きなよ!」
「環さんは皮肉なんて言いません」
〈えらい上手かて思ただけやで。信じて鐙ちゃん〉
「そうかな……そうかも……」

 割と絆されていました。籠絡の日は近いです。

「出来たよ封月」
「ありがとうございます」

 伸び放題な私の髪が綺麗に梳かされ、髪を房ごとに編み込んでお洒落に纏めています。

「なんだか私じゃないみたいです。美容院要らずですね!」

 三面鏡の化粧台で私は髪結いの出来栄えを確認し、太鼓判を押しました。鏡越しに映る鎧瀬さんも得意気な顔をしています。

「私的には髪留めで飾りたいけどな。封月はそういうの持ってないのか?」
「いやいや無いことは……ん?」

 私は三面鏡に映る景色を見つめます。――一瞬、右の一枚だけ鎧瀬さんの姿が映っていないように見えたのですが、見間違いでしょうか……?

「どした?」
「いえ、気のせいみたいです」私は振り返って鐙瀬さんと向き合います。「それよりも、髪飾りならいいのがありますよ」
「そうなのか、どこにある?」

 部屋の抽斗(ひきだし)を探ろうとした鐙瀬さんに対して、私は窓を指差します。

「離れに置いてるんです」

 封月堂はお客様から依頼を受け、オーダーメイドの一品を製作する工房です。店内はこじんまりとした商品棚とカウンターがあって、奥側は全て作業場になっています。

「これが手作りなのか?」

 鐙瀬さんは商品棚に並ぶアクセサリーを見つめてそう言いました。

「はい。ちょっとしたお小遣い稼ぎで店に置いてます」
「器用なもんだ。逆に何で髪は手入れしてないんだよ」
「やればできるって分かってるので、別にいいかなって」
「……他人にはビジュアルを求めるのに?」
「はぅあ……!」

 ――バレてました。
 でも、冷たい視線もいいです。ぞくぞくします。
 鐙瀬さんは溜息をついて店内を物色し始めました。
 私が店に置かせてもらってるのは、箸置やブックエンド等の生活小物と、髪留めやピアス、指輪といったアクセサリー。
 程よく棚の間を埋めて店内を賑やかしています。

「店より工房の方が広いな」
「勝手に入らないでくださいよ」

 鐙瀬さんはカウンターの奥に進みました。居候のくせに図々しいです。

「3Dプリンタにレーザーカッター……このデカいのは?」
「旋盤です。品物を回転させて切削加工できます」
「工房ってより町工場みたいだな……って、うおお!」
「うわぁ!?」

 まるでゴキブリでも見つけたみたいに鐙瀬さんが突然大声で叫びました。こっちもびっくりしてしまいます。

「穢物かテメェ!!」
「ちょっと!?」

 抜刀して刃を向けている相手は私の祖父でした。

「私のおじいちゃんですよ!」
「お祖父ちゃん? 今まで見たこと無いが!?」
「工房で暮らしてるんです!」
「とか言って、本当はぬらりひょんじゃねぇだろうな……」
「失礼ですよ! 大体、ぬらりひょんはもっと――」

 私がイメージを膨らませると頭上に黒雲が発生し始めました。

「馬鹿馬鹿やめろ! 召喚するな!!」

 意図して門を開いたわけではありませんが、鐙瀬さんはわかってくれたようです。私は思考を中断するためにぶんぶんと首を振り、雲を散らします。

「ていうか生きてるのか? 微動だにしないけど」
「唇がもごもごしてるので存命です」
「蛙みたいだな……手先の器用さはお祖父ちゃん譲りってことか」
「そうですね。幼い頃から仕事を見ていましたから」

 それより――と、私はお目当ての髪飾りを一つ選びます。

「これなんかどうでしょうか?」
「それは蝶か?」
「『鎧揚羽蝶』です。家紋に用いられる図案をモチーフにした髪留めですよ」

 数日後。
 三人(と離れに祖父一人)暮らしもすっかり馴染んできたある日、来客が訪れました。
 玄関モニターの向こうにはクラスメイトの顔が映っています。

「……やっほ。久しぶり」
「はい、お久しぶりです貝木さん」

 貝木(かいき)(もみじ)さん。
 私と同じ市立高校に通う同級生です。クラスの中心とでもいうべき存在です。会話を交わすこともありますが、私は隅で静かにしているタイプなので親密かと言われると微妙なラインの友人です。
 家に遊びに来るほどの間柄ではないと思っていたので、この来訪は少々戸惑いますね。

「今日はどうされましたか?」
「遊びに来た……って言いたいところだけど、ちょっと依頼があってね。ここってオーダーメイドでなんでも作ってくれるんでしょう?」
「あぁ、依頼ですね。ならこちらへ」

 私は家に上げて渡り廊下を案内します。封月堂には別に入口がありますが、偶に玄関から来客を案内することも珍しくありません。
 廊下を歩きながら、貝木さんは世間話を始めました。

「しっかし『イベント《E.V.E.N.T.》』なんて、ふざけた名前だよね。茉莉(まつり)ちゃんもいろいろ大変だったんでしょ?」
「あれ? 知っていたんですね」
「狭い街だしね。妖怪大行進やってずっと眠ってたなんて噂、すぐに広まったよ。心配してたけど元気そうで良かった」
「ようかいだいこうしん……」
「こんな言い方じゃ間抜け過ぎるか。もっと格好良く『百鬼夜行』だね」
「えへへ、……お恥ずかしい」
「恥ずかしいことないでしょ。ご飯はちゃんと食べれてる? 夜は眠れてる? 相談事があれば学校でも友達でも、もちろん私にも、相談してね」

 貝木さん……日陰者の私にも優しくていい人です。

「でも、悩み事なんて無いですよ。有り難いことに皆助けてくれます」
「皆?」
「あ……いや――」

 馬鹿正直に話そうとして私は思い留まりました。
 鐙瀬さんはともかく、環さんは穢物ですから貝木さんを怖がらせてしまうかもしれません。

「――鐙瀬さんという方が一緒に暮らしてます」
「そっか……じゃあ寂しくないね」
「この髪も鐙瀬さんがやってくれたんですよ」

 緩く編み込んだ後ろ髪を揺らしてみせると、貝木さんは「お洒落だね」と褒めてくれました。

 封月堂の方に移動すると、工房に入り込んでいる鐙瀬さんを見つけました。

「噂をすれば」
「げ……」
「『げ』じゃないですよ。勝手に入っちゃ駄目です」

 ――もう、猫じゃないんだから。

「茉莉ちゃん……?」
「あ、貝木さん。こちらの人がさっき話した鐙瀬さんですよ」
「こちらの、人が……」
「来客なら私は部屋に戻るよ」
「鐙瀬さん、挨拶くらいしてください」
「……どうも」

 鐙瀬さんは軽く会釈をして、視線すら合わせようとしません。
 よそよそしいです。――鐙瀬さんって人見知りする人でしたっけ?

「はじめまして。私、封月茉莉さんと同じ高校の貝木椛です」貝木さんは軽くお辞儀をしたまま自己紹介をして、提案します。「ねえ茉莉ちゃん。三人で写真を撮ろ?」
「な、何故……?」
「お近付きの印? 茉莉ちゃんもお洒落してるし、鐙瀬さんもいいでしょ?」
「……まぁ」
「どう? 茉莉さん。鐙瀬さんは良いって?」
「えっと、多分」
「よしっ、じゃあ茉莉ちゃん真ん中で一枚撮ってよ」

 流されるままに私は端末のインカメラで撮影します。確認してみるとばっちり笑顔の貝木さんが写っています。
 対照的に俯いた鐙瀬さんと、半目でぎこちない笑顔を浮かべる私。お世辞にもいい写真とは言えません。

「慣れてなくて……取り直しますか?」
「銀髪……知らない制服……」

 貝木さんは真剣な顔でぶつぶつと呟いています。

「貝木さん?」
「へっ? ああ、大丈夫よ。茉莉ちゃんらしくていいと思うし。その画像私の端末に送ってくれる?」
「はい、あ……でも連絡先」
「交換しましょ」

 貝木さんは莞爾(にっこ)り笑って端末を取り出しました。
 友達が増えました! 嬉しい……!

 封月堂のカウンターで改めて貝木さんのオーダーメイドの依頼を受け付け、必要事項を私が記入し終えると、別れが惜しくて少しだけ引き止めてしまいました。もう少しお話します。

「また幻覚災害の話に戻ってしまうけど、私、幻覚に対処する特殊な仕事があるって知ったの」
「むむっ」

 貝木さんの話に私は心当たりしかありません。

「穢物を祓う人のことですね?」
「けもの……?」
「穢れた物と書いて穢物です。私も知っていますよ。幻覚を祓うんだそうです」
「え、えぇ。それよ。そんな仕事。……ちなみにそれは誰から聞いたの?」
「えへへ、鐙瀬さんの家系がそういう仕事をしているそうですよ。かっこいいですよね」
「……確かにね。なんだか憧れる」

