エキゾティック・ラブ

エキゾティック・ラブ

Only actions give life strength; only moderation gives it charm.

行動のみが人生に活力を与えてくれる。穏やかであることのみが、人生に魅力を与えてくれるのである。

Johann Paul Friedrich Richter
(21 March 1763 – 14 November 1825)

電子決済で料金を支払終えたタクシーから荷物片手にフラッと降りると、六月の蒸し暑い風が玻璃の頬を撫でた。
空は文字通りの曇天で、昨晩の雨の香りが其処彼処に漂っている中、石畳の敷かれた裏道を早歩きで通り抜けた玻璃は、つい先月、知り合いの業者に依頼をし、金属疲労が原因で壊れかかっていたドアノブを交換したばかりの扉の前へと立つや否や、慣れた手付きで鍵を差し込むと、ガチャリ、と言う音と共に扉の鍵を開け、建物の内側から鍵を掛けた。
二十代後半の若人らしく、実に軽やかな足取りで三階建てのビルの階段を登り始め、あっという間に頂上階へと辿り着いた玻璃が、此のビルの所有者である人物の部屋に軽くノックをした上で入室をすると、部屋の主は元々
此の部屋の中に設置されていた紺色のソファーにどっしりと腰掛け、同じく元々此の部屋の中に設置されていた冷蔵庫の中から取り出したばかりらしいドーナツにガブリと齧り付いている所だった。
部屋の主の名は、モクレンと言った。

おや、もう新作のドーナツを御購入で。

ロバート・エヴァンスの自叙伝『くたばれ!ハリウッド』が、見るからに読みかけの状態でガラステーブルの上に置かれているのを見つめつゝ、玻璃が挨拶代わりの言葉を部屋の主に述べると、部屋の主は口をモゴモゴとさせた状態で、夜のロードワーク中に見つけて買って来た、とぶっきらぼうな口調で言い放ったのち、あ、勿論、私の分しか用意をしてないから、と言う「余計なひと言」を付け加えてから、又ドーナツを頬張り始めた。

えぇ、食べたくなったら自分で買って参ります、食べたくなったら。

相変わらずの強慾さに対し、夏の日の線香花火の様な苦笑を浮かべつゝ、部屋の主と知り合ったばかりの頃、自前で購入をした黒色の椅子にゆったりと腰掛けた玻璃は、自身の荷物である駅前の百貨店の紙袋の中から、一冊の写真集らしき書籍を取り出した。

此方、欲しがっていらした物です、どうぞお納めください。

随分と早く手に入ったな。

首に巻き付けたスタイで口元を綺麗に拭き取ったのち、モクレンはソファーからのっそりと立ち上がると、ガラステーブルとは又別のアンティーク調のテーブルの側迄、ツカツカと駆け寄って、片手に万年筆、もう一方の手に小切手帳を手に取った。

一昨日の夜、とある会へ御呼ばれをした際に
偶然著者の方と会話をする機会を得まして。

真っ白なカーテンの隙間から差し込む物憂げな初夏の光を頼りに、紙の上をモクレンの握り締めた万年筆の筆先が、花から花へと移動してのける蝶々のよろしく、するすると踊る様をじっと見据え乍ら、淡々とした口調で玻璃が事の起こりを伝えると、藝術の女神〈ミューズ〉に感謝だな、とモクレンは呟いてから、金額を書き終えたばかりの小切手を光へ透かした。

ええ。
そして素晴らしい書籍と其の著者との出逢いのきっかけをくださったアナタにも感謝を為ねばなりません。

抱える様にして持っていた写真集を一旦ガラステーブルの上に置き、スッと其の場から立ち上がった玻璃は、では確かに、と言う言葉を添えてから小切手を受け取ると、羽織っていた灰色のスーツの左の内ポケットから取り出した、黒々とした色調が特徴的な、伊太利亜産の革財布の中へ其れを収納し、素早く皮財布を懐に戻した。
そしてモクレンへ向かって深々と御辞儀をしたかと思うと、差し出された手に対し、タクシーの車中で乾燥を防ぐ為のリップを塗ったばかりの唇で、軽く口付けを落とした。
「儀式」を済ませたモクレンは、何事も無かったかの様な顔付きでソファーに戻ると、今後ともよろしく頼む、と呟いてから、八角形のタンブラーに残っていた最後のミルクを勢いよく飲み干した。

ええ、此方こそ。

先程自身が唇を落としたモクレンの右手から空のグラスを受け取るや否や、冷蔵庫の扉をガラリと開けた玻璃は、氷を五つ程グラスに放り込んでから、本日二杯目となるミルクをゆっくりと注ぎ、ミルクの甘い香りがお互いの鼻腔を擽る中、グラスをモクレンに直接手渡した。

