埒外の生

生にはなんの意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。唯一の理由にだってなる。
(エミール・シオラン『告白と呪詛』)



どこからともなく〈声〉がする。耳にではなく、脳に直接語りかけるような〈声〉が。「生まれたことに意味は無い」だの、「生きることに価値は無い」だの、何かを否定するようなことを吹き込んでくる。生まれたことに意味は無いのか?本当に生きることには価値は無いのか?俺は思考を始めようとする。すると、〈声〉が思考を遮ろうとする。​──お前は俺の言うことを素直に信じればいいんだよ。問いなど立てるな。内向的な人間はすぐに問いを立てたがる……。俺は〈声〉の妨害に抗おうとする。生きることに価値は無い……意味は無い……果たして本当にそうだろうか?仮にそれが無いから、何だというのか?俺にそんな文言を吹き込んでくる〈声〉の目的は一体何なのだろうか?俺は問う、お前の目的は何だ。〈声〉が応答する、目的など無い、お前はただ俺の言うことを鵜呑みにしていればいいんだ……。俺は苛立ってくる、俺にだって意志があるんだ、俺がどうしようが俺の勝手だ、俺の思考に口を挟んでくるな、俺から思考を奪おうとするな。〈声〉はしばらく止んだ。怯んだのか呆れたのか、〈声〉はしばらく黙っている。俺は思考を始める。生きることに意味は無い、価値は無い……仮にそうだとして、それは生きるのをやめる決定的理由にはならない。意味など揺らぐものだ、曖昧なものだ、そんなものがあろうがなかろうが、生は続く。続けることができる。たとえ続けることに意味や価値が無いとしても。そもそも……前提から間違っているのではないか?生はそもそも、意味や価値を問題としない。生きることは意味や価値の埒外(らちがい)にある。生きるとはそういう営為だ。俺は自問にそう自答する。全てに意味は無いかもしれない、けど、だからこそ俺は何にも縛られず自由に生きることができる。そう結論づけると、俺の中から〈声〉は消滅した。

埒外の生

埒外の生

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-21

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