 秋は日が暮れるのが早いです。貝木さんは依頼について改めて頭を下げると「また学校で」と帰っていきました。

「友達は帰ったか」
「あっ、鐙瀬さん。『帰ったか』じゃないですよぅ、印象が悪いじゃないですか逃げるようにどっか行って」
「邪魔しちゃ悪いだろうと思ってさ」
「……以外に内弁慶ってやつなんですね」
「んなわけ、外でも弁慶だぞ私は」
「それはもう本人ですよ!」

「あ、茉莉ちゃんからだ……」

 封月家を後にした貝木は、送られた写真を確認する。

「ふぅむ……これは私がおかしいんじゃなくて、茉莉ちゃんの問題かな……」

4:ケーキと喧嘩と仲直り

 依頼品の製作に取り掛かかること一週間。私は工房に籠もっていました。
 集中力の途切れた脳が甘いものを欲しています。
 確か、(たまき)さんがデザートを買い置きしてくれていたような……。

「ん、あれ? 環さぁん」
〈ほいな〉
「デザート買ってませんでしたっけ?」
〈そこにあるはずよぉ主様。そいうたら昨日、(あぶ)ちゃんが一つ食べとったなぁ〉
「……むむむ」
〈そやけどでも、みんなの分まだあるはずなんやけど……〉

 それが一つもない、と。

「嫌な予感がしますね……鐙瀬(あぶせ)さぁん!」

 捜査のため階段を駆け上がると、容疑者の部屋から慌ただしい物音がします。こいつぁ黒ですよ。

「証拠隠滅を図ろうとしてますね!」
「ひへあいひへあい」
「ほっぺぱんぱんじゃないですか!!」
「らっへ、みんあぜんえんたえないはら(訳:だって、みんな全然食べないから)」
「疲れたときに食べようと思ってたんです!」
「んぐ、……でもケーキだよ? 賞味期限切れちゃうじゃん?」
「まず謝れやぁ!!」

 ブチギレです。キャラがブレるほどには怒ってますよ。
 ケーキ、絶対食べたかった……。

「勝手に食べるのは違いますよぉ……酷い、酷すぎます……」

 私が泣いていると、誰かが肩に手を添えて擁護します。

〈鐙瀬さんひどーい〉

 ――え? 誰でしょう。

「だれ……わぷっ」
酒呑童子(シュノンドウジ)小霜(コシモ)だよー♡ よろしくー。えい、むにむにー〉

 慎ましくも柔らかな感触。けして豊満ではないものの、それもまた良い。

「あっ? あ、あぁ〜……」
「おい封月(ふうづき)! そいつから離れろ!」
「私は抜け出そうとした! しかし、がっちり捕まっていて抜け出せないのだった!」
「説明くせぇ棒読みだな!?」
〈鐙瀬って人怖くなーい? 主様もそう思うでしょ、ねぇ?〉
「ふぁい」
「ちょおっ 封月?」
〈ねぇさぁ、ウチでよかったら相談乗るよ〜? ふたりで女子会しよ? お酒とか飲んじゃったりしよ♡〉
「あぃ♡」
「いや封月は未成年だろ!」

 香水でしょうか? 谷間から良い匂いがします。
 甘い声でぐいぐい迫られるのも悪くないですね。

〈じゃあ主様、あたしにボトル入れてよ? (たま)ちゃーん〉
〈あいよぉ〉
〈客グラノンアル、レディグラ色付きで〉
〈ほいな。ちょいまってなぇ〉
「いやキャバクラか!? 封月を何処に連れてく気だ!」
〈何処ってTCだけど?〉
「てぃー、しぃ?」
〈テーブルチェンジ。主様の部屋に〉
「業界用語やめろ! 嫌な酒呑童子の解釈だな……」
〈ねぇ〜危ないから刀振り回すのやめな〜? ウチ《《おさわり》》厳禁〉
「……腹立つ奴だぜ、祓ってやる――」
〈痛客もNGなんだけど?〉
「黙ってろ、鎧瀬抜刀型六段(アブセバットウロクダン)倶利伽羅剣(クリカラケン)〉」

 私の視界はおっぱいで覆われているので見えませんでしたが、鐙瀬さんの声は本気でした。
 火焔を振り回す一閃――小霜(コシモ)さんが斬られた気配はありません。彼女の腕はしっかりと私の頭を抱き寄せています。

〈すぐ暴力とかあり得なくない?〉
「うそだろ……? 効いてない!?」
〈悔しかったら本指名で勝ち取りなよ〉

 ――鐙瀬さんが……完敗した……?

