運命の出会いが同種族とは限らない

高校生の頃に書いた作品です。製作当時、新作のアイディアに困っていました。そんなある日、某テレビ番組内で「蛸に求愛される男性」という砂像が製作、放映されたことを思い出しました。そして思いつくままに妄想した結果、このような形になりました。

運命の出会いが同種族とは限らない

 ある日私が海水浴に向かった日のことだった。時刻は午後七時を回っていたが、それは私の思惑通りだった。日焼けをするのを嫌ったからだ。夜中に海水浴に向かうのはあまり喜ばしい行為ではないし、日焼けが嫌なら室内プールでも利用しろという話ではある。だが私は競泳選手じゃないし、練習するために泳ぐわけでもないので、わざわざ金を払ってプールへ行くのが馬鹿らしいと感じただけである。私が向かった近所の海水浴場は所謂穴場で、管理もほとんどされていない。昼でも数人泳いでいるのを見かけるぐらいだが、自分が泳ぐ姿を見られるのは何となく癪だった。ゆえにこの時刻に向かうことにしたのだが、決して泳ぐのが下手だというわけではない。
 とにかく、これが今年の夏の不思議の始まりだった。
 海水浴場に着いて泳ぎ始めたころは問題なかったが、十数分ほどすると、急に私は右足に違和感を覚えた。足がつりかけているのではなく、何やらぶよぶよしたものがへばりついているという不快な感覚だった。海草でも引っ掛けたか、と思い右足のそれへ手を伸ばしたが、どうも上手く取れない。性質の悪い海草だと苛立ちながら陸に上がり、砂浜に座り込んで再び引き離そうとしたが、やはり上手くいかない。しかもそれどころか、私が引き離そうとするのに呼応するかのように、より強くへばりついてきたのだ。私はまたもや作業を中断し、今度は駐車場の私の車の元へと向かった。車には懐中電灯が常備してあり、それさえ使えばこいつの正体もつかめるだろう、と踏んでの行動だった。だが、向かっていく途中私はある異変に気づいた。さっきまで右のふくらはぎに感じていた海草らしきものが、確かに今はももまでに上り詰めているのだ。私は嫌な予感がした。こいつは恐らく生物だ。車に到着し、懐中電灯を取り出してすぐさま確認する。嫌な予感は的中した。私は仰天したままそれをじっと見つめた。
 私のももには、なんと蛸が絡み付いていたのだ。
 私はそれからこの蛸を引っぺがすことに苦労した。結論から言うと出来なかったのだが。この蛸、私が引っぺがそうとすればするほど抵抗し、また私の身体の上方へとゆっくり進軍を始めるのだ。数回ほど挑戦して、腹辺りまでやってきたとき、私はいよいよ諦めた。
 ただ、とにかく放っておけば勝手に死ぬだろう、と考えて蛸を腹に吸い付かせたまま、私は帰宅することにした。明日のおかずには困らないな、とすら思っていた。結構図太いなと自分に呆れていたが、今思えば、あのように蛸を放っておくという発想をしたところで、あの時の私はおかしかったのだ。
 それから私は車を家へ向けて走らせたのだが、その最中、ふと腹にへばりついているその蛸の目を見た。
 蛸の目は不思議だった。真丸の眼球に一文字に切れた真っ黒な瞳。その瞳は私に何かを訴えているようだった。殺さないで、とでも懇願しているのかと思ったが、その瞳はそんな事よりほかのことを主張しているような気がしてならなかった。だが、そのことはけしてその蛸が私に向けられるはずではないもののように思えて、その時の私にはそれが何なのか理解することは出来なかった。
 私はその目を見てからというもの大いなる興味と不安に襲われた。こいつが私に求めているのは、自身を海に返すことではない。今私がこいつを死ぬまで放っておけば、それは永遠に分からなくなってしまうだろう。私は真相が知りたくてたまらなくなった。結局私は急いで車をペットショップへ向かわせ、蛸を飼う準備をするにはどうすればよいか、などという無茶苦茶な注文を店員にする羽目になった。因みに蛸は私の危害を加えようとしない意思を悟ったのか、自然に離れてくれたので、腹に不自然な膨らみを拵えて入店することだけは免れた。
 また、急いでいたせいかあの時の私は気づいていなかったが、蛸が陸に上げられてから帰宅するまで、結構な時間が経っていた。蛸は何故か死ななかった。
 それからの生活は奇妙の連続だった。
