花織
「主、おいでごらん」
一文字則宗はきょろきょろと辺りを不安げに眺めていた審神者の少女に声をかけた。ここは万屋街、審神者と刀剣男士が頼るライフラインであり、この戦時下における貴重な娯楽施設の集まりである。
ふたりは百貨店に来ていた。特に買い物の用があったわけではない。ただ、一文字則宗が審神者を連れ出したのだ。公園で花を愛で、歩きながらアイスクリームを食べて。そして今、ここにいる。全て、彼が彼女のために計画したことである。滅多に笑わない少女、かたい口調を崩さない少女を、どう笑わせるか、心を柔らかくさせるか、一文字則宗は毎日大層考えていた。そして今日、デートに誘ったのだ。審神者は少し考えた後に「いいですよ」と相変わらず感情の見えない細い声で言ったが、一文字則宗にとってはその「いいですよ」も、彼女の第一歩な気がして、嬉しかったのだ。
「何ですか。一文字則宗」
「ごらん、香水だ。綺麗な瓶だろう」
「……そうですね?」
「さてはあまりわかっていないな?」
「こういったものは、初めて見ましたから」
店頭に並ぶガラスの小瓶たち。その中にはそれぞれ液体が入っている。香水を初めて見たことはないだろう、と一文字則宗は言いかけ、この少女が過去の記憶が無いことを思い出した。そうだった、彼女にとっては初めてだった、なら初めての体験をさせてやろうと、彼は備え付けのムエットを数枚取り出して、適当なサンプルをかける。フルーツの香り、花の香り、年頃の少女が好みそうな香りを彼なりに数個選んだ。
「嗅いでごらん。気に入った香りがあったなら、買っていこう」
「私にこういったセンスは無いと思いますが……」
「何、センスがどうこうじゃない。お前さんが良いと思ったものを選べばいいさ」
「……」
少女は言われるがままにくんくん、とムエットを嗅ぐ。
その度に小さく首を傾げ考えているかのような素振りを見せるのが、どこか無垢に見えて、一文字則宗にtpっては愛おしかった。
「これは何の香りですか? 一文字則宗」
「ん? ああ、これは……ヘリオトロープだな」
「ヘリオトロープ」
「瑠璃木立草……と言ってもわからないか。花の香りだよ。気に入ったかい?」
「一文字則宗のような香りがします」
「僕?」
「はい」
何とも不思議なことを言う。と一文字則宗も首を傾げた。自身の存在を花に喩えられたことはあるが、それは大半が大輪の黄金色の菊だ。ヘリオトロープのような小さい紫色の花に喩えられたことはない。それに、一文字則宗自身、ヘリオトロープの香水をつけたこともない。この甘やかな香りは、自分には合わないと思っていたからだ。……香りを振りまいていたら、時間遡行軍の鋭敏な五感に触れるかもしれない、というのもある。
「そのこころは? 主」
「甘くて優しいけれど、大人の香りがします。気に入りましたけど、私には似合わない香りです。だから、一文字則宗に似合う香りだと思いました」
「ふむ。そうかそうか。ならこれにしよう」
「えっ。似合わないって言いました……」
一文字則宗はにっこりと笑い、列から二番目に並ぶ誰も触れていない小瓶の入った箱を手に取り、片手で審神者の手を握りレジへ向かう。審神者の少女は完全に戸惑っており、しかし拒むようなこともせず大人しく引っ張られていった。
箱に紫のリボンをつけてもらい、会計が終わる。一文字則宗は少女に小箱を渡すと、少し屈んで目線を合わせてにこりと微笑んだ。
「主、お嬢さん。僕はお前さんに似合う刀になりたいんだ。だから、この香水はお前さんのものだよ。この香りを身に纏って、お前さんの香りにしてしまいなさい。そうすれば、僕はお前さんのものだ」
「……。……それは、良いことなのでしょうか。あなたを私のものにするのは、良いことなのでしょうか」
「なあに、僕がそう望んでいるんだ。審神者として、主として、僕の望みを一個くらい聞いてくれても良いだろう?」
「このお出かけですでに一つ聞いていますが……」
「なら二つ目だ。おまけだ」
「……。……。……何個でも聞きます。あなたの望みで、私が叶えられることなら」
「おお、嬉しいね」
審神者の少女が深く俯いた後に一文字則宗に言った言葉を、彼は頭の中で何度も反芻した。どうやら、自分は自分が思っている以上に、この少女に入れ込んでいるらしい。そう思うとなかなか自分自身が面白くて、ふっと笑ってしまう。そして、少女が自分をほんの少しだけ特別だと思ってくれている気がして、これまた嬉しくなるのだ。
「ふふ」
「……?」
「何でもないよ。さあ、アイスクリームだけでは腹が減ったろう。昼は洋食がいいかい、和食がいいかい。僕はお前さんの意思が聞きたい、何でも良い以外で頼むぞ」
「……えっと……洋食、オムレツ……」
「おや、この間の朝食に出したオムレツは気に入ったかい?」
「あ、はい。美味しかったです。だからまた食べたいです、オムレツ」
「良かった。さあ、店を探そう」
手を繋いだまま、ふたりは雑踏の中に消えていく。真昼を過ぎてほんの少しだけ傾いた太陽の方角へ、歩いていく。まるで太陽を見る花、ヘリオトロープのように。
審神者にとってのヘリオトロープの甘やかな香りが一文字則宗なら、太陽に向かって咲くヘリオトロープそのものが一文字則宗にとっての審神者であった。互いが互いの花だということを、ふたりはまだ気づいていない。
花織