〈それじゃあ主様? たくさん飲んで嫌なこと忘れよ?〉
「えっ? あ、あの――」

 有無を言わさぬ勢いで小霜さんは私の耳に囁きます。

〈夢の中までアフターついてっちゃうから……〉
「あひ……っ!?」

 次の日。

〈――と、いうことで、鐙ちゃんは台所に入ったらアカンことになったぁ〉
「どういうことだよ!?」

 環さんは割烹着姿でやんわりと手でペケを作ります。

〈男子厨房に入らずやね〉
「女子だが?」
〈人のおやつまで食べ尽くす人は女《《ほか》》しとんでぇ〉(ほかす:捨てるの意)
「ぐっ……!」
〈男ぉ(ひろ)とんでぇ〉
「ぐわぁ……っ」

 ――拾ってはないと思いますが。

 珍しく環さんも容赦がありません。『楽しく食卓を囲む』の信条を破ったことに怒っているのでしょう。
 かくいう私も、ケーキ事件は継続中なのです。鐙瀬さんが謝ってくれるまでは仲直りしませんよ。

「朝から散々だぜ。聞いたか封月? 台所立入禁止なんだってさ」
「むぅ……」

 ――謝ってくれませんね。

「封月の友達は何を作れって言ったんだ?」

 トモダチ……甘美な響きです。ともあれ。

「依頼品は義手ですよ」
「ぎしゅ? あの腕に着けるやつか? 何でそんなものを」
「貝木さんの弟さん、事故で左腕を失くしたんだそうです。……言いふらすことではないので他言無用でお願いしますね」

 先の幻覚災害で車に轢かれたと聞きました。命に別状はなくリハビリも進んでいるそうです。

「それにしても、デジタルデータなんだな」
「ふふ、手仕事だと思いました?」
「オーダーメイドってそういうイメージだろ」
「認識が古いです。現代のワークフローはモデリングデータを3Dプリンタで出力、仕上げに少し手を入れるのが常です」
「へぇ! すごいな!」

 鐙瀬さんは屈託のない瞳を輝かせています。
 少年のような好奇心……というか少年そのものです。面倒を嫌がり、楽しいことが好き。悪気があって人を困らせる人ではないのは分かります。

「触りたいですか?」
「いいのか!?」
「モデリングソフトなら。私は少し休憩しますね」
「……小霜って奴にデレデレしに行くだけだろ」
「はぇ!? っそんなこと、ないですケド……」

 ――バレてました。

 鐙瀬さんが私のところに駆け込んできたのはそれから一時間後のことです。
 ――え? 休憩時間が長い? 少し延長しただけです。

〈主様ぁ〜、延長しよ?〉
「ぐへっ、ぐへへっ……」
〈今日はもうずっと一緒にいようよ? ずぅっと、ずうぅっと。ね♡〉
「封月! やばい!!」
「ふぇっ!? あ、鐙瀬さん?」
「製作データが……」
「データが?」
「う、上書き保存しちゃった……」

 小霜さんが頬を膨らませて腕を絡めます。が、私は鐙瀬さんの言葉に青褪(あおざ)めました。

「アプリを落としていないなら……Ctrl(コントロール)+Z(ゼット)で戻せますよ……?」
「新規データから作ってたから、戻しても意味がないんだ」
「じゃあ何故上書き保存なんて?」
「名前をつけて保存しようとしたら、最後の命名記録が残ってて、勝手に……」

 状況がわかってきました。つまり私の製作データは完全に消えてしまったということです。

 ――やっっっばい。

「あ、あばば……ぁばばばば」
〈ありゃ、泡吹いてる。主様ぁー大丈夫ー?〉
「ふ、封月っ、ごめ――」

 ドゥルルルルン!
 と、鐙瀬さんの声がエンジン音に遮られました。
 なんかずっとばりばり鳴ってます。迷惑な改造バイクの音です。怖いです。

〈おい貴様〉
「っ!? 誰だお()――」
()ね〉

 有無を言わせぬ釘バットのフルスイングに鐙瀬さんが吹き飛ばされ、部屋のガラスを突き破ってしまいました。
 只事ではありません。
 私はあまりの衝撃に涙も引っ込んで、顕現(けんげん)した穢物を見つめます。

〈総長の創造物を台無しにする不届き者め。アタシが灸をすえてやる〉

 釘バットを肩に担ぐその人は、赤い肌に角を生やした……黒髪姫カットのスケバンでした。牙を剥いた般若の半面で口元を隠していて、目線は鋭いです。
 冗談が通じなさそうな不良少女の登場です。

「ビジュめっちゃ怖……」

〈あれ? 赤鬼じゃん〉
(シガラミ)だ。貴様は酒呑童子の小霜(コシモ)だな〉
〈当ったり〜。アンタ鐙瀬ちゃんヤッちゃう気?〉
〈アイツは総長の面汚しだ。死あるのみ〉
〈主様はあたしのなんですけど?〉
〈貴様も巫山戯(ふざけ)ていると狐者異(こわい)ぞ。総長はアタシのだ〉

 ――ん? 総長って私のことですか?

「た、たしゅけ……助けて鐙瀬さん……どこ?」

 割れたガラスの向こうを見回しますが、姿が見えません。

「鐙瀬さん……何でいないの? うわぁっ!?」
〈悪いが総長はアタシが預かる〉

 (シガラミ)に抱えられて外に連れ出されました。
 屋敷の外に待機しているのは旭日旗の飾られた鬼ハンドルのバイクです。エンジン全開です。

「ひぇぇ! 絵に描いたようなヤンキーバイク!! 私拉致られる!?」
〈聞こえているか鐙瀬燈よ! 決闘をやるぞ!〉
「降ろして! 総長降ろして!!」

 私は泣きながら風になりました。助けて!

 走っている間ずっとパラリラ鳴っているせいで耳が変です。ライトもチカチカ目立ってて恥ずかしかったですね。

 たどり着いたのは夕暮れの河川敷、赤鬼の笧さんは腕を組んで待っていました。
 今気づきましたが、特攻服の背中に『封月茉莉愛羅武勇』と刺繍がありました。これも恥ずかしいです。

「よぉ……」
「鎧瀬さん!」

 必死で走ってきたのでしょう、息が上がっていて汗だくです。

〈遅かったな〉
「バイクに追いつけるか! 決闘するなら目的地は教えとけボケが!」

 ――ごもっともです。

「んで、河川敷か? 時代錯誤なヤンキーだな」
〈タイマンだ。総長に相応しい者を決める〉

 おふざけはここまで。

「ふん!」
〈ぬん!〉

 どちらともなく振りかぶります。
 刃がバットに食い込み、断ち切られる前に笧さんが捻りあげました。

〈この程度か?〉

 鎧瀬さんの体制が崩れます。

〈総長のデータを消した罪〉
「ぐはっ!」

 笧さんは横腹に蹴りを喰らわせました。

〈死して詫びろ〉

 言っていることは同意しますが物騒です。

「悪いとは思ってる」
〈ならば――〉
「ケーキを食べたこともまだ謝れてねぇ!」

 鎧瀬さんの怒声に笧さんが首を傾げます。

「謝ろうとすると、言葉が詰まっちまうんだ……だから、お詫びの印にアクセサリーを作ろうと思ってさ……挙句データ全消しだ。ははっ……笑えねぇ」

 ――そんなこと考えてたなんて。

「掃除もできなきゃ飯も作れない。ヒモ女だよ私は」
〈よくわかっているじゃないか。貴様は何もできない。総長の側から去れ〉

 笧さんが釘バットを振りかぶりました。

「鎧瀬さんっ!」

 死んでしまうと思いました。
 ですが、鎧瀬さんは不適に笑います。

「一つだけ、できるさ」

 釘バットが粉々に砕けました。鎧瀬さんは拳を構えています。

〈なんだと〉
「茉莉を護る……見せてやるよ。『真髄』ってやつを」
〈おもしろい……決着(ケリ)をつける!!〉

 拳による砲煙弾雨の応酬。笧さん優勢です。渡り合えるだけでもすごいです。

「頑張って鎧瀬さん!」
〈総長!? 私を応援してくれないのか!?〉
「嬉しいね――鎧瀬喧嘩型九十九(アブセステゴロガタキュウジュウキュウ)鬼退治(オニタイジ)〉!!」