今度此処へ来る時は、又何か珍しい物を手土産に出来れば良いのですが。

グラスを握った際のひんやりとした感触が残る手を用い、羽織っていたスーツを脱いでハンガーに掛け乍ら玻璃がそう述べると、ミルクで軽く喉を潤したモクレンは、テーブルの上の書籍に視線をフッと向け乍ら、ツテがあるのか、と言って、食べかけになっていたドーナツを口に頬張った。
モクレンの問いに対し、玻璃は、ええ、一応は、と言って先週末、自身が拭き掃除を担当したばかりの栗毛色の戸棚の中から自身のグラスを取り出すと、キッチンに立ってウヰスキー・ソーダを作り始めた。

で、お前の言う珍しい物ってどんな物になるんだ?。

一応今眼を付けているのは、南米の遺跡群から発掘された小さな石像です。

大きさは?。

そうですね、ざっと珈琲カップ位になりますかね、厭く迄も画像を拝見した限りでは。

玻璃が画像付きのメッセージをプライベート用に使用しているモクレンのタブレットに送信をすると、其処には確かに珈琲カップサイズの小さな石像の姿があった。

まるで木霊〈こだま〉だな。

ミルクの量が半分程になったグラス片手にタブレットの画面を眺めていたモクレンが、何時も乍らの軽い口調で感想を述べると、キッチンに寄り掛かった状態でグラスを持った玻璃は、ウヰスキーソーダの透明な液体越しに
モクレンの姿を見据え乍ら、探検隊のガイドを務めた方曰く、其の石像は嘗ての精霊信仰の名残りなのだとか、と説明を付け加え乍ら
モクレンの側へと近寄った。

なら、其の精霊とやらに。

そして良縁を齎〈もたら〉してくれた藝術の女神様とアナタに対し。

乾杯、と言う言葉が重なり合うと同時に、二人きりの部屋にグラスとグラスがぶつかり合う音色が、花嫁と花婿を祝福するウエディング・ベルの様に心地良く鳴り響いた。
喉を渇きを潤してしまおうと、勢いよくウヰスキーソーダを半分迄グッと呑み干した玻璃は、あゝ、そうだ、お土産と言ってはナンですが、と紙袋の中から布哇〈ハワイ〉土産で御馴染みのマカダミアナッツチョコの詰まった円形の缶詰を取り出した。

文房具を購入しに馴染みの文房具屋に赴きました所、其処の御亭主が娘さんの結婚式で布哇旅行をした際、帰りの空港で御購入為さったモノだと言ってくださったのです。

水飛沫〈しぶき〉を飛ばし乍ら、大人サイズの海豚〈いるか〉が跳ね上がる様子がデザインされた其の缶詰には、瑠璃色のリボンが結び付けられており、其れを垣間見たモクレンは、微笑を浮かべ乍ら、折角だ、二人して味わおうじゃないか、と雫が掌〈てのひら〉をひっそりと濡らすグラス片手に呟いた。

では、御言葉に甘えまして。

中の液体を溢〈こぼ〉してしまわぬ様、安全な場所へと手に持っていたグラスを移動させた玻璃は、こなれた手付きで紐をスルリと解くなり、見た目こそ細く見えるが、鍛えている否、鍛えられているお陰でがっしりとした男性味溢れる腕のチカラを用い、商品の性質上、敢えてキツく締めてある缶詰の蓋をいとも容易く開けてみせた。
そしてビニールの小袋に詰まったチョコを取り出し、其れがさも当然かの如く、チョコレートを口に含んだ状態でモクレンに優しく口付けた。
玻璃の口付けの上手さも相俟ってか、甘美且つ官能的な香りが口一杯に広がる中、モクレンは消え入る様な聲でひと言、相変わらず生意気な坊やだ、こんな時間から「その気」にさせようとするなんて、と呟いてから、両腕を玻璃の首に回した。
其れに呼応する様に玻璃も柔らかさと艶かしさ溢れるモクレンのカラダにそっと手を伸ばした瞬間、整理をしよう、しようと思っていて山積みになっていた書類の向こうから、一匹の波斯〈ペルシャ〉猫が欠伸とも叫びともつかぬ聲と共に、二人の姿をじっと見据えているのに二人同時して気が付いた。

乳繰り合うなら他所でやれってか。

だそうです。

急にこみ上げて来たおかしみに耐え切れなくなった二人は、笑い聲を響かせ乍ら、其の場でそっと身体とカラダをくっ付けた。
其の様子を波斯猫は、迚も眠たげな様子で見つめていた。〈終〉

エキゾティック・ラブ

エキゾティック・ラブ

大都会の片隅で、ひっそりと愛が綴られ、そして紡がれていく。そう、温もりと艶かしさが溢れる香りを添えて。そんな風な玻璃モク小説。※ 本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-06-14

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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