女主人の願い
B夫人の執事になって数年になるが、いつも驚かされるばかりだ。
金持ちの未亡人で、田舎の大きな屋敷に住んでいる。
同居するのは、俺と2人のメイドだけだ。
B夫人は目が不自由だが、屋敷の中なら杖なしで歩くことができる。
勘の鋭い女性で、近づく足音だけで誰だか判別できる。
「あらK、そこにいたのね」
「はい奥様。こんな時間にお目覚めですか?」
俺は時計を見たが、午前2時だった。
「あなたこそ何をしてるの?」
「喉が渇き、水を飲みにきたのです」
「私は違うわ。庭のすみから音が聞こえたのよ」
「庭でございますか?」
「かすかな足音よ。ほら、また聞こえた。明かり窓の鉄格子を外して、誰かが地下室へ侵入したのね」
「誰でございます?」
B夫人はかすかに笑った。
「きっと泥棒ね…。K、あなたはメイドたちを起こしなさい。着替える暇はないわ。裏の車庫から逃げましょう」
だが間に合わなかった。
メイドたちを起こしたところで、俺たち4人は強盗と鉢合わせしたのだ。
3人組の男で、顔をマスクで隠しているが、全員が銃を持っているので抵抗のしようがない。
すぐさま庭の物置へ連れていかれ、手足を縄で縛られ、4人とも床に転がされてしまった。
「ああ痛い。ひどい人たちね。手首に縄が食い込むわ」
などとB夫人が不満を述べるたび、いつ引き金が引かれるかと俺は気が気でないが、老女は平気なのだ。
「あなたたち、私の屋敷をどうなさるおつもり?」
「もちろん金目の物をいただくさ。悪く思わないでくれよな」
「私たちはどうなるの?」
「朝になりゃ、誰かが気づいて助けに来るさ」
「もう11月よ。寒くて風邪を引くわ。せめてここに火の気を残してくださらない?」
「贅沢なババアだ。風邪ぐらい引きやがれ。死にやしねえよ」
丸太のように転がる俺たちを見下ろし、強盗たちはうれしそうに笑った。
だがB夫人はまだあきらめない。
「ねえあなたたち、ちょっとお願いを聞いてくださるかしら?」
「なんでえ?」
「天気予報では、明け方から雨が降ると言っていたわ。あなたたちが入ってきた明かり窓のことよ。あれをちゃんと閉めて欲しいのよ。でないと…」
「どうなるってんだ?」
「雨が振り込み、地下室はびしょぬれになる。私には見ることができないから片付けてあるけど、あそこには値打ちのある絵画がいくつか保管してあってね。それがカビたら困るわ」
「わかったわかった。その絵をいただく前に、明かり窓はきっちり閉めてやるよ」
ガハハと笑いながら強盗たちは物置を出て行き、足音が聞こえなくなったことを確かめてから、俺は言った。
「奥様、値打ちのある絵のありかを、どうして教えてしまったのです?」
俺だけでなく、メイドたちも目を丸くしたが、B夫人は笑ったのだ。
「あんな絵には一文の値打ちもありませんよ。屋敷の内部に高価な物は何もない。宝石はみな銀行に預けてあるわ」
「ですが…」
「まあお聞きなさい。屋敷の建物にも大した値打ちはない。念のため保険はかけてあるけどね…。K、あなたは私の執事になって何年?」
「3年でございます」
「その3年間、不思議に思わなかった? 地下室の明かり窓を、なぜ私がいつも開けたままにしているのか。鉄格子で泥棒除けをしたけれど、今回は役に立たなかったわ」
「ええ、あの窓のことは不思議に思っておりました」
「この屋敷は、元は沼だったのを埋め立てて建てたの。だから今でも、屋敷の下からはメタンガスが立ち上ってくるわ」
「メタンでございますか?」
「燃えるガスよ。油断すると、それがすぐに地下室に充満してしまう。夫も私も色々試したけど、結局地下室の窓を常に開けておくしか対策がなかったのよ」
「奥様は今、強盗たちがその窓を閉めるように仕向けましたね」
「みじめな年寄りの懇願だもの。きっと強盗たちもきいてくれる。その後、絵を運び出そうと力仕事をするのよ。3人とも息がヤニ臭かった。ヘビースモーカーだわ」
「するとどうなりますので?」
「メタンが満ちつつある狭い部屋の中で、3人ともくわえタバコ。それが何を引き起こすか…」
屋敷の方向から突然、大きな爆発音が聞こえ、物置全体がビリビリと激しく震えたのはこの時だった。
女主人の願い