〈がはっ!〉

 鎧瀬さんの技が決まりました。鬼を倒した拳を天に掲げます。
 笧さんは大の字に倒れています。

「改めて、ごめん封月」

 そう言って鎧瀬さんは私の手を握ります。その瞬間、胸の奥が跳ねて、同時に心底安心しました。

「お詫びになんでも言ってくれ」
「祓うこと以外でも?」
「ぐ……」

 私はもう怒っていません。鎧瀬さんはやるべきことはやってくれました。

「では、帰りにケーキを買いましょう」
「そんなんでいいのか?」
「一緒に食べて仲直りですよ」

「バックアップから復旧できるじゃろう」
「ぬらりひょんが喋った!!」
「私のお祖父ちゃんですってば!」

 ケーキを買って帰った私達は、祖父のおかげでデータ復旧ができました。
 上書き保存していても過去データが残されているなんて、備えあれば憂いなしです。

 ともあれ一件落着?
 なにか忘れているような……。

 ピンポーン――と、インターホンが鳴りました。玄関で赤鬼が立っています。

〈鎧瀬……いや、総長!〉
「は?」
〈舎弟にさせてください!〉
「なんじゃそりゃあ!?」

 笧は折り目正しく頭を下げています。

「鐙瀬さんが総長なら、私は?」
〈封月様は『姫』です。これからは何でもお申し付け下さい〉

 般若の半面を外した笧さんは、大和撫子風美人でした。

〈改めて『(シガラミ)』です。よろしくお願いします〉
「かわいい……赤肌黒髪姫カット鬼スケバンきた! 属性大盛りだぁ!」
「玉藻乃前に酒呑童子に赤鬼……どうなってんだよこの家は……」

5:百鬼夜行

 朝。
 封月(ふうづき)家の食卓は随分賑やかになりました。

〈頭……(いだ)ぁ、まじ無理……〉
小霜(コシモ)はん飲み過ぎやねぇ。朝ごはん少しでも食べ〉
「あれ? (たまき)さん。スープに入ってるのって昨日の餃子ですか?」
〈そやよ。(あぶ)ちゃんが『味を変えたい』って言うとったから〉
「私そんなこと言ったっけ?」
〈言っとったよぉ〉
〈うむ。確かに言っていたな〉

 環さんの返答に(シガラミ)も頷きます。
 私もそんな会話を聴いたような……少し夕飯の場面を思い出してみます――

「みんなで何作ってるんですか?」

 夕飯時、製作に一区切りつけた私が台所を覗くと、環さんだけでなく鎧瀬さんと笧さんもいました。立ち入り禁止令は解かれたようですね。

〈餃子やで。一人で作るんは大変やさかい、二人に手伝うて貰うとるんよ〉
「へぇ、いいですね」

 テーブルには大きなボウルに餃子の餡と皮、それに水の入った皿が置かれています。
 二人がせっせと皮を包む姿は微笑ましく、団欒って感じです。

「封月見て! 餃子の皮と餡がぴったり使い切れたぞ!」
「おぉ〜辻褄合わせで桜餅みたいになってますけど、よくできました」
〈姫、総長が最初に包んだのなんかワンタンみたいですよ?〉
「ふふ、ぶきっちょ……」
「あー! 細かいことはいいんだよ」

 やいのやいのと言いながら、包み終えた餃子を環さんが焼いていきます。
 夕飯はみんなで餃子パーティーを楽しみました。一人二十個は食べたんじゃないでしょうか?

「……作り過ぎたな」と、鎧瀬さんはお腹をさすって苦しそうです。
「でも美味しかったよ?」
〈作り置きはまだあるで〜?〉
〈総長は単に食べ過ぎだろう〉
「腹が重い、食い飽きた……明日は《《味を変えたい》》」

 ――回想終わりです。
 確かに言っていました。一字一句そのままです。

「その結果が肉そぼろワンタンスープ……」

 おそらくは餡を詰め過ぎて桜餅みたいになってたやつです。

「いや言ったけど、餃子は餃子のまま食べたいじゃん?」
「味を変えたいのに餃子のまま……哲学ですか?」
「そうじゃなくて! ちょっと七味かけたりとか、そんなイメージだったんだよ」
「食べ盛り自由形日本代表がこだわらないでください。マヨかけとけば満足するでしょう?」
「いや餃子にマヨは無い」

 ――一丁前にグルメぶってやがりますね。

「黙ってスープ飲んでくださいよ。ほら、マヨネーズ」
「人をマヨラー扱いするな! 大体スープにマヨはあり得ないだろ!」
〈カロリーが溶け出すとか言いそうだな〉
「カロリーが溶け出すだろうが!!」
〈……言ったな〉
「その発想が純然たるマヨラーじゃないですか!」

 騒がしくなってきた食卓の隅、二日酔いの辛そうな小霜(コシモ)さんがぽつりと呟きます。

〈『味を変えたい』んじゃなくて、『味変』がしたかったってこと?〉

 鎧瀬さんは『我が意を得たり』と頷きますが、私と環さんは首を傾げます。

「同じ意味では?」
〈いやいや主様。同じ意味でも受け取り方は違ってくるの〉

 ローテンションの小霜さんが教えてくれます。なんだかインテリです。

〈例えば肉じゃががあるとするでしょう? 『味を変えたい』だとカレーに変わっちゃう。『味変』だと、調味料で変化させるだけなの〉
〈確かに軍手のことを軍用手袋と言われたら、意味が違って聞こえるな〉

