転売ヤー


 あの商売がいつ始まったのか、正確なことはわからない。
 だが通勤ラッシュがいよいよ激しくなった頃なのは確かだ。
 学生時代には、アルバイト代わりに俺もやっていた。
 まず朝、張り切って早起きをして駅へ急ぐ。
 俺の顔を見ると駅員は嫌な顔をしたが、俺を止めることはできなかった。違法行為ではないのだから。
 商売をするにあたり、忘れてはいけない道具があった。
 といっても大した物じゃない。
 ただのタオルだ。
 白いタオル。
 必要なのはそれだけだ。
 あの線の電車は、朝にはひどく混雑した。
 だが俺が乗車するのは始発駅だから、簡単に席を取って座れた。
 そして電車が走り始める。
 2、3駅過ぎる頃に車内は混雑を始め、5つ目の駅で満員になる。
 立ったままで新聞を読むのも難しいほどだ。
 だがここから市の中心部まで、電車はまだ50分間も走るのだ。
 そこで俺は、ポケットから取り出した白いタオルを自分の首にかける。
 客がつくのには1分とかからないね。
 例えばそれが背広を着た中年の紳士だとしよう。
 紳士はサイフを取り出し、紙幣を1枚抜き出す。
 俺は笑顔で受け取り、さっと席を替わるのだ。
 この時、

「毎度ありがとうございます」

 などと言ってはいけない。
 車内の注目を集めるからね。
 できるだけ早くその場を離れることも必要だ。
 席を売った若造がいつまでも目の前にいては、紳士も気分が悪かろう。
 俺は次の駅で電車を降り、始発駅へトンボ返りし、また別の電車をつかまえて、同じことを繰り返す。
 かなりいい収入になったよ。
 この方法でこづかいかせぎをやったのは俺だけでなく、他にも5人ぐらいいた。
 しかし平和が続いたのは、もっと多くの学生が参入するまでのことだった。
 ある日気がつくと、白いタオルを首にかけている奴が同じ車内に何人もいるじゃないか。
 数えると12人もいたので、俺はあきれた。
 同じように営業を続けたが、その先は経済学の教科書とまったく同じ状況に急速におちいった。
 最初に起こったのが値下げ競争だ。
 それまでよりも一割安い値段で席を譲る連中が出たんだ。
 値段が安いことを示すため、この連中は白ではなく青いタオルを首にかけるようになった。
 だがそれも長くは続かず、2割引にする連中が出てきた。
 こいつらは緑のタオルを持った。
 そうやって値下げが続き、とうとう元の半額にまで下がった。
 半額の連中は、

「赤字覚悟の出血大サービス」

 というつもりか、真っ赤なタオルを持っていた。
 だが半額が、値下げできるギリギリの金額と思われた。
 これ以上下げる奴はさすがに出なかったんだ。
 値下げ競争がすむと、次に何がやってくる?
 付加価値合戦、つまり単に座席を譲るだけでなくて、多少のオマケをつけるようになったのだ。
 最初に目をつけられたのは、終点で下車した時、出口の階段に最も近い座席だった。
 混雑したホームを長く歩かなくてすむからね。
 そのうちに一部の変わり者が、二日酔いでも職場へ出かける紳士のために洗面器を用意し、終点に着くまでそれを目の前で持っているというサービスを始めたが、これはあまりはやらなかった。
 次にシビンを持ち込む連中まで現れたが、これもはやらなかった。
 ここまで来ると、一通りのアイディアは出つくした感がある。
 しかし若者の発想力を甘く見てはいけない。
 美人の姉妹やガールフレンドを持つ連中が、車内にその彼女を同乗させ、

「この座席を買えば、美人の隣に座れますぜ」

 というサービスを始めたのだ。
 しかし通勤電車の中でまで美人とお近づきになりたい男は少ないらしく、これもすぐに下火になった。
 俺は早い時期からこの商売に関わり、大学の4年間ずっと続け、栄枯盛衰のすべてを見てきた。
 そしてこの商売も、ある日突然終わりを告げた。
 従来よりもスピードの出る高性能電車を、鉄道会社が導入したのだ。
 車内の混雑はなくなり、わが青春をかけた商売も、一瞬で過去のものとなったのさ。

転売ヤー

転売ヤー

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-26

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