『西洋絵画、どこから見るか?』

本文の一部を加筆修正しました(2025年5月23日現在)。


 誰がその絵を欲しがるか、という需要の面から紐解く西洋画の歴史には教会や貴族、あるいは富裕層といった世俗に向けて与えられる影響力を欲する存在があり、その注文に応えようと、不特定又は多数人に与えられる感動を生み出さんと究められた技術の躍動がある。構図に発色、筆致や額装といった絵画を構成するありとあらゆる要素のクオリティ、それらの組み合わせが生み出す統一感の処理といったあらゆる過程に認められる画家の研鑽は、その完成度の高さにおいて他に類を見ない頂に至っている。
 あるいはテーマというひとつの側面で概観しても、キリスト教で教え説かれる場面を神秘的に描くか又はより人間的に描くかで、目の前で広がる世界「像」から受ける印象が大きく異なる。流行り廃りは、それぞれの時代や社会状況に応じて移り行く人々の思いや考えに沿って波のように過ぎゆく。それを思えば、画家という職業に就く者がどれだけ供給の面にも気を使っていたか。エル・グレコという強烈な個性の持ち主が、その個性を一切封じることなく、思うままの画風を展開できる場所を鋭敏に嗅ぎ取って成功を収めた。画業としては異様とも思えるその仕事ぶりにも、ただならぬ興味を抱くことができる。
 画業として見る限り、描きたいものを描いて売れるという理想はきっと今も実現していない。職業画家のほとんどは表現行為一般にまつわる哲学的で抽象的な話にかまっていられないぐらい具体的で、利己的な「お客の視線」を意識しながら筆を取り、絵を描いているはずだ。
 それでも例えばモチーフへの独特な迫り方とか、偏愛ともいえる構図の繰り返し、あるいは色の出方に心踊る様のような筆触その他諸々の伝統的な技法を過剰に強め、あるいはそこからはみ出んとする特徴が可能としてきた歴史の区分。その内側で、溢れかえるほどに活き活きとした描写を生み出す作り手の息づかいを目の当たりにする度、自分の中で拡張する感動のポイント。その狭間に在ってこちらを見ない描き手の姿に、西洋画というジャンルを躍動させてきた理由を知る。
 ロートレックが強い関心を寄せる女体のフォルム、露悪趣味にもなりかねないぐらいにドガが暴こうとする踊り子という生き様。ホアキン・ソローリャの眼差しそのもののような柔和な色彩。劇的に過ぎると頭のどこかで分かっていてもその肉感、今にもまた泣き出しそうな実在感に心奪われるジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの作といわれるマグダラのマリア。ルーベンスという肌触り。「本物」という言葉を丸飲みして耽溺するしかない、ベルナルド・ベロットが描く風景。はたまた最高傑作の評に相応しい謎を問いかけるフアン・サンチェス・コターンのボデゴン。究極の静物画。
 何を描くべきか、という選択からして自由でなかった画家の道。それでも絵を描く者として止められなかった探究心、試みの足跡が押し広げた道幅。そこに殺到した良くも悪くも飽きっぽい私たち鑑賞者が上げる歓声を受けて、西洋絵画の歴史は今もなお続いている。
 『西洋絵画、どこから見るか?』というタイトルに込められて時空間は決して学術的な意味合いに終わらない。現に行われている仕事として、失うには余りも勿体無い文化として後世に受け継がれていく。サンディエゴ美術館から出品されたもののうち、49点もの作品が本邦初公開となる記念すべき本展は、国立西洋美術館で2025年6月8日まで絶賛開催中である。興味がある方は是非。非常に素晴らしい展示だったので強くお勧めしたい。

『西洋絵画、どこから見るか?』

『西洋絵画、どこから見るか?』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted