最後の至宝
真夜中、俺は目撃したのだ。
なぜそんな時間、そんな場所にいたのか、きかれても説明に困る。
ティーンエージャーの感傷で、ただ静かに月を眺めたかったのだ。
夏休みで、俺は田舎の伯父の家に滞在していた。
田舎の夜空はクリアで、大安売りかと思うほど星が無数にきらめくのだ。
俺は川のそばにたたずんでいた。
流れは深く水量は多く、さんざめく水音がまわりを満たし、イヤホンをさしたラジオのボリュームを少し上げたほどだ。
そうして何分がたったのか、突然視野のすみを横切った黒い人影に俺はギクリとしたが、声は出さずにすんだ。
今の自分は透明人間も同じ。見つかる心配はない。
息を詰め、俺は観察を続けたが、よく見ると従兄弟の正吉なのだ。
正吉は、手の中に何かを持っている。食べ物らしいが、それを小動物に与えているのだ。
食べながらうれしそうにキュッ、キュッと鳴く小さな茶色い体は、この川の住人だろう。
はたから見ているだけでも楽しい眺めだった。
正吉は時々こうして真夜中に家を抜け出し、動物もそれを楽しみにしているのがうかがえる。
俺はそっと立ち上がり、気づかれないようその場を離れたが、俺の深夜の散歩は、その夜が最後になった。
村である事件が起こり、人々の気持ちを騒然とさせたのだ。
強盗事件だった。金持ちの家に押し入り、ナイフを突きつけ金庫を開かせた。
目撃者の証言を元に賊の似顔絵が作られたが、それがなんと正吉にそっくりなのだ。
逮捕というのではないが、さっそく刑事が伯父の家を訪れた。
家の全員が似顔絵を見せられたが、誰も驚きを隠すことができなかった。
「この顔はお宅の息子さんに似ていませんかね?」
もちろん正吉にも似顔絵は見せられたが、降ってわいた嫌疑に、本人も目をパチクリさせることしかできなかった。
ここで俺は口を開いた。
「刑事さん、その強盗事件があったのはいつだい?」
「先週の水曜だよ。水曜の真夜中から、木曜の午前1時にかけてだ」
「でも刑事さん、その夜だったら、正吉さんは確かにこの家にいたよ。俺は見たもの」
この発言には伯父夫婦だけでなく、正吉本人までが目を丸くした。
「どうしてだい?」
「いやだなあ正吉さん、忘れたのかい? あの夜、あんたは缶ビールで酔っ払って、真夜中に庭に出て、大声で歌を歌ったじゃないか。それも俺の寝室の真下でだよ。伯父さんたちの寝室は遠いから、気がつかなかったと思う」
「そうだったっけ?」
「忘れたのかい? 俺は窓を開けて『うるさい、あっちへ行け』と言ったじゃないか」
「…そうかい?…」
「蹴飛ばされた犬みたいな顔をして、あんたは寝に戻った。すっきりして、俺は布団に入った」
刑事が言った。
「それは何時だったね?」
「夜中の1時ごろだよ。俺はイヤホンで深夜ラジオを聴いていた。ちょうどディスクジョッキーが終わって、リクエスト番組が始まったころだから、間違いないよ」
ラジオ番組についてもう少し詳しく質問した後、刑事は俺の寝室へ行き、庭を見下ろす窓を何回も開け閉めした。
そして、やっと帰っていったんだ。
もちろん正吉は連行されず、ほっとした空気が家の中を流れた。
刑事の乗った自動車の音が遠ざかり、新鮮な風に当たるために俺が庭に出ると、正吉がついてきた。
「もちろん僕は強盗なんかじゃないが、どうして助けてくれたんだい?」
「事件のあった夜、あんたは川原で動物にエサをやっていたじゃないか」
「えっ?」
「真っ暗だから分からなかったんだね。俺はそばの大岩の上にいたんだよ」
「……」
「だけど、あの動物の存在をあんたが秘密にしたがる理由も分かる。世間に知れたら大騒ぎ。マスコミや動物学者を巻き込んだ大騒動になるだろうね」
「そうなんだ…」
「正当なアリバイがあっても、あんたは主張できない。だから俺が代わりに主張したのさ」
「あの動物の正体を知っているのだね」
「カワウソだろう? 天然記念物だったけど、もはや絶滅したと思われている。あれがこの世の最後の1匹だね。あんたがかわいがり、そっとしておきたい気持ちもわかるもん…」
最後の至宝