 笧さんは腕を組んで呟きます。

「イメチェン、イメージチェンジ。……略さないで言うと大袈裟に聞こえますね」
〈ほんなら『バスに乗る』は『オムニバスに乗る』言うん?〉
〈そう言うこと〉
「バスって正式名称オムニバスなの? 初耳……」

 朝食を済ませた私は封月堂で過ごします。ここ最近は製作に籠もっていたのですっかり馴染んでいますね。

「私が言うのもなんだけど依頼品は? 確か納品日って」
「今日ですよ。これから貝木さんが受け取りに来るんです」

 依頼を受けてからかれこれ一月(ひとつき)が過ぎました。貝木さんの希望通り、製品は完成しています。
 接合部はチタン製、主材は強化樹脂。関節可動も良好。自信作です。

 あとは梱包するだけなのですが、鐙瀬さんが興味津々なので少しだけ見せてあげます。

「見るだけですよ。指紋つけたら困るので」
「おぉ、鋼の錬金術師みたいだ」
「炭素は入っていますが鋼ではないですね」
「錬金術師ではあるのか?」
「片手の錬金術師です」

 二人で義手を眺めているとお店に貝木さんがやって来ました。

「うちはエルリック兄弟じゃないよ」
「貝木さん!」
「やっほ。完成したってね」
「はい! ちょうど梱包するところでした」
「見てもいい?」
「ぜひぜひ」

 貝木さんは依頼主なので触っても構いません。

「私には触らせなかったのに」と、鎧瀬さんが膨れています。
「お客様ですから」
「結構ずっしりしてるのね」
「装着時にバランスが取れるよう二の腕を重くしてます。とはいえ装飾義手なので、上腕から先は軽いです」
「よく考えられてる……。きっと弟も気にいるわ」
「えへへ」

〈む、総長。ここにいたか〉
(シガラミ)か、どうした?」
〈体が鈍るので鍛錬の相手を探している〉
「お、やるかぁ?」

 鎧瀬さんは手合わせ錬金の真似をして梱包箱を掲げます。

「こら、ふざけちゃダメですよ。外でやってください」
「へーい」

 入れ替わるように今度は小霜さんと環さんがやって来ました。

〈ねぇ主様〜? 二日酔い酷いからお部屋に来てよぉ♡〉
「どういうことです?」
〈小霜はん向かい酒するつもりなんよ。ほいで寂しい言ぅて主様誘とるんやで〉
「……後で行きます」

 ――満更でもありません。

〈すぐ来てよぉ〉
「い、今は来客中なので……」
〈むぅ、待ってるからね?〉

 伸びかけた鼻の下を抑えて私は貝木さんに向き直ります。

「お騒がせしてすみません」
「もしかして、同居人増えてる?」
「あ、えっと……いつの間にか大所帯になってしまって」
「人ではない。そうでしょ?」

 真剣な声音で問われ、私はどう答えるべきか躊躇います。
 沈黙が重たいです。

「――もう見過ごせないか……」と、貝木さんはため息混じりに呟きます。「茉莉ちゃんさ、さっきから誰と話してるの?」
「誰って、鐙瀬さんに環さん、小霜――」
「私にはさ」貝木さんは言葉を遮ります。「見えてないんだよ」

 ――……え?

「あ、そうでした。環さんたちは存在が穢物だから見えないんですね」
「違う」

 貝木さんは断言するような鋭い口調です。

「私、《《鎧瀬ちゃんも見えてないんだよ》》」
「……いや、でもあのとき――」
「依頼しに来たときも、見えてない。声も聴こえてない。私に見えているのはね――」

 〈ずっと独り言を言ってる、茉莉ちゃんだけ〉

 封月堂が静まりかえりました。耳鳴りが張り付いて、私は変な汗が止まりません。

「嘘だ……っ」

 貝木さんを置いて、台所へ走ります。……環さんがいません。
 庭に出で二人を探します。……笧さんも鎧瀬さんもいません。
 階段を上がり部屋を見て回ります。……小霜さんがいません。

