
冷人便
人間の寿命が125歳と延びたのはいいが、それ以上にならなくなって千年、十世紀がたつ。なぜ寿命が延びないか、生命科学者は懸命に考え、実験を繰り返したが、どうしても細胞分裂の回数をのばすことができなかった。新しい細胞の体への導入まで考えられたが定着することなく、細胞の寿命を延ばすことによる体の寿命延長は無理だということがわかった。
それではと、臓器の取り替え技術の開発を行った。悪くなった臓器を、若くしてなくなった人から提供を受けるものだが、提供された臓器の寿命が周りの臓器と同期してしまうという状態になり、結局、寿命の延長にはならなくなった。
次に考えられたのは、人工臓器である。すべてを人工のものにして、脳だけ生かすということになる。脳も125年までは何とかその機能を維持することができたが、それ以上はどうしても劣化していった。すなわち痴呆の状態に陥るわけである。
そういった世の中になり、125年の区切りというのは重要な意味を持つことになった。その間に、人間は子供を育て、人間という種を維持し、さらに、個人の楽しみを十分に味わって命を終える、それしかないことを知ったわけである。
125年の楽しみ方は個人さまざまである。その中でも、宇宙旅行を楽しむ人がずいぶん増えた。
近光速の宇宙艇が建造され、遠くの星への探検ができるようになった。銀河系内の一番近い星が、4.24光年離れたプロキシマ・ケンタウリで、地球に似た惑星をもっている。ケンタウルス座の星である。バーナード星は約6光年、ルーマン16が6.5光年、獅子座のウオルフ359が7.9光年、シリウスが8.6光年、ロス154が9.7光年など、十いくつかある。そこまでは、光速艇だと遠いものは10年かかるが、ちなみに、最も遠いとされるエアレンデルは280億光年先にある。
寿命が125年を越えることができないことより、もっとリジッドなのは、宇宙艇は光速を越えることができないというアインシュタインの相対性理論である。質量のあるものが光速を越えるには、無限のエネルギーが必要と言うことらしい。
今、地球上で作られている宇宙艇は、とても優秀で、ほぼ光速に近い早さで飛ぶことのできるものとなった。
ということで、太陽系からとびだすには、一番近い星まででも、約4.3年かかるということである。それでもこの百年、たくさんの旅行客を乗せて、プロキシマ・ケンタウリの一つの惑星に観光宇宙船が飛び立った。往復で9年の旅である。
そのおかげで、プロキシマ、ケンタウリの惑星であるプロキシマ、ケンタウリB、通称PCbプラネットには広大な宇宙空港と、旅行基地が造られることになった。
しかし、宇宙空間を片道四年ちょっとの旅は、旅行中の生活を工夫しないと退屈してしまう。旅のはじめは宇宙空間が珍しいので、星々を眺めることが新鮮であり、楽しいのであるが、一年も経つとやはり飽きがくる。そこで、旅行会社は、食事の楽しみ、映画、音楽、演劇、様々なものを用意したのであるが、それも次第に飽きてしまう。そこで、往復9年の間に、何かのスキルを上達させるという、おまけを用意した。絵を書いたり、彫刻を作ったりすることで、帰ってから生かせるような教育プランである。体を鍛える人もいるのでスポーツ施設は充実し、インストラクターによる指導もおこなったりしたのである。
さらに宇宙旅行は進化した。PCbプラネットの宇宙基地ができて500年たった今は、冷凍旅行になった。往復9年かかることは変わらないが、ほとんどの旅行客は冷凍されて、宇宙基地に運ばれるようになった。眼が覚めると目的の星についているので、宇宙船に閉じ込められていた感じはない。すぐに観光なりのことができる利点はある。
旅行先も、さらに遠くの星までいけるようになり、あらたな旅行基地がつくられている。冷凍技術の発達により、今は、片道10年、すなわち10光年先の星までの旅行がおこなわれている。いける星も20ほどになり、楽しみ方がかわった。
もっとも新たな観光星となったのは、15光年離れたところにある星だ。最近、その星に宇宙基地がつくられ、冷人便がいくようになった。
冷人便とは、人を冷凍して運ぶ宇宙船のことである。冷凍されてカプセルに入れられて運ばれるので、片道15年もかけていくための、細胞をいためない高度な冷凍技術が必要だった。それが可能になり、人生最後の三十数年をかけてその星にいきたいという人がたくさんいたのである。その星には猫ほどの大きさと、それなりの能力を持ったの生き物が何種類もいて、とても人なつっこく、一年その動物たち暮らすと、地球では味わえない幸福感に満たされるという。その星の名前も幸福星と名付けられている。
行くことのできる星ではそれぞれ特徴のある観光ができる。最近、若くても往復10年ほどの星の旅にいく人が多くなった。個人で仕事をはじめ、それなりの収入をえることのできた人が、区切りで、星旅行をして、また次の人生を始めるという楽しみかたをする。
こうして、冷人便は毎日たくさん二十数個の星に飛んでいる。出発の宇宙基地は世界の各地にあったが、日本では、その大昔飛行場だった成田にあった。
冷人便に予約を入れると、冷凍にされるときの服や必要なものが送られてきて、荷物とともに一月前に、成田宇宙空港にいく。体調検査を長い時間かけて行ったあと、冷凍カプセルの中にはいる。入った人はすぐに睡眠ガスを吸わされ、カプセルの中で一月かけてゆっくり冷凍され、目的星に飛んでいくことになる。
成田宇宙空港の地下には、凍った乗客のはいったカプセルが集められ、出発の日になると、冷人便専用のチューブに自動的に送り込まれ、チューブはスタンバイしている宇宙船の客室に収まるようになっている。それから一週間後、チューブが船体からはずされ、宇宙船は星に向かって飛び立つ。一台の冷人便に五千人ほど乗せることができる。
