骨を抱いて眠る

 彼女が口を開こうとした瞬間。ぱし、と柔らかく、しかし乾いた音が部屋に響いた。
 
 近侍の鶴丸国永に頬を手のひらで軽く打たれた審神者の少女は、じわりじわりとその目に涙を浮かべる。
「つ、るまるさん」
「学ばないな、きみは」
 鶴丸国永はそう言うと、うっ、うえっと、嗚咽を漏らす少女の代わりに、出撃している第一部隊にモニター越しに声をかけた。
「主が今は使い物にならん。近侍の俺が代わりに指示を出させてもらう」
『……大丈夫なのか』
 真っ先に返したのは、大倶利伽羅であった。彼は前田藤四郎を支えている。前田藤四郎は、浅く呼吸をしながら、腹に刻まれた深い傷を押さえていた。───重傷である。
「それは主に対してかい? それとも、俺が急に仕切り始めたことに対してかい? 伽羅坊」
『どっちもだ』
「なら心配はいらん。主はちょっと血に驚いただけだ。……撤退しろ。誰一人欠けるな」
『……わかった。部隊長、前田を頼む。俺がしんがりを務める』
『頼んだよ。……皆、撤退だ』
 部隊長の歌仙兼定はそう言うと、敵を撒こうと走り始めた。安全圏まで逃げてしまえば、本丸に時空間転送するのは簡単だ。
 
 鶴丸国永は部隊を信頼し、ふうと息を吐き、ぐすぐすと泣く少女を見た。跪き、彼女に視線を合わせる
「二度と俺たちのこと、折らないって学んだよな?」
「う、うぅ……」
「泣いてたら、きみの気持ちが分からん。きみはあの時、どんな気持ちで部隊に進軍を命じようとしたんだ?」
「あ、う、うぐ、ぅ……だ、だって、成果を上げないと……さ、審神者、として……」
「……」
 鶴丸国永は再びため息を吐いた。この少女が刀剣男士の命を折らせたのは、初めてのことではない。あと少しで敵に対して制圧ができる、しかしひどく負傷した刀剣男士がいる。それを天秤にかけたところで、少女は毎回パニックを引き起こし焦ってしまうのだ。
「いいかい、主。俺たちはこの人間のような体に顕現して、皆それぞれひとりの命になってしまった。この意味がわかるか?」
「……う……」
「わかるよな?」
「わ、かります。わかって、ますぅ……」
 本当にわかっているのかも分からん。と鶴丸国永は微笑む。その微笑みには、少女への愛しさと憐れみが混じっていた。
「基本的に、殺しは良くないよな?」
「……はい」
「死にかけた者がいるのに、見殺しにするのも、まあ……良くないよな?」
「はい……」
「なんだ、よくわかっているじゃないか」
 鶴丸国永はふ、と肩を揺らして笑った。どこか疲れたように、けれど優しい声音で続ける。
「じゃあ、どうしてまた俺たちを折ろうとした?」
 その問いに、少女は俯いたまま答えられない。握った手は震え、細い肩は涙に揺れていた。
 鶴丸は立ち上がり、その肩にそっと手を置いた。怖くて、逃げたくて、それでもここに立ち続けている───彼女のその事実だけは否定しなかった。
「……怖いなら怖いって言ってくれ。弱いなら弱いって、俺に叫べ。情けないなら、泣きながらでもそれを認めてくれ。……そうしたら、俺たちはその隣に立てる。刀としてじゃなく、一振りの命として、きみを支えることができるんだ」
「……っ……」
「でも、もしそれができないって言うなら……もしまた、誰かを犠牲にして成果なんてもんに逃げようとするなら───」
 鶴丸は少女の身体を、ぽん、と優しく抱きしめた。ひどく、あたたかく、まるで彼自身が人のように。
「俺は何度でも、叱るよ。容赦なく、何度でも。きみが死ぬまででも、ね。何度でも」
 それは罰でも、脅しでもなかった。ただ、誓いだった。少女がまた自分自身の愚かさに足を取られそうになるなら、彼が引き戻す。そのたびに、頬を叩いて、怒鳴って、泣かせて、そして───きっと最後は、こうして抱きしめる。
「……だって、信じてるからな。俺は、きみのことを」
 その言葉に、少女は小さく泣いた。今度は嗚咽ではなく、ただ静かに、静かに。
 鶴丸国永の胸元に、涙の跡がしみこんでいく。

