バス


 俺は駅で電車を降り、いつもバスに乗り換える。
 だがそれが、今日は少し違っていた。
 車内にいる乗客は俺一人きりだったのだ。
 だが気にもならず、俺はすぐにウトウトし始めた。
 目が覚めたのは発車した後で、駅前を出てすぐの交差点だ。
 ジェットコースターかと思えるほどの急角度で、運転手がハンドルを切ったのだ。
 座席から放り出され、俺はガラスに頭をぶつけるところだった。

「!」

 手すりにつかまって体を起こしたが、俺の口からはどんな言葉も出てこなかった。
 バスは猛スピードで、前方には次のカーブが近づいていたのだ。
 どんな車でも必ずブレーキを踏む急カーブだ。
 しかしこのバスがそうしていないことは明らかで、車体はまっすぐ突き進み、タイヤがセンターラインを踏み越えたことが振動で伝わってくる。
 バスは街路樹をなぎ倒し、路外へと出て行ったのだ。
 その先には商店街がある。
 狭い通路を挟み、左右に何軒も店が並んでいるのだ。
 座席にしがみつき、俺は震えているしかなかったが、バスが商店街を無事に通りぬけたのは奇跡としか言いようがない。
 それどころかバスは、さらに大きくエンジンをふかした。
 指が白くなるほど強く、俺は手すりにつかまったが、気がつくとバスは、いつの間にか元の道路に戻っているではないか。
 前方に自動車が見えてきて、俺は息が止まりそうになった。

「追突するっ」

 だがどういう奇跡か追突することはなく、バスはその自動車を追い越すことができた。
 窓ぎわにいたから、俺はその車内を見下ろすことができた。
 高価な外車だが、後部座席では赤ん坊が一人、すやすや眠ってるのが見える。
 バスはこの自動車を完全に追い越した。
 そしてここで、何を考えたかバス運転手は突然、タイヤが悲鳴を上げるほどの急ブレーキをかけたのだ。
 ガスン。
 乗用車がバス後部に追突する音が聞こえた。
 それでも、バスがやっと止まってくれたことは間違いない。

「今のうちに降りなきゃ」

 一秒も無駄にすることはできず、俺は出口へと急いだが、バスの後部はひどいありさまだった。
 テールライトや方向指示器、バンパーがめちゃくちゃに壊れている。
 だが自動車の方は、意外にそうでもなく…

「そうだ。乗っていた人は大丈夫だったろうか?」

 乗用車の運転席をのぞき込み、俺は呆然とした。
 そこには誰の姿もなかったのだ。空っぽのシートがあるだけ。

「だけど、さっきの赤ん坊は?」

 後部座席に目を走らせると、こちらは期待通り。
 チャイルドシートの中で、赤ん坊はスヤスヤと目を覚ましてもいなかった。
 真相は翌日の新聞に掲載された。
 若い母親が、赤ん坊を連れて買い物に出てきたのは良いが、ブレーキをかけ忘れたまま運転席を離れてしまい、赤ん坊だけを乗せて、自動車は勝手に走り始めてしまった。
 気が付いて半狂乱になり、母親は自動車を追うが、追い付くはずがない。
 それを目撃していたのは、発車時間を待ってバス停にいたバスの運転手ただ一人。

バス

バス

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-18

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