「っ……、みんな……、どこ……?」
「居ないよ」
「どうして……!?」
「どうしてもこうしても、全部幻覚だからでしょ。ねぇ、〈百鬼夜行のお姫様〉?」

 貝木さんは私を部屋の隅に追い詰めました。

「『百鬼夜行』って妖怪たちの行進みたいなイメージがあるでしょ? でもね、別の言い方をしたらどうなると思う?」
「別の……」
「例えば『イメチェン』って言うと髪を染めるくらいのイメージだけど、『イメージチェンジ』と言われると、服装や体型を一新するような印象を受けるでしょ」

 私は朝の会話を思い出します。
 略し言葉や言い換えによる印象(ニュアンス)の変化、認識の齟齬……。

「肉じゃがを、カレーにする、みたいな……」
「ふふ、茉莉ちゃんは天然だなぁ。……百鬼夜行はね、英訳すると〈Walpurgis(ワルプルギス) Night(の夜)〉なんだよ」
「ワルプルギスの、夜」

 それは魔女たちが集う夜。病や呪いを振り撒く災いの宴。
 妖怪たちのおかしな行進とは全く異なる意味を持つ言葉。

 世界同時多発集団幻覚(E.V.E.N.T.)から復興へ向かう世界で、第二波となりうるもの……。

「どう? 茉莉ちゃん。私の懸念している危機がわかる?」
「幻覚災害……。でも、私の『門』は鐙瀬さんが抑えてくれてるはずです」
「わかってないなぁ。あなたから生み出された幻覚に問題を解決する力はないよ」

 癌細胞が患者を救いはしないでしょ? と、貝木さんは続けます。

「誤解しないでほしいんだけど、私は茉莉ちゃんを助けたいの。極微細(ヨクト)コンピュータ……今は浮遊バクテリアか。と、感応する特異体質を、解決するために働いてる。つまり周波数調整員(バランサー)だね」

 ヨクトコンピュータ。
 フユウバクテリア。
 バランサー。

 ――わかりません。なぜ貝木さんは私を責めるように捲し立てるのでしょう。

「あ、鎧瀬さんが、私の門を、異能を、護ってて……」
「おーい、茉莉ちゃん? 《《戻ってきて》》」
「穢物が、えっと……えっと……」
「目を覚ましてよ茉莉ちゃん。辛くても現実を生きるの」
「……げん、じつ?」

 貝木さんの言葉が私の琴線に触れた気がします。

「現実……そっか」

 長い夢から覚めたような気分でした。

 ――とても、とても残念です。楽しい夢を見ていたのに。

「……貝木さんは、私に何があったか知ってるんだよね?」
「えぇ。4ヶ月前に起きた幻覚災害(イベント)であなたは両親を失った。そのショックで眠り続けた」

 幻覚災害によって社会は三ヶ月もの間停滞。人類の二割が災害関連死で命を落としました。
 未曾有の人為災害が収まった後も、街はまるで戦後のような有り様だった。

「そうです。あの日、私は全て失いました……」
「クラスメイトも今じゃ半分……みんな大変だ」

 それでも皆は立ち上がれた。
 悲しみを乗り越えて現実を生きている。

 ――私は……私は、正気では生きていけなかった。

「穢物も、それを祓う鐙瀬家も、全部妄想……」
「そうだよ」
「でも、幻覚災害のとき、私は百鬼夜行の姫でした」
「茉莉ちゃん……? 駄目よ」

 貝木さんが腕を掴もうとしましたが、私は振り払います。

「現実が辛いから、夢が必要なんです」
「あんた……甘い夢を見ながら死ぬ気?」
「貝木さんは私を救えると言うんですか? 現実に呼び戻して、孤独に追いやるだけでしょう?」

 私は祲気(しんき)を束ね、この身に宿る異能を用いることにしました。
 開門です。

「私は鐙瀬燈を信じます……」
「浮遊バクテリア群の密度が上がってる……百鬼夜行が来る!? やめなさい茉莉っ! 現実から逃げるな!!」

 門の向こうから穢物達が溢れ出て、あっという間に私の意識は幻覚(ユメ)に沈みます。

「おやすみ貝木さん。おやすみ世界。止められるなら是非どうぞ」

 百鬼夜行(ワルプルギスの夜)の始まりです。

ここまでお読みいただきありがとうございました

次話更新はもうしばらくお待ちください

DREAM INCUBATION(執筆時限定公開作品)

せっせと続きを書いている真っ最中なので、ゆっくりお待ち下さい。

DREAM INCUBATION(執筆時限定公開作品)

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1:主様ってなんですか?
  2. 2:この世にはびこる『ケモノ』たち
  3. 3:封月堂への依頼
  4. 4:ケーキと喧嘩と仲直り
  5. 5:百鬼夜行
  6. ここまでお読みいただきありがとうございました