 
  部隊が帰還したのは、それから間もなくのことだった。
 転送陣が淡く光を放ち、まずは無傷の者から順に本丸の大広間へと戻ってくる。そして最後に見えたのは、担がれるようにして帰ってきた小さな身体───前田藤四郎だった。
「まえ、ださん……っ!」
 少女はよろめくように走り寄った。まだ顔は涙の痕で濡れていたけれど、その手は震えずに伸びていた。白い指先が、熱を持つ額に触れる。
「本丸の手入れ部屋、もう準備してありますっ! すぐ、すぐ手入れします!」

「……はい。ありがとうございます、主君……」
 小さな声が返る。前田藤四郎は、熱にうかされたようにかすかに笑っていた。
「僕、主君の命令だから頑張れました……最後まで、負けませんでした……」
「うん……うん……」
 整えられた手入れ部屋にて、少女の指先は、不器用に血を拭い、汗をぬぐい、布を取り替える。刃に念を込め、手入れをしていく。ぎこちない。慣れてはいない。けれど、その手は、確かに命を扱う手だった。

 その光景を、部屋の隅から鶴丸国永は見つめていた。
「やればできるじゃないか、我が主」
 口元に浮かぶ笑みは、どこか誇らしげだった。
「手遅れになる前に気づけてよかった。前田も、皆も……きみが変わることを信じてたからな。だから、ここに帰ってこれた」
 少女は手を止めて、そっと振り返る。泣いているのではなかった。ただ、鶴丸の言葉を胸にしまうように、黙って頷いた。
「この先、きみがまた迷ったり、怖くなったりする時があるだろう。けどさ───その時は、今みたいにちゃんと立ち止まってくれよ。俺がすぐに見つけてやるから」
 鶴丸はゆっくりと近づき、しゃがんで少女の顔をのぞきこんだ。金の瞳が、まっすぐに彼女の瞳を映している。
「……皆、きみを見てる。主としてだけじゃない。一人の命として、一人の人間として。俺たちはきみの成長を、心から願ってる」
 少女は、その言葉の意味を、すぐにすべて理解することはできなかったかもしれない。それでも……。

「あたし……がんばります。……がんばりたい、です」
 それが、今の彼女にできる精一杯の誓いだった。

 鶴丸国永は、くすりと笑った。
「よしよし、じゃあ今夜は褒美に……俺がきみに、面白い話でも聞かせてやろうか。びっくりするような、刀たちの昔話をさ」
 そう言って彼が差し出した手に、少女は初めて迷わず、自分の手を重ねた。
 その手のひらのぬくもりは、確かに誰かの命を救った証だった。
 
 きっと、また間違えるだろう。
 きっと、また誰かを傷つけるかもしれない。
 けれど、それでも。
 その度に叱ってくれる誰かがいてくれるのなら。
 その度に名を呼んで、抱きしめてくれる誰かがいるのなら───

 夜、少女は鶴丸国永の胸の中で、そっとまぶたを閉じた。鶴丸国永は、眠る少女を抱きしめ見下ろしていた。
 薄い胸の上下。温かな吐息。まだ生きている命の証が、そこにある。
 あんなに泣いて、あんなに震えて、あんなに無様で、それでも、この命を、どうしてこうも愛しいと思ってしまうのだろう。
「……まったく、どっちが守られてるんだか。おもしろ……いや、情けないな」
 彼は苦笑を漏らし、そっとその髪を撫でた。小さな骨のかたちを、確かめるように。
 眠ったあとの少女は、ふしぎとよく喋る。夢の中で何かを見ているのか、時折うわごとのように名前を呼ぶこともある。
 その声が、自分の名だったとき。───それがどれだけ、嬉しかったか。

(……たとえばこの子が、何年か後に死んでしまうとして)

 唐突に湧いたその想像に、鶴丸はゆっくりと目を細めた。

(もう人として生きることをやめて、骨になって、何も喋れなくなっても)

 その時、隣に立つ誰かがいてくれるのだろうか。あの笑顔を、涙を、強がりも、弱音も、誰かがちゃんと覚えていてくれるのだろうか。
「……いや。違うな。それは人間じゃない」
 彼はその小さな身体を、改めてふわりと胸に抱き寄せた。そう。人間ではない。これはきっと、祈りだ。願いだ。呪いにも似た、残酷なまでの執着だ。

「俺が抱いててやるよ。死んでも、生きてても、きみが骨になっても……俺が、抱いていてやろう」
 静かな夜に、金の瞳がまっすぐ瞬いた。
「主だからじゃない。審神者だからでもない」
 
 ただ。
 そう、ただ───

「俺は、きみを愛しているよ」
 その夜、鶴丸国永はずっと、少女を抱いていた。眠る彼女を、そのまま骨になるまで───たとえそれがどれほど永い夜でも。

骨を抱いて眠る

骨を抱いて眠る

鶴丸国永×雪 紹介小説

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-18

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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