あいよりいでて
今日は最悪だった。と加州清光は思う。
主を連れて向かった彼女の定期検診先の病院で、審神者が同じ子どもの審神者に足を引っ掛けられたのだ。
やっぱり歩かせたくなかったのに、ずっと抱き上げて歩いていたかったのに。と彼はため息を吐いた。健康のためにちゃんと歩きなさいねと医者が言い、審神者がうんと頷いたから、今日は手を繋いで歩いて帰ろうとした。
そうしたら、あんな目に遭った。彼女の白髪に赤い瞳……奇異な外見を軽く揶揄うつもりだったのか、その審神者の子どもはふわふわと歩みを進める彼女の足にどんと足をかけた。手を繋いでいなかったら転んでいただろう。そして、審神者の少女の小さな制止の言葉と、審神者の子どもの連れ添いの刀剣男士が叱っていなかったら、加州清光はその子どもを、斬りはしないにしても蹴飛ばしていたかもしれない。審神者の面子に関わるので、そんなことは絶対にしないが。気持ちとしてはあの小さな悪意の塊に悪意で返してしまいたかった。
加州清光はこの小さな審神者を守りたかった。どんな悪意からも守りたかった。そのためならどんなものからも閉じ込めてしまいたかったのだが、審神者である以上、そして彼女の心身が少なからず病んでいる以上、審神者は外に出て仕事や検診に行かないといけなかった。
「加州?」
そして、当の本人が全く気にしていないのも、加州清光のため息の種だった。もう少しばかり、自分に向けられる悪意に敏感であってくれないものか。あんたはただでさえ見た目が人と違うんだから、俺がちゃんと守るためにも───そう口に出しかけて、それは彼女を傷つけるものたちと変わらない発言だと思い。そしてまた、ため息を芽吹かせた。
「加州、ためいき」
「んーん。何でもないよ」
「んーんー」
「真似っこめ」
顔を覗き込んできた審神者の額を加州清光はつんとつつく。審神者は不思議そうに自らの額を撫でた。
「加州、げんき、すくない」
「そんなことないって」
「んーん、んーん。加州、おひる……びょういん、がまん、した。おこる……の」
「……」
「加州、つよいこ。わたし、あめ、あげる」
「あめ?」
「うん。加州、ちゅー」
審神者の少女は加州清光の膝の上に腰掛け、加州清光の頭に腕を回した。加州清光がされるがままにしていると、ころんと彼女の小さな舌で口の中に押し出されるいちご味。
「……ふ」
溶けかけのそれに加州清光は小さく鼻を鳴らし、そのまま少女の舌に吸い付いた。優しく、喰むような口付け。お互い、ゆっくりと鼻で息をしながら舌を味わう。甘く優しく、包まれるような良い心地がした。
唇が離される。砂糖の塊は、審神者から加州清光の口の中へ。しかし名残惜しげにつながる唾液の糸は、どちらのものかもわからないほど、どちらも甘かった。
「……甘い」
「加州、げんき、でた?」
「ちょっとだけ」
「ちょっと、だけ……」
しゅん、と俯く審神者を、加州清光はぎゅっと抱きしめた。
「わ」
「しばらくこうさせて? そうしたら元気出るから」
「ん」
「……主、ううん、母さま。俺ね、あんたが幸せなら元気出るんだよ、あんたを、何からも傷つけさせたくない。優しいものだけで包んでいたい」
「ん……」
「そうはいかないから、だからため息出るんだよね」
「わたし、つつ……ま、れてる。やさしい、加州に」
「……母さま」
「やさし、わたし、の……加州。だいすき、加州。わたし……だから、だいじょぶ」
「俺がいればいい?」
「ん」
「……そっか」
愛しい愛しい『母さま』を抱きしめる。炎から生まれ出でた加州清光という刀と、少女の血から顕現した加州清光という刀剣男士。血で満たされた刀。それが彼。
それは愛より甘く、いちごより赤い。ふたりのえにし。
やっぱり、どんな悪意からも守れるほど、優しく、優しくあらねば。加州清光はそう思い、審神者の少女の細い体を強く抱きしめた。加州、ぎゅー。と、彼女が小さく言い、柔い腕で抱きしめ返してくれるのを、彼はいっそう、愛しいと思うのであった。
あいよりいでて