星につくと、ホテルの部屋に運ばれ、客は一日ほどで溶けて、立ち上がることができるほどになる。そのころ、ホテルの客室係は部屋で待機している。そういった仕組みができあがっていた。
プロキシマ・ケンタウリのPCbプラネットにある高級ホテルでは、今日到着する冷人便を部屋に運ぶ準備をしていた。百組ほどくることになっている。そのうち八十組は若い人のカップルだ。二十歳の頃から10年ほど働いて、それなりの収入をえて、新婚旅行にやってきたのだ。この星で1年楽しんで、4、5年かけて地球にもどり、また新たな仕事にチャレンジする。地球にもどったときは四十ちょっと、125歳の寿命を持つ人間にとって、これからという時期になる。
その宇宙船にのったのが四年半まえだから、プラネットにつくと30の人は35歳ほどになっている。そこで新婚生活をして、また地球に戻るわけである。
「今日到着の冷人便は出発の時に成田宇宙空港でトラブルがあったそうだよ」
到着を持つアルファーケンタウリPCbプラネットの空港に、冷人を受け取りに来たホテルの受け取り係りのものが言っている。
「なにがあったんだ」
「停電だってさ」
「そんなことがあったんだ、珍しいね、停電なんて言葉は百年前に記録されているくらいだろ」
「ああそうだよ」
「なにがあったんだ」
「ネズミがケーブルかじったんだってよ」
「ネズミか、天然記念物が野生でいたのか」
「そうらしい、ネズミは丈夫だから、生き残っていたんだな」
「成田宇宙空港が、飛行機の時代にはまわりにはいくらでもいたようだぜ」
「何百年も前のことだろう」
しばらくすると、冷人便宇宙船は到着し、出迎えの係りの者は、到着のターミナルで、冷凍された客の箱がでてくるのをまった。
次から次へとでてくる、冷凍カプセルを、係りはワゴンに載せ、宇宙空港のホテル用到着ロビーで待つ車まで運ぶ。
ホテルでは、係りの者たちが、控え室で到着をまっている。
「もう到着したということだ、係りのものはいってくれ」
チーフが言いにくると、めいめいは部屋に向かう。
「おれ、87号室の新婚、おまえは」
「88号室だ、やっぱり新婚、そいじゃ」
ホテルの客室係は、受け持ちの部屋にいった。
すでにカプセルは部屋に運び込まれていることだろう。
88号室をあけた客室係は二つのカプセルが解凍控え室のベッドの脇に並べられているのを見た。本人たちにいきなり光が当たると害になることから、カプセルは半透明で、上から見るとやっと人の形がわかる程度である。
客室係が、カプセルのオープンのボタンをおした。赤色のランプがつき、ブーンと解凍がはじまる音がした。
30分見守って、冷凍されていた客人を驚かさないように、ゆっくりと脳を目覚めさせる操作を行う。静かな目覚めの音楽をきかせ、カプセルの中の温度を少しづつ上げて、中も空気を静かに攪拌し、カプセルの中の接触装置で、めざめ始めた客人のからだをゆっくりしずかにこすっていく。
一時間もすると、音がきけるようになり、ホテルでの生活、さらには、その星の生活の注意点などを、ゆっくりと聞かせる。
のどが渇いたといったら、カプセルの小さな穴をふさいでいたキャップをはずし、チューブから高エネルギーを含んだ水を少し飲ませたりする。
元に戻るのに早くて六時間、年がいっていると一日かかる。個人差があるので、それを見極めて、おかしくならないように元に戻すのが客室係りの役割である。
医師免許に近いほどむずかしい、冷人客担当ホテルマンの国家試験をパスした人たちである。
二人が、完全に目覚めて、立ち上がったら、おしぼりを渡し、顔をふいてもらって、これからのことを説明することになる。
88号室では、半日見守ったところで、緑のランプがともり、一つのカプセルのふたが自動に持ち上がった。
そのカプセルから、若い女性が立ち上がった。
客室係は、暖かいおしぼりを女性に渡した、女性は顔をふいて、にっこり笑って、大きなあくびをした。
もう一つのカプセルはまだ蓋が開かない。カプセルの客人のからだについているセンサーが体温、脈などを記録し、大丈夫となると、緑のランプがつき、蓋が持ち上がる。男性の方がなかなか蓋は開かない。
女性に彼はまだか聞かれたが、客室係りは人によって目覚めの時間が違うことなどを説明した。
「あの人、おねぼうさんだからね」
「よかったら、奥の寝室でお休みください、ご主人が起きたらお連れします。もしよければ、バスなどを使って、ゆっくりなさってください」
「そうするわ」
客室係りは彼女を寝室に案内し、風呂場などの説明をした。
解凍控え室に戻っても、まだ男性のほうはおきていなかった。
しばらく待っていると、女性が風呂から上がって、様子を見に来た。
「まだなの」
「もうすぐのようです、ランプが黄色になっています」
客室係りがいぶかしく見ていると、緑のランプがつき、やっと蓋が開いた。手を突きながら男性が立ち上がった。
「あなたー」
女性が声をかけて、立ち上がった男を見た。
「えーー」
女性が目を丸くして気絶してしまった。
立ち上がった男性は百歳を越えているるしわしわのじいさんだった。
客室係りもびっくりして、カプセルのラベルをみた。幸福星行きとなっている。違う星へいく宇宙船の客だ。
そのとき、ホテルの館内放送があった。
「出発時、成田宇宙飛行場の電気故障のため、間違った星に到着したお客様がいらっしゃいます、客室係りは、お客様にそのことを伝え、その場で待っていただくようにしてください」
おじいさんが客室係に言った。
「うちのばあさんはどこにいるんじゃろ」
冷人便