 最初に、あまり大きい水槽を買えなかったにもかかわらず、この蛸は自分の足を喰い始めないのだ。どこかで蛸はストレスにもの凄く弱い生物で、水槽が狭いだけでその様な奇行に出始めると聞いていたのだが、この蛸は一切その様な行動に出ようとしなかった。それどころか狭い中元気に動き回っており、常に私のいる方向へ向かってくるのだ。勿論水槽の壁にぶつかるのだが、それでも壁にへばりついてなんとしても私に近づこうとした。飽きずに同じことを繰り返すので、私はその度に不思議に思った。
 次に、蛸が変化していくことだった。日を経るごとに少しずつ、人の身体へと近づいていったのだ。色々と分からない点の多い蛸だったので何が起こってもおかしくは無い、と警戒していたのだが、これには再び仰天せざるを得なかった。ある日胴に蛸の足が二本増えていると思えば、その足が他の八本と違って妙に艶かしいことに気づき、数日経つとそれが人の足へと変貌していた。更に数日経つと胴は身体となり、元々の足は髪のようなものへとなり、頭が人の頭へと変わり、そして気づけば水槽の中には蛸などという存在は消えてしまっていて、身長三十センチくらいの可愛らしい女性が水中に漂っていた。
 私はその変化にただ驚くことしか出来なかった。それからどんどん彼女は成長していった。水槽に入りきらないほどの大きさとなってから、私は風呂場を彼女に占領された。しかし一向に成長を止めない彼女は、いよいよ風呂場では満足できない大きさへと変貌した。百六十センチほどで成長がやっと止まったころには、彼女は見かけが完全に人間のものとなっていた。蛸の足だった髪の毛も、今では紅い人間の髪になっている。その上水分補給さえ絶やさなければ、彼女は陸上で人間とほぼ同じ生活が出来るようになってしまった。
 だが彼女には蛸の名残があるようで、どうやら目に見えないほど小さな吸盤が無数に皮膚にあるらしい。私が彼女の手でも握ってしまえば最後、彼女が満足するまで決してその握った手を離そうとしない。私が離そうとしても、勿論その吸盤が吸い付いて決して離せない。私と手を握っている間、こいつはとても嬉しそうに微笑んでいた。
 また、彼女自身接吻を非常にねだってくるのだ。何故ねだるのか分からないが、とにかく私は最初激しく抵抗した。最早人間としか意識できない彼女にそのようなことをされるのは、とてつもなく恥ずかしいものだったからだ。だが私のその必死の抵抗も空しく、彼女に寝込みを襲われ、結局はされてしまった。しかも彼女は唾の代わりとでも言うのか墨を口移しで私の口へ流し込んできたのだ。勢いで飲み込んでしまったが、信じられないことにその墨は非常に旨かった。私が目を白黒させていると、彼女は私の目と鼻の先でいつものように微笑んで私の瞳を覗き込んでいた。彼女の瞳はあの日の色を帯びていた。普段の面倒を見ていることへの御礼のつもりなのか、それとも愛情表現なのか。彼女は接吻する度に墨を流し込んできた。
 今思えば、私達が初めて出会ったあの日、彼女が私に向けた瞳には、もしかすると愛が彩られていたのかもしれない。全く見知らぬ生き物であって、種族すら違い、また天敵である人間の私に恋をするとは信じがたいが、今の彼女を見るとおかしくはないように思える。……もしかすると、彼女はこうやって人間に変身することを見越して私と接触したのだろうか。彼女は現在、言葉は理解し始めているが(蛸は学習能力が高い動物だからなのだろうか)、まだ話すことはできないので、それも今はわからない。
 私はどうやら彼女を愛し始めているようだ。今では自分から彼女と手を握り、そして唇を求めている。そして旨い墨も求めている。私が彼女を見つめる目も、最近では恋人に向けるそれとなってしまっているのだ。私がそう回想していると、彼女が私に手を差し出していることに気づいた。
 蛸と結婚したいと思う人間なんて私だけだろう、と彼女の手をとりながら私は笑った。

運命の出会いが同種族とは限らない

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運命の出会いが同種族とは限らない

ある夏の夜、「私」は海水浴に出かけたのだが……。不思議な蛸とそれに翻弄される男性の話。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-27

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